# 伝説の再来 [みす51代 Advent Calendar 2021](https://adventar.org/calendars/6313) 9日目の記事です。 前作: [The Last Train ~ 対小田原戦線物語 ~](https://hackmd.io/@QpcN7W4fSV-r6efweOCxpQ/rySsskQJ4) この文章は合作らしいです。誰がどのパートを書いたのでしょう? 私気になります! パートごとの執筆者の解答とコメントは最後にあります。 ## 9.「町田」の正体2 「……ん?起きたか。」 「……おう……」 はベッドの上で上半身だけを起こすと、少し驚いたような表情をした彼女に返事をする。 「まだ寝ぼけてるな?」 「あ、あぁ……」 俺は彼女の言葉に生返事をしながら周りを見渡す。 どうやら、今は朝らしい。窓から差し込む朝日に照らされた彼女の姿を見るに、昨夜の出来事は全て夢だったのではないかと思うほどだった。 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 「……?どうした?」 「い、いえ、なんでもありません……」 彼女は、俺のことをじっと見つめていた。俺はそんな彼女を直視できずにいた。 「……お前こそ、どうかしたのか?」 「え、ええっと……」 彼女は口籠りながらも答える。 「その、なんだ、昨日は、ありがとうございました。私を守ってくれて。」 「別にいいんだよ。俺はお前の彼氏でもないんだからさ……」 「えっ……//」 彼女は顔を赤らめているようだったが、おそらくそれは朝日のせいだろう。 「……ところでさ……」 俺は恐る恐る聞いてみることにする。 「昨日のあれは一体なんのことだったんだ……?」 「……っ」 「……どういう意味だ?」 「そのままの意味だよ。」 彼女は、まるで信じられないものでも見るかのような目つきでこちらを見てくる。 「……つまり、君はもうすぐいなくなるってこと。」 「は?」 今度は、こっちが訳がわからなくなった。 「……まあいいわ。あんまり時間もないみたいだしね。」 彼女はまるで何かを悟ったかのようにそう言う。そして、徐ろに立ち上がると、机の上に置かれたノートを手に取り、それを開いて見せる。 そこには、こう書かれていた。 ## 10. 町田症候群 「嘘だろ...君はあのときの...」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 天まで届かんと欲するが如く、高く高く茎を伸ばしたひまわりが一面に咲き乱れるひまわり畑。真っ白なワンピースに見を包んだ彼女の姿。そんな幻想的な光景は今でさえ、脳裏に焼き付いて離れない。 「ほら!はやくこないと置いていくよ!」 そんな可憐な姿とは裏腹に、長い長い黒髪をたなびかせ野原を駆ける彼女は、まるで高原を吹き抜ける一陣の風。 「まってよー!いま行くから!」 体が弱くて病気がちだった俺は、飛ぶように駆ける彼女についていくのが精一杯だった。それでも、彼女の溢れんばかりの活気は、そんな自分の体調に対する懸念なんて空の彼方まで吹き飛ばしてしまうかのようで、どんどん自分に力が満ち溢れていくように思えた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 忘れもしない、6年前の夏。 とある難病を抱えていた当時の俺は、治療に専念するために山奥の小さな診療所に連れて行かれた。俺が抱えていた病は、どうやら体内の有機的活動に起因するものではなく、普通の病院で治療できる範疇を遥かに超えていたため、ある種霊的な治療方法に頼らざるを得なかった。俺が抱えていた病を治療することができる診療所は日本に3軒しかなく、そのどれもが人里離れた山奥に位置していた。その病の霊的な治療法は、人里離れた場所でなければ成立し得ないと言われていたため、結果として診療所がそのような田舎に位置していたと言われている。そして俺はそのうちの1軒、「小田急診療所」で治療に専念することとなった。 その診療所の位置は一般人に知られてはいけないものらしく、患者であった俺でさえも、目隠しをさせられ、物々しいスーツに身を包んだ運転手の運転する黒塗りの大きな車で診療所に連れて行かれた。それは、まるで「連行」という単語が最もふさわしいかのような様相であった。 「ついたぞ」 車がゆっくりと停車した。目隠しを外した俺の目には、この世のものとは思えないほど静謐さに満ち、青々とした新緑が茂る、未開の森のような風景が飛び込んできた。木々の隙間からかすかに差す木漏れ日は、まるで後光のような暖かさと幽玄さに満ちあふれていて、まさに神域という呼称以上にふさわしい呼び名が見つかりそうもなかった。わずかに覗く空は、アクアマリンの輝きのような光を湛えて広がっていた。 そんな森の中に、小田原診療所は立っていた。幾星霜の月日に耐え忍んだかのような、清閑たる佇まいの診療所は、とても病の治療に適しているような場所ではなかった。なんだか田舎のおばあちゃんの家のようだった。ここまで連れてきた運転手にいくつかの疑問を投げかけたが、おおよそすべての答えがはぐらかされた。子供ながら、彼は俺に対してなにかを隠している。そう直感が告げていた。 「君にはこの診療所でしばらく病気の治療に専念してもらいたい。なあに、痛みも苦しみもない。ただこの診療所で日々の生活を営めばいいだけだ。ただし条件がある。」 風など吹いていないにも関わらず、木々に生い茂る葉が揺れてかすかな音を立てる。 「一つ。治療期間中は絶対にこの森の外に出てはいけない。この森には特殊な結界が貼られている。結界の外に出て仕舞えば君の命は保証できない。二つ。診療所には君の面倒を見てくれる人がいるんだが……その人に絶対逆らってはいけない。そして三つ。」 「君は夢を見るはずだ。その夢が普通じゃないことが、君には直感的に分かるだろう。夢の中であるものを見つけ出さなければならない」 「あるものって?」 「私にも分からない。でも君には分かるだろう。君の魂の根源さ。端的に言えば、それを見つけ出すことが君の病を快復させることに繋がっている。」 「……わかった。おじさんのいうことに従うよ」 俺が罹っていた病、それは「町田症候群」と呼ばれている。原因は不明。特定の地理的条件を満たした土地に住む人間にしか罹患例が見られない。唐突に虚脱感に襲われ、眠りこけてしまうというなかなか厄介な症状を示す。ナルコレプシーに似た病であるが、大きく異なっている点として、罹患者は必ず夢を見る。その夢の内容は罹患者によって些細な違いはあるものの、皆共通して白い少女の姿を見るという。