ホメロス『オデュッセイア』第一歌 第一節を古典ギリシア語で読んでみる
本記事は 法政大学理工学部AdventCalendar2024 16日目の記事です
ἄνδρα μοι ἔννεπε, μοῦσα, πολύτροπον, ὃς μάλα πολλὰ
πλάγχθη, ἐπεὶ Τροίης ἱερὸν πτολίεθρον ἔπερσεν:
πολλῶν δ᾽ ἀνθρώπων ἴδεν ἄστεα καὶ νόον ἔγνω,
πολλὰ δ᾽ ὅ γ᾽ ἐν πόντῳ πάθεν ἄλγεα ὃν κατὰ θυμόν,
ἀρνύμενος ἥν τε ψυχὴν καὶ νόστον ἑταίρων.
ἀλλ᾽ οὐδ᾽ ὣς ἑτάρους ἐρρύσατο, ἱέμενός περ:
αὐτῶν γὰρ σφετέρῃσιν ἀτασθαλίῃσιν ὄλοντο,
νήπιοι, οἳ κατὰ βοῦς Ὑπερίονος Ἠελίοιο
ἤσθιον: αὐτὰρ ὁ τοῖσιν ἀφείλετο νόστιμον ἦμαρ.
τῶν ἁμόθεν γε, θεά, θύγατερ Διός, εἰπὲ καὶ ἡμῖν.
ムーサよ,わたくしにかの男の物語をして下され,トロイエの聖なる城を屠った後,ここかしこと流浪の旅に明け暮れた,かの機知縦横なる男の物語を.
多くの民の町を見,またその人々の心情をも識った.己が命を守り,僚友たちの帰国を念じつつ海上をさまよい,あまたの苦悩をその胸中に味わったが,必死の願いも空しく,僚友たちを救うことはできなかった.
彼らは自らの非道な行為によって亡んだのであったが,なんたる愚か者どものか,陽の神,エエリオス・ヒュペリオンの牛を啖らうとは───.
かくして神らは彼らの帰国の日を奪ったのであった.
女神よ,ゼウスが御息女よ,なにとぞこれらのことごとをどこからなりとお気の向くまま,われらにも語って下され.
ギリシャ神話に登場する英雄といえば,力任せで物事を解決する“脳筋”タイプが大勢.ヘラクレスはその怪力で乳児の頃には蛇を握りつぶし,大獅子にヘッドロック.アキレウスはその無敵の身体 (踵以外) で戦場を駆け巡ります
しかし,そんなマッチョばかりのギリシア世界で,頭脳派として異彩を放つのがオデュッセウスです.彼の名を一躍有名にしたのが,トロイの木馬作戦.知略を駆使してトロイア戦争を勝利に導きます
この物語『オデュッセイア』は,そのトロイア戦争終結後,彼がトロイアから故郷イタキ島に帰還するまでの冒険,航海を描いた古代ギリシャ版ワンピース
今回はこの『オデュッセイア』の冒頭を一緒に解読しながら,古代ギリシャ語の単語や文法の世界を覗いてみましょう!
1-2行目
ἄνδρα μοι ἔννεπε, μοῦσα, πολύτροπον, ὃς μάλα πολλὰ
πλάγχθη, ἐπεὶ Τροίης ἱερὸν πτολίεθρον ἔπερσεν:
1行目の単語
ἄνδρα
- 発音: アンドラ
- 品詞: 名詞 (単数,男性)
- 格 : 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 男を,英雄を
- 詳細:
- 後ろの ἔννεπε (語る) の目的語で,「何を語るのか」を表す
- ここでは,物語の主人公オデュッセウスを指す
μοι
- 発音: モイ
- 品詞: 人称代名詞 (一人称,単数)
- 格 : 与格 - 間接目的語 (…に) として働く
- 意味: 私に
- 詳細:
- 次の ἔννεπε (語る) の目的語で,「誰に語るのか」を表す
- 英語の me.モイ!
