# 上古漢語音韻論の新しい視点(Baxter 1992の書評) :::info :pencil2: 編注 以下の論文の和訳である。 - Sagart, Laurent. (1993). New Views on Old Chinese Phonology. *Diachronica* 10(2): 237–260. [doi: 10.1075/dia.10.2.06sag](https://doi.org/10.1075/dia.10.2.06sag) 誤植と思しきものは、特にコメントを付加せずに修正した。なお、原文ではBaxterの再構形のみにアスタリスクを付しているが、本訳文では全ての再構形にアスタリスクを付す。 ::: --- ## 0. はじめに 李方桂の再構体系(Li 1971, 1976)はこの20年余りの間、Karlgrenの古い体系に代わって上古漢語(OC = Old Chinese)の再構のデファクト・スタンダードとなっているが、その出版以前から蓄積されてきた知見を新たに統合することが必要とされてきた。Baxterのこの分厚い著書はそのような統合を果たすもので、Karlgrenや李方桂の体系とは多くの点で根本的に異なる、新しい体系を提示している。 本書の体系の根底にある主要理論は、特にBaxter(1980)などの以前の論文で概説されていた。頭子音に関する限り、調音部位(唇音、歯音、軟口蓋音、唇化軟口蓋音、喉音、唇化喉音)、有声音と無声音の2系列の共鳴音の対立、OC歯音から中古漢語(MC = Middle Chinese)の硬口蓋音とそり舌音が発展する際に介音 \*-j- と \*-r- が果たす役割、來母 *l-* はOC \*r- の反射であり、以母 *j-* と一部の定母 *d-* はOC \*l- の反射であるという考え方など、Baxterの体系の多くはPulleyblank(1962; およびそれ以降の発表)から採用されたものである。しかし介音については、Karlgrenの三等介音(李方桂の \*-j-)を韻律的対立(Pulleyblank 1962では長さの対立;最近の発表では強勢の対立、Pulleyblank 1973参照)で置き換えようとしたPulleyblankの試みを、Baxterは賢明にも却下している。代わりにBaxterは、Jaxontov(1983 \[1960])の発見に基づく二等介音 \*-r- パラダイムを利用し、それをPulleyblank(1962)の \*-rj- 仮説の改訂版で補足している。Baxterは、Bodman(1980)が提唱した6母音 \*i, \*e, \*ɨ, \*a, \*u, \*o の体系を採用している。Karlgrenによる末尾の有声閉鎖音は、Pulleyblankや李方桂によっても何らかの形で保持されていたが、王力が提案したように、単に放棄されている。最後にBaxterは、MCの上声と去声はそれぞれOC \*-ʔ, \*-s に遡るという、Haudricourt(1954a, b)の声調起源説の変形を仮定している。 これらはすべて、それ自体が成功した再構の取り組みであり(ただし§2.2.7参照)、それらの価値を見極めて首尾一貫した体系にまとめたことは、Baxterの大きな功績である。これらの特徴のいくつかは李方桂の体系にも取り入れられているため、李方桂とBaxterの体系にはいくつかの類似点がある。Baxterの体系の独創性と重要性は、統計学に基づいて、先人たちが見落としていた多くの対立が含まれるOC韻体系を彼自身が再解釈したことにある。Baxterの体系は全体として、OC音韻論のより自然なバージョンであり、諧声系列や、特にOCの押韻をよりよく理解できるものとなっている。 それでも、問題は残っている。例えば、Baxterが「円唇性同化 *rounding assimilation*」という用語で取り上げた現象(§2.3.2)や、OC軟口蓋音の口蓋化に関するBaxterの説明(§2.2.7)などは、彼が先人から受け継いだ問題である。それ以外にも、例えば頭子音クラスターに関する問題など、Baxter自身の提案に関連する問題もある。もう一つの問題の原因は、Baxterの方法論、特に(主にTB言語からの)外的証拠の取り扱い、そして接辞過程を扱う枠組みが彼の体系にないことにある。これらの問題のいくつかについては、第2節と第3節で述べる。 ## 1. 本書の内容 第1部(第1–4章 pp. 1–174)では背景となるいくつかの概念を紹介している。第2部(第5–10章 pp. 175–560)ではBaxterのOC再構体系が紹介されており、本書の中核をなしている。第3部(pp. 565–922)は、3つの付録、注釈、参考文献一覧、索引から成る。 本書の冒頭で、上古漢語とは「周王朝初期から中期、すなわち紀元前11世紀から7世紀ごろの言語」(p. 1)と適切に定義されている。BaxterはOCを、『詩経』言語を含む在証された全ての中国語方言の祖語と定義しており、OCが『詩経』言語と同一である必要はなく、『詩経』の言語がOCから導出可能であることだけを要求している(p. 24)。Baxterはこれに関連して、中古漢語には見られない『詩経』言語特有の韻の合流について論じ(p. 466)、説得力を持ってこれを『詩経』言語の革新と扱っている(§2.3.2参照)。『詩経』言語が中古漢語の直接の祖先ではないという見解は、既にChang(1979)によって主張されており、Baxterの見解は原理的にはChangの見解と似ているが、その違いはChangの見解よりももっと少なかったと考えている(p. 255)。 Baxterはさらに、チベット・ビルマ語は中国語の最も近い親戚であるという見解への支持を表明するが、中国語はシナ・チベット語の「遠い前哨基地」であり、STは「部分的にのみ探索された領域」(p. 1)に過ぎないと認めている。このような警告は確かに必要である。実際、2つのグループ間の音対応に関する我々の理解では、提案された大量の中国語-チベット語の比較語彙のうち、どの要素が偶然の類似で、どれが接触によるもので、どれが遺伝的関係に安全に帰することができるかを区別することは非常に困難である。それにもかかわらず、BaxterはOC音韻論の再構にTBからの証拠を用いることが正当であると主張している(p. 25)。しかし、確実に確立された音対応による方法論的な制限もなくそのような態度を取ることは、TBの比較対象が中国語からの借用や偶然の類似であるかもしれないというリスクを体系的に無視することになる。その結果、いくつかの重要な語彙項目(「大地」「吐く」「毒」など、§3参照)について、誤ったOC再構が行われている。いずれにせよ、TBがOCの最も近い親戚であるというのを当然の結論とすべきではないだろう。私は最近の論文(Sagart 1993)で、OCの単音節語とオーストロネシア語の最終音節が音対応を示すこと、共有語彙には基礎的項目が含まれること、形態論的過程、特に接中辞がOCとオーストロネシア祖語で共通することを示した。この書評では、必要に応じてオーストロネシア語の比較語彙を取り上げることにする。 第2章は、MC(Pulleyblankの「Early Middle Chinese」に相当、Sagart 1992参照)の音韻体系の紹介である。その中でBaxterは、Karlgrenのものとは異なりMCの全ての対立を反映し、李方桂によるKarlgrenの体系の改訂版(Li 1971)とは異なり通常のタイプライターのキーボードで入力可能な、MCの新しい転写方式を提示している。BaxterのMCには新しい特徴もあるが(例えば痕韻 *-on* と殷韻 *-jɨn* が異なる主母音を持つ)、全体的には、MCカテゴリーに割り当てられた値は以前の体系で提案された値に近いものである。 この分野の歴史に関心のある言語学者にとって特に重要なのは、第4章で、紀元1100年以降の伝統的中国言語学における上古漢語音韻論研究の成果が要約されていることである。これは、私が知る限り、少なくとも本書において今もなお脈々と受け継がれているこの古くて輝かしい言語学的伝統の成果を西洋言語で説明した唯一のものである。思想史的に興味深いのは、18世紀の中国で、音韻パターンの対称性に関する考え方が戴震(1724–1777)と孔廣森(1752–1786)の著作に現れていたことである(pp. 162ff)。Baxterは、伝統的なOC韻部の分析の発展に焦点を当て、韻の区別の発見が、王念孫(1744–1832)と江有誥(1851没)の著作に至る段階的で累積的なプロセスであることを示し、その独立した、しかしほぼ同一の分析が、現代の上古漢語研究の全ての基盤であることを示した。