俺自身、何度も町田症候群を原因とした入眠状態に陥っているが、その全てにおいて白い少女の夢を見ている。 「病が快復することを祈っている。君がこの呪いを解いてくれる事を期待している。これ以上犠牲者を増やしたくないんだ……」 その言葉を最後に、おじさんの姿は見えなくなった。犠牲者という言葉が大層気になったが、きっと誰も教えてはくれまい。子供が知る必要はない事なんだろう。 「それにしても、こんな診療所が……」 おじさんが去った森は、更に静けさを増し、風もないのに揺れる木々は、名状しがたい不安感を駆り立てる。 「ごめんください」 年季を感じさせる扉は建て付けが悪く、子供の力で開けるのには大層な力が必要だった。扉を開けると、とても懐かしい匂いが漂ってくる。おばあちゃんちの匂い。どこか懐かしい、線香のような香り。随分昔に嗅いだ事がある気がする、優しい香りだった。 「よくぞいらっしゃいました。」 目の前には、端麗な和服に身を包んだお婆さんの姿があった。深い皺が刻まれた頬に、柔和な笑みが浮かぶ。 「わたくしが今日からあなたの面倒を見ることになっています。まあ、特に変わった事をやる必要はないので、気軽にくつろいでいってちょうだいな。町田症候群は不治の病ではないのじゃ。だから安心してくださいな。」 お婆さんの声には終始優しげな音色が漂っていて、初めて会うはずなのに不思議と寛いでしまうかのような愛情を感じさせた。この人はきっと、本当に俺を病という呪いから解き放ちたいと思っているんだということが直感的に分かった。そんな思いが、終始張り詰めていた感情の糸を弛緩させた。きっと大丈夫。理由はないが、そんな自信に満ち溢れていた。 それから俺とお婆さんの暮らしが始まった。こんな場所にあるのに何故か電気も水道も通っていて、生活に困ることは何一つなかった。町田症候群の症状も、かつては3日に1回ほどの頻度で発生していたが、ここに来てからめっきり症状が出なくなった。特に不思議なのが診療所の夜。夜にも関わらず森全体に柔らかな満月の光が満ちていて、宵闇の恐ろしさを何一つ感じさせなかった。森全体が優しさに満ちている。そう感じた。もう一つ変わったことといえば、通常の入眠時にあの白い少女の夢を見るようになった。あの夢は町田症候群により引き起こされた睡眠の際にしか見ることがないものだった。 それから数週間が経った。お婆さんが作ってくれたあたたかいご飯を頂き、満たされた気持ちで眠りに落ちた日のことだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「起きてる?」 耳元に柔らかな声と、微かな吐息が溢れる音が聞こえた。目を覚ますと、そこにはあの白い少女の姿がある。 「え……?」 今まで何度も少女の夢を見ていたものの、彼女の声を聞いたのはこれが初めてのことだった。夢の中で彼女との双方向の対話が実現できたことはこれまでに一度もなかった。 「ふふっ。やっと起きてくれた。あなたが来てくれるのを待ってた。私についてきてくれる?」 彼女の甘い声に誘われて、夢現のまま彼女の手に引かれて身を起こす。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 退屈な学校の授業も、猥雑な人間関係も、家族との思い出さえ、何一つ心に残らなかった。しかし、いつだって思い出の中には彼女の大輪の花のような笑顔が咲いていた。そんな記憶の欠片だけが俺の生きる道筋を示していたように思う。なのに、 「どうしてこんな大切なことを忘れていたんだ……」 目の前の彼女の姿は、初めて会ったときよりも幾分か艶やかだった。 「やっと思い出してくれた。私、もう一度あなたに逢いたかったの」 思わず涙が頬を伝う。彼女の柔らかな声を契機として、俺は堰を切ったかのように泣き叫んだ。彼女にまた会いたかった。そんな思いが溢れ出て止まらなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 風のように駆け回る彼女の姿を必死で追いかけていく。 「ついたわ」 彼女が立ち止まり、指で刺すその先には、木でできた小さな机があった。その机の上には、古ぼけたノートが置いてあった。 「このノート、どこかで……」 古ぼけたノートの表紙には、何らかの文字が書いてあった痕跡が残っていた。しかし、水性マジックで書いていたからなのか、そのほとんど全てが消えかかっていて、まるでなんとかいてあったのか分からない。 おそるおそるページを捲った瞬間、俺は全てを思い出した。魂の根源、その言葉の意味が瞬時に分かったような気がした。人間は何故生まれ死んでいくのか、今ある世界の姿に意味を見出すことができるのか、そんな抽象的で哲学的な疑問の数々の解が一気に繋がったかのような心持ちを覚えた。世界の秘密がそこにはあった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 彼女の掲げる古ぼけたノートには、こう書かれていた。 「駅名の、書かれた柱の、その付け根、水たまりから、湯気は立ちつつ。ーーーー」 ## 11. 小田急診療所の正体 ーーーもう二度と会えないと思ってた。神様がきっと最後に私に夢を見せてくれたんだ。 昨晩彼女がさり気なく言ったことの意味が分からず俺はどういうことかと訊いた。そのときははぐらかされてしまったが、今朝になって時間がない言いと見せてくれたノートには俺が6年前、不思議な出会いをした少女と見たノートと同じ言葉があった。 「あのとき魂の根源を見つけることができた君は世界の均衡点としての条件を満たした。きっと神様になれたのね。条件を満たせなかった私は別の役割として秦野駅の守護者としての役割を与えられたの。」 「ちょっと待ってくれ。役割ってどういうことだ?俺はあのとき町田症候群の治療で訪れていただけで、神になんかなった覚えは」 「無理もないわ。小田急診療所は表向きはちょっと特殊な病気を治す施設だけど、実際は神様になれる才能のある人達を集めて神様になれるかどうか選別する施設だもの。町田症候群なんて大層な名前をつけてあなたは病気だと騙してね。君もきっと何も知らされずに連れてこられたのね。」 「そんな...」 「君のその様子だと記憶を消されてただの一般人として過ごすように調整されたのね。あのあとすぐ私はこの秦野駅に移されたから君がどう過ごしたのかは知らないけれど。」 「でもなんでお前、こんな、何もないところに、独りぼっちで」 「......あのとき私はおばば様の言いつけを破って、君に魂の根源を場所を示してしまったから。招待者としての役割を逸脱してしまった。」 「招待者...?」 