ἔννεπε
- 発音: エンネペ
- 品詞: 動詞 (命令法,能動相,二人称,単数)
- 時制: 現在
- 意味: 語れ,伝えよ
- 詳細:
- 命令系であり,後ろの μοῦσα (詩の女神ムーサ) に「語ってください」とお願いしている
μοῦσα
- 発音: ムーサ
- 品詞: 名詞 (単数,女性)
- 格 : 呼格 - 呼びかけ(…よ)として働く
- 意味: 詩の女神ムーサよ
- 詳細:
- ムーサは詩や芸術を司る女神で,いっぱいいる.彼女らを全員合わせて「ムーサイ」の呼ぶ
- 我々死すべき人間が物語を綴れるのはムーサイの祝福
- ちなみに,現代の「ミュージアム」という単語に影響を与えてる
πολύτροπον
- 発音: ポリュトロポン
- 品詞: 形容詞 (単数,男性)
- 格 : 対格 - 修飾対象 (前述のἄνδρα) の格に合わせる
- 意味: 多才な,機知の富む
- 詳細:
- 直訳は πολύ (多くの) + τρόπος (道) .転じて「多才な」と言う意味になる
- オデュッセウスの機転や知恵深さを象徴する言葉で,冒険を通じてどんな困難にも適応する彼の性格を端的に表す
ὃς
- 発音: ホス
- 品詞: 関係代名詞 (単数,男性)
- 格 : 主格 - 主語(…は, …が)として働く
- 詳細:
- 前述の ἄνδρα (男,オデュッセウス) がどんな人か,何をしたのかがこの後説明される
μάλα
- 発音: マラ
- 品詞: 副詞
- 格 : 与格 - 間接目的語(…に)として働く
- 意味: とても
- 詳細:
πολλὰ
- 発音: ポラ
- 品詞: 形容詞 (複数,中性)
- 格 : 対格 - 直接目的語(…を)として働く
- 意味: 多くの
- 詳細:
- 量や頻度が多い様子
- ここでは副詞的に働く.2行目の πλάγχθη (放浪する) を修飾
2行目の単語
πλάγχθη
- 発音: プランクテー
- 品詞: 動詞 (直接法,受動相,三人称,単数)
- 時制: アオリスト - 完了した過去を示す時制(…した,…し終えた)
- 意味: 放浪をさせられた
- 詳細:
- 主動詞.「非常にたくさんの放浪をさせられた」という文の核
ἐπεὶ
- 発音: エペイ
- 品詞: 接続詞
- 意味: …の後で
- 詳細:
- 時間的な順序を示す接続詞で,「彼がトロイアを陥とした後」という流れを作る
Τροίης
- 発音: トロイエース
- 品詞: 名詞 (単数,女性)
- 格 : 属格 - 所有や所属 (…の) を示す
- 意味: トロイアの (地名)
- 詳細:
- トロイア戦争の舞台となった土地
- 後ろの πτολίεθρον (ポリス) の具体的な場所を示す
ἱερὸν
- 発音: ヒエロン
- 品詞: 形容詞 (単数,中性)
- 格 : 対格 - 修飾対象 (次のπτολίεθρον) の格に合わせる
- 意味: 聖なる
- 詳細:
πτολίεθρον
- 発音: プトリエスロン
- 品詞: 名詞 (単数,中性)
- 格 : 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: ポリスを (都市国家)
- 詳細:
- 次の ἔπερσεν (陥とす) の目的語となり,「何を陥としたのか」を示す
- 前の Τροίης (トロイアの),ἱερὸν (聖なる) を受けて,「トロイアの聖なるポリス」って感じ
ἔπερσεν
- 発音: エペルセン
- 品詞: 動詞 (直接法,能動相,三人称,単数)
- 時制: アオリスト - 完了した過去を示す時制(…した,…し終えた)
- 意味: (都市を) 陥とした
- 詳細:
- 主動詞.「オデュッセウスは (トロイア戦争でトロイの木馬を考案し,) トロイアの聖なるポリスを陥とした」という文の核
日本語訳と解説
ムーサよ,わたくしにかの男の物語をして下され,トロイエの聖なる城を屠った後,ここかしこと流浪の旅に明け暮れた,かの機知縦横なる男の物語を.
冒頭の1-2行は,詩の語り手 (ホメロス) が詩の女神ムーサに「機知縦横なる男(オデュッセウス)」の物語を語るように懇願しています.オデュッセウスがトロイア戦争で活躍し,その後長きにわたる放浪の旅を余儀なくされたことが要約されており,冒険の中で多くの試練を経験した彼の物語の始まりが示されていますね!
古典ギリシア語の文法としては結構日本語と共通する点も多いです.
