# 人生24年間を振り返ってみた
## はじめに
こんにちは。
私の人生はまだ24年しかたっておりませんが、だいぶ特殊な経験を沢山してきたと思ってます。
今回は私が今までで印象に残っている出来事や経験について語っていきたいと思います。
## 小学・中学校時代
小学校の時は、運動神経が割と良いほうだったのでよく「かけっこ勝負な?!」みたいに吹っ掛けられて、廊下や運動場、帰り道で勝負していました笑
陸上部に入ってて、県で3位になったり、リレー選手に選ばれたりしてました。
あとは、親が厳しくてしんどかったですね。
当時の習い事が、アイスホッケー、ピアノ、 硬筆・毛筆、英会話?だったですかね。
予習をしていなかったら厳しく叱られ、遊びに行くことも規制されてました。
そのせいかは分かりませんが、円形脱毛症になって全然笑わない子になっていきました。
中学校もそんな調子でいました。
私の地元はド田舎で、中学校の規則が意味不明なのが多くて苦痛でしたね。汗
(前髪は眉毛より上で切らないといけないとか...)
## アメリカへ
そんな中学校生活に転機が訪れました。
中学3年生の時、父の仕事の関係でアメリカへ数ヶ月家族で行くことになりました。
ちょうど受験期と被っていたので、中学の先生方に大きく反対されましたが、「今後の人生できっと大切な経験になるだろうから行こう」という父の言葉に後押しされ、アメリカに行くことを決めました。
## 学校生活
### 韓国の少女
アメリカに着いたら、早速現地の学校に通うことになりました。
日本の大学のように、自分で選択した科目の教室に移動する形式でした。
英語が全く喋れないのと、教室が固定じゃないのでなかなか友達が出来なくて苦労しました。
そんな中、一番初めに話しかけてくれたのが、韓国の女の子(K子と呼ぶことにする笑)です。
しかも日本語で話しかけられたのでびっくりしました。
昼ごはんも自由にご飯を食べるスタイルだったので、k子とk子の友達含めて一緒にご飯を食べることになり、脱ボッチが出来て嬉しかったです。
k子は祖父母が日本人らしく、そのため日本に対して好印象で日本のアニメ特に進撃の巨人が好きって言ってました。
k子は色々と親切にしてくれて、日本語も英語もペラペラだったので助かりました。
私が、k子との話で印象的なのは「日本のことは好きだけど、トクト独島(日本では竹島)は韓国のものだ。証拠も沢山あって、これでこうで説明ほにゃらら続く...」と言われたことです。
日本の領土問題や政治の話が出来ないと海外の人に「日本人は無知だ」と言われるってよく聞きますよね。
実際に私がその経験をしました。
私はこの経験をきっかけに、日本の政治や領土問題についての知識を持つことと、自分なりの意見を述べれられるようにならないとなという思いを持つようになりました。
### 英会話授業
アメリカに来たばっかりの海外の子たち向けに、学校で英会話の授業がありました。そこにいるメンバーとかなり仲良くなりましたね。
みんな海外から来た子ばっかりで、お互いネイティブでないので簡単な英語で通じる点が良かったです。
メンバーは主にシリア、南スーダン、メキシコ、ベネズエラ、ホンジュラスから来てました。
メンバーはみんな底抜けに明るくて陽気で自由人でした笑
私が貸したペンを、歯でゴリゴリに噛んで汚ったない状態で返してきたり、授業中メイクして自撮りしてたり、全く先生の言うとおりに行動しないので、先生が大変そうだった笑
ある程度英語でコミュニケーション取れるようになってからそれぞれの家族のことについて話す機会がありました。
メンバーみんな、戦争や治安の悪さで母国から逃げてきていて、平和ボケしていた私はかなり衝撃を受けました。
「前のお父さんが銃で撃たれて亡くなっちゃったから、今新しいお父さんがいるの!楽しいよ」
とか、
「僕と父は戦争から逃げてきて、出稼ぎするためにアメリカに来たよ。母と弟たちはまだ母国にいるから、アメリカでお金持ちになって将来家族で一緒に住むんだ!」
とか言ってました。
メンバーめっちゃ楽しそうにそのことを話してたのでびっくりです。
実は傷付いてるんじゃないかとかそういうのも一切ないです笑
ポジティブでした。
彼らの背景を知ってから、自由で陽気な人だなーの印象から、そういうポジティブな面を見習いたいなという気持ちに変わっていきました。