Baxterはこの伝統の発展を紹介することで、彼自身が導入したい韻の区別のための舞台を整えている。 Baxterは先人と同様に、『詩経』の押韻を通してOC韻部を調査している。彼のアプローチの独自性は、押韻データの分析に統計的手法(第3章で紹介)を用いていることである。Baxterは、2つの単語群が互いに韻を踏む頻度が偶然に予想される頻度よりも著しく低い場合、別々の韻部に属するとみなすことができるという原則(p. 99)のもと、「自由で規則的な押韻と、時折見られる不規則的な押韻」の区別を目指した(p. 100)。この方法は、まず比喩的な方法で(pp. 100–101)、続いて数学的な形式を用いて(pp. 191ff)、2度説明されている。 第5章から第8章では、音節構造、頭子音、介音、主母音、末子音、後置子音など、BaxterのOC再構に関する主張が展開される。諧声系列の証拠を機械的に利用することを戒め、『詩経』の様々な版本に関連するいくつかのテキスト上の問題を扱う余談(第9章)の後、Baxterは彼の体系における各韻部について、しばしば『詩経』の各版本の詳細に踏み込んで、詳細な分析を示している(第10章)。これらの章に示されたBaxterのOCに関する提案については§2で論じる。 ## 2. Baxterの体系 Baxterは「頭子音の再構は、この体系の最も暫定的な部分である」(p. 561)と読者に警告している。これは、Baxterの音節頭子音の再構は、OC韻の再構よりも一般的に問題が多いという私の感覚と一致する。頭子音と韻の再構の前に、OCの単語の構造に関する問題を議論する必要があろう。 ### 2.1. OCの単語の構造と接辞の性質 Baxter(第5章)によれば、OCの単語は前置子音・頭子音・介音・主母音・末子音・後置子音という6つの構造的位置を持つ音節である。ただし、李方桂の体系と同様、いくつかの位置は統語軸上で複数の音素を含むことが許されており、介音位置には \*-r-, \*-j-, \*-l-, \*-lj-, \*-rj- のいずれかが[^1]、後置子音位置には \*-ʔ, \*-s あるいは両方(Baxterは \*-(ʔ)s と表記)が許容される。すべてのサブポジションを考慮すると、OC音節を網羅的に説明するためには、8つの分節位置が必要であるという驚くべき結論に達する(あるいは9つかもしれない。Baxterはp. 224で初頭に \*ɦsm- や \*ɦsŋ- などの配列が許されると述べており、例えば 還 \*ɦswjen や 順 \*ɦsKjuns などがある。Baxterによれば、仮説的な形 \*ɦskrjun(ʔ)s も可能なOC音節となる)。 しかし、中国語の隣接する言語圏の多くで現在も見られるように、前置子音・介音・後置子音の位置で生じる音は、全てではないにせよ多くは接辞であったという証拠がある。Baxterは、彼の前置子音と後置子音が「しばしば派生要素として機能した」ことを認めるが、「すべての場合でそのような機能があったと仮定する必要はない」(p. 182)と付け加えている。また、OCの介音が接中辞であった可能性を認めたがらず、「\*r が形態論的機能を果たすと思われる場合、\*rC- を再構して、語根の外に置いておこうという誘惑にかられるかもしれない」(p. 199)と述べている。彼は、*-j-* が失われた接頭辞の反射であるというLoefflerやJaxontovによる提案を引用しているが(p. 288)、介音 *-r-* を接中辞とする解釈(最も古い提案はPulleyblank 1973)には触れていない。これは、チベット・ビルマ祖語では一般的に再構されていないタイプの接辞(ただしMiller 1958 参照)がOCでは起こり得ないというBaxterの予想から来る、一種の偏見を反映していると考えられる。実際には、接中辞はオーストロネシア語やオーストロアジア語では一般的であり、一部のチベット・ビルマ諸語や(ルシャイ語には使役接中辞 *-y-* がある)、さらには現代中国語方言でも見られる(Xu 1981)。 Baxterによる、しばしば接辞として機能する分節が、場合によっては語根の一部であるかもしれないという考え方の背景には、理解しがたいものがある。彼はp. 317で、チベット語 གཉིས་ *gnyis* 「2」にも末尾 *-s* が見られることから、二 OC \*njijs 「2」の \*-s は語根の一部である(かもしれない)と書いている。しかし、もしOCとチベット語が共通の祖先を持ち、OCの接尾辞 \*-s とチベット語の接尾辞 *-s* の両方がその言語から継承されたのであれば(Baxterはこの見解に同意している)、これがOCとチベット語の両方で同じ単語内に生じてもおかしくはないだろう。 ### 2.2. 頭子音の再構 #### 2.2.1. 接頭辞 \*s- OCに接頭辞 \*s- があったことは、現在では広く受け入れられている。これはTBの「方向」接頭辞 \*s- と比較されている(Mei 1989)。また、PANの接頭辞 \*Si- (Starosta, Pawley & Reid 1982)も、受益・道具・付属物焦点化としての機能から、比較対象として有力である。Jaxontov(1986 \[1965])とは対照的に、Baxterは接頭辞 \*s- と無声共鳴音の両方を再構し、そのMC反射を区別しているが(無声共鳴音は暁母 *χ-*, 透母 *th-*, 書母 *ɕ-*、接頭辞 \*s- が付加された頭子音は心母 *s-*, 清母 *tsh-*)、それは当然のことである。 しかし不思議なことに、彼は \*s- が無声共鳴音の前に出現することを制限している。そのため、MC反射の全てを満足に説明することができない。彼はMCの心母 *s-* と清母 *tsh-* を、それぞれ介音 \*-j- の前とそれ以外の位置にあるOC \*sn- に由来させようとしている。しかし、よく知られた反例がある。次 *tshijC* 「次」(三等の単語)は、『説文』によれば 二 *nyijC* 「2」を声符として含むとされており、したがって、その頭子音には \*s-, \*n-, \*-j- の全てを再構する必要があると思われる。他の同種の反例はPulleyblank(1962: 133)を参照されたい。\*n- を介して接点を持つ単語では、心母 *s(j)-*, 清母 *tsh(j)-* に発展するOC頭子音 \*s-n(j)- と \*s-hn(j)- を再構して、異なる発展を説明することが望ましいと思われる。 Baxterは同様に、ある諧声系列における生母 *ṣ-* と清母 *tsh-* の交替を、OC \*sr- が \*-j- を伴わない場合は清母 *tsh-* に、それ以外の場合は生母 *ṣ-* に変化すると仮定して説明しようとしている(pp. 205ff)。しかし、參 (GSR 647a)[^2]が3つのMC読み、(1) *tshâm* 「3つの、三重の、蓄積する」、(2) *ṣjәm* 「星座の名前(オリオン座の三連星)」[^3]、(3) *tṣhjәm* 「不均一な、不規則な」を持つことを考えてみよう。いずれの意味も、初期の文献に在証されている。意味面では、1と2の「3つの、三重の」と1の「蓄積する」の関係は、蓄積されるものの最小数が3であることにあるようだ。3の「不均一な、不規則な」という意味は、「3」(結局、3は「不均等」な数)および「蓄積する」[^4]と意味的に関係があるようだ。Baxterの構想では、読み1をOC \*srәm から、読み2を \*srjәm から導くことになる。しかし、3の読みや、同じ諧声系列の他の読み、例えば 摻 *ṣam* (GSR 647h)は説明できないだろう。 Baxterの \*s- +無声共鳴音クラスターに対する制限は、頭子音 \*l- の場合にも好ましくない結果をもたらす。OCにおける頭子音 \*l- または \*hl- の諧声系列には、一般に心母三等 *sj-* や邪母 *zj-* を持つ単語が含まれており、これらはOC \*s-lj- や \*s-hlj- に由来させることが合理的であると考えられる。一方Baxterは心母 *sj-* をOC \*slj- から、邪母 *zj-* をOC \*zlj- から導くことを好み、Maspero(1930: 322)の考えを復活させている。しかし、Baxterの \*z- の分布は疑わしいほど狭く、さらに \*z- はOCの子音体系で唯一の有声摩擦音である。Baxterの \*zlj- と \*slj- は表面的にしか並行的でなく、彼の \*slj- は前置子音 \*s- + 頭子音 \*l- + 介音 \*-j- からなるが、対照的に彼の \*zlj- は、頭子音が \*z- で、\*-l- と \*-j- は共に介音である。