基本的には文末に動詞が来ますが,割と柔軟に前後しがちで,特に叙事詩ではぐちゃぐちゃです.また日本語同様,一人称か二人称の場合は主語が省略されます.
これが結構苦しい.英語がいかに簡単かを思い知らされます.
ただ,形容詞は修飾対象の名詞と格を合わせるので,文の塊は結構わかりやすいです!ちなみに,さっきから単語解説で格を示してますが,これは単語の文末の活用の仕方で判断します!古典ギリシア語の名詞は第一変化や第二変化,第三変化のいずれかに分類され,それぞれ性や単数か複数かで変化の仕方が決まっています!
ここで面白いのは,人名などの固有名詞も格によって変化することです!
人名は第一変化名詞に区分され,その単数の男性名詞は最後が ς で終わります.そのため,ゼウス,ハデス,ソクラテス,アリストテレスのようにギリシャ神話の神や哲学者の名前は最後がスで終わりがちなのです!そして,主格以外だとゼウスはゼウスと発音しないのです!
3-5行目
πολλῶν δ᾽ ἀνθρώπων ἴδεν ἄστεα καὶ νόον ἔγνω,
πολλὰ δ᾽ ὅ γ᾽ ἐν πόντῳ πάθεν ἄλγεα ὃν κατὰ θυμόν,
ἀρνύμενος ἥν τε ψυχὴν καὶ νόστον ἑταίρων.
3行目の単語
πολλῶν
- 発音: ポロン
- 品詞: 形容詞 (複数,男性)
- 格: 属格 - 修飾対象 (後ろのἀνθρώπων) の格に合わせる
- 意味: 多くの
- 詳細:
δ᾽
- 発音: デ
- 品詞: 接続詞
- 意味: そして,しかし
- 詳細:
- 軽い転換や追加のニュアンスを加える接続詞で,前後の内容をスムーズに繋げる
- 原型は δέ であるが,次の ἀνθρώπων が母音から始まっているので έ が脱落する (この現象をelisionと呼ぶ)
ἀνθρώπων
- 発音: アントローポーン
- 品詞: 名詞 (複数,男性形)
- 格: 属格 - 所有や所属 (…の) を示す
- 意味: 人々の
- 詳細:
- 後述の ἄστεα (都市) と νόον (心)を共に修飾する
ἴδεν
- 発音: イデン
- 品詞: 動詞 (直接法,能動相,三人称,単数)
- 時制: アオリスト - 完了した過去を示す時制(…した,…し終えた)
- 意味: 見た
- 詳細:
- 2つ目の主動詞.「オデュッセウスは多くの人々の都市を見た」という文の核
ἄστεα
- 発音: アステア
- 品詞: 名詞 (複数,中性)
- 格: 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 都市
- 詳細:
- 動詞 ἴδεν (見た) の目的語で,「何を見たのか」を表す
- 前の πολλῶν (多くの),ἀνθρώπων (人々の) を受けて,「多くの人々の都市」って感じ
καὶ
- 発音: カイ
- 品詞: 接続詞
- 意味: そして
- 詳細:
νόον
- 発音: ノオン
- 品詞: 名詞 (単数,男性形)
- 格: 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 心,知性
- 詳細:
- 動詞 ἔγνω (知った) の目的語で,「何を知ったのか」を表す
- 前の πολλῶν (多くの),ἀνθρώπων (人々の) を受けて,「多くの人々の心」って感じ
ἔγνω
- 発音: エグノー
- 品詞: 動詞 (直接法,能動相,三人称,単数)
- 時制: アオリスト - 完了した過去を示す時制(…した,…し終えた)
- 意味: 知った,理解した
- 詳細:
- 2つ目の主動詞.「オデュッセウスは多くの人々の心を知った」という文の核
4行目の単語
πολλὰ
- 発音: ポラ
- 品詞: 形容詞 (複数,中性)
- 格 : 対格 - 直接目的語(…を)として働く
- 意味: 多くの
- 詳細:
δ᾽
- 発音: デ
- 品詞: 接続詞
- 意味: そして,しかし
- 詳細:
- 軽い転換や追加のニュアンスを加える接続詞で,前後の内容をスムーズに繋げる
- 原型は δέ であるが,次の ὅ が母音から始まっているので έ が脱落する (elision)
ὅ
- 発音: ホ
- 品詞: 指示代名詞 (単数,男性)
- 格 : 主格 - 主語 (…は,…が) として働く
- 意味: 彼は
- 詳細:
