# ブログを書く理由 - つながるために,書く ###### tags: `essay` `advent_calendar` この投稿は,**[ブログについて語る Advent Calendar 2020 ](https://adventar.org/calendars/5234)の4日目の記事です。** ## 共感仲間探し 日常の中で,ふと「これってこういうことだよな」と気づきを得ることがあります. 例えば,以下のnoteに書いた記事. [クリエイティブは、反復と飽きから生まれる](https://note.com/tarohida/n/n89bf646ef3a4) この記事の内容が妥当か,妥当でないかはともかく,私はこういう気づきを得たときは,まず同じ事を考えている人がいないかなって思ってググります. 検索して,見つけて,ブログを読んで,「同じこと考えてる人いたwww」とやるのが好きなんですね. この記事で言えば,同じようなことを書いている人がいました.ブログの中でもリンクを貼ってるやつです. [「創造力」=「飽きる力」](http://satsuki-lab.jugem.jp/?eid=290) 最近は,Twitterの検索とかも駆使して探しています.Google検索では見つからなくても,Twitterで同じこと考えてる人が見つかったというケースは非常に多いです. ## いつか現れる「同じことを考えてる人」のために書く しかし,同じことを考えてる人が全くいない場合があります. また,twitterには言及してる人がいても,ブログでは見つからないケースもあります. もし仮に,私がブログを書かなかったとしましょう. すると,私のあとに,同じようなことを考えて検索をかけた人は,私と同じようにしょんぼりした気持ちになるわけですね. ここで,私がブログを書いていた場合は,その人は私のブログを読んで,「同じこと考えてる人いたwww」という楽しみを得ることができるかもしれません. だから,私はブログを書いています. ## より体験をよくするために,書く 「同じこと考えてる人いたwww」が得られたとしても,その記事があまりにあっさりしすぎていたり,文体が自分の好みでなかったり,主眼が自分の興味とずれていたりすると,「同じこと考えてる人いたwww」の喜びをあまり感じられないことがあります. この場合においても,私は自分で記事を書きます.前述したnoteの記事なんかはその例です. 嗜好性の違いの問題なので,決して先駆者の記事が自分の記事よりも劣っているとか,そういう話ではありません. ただ,自分なりにそのトピックについてわかりやすく書きます. 自分が楽しめるように書きます. ここで私が書かなかった場合は,次に同じことを調べた人が,私と同じように「同じこと考えてるけど,なんか違うな」と感じてしまうかもしれません. でもここで私が記事を書けば,その未来のだれかは「同じこと考えてる人いたwww」という喜びを得ることができるわけです. ## 結びに ということで,私はつながるために記事を書いています. 「同じこと考えてる人いたwww」という感情は,孤独感の解消から来てるものだと思います. この考えを持ってる人が,自分の他にもこの地球上に存在していて,そして,ここに確かに記事がある. そういうのがうれしいんですよね. これが,ブログを書く1つの理由であり,モチベーションとなっています. マイノリティな記事,世にまだそれほど存在していないようなことを書く場合に,これをモチベーションに書いてることが多いです.