このことは、食 \*Ljɨk 「食べる」の頭子音が \*l- であるのに対し、派生語の 食 \*zlɨks 「養う」の頭子音は \*z- であり、\*-l- は介音に「降格」するという奇妙な結果をもたらす。Baxterは \*z- を前置子音ではなく頭子音として扱うことでその明らかな派生的役割を無視している。彼の \*z- が接頭辞としての機能を果たすその他の例は、諧声関係から検出できる。例えば、似 \*zljɨʔ 「似る」(GSR 976h), 隨 \*zljoj 「従う;適合する」(GSR 11g), 隧 \*zljuts 「従う;同意する」(GSR 526a)などの動詞は、動作の「周辺的」な役割を果たす参加者(受動者でも動作主でもないという意味)の存在を要求することが共通している。これは、形態論的派生の際に前置子音 \*s- が果たす役割に類似している。例えば、賜 \*sljeks 「与える、贈る」(GSR 850t), 羞 \*snju 「栄養を与える」(GSR 1076hj), 襄 \*snjaŋ 「(馬を)飼育する」(GSR 730a), 宣 \*swjan 「宣告する」(GSR 164t), 恤 \*shwit 「世話する」(GSR 410e)と比較されたい。したがって、Baxterの \*slj- と \*zlj- の代わりに \*shlj- と \*slj- を随所に再構し、上記の動詞の派生形態論を一つの同じ接頭辞 \*s- によるものと説明することが望ましい。 #### 2.2.2. 接頭辞 \*ɦ- BaxterはPulleyblankに従って、形態論的に関連する単語における頭子音の有声音~無声音の交替(有声音のメンバーはしばしば自動詞)を説明する接頭辞 \*ɦ- を同定している。しかし、自動詞の有声化を引き起こした接頭辞が鼻音であったという証拠もある。Downer(1973: 14–16)は、ヤオ語ミエン方言における中国語からの借用語の研究において、次のミエン語形を挙げている。 - 折 *tshɛʔ⁷* 「引き下げる、引き離す」 \ 折 *dzɛʔ⁷* 「土のようにひび割れる」 - 開 *khɔi¹* 「開ける」(他動詞:「扉を開ける」など) \ 開 *gɔi¹* 「開く」(自動詞:「心が開く(幸せになる)」「花が開く」など) 現代ミエン方言における高音調の有声音は、ヤオ祖語の前鼻音化無声音 \*nts(h)-, \*k(h)- を反射している[^5]。これらのペアの自動詞は、元の中国語形が鼻音接頭辞を持っていた時代にヤオ語に借用されたと考えるのが妥当であろう。もし元の中国語形が有声音であったなら、ヤオ語でも有声音であり、現代ミエン語では低音調の無声音としで反射されていたであろう。 全体として、Baxterによる接頭辞の再構はあまりに限定的であるように思われる。Maspero(1930: 319ff)が単語家族や諧声系列に関する交替に基づいて提案したように、OCには間違いなくそれ以外にも接頭辞があった。例えば、窌 (GSR 1114i)のMC *phæwC* 「地下室」, *kæwC* 「地下室」, *læwA* 「深くくぼんだ」の3つの読みから、MasperoはOCに \*p- や \*k- という接頭辞があったと提案している。彼の提案は正しいと思われる。 #### 2.2.3 Baxterの頭子音 \*j- Baxterの体系の単純頭子音で最も注目すべき提案は、以母 *j-* の(\*lj- 以外の)起源としてBaxterが設定した2つの新しいOC頭子音 \*r- と \*j- に関するものである。 BaxterのOC \*j- (とそれに対応する無声音 \*hj-)は、「\*lj- や \*r- を再構する理由がないと思われる場合」(p. 202)、言い換えれば、以母 *j-* の諧声系列が、\*r (すなわち鈍音)や \*lj- (すなわち定母 *d-*, 透母 *th-*, 常母 *ʑ-*, 船母 *dʑ-* など)に特徴的な頭子音と接触しない場合を説明するために再構されている。OCに頭子音 \*j- が存在し、それが以母 *j-* に発展した可能性はあるが(私自身もそう推測している)、この点を立証するには、否定的な証拠ではなく肯定的な証拠が必要である。Baxterの「OC \*j は介音と末子音の位置に再構されているのだから、頭子音の位置にも存在したと考えるのが妥当」(p. 202)という主張には同意しかねる。例えば、官話 /ŋ/ や広東語 /n/ は末尾に出現するが初頭には出現しない。またBaxter自身が「異なる再構を支持する重要な例が偶然欠けているだけの可能性がある」(p. 203)と認めている通り、諧声関係からの議論は完全に否定的なものであり、したがって説得力もない。実際、仮に以母 *j-* のOC起源が一つだけだったとしても、以母 *j-* の単語のみからなる系列は存在するはずである。これに関連する特徴として、Baxterの \*j- の例は数少なく、典型的には小さな諧声系列に属している。その場合でさえも、彼が挙げた例は、\*j- の再構を否定するような *単語家族* のつながりを示していると思われる。 - 游 \*ju 「浮く;泳ぐ;さまよう、ぶらつく」(GSR 1080f):これは 流 \*C-rju「流れる;浮く;漂う」(GSR 1104a)と同源かもしれない。したがって正しい再構は、Baxterの体系で言えば \*ju ではなく \*rju であると思われる。その一方で、\*-u の韻(平声)には「流れる」「漂う」に関連する意味を持つ \*l- の単語が多く、例えば 油 \*lju 「流れる;自由に、自発的に」(GSR 1079c)や 滺 (GSR 1077q), 滔 (GSR 1078de)などがある。 - 蠅 \*jɨŋ 「ハエ」(GSR 892a):Baxterの \*jɨŋ は、ビルマ語やカナウリ語 *yaŋ* 「ハエ、虫」から支持されている(ただしベトナム語 *laŋ²* 「大きな青緑のハエ」にも注意、Jaxontov 1986 \[1976] が引用)。黽 (GSR 892)の系列が \*l- 系列であることは、繩 \*ljɨŋ 「ひも、糸」(GSR 892b)と、間違いなく \*l- の単語である 縢 \*lɨŋ 「結ぶ」(GSR 893t)との形態論的関係から示唆されている。Sagart & Starosta(1992)は接中辞 \*-j- による道具名詞化の事例を挙げている。 - 手 \*hju 「手」(GSR 1101a):王力はこの単語を 杽 (M14515)に関連づけており(Wang 1982: 231)、これは 杻 *ṭhjəuB* 「手枷、足枷」(GSR 1076e)とも書かれる。Baxterの \*hj- を受け入れると不可解な頭子音の交替となる。 Baxterが以母 *j-* の第3のOC起源として再構した \*r- のケースについては、子音クラスターとの関連で後述する(§2.2.6)。 #### 2.2.4 頭子音クラスター:不確実性の問題 Baxterの再構は、前置子音+頭子音からなるクラスターと、頭子音+介音からなるクラスターを区別していない。\*s は前置子音としても頭子音としても出現し、\*l, \*r, \*j は頭子音としても介音としても出現するので、初頭の配列 \*sj-, \*sr-, \*sl- は、前置子音 \*s- +頭子音 \*j, \*r, \*l としても、頭子音 \*s +介音 \*j, \*r, \*l としても分析できる。しかし、漢字の創作者にとってこの2つのタイプの配列は同等でなかったという証拠がある。彼らは、このような頭子音クラスターを持つ音節を \*s- 系列に割り当てるか共鳴音系列に割り当てるかを選択する際に、\*s- が語幹の頭で、後続する共鳴音が介音の場合、特に介音が明確な形態論的役割を果たす場合は、\*s- 系列を好んだようである。一方、\*s- が前置子音として識別可能で、語幹の頭が共鳴音の場合は、共鳴音系列が多く選択された。既に§2.2.1で、接頭辞 \*s- を持つ音節が非 \*s- 系列に含まれる例を引用した。介音の \*-j- や \*-r- が頭子音 \*s- の系列(実際にはあらゆる種類の系列)において形態論的役割を果たす例は数多く存在する。興味深い例として、「サンダル」を意味する単語(OC \*srje)がある。この単語の文字 屣 (GSR 871g)は頭子音 \*s- +介音 \*r- の解釈を示唆し、別の文字 躧 (GSR 878j)は接頭辞 \*s- +頭子音 \*r- の解釈を示唆する。