- ὅ は基本的に定冠詞であるが,ホメロスは指示代名詞として働きがち
- オデュッセウスを指す
γ᾽
- 発音: ガ
- 品詞: 小辞 (強調表現)
- 詳細:
- 原型は γέ であるが,次の ἐν が母音から始まっているので έ が脱落する (elision)
- 前述の ὅ (彼は) を強調し,「その彼と言うのは」的なノリ
ἐν
πόντῳ
- 発音: ポントー
- 品詞: 名詞 (単数,男性)
- 格 : 与格 - 手段 (…で) を示す
- 意味: 海で
- 詳細:
- 前の ἐν (…の中) + πόντῳ (海で) で「海の中で」って感じ
- オデュッセウスの苦難が主に海上であったことを示す
πάθεν
- 発音: パテン
- 品詞: 動詞 (直接法,能動相,三人称,単数)
- 時制: アオリスト - 完了した過去を示す時制 (…した,…し終えた)
- 意味: 被る,苦しむ
- 詳細:
- 主動詞.「海の中で多くの苦しみを被った」という文の核
ἄλγεα
- 発音: アルゲア
- 品詞: 名詞 (複数,中性)
- 格: 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 苦痛を
- 詳細:
- 前の πάθεν (被る) の目的語で,「何を被ったのか」を表す
ὃν
- 発音: ホン
- 品詞: 所有形容詞 (単数,男性)
- 格 : 対格 - 修飾対象 (後述のθυμόν) の格に合わせる
- 意味: 自分の
- 詳細:
- 直前の ἄλγεα (苦しみ) を受け,「それを…」と文を続ける役割を果たす
κατὰ
- 発音: カタ
- 品詞: 前置詞句
- 意味: …に沿って下へ
- 詳細:
- 次に属格が来る場合は「…から下へ」
- 次に対格が来る場合は「…に沿って下へ」 ← 今回はこれ
θυμόν
- 発音: テュモン
- 品詞: 名詞 (単数,男性)
- 格 : 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 心,胸
- 詳細:
- ὃν (自分の) + κατὰ (〜に沿って下へ) +θυμόν (心) で「彼自身の胸の内で」って感じ
- オデュッセウスが苦難を「心で受け止めている」様子を強調
5行目の単語
ἀρνύμενος
- 発音: アルニュメノス
- 品詞: 現在分詞 (能動相,単数,男性)
- 格 : 主格
- 意味: 獲得する
- 詳細:
- ἄρνυμαι (獲得する) の分詞形で,「獲得しようとする」という意味
- 「命と仲間たちの帰還を獲得しようとする」というニュアンス.
ἥν
- 発音: ヘーン
- 品詞: 所有形容詞 (単数,女性)
- 格: 対格 - 修飾対象 (次のψυχὴν) の格に合わせる
- 意味: 自分の
- 詳細:
τε
- 発音: テ
- 品詞: 接続詞
- 意味: そして
- 詳細:
- καιより弱い接続を表す
- 特に,τε A και B でAとBの並列関係を表す熟語となる
- ここで,A=「自分の魂」,B=「仲間たちの帰郷」
ψυχὴν
- 発音: プシュケーン
- 品詞: 名詞 (単数,女性)
- 格: 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 魂を
- 詳細:
- 前の ἀρνύμενος (獲得する) の目的語で,「何を獲得しようとしたのか」を表す
καὶ
- 発音: カイ
- 品詞: 接続詞
- 意味: そして
- 詳細:
- 英語の and
νόστον
- 発音: ノストン
- 品詞: 名詞 (単数,男性)
- 格: 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 帰郷を
- 詳細:
- 前の ἀρνύμενος (獲得する) の目的語で,「何を獲得しようとしたのか」を表す
ἑταίρων
- 発音: エタイローン
- 品詞: 名詞 (複数,男性)
- 格: 属格 - 所有や所属 (…の) を示す
- 意味: 仲間たちの
- 詳細:
- 前の νόστον (帰還) を修飾
- ここで「仲間たち」とは,オデュッセウスと共に航海した船員たち
日本語訳と解説
多くの民の町を見,またその人々の心情をも識った.己が命を守り,僚友たちの帰国を念じつつ海上をさまよい,あまたの苦悩をその胸中に味わった.