「私には神になれる才能を持つ人だけが見る特殊な夢、心象世界を訪れる才能があったの。色んな所に無理やり行かされていたの。夢の中で白い服を着た私を見たという人を集めれば自然と神になれる候補生を集めることができたらしいわ。」 「......」 「心象世界を訪れる度苦しい思いをしたわ。その人の心の暗い部分が直接私の心に届くの。心の暗い部分は誰しもが持つもので仕方のないことだけれど、それでも苦しかった。でも君だけは違った。君の心象世界は痛くなかった。どうしてあなたの世界は苦しくないんだろうって診療所に来てからも何度も君のところに行っていた。」 「あの頃白いワンピースを着たお前と何度も夢の中で会ってた。でもいつもこっちからは話しかけられなくて」 「ええ、そうだったわね。でも私はいつも君を見てた。それがあの夜は違った。君と話すことができた。」 「そうだ。俺もとても驚いたんだ。」 「嬉しかった。いつも君を見ていたから。でも一緒に怖くもなったの。このまま君が条件を満たせずに廃棄されるなんて絶対に嫌だと思ったの。それで君をあの場所に案内してしまった。診療所の条件の二つ目は覚えてる?あそこにいるためにはおばば様の言うことは絶対に守らないといけないの。条件を満たさない私は廃棄されることになった。それでも私の才能は惜しかったのね。もしものときの非常装置として秦野駅に送り込まれた。それが今の私。どう、惨めでしょ?」 驚くことばかりだ。町田症候群の症状は実は世界の均衡点として神様になるための才能の発芽で、病気の療養施設だと思っていた小田急診療所は才能ある人達が神様になれるかどうか選別するための施設だった。夢の中で出会っていた少女は心象世界と呼ばれる神様になれる才能のある人が見る特殊な夢を訪れることができる才能を使って、神様の候補生を集める招待者としての役割を与えられていた。 「君にはもう二度と会えないと思っていた。秦野駅は本当に何かあったときのための安全装置だから、このまま何も起きないで独り朽ちていくのだと思っていたわ。そしたら君が来た。私のことを好きだなんて言うもんだからもっと驚いたわ。そのくせ私のことを忘れていたのは悔しいけれどね。」 そう言って彼女はちょっと拗ねたような表情をした。俺は恥ずかしさのあまり顔が赤くなる。 「聞いて。時間がない。そろそろ町田駅への転送が始まるわ。君はカナガワからトウキョウへ帰るのよ。」 「お前も一緒に!」 「ダメよ。あなた一人で行って」 「そんな!昨日は一緒にって」 「私が一緒に行ったら誰が君をトウキョウへ転送するのよ。」 「なら俺もここに残る!」 「君はもう世界の神様なのよ。ここに居続けたら本当に世界が崩壊するわ。今私のいる秦野駅も含めてね。」 「そんな......俺は一体どうしたら」 「トウキョウに帰るのよ。帰って神様としての役割をまっとうしなさい。」 あたりを光が包み始める。町田駅への転送の前兆だ。 「嫌だ!お前も一緒に」 「...最後まで私の名前は思い出してくれなかったわね」 「えっ?」 あたりは白んで彼女の姿が霞んでいく。急すぎる、そんな。 「...いつか......いつか私をここからーーーーーー」 「...さようなら」 俺は町田駅に転送された。なんてことのないいつもの町田駅だ。駅の真ん中でひとり佇む俺の脇を訝しげに人が通り過ぎていく。 ーーーーーーいつか私をここから連れ出してね 最後に彼女が言った言葉はこうだっただろうか。 「...佳奈」 俺は彼女の名前を思い出していた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 町田駅に帰ってからは俺はというと普通に家に帰っていた。時刻は朝の7時57分。 さっきまでのことが途端に夢だったように思えてくる。途端に睡魔がやってきて、眠ろうと布団に入る。すると枕元に一冊のノートがあった。 ーーーーーーこんなノート持ってたかな。 何気なく開いたその一ページ目には、こう書かれていた。 「お前が今これを読んでいるということは、俺は失敗したのだろう。」 ## 12. REB00000000T 「……?」 何を言ってるんだ?このノートの作者はヤク中か何かなのか? ウッッフッフフ…俺が何を失敗するというんだ。 俺はカンペキなんだぞ。小学校の単元テストで一度も80点以下をとったことはない。 でも、不思議と違和感がない。むしろ別の感情がこみ上げてくる。 「……」 頬を伝うのは一筋の涙。 どうして泣いているんだ? 俺は何が悲しいんだ? 何が悲しくて、何に対して、俺は涙を流しているんだ。 全くわからない。理由を必死に探しても、自分の中には答えという答えは見つからない。 でも、ゔぉんやりと浮かぶのはよく見知った顔。 そう、白いワンピースに身を包んだ、女性。 助成というより、おn女の子と言ったほうが正しいか。 背は低く、肌は色白。 麦わら帽子をかぶっている。 辺り一面に広がるのはひまわりの花畑。 そう、俺はこの姿をよく知っている。 なぜか懐かしい。懐かしさとともに、得体のしれぬ感情がこみ上げてくる。 これは…悲しいというより…悔しさ? 「……俺は、失敗したのか…」 初めて、自分の置かれた状況を理解した。 俺は、失敗したんだ。 彼女を、彼女をあの運命から救い出すことに。 じゃあこのノートはなんだ?俺を嘲笑っているのか? そうだ、俺は無能だ。何もできなかった。 悲しげに笑う彼女を、俺を悲しませないと、最後まで笑っていた彼女を、俺は、救い出せなかった。 そんな俺に、今更何ができるっていうんだ。 もういい、忘れよう。こんなことを気にしてたって仕方ない。 俺は若いんだ。まだこれから長い長い人生がある。 彼女のことは忘れよう。忘れて、一歩前に進もう。 そう、思ってた。思ってたけど。どうしても忘れられなかった。 微笑む彼女の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。 純白のワンピースに身を包んだ彼女のシルエットが、別れ際に悲しげに笑う彼女の姿が、僕を迷わせる。 どうしても忘れられない。なぜなら、 「僕は、あいつが、大好きだ」 そう、僕は彼女のことを、心から愛していた。 それなのに、別れ際まで彼女の名前を忘れているなんて…… なんて俺は最低なんだ。惚れた女の名前を忘れているなんて。 そう思った瞬間、気づいたら俺は家を飛び出していた。 涙でヨレヨレになったノートを握りしめ、俺はガレージに向かった。 自転車に飛び乗り、無我夢中でペダルを漕いだ。 冬の夕暮れの凍てつくような空気が、肺を蝕む。 それでも、俺はペダルを漕ぐ足を止めなかった。 気づいたら、俺は町田駅の前に倒れ込んでいた。 「ッッッッッッッッッッ!!!」 肺が焼けるように痛い。