このような例があるとはいえ、もしこの区別が実在したならば、OCの再構体系には接頭辞+頭子音のクラスターと頭子音+介音のクラスターとを区別する手段を持たせなければならない。 #### 2.2.5 不定音+流音クラスター Baxterの体系には、2種類の不定音+流音クラスターが存在する。一方は、MCの二等(および三等の一部)に特徴的な母音と子音のパターンを生み出す \*Cr- クラスターで、もう一方は、後述する他のタイプの交替パターンを説明する「ハイフン付き」の \*C-r- と \*C-l- クラスターである。「C」には頭子音目録にあるものしか当てはまらないので(Baxterによるとても乏しい接頭辞の再構を受け入れた場合)、Baxterは両方のタイプのクラスターに含まれる \*r と \*l を介音とみなしているようである。Baxterは、特定の解釈は持ち合わせていないものの、通常のクラスターと「ハイフン付き」クラスターの間に何らかの音声的な違いがあったはずだと考えている(p. 200に2つの可能な解釈が簡単に示されている。Baxterは不思議なことに、\*g-r- や \*b-r- が \*kr-, \*khr-, \*pr-, \*phr- に対応する真の有声音だが、彼が \*gr-, \*br- と書いたものは二次的な有声音か実際には \*rg-, \*rb- であると示唆している)。 \*C-l- クラスターは \*k-l-, \*kh-l-, \*g-l- (\*p-l-, \*ph-l-, \*b-l- もありうる)のいずれかで、それぞれ端母 *t-*, 透母 *th-*, 定母 *d-* に発展する。これは、OC \*l- が必要とされる系列で端母 *t-* が見られる場合や、ミャオ・ヤオ語や他の言語に見られる不可解な比較語彙を説明するのに役立つ。その証拠能力(pp. 232–234)は、あまり均質ではない。Baxterは「介音 \*-l- の理論は介音 \*-r- の理論ほど熟しておらず、多くの場合介音 \*-l- を確信を持って再構することは困難である」(p. 179)と認めている。 ハイフン付きクラスターのもう一つのタイプは介音 \*-r- を持つクラスター(\*C-r- クラスター)で、「C」に常に有声音を持ち、常に來母 *l-* を与える。逆に、來母 *l-* を生み出すのは \*C-r- クラスターだけである。したがってその再構は機械的に行われる。\*C-r- クラスターは主に、來母 *l-* が諧声系列において二等(または重紐三等)の鈍音と接触するケースを説明する役割を果たす。このような諧声系列上の交替は、\*C-r- (> 來母 *l-*) ⇔ \*Cr- (> MC二等・三等の子音)で表されることになる。例えばある系列内の \*g-r-, \*gr-, \*kr- は、それぞれ來母 *l-*, 匣母 *ɣ-* 二等(または群母 *g-* 重紐三等), 見母 *k-* 二等(または重紐三等)に発展する。來母 *l-* がOC \*C-r- のみに由来するという考えの根拠は、単に「かなり多くの場合、來母 *l-* は他の言語では単純な語頭 \*r- ではなく、\*r を伴う頭子音クラスターに対応するようである」(p. 199)ということだけであり、やや弱いように思われる。Baxterはタイ語やTB言語からいくつかの例を挙げているが(p. 201)、Haudricourt(1954b)はベトナム語への初期の借用語から、來母 *l-* に対応する(漢越語 *l-* とは異なり)単純頭子音 *r-* を持つ例を数多く挙げており、Jaxontov(1986 \[1976])も同じ対応をするチワン語・ビルマ語・ルシャイ語の例を付け加えている。Baxterの例がHaudricourtやJaxontovの例よりも古い層を表しているとは思えない。もしBaxterの言う通り來母 *l-* が常に \*C-r- 由来だとすれば、なぜ対応するクラスターを持たなかったわけでもないベトナム語やチワン語が、中国語の \*C-r- を単純な初頭 *r-* に変換したのかが不明である。 Baxterの \*C-r- クラスターは、來母 *l-* と様々な鈍音との間の諧声関係に説明を与えるが、來母 *l-* がそれ以外の頭子音を含まない系列に現れたり、透母 *th-* (おそらくOC \*hr- に遡る)との接触がある場合には、複雑な再構に思える。実際には、そうした場合が大多数である。來母 *l-* が常にOC \*C-r- の反射であるとすれば、諧声系列が「C」の性質を知る手がかりをこれほど稀にしかもたらさないのは驚くべきことである(特に、p. 200に示唆されているように、\*C-r- が \*k(h)r- と \*p(h)r- に対応する有声音である場合)。私の集計では、Baxterは付録Cにある來母 *l-* を持つ107語のうち91語の「C」を特定できないとしている。 #### 2.2.6 頭子音 \*r- Baxterが來母 *l-* をOC \*r- からではなく常に \*C-r- に由来させることを提案した動機の一つは、そうすることで \*r- を別の目的のために確保することができるからである。 > 私は、通常の頭子音 \*r- が以母 *y-* になったと仮定する。この発展は、OC \*r- に関連する諧声系列に以母 *y-* を持つ単語が見られることを説明する。(p. 199) もしこれが本当なら、\*r- の単語が軟口蓋音系列に含まれるか唇音系列に含まれるかは、まったくの偶然の問題であるはずだ。軟口蓋音クラスター系列(\*Kr-, \*g-r-)の 鹽 \*r(j)am 「塩」(GSR 609n)と、唇音クラスター系列(\*Pr-, \*b-r-)の 聿 \*rjut 「筆」(GSR 502a)などが、この例である。 | | | 意味 | GSR | OC > MC (Baxter) | | :------- | :--- | :------------- | :--- | :---------------- | | 軟口蓋音 | 監 | 見る、目をやる | 609a | \*kram > *kæm* | | | 藍 | 藍 | 609k | \*g-ram > *lam* | | | 鹽 | 塩 | 609n | \*r(j)am > *yem* | | 唇音 | 筆 | 筆 | 502d | \*prjut > *pit* | | | 律 | 法律、規則 | 502c | \*b-rjut > *lwit* | | | 聿 | 筆 | 502a | \*rjut > *ywit* | これらの単語が、例えば「塩」の場合は 鹹 \*grәm 「塩、塩辛い」(GSR 671f)(ジャワ語 *garәm*, マレー語 *garam* 「塩」, チベット・ビルマ祖語 \*gryum 「塩」も参照)のように軟口蓋音の、「筆」の場合は 筆 \*prjut 「筆」(GSR 502d)のように唇音の、「正しい」調音点を示す \*Cr- クラスターの同根語を持つように見えるのは偶然なのだろうか。 #### 2.2.7 \*-rj- パラダイムと軟口蓋音の口蓋化 標準的な仮定のもとでは、宋代の韻図の2行目に配置される全ての単語には、自動的に介音 \*-r- が再構される。その結果、すべての調音点に関する \*Cr- と \*Crj- タイプのOCクラスターに対して、\*-rj- に先行する(a)唇音(唇化軟口蓋音・喉音を含む)、(b)軟口蓋音という、2つの系統的ギャップが生まれることがわかる。研究者たちは、これらのギャップを利用して、OC起源が見つかっていないMCの対立を説明しようと試みている。Baxterの \*-rj- 仮説はPulleyblank(1962)の考えを再編したもので、OC \*Pj-, \*Kj- とは対立的な \*Prj-, \*Krj- を用いて、MCにおける三等韻の異なるタイプ間の対立と、OC軟口蓋音の口蓋化を説明しようとするものである。Baxterの考えでは、OC軟口蓋音は、介音 \*-j- と高母音が続くと、通常MCで硬口蓋音として反射される。ただし介音 \*-r- が存在する場合は硬口蓋音の反射は生じない。\*Krj- と \*Prj- は重紐三等となる。後舌母音も口蓋化を防ぐ傾向があるが、かなりの数の例外が存在する。 それに対して李方桂(Li 1976)は、OC軟口蓋音の口蓋化は複合介音 \*-rj- によって条件付けられたものと説明し、\*Kj- は「通常」の見組三等 *Kj-* の単語の起源として機能するとした。 \*-r- をどこに再構するかについての李方桂とBaxterとの間の意見の相違は、口蓋化する軟口蓋音(李方桂 \*Krj-、Baxter \*Kj-)と重紐三等(Baxter \*Krj-, \*Kwrj-, \*Prj-、李方桂 \*Kj-, \*Pj-, \*Kwj-)という、三等韻の単語における2つのセットに限られている。なお、李方桂は \*Kwrj- と \*Prj- という形のクラスターをほとんど再構していない(ただし、1語でのみ \*brj- を再構しており、\*gwrj- はMC云母のOC起源である)。 このような相反する理論を評価する手段として、介音 \*-r- の性質に関する最近の知見がある。古典漢語の人間・動物の身体部位用語における「議論の余地のない」[^6]介音 \*-r- の出現を調査したところ(Sagart 1992)、介音 \*-r- は双数・複数の身体部位用語に出現する傾向が強く、統計的に有意な結果が得られた。少数の例外はあるが、それらはほとんどが名詞的に使われる動詞と思われる。このことは、スンダ語などのオーストロネシア諸語の接中辞 \*-ar- のように、介音 \*-r- は名詞の複数性を示す派生接中辞であったとする見方を支持している。この仮説のもとでは、2つの説のどちらが「正しい」予測をしているのだろうか。 もし、ある理論が単数の身体部位用語に \*-r- を再構していたとしたら、これはその理論に対する反証となるだろう。論争の的になっている \*-r- のケースの中にはいくつか単数の身体部位用語があるものの、音韻的あるいは語彙的な曖昧さのために、それが単数の身体部位を表す証拠は決定的なものではない。代わりに、どちらの理論が、意味的に複数の身体部位用語により一貫して \*-r- を割り当てているかを確認することで、より弱い議論ができるかもしれない。関連する例は次の通りである。 | | GSR | 李方桂 | Baxter | ==:bulb: Baxter & Sagart 2014== | | :--- | :--------- | :-------------- | :------------- | :------------------------------ | | 齒 | 961l | \*khrjәgx | \*khjɨʔ | \*t-\[k]ʰә(ŋ)ʔ (or \*t.ŋ̊әʔ) | | 指 | 552f | \*krjidx | \*kjijʔ | \*mә.kijʔ | | 肢 | 864c, 865b | \*krjig | \*kje | \*ke | | 腎 | 368h | \*grjinx | \*gjin | \*Cә.\[g]i\[n]ʔ | | 拳 | 226g | \*gwjian | \*gwrjan | \*N-kro\[n] | | 眉 | 567ac | \*mji | \*mrjɨj | \*mr\[ə]\[r] | | 頯 | 988a | \*gwjiәg | \*kwrji | \*\[g]ʷru | | 頄 | 992e | \*gjәgw, gwjiәg | \*kwjɨ, *kwrjɨ | \*\[g]ʷru | ここから、李方桂の解決策は軟口蓋音には適しているが、唇音・唇化軟口蓋音には不適切であり、Baxterの解決策は唇音・唇化軟口蓋音には適しているが、軟口蓋音には不適切であると考えられる。しかし、意味的に複数の身体部位用語のうち議論の余地なく \*-r- を持つのは3分の1に過ぎず、このような単語が \*-r- を持たないこと自体は異常ではないことを心に留めておく必要がある。さらに、関連する単語の数も少ない。しかしながら、李方桂の小さな \*Krj- (口蓋化する軟口蓋音)のセットには4つの意味的に複数の身体部位用語が存在するのに対し、Baxterの大きな \*Kj- のセットにはそれが存在しないことは示唆的であり、若干ではあるが、李方桂による口蓋化の条件付けの解釈を支持している。 ### 2.3 韻と末子音 #### 2.3.1 6母音体系 BaxterによるOC韻体系の扱いは、本書の中心をなすものであり、最もうまく主張され最もよく支持できるものである。Baxterの枠組みは、OC韻部のMCに至る歴史は、OCは6母音体系 \*i, \*ɨ, \*u, \*e, \*a, \*o を持ち、これらの母音は介音 \*-r- と \*-j- による前進・上昇効果(介音 \*-l- は後続母音に影響しない)の影響を受けると仮定することで説明できる、という考えに基づいたものである。6母音は、MCで最も複雑な母音を示す *-n*/*-t* で終わる韻の発展を説明するために必要な数である。同様にしてこの6母音は他の末子音を持つ韻に拡張される。MC韻体系の発展には2つの介音のみが役割を果たすと仮定するには、Karlgren以来の、それぞれMCの四等母音と「合口」(すなわち介音 *-w-*)の起源とみなされてきた「強い母音的 \*-i-」と \*-w- という2つのOC介音を廃止しなければならない。6母音体系の下では、これらの機能はそれぞれ前舌母音と円唇母音に移される。「前舌母音仮説」は、介音を伴わないOC前舌母音 \*i と \*e を四等母音の起源とし、「円唇母音仮説」は、介音 *-w-* を持つMC音節をOC円唇母音 \*o と \*u (または唇化軟口蓋頭子音+非円唇母音)から導き出す。 この枠組みの帰結として、以前は同じ母音と異なる介音を用いて再構された単語セットが、場合によっては異なる母音を持つようになる。例えば、李方桂の \*-an, \*-ian, \*-uan はBaxterの体系では \*-an, \*-en, \*-on となり、したがって韻を踏むことができなくなる。Baxterは第10章で、これらが韻を踏むという古典的な仮定は少数の例外的な事例や文献学的に不確かな事例に基づいたもので、一般的にはこれらは別々に韻を踏むということを示した。Baxterの統計的に裏付けられた結論は信頼できるように思われる。 その結果、当然ながら、設定される韻部の数は大幅に増加する。OCの押韻に関する標準的な見解が31の韻部を区別するのに対し、Baxterは50の韻部を区別している。上記で取り上げたのは、押韻の区別は以前から認識されていたが、以前はそれらが介音の違いとして認識されていたケースである。Baxterはそれとは別に、韻を踏めることが前提とされMCでは対立が失われているためにこれまでその存在が疑われてこなかった、新たな音韻的対立を発見している。例えば、李方桂の体系において、OC \*-an はすべての頭子音の後に見られるが、\*-uan は非鈍音の頭子音の後にのみ発生する。これはその環境でのみ \*-an と \*-uan が異なるMC反射を持つためである。『詩経』の押韻を調べると、李方桂の一部の唇音・唇化軟口蓋音の後の \*-an が、\*-an ではなく \*-on と韻を踏んでいることがわかる。つまり、\*-on と \*-an は、鋭音の後だけでなく鈍音の後でも対立が存在するのである。新たに発見された対立は、\*Pan/\*Pon (李方桂の体系ではともに \*Pan)、\*Kwan/\*Kon (李 \*Kwan)、\*Pin/\*Pun (李 \*Pan)、\*Kwɨn/\*Kun (李 \*Kwan)である。Baxterが押韻に基づいて発見した対立は多くの場合諧声系列にも反映されているため(例えば、反 (GSR 262)系列は通常 \*Pan を表し、弁 (GSR 220)系列は \*Pon を表す)、実在するものと思われる。また、統計的根拠はないが、唇後の末子音の前の母音に関して、これまで認識されていなかった新しい区別が提案されている。これについては§2.2.3で説明する。 #### 2.3.2 円唇母音同化 Baxterが「かなり混乱した一連の変化」(p. 510)を伴うことを認めているケースは、之部(Baxter \*-ɨ、李方桂 \*-әg)に属する唇音・唇化軟口蓋音を持つ単語に関するものである。これらの単語の中には、通常(非円唇性)のMC母音反射を持つものがある一方で、明らかな条件付けもなく、OC円唇母音韻部に由来すると予想されるようなMC母音を持つものもある。この2種類の単語は『詩経』の中で韻を踏んでいるだけでなく、頻繁に諧声接触が見られる。従来、研究者はこれらの単語を、漢代に幽部(Baxter \*-u、李方桂 \*-әgw)と合流した本物の之部の単語とみなし、介音 *-j-* を持つ単語と持たない単語に別々の扱いを提案してきた。まず、 *-j-* を持たない単語のケースを検討しよう。 Karlgrenは、OC之部のうち \*-ag で終わる単語と \*-wag で終わる単語とを区別し、前者は侯韻 *-әu* (Baxter *-uw*)、後者は灰韻 *-uâi* (Baxter *-woj*)に発展したと仮定した。