# 『純粋理性批判』読書会第3回メモ 結構ゆるめにやる ## 概要 3/20 14:00~16:45 大岡山図書館地上3階グループ研究室1 カント『純粋理性批判5』(光文社,中山元訳)の冒頭,つまり原著の第2章に相当する部分から読み始める. 適宜,黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』(講談社)を確認しながら読み進める. 以降は2つの著作をそれぞれ,『批判』と『批判入門』と省略し,適宜参照する. 第3回メンバー - :@nosaerc:(鈴木) - 『批判4』予習担当 - :@kitaju:(北沢) - 『批判入門』予習担当 - :@ryoma:(伊藤) - 議事録担当 - 体調不良で今回お休み ## 議事録 ### 第4巻を少し見てみる #### 第二部序章 内容が一続きなので前回の分から続けて書いていきます ##### 379 真理と仮象 - 現象と仮象は違う - 真理と仮象は、対象が直観されているかぎりで対象そのものにあるのではなく、**対象が思考されている限りで、対象について人間が下した判断のうちにあるから。** - つまり、仮象は主観的な表象。 - だから、ある意味「感覚は誤らない」 - だって、感性は判断しないから。 - つまり、そこに誤謬は存在しない - で、仮象は 判断=知性と対象の関係 の中で発生しうる。 - 認識が 知性の法則 と一致した時には、誤謬は発生しない。 - 誤謬="現象ではなく仮象が発生すること?" - なんで? - :nosaerc:疑問点 - 知性の法則=悟性の法則は客観的,認識は主観的だからなんとなく分かりそうではあるが,認識と法則が同じ次元にいないから一致するという現に違和感を覚える. - 本文に当たったところ,真理の対応説を踏まえての文らしい - 後の384を見よ - 人間には「知性」と「感覚能力」しか認識の源泉がない - すると、誤謬は二者の中ではなく、二者の関係性にある - (感性がひそかに知性に及ぼした影響によって生まれる) - つまり,感性→悟性の影響によって,認識(感性と悟性によって現れが生じる全体のプロセス)と悟性の法則に不一致が出て誤謬になる - 対象が認識に従う,また,認識は語性の法則(カテゴリ)に従う.したがって対象はカテゴリに従う.よって不一致だと誤謬になる(A⇒BかつB⇒C,よってA⇒C的な) - 結果、判断の主観的な根拠が客観的な根拠と混じり、客観的な根拠が逸脱する。 - これを避けるべき - 私たちは、誤った判断を知性だけによる作用と感性だけによる作用に分解しなければならない。 - :@kitaju:知性の法則って何 - カテゴリじゃないの ##### 380 超越的な原則と内在的な原則 - これから論じるのは「超越論的な仮象」 - 「超越論的」と「超越的」の違い - 簡単にいえばそれぞれ「メタ的に考えること」「対象が経験可能な範囲外にあること」 - 超越論的なことについて考えれば,理性の性質が判明する - それは具体的には「理性というのは,超越的で経験不可能な範囲にある対象にも悟性を働かせてカテゴリをあてはめようとする性質がある」 ##### 381 必然的な錯覚としての超越論的な仮象 - 題名の通り。この錯覚は避けることはできない。 - 理性を人間の認識能力としてみたときに、理性は、理性を使用するための根本的な規則や主観的な原理 = 「格率」が含まれている。 - これら格率は主観的ではあるが、客観的であるかのような見かけをしているので騙される。 - 例えば概念をイラスト化する的な? - というかこうかんがえること自体が錯覚に引っかかってる? - だから、概念が知性にとって都合の良い形で結びつくと、あたかも物自体そのものの規定に備わる客観的な必然性があるように思える。 - :nosaerc:「だから」と推論できるのはなぜか分からない - 理由というか因果か? ##### 382 超越論的な弁証論の課題 - すると私たちは、「これは錯覚だ」と認識することで、仮象に騙されないようにするしかない ##### 383 理性の二つの能力 - 私たちのすべての認識は、感覚能力⇒知性⇒理性で終わる。 - 理性より高次なものは存在しない - 理性はつぎの二つの能力がある。 - 1. 論理的な使用の能力 - 現象に対して使用される - 2. 実在的な使用の能力 - 自ら概念を作り出す - :nosaerc:その概念はしばしば超越的なのか? - :@kitaju:理性による「論理的な使用の能力」は、おそらく、知性の判断表にあるものに還元して推論を行う? - 判断表というのはこれ:http://www.aoni.waseda.jp/hhirao/logic/no4.htm - でこれに似た論理的な概念の機能の表が理性にもある - もちろん,その判断の種類は知性と理性で異なる - 392を見よ ##### 384 原理をつくる能力 - 知性は<規則を作る能力> - 規則:特定の多様なものを、(全く同じ形で)措定しうるための一般的な条件 - 措定:仮定としておく,みたいな意味.推論の結果ではなく自明なものとして主張したり,前提としておくこと. - ex) 「すべての人は死ぬ」を前提にする的な?で、おそらくここから、理性を用いて推論する。 - 特定の多様なもの=経験とか概念とか色々 - 経験の対象にはたらきかけて判断し,統一する - 理性は<原理を作る能力> - 原理:概念によって特殊なものを普遍的なもののうちに認識する能力 - 経験とかは用いることができない,概念だけを扱う - 一般には,悟性によって認識した結果が原理と言われているがそうではない - 例えば,2次元ユークリッド空間の公理(「相異なる2点を通る直線は唯一」など) - 知性にはたらきかけて推論し原理一する - この認識は、先に考えたカント流の「認識」(=知性を経由して...)を指している。 - このように考えると,真理の対応説と齟齬が生じる - 知性においては,人間の認識と対象が一致すればそれが真理であるというのが従来の考え方だが,カントは対象がカテゴリに従うことで一致が保証されるとする - 379の「認識が知性の法則と一致した時には、誤謬は発生しない。」はこういうこと - 対象は知性の法則=カテゴリに従うので - 理性においても同様に考えてみると,対象は原理にも従う必要があるが,カントはこれを「不合理な要求」としている(389に出てくる) - 原理は認識する能力だからね,「対象が認識に従う」を理性にあてはめている - 対象はざっくり知性の側のこと - これによって暗に対応説の怪しさを表現している? - 知性ではOKだが,理性で同じことをすると矛盾が出るので……と言いたい - 仮説:知性は帰納、理性は演繹?(イメージね) ここから新しいブロック ##### 385 原理の語の両義性 - 「相異なる2点を通る直線は唯一」のような公理や,科学にみられる帰納法(演繹によって得られていない全称命題)は推論の大前提(後に詳しく見る)として使用できる。 - これらが一般的に呼ばれる「原理」 - これ自体をカントの言う原理によって認識することはできず,それらはあくまで直観のうちに与えられる(つまり知性が作る). - ここでは、カントは「原理」とは呼ばない。 ##### 386 真の〈原理〉 - 原理:概念によって特殊なものを普遍的なもののうちに認識する能力(再掲) - 要は演繹を行う能力? - そこで用いる概念は,理性推論で大前提として利用できるア・プリオリで普遍的な認識であり,知性から得られる. - 理性推論は、原理から認識を引き出すための一つの形式となる。 - 「大前提の条件のうちに包摂されるすべてのものは,原理によってこの概念から認識される」 ##### 387 知性の原則と原理 - 一方知性の場合,理性は概念による認識を行うのに対して,純粋な直観や可能な経験の条件による認識を行う - 例えば「あらゆる生起するものには原因がある」は一般の生起するものという概念から推論することは不可能であり,個別の生起する出来事を経験することで獲得しうる. - 知性自体は誤謬を生まないと以前言っていたが,これでは帰納は間違いうるから誤謬を生んでいることになるのでは? - ここでは感性もはたらいてるから,知性との関係で誤謬が生まれているのならOK ##### 388 総合的な認識としての原理 - 知性は概念だけから総合的な認識を作り出せない - 原理とは概念からの総合的な認識のこと - すべての普遍的命題は相対的には原理である ##### 389 立法の原理という実例 - 実例で原理について考える - 正直いまいちわからなかったので飛ばす - 原理による認識と知性による認識は"それ自体では"異なる - 知性による認識はそれ自体は思考だけでなく経験に依拠するし,概念に基づいた一般的なものを含むとは限らない - - 他に書いてることは他のブロックに補足として書いた ##### 390 理性の統一 - 知性は「規則に基づいて現象を統一する能力」 - 理性は「原理のもとで知性の規則を統一する能力」 - したがって経験や経験の対象ではなく知性にはたらきかける - 概念によって,知性の多様な認識にア・プリオリな統一(〈理性の統一〉)を与えることができ,これは知性のもたらす統一とは種類が異なる ##### 391 理性能力の一般概念 - 実例は以下で示す ##### 392 理性推論とは - どれも互いに平行でなく,同一点で交わることがない3直線がつくる図形が3つの角をもつことは直接認識されるが,3つの角の和が2直角であることは推論の結果である - 私たちは,感覚能力の錯覚と同様,いつしか推論の結果を直接認識したものと思い込むことになる - 推論とは,根拠となる命題から帰結となる命題が導かれることであり,互いの真偽が結び付けられる - 推論のうち,第三の命題を用いることのない推論を直接推論と呼び,これは知性による推論である - 例:すべての人は死ぬ,よって死なないものは人間でない(単なる対偶) - 第三の命題を用いる(いわゆる三段論法?)場合,これを理性推論と呼ぶ - 例:すべての人は死ぬ,よってすべての学者は死ぬ(学者は人間であるという命題が必要な三段論法) ##### 393 三種類の理性推論 - 理性推論の形式 - 第一に知性を用いて一つの規則,大前提を考える - 第二に判断力を用いて,ある認識をその規則の条件に包摂する - 最後に理性を用いてア・プリオリに認識をこの規則の述語によって定める - 大前提はある認識とそのための条件の関係を示し,その種類によって理性推論を分類できる - 断言的 - 仮言的 - 選言的 - 判断についても同様に分類できたのだった(がやっていない) #####