この記事はデジクリアドベントカレンダー2019の20日目の記事です。
デジクリに関してはこちらをご参照ください
これは当記事作成担当者である私が種類関係なくいろんな分野の感想を書きなぐる記事となっています。ラーメンを食べた後にカレーナンが飛んできたりするので予めご了承ください。
それではいってみましょう。
注意
ここから先はけいおん!1期と2期のネタバレが存在します。未視聴あるいはみたくない人は飛ばしてください
最近デジクリにいる筋肉のお兄さんに勧められ、ついさっきけいおん!2期の視聴が終わったところである。
けいおん!の作品のあらすじとしては既に筋肉のお兄さんが説明してくれてるのでそちらを参考にしてほしい。
結論をいうとけいおんはいいぞ
私はもともとけいおん!の1期は高校生の時に視聴済みで、そのときのけいおん!の印象は「よくある日常系統のアニメ」というのが正直な感想であった(はず)。
というのも、けいおん1期が描いているのは「ゆるゆり」や「ご注文はうさぎですか?」、「ガヴリールドロップアウト」などのいわゆる日常系と同じなのだ。
もちろんそれぞれに微百合、カフェ、天使と悪魔というふうに特色があるのは確かだが、基本的に女の子達の日常を描いているという点にはどれにも当てはまる。
けいおん!1期も同様だ。女の子4人がバンドを始め、時に練習したり、(ほんまか?)時に放課後お茶したり、学生や季節ならではの回もあったりした。
新入生の一人が軽音楽部に入ったり、文化祭で演奏したりとけいおん!1期はそんな彼女たち4人(+1人)の1年半の日常を描いた作品と言える。
誤解を招かないように言うと、けいおん!1期がつまらなかったとかそういう話をしているわけではない(むしろ2期を語るうえで1期が無いと始まらない)。
もちろんけいおん!1期は面白かったと記憶していた。しかし、2期を見るまではやはり「面白かった日常系アニメ」の域を私の中では出なかった。
けいおん!2期の主人公は中野梓である。これは視聴した人が次々と口にする。私もその一人だ。もしかしたら1期の内容を朧げな状態で2期を見たからこそ、その気持ちがより深いのかもしれない。
あずにゃんが主人公という理由については後述する。
中野梓といえば、放課後ティータイム(以降、HTT)の面々が2年生に進級したときに新しくメンバーとして迎え入れられるキャラである。愛称はあずにゃん。(以降、あずにゃん)
小柄、黒髪ツインテール、まじめ後輩キャラといういかにも美味しい設定のキャラクターであったが、初登場が1期8話という(←ぐぐった)せいであまり語られずに1期が終わってしまった感がある。
このあずにゃんが2期において極めて重要なファクターを担っている。といのも、私たちが俯瞰してアニメを見ている景色とあずにゃん視点の景色はシンクロしているのだ。
あずにゃんが主人公であるという考えを一度真横に置いておいて、一度私達が普段見ている日常系アニメとはいったいどのようなものかを話してみようと思う
登場キャラクターの平和な日常を淡々と描いている作品。
一言でいえば一行で終わってしまうシンプルな定義である。
厳密に定義をしようとすると議論が分かれるところなので割愛させてもらうとする。
ではこの日常アニメで我々が得られるもの。それは何か
人それぞれではあるが、答えは癒しであると私は考えている。
登場キャラクター達のなんてことはない会話や雰囲気、言ってしまえばその作品の空気感を堪能し、癒しを得る。そこには壮大な物語も重大な伏線も心が穿つ感動もとくになく、言ってしまえば変化がなく話は続いていく。(例外もあるが)
最終回も、彼彼女たちの日常は続いていくという形で一区切りはつくものの、やはり大きな変化がないまま幕を閉じる。
日常系アニメが「中身がない」など巷で揶揄されている理由はこのためであり、事実このような作品が大抵である。
そして私たちはまた会えることを願いながら難民化する。
そして視聴した後に癒しを得たとは感じる。
しかし、「感動した」や「心を揺さぶった」という心情はほぼほぼ出ないのである。
本来の日常系であるならば、それは当然のことである。
本来ならば、、、
話を序盤に戻すと、この私たちがアニメを俯瞰してみている景色とあずにゃん視点の景色がシンクロしているとはどういうことなのか。
けいおん2期はあずにゃんが2年生、唯ちゃん達が3年生に進級してスタートする。全24話(+番外編3話(まだ見てない))の中で1年間の春夏秋冬をバランスよく表現した作品、といえばそこまでだが一番重要な点は、唯達3年生が卒業するところである。