この解決策は、自由に出現する介音 \*-w- を必要とするため、李方桂やBaxterの前提に反するものである。李方桂は事実上解決策を提示せず、OC \*Pag が不規則的にMC *Puâi* にも *Pәu* にも発展することを許した。Baxterの洞察(pp. 465ff)によれば、2組の単語が異なるOC韻 \*-ɨ と \*-o を持ち、前者は灰韻 *-uâi* に発展し、後者は侯韻 *-әu* に発展したという。この2つの単語が『詩経』の中で一緒に韻を踏んでおり、また同じ諧声系列にあるのは、『詩経』と諧声系列を支える方言において、唇音の後で \*-o が \*-ɨ に統合されたためと考えられる。一方で中古漢語はOCから直接発展したため、その対立が保たれている。 Baxterの取り扱いは、OCの音体系における偶発的な穴を埋めることで、OCの押韻や諧声系列、MC母音を説明できるという大きな利点を持つものである。また、彼は説得力のある諧声証拠を提示している(pp. 467–468)。彼の解決策はおそらく正しいのだろう。\*o > \*ɨ は、上昇と脱唇化の両方を伴うという点でやや特殊な音変化と思われるが、この変化を受けた方言では既に \*-o が \*-u に上昇していたのかもしれない(同時にBaxterの \*-u はMCの音価 *-aw* に向かって下降しはじめていた)。そうであるならば、この変化は単純な母音の非円唇化のケースであり、異化の動機は直接的である。 問題が生じるのは、介音 \*-j- を伴う場合である。丘, 牛, 不 のような介音 \*-j- を伴う単語は、『詩経』では \*-ɨ として規則的に韻を踏んでいるにもかかわらず、MCでは \*-u 韻部に由来するかのように尤韻 *-jәu* (Baxter *-juw*)を持つ。これに対して、龜, 丕, 鮪 のような \*-ɨ の単語は、通常の重紐三等韻の脂B韻 *-(w)ij* を持つ。Baxterの取り扱い(pp. 469ff)は原理的には李方桂の取り扱いと同様、両方とも本物の \*-ɨ 韻部の単語だが、介音が異なっていたと見なすものである。李方桂とBaxterは、唇音(唇音・唇化軟口蓋音・唇化喉音)の後では同化により、介音が \*-j- であれば \*-ɨ (李 \*-әg)が \*-u (李 \*-әgw)へ、介音が李方桂 \*-ji- およびBaxter \*-rj- の場合はその変化が阻止されたと考えている。母音 \*-ɨ を伴う他の韻部、すなわち \*-ɨŋ と \*-ɨk (李方桂 \*-ә, \*-әk)でも本質的に同じ展開が起こり、同じ説明が提案されている。すなわち、OC \*Pjɨŋ/k, \*Kwjɨŋ/k > \*Pjuŋ/k, \*Kjuŋ/k に対して、OC \*Prjɨŋ/k, \*Kwrjɨŋ/k > \*Piŋ/k, \*Kwiŋ/k となる。 この変化で不可解なのは、介音 \*-j- の存在を *必要* とすることである。つまり、\*Pjɨ, \*Pjɨŋ や \*Kwjɨk では \*-ɨ- が \*-u- に変化するが、\*Pɨ, \*Pɨŋ や \*Kwɨk では変化しない。これは不自然に思える。隣接する分節にのみ影響を与える同化過程はよくあることであり、隣接分節に加えて非隣接分節にも影響する同化のケースも見られる。しかし、ある同化作用が、関係する分節が *隣接しない場合にのみ* 効力を発揮するというのは、少なくとも珍しいことであり、特に、その中間にある分節自体が伝播される特徴に対して否定的に規定されている場合はなおさらである(今回のケースで円唇性が伝播するのは、起源とターゲットの間に \[-labial] 分節が介在する場合のみ)。 この問題を解決するには、『詩経』の韻部 \*-ɨ, \*-ɨŋ, \*-ɨk と尤韻 *-jәu*, 東3韻 *-juŋ*, 屋韻 *-juk* の対応を、同化のケースではなく異化のケースとして扱い、この対応に入る単語はOC \*-jɨ, \*-jɨŋ, \*-jɨk ではなくOC \*-ju, \*-juŋ, \*-juk を持っていたという前提で考えるべきなのかもしれない。これは、『詩経』方言がOCからMCへの発展ラインから乖離したもう一つのケースであろう。しかし、この問題点については、別の機会に詳しく論じることにする。 #### 2.3.3 末尾に唇音を持つ韻における母音の対立 同じく唇音にまつわるもう一つの問題は、末尾に唇音を持つ韻の再構に関するものである。従来の体系とは異なり、Baxterは唇音 \*-p と \*-m の前に6つの母音を全てを対立させている(李方桂の体系では同様の環境で4つの対立しかない)。李方桂の \*-am/p はBaxterの \*-am/p と \*-om/p に対応し、李方桂の \*-əm/p (\*-iəm を除く)はBaxterの \*-ɨm/p と \*-um/p に対応する(彼の \*-om/p には李方桂の \*-əm/p の単語の一部も含まれる)。末尾 \*-n/t の場合とは異なり、この対立は、MCの反射の違いによっても『詩経』韻の統計的分析によっても支持されない。末尾に唇音を持つ単語は他の末子音を持つ単語よりも相対的に稀であるため、韻を踏む頻度が低く、押韻する単語の数も少なすぎるため、統計的に検証することができない。では、Baxterの3つの新しい韻部の根拠は何なのだろうか。 Baxterの \*-om/p は、董同龢の観察に基づくものである。通常 \*-am/p の韻部に属するとされる諧声系列の中には、等をまたいでMC反射に特異なパターンを示すものがある。具体的には、一等と二等(それぞれ介音無しと介音 \*-r-)ではOC \*-am/p に期待されるMC反射を持ち、三等(介音 \*-j- または \*-rj-)ではOC \*-əm/p に期待されるMC反射を持つ。Baxterはこのような系列に \*-om/p を再構している。彼は \*-om の例をほとんど挙げていない。感 \*kom 「感じる」(GSR 671l), 菡 \*gom 「蓮の花」(GSR 643h), 涵 \*gom 「溢れる」(GSR 643g)に \*-om が再構される理由は私にはよくわからない。咸 (GSR 671)系列と 函 (GSR 643)系列は、三等の反射に嚴韻 *-jæm* を持たないため、完全に正規の \*-am 系列であると考えられる。また、嚴 (GSR 607)系列も完全に正規の \*-am 系列であるため、儼 「威厳がある」(GSR 607k)が \*ngjam ではなく \*ngrjom となる理由も不明である(この系列におけるBaxterの \*-om パターンを示唆する唯一の資料は、擬音語 闞 「虎の咆哮、激怒」(GSR 607d)の「正規」のMC読み *χâːmB*, *χaːmB* に対する又音 *χamB* である)。 Baxterは \*-op を同定するための追加的な基準として、\*-s 接尾形の発展を用いている。その主要な例(p. 544)によれば、合 *ɣәp* 「結合する、団結する」(GSR 675a)は \*gop と再構されるが、それは規則的変化 \*-ps > \*-ts を伴う 合 (GSR 675a)の \*-s 接尾形であろう 會 *ɣuaːiC* 「収集する、団結する、集合する」(GSR 321a)がOC \*gots を反射するためであると述べている。この証拠はより説得力がある。というのも、合 (GSR 675)系列には不可解な業韻 *-jæp* の単語がいくつか存在し、Baxterの解釈はこれらの単語と \*-s 接尾形の両方を説明できるからである。p. 648には、他の2つの単語に関する類似の事例が紹介されている。しかし、合 (GSR 675)系列を \*-op 系列と見なした場合、かえって 給翕噏歙潝闟 (GSR 675p–u) の緝韻 *-jəp* (Baxter *-ip*)は不規則となる。また \*-s 接尾形は、合 (GSR 675a)ではなく、『詩・王風・君子于役』(66)に見られる 佸 \*kwat, \*gwat 「結合する」(GSR 302l)に対応するという代替案も可能である。最後に、合 (GSR 675a)が常にBaxterが \*-up と再構した単語と韻を踏んでいることは驚きである(『秦風・小戎』128.2C、『小雅・常棣』164.7A、『大雅・大明』236.4A)。まとめると、\*-om/p が別個に韻を踏んでいたという説はあまり有力ではないようである。 さらにBaxterは、伝統的な緝部 (李方桂 \*-əm)は実際には \*-ɨm と \*-um という2つの異なる韻部から構成されていると主張している(pp. 548ff)。