Twitterでぶつ切りの乱文を撒き散らかしていても色々と実りが無さそうなので、ここにまとめる。
色々と言いたいことはある。
まず「男性の生きづらさ」だとか「女性優遇社会」みたいな言葉で今回の話をまとめている各位に対して。
気持ちは分かるが、気持ちだけ受け取っておくから、話がこじれるのでちょっと控えてて欲しい。あいや、全面的に黙れみたいな過激なことを言うつもりはないから、ちょっとトーンを下げて頂きたい。
次に、女子枠の導入を全面的に褒めそやしている各位に対して。
もうちょっと冷静になって頂きたい。あんな枠を導入することが本当に男女の平等に資するのかどうか、今一度考えて欲しい。
自分は本気で、男女平等の観点で、女子枠の導入に反対している。
あなたがそもそも男女平等主義ではないのなら、もう何も言うことはない。
そして、大学当局に対して。
お願いだから、話を聞いてください。
まず話の前提について確認しておきたい。益学長がなかなか明言してくれない[1] のでここでは明文化しておく。
「女子枠は男女差別である」ということは事実である。 格差差別へのカウンターだから差別に当たらないとかそういうのは詭弁で、事実として男女で変わらないはずの部分――学力の検査で男女差を設けている以上これは差別である。もしこれが差別でないと主張するならば、脚の不自由な人が車椅子に乗るように、腕のない人が義手をつけるように、男女では学力が生得的に異なるから専用の枠を設けなければならないと主張する本物の差別主義者になってしまうだろう。
だから議論の対象となるべきは「女子枠は差別か」ではなく、「差別へのカウンターであれば差別は容認されうるのか」になるはずだ。 これは前提だ。これについて納得できないという人とはまず差別の定義について議論せねばならない。
以上を踏まえて自分は、例え既存の差別へのカウンターだとしても差別は容認され得ないと主張する。
変えるべきは入試システム以外の部分ではないのかという再三の指摘に対して説明会の学長はこう返している: 「さまざまな施策を重ねた上でなお女子率の増加は停滞している。そのため今回のような思い切った方策に至った。」
他にやれることをやりきっている、本気で言っているのか????
まあ百歩譲ってやれることをやりきっているのだとしよう。しかしそれでもやはり、女子枠などという手段に出るべきではない。
目の前にある平等なシステムを保つことには計り知れない価値がある。それを短期的な数値目標のために変容させてしまうことはあまりにも不適当だ。
東工大は曲がりなりにも名門であり、その影響力は強い。その東工大が女子枠を設ければ、少なくない数の大学はその影響を受けてなびくだろう。 (そして益学長はそれを自覚し企図している!)
もしそうなれば何が起こるか。
考えてもみて欲しい。
多くの有名大学が女性を優先して入れる枠を設けるようになった世の中を。 みんなの憧れるあの大学もこの大学も、「女子枠」を当然のように設けている世の中を。
まっさらな感覚の、男女差別の強い時代や地域を知らない若者が、そんな世の中を見たときにどう思うか。 純粋に学問を志しただけのはずなのに、その向かった先で男子、女子といった言葉が飛び交っているのである。
「順当な是正措置である」という感想を抱くだろうか?「学問の門戸に男女の別はない」と感じるだろうか?答えは否だろう。
素直な人間ならば 「何か男女で分けなければいけないわけがある」 ――そのように感じるだろうし、ひねくれた人間であれば――「現代社会において女性は優遇されるもの」 などと結論付けてもなんらおかしくない。
30年後や50年後、そのような世を見て感覚を育てた彼らが社会を回す世代になったとき、こうした経験がいかように男女平等の流れに悪影響を及ぼすかは想像もつかない。
