# 役に立つ古典 ## 買った理由 Kindle Unlimitedを眺めてて気になったから 教養として古典とかには興味あった ## Summary ### 第1章『古事記』に息づく「日本人」の原点 712年 - 『古事記』は「日本語」が記された最古に近い書物 - 古事記では漢字を使って日本語の「音(オン)」が記述されている - ニュアンスとしては夜露死苦と同じ - 今までは漢文を使っていたがここから日本的な思考を記述できるようになる - 太安万侶がなぜその漢字を選んだのかを注目することで、古事記が成立する以前の日本人が持っていた価値観を知ることができる - 太安万侶の「意図的と思われる漢字の間違い」によってわかったことのまとめ - 古事記以前の日本人にとって死者の国はこの世と地続きにあるもの - 黄泉と黄泉平坂 - そもそも永続的な「死」の概念がなく、行って帰ってこれる場所でもあった - 死ぬと萎(シ)ぬ - 「だから」で説明される因果の世界がない - 「故」 - 『古事記』の狙い - 死が存在せず、因果論もない古事記以前の日本人にとって理解不能の仏教を広める下地をつくるため - いま『古事記』を読む意味 - 古事記以前の日本人は私たちとは全く違う価値観のもと生きていた - 論理はない - 死への恐怖もない - 古事記を読むことで、自分たちが縛られている価値観から少し自由になれるのではないか - お盆の習わしがまだ残っているように、古事記以前の日本人と現代人のあいだの変わっていないつながりを感じることもできる ### 第2章『論語』が示す「心」の道しるべ - 論語にまとめられた言葉は孔子の「不安はこうすれば安らぎますよ」と示した処方箋 - 「四十にして惑わず」ではない - >子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず - >(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった) - 「惑」は孔子の時代にない漢字であり、本当の意味は迷わなくなったではないと推測できる - 「区切る」の意を持つ「或」だったと思われる - **四十になっても自分ができるのはこの辺りだと「区切らない」ようにしろということ。その結果として五十で天命を知ることができる** - 本当の「切磋琢磨」とは「その人の在り方にあったやり方で自分を磨くこと」 - その人にもともと備わっている良いところ、特性を磨いて伸ばすことが大切 - 本当の「過ち」とは本人自体ではなく「その周りに付属する過剰から生じたもの」**決して本人そのものが過ちではない** - >「過てば則ち改むるに憚ることなかれ」 - 「改」は己ではなく、巳(過ちの象徴)に鞭を打つ姿を表す漢字 - **時間がかかっても外側の過剰を本体から切り離し、そこだけに鞭を打て(改めろ)** ということ - 本当の友人とは **「これを言ったらこの人は傷つくな」とわかっている人、そういう共感ができる人** - 本当の友は自分の過ちに気がついてくれたときに、本人そのものを打たずに巳(過剰)に鞭を打ってくれる人 - 本当の温故(而)知新とは「既存の知識や方法から全く新しい視点や方法が突如として現れること」また、その精神作用こそが「知」 - 「温故」は既存の知識「故」をぐつぐつと煮て温めることを表す - 「而」は発酵を待つ時間を表す - 「知」は当時はない漢字で元々は「矢」であり、何かが矢のように突然出現することを表す - 「新」はものごとの新しい視点や方法を表す - 文字とは脳を外在化させるツールであり、外在化させたことで空いた領域で新しい精神活動「知」が行われた - 現代はネット上に多くの情報が存在しており、脳をより外在化させつつあるため、「知」の次の新たな精神活動を作ることができるはず ### 第3章『おくのほそ道』に学ぶ「和とユーモア」の視点 1702年 - 芭蕉の流儀 1. 場所を変える - 自分はもうだめと思ったときに、今いる場所を離れることが何かを変えるきっかけになり得る 2. 古典を知る - 日本の古典はどれも自然と強くつながっている。古典を媒介にして自然とつながることで人生は豊かになる 3. 俳諧的に生きる - あらゆることを和とユーモアの視点で読み替える ### 第4章『中庸』が伝える「誠」の力 紀元前三世紀、二世紀 「中庸」についてと「誠」について書かれている - 「中庸」とはいつも(庸)ぴったり(中)でいること、常にぴったりな行動をとれること - 「誠」とは成るべきものを成させる力、その人の美点を完成させる手助けをするもの、「意識的に動かすことなく変化を生み出し、無為にして目的を達成する」力 - 「性」を知る方法 - 第一章第一節 - >天の命ずるをこれ性と謂い、性に率う(したがう)をこれ道と謂い、道を修むるをこれ教えと謂う。道は須臾(しゅゆ)も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり。 - 「性」: 一人一人に天から与えられた命、天命 - 「道」: 性に従うこと。一瞬とも離れることはできず、離れることがあるのならばそもそもそれは道ではない。 - 「教」: 性に従う道を教えること - 自分の「性」を探すためには心を尽くすこと(『孟子』より)、すなわち孔子も述べていた「不惑」の精神で色んなことをやってみるべき - 自分の「性」の上には色々な猥雑物が乗っており、それを掃いていく作業が心を尽くすこと - 何が向いているかわからないなら、まずは自分が興味のないものを把握してみる - 「誠」を獲得する5つの方法 1. 博学:知の空白を埋めていく 2. 審問:詳細な問いをたてる 3. 慎思:じっくり思考する 4. 明弁:答えを分けていく 5. 篤行:病を得た馬を動かすように丁寧に行う - これらの作業を継続的に行って到達できるのが「誠」、でそこに至って初めて見えるのが「天命」である「性」 - まずは自分が自分の天命たる「性」を見つける、そうすれば他人がそうすることの手助けもできるようになる - 他人に誠はおしつけない。「〇〇であるべき」論に落とし込まない ## 感想 - 漢字を見ることで当時の日本時の思想を知れるというのは面白かった。自分がいかに誰かが作ったイメージに縛られているかがわかる。それが悪いことかは別として、いろんな視点を持てるようになるためには興味深い話だった - 正直今は心理学的なものがあふれていて論語らへんの話はどこかで聞いたことあるものばかりだった。でもはるか昔から言われていることが未だに説かれ続けているというのはいかに難しいかを考えさせられるな - 「性」の考え方はその先に「だから人と比べなくていいよ」って話につながってくると思うが人の性をうらやんでしまうのはどうすればいいんだろうなーと思ったり ## この本から取り入れたいこと - 「改」は過剰の象徴たる「巳」を鞭でうつこと。過剰からの過ちを引き起こした本人を打つものではない - 「性」は人それぞれ、「切磋琢磨」も個人に合った方法で伸ばしていこうということ。人と比べるのはやめよう