3-5行目では,オデュッセウスの旅で経験したことが描かれています.都市を見て,その住人たちの「心」や「思考」を理解したとあり,これは単に「見る」だけでなく,異文化を理解する力を示しています.これは,単なる力強い英雄ではなく,頭脳派としてのオデュッセウスの特徴を示しているポイントです.
オデュッセウスはトロイアからイタキ島に戻るまで,10年間もかかっており,『オデュッセイア』ではこの10年間も冒険が描かれます.
冒険のさなか,キュクロープス (一つ目巨人,英語でサイクロプス)の洞窟に閉じ込められたり,魔女キルケに仲間たちが豚に変えられたり,セイレーンの詩に誘惑されかけたり,渦潮の怪物カリュブディス&6つの首を持つ狂犬スキュラに遭遇したり…
オデュッセウスはこの長い旅の間にさまざまな苦難をその知恵で乗り越えてきたのです.
6行目
ἀλλ᾽ οὐδ᾽ ὣς ἑτάρους ἐρρύσατο, ἱέμενός περ:
6行目の単語
ἀλλ᾽
- 発音: アル
- 品詞: 接続詞
- 意味: しかし
- 詳細:
- 逆接
- 原型は ἀλλά であるが,次の οὐδ᾽ が母音から始まっているので ά が脱落する (elision)
οὐδ᾽
- 発音: ウデ
- 品詞: 否定詞
- 意味: そして…ない
- 詳細:
- 原型は οὐδέ であるが,次の ὣς が母音から始まっているので έ が脱落する (elision)
ὣς
- 発音: ホース
- 品詞: 指示副詞
- 意味: そのように,なおも
- 詳細:
- 否定文を補強し,「それでもなお…ない」というニュアンスを加える.
ἑτάρους
- 発音: エタルース
- 品詞: 名詞 (複数,男性)
- 格: 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 仲間たちを
- 詳細:
- 後ろの ἐρρύσατο (守る) の目的語で,「何を救えなかったのか」を表す
- ここで「仲間たち」とは,オデュッセウスと共に航海した船員たち
ἐρρύσατο
- 発音: エルリュサト
- 品詞: 動詞 (直接法,中動相,三人称,単数)
- 時制: アオリスト - 完了した過去を示す時制(…した,…し終えた)
- 意味: 守った
- 詳細:
- 中動相の形で,「自分の力で守る」というニュアンス
- 前の否定形により「守ることはできなかった」となる
ἱέμενός
- 発音: ヒエメノス
- 品詞: 現在分詞 (中動相,単数,男性)
- 格 : 主格
- 意味: …することを強く願う
- 詳細:
- ἵημι (願う) の分詞形で,「強く願いながら」という意味
- 前の主文を補足する形で,オデュッセウスの苦闘を強調する
περ
- 発音: ペル
- 品詞: 前節辞 (強調表現)
- 意味: …だけれども
- 詳細:
- ἱέμενός (願いながら) + περ (だけれども) で,「…することを強く願いながらも」という意味を強調する.
日本語訳と解説
しかし,必死の願いも空しく,僚友たちを救うことはできなかった.
6行目はオデュッセウスが必死に仲間を救おうとしたものの,その努力が報われなかったという,物語の中心的な悲劇性を強調した一文です.この部分では,オデュッセウスの「無力感」と「英雄らしさ」の両方が垣間見えます.
7-9行目
αὐτῶν γὰρ σφετέρῃσιν ἀτασθαλίῃσιν ὄλοντο,
νήπιοι, οἳ κατὰ βοῦς Ὑπερίονος Ἠελίοιο
ἤσθιον: αὐτὰρ ὁ τοῖσιν ἀφείλετο νόστιμον ἦμαρ.