男女で分けること自体に疑問を持つという当たり前の感覚は、男女で分けることをしないという不断の社会努力の末に育まれる。
平等な部分を平等なままに守る、原理原則に愚直に従うべきと自分が主張するのにはこういった理由がある。
「30年後を見据えて」というのは女子枠について語る益学長の決めセリフだ。私が同様に30年後を見据えた結果このような結論に至っている。30年後は100歳近いお爺ちゃんになっているであろう学長ではなく、30年後に現役で働いているであろう自分がこう考えている。お願いだから、もっと、ちゃんと聞いて欲しい。
自分は男女平等主義であり、Twitterで騒いでいるようなミソジニストやアンチフェミニストの連中の言い分がただの正論に化けてしまうのはマジで面白くないと思っている。実際、社会には女性の進出を陰に陽に妨げる面があるのは事実であろうし、それらは解消していくべきであるのは間違いないだろう。しかし「格差解消」に留まらない「女性優遇」を本当に実現してしまえば、彼らの言い分を勢いづかせるのは確実である(すでに勢いづかせている)。少なくない数の若い男性がそちらに取り込まれる。そしてそれは回りまわって平等の実現を遠ざけることになる。そして時代は回り、さらに次の世代の不平等を作る。
おじさんたちがただ「それっぽい正しさ」を得るためだけの道具に、今の若者世代や将来の世代を犠牲にしないで欲しい。女性は(もちろん男性も)、エライ人たちが世間から正しさの栄誉を賜るための道具ではない。
男女格差の解消は男性に重しを負わせたり女性に下駄を履かせることではなく、女性の(場合によっては男性の)負っている重しを下ろす営為でなければならない。女子枠の導入はその真逆を行っている。
女子枠の正当性について、説明会の学長一同は主に「これまでの社会が女性差別だったから」ということでまとめている。しかしその女性差別的社会を作ったのはもちろん子供ではない。また、維持しているのも子供ではない。受験生に責任はない。しわ寄せを受けるべきは受験生ではない。
ただ学問を学びたかっただけの男子高校生に何の責任があるのか?なぜ今この時代に生まれたというだけで、そのような何十年分のしわ寄せを一身に受けないといけないのか?必死に勉強していただけの彼らに何の責任があるのか?
女子高校生もそうだ。なぜ学問をただ学ぶために、「女性活躍社会への貢献」とやらを目指し面接でつらつらと述べないといけないのか?[2] 学問は勝手に好奇心で学んでいいはずだ。教育の機会は能力に応じて誰にも平等に与えられなければならない。男女も信条も問うてはならない。[3]
とにかく、受験生たちに責任はない。日本の未来を考えて~などと言いながら、そのコストを何も悪くない子供に負わせているのが女子枠に対して鼻持ちならない理由のひとつである。許されることではない。
上に述べたような話はもちろん本心から言っているが、自分は聖人君子ではないのでもうちょっと卑近で下らない動機でも反対していることも書き添えておく。
自分は東工大のような名門大に入ったことのメリットのひとつについて、身近な仲間たちにリスペクトを払えることだと感じている。
おちゃらけているあいつも、変な言動ばっかりとっているあいつも、みんなあの狂った二次試験を突破してきている。自分が何か月も準備して全力を出してようやく通ったアレをだ。十人並みの人間なら見るだけで解く気をなくすのではないかという問題になお挑んだ人々だからこそ、自分はいつも最低限のリスペクトを持って接することができる。
ぶっちゃけ自分はAO落ちたのでAO勢にもリスペクトを持てる。
で、そこに現れたのが女子枠だ。どういうこったよあれ?