ここでも数が少なすぎて統計的分析はできず、かつ提案された韻部はMCで統合されたとされている。この証拠は、\*-ɨŋ と \*-uŋ のいずれかと不規則的に韻を踏むことから導かれる。Baxterは、前者には \*-ɨm を再構し、後者には \*-um を再構する。\*-u を伴う押韻に見られる緝部の単語と \*-ɨ を伴う押韻に見られる緝部の単語は互いに韻を踏まないというのは事実である。より一般的には、純粋に \*-m としてのみ押韻する単語を加えても、不規則的な押韻によって識別されるこの2組の \*-m 韻部の単語は引き続き区別される(ただし、Baxterによれば緝部の非混合的な押韻の大部分は \*-ɨm 系列である。後述するが、1例だけ非混合的な \*-um の押韻が存在するという事実がある)。また、\*-um と \*-ɨm のセットは、異なる諧声系列を形成する弱い傾向があることも事実である。しかし、提案された区別は、いくつかの系列にまたがっている。陰 (651y), 甚 (658a), 諶 (658c), 葚 (658i)は \*-um として韻を踏むが、今 (651a), 煁 (658b), 湛 (658l)は \*-ɨm として韻を踏む。またこの区別が単語家族を分割することもあり、例えば、明らかに同源語である 驂 *tshâmA* 「3頭一組の馬」(GSR 647c)と 三 *sâːmA* 「3」(GSR 648a)を見てみよう。これらはそれぞれ『詩経』で一度だけ韻を踏んでおり、前者は『秦風・小戎』128.2Bで \*-uŋ と韻を踏み、後者は『召南・摽有梅』20.2Aで \*-ɨm と韻を踏むのである。このような矛盾があるにもかかわらず押韻の区別は成り立つとすれば、これはBaxterの注目すべき所見である。 しかし、『詩経』において \*-uŋ と \*-um は別々に韻を踏むというBaxterの見解は、押韻の証拠からは支持されないようである。もしそうなら、\*-uŋ の単語のみが \*-um とは別に韻を踏む例、\*-um の単語のみが \*-uŋ とは別に韻を踏む例、そして両者が混在する不規則的な押韻がそれぞれあるはずだが、私の計算では、\*-um/\*-uŋ の混合押韻が6つあるのに対して(『秦風・小戎』128.2B、『豳風・七月』154.8A、『大雅・思齊』240.3A、『大雅・公劉』250.4C、『大雅・蕩』255.1B、『大雅・雲漢』258.2A)、非混合押韻は \*-um の押韻がたった1つあるのみである(『衛風・氓』58.3B)。もちろん、OCには \*-um : \*-uŋ の対立があったが、『詩経』方言ではそれが失われたという可能性もある。 #### 2.3.4 末子音:李方桂の \*-r とBaxterの \*-j Baxterは、歌部の韻を、李方桂の体系の \*-ar (\*-uar, \*-iar)に対して、\*-aj (\*-oj, \*ej)と再構した。MC反射には末子音が見られないにもかかわらず李方桂が末尾 \*-r を再構したのは、諧声系列と単語家族の両方でかなり広く見られる、歌部の韻とOC \*-an (\*-uan, \*-ian)の交替パターンについて説明を与えるためであった。歌部のMC反射と李方桂の \*-an カテゴリーのMC反射は、異なる(まだ発見されていない)条件下で、あるいは異なる方言で、初期の \*-ar または \*-al から派生し得ると仮定された。Baxterは、この交替を説明するには方言の説明が必要であることに同意するが、\*-an と交替する歌部の形は、歌部に二次的に入ったものと見ている。彼の考えでは、それらは初期の \*-an 単語が東部方言で \*-aj と脱鼻音化され、何らかの形で上古漢語に組み込まれ、そこでもともとの歌部の韻 \*-aj と合流したものである(pp. 293f)。彼は、\*-aj とTB \*-ay の対応を確立するために、いくつかのTBとの比較を行っている(p. 297)。しかし彼は、中国語が歌部を持つ場合に \*-an を持つTBとの比較は行っていない。さらに、Gong(1980: 455–456、および近年の未発表の著作)は、TB \*-al とOC歌部の比較において、同様に説得力のある比較を行っている。私自身の手によるOCとPANの比較では、歌部の末子音とPAN \*-R (有声口蓋垂摩擦音)の間には相関関係があり、例えば、PAN \*SulaR 「蛇」 : OC蛇 \*Ljaj 「蛇」、PAN \*tuDuR 「眠る」 : OC 睡 \*djoj-s 「眠る」などの比較がある。微部(Baxter \*-ɨj, \*-uj)でも非常に似た問題が生じる。李方桂は2つの韻 \*-әr と \*-әd を区別した。この韻部でも、少なくともいくつかの単語に \*-r に似た末子音が提案されている。例えば、PAN \*tuRtuR 「鳩のクー、鳩」 : OC 隹 \*tjuj 「鳩の一種」。後者の単語に \*-r のような末子音があれば、擬音語の観点からは非常に理にかなっている(ラテン語 *turtur* 「鳩、コキジバト」参照)。もちろん、OC時代には、この \*-r 的な音がすでに \*-j や \*-n に変化していた可能性もあり、その場合はBaxterによる歌部の末子音の再構は正確である。 ## 3. 外的証拠の使用 先に述べたとおり、OCとTBの間の音の対応関係が不明瞭であるにもかかわらず、BaxterはOCの再構に(主にTBからの)外的証拠を用いることを正当化している(pp. 25–26)。この方法論の危険性を示す例として、MC反射が部分的に統合されているOC側面音と歯閉鎖音を持つ単語のBaxterの取り扱いを挙げることができる。関連する例を挙げる前に、これらの頭子音の発展を要約しておこう。 李方桂の体系では、定母 *d-* と透母 *th-* は同じ音価でOCにそのまま逆投影されている。Pulleyblank(1962)は、これら2つのMC頭子音はそれぞれ2つの異なるOC起源を持ち、諧声系列はそれらを綺麗に区別していることを示した。一方のタイプの系列では、定母 *d-* と透母 *th-* は端母 *t-* と交替し、\*t-, \*th-, \*d- に対応するそり舌音または口蓋化音も介音 \*-j- や \*-r- と関連して現れる。このタイプの系列では、定母 *d-* と透母 *th-* はOC \*d- と \*th- の反射である。もう一方のタイプの系列では、定母 *d-* と透母 *th-* は澄母 *ḍ-*, 徹母 *ṭh-*, 以母 *j-*, 船母 *dʑ-*, 書母 *ɕ-* と交替し、端母 *t-* やそれに対応するそり舌音・口蓋化音は見られない。このタイプの系列では、定母 *d-* と透母 *th-* はOC \*l- と \*hl- を、澄母 *ḍ-* と徹母 *ṭh-* はOC \*lr- と \*hlr- を、以母 *j-* と船母 *dʑ-* はともにOC \*lj- を反射し(2つの異なるMC反射が存在する条件は不明)、書母 *ɕ-* はOC \*hlj- を反射している。これは確立されたものであり、Baxterもこれを受け入れている(ただし、前述のようにBaxterには以母 *j-* に関して複数の起源を再構している)。定母 *d-*, 透母 *th-*, 澄母 *ḍ-*, 徹母 *ṭh-* のような曖昧なMC頭子音を持つ個々の単語が実際にOC側面音と歯閉鎖音のどちらを反射しているかを判断するには、諧声系列や単語家族による証拠を用いなければならない。単語家族の証拠が利用されなかったり、TBからの外的証拠が内的証拠より優先されたりすると、問題が発生する。 例えば、毒 (1016a)はBaxterによって \*duk (p. 755)と再構された単語で、通常「毒」の意味とされるが、初期の文献には「指示する、統治する」(『易経』)や「養う」(『老子』)の意味でも出現する。毒 (1016)の系列にはもう一つ、同じく定母 *d-* を持つ単語 纛 があるので(紀元1世紀に編纂された辞書『説文解字』には第三の単語 𧛔 *tuk* (M34402)「衣服の背中の縫い目」があるが、これはOC側面音と歯音が合併した後の後発語)、両単語のOC頭子音は \*l- であっても問題はない。 「毒;指示する;養う」を指す単語を表記する文字は、古くは 母 「母」(GSR 947a)の上に 生 「生きる;産む、産まれる;生む」(GSR 812a)がある形であり、母による出産・養育を連想させ、そこから「養う」、『易経』の「指示する、統治する」、『老子』の「養う」の意味が示されているものと思われる。