私がアメリカから飛び立つ英会話の授業最終日には、花束と写真集をプレゼントしてくれて今でも大切に取ってあります。
メンバーが泣きながら「今までありがとう。大好き。」って言ってくれたことが非常に嬉しかったです。
私のために泣いてくれる人がいたんだって思いました。
そのころあたりから、感情なしで笑わなかった私の性格も表情も柔らかくなっていきました。
今でも忘れられないエピソードの1つです。
### アイスホッケー(アメリカ編)
実はアメリカでアイスホッケーをしてました笑
しかも、現地の男子チームに私女子一人が混ざってプレーしてました。
今思えば行動力とメンタルが化け物すぎて怖いです。
当時の私はただ上手くなりたいしか考えてませんでした。
### その他の思い出
写真をぺたぺた張ってく↓↓
コンビニ
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景色
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スケート場です。ショッピングモールの中にスケート場があったのでびっくりしました。普通はないです。
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高校 (日本だと中学3年生だったが、アメリカでは高校1年生だった)
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アメフト観に行った時の
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Halloween
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Xmas
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### アメリカまとめ
ここで過ごした数か月間は一生忘れないと思います。
思春期にこうした経験をすることで価値観を大きく覆され、今の私を作っていると思います。
大袈裟に言ってないです。
皆さんも、海外行ってみて欲しいです。日本の良さが分かります。(逆もしかりですが)
お金かかったり、手続きめんどくさいとかあると思いますが、それ以上に得られるものがあると思います。
もちろんただ旅行するだけでもいいと思いますし、留学行くのもいいと思います。
大学院では、国際会議行く際にお金を援助してくれるので、是非国際論文を書いて海外に行くことをお勧めします!
**アメリカ編おわり**
## アイスホッケー(日本編)
アイスホッケーを小学校低学年から高校卒業まで習ってました。
小学から中学までは、自宅からスケートリンクまで高速使って1時間ぐらいかけて通ってました。
高校では、より強いチームに行きたくて、地元から離れた県外のチームで練習を行ってました。
日本女子アイスホッケー人口は、かなり少ないため県大会で勝ち上がれば、全国大会に出場することが出来ました。
そのため、アイスホッケーのお偉いさんにプレーを見てもらえる機会があり、中学の時U16に選ばれたりしました。
中学で波に乗っていたので、高校でもアメリカでの経験を活かして邁進していこうと意気込んでましたが、県外のチームに入部したと同時ぐらいに、主力の強いメンバーが他チームに行ってしまいました。
楽しくやりたいメンバーしか残っておらず、本気でやりたかった私は酷く落胆しました。
本気でやってると、勝手に熱くなってて痛寒い人みたいになってしまいました。
他人のせいにするのはナンセンスですが、やはりチームスポーツなので、みんなの協力がないとなかなかストイックに練習を行うことは厳しいです。
私は何のために親元離れてまでここに来たのだろう思いと悔しかったですし、相当病みました...
そこからアイスホッケーの道は諦めてしまいましたが、今はSmile Japan(アイスホッケー女子日本代表)で活躍しているメンバーを応援することが楽しみになってます!
Smile Japanのメンバーは合宿の時に一緒にプレーしたことがあるので、そこで仲良くなった友達や知り合いがいるため応援してて楽しいです。
北京オリンピック2022の時は、テレビでSmile Japanをずっと応援しました!
