# 教科書を回す者ども ## ことわり この落書きは[みす51代 Advent Calendar 2020](https://adventar.org/calendars/4956)の~~40日目~~16日目の落書きです。なお、この落書きは**フィクションかもしれませんし、実在の人物や団体などとは関係あったりなかったりします**。 ## 序章 13時35分、5時間目の社会の授業が終わり、Sは伸びをして机に突っ伏した。昼食と昼休み後の眠たい時間が終わって、束の間の睡眠時間を体が欲していた。 S自身は大人しい性分だったが、男子校かつ中高一貫校の2年目、エネルギーを持て余した厨房どもが跋扈するこの環境では、休み時間は動物園も同然である。授業時間が終わって数分もすると廊下へは猛獣どもがなだれ込み、雑然とする。あいにく廊下に近い座席になってしまったSは、猛獣どもが咆哮に叩き起こされ、不機嫌そうに顔を上げる。 隣のクラスの次の時間は音楽のようだ。リコーダーやバインダーやら教科書を持った隣のクラスの輩がぞろぞろと通り過ぎていく。 その時、異常な光景を彼は目にした。5人くらいの群れが談笑しながら、__教科書やらバインダーを回しながら__、颯爽と廊下を歩いていく様子を。彼らは天に向かって片手でピストルを作るような仕草で、つまり中指で教科書やらバインダーの重心を支えながら回転させ、猛獣ロードをかき分け、雑談を楽しみながら歩いていた。 ![text-spinning](https://i.imgur.com/naKGWb2.png) すると、集団の中にいたFがそのまま教科書を勢いよく突き上げた。音楽の教科書は右手を離れて天井スレスレを掠め、回転を保ったまま落下し、再び彼の右手のピストルに着地し、衝撃を吸収して再び定位置に戻って回り続けた。 ![kamiwaza](https://i.imgur.com/0QiduVx.png) 以前からFが教科書を回している様子を目にしたことはあったが、これほどまでの「**神業**」は初めて目にした。しかもF以外にも、単に回すだけであればマスターしている様子に驚き、思わず隣のKに即座に聞いた。 「おいおい!見たかあれ!なんだあのFの『**神業**』は!」 Kの反応は思いの外あっさりしていた。 「あー、あれね。俺もちょっとできるよ、ほら」 彼は何食わぬ表情で机上の社会のバインダーを右手に乗せ、回し始めた。 「えっ、マジで!お前もできんのかよ!なんで皆できんだよ!おかしいだろ!」 異常だ。この学校の寮での流行は確かに目を見張るものがある。理科の授業中に聞いた雑談に依ると、中1の頃に$2^{1-1}=1$人しかいなかったオタクが倍々ゲームで増え、高3の頃には$2^{6-1}=32$人にまで増殖したらしい。ただ、にしてもこの短期間でこれほどのテクニックが浸透するのは常軌を逸していた。FもFと談笑していた彼らも、そして目の前にいるKも寮生だった。寮内で何かが起こったことは察しがついた。だが、自宅生であるSにはそれを知る由も無かった。 「**知りたいか・・・俺たちの道を!**」 ## 修行 寮では土曜の晩以外の19:20~22:10までの約3時間、毎日**義務自習**なる物 (通称**ギムジ**) が課せられていた。「義務」なのに「自習」という、名前からして平気で矛盾を含むギムジは、自称進学校の象徴とも言うべきイベントだった。 自習とは言え寮の教員が定期的に巡回に来るので、私語等で煩くするとすぐに怒られ、机を自習室から外に出され、廊下で一人でギムジを強要されたり、それでも尚改善の余地が無ければ、ラウンジや事務室で教員の監視の下でのギムジや、罰掃除や反省文を書かされる者も中にはいた。 