当然だ、さっきまで無我むちゅで自転車を漕いでいたんだから。 でも、俺にはこの痛みも気持ちがいい。 生きている、という実感が得られるから。 俺は、生きている。死んではいない。 まだ死ねない。 ””あいつ””を、”””””””””””””””””””運命””””””””””””””””から救い出すまでは。 ## 13. いつかの佳奈、独白 人のいない駅のホーム。 冷たいベンチに座り、足をプラプラとさせながら、私はひとりごちた。 「覚えていてくれるかしら」 私は彼に一つ嘘をついた。 ――秦野駅という駅は存在しない。 そう、存在しないはずの駅、存在しないはずの概念、世界にはなかったはずの駅。 そこに今、私はいる。 「本当は良くないのだけれどね。でも私は希望を抱いてしまった」 だから可能性を作ってしまった。 カナガワからトウキョウに戻す手段なんて、本来は存在しないはずなのだ。 宇宙のエントロピーが増大し続けるように、一度カナガワに来てしまったらトウキョウには帰れない。 このルールを変えられるのは宇宙の法則の外にいられる存在のみ。才能を持った者たちだけ。 私の「力」が見出した彼らだけ。 すなわち、神。 神である彼だけが帰れて、私は帰ることができない。 私は燃料として消費されるだけの空っぽな能力者。 在りしものの狭間で揺れ、この世界にときおり小さな波紋を広げるだけの存在になるはずだったのだ。 しかし、救いを願ってしまった。 彼の中に、救いの可能性を見出してしまった。 だから私は、愚かにも彼を騙してしまった。 手段は単純でも、うまくいくかは賭けだった。 私が彼を信じられるか、彼が私を信じられるか、彼が私を思い出すか、彼が神の力を使いこなせるか。 そしてここからは本当の”神頼み”、その先の世界で因果律が安定するか。 幾重もの条件分岐を超えた先、崩壊した因果律が修復され私がトウキョウに帰れる未来など奇跡という言葉すら生ぬるい。 それは、対称性が崩壊した通常の物理世界においてはありえない事象だ。 だが、因果律が崩壊した今なら、”対称性が崩壊していない”という今を仮定することさえできる今なら、時間も、空間も、あらゆる次元のすべてが双方向的になれる。因果律自身も、崩壊と安定を行き来できる。 因果律も、次元も、同時に私の望む方向へと偶然進むという可能性だってあるはずだ。 私がトウキョウに戻れるならば、その僅かな可能性に賭けるしか無い。 そのためにも、トウキョウとカナガワを行き来するための標が必要だ。列車が駅と駅の間を行き来するように、なにか目印が無ければいけない。 だからこその秦野駅だ。 秦野駅という存在は、彼が認識するまで存在していなかった。 彼が認識することで、秦野駅は量子論的な確率を手に入れた。 すなわち、彼が観測するまでは存在しているかもしれないという可能性だ。 彼が強く信じれば信じるほど、この可能性を強まっていく。 神はサイコロを振らない? いいえ。神だってサイコロを振る。ただ、神自身がサイコロの目を操れるというだけ。 それもまた規則であり、量子論的なルール。 観測上のランダムさは、神の意思とは別の場所で保証されるだけだ。 神自身が観測者であり、同時に観測のための演算子であり、さらに因果の根源なのだ。 三位一体とはよく言ったものである。 そんな神の認識下にあるのだ。通常なら、秦野駅は彼に認識された瞬間にすぐに安定してしまうだろう。 しかし、因果律が乱れている今だけ、秦野駅という存在は非安定的に存在できる。 どこの世界にもないはずなのに、けれども、少なくとも彼が認識している世界にはどの世界にも存在している。 「私がここにいられるのも彼のおかげ。彼が秦野駅を信じてくれたおかげ」 彼が去ってしばらくは、私も秦野駅を認識できなくなっていた。 だが今は、きちんと認識できる。 冷えたベンチも、列車のこない線路も、チカチカと消えそうな蛍光灯も、狂ったように回転する時計も、駅名の書かれた柱だって、確かにさわれる、見られる、観測できる。 ならば、彼ならきっと―― 秦野駅と書かれた柱に触れ、溢れてくる涙を堪える。 「ねえ、終電逃しちゃうよ。早く迎えに来てくれる?」 どうか、この涙が水たまりになる前に。 ## 14. 佳奈とカナガワ 「カナガワの秘密を知っとるか?」 どこかで聞いたことのある声だ。 暫くの間、俺が口籠もっていると、再度、その声は聞こえてきた。 「うむ。まずは、そうじゃな……。ここはどこじゃ?」 「ここは、町田駅のはず。。」 そうだ、俺は倒れていたはずだ。 佳奈を、大好きな彼女を"あの運命"から救うことに失敗した。 俺は、佳奈を助けようと、無我夢中で家を飛び出し、必死で自転車を漕いだ。 そして、倒れた。 ここまでは覚えているーー 「ああ、そうじゃな。ここは町田駅だ。お前は町田駅に倒れている。そして、ここはトウキョウだ。」 言われなくても分かっている。 俺は佳奈をカナガワからトウキョウに帰すことに失敗したのだから、ここは確かにトウキョウのはずなのだ。 「何が言いたい……?」 「そう慌てるでない。順を追って説明しよう。ふむ、町田駅を走っている路線はなんじゃ?」 「小田急線と、横浜線だろ?」 「ああ、そうじゃ。町田駅は小田急線と横浜線が直交する点として位置している。それで、横浜線は不安定に釣り合っているトウキョウという場の直上を走行しているのじゃ。」 「トウキョウが不安定に釣り合っている……?」 「トウキョウを小高い丘の頂上と考えてみい。丘の頂上にボールが静止している状態、これが不安定に釣り合っている状態じゃ。もし、ボールが少しでも頂上からズレたとしたら……?」 「ボールは丘から転げ落ちる。。」 「まあ、そういうことだ。転げ落ちたボールが行き着く先はグンマと言われているが、まあそれを知るものはおらん。二度と帰ってくることはできんからな。」 「……」 「ただ、唯一、トウキョウという不安定な場において、町田駅だけは、転げ落ちたボールはカナガワに行くことができる。町田駅周辺だけ"水系"が違うということなんじゃが。。まあ、町田駅を発車する小田急線の急行に乗ったら、上り電車でも、下り電車でも次の駅はカナガワだからな。」 『町田駅という場所は、"トウキョウ"と"カナガワ"の両面を併せ持つ曖昧な場所。 だからこそ、その2つの領域を繋ぐ唯一の場所でもあるのだーー』 俺は、以前こんなことを聞いた覚えがある。この声の主もまた、そういうことを言っているのだ。 "水系"、"カナガワ"…… 声の主に、俺は一つの疑問を投げかけた。 「もしかして、その水系っていうのはーー」 「ほう、真実に近づいてきたな。その通り、カナガワじゃ。カナガワ水系じゃ。