# 中高のときバドミントン部だった話 こんにちは、jerkです。 本記事は法政大学理工学部 Advent Calender 2023 22日目の記事になります。 今回は主に自分の体験に基づいたバドミントンや部活の話を記事にしたいと思います。 【注意】 ・文章量が多いです。 ・登場する一般論のような書き方は全て主観です。 ・読まれることを意識していません。自己満足で文章を書いています。 ・暗い内容を含みます。 以上の内容をご了承いただける方のみ、お進みください。長くなりますが、よろしくお願い致します。 ### 1. バドミントンを始めたきっかけ 球技が苦手でバドミントンを始めました。本当はバレーボールが良かったのですが、僕の中学では入学時点で既に無くなっていたので、やむを得ずバドミントンにしました。 ### 2. 部活の雰囲気 1. #### 中学のとき 露骨に一生懸命な部活でした。1年生は半年間コートに入れてもらえない、練習中は大きい声を出す、バドミントン以外のことは考えるななどの指導があり、これだけ言えば十分だと思います。 こういうn箇条みたいなのもありましたが、ルールや戦略、練習法の指導も充実していて、顧問の先生は実績もあったのでかなり有意義でした。 2. #### 高校のとき 露骨に放任主義な部活でした。モチベになるはずの大会の枠は各学校2枠ほどで、勝つのは強豪校ばかり。そもそも出られない上に、出られてもレベルが違い過ぎて勝てないという状態だったので、当時の僕はやる気をなくしてしまいました。(のちに後悔することになるのですが...) これは蛇足ですが、顧問の先生が生徒から不評で、練習は女子の指導しかしない、男子生徒に対して自分の中にあるプロトタイプに当てはめて皮肉を言うなど、とにかく万人受けするような人ではありませんでした。 ### 3. 実績 1. #### 中学のとき 中学の大会は、地区大会、全市大会、全道大会、全国大会という段階を踏みます。中三の中体連(一番デカい大会)に関して言うと、僕の学校の選手は地区大会では、ほぼ負けなしでした。スポーツ店が開催する小さな大会もあって、そこでは全市全道レベルの強い選手が参加することもあり、2回勝てれば奮闘したね、くらいでした。 個人ではダブルスで地区優勝で全市ですぐ敗退、団体では第2ダブルスとして2回戦くらいまで勝ったと思います。当時の成績がWeb上にpdfで存在するので僕の名前を漢字フルネームで検索したら出てきます。気になる人は確認してみてください。 2. #### 高校のとき 高校の大会の方がトーナメントのpdfがWeb上にたくさんありますが、散々ですね。AI高校に負かされまくってます。検索してみてください。 ### 4. 学んだこと たくさんあって、それぞれに対してエピソードを述べているとキリがないので箇条書きにします。 * 大会に出るものは大会に出られなかった同期のためにも、学校の名前を背負うことの重大さに対して自覚をもって振舞うこと * 学年に関係なく実力のあるものが大会に出るのは学校の名前を背負うことを考えるとそれだけ重圧のかかるものであり、十分に正当性のあることであるということ * 大会に出られなかった者は、そのことを気に病むのではなく、冷静に自己を反省し今後につなげること。また、自分たちの代わりである仲間のことを応援する姿勢を持つこと * 実力のある者同士だけで練習するのは集団として劣悪であり、実力のない者も混ぜて練習することで全体のレベルの向上を図るのが良い集団であるということ * 実力のない年上に対しては本人も自覚していたり、それ相応の扱いを周りからも受けているはずであるため、ヘタな気の使い方はせず、不当な扱いもしないように心がけること * 返事や挨拶などの基本的な礼儀を大切にすること * 謙虚な姿勢を一貫すること * 努力していることを周りに見せないこと * 環境に左右されない自制心を持つこと これらはほぼ全部中学で学んだことですが、今の自分の要素を半分以上構成する体験になった上に、人としての成長もできる良い学びであると感じるので、当時の顧問の先生には本当に感謝しています。 ### 5. 中高で色々ありすぎた 1. #### 中学ときの問題 ダブルスの組み方について、先生から指定されるスタイルだったのですが、プレイの相性や実力が個人の親密度と合わないことがあったり、「みんな友達で仲がいい」みたいな雰囲気があり、そう思っていない人や、その輪に参加できなかった人は並々ならない不満を持っていたようです。 2. #### 高校のときの問題 1. 問題その1 部員が半分以上辞めてしまいました。ゆるくやりたい人と本当に勝ちたい人との間での雰囲気の差と、それに重なる顧問の独特な"指導方針"によって人が居なくなりました。人が減るとコートが空くので、勝ちたい部員としては良いことでしたが、まっとうな社会に属する人間としては反省するところも多かったと捉えています。 2. 問題その2 夏合宿というものがあり、「A, B, C, 初心者」というコースの分け方をしていました。Aが学校で一番うまい人、Bが経験者で大会でのそれなりの実績がある人、Cが経験者で大会での実績がない人、初心者が初心者という分け方でした。 僕は明らかにBクラスだったのですが結果的に配属されたのはCクラス。しかも理由が、Cクラスに相当する他校の部員が選手育成のためにその学校の顧問がBクラスの定員を占領したためというもの。 その時点で不当だったのですが、その時は自校の顧問にも学校間での体裁があるのだろうと我慢していました。しかし、僕よりも実力が下の同期が、顧問に相談して、CクラスからBクラスに上げてもらったことによって、僕の顧問に対する不信感が増大しました。 3. 問題その3 ダブルスのパートナーは同期の人数と実力的に暗黙の了解で誰と組むことになるのか、なんとなく決まっています。しかし、最終的な僕のパートナが当時の不真面目な僕のことを避けてダブルスを組みたがりませんでした。その結果、お互いの大会実績が上がらず、言い合いばかり。そいつは、脳筋で練習もテキトーなくせに姿勢だけ真面目で鈍足。相手を見て弱点をつき、タッチを早くして戦う僕と組むと、僕の負担が圧倒的に多く、バドミントンの方向性も性格も相性が良いとは言えなかったと思います。いや、悪かったです。 ずっと喧嘩ばかりで「ビジネス不仲」と言われていた僕たちも、学年別大会で少し強めの相手に勝てそうになった機会がありました。彼と初めて「勝ちたい」という気持ちが通じ合い、同じ方向に向かって一緒に奮闘している事実が嬉しくて僕が勝手に満足し、途中で勝つのを諦めてしまったことがあります。諦めた僕も悪いですが、人を許すことは難解だと思いました。 4. 問題その4 高校最後の大会の枠争いで、シングルが1枠余ったときに、残ったメンバーの実力的に僕が出るべきだったのですが、当時全く努力していなかった僕が出ることに対して、当時たくさん仕事をして、並みに(できていなかったけど)努力していた僕のダブルスのパートナー本人やそのパートナーを支持している人(主に顧問)が黙っていないだろうと思って辞退しました。そういう肩書きとか名目に拘こだわるヤツだったので、記念受験のような何かのつもりで枠を彼に渡したつもりでした。しかし、結局は彼がすぐ負けて、後輩に散々言われた所を見ると僕の選択は間違っていたのかなとも思います。僕が練習に対して真面目でさえあれば何の心残りもなく自分が大会に出られたのに。独りで泣く彼の涙を初めて見ました。 ### 6. まとめ 中高の部活でたくさんのことを体験して、学んできました。僕としては全市大会での勝利経験があることと、多少の人生経験があることと、いくつかのエピソードをお話できればそれで良かったので、「5. 色々ありすぎた」に関しては段落的に蛇足ですがブチ込みませて頂きました。 記事の内容をプラスの意味で「面白いな」と思ってくれれば幸いです。 ### 7. あとがき 長々と自分の話ばかりして失礼しました。 ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。 今後も記事を書く機会があれば、その時はまたお付き合いいただけると幸いです。