勿論高校生や定期試験前ともなれば、少しはその時間に真面目に勉強する生徒も多くなるのだが、暇を持て余した中学生にとっては無用に長いだけの時間なもので、特に定期試験後のギムジは退屈で死にそうになるほどであった。私語をせずに、巡回に備えつつ如何に3時間を消費するかが、彼らにとっての毎日の悩みの種であった。 そこで、天才Fが画期的な方法を編み出した。彼は教員の目をかいくぐりつつ、ギムジの時間をフルに投資して、教科書回しをマスターした。 その後、ギムジ中に彼が悠々と回している様子を他の生徒が見て、真似をする者が増えてきた。Kもその一人だった。 KはFの技前に憧れ、喜び勇んで教科書回しに励んだ。だが、彼の修行はそう容易くは無かった。最初は当然上手く回せるはずも無く、よく教科書を落としていた。巡回時にバレるリスクもあり、彼は保守的に、サボっていることがバレないように安全に立ち回りつつ、練習に励んだ。だが、周りはどんどん上達し、焦りもあった。 数日後、段々慣れてきて30秒くらいは回せるようになった頃、周りに追いついた安堵からか、それとももっと回してみたいと調子に乗ったからなのか、「いつもよりも多めに」回してしまった。教科書は勢いよく、体感したことのないスピードで回ったが、その時、右中指を離れ、床に落下してしまった。教科書は大きな音を立てて自習室に鳴り響いた。 彼の悲劇はそこでは終わらなかった。丁度落下の直後に寮教員が入室してしまい、 **「なんだ今の音は!」** と怒号が鳴り響いた。Kは罰として「廊下での一人自習」を命じられた。 あんなに慎重に練習していたのに。後悔の念が押し寄せる。周りからの軽蔑の目線もKには刺さった。ふと振り返ると、Fが案の定教科書を回しながら、余裕の表情を浮かべて目で語り掛けてきた。 「(ふん、まだまだ修業が足りないな。俺は自習室で待ってるぜ・・・)」 バレるなんてまだまだ三流、とでも言いたい表情ではあったが、どこかエールを送っているようにも思えた。Kはターミネーター2のラストシーン、親指を立てて溶鉱炉に沈んでいくかのような気持ちで応じ、決意の表情を浮かべた。 「(行ってくるぜ・・・)」 心なしかFは応えるかのように微笑んだような気がした。自習室から机を運び出すKの表情はどこか自信に満ち溢れていた。 **Kは変わった**。雨の日も風の日も雪の日も、来る日も来る日も教科書を回し続けた。流石にギムジ以外の時間は、漫画を読んだりデュエルに励んだりした[^1]が、ギムジという大いなる暇を教科書を回し続けて過ごした。ご丁寧にもギムジはほぼ毎日あるので、練習習慣を身につける上ではうってつけだった。巡回の目は最早気にしなくなった。たとえ更に怒られてラウンジ自習になろうとも、罰掃除になろうとも、甘んじて受け入れた。いつか自習室に戻って、右中指の上で教科書が華麗に回り続けるその様子を、周りに見せつけることを夢見ていた。これほどまでにギムジが有意義な時間になるとは彼は思いもよらなかった。 ## 帰還 1か月ほど経った後、Kは再び自習室に姿を見せた。罰が終わって遂に釈放されたのだ。しかし、周りは気にも留めず、寧ろこれからの3時間をどう過ごそうかを思い巡らせ、浮かない表情をしていた。そんな中ただ一人、Fだけは期待の眼差しをKの座席の方向へ向けていた。 義務自習開始を知らせる寮内放送が鳴り響いた。ここからはKが待ちわびた夢のオンステージだ。Kは入念に巡回が来ないことを確認し、悠々と右中指で教科書を回し始めた。その回りっぷりは堂々たるものだった。いつもよりも多めに回そうが、軌道は微動だにしない。調子に乗ったりはしない。修行の成果は遺憾なく発揮されていた。 周りの視線がKに注目し始めたその時、Kは突然左手で教科書を回収し、即座に「勉強しているフリ」の状態へと戻った。