詳しい話はワシにもわからんが、遠い昔、カナという少女を助けようとした男が、トウキョウという場からたった一つの別の水系を作り出したと言われている。そして生まれたのが河川としてのカナガワ。そしてまた、その流域を今ではカナガワと呼んでいるのじゃ。」 カナという少女を助けようとした男がカナガワを作った? カナガワはカナに通じていて、カナガワの果てにはカナがいる、ということなのか? いや、そもそも、カナを助けようとした、だと……? カナ、カナ、、、、佳奈!?……………… そんな、まるで俺じゃないか!? いや、おかしい、声の主は、それは遠い昔と言っていたはずだ。 佳奈、いや、そんなことはない。別のカナのはずだ。 俺は、恐る恐る、確認した。 「今は、いつ、ですか?」 声の主は、長い沈黙の後、まるで聞かれたくなかったかのように、いや、伝えることに躊躇っていたのかもしれないが、こう話した。 「ーーーーーーー西暦、2218年だ。」 嘘だろ? 俺が生きていたのは2018年のはずだ。 「終電を、また、逃してしまった……」 町田駅の、駅名の書かれた柱の、その付け根には、不思議と湯気が立ち込めていたーーーーー ## 15. カイソウデンシャ 「――勘付かれたか」 不意に、その声色が変わった。つい先程までとは打って変わって、警戒や敵意、あるいは殺気を滲ませている。 「勘付かれたって……誰に?」 「お前を世界から消そうとする存在……というより、世界そのものと言えるかも知れないな」 無事トウキョウに戻ってきた今の俺は、神になった。だが、直前までただの神候補生でしかなかった俺は、戻る時空座標の位置――“終電”を掴み損ねた。本来は一瞬の通過を見逃さずに掴まなければならなかったのに、逃してしまったのだ。 その結果として俺は世界から消されようとしている。本来この時間・空間にあるべき存在ではないから。明確な悪役がいるわけでもなく、世界はまるで意志を持っているかのように、俺というイレギュラーを排除するべく動いている――ということらしい。 「気をつけろ、その湯気に触れてはならん。わざわざ標的の位置を教えてやることもなかろう」 「俺は……どうしたらいいんだ……?」 「決まっとる。元の世界、2018年を目指すんだ」 「め、目指せって……」 困惑する俺の耳に、フッと笑う声が届く。 「今のお前は神じゃぞ?できんことなどありゃせんよ」 いいかよく聞け、と続ける。 「お前がここまでたどり着くこと、失敗し続けることは、全て“時刻表”に書かれているのだ。いくら神と言えど、世界の意思にはそう簡単に刃向かえん」 「じゃあ……」 「だがな、簡単ではない方法ならある。今の時刻表に載っていない事象を引き起こすことが出来るのが、神であるお前の特権だ」 「時刻表に、載っていない……そんなものあるのか?だって、時刻表にはこの世で起こるすべてのものが規定されているはず……」 「カイソウデンシャだ」 「カイソウ……デンシャ……?」 「神が己の中に廻る想いを世界に伝え、世界はそれを時刻表に写す。廻想伝写は本来の因果を逆転させることが出来る。神の思い通りに、時刻表の方が規定されるのだ」 「それって……俺が願ったことがそのまま起きるってことか……?」 まだ信じきれない中でなんとか絞り出した俺の言葉は、あっさりと肯定された。 「ある条件さえ満たせばな。廻想伝写はいつ何時でも使えるわけではない。ある特定の座標、特定の日、特定の時刻……“始発”と呼ばれる条件を揃えて願わなければならない」 条件――時刻と座標――から考えて、今からここを出れば間に合わなくはない。だが、正直、かなりギリギリだ。俺の足だけでは厳しいかも知れない。せめて何か乗り物でもあれば違うのだが……。 「それを使え」 俺の頭の中を読み取ったかのようなその声を聞いて振り返ると、そこには一輪駆動マシンが鎮座していた。座席に置かれたスマートフォンのようなデバイスが示す午前1時の文字は、もう残された時間が少ないという現実を改めて俺に突きつけてきた。 「ここから始発座標までの間には山がある。徒歩で越えようとすれば間に合わん可能性が高いし、何より自殺行為だ。それにそっちの端末は、始発までの残り時間が分かる」 「……ありがとう」 「少しはマシな道中になるだろう。餞別に持っていけ」 その言葉を背中に受けながら、俺は一輪駆動マシンに足をかけ、ハンドルを握った。 大きく息を吐き、白い息が空気に溶けゆくのを見送りながら目を閉じる。 ――あれから、2018年に彼女と別れてから、とても時間が経った。 あのとき俺たちが抱いた決意とそこから成された結果だけは、レプリカでも合成でもない。それぞれの、本物だったと信じている。 俺は救われたのだ。ただ、彼女を置いて。 だから、俺はもう一度、あの場所に向かっている。 ここから先は俺自身でやらなければならない。 一輪駆動マシンのハンドルを握り直す。エンジンをふかし山を登る。降りるときのことなんて考えることもせずに。勢いのまま。 今度こそやり直すんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「……クソッ!」 出発からまだ時間も経っていないのに、情けないことに俺は地面に倒れ込んでいた。闇雲に叫び、拳を地面に叩きつける。視界の隅には、すっかり歪み果てて煙を噴く一輪駆動マシン。 しばらくは順調だったはず。だが、世界が俺を消しにかかってくる力は予想を遥かに超えていたのだ。 山を登り始めて程なくしてのことだった。 「止まるんじゃねえぞ……」 独り言ちながら山を越えるべくひたすらにアクセルを踏み続けていると、不意に一段と湯気が濃くなった。次の瞬間、俺と一輪駆動――もはや制御は効かず、暴走する100kgの鉄塊と変わり果てていたが――は恐ろしいスピードで下り坂を転げ落ちていた。山自体の形が変わり、上り坂が突然急峻な下り坂に変貌したのだ。とんでもないスピードで叩きつけられたおかげで一輪駆動は使い物にならず、俺自身も満身創痍になり、思わず拳を地面に叩きつけた。 だが、それでも。 俺は息を荒げながら無理矢理に立ち上がった。重い体を引きずりながら、走り出す。頼みの綱であった乗り物が使えなくなった以上、始発まで無駄にできる時間は1秒だって無い。だが、あまり派手に動いてもう一度「世界」から攻撃を受ければ、今度こそ万事休すだ。見つかるわけにはいかない。 潜む。歩く。また歩く。潜む。歩く。 走ってはいけない。走る体力もない。荒くなりそうな呼吸を必死に整える。苦しい。苦しいから呼吸を整えようとしたのではない。呼吸を整えるという行為に苦しさを感じたのだ。深呼吸が苦しいなんて経験、これが生まれて始めてだった。あるいは生まれたとき以来かもしれないが、そんなことは詮無きことだろう。