# 苅宿先生mtg ## メモ - コンピュータもワークショップも結局は同じ。方法論。思考誘引生。 - おもわずやってみたくなるようなこと。楽しくて、やってみたくなるような環境はどのように作られているのか。 - 学習というものをどう捉えるのか、が鍵になっている。 - 宮島のD論とどう関係しているのか? - ≒ニアリーイコールではあるが、完全に一致してはいない。 - 2030年の学習指導要領に向けたロビイングなども含めた活動をみんなのコードはやっている。 - その広める活動のお手伝い - 研究そのものへのコメント - D論に向けての - 尺度:分析の方法を選ぶ条件としてどのような - 談話分析? - ある程度の世界観を持っていないとまとまっていかない。 - 子どもの変化を見るのか、関係を見るのか、状況を見るのか - 関係と変化を見たい - レズニックのShareとReflect - インフォーマルな空間を用意する必要があるのか - フォーマルな教育システムの中で起こっていることは、子どもは求められたことをしがち。 - 学習をどう捉えるか。従前のものとして捉え直すことが必要なのではないか。 - 1980年代後半から90年代前半の実践について - 教科の不自由さに関する課題意識があった。教科のラベリングをどのように - コメント力をつけるということを目的にするのであればこのアプローチでいい - 苅宿先生の活動、品川の学校は荒れていた - ボトムアップで原因を探ることをやっていた - 研究として、制度の中の授業を前提にしてしまってはだめ。子どもの持っているものを外化することが必要なのではないか。 - 活動として、学習をどう捉えるかという見立ての問題。不完全なものを完全にしようという無理を教育は抱える。どちらから見るか。言葉では言えるけど、寄り添うことはできるのか。 - 学校の先生という立ち位置の難しさ:わからないことがわからない、という現実に対するアプローチを持っているか。わからないということを言えば教えてあげる、というやり方しかない。教育の教育化。いかに先生たちが管理しやすくなるか、という観点。そこに従順していく子どもを作っている。 - なにを見るか、という話。 - 自分自身が内破するもの、インフォーマルなものがフォーマルになっていくこと。作品化はその契機になっているのではないか。 - 見切り発車で初めていくなかで、あとから積み込めるようなシステムを見ることが必要。もっと子どものことを見る必要がある。 ##