まもなく巡回が現れた。周りも慌てて視線を机上に戻した。 巡回をいなして、周りはKの方向へ目を移した。彼はまた悠々と、何事もなかったかのように教科書を回していた。周りは彼に賞賛の眼差しを向け始めた。Kはその様子に気づいて充実した表情を浮かべた。Fの座席へ目を向けると、彼もパフォーマンスを歓迎するかのように教科書を回し始めた。そしてお得意の**神業**を披露した。連続で。しかもノールックで。一段と高く打ち上げた瞬間に、Kに向けて 「(よく頑張ったな、お前はもう一人前だ)」 とでも言いたげな視線を送った。Kは奮い立った。俺が目指すべき次の目標は**神業の継承**だと。 周りも呼応するように教科書を回し始めた。Kが自習室を離れている間に必死に練習した者も数多くいたのだ。まだまだ「半人前」にすら満たない、おぼつかない者もいた。それでも皆は互いを認め合っていた。ギムジなどというつまらない眼前の障壁を乗り越え、「教科書回し」を通じて意思を疎通し、その時自習室は一体感で確かに満たされていた。言葉に頼らずとも、手元の教科書を回すだけで、彼らは分かりあえたのだ。1年以上寮生活を続けたことよりも遥かに、彼らはお互いを本当の意味で分かり合えた気がした。 ## 終章 それからというもの、学校でも廊下では当たり前のように教科書を回す者で溢れた。**神業**の継承者は増えた。中には**神業**を派生させ、音が出るほど天井に思い切り教科書をぶつけ、手元に戻す流派を編み出した者も現れた。それでも尚Sはあの時ほどは驚かなかった。彼らにはここにたどり着くまでに、もっと大切な、壮絶なドラマがあったであろうことを知っていたからだ。 自宅生のSは帰って勉強時間にこっそり練習に励んだが、3日も経たず飽きてしまった。やはり「ギムジ」という共通の敵が無ければ、あのような妙技の習得は困難を極めるのかもしれない。 半年もすれば彼らは教科書を回さなくなってしまった。より正確に言えば、陳腐化してしまったと言った方が良いだろう。それでも彼らは稀にふと思い出したかのように教科書を回し、年季の入った安定感のある回転を見せた。最早彼らにとってはペン回しと大差ない「当たり前」として、学生生活に溶け込んですらいた。Sはその光景を目にするたびに、憧れと自らの怠惰を少しばかり恨んだ。 以来、Sは誰かと会った時に、未だに右中指と人差し指を立てて、軽く腕を上げ、「うーっす」と挨拶する。彼のこの動作はまさに教科書回しの仕草と酷く似ている。そこには「教科書を回す者」たちへの敬意と憧れが確かに込められている。しかし、いつしかこの「教科書回し」が由来であることを、彼自身も忘れてしまった。が、たとえ相手が「教科書を回さざる者」であったとしても、相手に対してフランクに、リスペクトを込めて挨拶をしたい時に、無意識にこの動作を続けている。「教科書を回す者」たちの勇姿や心意気は、形を変えて今もなお息づいている。 ![wiissu](https://i.imgur.com/yXkdIKg.png) [^1]: 寮では勉学に関係の無い物品の持ち込みは固く禁じられている。パソコン、携帯・スマートフォン、ゲーム機、トレーディングカードゲームの類も全て禁じられていた。これらの物品は「持ち込み禁止物品(略して持禁)」と呼ばれていた。が、入寮2年目ともなるとこんな刑務所同然の環境に痺れを切らし、こっそり持ち込むことは半ば公然の秘密となっていた。持禁は没収され次第実家へ返送という措置が取られていたが、帰省の度に持ち込むのが当たり前だったため、実家と寮を持禁が往復する事態は常態化していた。中には過激な寮教員も存在し、**没収(押収)したPSPをわざわざ本人の目の前で金槌で破壊する者**もいた。