7行目の単語
αὐτῶν
- 発音: アウトーン
- 品詞: 強意代名詞 (複数,男性)
- 格: 属格 - 所有や所属 (…の) を示す
- 意味: 彼らの
- 詳細:
γὰρ
- 発音: ガル
- 品詞: 接続詞
- 意味: なぜなら,というのも
- 詳細:
- 説明や理由付けを導く接続詞.「仲間たちを守れなかった理由」を説明する
σφετέρῃσιν
- 発音: スフェテレーシン
- 品詞: 所有形容詞
- 格: 与格 - 修飾対象 (次のἀτασθαλίῃσιν) の格を合わせる
- 意味: 自身の
- 詳細:
ἀτασθαλίῃσιν
- 発音: アタスタリーシン
- 品詞: 名詞 (複数,女性)
- 格 : 与格 - 所有・手段 (…で) を示す
- 意味: 愚かさで
- 詳細:
- αὐτῶν (彼らの) + σφετέρῃσιν (自身の) + ἀτασθαλίῃσιν (愚かさ)で「彼ら自身の愚かさによって」って感じ
ὄλοντο
- 発音: オロント
- 品詞: 動詞 (直接法,中動相,三人称,複数)
- 時制: アオリスト - 完了した過去を示す時制(…した,…し終えた)
- 意味: 滅びた
- 詳細:
8行目の単語
νήπιοι
- 発音: ネーピオイ
- 品詞: 形容詞 (複数,男性)
- 格: 主格 - 修飾対象 (次のοἳ) の格を合わせる
- 意味: 幼稚な,愚かな
- 詳細:
- 呼びかけ的に「なんたる愚か者どものか!」というニュアンス.
οἳ
- 発音: ホイ
- 品詞: 指示代名詞 (複数,男性)
- 格: 主格 - 主語 (…は,…が) として働く
- 意味: 彼らは
- 詳細:
- 愚かさ故に亡くなったオデュッセウスの仲間たちを指す
κατὰ
- 発音: カタ
- 品詞: 副詞
- 意味: すっかり
- 詳細:
βοῦς
- 発音: ボウス
- 品詞: 名詞 (複数,中性)
- 格: 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 牛
- 詳細:
- ἤσθιον (食べる) の目的語で,「何を食べたか」を表す
Ὑπερίονος
- 発音: ヒュペリオノス
- 品詞: 名詞 (単数,男性)
- 格: 属格 - 所有や所属 (…の) を示す
- 意味: 高き所の
- 詳細:
Ἠελίοιο
- 発音: エーリオイオ
- 品詞: 固有名詞 (単数,男性)
- 格: 属格 - 所有や所属 (…の) を示す
- 意味: 太陽神ヘリオスの
- 詳細:
9行目の単語
ἤσθιον
- 発音: エースティオン
- 品詞: 動詞 (直接法,能動相,三人称,複数)
- 時制: 未完了過去 - 継続的な過去を示す時制 (…だった,…していた)
- 意味: 食べていた
- 詳細:
- 仲間たちは太陽神ヘリオスへ捧げる牛を食べてしまった
αὐτὰρ
- 発音: アウタル
- 品詞: 小辞
- 意味: しかし,それに対し
- 詳細:
- 前のἤσθιον (食べていた) と 後のἀφείλετο (奪った) を対比.
ὁ
- 発音: ホ
- 品詞: 指示代名詞 (単数,男性)
- 格 : 主格 - 主語 (…は,…が) として働く
- 意味: 彼は
- 詳細:
- ὅ は基本的に定冠詞であるが,ホメロスは指示代名詞として働きがち
- 太陽神ヘリオスを指す
τοῖσιν
- 発音: トイシン
- 品詞: 指示代名詞 (複数,男性)
- 格: 与格 - 利害 (…から) を示す
- 意味: 彼らから
- 詳細:
- ἀφείλετο (取り去る) の目的語で,「誰から取り去ったか」を表す
ἀφείλετο
- 発音: アフェイレト
- 品詞: 動詞 (直接法,中動相,三人称,単数)
- 時制: アオリスト - 完了した過去を示す時制 (…した)
- 意味: 取り去った
- 詳細:
- 主動詞.「彼らから帰郷の日を取り去った」という文の核
- 前のἤσθιον (食べていた) と対比されている
νόστιμον
- 発音: ノスティモン エーマル
- 品詞: 形容詞
- 格: 対格 - 修飾対象 (次のἦμαρ) の格と合わせる
- 意味: 帰国の
- 詳細:
ἦμαρ
- 発音: エーマル
- 品詞: 名詞 (単数,中性)
- 格: 対格 - 直接目的語 (…を) として働く
- 意味: 日を
- 詳細:
- ἀφείλετο (取り去る) の目的語で,「何を取り去ったか」を表す
日本語訳と解説
彼らは自らの非道な行為によって亡んだのであったが,なんたる愚か者どものか,陽の神,エエリオス・ヒュペリオンの牛を啖らうとは───.