序盤の話こそなんてことはない日常が繰り広げられるが、1期と違うところは明らかにあずにゃん視点のシーンが多くなった、というところである。(というよりも2年生…憂ちゃんや純ちゃんのシーンが多くなった印象がある)
より一層それが際立って見えるようになったのは中盤ごろだろうか。
そこからの視点というのは唯ちゃん達からちょっと一歩引いている印象が多かった。
別に仲が悪いとかそういうのではなく(むしろめっちゃ仲良し)、2年生と3年生である以上かならずある壁というべきか、そういうものがあるように思えた。
この壁はけいおん!に限らず、アニメを見ているときに感じる壁と酷似している。
私たちは確かにその日常や物語を楽しんではいるが、いまいちそこに踏み込むことが出来ない。この壁こそがあずにゃんと私たちの視点のシンクロを司る要因だと私は考えている。
具体的にその壁が見られたのは、唯ちゃん達4人の進路選択の話が出た時である。
あずにゃんは2年生であるため、この話自体にはあまり関わってこないのだが、私たちはそこで
「あぁ、そういえば卒業してしまうのか」
と思ってしまう人が多いのではないだろうか。
あずにゃんも作中で「卒業…」とつぶやくシーンがある。(何話かは忘れてしまった)
ただのワンシーンであるが特に重要なカットだと思う。
というのもあずにゃんと私たちは唯ちゃん達が卒業するということに対して何もできない。ただただその卒業を待つしかできないのである。
そう。このけいおん!というアニメはあくまでも唯ちゃん達、初期の4人達の入学から卒業までを描いた作品である。
そのためあずにゃん、ひいては私たちは必然的に唯ちゃん達に置いて行かれるという形になってしまう。
この置いて行かれるという感覚、私たちはどこかで感じたことはないだろうか。
そう、日常系アニメを見終わった後のあの感覚である。難民化である。
私たちがアニメというものを俯瞰してみている以上、逃れられることが出来ない症状であり、幾人もの人間が苦しめられている。
ただ、苦しめられているとはいってもそこまでダメージを受けることはない。先も言った通り、彼彼女たちの日常は続いていくというふうに終わることが多いため、私たちは
「これ以上見ることはできないけど、これからも彼彼女たちの日常は続いていくのだろうな」
というある種の希望をもって難民化することができる私たちも視聴を終わることが出来る。
けいおん!はその希望を打ち砕く。
唯ちゃん達4人が卒業をして幕を閉じるため、1期2期を通じた彼女たちのあの日常は、どうあがいても彼彼女たちの日常はもう続かないのだ。
日常系アニメにおいてこの卒業という要因を表に出すのは結構珍しいことである。
では卒業という要因があれば、他の日常系アニメと違うのかというとそういうことではなく、これはこの作品を引き立たせるための1つの要因に過ぎない。
他の日常系アニメと決定的に違うのは、先ほども言ったとおり私たち視聴者目線とあずにゃんの視点がシンクロ、
そしてその結果で生まれる「感動」の有無である。
1期2期を通して私たちの中に生まれた「彼女たちと離れたくない」という思い、それに加えあずにゃんの視点とのシンクロ、卒業することにより、もう続かないという、いろいろな要因がきれいに絡み、けいおん!!の最終話は大きな感動を生む。
最終話で唯ちゃん達4人が演奏した、「天使にふれたよ」
物語上、あずにゃんへ送った曲だが、あれはあずにゃんに送ったのと同時に私たちにも送られた曲である、というのはここまで見た人ならはすぐわかるだろう。視点のシンクロにより、疑似的に私たち視聴者へ送った曲となるのだ。
自意識過剰と言われればそれまでだが、それ以外にも根拠がある。
けいおん!では作った曲に関しては、必ず(自信ないけど…)作曲作業シーンが存在する。
しかし、このあずにゃんへのサプライズとして演奏した「天使にふれたよ」はそのシーンが無いのである。私たちは神の視点でアニメを見ているにもかかわらず、そのシーンが描かれてないというのは、どうみても制作陣様が狙って作ったとしか思えない。
私たちがあずにゃんと同時に驚き、感動するために。
「天使にふれたよ」は曲としても素晴らしいが、聴くときは1期2期を視聴して、最終話の時に初めて聴いてほしい。
機会があれば、もう一度1期2期を通してみたい。(1月にけいおん!の劇場版がリバイブルされるらしいので戦士達とともに見に行く予定です)