「毒」の意味(早くも『詩経』で確立されている)は、「養う」から派生した婉曲表現と思われる(フランス語 *poison* がラテン語 *potio* 「飲む」に、ドイツ語 *Gift* 「毒」が「贈り物」を意味する単語に由来するのと同様、Buck 1949: 311参照)。それがどうであれ、毒 (1016a)のOC頭子音が「毒」と「栄養」の意味で異なると考えるのは恣意的である。 Baxterのこの単語の \*d- の再構は、PTB \*duk 「毒」に適合している(p. 520で指摘されている)。しかし、曖昧さのないいくつかの \*l- 単語につながる単語家族的な証拠とは矛盾している。育 \*ljuk 「産む(『易経』);育てる、繁殖する(『詩経』);養う(『詩経』)」(1020a), 毓 \*ljuk 「産む、育てる(『周礼』);妊娠する、出産する(『国語』」(1021ac;この字の古い形は、出産を描いたもので、「毒」の文字と非常に近い), 胄 \*lrjuks 「子孫、正妻の長男(『詩経』)」(1079h)。Maspero(1933)が主張するように、TBの「毒」が中国語からの借用であることは明らかであろう。 また別のケースの系列では、Baxterは、中国語の証拠からは歯閉鎖音を必要とする 土 \*hlaʔ 「土、大地、土地」(62a)と 吐 \*hla(ʔ)s 「口から吐き出す、吐く」(62d)に側面音を再構している(p. 793)。実際には、土 (GSR 62)系列は曖昧さのない歯閉鎖音系列である(この系列には 社 「土の精の祭壇」(GSR 62j), 肚 「腹」(M29270)など、曖昧さのない単語も含まれている;それぞれBaxter自身の体系ではOC \*djAʔ と \*taʔ のみに遡る)。土 と 吐 が \*th- で再構されなければならないことは、Baxterの立場からしても疑問の余地はないだろう。「大地」を指す単語を \*hlaʔ と再構するのはBodman(1980: 102)の考えを引き継いだもので、その側面音の選択はTB比較語彙が動機となっている。しかし、この2語の本当のつながりは、オーストロネシア諸語に見られる[^7]。 これらの例(他にも挙げられる)は、Baxterの全体的な体系には影響しないが、OCの再構において方法論的な制限なしに外部データを利用することの危険性を示しているように思える。 ## 4. 結語 本書には、Karlgrenの『*Grammata Serica Recensa*』のように諧声系列ごと、あるいは李方桂の論文(Li 1971)のように韻部ごとに並べた、再構形の一覧がないことが注目される。再構のリストは付録C(『詩経』で韻を踏む単語)のみで、かなり膨大な量を扱っているが、読者がここから探している単語を見つけることはできないだろう。これはBaxterにとっての押韻の証拠の重要性を示している。押韻の証拠がない場合、MC読みと諧声系列に基づいて再構を提案することができるが、そのような再構は信頼度が低いのである。 誤植は少ない。p. 57の表2.11は1行欠けているように見える。p. 774の下から9行目のGSR番号「1192i」は「1193i」とすべきである。p. 585で『周南・螽斯』5.3Aで韻を踏む2文字が誤って \*-ɨp ではなく \*-ip と再構されている(付録Cのp. 808とp. 765も同様)。p. 550の5行目の押韻箇所の154.6Aは154.8Aとすべきである。誤字も稀にある(p. 233の下から5行目、p. 533の17行目)。 Baxterの著書が提起したいくつかの問題点を論じるにあたって、私は当然のことながら、提案された再構体系の問題点に焦点を当てた。本書には多くの価値を見出すことができる。Baxterの研究は、統計学や上古漢語の押韻など、さまざまな分野でかなりの力量を発揮している。また、明快で冷静な表現で書かれている。特にOC韻の扱いはうまくいっており、特に語源と比較の領域で研究の新しい道を開いている。主に頭子音に関わる問題が残っているものの、彼の体系は以前の扱いより大幅に改善されている。OCの今後の進歩は、OC形態論のより良い理解にかかっている。 ## 参考文献 - Baxter, William H. (1980). Some proposals on Old Chinese phonology. In: van Coetsem, Frans; Waugh, Linda R. (eds.). *Contributions to historical linguistics: issues and materials*. Leiden: Brill. 1–33. [doi: 10.1163/9789004655386_003](https://doi.org/10.1163/9789004655386_003) ⇒[日本語訳](/@YMLi/ByvkRqgi6) - ⸺. (1992). *A Handbook of Old Chinese Phonology*. Berlin: De Gruyter Mouton. [doi: 10.1515/9783110857085](https://doi.org/10.1515/9783110857085) - Blust, Robert. (1988). *Austronesian Root Theory: An Essay on the Limits of Morphology*. Amsterdam & Philadelphia: John Benjamins Publishing Company. [doi: 10.1075/slcs.19](https://doi.org/10.1075/slcs.19) - ⸺. (1989). Austronesian Etymologies IV. *Oceanic Linguistics* 28(2): 111–180. [doi: 10.2307/3623057](https://doi.org/10.2307/3623057) - Bodman, Nicholas C. (1980). Proto-Chinese and Sino-Tibetan: Data towards establishing the Nature of the Relationship. In: van Coetsem, Frans; Waugh, Linda R. 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[doi: 10.1093/acprof:oso/9780199945375.001.0001](https://doi.org/10.1093/acprof:oso/9780199945375.001.0001) [^1]: OCの再構にアスタリスクを付す。 [^2]: 「GSR」から始まる文字番号は『*Grammata Serica Recensa*』(Karlgren 1964)への参照である。そこにない文字は「M」から始まる文字番号で、Morohashi(1955)への参照を示す。 [^3]: KarlgrenがGSR 647abに記載した *ɕjəm* という読みは誤りである。 [^4]: 意味的に並行するものとして、Happartによるファボラン語の用語集にある次の定義を参照されたい「*matshesy*:……3, 5, 7など1を上回る奇数。*patshesy*:不揃い」。 [^5]: ラオスのミエン諸語であるHouei Sai Mun語は、声調によってかつての通常の無声音と無声有気音を区別しているが、そこでは「開ける」という自動詞が無声有気音の特徴である声調反射を持つ。 [^6]: 「議論の余地のない」とは、李方桂とBaxterが介音 \*-r- の存在について同意している例である。 [^7]: 土 \*thaʔ については、台湾諸語(プユマ語、アミ語、ファボラン語)だけでなく、非台湾諸語、特にマレー・ポリネシア祖語(PMP)の \*bu\(R)taq 「泥、大地」(Blust 1989)も含むPAN語根 \*taq 「泥;大地、地面」(Blust 1988)を参照。吐 \*thaʔ は、PAN \*u(n)taq を参照。これは、Dempwolff(1938)が西マレー・ポリネシア諸語(ジャワ語、マレー語、バタク・トバ語、ガジュ・ダヤク語)およびオセアニア諸語(サア語)の反射をもとに初めて再構したものである。台湾諸語(タイヤル語、ツォウ語、ルカイ語、パイワン語)についてはTsuchida(1976)参照。前述したように、OCの単音節はAN単語の最終音節に相当する。AN単語の末尾 \*-q はOCの声門閉鎖音(すなわち上声)に対応する。