例えば理学院などは独自の学力検査をやるらしいからまだマシだが、工学院は共通テストと面接だけで決めるらしい。正直だいぶ厳しい。
本来なら女子枠だとか一般枠だとかそもそも東工大生かどうかとかそんなことには関係なく、どんな人間に対してもリスペクトを持って接するべきなのではあろうが、自分はそんなに倫理的に優れた人間ではない。女子枠で入ってくる人がいれば、自分はどうしてもどこか「そういう」目で見てしまうだろうという危惧がある。そんなのは本意ではない。後輩をそういう目で見たくない。
君は本当にこの大学に来れることの価値を分かっているのか?この大学の門をくぐる意味を分かっているのか?本当に周りに比肩する能力を持ってきたのか?…と、抱くべきでない感情が渦巻く様があまりに容易に想像される。
自分と同じような感覚を持つ学生は少なからずいると予想する。そこで生まれるのは女性への差別ではない。自分たちと同じような難易度の選抜を抜けてきていない人間に対する仲間意識の欠如だ。
「女子枠を導入すれば東工大に見合う実力を持たない学生が来るのではないか」という質問について、学長は説明会でアドミッションポリシーを出して反論した。女子枠を導入するにしろアドミッションポリシーに合う学生を採ることにはしているからそのようなことはないと。なんだよアドミッションポリシーて。今の今まで忘れてたわ。
アドミッションポリシー(長いので以下アとする)を掲げれば大学入試としての大義名分は保つのかもしれない。しかし自分にとってはアではなく、二次試験の数学180分が東工大入試の象徴なのである(これはバカにしてもらってよい…)。今頃になって今の今まで忘れていたアを振り回されても「うるせ~~!知らね~~~!!」になってしまう。
もう一つ言えば、大学説明会の態度も自分が良い感情を持っていない原因だ。
女子枠と直接の関係はないが、自分は医科歯科大との統合の件でも正直なところ「ん?」と思う所があった。こんな重大なことが、知ったときにはいきなり本決定になっているのかと。
しかし自分はこのとき大した声を上げなかった。どうせ看板だけの話で中身はそう本質的に変わらないのだろうし、何より、さすがに何かしら考えがあるのだろうと信頼していたからだ。
しかし女子枠の件では信頼心を改めざるを得なかった。
すでに述べたような様々な懸念を感じたことに加えて、批判的な反応に対してほとんど真っ当な受け答えをしていないように思われたからだ。
完璧な論駁でなくてもよい。「そのようなデメリットは我々も認識しているが、メリットと天秤にかけて決断した」というのならまだよかった。
説明会では様々なクリティカルな質問を政治家の答弁のように躱され続けた。
一番ツッコミを入れたいのは「女子枠は逆に差別を助長しうるのでは」という質問に対する「差別的な発言があるのは残念に思っており、認めないつもりである」という回答だ。差別を認めないのは正しいが、その差別の火元が自分たちであり得ることをどう思っているのかという話をしているのに「認めない=自分たちの責ではない」というのは無いだろう。「責任を持って対策を検討する」ならまだ分かるのだが。
社会の意識を変えると言っておいて、差別意識を持つ方に問題があるというのは矛盾だ。意識が良い方に変われば自分の手柄、悪い方に変われば各個人の責任というのは虫が良すぎる。
東工大のトップとして構成員の意識改革に責任を持つのか、それとも各個人の主義主張には責任を持たないつもりなのか、どっちかにして欲しい。
ここまでこの書き物を読んでくれてありがとう。読みにくい文章で申し訳ない。[4]
この記事が何がしかの良い方向へ作用することを願う。
実りのある議論であれば大歓迎だ。反論内容、および自分の立場と主な主張をどこかにまとめてもらえると嬉しい。
賛同していただいて本当にありがたい。
自分はこうした社会運動的なやつのセオリーを本当に知らないので、適切なムーブをとっているという確証はないのだが、とりあえず以下のことを行ってもらうと良いと思う。
あなたが何者かによってやって欲しい内容が異なるので注意して読んで欲しい。
これには一定の理がある。
どんなにもっともらしい施策でも効果はないかもしれないし、いかにバカげた施策でも実際にやってみれば効果があるかもしれない。どんな変革も、実際にやってみるまで効果があるかないか分からないという点でこの主張は的を射ている。