と、わずかに散逸しかけた思考を脳髄の奥に押し込み、もう一度大きく息を吐く。苦しいとき、呼吸が本当にひゅうひゅうと言うことも、初めて知った。 俺は苦しみを紛らわせようと、デバイスを衣服の中に隠し、そっと時間を確認する。明かりが漏れないように、慎重に。時刻は午前一時三十一分――俺があの場を離脱してからおよそ三十分後のことだった。 どこからともなく立ち上がる土煙がうるさく舞う。まるで温泉街の湯気のように、あたり一面を粉っぽさが覆い尽くしていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 体力は限界を迎え、デバイスのバッテリーも尽きかけていた。 そんな中たどり着いた“始発座標”にあったのは、なんてことのないただのオブジェ。金属製に見えるし、何も説明されずに目の前に出されたら「バス停」と答えてしまいそうな形だ。もっとも、本来は駅名が書かれているはずの場所には何も書かれていないという明らかに異常な点を除けば、だが。 デバイスを見ると、ちょうどあと1分で始発時刻だった。 「間に……合った……」 つぶやきと同時に、デバイスの表示が消える。バッテリー切れを起こしたようだが、そんなことを気にしている時間はどうやら無さそうだ。 「願う、か」 随分と曖昧な指示をもらったものだ。どうしてあの時はこれを信じて行動する気になれたのか、我ながら向こう見ずさに自嘲的な笑みが浮かぶ。 それだけ彼女のことで頭がいっぱいだったのだ。 不思議と「曖昧な指示」の実行に迷いはなかった。本能的に、自分の中の何かがこのバス停もどきに反応しているかのように、何をするべきか分かる。 俺は上着の内側から、1冊のノートを取り出した。 「駅名の、書かれた柱の、その付け根、水たまりから、湯気は立ちつつ。ーーーー」 柱。水系。湯気。魂の根源から託されたヒントのうち、不足しているのはたった1つだけだった。 駅名――己の行くべき先を、ひたすらに念じる。 あるいは、願う。 自分の中に廻る想いを伝える。 世界がそれを時刻表に写し取っていくのを感じる。 ただ、それだけだった。 彼女を助けて、因果律の輪を閉じるために。 ## 16. ふたりで 願う。願う。願う。 願え。願え。願え。願え。願え。願え。 歪な世界の上で、混濁する意識の中で…… もう何のために願っているのかすら、忘れかけつつあったその時。 大きなクラクションの音、あまりにも眩しい光に照らされ、俺は目を開けた。 目の前には……箱……? いや、バスのような乗り物、そして…… ――秦92系統 秦野駅南口行き その電光表示に、朦朧としていた意識はすぐにハッキリした。 「始発に、間に合う……!」 夢中になって、その乗り物に駆け込んだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここに佳奈がいる。今度こそ。今度こそ失敗しないように。 秦野駅は、まるで廃墟のようで、駅の姿を保つことが精一杯というような様相で。 しかし足元の悪さなど一つも気にせず、無我夢中でホームへと駆け上がっていく。 息を切らしながらホームへとたどり着く。 そこには、ベンチに腰掛ける、1人の少女がいた。 白いワンピース姿、考えるより先に、言葉が口から漏れ出た。 「佳奈……………………?」 彼女はこちらを振り向き、少し驚いた様子で、しかしすぐに呆れたような表情で、こう言った。 「……あはは、また、来ちゃったんだ」 「それにしても、名前、思い出してくれたんだね」 「…………長い間、ずっと忘れてて……本当に、ごめん」 「……ふふっ、本当だよ」 久しぶりに彼女と交わす何気ない会話に、思わず涙が溢れた。 彼女の目にも、少し光るものが見えたような気がした。 「ずっと会いたかった」 「ふーん……私は……ま、そこそこ会いたかったかな」 「……ふっ、なんだよそれ」 彼女なりの冗談か、本心か。 「俺がここに、もう一度来たのはさ……」 俺の声色が変わったことに、彼女はすぐ気づいたようだった。 「佳奈、お前も一緒に……」 「待って、分かってる」 「私と一緒に、トウキョウに帰る……そう言うんでしょ?」 少し小さな、寂しそうな声で、そう語りかけてくる。 そして返答を待つことなく、彼女は俺の方を見ずにこう続けた。 「でもね……それは無理」 「無理って……どうして?」 「これまでだって……そうだったでしょ?」 「君は私を一度、外の世界へと連れ出してくれた。でも、その結果はどうだった……?」 「私は……私たちはいつの間にか、また秦野駅にいる」 確かに、そうだ。 疲れからか、歪んた世界の影響か、現実と、こちら側の世界を何度も何度も行き来するうちに混乱していた記憶が……徐々に呼び覚まされていく。 どうして、こんなことに?考えているうち、彼女が先に口を開いた。 「……私が、神様のなり損ないだから」 「"カナガワ"から"トウキョウ"に行く方法なんて……神様の君にはあっても、私にはないの」 「俺が……俺だけが神様だから……?」 「どうして、神様にしか、それが許されない……?」 俺に呆れ果てたのか、彼女は珍しく声を少し荒げる。 「本っっっっ当に分からずや!君、考える力が足りてないよ……本当に」 なんだか、初めてこの場所で出会った時を思い出して、少し嬉しかった。 叱られてるのにな、おかしいな。 「神様だけが2つの領域を行き来できる理由、それは……」 「それは、わたくしから説明して差し上げましょう」 どこからか、いつか、どこかで聞いたことのある声が聞こえてくる。 思わず振り返る。人が一人、こちらへ向かって歩いてくる。 暗くて、シルエットしか見えないが……。 小柄で、少し腰を丸めて、ゆっくりと、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。 やがて、辛うじて点いているホームのライトに照らされて、その姿が現れる。 「……おばば様……!?」 先に声を出したのは彼女の方だった。 俺もすぐに、その見知った姿を認識したが、声を出せなかった。 「……お久しぶりでございます」 俺たちに浅い会釈をし、そう挨拶するのは、小田原診療所のお婆さんだった。 「佳奈さん、あなた、ずいぶんとヤンチャしてくれますね。あなたはココを守るだけで良いと、そう言ったはずですよ」 「は、はい……すみません」 初めて出会った時、優しく聞こえたお婆さんの敬語が、今はひどく怖いものに感じる。 たじろぐ佳奈の姿は、少し新鮮に映った。 「まぁいいです、あなたの処分は、後ほど決めることにします」 「さて、神様だけが、"トウキョウ"と"カナガワ"を行き来できる理由……でございますね?」 