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ブログを書く理由 - つながるために,書く

tags: essay advent_calendar

この投稿は,ブログについて語る Advent Calendar 2020 の4日目の記事です。

共感仲間探し

日常の中で,ふと「これってこういうことだよな」と気づきを得ることがあります.

例えば,以下のnoteに書いた記事.

クリエイティブは、反復と飽きから生まれる

この記事の内容が妥当か,妥当でないかはともかく,私はこういう気づきを得たときは,まず同じ事を考えている人がいないかなって思ってググります.

検索して,見つけて,ブログを読んで,「同じこと考えてる人いたwww」とやるのが好きなんですね.

この記事で言えば,同じようなことを書いている人がいました.ブログの中でもリンクを貼ってるやつです.

「創造力」=「飽きる力」

最近は,Twitterの検索とかも駆使して探しています.Google検索では見つからなくても,Twitterで同じこと考えてる人が見つかったというケースは非常に多いです.

いつか現れる「同じことを考えてる人」のために書く

しかし,同じことを考えてる人が全くいない場合があります.

また,twitterには言及してる人がいても,ブログでは見つからないケースもあります.

もし仮に,私がブログを書かなかったとしましょう.

すると,私のあとに,同じようなことを考えて検索をかけた人は,私と同じようにしょんぼりした気持ちになるわけですね.

ここで,私がブログを書いていた場合は,その人は私のブログを読んで,「同じこと考えてる人いたwww」という楽しみを得ることができるかもしれません.

だから,私はブログを書いています.

より体験をよくするために,書く

「同じこと考えてる人いたwww」が得られたとしても,その記事があまりにあっさりしすぎていたり,文体が自分の好みでなかったり,主眼が自分の興味とずれていたりすると,「同じこと考えてる人いたwww」の喜びをあまり感じられないことがあります.

この場合においても,私は自分で記事を書きます.前述したnoteの記事なんかはその例です.

嗜好性の違いの問題なので,決して先駆者の記事が自分の記事よりも劣っているとか,そういう話ではありません.

ただ,自分なりにそのトピックについてわかりやすく書きます.
自分が楽しめるように書きます.

ここで私が書かなかった場合は,次に同じことを調べた人が,私と同じように「同じこと考えてるけど,なんか違うな」と感じてしまうかもしれません.

でもここで私が記事を書けば,その未来のだれかは「同じこと考えてる人いたwww」という喜びを得ることができるわけです.

結びに

ということで,私はつながるために記事を書いています.

「同じこと考えてる人いたwww」という感情は,孤独感の解消から来てるものだと思います.

この考えを持ってる人が,自分の他にもこの地球上に存在していて,そして,ここに確かに記事がある.

そういうのがうれしいんですよね.

これが,ブログを書く1つの理由であり,モチベーションとなっています.

マイノリティな記事,世にまだそれほど存在していないようなことを書く場合に,これをモチベーションに書いてることが多いです.