しかし、実験の対象にされる受験生はたまったものではない。「試しにやってみれば」というのは、これによって人生が左右されうる立場でないから言えることだろう(この論法はあんまり使いたくはないのだが)。
結果の分からない施策を、どんな理由なら非難しえてどんな理由なら賛成しうるのか。結果だけを目的にするのなら、結果を見ていない限りなんとでも言えてしまう。
これは難しい問題だが、とかく自分に見える予想図としては女子枠は男女平等という目的に対しては逆に作用するものである。そして今女子枠を施行しようとしている面々に、「失敗したとしても責任を持とうとする」ような姿勢が見えなかった。失敗の可能性など考えておらず、女子枠の施行にさえ漕ぎつければ万事が良い方向に向かうという根拠のうすぼけた考えしか感じられなかった。
それらが自分にとっては反対の理由に値している。
それからもう一つ言うと、「試しにやってみればいい」という実験主義的な立場からは当然効果検証の必要があるだろう。女子枠を施行した数年後にその結果について検証し、失敗ならば認めるような覚悟があの説明会にあったか?それがあったと思うならもう何も言わないが、自分はなかったと思うため、私はこの立場に立っても賛成できない。
というか医科歯科との統合もあるのに、正当な評価ができるとは思われない。
また、施行せずに言える問題点というのはある。この文の頭の方で指摘した「女子枠は男女差別である」というのがそれで、これは施行後の結果を見ずとも女子枠のシステムだけから断言可能な事実だ。義務論的、あるいは法治主義的にこれに反対することはそうおかしな話ではないだろう。
Twitterを見ているとちょいちょい並んで語られている(というかそれで知った)が、自分はこれに対する態度は決めかねている。
大学の機能は「教育」と「研究」だ。もし仮に教え手に一定数の女性がいないと教育機能が損なわれるというのであれば、教育機能を提供する機関として、女性を優先的に採用するのはまあアリなのかなという気がしている。
しかし「研究」に焦点を当ててみると、誰でも平等に研究を行えなければならないのに女性を優先的に研究者として入れるのはどうなんだ?と思う。誰でも平等に教育を受ける権利があるはずなのと同じ論理の話である。
ややこしいのは、大学の教授は「教え手」=「機能の提供者側」的立場であると同時に「研究者」=「機能の利用者側」的立場でもあるというところである。自分はこの辺の社会的な論理に関して無学なので、あまり下手なことが言えないというのが正直なところだ。
自分は法律について大して詳しくないため、女子枠普通に教育基本法四条・憲法十四条あたりに違反してねー? というのにはこの文章を書く過程で初めて気づいた。
その時点でがばっと改稿して「単純に法律違反だろ!ふざけんな!出直してこい!」と論ずることもできたかもしれないが、それまでに書いた文面が勿体なかった色々と自分の素直な気持ちを書いておきたかったのと、なんだか都合の良いときだけ法律を持ち出すのはインターネットオタク社会運動っぽさmaxになってしまう気がしたので、あえて話の軸を現実的なデメリットと個人的な感情論に絞って書いた。主張の根拠を必ずしも法律や憲法に頼らずとも批判できる土台は作ったつもりである。
が、それはそれとして法律違反ではあると思う。この点に関する大学側の反論はちゃんと聞いておきたい。
「変えるべきは入試システム以外の面である」とさんざ言っておきながら「具体的にはなんだよ」というのに答えられないのではさすがによろしくないので、自分の小さい頭で考えたものを一応書いておこうと思う。
予防線を張っておくと、自分は女子ではないしこうした活動の専門家でもない。なので全く正しくないことを言っている可能性がある。ご了承いただきたい。
まず一応、最終目的は「男女を問わず自分の学びたいことが学べるようになること」だということは改めて確認したい。数値的な男女比はあくまでそれを推し量るバロメータや実現するための手段でしかない。
再三言うが自分はあまり知見がないので大した話が出来ない(恥ずかしい)。こういうのもあるだろとか、これはおかしいだろみたいな指摘があればバンバン言って欲しい。
迂遠な話だが、こういう議論を活発に盛り上げることこそ女子枠のようなおかしな方策に走る大学を間接的に減らす最善の手段なのではないかと思う。
この文は東工大の一学生である抜け殻.zipが書いた。
あまり動かしてはいないが、一応Twitterがある。
https://twitter.com/Nnenzemi