「……はい」 すっかり萎縮してしまった彼女に、寄り添うように近づき、お婆さんの話を聞く。 「神様は、世界のルールを超越した存在であるからです」 「そして、神様以外のあらゆる者は、その2つの領域を行き来できない……そう、時刻表で決められております」 「……そう、だから、世界を救うには……"カナガワ"に堕ちた世界を救うには、あなたが行くしかないの」 そう、彼女もお婆さんに続いた。 「……俺が"トウキョウ"に行くことで、世界が救われることは分かりました。」 「そして……佳奈は"トウキョウ"には行けないこと、それも分かりました。」 「じゃあ……」 「俺が"トウキョウ"に行ったら、佳奈はどうなるんです?」 それを聞いた佳奈はお婆さんより先に、焦ったように俺を問い詰める。 「私のことは……いい!世界が崩壊するっていうのに、私のことなんて……」 「世界か佳奈かなんて、そんな二択……おかしいだろ!!」 思わず声を荒げてしまった。 彼女は、そう言うと思った。俺が一人で行くしかないと。私は一緒にはいけないのだと。 でも、そうじゃない。 彼女はそう思っていても、そうは願ってはいない筈で、それではいけないのだ。 「お婆さん、どうなんですか?」 「あなたがこれから"トウキョウ"に向かうのなら、それはもうあなたには関係のないこと」 「それとも……ここで佳奈さんと一緒に、世界が崩壊するのを待ちますか?」 不敵な笑みで、お婆さんが続ける。 「ほっほ……私は、それでも構いませんが……」 ここまで言って、お婆さんは急に少し焦ったような表情で、話すのをやめた。 ……そうか。ようやく腑に落ちた。 お婆さんが、わざわざ深い森の奥に診療所を構え、神様を選別していた理由。 俺は漠然と、世界の崩壊を未然に防ぐためだと思っていた。 でも……違う。お婆さんは、世界は崩壊しても構わないと、確かに今そう言ったのだ。 「……何かに気づいたと、そのような顔をしていらっしゃいますねぇ」 「……全く、思わず口を滑らせてしまいました、歳を取るというのは、これだから嫌なのです」 お婆さんは俺の顔を見て、そう言った。 そうか、つまりそういう事なのだ。 お婆さんは間髪をいれず、こう続けた。 「さぁ……"トウキョウ"へと戻り世界を救うか、彼女とともに世界の終焉を見届けるか……どちらがよろしいですか?」 「この二者択一……選択によっては、すぐにあなたを処分しなければいけませんね」 するとお婆さんの目の前の空間がぐにゃりと歪み、そこに拳銃が生成された。 それを手早く手に取ると、俺の方に銃口を向けてきたのだった。 因果律が崩壊した世界、何でもアリかよ……と突っ込みたくなる。 運命の選択など、人生に一度や二度、あれば良いものだろうが、まさか世界の命運を分ける選択を迫られる事になるとは。 しかし、俺はその前に、どうしてもお婆さんに聞きたいことがあった。 「……お婆さんは、世界を崩壊させるために、俺を神にしたんですよね?」 「ちょっと、急に何言って……」 俺のあまりの推理力に着いてこれないのか、佳奈は思わず俺に突っ込もうとした。 しかし、それを遮るようにお婆さんが怒号を飛ばす。 「口答えせずに、早く選びなさんな!」 お婆さんの急な大声に、佳奈はますます怖じ気立っているようだった。 どうやら、決断するしかないようだ。 「俺は……」 俺は。 「佳奈と、ふたりで、"トウキョウ"に行きます」 「佳奈も、世界も、救ってみせます」 俺の決意を聞くと、お婆さんは少しキョトンとした表情で、やがて大声で笑いつつ、こう言った。 「ぷふっ……ほっほっほ…………何を言うかと思えば……」 「そんなこと不可能だと、さっき言ったばかりではありませんか」 確かに。でも、俺はそのために来たのだ。また失敗するわけにはいかない。 「まぁどちらにせよ……あなたには消えてもらわなければいけないようでございます」 「全てを、知ってしまったようですからねぇ……」 お婆さんはよぼよぼとした手つきで拳銃のスライドを引き、再びこちらに銃口を向けてくる。 「ま、待ってくれ!せめて最後に……最後に、お婆さんが世界の終わりを望む理由を、教えてくれないか?」 正直、焦っていた。ああ、俺の人生もここで終わりなのだと思った。 それでも、なんとか時間稼ぎのつもりで、このように言葉を紡いだ。 「…………そうですねぇ、では冥土の土産ということで、少しお話して差し上げましょう」 ……言ってみるものだな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー お婆さんの話をまとめると、こうだ。 世界は、増えすぎた人類と、あまりにも変わってしまった地球環境を正すため、全ての文明をリセットする自浄作用を働かせた。 この自浄作用こそが「世界の崩壊」の正体であり、お婆さんは、それを円滑に遂行すべく世界に選ばれた人間であった。 世界の崩壊、お婆さんはその成功と引き換えに、新たな世界での幸せな暮らしを約束されていた。 世界の崩壊には、均衡点となる者が意図せずに小田原駅へと辿り着き、"カナガワ"の領域に留まることが必要であった。 そこで、将来寝過ごしにより小田原駅へと辿り着く者たちを事前に小田原診療所へと集め、神様の選別を行った。 2018年11月15日の未明、俺が寝過ごしにより小田原駅に到達することは、時刻表で決められていたらしい。 だから俺は、神様候補として小田原診療所へと向かうことになったのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「かくして、世界の均衡点が小田原駅へと到達することは、確実となった訳でございます」 「しかし……わたくしの計画には一つ、問題点がありました。一度"カナガワ"に到達したとて……神は自力で、"トウキョウ"に戻ることが可能なのです」 「そこで利用したのが……佳奈さん、あなたですよ」 お婆さんはシワだらけの手で、佳奈の方を指差した。 「……私……?」 「あなたは……どんな男性の方をも虜にする、唯一無二の美しさを持っております。多くの男性は、世界を救うか、あなたと一緒に居るか、その二者択一を迫られた時……あなたと一緒にいることを望むでしょう」 「ですから……あなたを、秦野駅へと置いたのです」 「そんな……人を道具みたいに……!」 「わたくしは、世界の崩壊を実現させなければなりません!そのために……手段を選んではいられない」 「……しかし、あなたです」 お婆さんは、今度は俺の方を指差し、続ける。 「小田原診療所であなたと過ごして、あなたは……少々正義感が強すぎると感じたのです。世界を救うことを選ぶ可能性がある」 「ですから、魂の根源を見つけさせることなく、廃棄する予定だったのです」 「しかし……佳奈さん、あなたが彼に、魂の根源を見せてしまった」 「それから、全てが狂ってしまったのですよ」 「現に今、こうなっているのです。