かくして神らは彼らの帰国の日を奪ったのであった.
7-9行目では,オデュッセウスの仲間たちがヘリオスの神聖な牛を食べて神々の怒りを買い,ゼウスに船を難破させられてオデュッセウス以外全滅するという話が展開されています.この部分は彼らの愚行が帰国を阻んだ原因であることを明示しています.
今回,高き所の太陽神ヘリオスってのが出てきましたが,このようにギリシャ神話の神には枕詞が良くつきます.異名みたいなものです.麦わらのルフィ的な
例えば主神ゼウスはゼウス・ネフェレゲレタ(黒雲寄せる君ゼウス)とか,ゼウス・ヒュパトス(最高神ゼウス)みたいな沢山の異名を持っています!
他にもパルテノン神殿はアテナ・パルテノス (処女の女神アテナ) を祀る神殿だからパルテノン神殿って言います!あ,ここでいうパルテノス (処女) は下ネタではなく,「うら若い娘」くらいの意味です!
10行目
τῶν ἁμόθεν γε, θεά, θύγατερ Διός, εἰπὲ καὶ ἡμῖν.
10行目の単語
τῶν
- 発音: トーン
- 品詞: 指示代名詞 (複数,中性)
- 格: 属格 - 所有や所属 (…の) を示す
- 意味: それらのことごとの
- 詳細:
ἁμόθεν
- 発音: ハモセン
- 品詞: 副詞
- 意味: どこからでも
- 詳細:
- 詩の女神ムーサに物語の出発点を自由に選ぶことを任せている表現
- ホメロスはこの単語をここでしか使っていない (少なくとも現存する詩の中では)
γε
- 発音: ゲ
- 品詞: 小辞 (強調表現)
- 詳細:
- 前の ἁμόθεν どこからでも) を強調
- 「どこからでもいいから,ぜひ」と懇願してる感じ
θεά
- 発音: テア
- 品詞: 名詞 (単数,女性)
- 格: 呼格 - 呼びかけ (…よ) として働く
- 意味: 女神よ
- 詳細:
θύγατερ
- 発音: テュガテル
- 品詞: 名詞 (単数,女性)
- 格: 呼格 - 呼びかけ (…よ) として働く
- 意味: 娘よ
- 詳細:
Διός
- 発音: ディオス
- 品詞: 名詞 (単数,男性)
- 格: 属格 - 所有や所属 (…の) を示す
- 意味: ゼウスの
- 詳細:
εἰπὲ
- 発音: エイペ
- 品詞: 動詞 (命令法,能動相,二人称,単数)
- 時制: アオリスト - 完了した命令形 (…してくれ)
- 意味: 語れ,伝えよ
- 詳細:
- 命令系であり,前の θεά (女神) に「語ってください」とお願いしている
καὶ
- 発音: カイ
- 品詞: 接続詞
- 意味: そして
- 詳細:
- 英語の and
ἡμῖν
- 発音: ヘーミン
- 品詞: 人称代名詞 (一人称,複数)
- 格: 与格 - 間接目的語 (…に) として働く
- 意味: 私たちに
- 詳細:
- 前の εἰπὲ (語る) の目的語で,「誰に語るのか」を表す
日本語訳と解説
女神よ,ゼウスが御息女よ,なにとぞこれらのことごとをどこからなりとお気の向くまま,われらにも語って下され.
10行目は物語の導入部で、語り手が詩の女神ムーサに物語を語るよう懇願する部分です。この呼びかけの部分は非常に詩的で、ホメロス叙事詩の典型的な特徴を示しています。
さいごに
今回,ホメロスの『オデュッセイア』第一歌第一節を古典ギリシア語で読んでみました!
これは物語のプロローグであり,ここから壮大な冒険譚と深い人間ドラマが繰り広げられます!『オデュッセイア』はギリシャ神話の中でもかなり読みやすい方なので,ギリシャ神話に興味がある方がいれば是非読んでみてくださいね!(『イリアス』は多分好きじゃないとキツイ…w)
普通に日本語に訳されている本や漫画もありますし,古典ギリシア語または英語verならここで無料で読めます
https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0136
クリスマスは是非ホメロスの綴る美しいリズムを追いながら,この英雄叙事詩の深淵に触れてみてはいかがでしょうか?