あずにゃんという言葉が多いので勘違いされているかもしれないが、
私は澪推しです。
1期の澪
2期の澪
こうしてみると目の描き方や前髪とか結構違う
どっちも好き
書くの疲れたので、感想をダラダラ書いていこうと思う。
本サークルに所属しているノベルゲーアキネイターからおすすめされた作品
Laplacian3作品目である「未来ラジオと人工鳩」を共通ルートまでプレイしたので、感想を言っていこうと思う。
あらすじ
2061年、日本。
人類は、“空”と“繋がり”を失っていた。
原因は鳥。
空を飛び回る、無数の白い人工鳩。
当初、地球を覆う通信インフラを確立するために放たれた人工鳩は
ある日を境に、電波を喰うようになった。
電波を喰い、果てしなく繁殖を続け、空を飛ぶ全ての鳥が人工鳩になった。
人類はまず、通信網を失った。
あらゆるものを無線化し、デジタルコミュニケーションに頼りきりだった人類は大混乱に陥った。
電波に乗って届く全ての情報が遮断され、
ハイテクの塊である飛行機は着陸すらままならなくなった。
人工鳩が電波を喰い始めた日、8機の飛行機が鳴山国際空港に堕ちた。
その後も空域の管理機能は復旧せず、当然の流れとして空港は閉鎖された。
こうして人類は、空を失った。
それから15年目のある日——。
人類に空と繋がりを取り戻すために、1人の青年がラジオを再開発した。
ありもののパーツを集めて修理したラジオ。
——それは、未来の放送を受信する不思議なラジオだった。
–公式サイトより引用
一言でいうと、理系大学生なら皆さんやろう。
どのくらい面白いかというと、現部長が始める3日前から始めた私に追いつくぐらいである。
あらすじを読むとわかると思うが、近代が舞台としてはかなり特殊な世界観をしている。ストーリーはもちろんだが、キャラクター同士の会話が面白く、飽きない。シリアスとコメディの切り替えが比較的早いが、それを嫌悪することはなくむしろ心地いいと感じる。テンポのバランスが非常に良いのか無意識に次へ次へと読みたくなってしまう。
開発者達がほとんど理系なので理数系の話が多いのもポイントが高い。
前作の「ニュートンと林檎の木」もぜひやってみたい
基本的に話はいわゆるSFなのだが、内容が分かりにくいというのはなく、むしろ理系知識無しでも話を理解することが出来る(あたりまえっちゃあたりまえか)
あとは、何気ないところに伏線が隠れているのが良い。
共通ルートまでしかやっていないのになぜそんなことが分かるのかというと、共通ルートの最後の方でとある事件が起きるのだが、その真相が伏せられたまま共通ルートが終わる。
真相を自分で適当に推理したところノベルアキネイターくんから正解をもらったため(察しの良い人ならもっと早く気付けると思う)。その真相をもとにすると共通ルートには最初から最後まで非常に多くの伏線が張られていたといわざるを得ない。
最初から最後まで目を凝らしながら進めていくのがおすすめだ。
ではいまから水雪ルート行ってきます。
去年の秋ぐらいから深層学習(最近は強化学習)をちょこちょこ勉強しているわけだが、どれから手を付ければよいか分からないという人のために、本を紹介しようと思う。
斎藤康毅さん著作の本。Pythonを実際に使い、文字通りゼロから(anacondaインストール法から)作っていくため、初心者でも非常にわかりやすい本。私が一番最初に触れた本
線形代数の単位が取れていれば十分理解できる内容。後半の畳み込みニューラルネットワークあたりからちょっと難しい。
私の理解力が少ない可能性が高い
この本読むだけで充分ニューラルネットワーク、ひいては深層学習の実装はできるようになる。
1作目を読んだ人向けの本。
1作目が主に画像処理だったのに対し、2では自然言語処理に対する実装が主となっている。まだ半分くらいしか読み終わっていない
機械学習プロフェッショナルシリーズの「深層学習」という本
こちらは先ほどの実装メインとは違い、理論について深く書かれている。
内容は結構難しいが、多分もっとも詳しい理論が乗っているのがこの本である(とある先輩が言ってた)。
あんま理解できていない。のでまた読み返してみようと思う
上に挙げた赤い本で実装し、理論の補強を青の本でやるというのが効率的な勉強法だと私は思っている。ぜひ試してみてほしい。
大きくひとりごとを言う会でした。
ほんとはスマブラについて語りたかったのですが、時間がないので割愛させてもらいました。
ほんの暇つぶしになっていただければ幸いです。