許せない…………許せない、許せない許せない!」 お婆さんの表情が、急激に怒りに満ちていく。 そして突然、佳奈の方に拳銃を向けた。 「っ、佳奈!!!!」 思わず俺は庇うように、彼女に覆いかぶさった。 刹那、銃声が響く。 年齢からか、お婆さんの腕はぶるぶると震えており、弾丸は俺の体を掠めていった。 弾道はホーム上のライトに収束し、パリンとガラスが割れる音がした。 「……ほっほっほ……次は…………次は外しません」 おばあさんの表情はもう見えない。低く、獣のような声だ。 再び俺と佳奈に向けられる拳銃。 その瞬間、けたたましい音量の警笛が、ホームに鳴り響いた。 「……来た……!始発だ……!」 俺は思わず叫んだ。 警笛とともに大きな大きな鉄の塊が、ホームに流れ込んでくる。 ホーム上には強い風が吹き、おばあさんはまともに立っていられないようだった。 「な、な…………」 ある特定の座標、特定の日、特定の時刻……“始発”と呼ばれる条件を揃えて願うことで起きる、廻想伝写。 俺は、神様だ。 俺は、今、時刻表を書き換えることができるのだ。 やるなら、今しかない。 願う。願う。願う。 願え。願え。願え。願え。願え。願え。 強い風の中、ただひたすら願う。 彼女は……佳奈は俺に何かを呼びかけている。でも、全く聞こえない。 願う。願う。願う。 願え。願え。願え。願え。願え。願え。 だんだんと、意識が朦朧としてくる。 視界が、暗くなっていく。 でも、願うことだけは、変わらない。 ――佳奈を、神様に。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー その日のアラームは、幾分静かに感じた。 アラームを止め、ゆっくりと体を起こす。 昨夜の大雨はあがったようだが、まだ低気圧が通過しているらしく、体が重い。 「……大学、行かなきゃな」 手早く身支度を済ませ、スマートフォンを確認する。 2018年11月15日 時刻は13時をまわろうとしていた。 いつも通り家を出れば、間に合いそうだ……と思ったのだが。 「あ、やべ……」 そういえば最近、ダイヤ改正が行われて、時刻表が変わったらしい。 本当に間に合うかどうか怪しいな……全く面倒なことをしてくれるものだ。やれやれ。 自分の中のやれやれ系主人公を炸裂させたところで、俺は急いで家を出た。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 小田急線町田駅の3,4番線ホームへと駆け上がる。 少し急いで来たが、どうやら普通に間に合いそうだ。急いで損した。 新宿方面の電車を待つ。今日もまた、何の変哲もない日常が始まる。 2番線に停まっていた小田原方面の電車が動き始めた。 向かいのホームの姿が、だんだんと顕になっていく。 ふと、向かいのホームのベンチに座る、一人の少女に目が留まった。 「綺麗な人だな……」 なんでさっきの電車に乗らなかったのだろう?などと思わない事は無かったが、その美しさにただただ見惚れてしまった。 このままじゃただの不審者だ、と一瞬目を逸らす。 しかし、また目を奪われる。目を逸らす。また見てしまう。 …………そういえば、あの女の子、どこかで……? 「お待たせいたしました。間もなく……」 アナウンスが流れ始めた。電光表示を確認する。 もうすぐ新宿方面の電車が来るようだ。 急いで来た割に、少し待ってしまった、こんなに焦らなくても良かったな……などと思いながら、再び向かいのホームへと目をやる。 こんな街中のありふれた駅のホームのベンチで、少し場違いにも思えるその真っ白なワンピースは、一際目立っていた。 真っ白な……少女…………? 瞬間、まるで無い記憶が作られていくかのように、まるで外部から記憶が送り込まれているかのように、少女の姿が頭の中に蘇る。 そうだ、忘れるはずもない。 あの場所、あの時、交わした会話…………名前。 いつの間にか、脊髄反射の如く走り出していた。 階段を駆け下りる。そして、駆け上がる。 息を切らしながらたどり着いた、小田急線町田駅、小田原方面ホーム。 目の前のベンチには、白いワンピースの少女が座り、足をプラプラと揺らしていた。 「あ…………あ……………………」 言葉が出ないのは、決して俺がコミュ障だからではない。と思う。 頭に流れ込んでくる記憶、感動や喜び・驚きが入り交じる感情、階段を駆け上り上がる息。 体も、心も、もうキャパシティの限界を迎えていた。 俺がわずかに発する声に気づいた少女は、こちらを見る。 俺があまりにも挙動不審だったのだろうか、少し呆れたようにくすっと笑って、こう言うのだった。 「おかえり。待ってたよ」 ## あとがき ### 9. 「町田」の正体2(AIのべりすと α2.0) 特別ゲストのAIさん。前回の8章までをまるまるAIに読ませて続きを書かせています。タイトルも含めてAIが出力しているとのこと。 ### 10. 町田症候群(しくがわ) オタクの共同幻想であるところの白ワンピースの美少女、好き。 最後いい感じにエモくて良いです。これが次世代の美少女文学かもしれん... ### 11. 小田急診療所の正体(しらす) ゔぉんやりとどうかこの涙が水たまりになる前にってところで一生笑ってました。 めちゃめちゃだし好き勝手伏線作ってキラーパス投げてるけどその中で各自こういうのが好きなんだなってのが滲み出ててそういうところが好きです。 そして全体で前作の3倍くらいの字数なんですよね、何事にも全力で取り組む、素晴らしいことだと思います(適当) ### 12. REB00000000T(むさしん) ### 13. いつかの佳奈、独白(もひょ) 読後のあとあじが良くて笑いました。ありがとうnaka3。 「駅名の~」伏線を回収したと見せかけて何も回収していないやつやりました。あとの人が良い感じにしてくれたの感謝。 ### 14. 佳奈とカナガワ(えすふり) しっちゃかめっちゃかな状態からいい感じにまとまってて感動しました。 皆さま、よいお年をお迎えください。 ### 15. カイソウデンシャ(クランク) 関連する文献を熟読して、色んな所から要素を持ってきました。 伏線回収の役割はnaka3に任せて正解ですね。次回もよろしくお願いします。 ### 16. ふたりで(naka3) 年の瀬ということで、修士研究が忙しい中、皆さんが散らかした伏線の大掃除を担当しました。どうして?
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