友達がオリンピックに出てたので、そりゃあ応援に熱が入りましたね。勝った時は非常に感動しましたし、負けたときは悔しすぎて泣きました。同世代がこんなにも頑張ってるんだって、とても刺激を受けました!
本気で頑張ってる人は、男女問わずかっこいいですし尊敬します泣
是非皆さん、次回の冬季オリンピックでSmile Japan応援しましょう!笑
## 高校
アメリカにいるときに受験勉強をして、地元から離れた県外の高校に行きました。
高校はほぼアイスホッケーで占めてるので話すことがほぼない...
高校で初めて彼氏が出来ました。自分に出来ると思ってなかったので非常にびっくりしました。ただ相手の愛が重すぎたのと若干メンhrだった?
主に公園行ったり、登下校一緒に帰ったりしました。あと、バケモノの子を見に行ったのはいい思い出。
あとは、アイスホッケーの道を諦めたので、勉学のほうに力を入れようと奮闘してました。勉強を今までやってこなかったことを後悔しました。高校2年生からちゃんと勉強やり始めたのですが、やり方がいまいち分かりませんでした。結果、センター利用で某大学情報学科に入学することになりました。
## 大学
### 遊び
大学で初めて一人暮らしになったことと、今まで遊びという遊びをしてこなかったので、大学は人生の夏休みだ!ってことで沢山遊びました。
アイスホッケーをやめてから心の穴がぽっかりと空いている感覚がずっとありました。
趣味に費やす時間があるなら練習したいって思いながらずっと過ごしてきたため、趣味という趣味がなく暇でした。最初は遊ぶことに抵抗と罪悪感がありました。
初めてオールしてカラオケに行ったり、飲み会に行ったりしました。
今まで本当に遊んでこなかったので、反動で遊びすぎました。(夜更かしはしましたが、夜遊びはしてないです。健全な遊びです。)
### 学校
大学1、2年はデータサイエンスコースにいて、R言語を使って統計学を学んでました。
データサイエンティストは職業として食っていくのは狭き門という話を聞いてから、機械学習エンジニアにも興味があったため、大学3年は人工知能を学ぶことができる研究室を選びました。
研究室に配属されてから、研究面白いってなりました。
興味ある分野に対して自分の切り口で突き詰めることが出来るのが、面白くて楽しいなと思いました。
私の父は生物の教授でザ理系人間なので、父の遺伝子をほんっっの少しだけは受け継いでると信じたい泣
朝から夜まで研究室にいました。楽しかったです。
大学4年は、植物病害を診断するAIを作成しました。
研究室に配属されたあたりから、大学院に進学したいなという気持ちが芽生えました。
うちの大学は院生がほぼいなかったです泣
院生が沢山いる他大のほうがあなたに合ってると大学の教授に言われ、他大を受験することに決めました。
ちょうど3年前に親が東京に異動となり、東京の自宅から通える距離&自身の研究内容と合致している研究室を探してました。
研究室ホームページのごあいさつに記載されている文章に魅力を感じて某研究室を受験することを決めました。
私が思っていたことが言語化されていてまさにそれだ!って思いました。
毎日図書館に通いながら院進の勉強をしました。
## 現在
大学の時の教授は、非常に厳しかったです。
聞きに行かないと何も指導してもらえなかったです。
コード直すのも誰も教えてくれないのでひたすらネットで探して自己流で解決してました。
あとは、論文などは指摘されるだけで代替案などはなく、自分で一から考え直してました。
そのため、大学院の先輩方や先生のフォローが手厚くてびっくりしました。
ここまでフォローしてくれる先生いないですよ。。
他の国立に通ってた友人も教授は冷たいし厳しかったって言ってました。
このありがたい環境に感謝して、修論を無事出し終え、来年、国際論文提出が出来るように頑張りたいと思います!
## おわりに
長々記事を読んでくれてありがとうございました!
だいぶ特殊な24年間だったと思います。
厳しかったものの、ここまで色んな経験をさせてもらった両親には感謝しかありません。