放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group03` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- P.Curieのノーベル賞受賞の際の言葉を聞いて、誰しも新しい発見から善の方を引き出す方を望むのは当たり前だと感じました。ダイナマイトを使って戦争を始めた人も、悪いように使ってやろうという目論見ではなく、戦争を通していい方に世界を導こうとした結果、後世では悪質な使われ方として伝承されるようになっただけだと考えます。また冒頭の問いかけにあったように、新たな発明を活用するための人間の準備はできているかという問いに対しては、必ずYESとは言えないと考えます。新しくもたらされた科学の恩恵を使い損ねて、失敗してそこの反省から正しい活用を学んでいるというのが現代に残された結果であるように思えます。 ---- 「犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになると思われ」るラジウムを発見したキュリー夫妻の言葉から私は、自分が見つけた放射性物質の偉大さと同等にその強大な脅威に不安を感じる彼らの思いを感じ取った。その理由の1つとして、「この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか」というフレーズを読んで、咄嗟にアインシュタインが思い浮かんだことが挙げられる。アインシュタインもまたノーベル物理学賞を受賞した偉大な科学者として名高いが、日本に落とされた原爆は、彼の提唱した相対性理論が元であると聞いたことがある。彼自身も晩年、人のためになると期待して生まれた自分の発明が凶暴な兵器に使用されたことに苦しんでいたようだ。キュリー夫妻も同じで、発明したことで期待と大きな不安を抱えていたに違いないと思う。 ---- 私は、P.Curieの言葉を見て、Curieは科学者としての視点で、科学的にラジウムを見たり、ノーベルの開発したダイナマイトを見ているのではなく、一般の科学について詳しいことを知らない一般人の立場にたって、客観的にラジウムを、そしてダイナマイトを見ていると感じ取れた。もちろん、科学者として、これからの人類に対しての、この物質の扱い方の忠告とも読み取ることが出来るが、”いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。”という言葉は、本来あまり科学者が発言しないような内容ではないだろうか。自然の秘密を暴いていくのが科学者の存在意義でもある。しかし、それをあえて疑問視し、科学者という立場を客観的に見つめ、”自然のものは自然のままで、手つかずのままにし、一つの物質で人類の危機が訪れるようなことがあってほしくない”という願いも読み取れた。もちろん、この物質で人間の生活がよりよくなった面もある。しかし、マイナスの面を考えるCurieは、一般人と立場にたって物事を考える人物だと思った。 ---- ラジウムの危険性について認めている点にすごく好感を持てた。新たな科学の発見は人類の未来にとって良い影響をもたらしうる一方で悪い影響をももたらしうる。これは科学の持つ一種の性質だと思うが、この講演では自分の研究の成果のポジティブな面のみを語り世間に良い印象を与えることだってできる中で、新しい科学発見の人間社会への危険性、負の側面について包み隠さず触れている。ここにピエール・キュリーの人間性が見てとれるように思えた。 ---- 私もピエール・キュリーの意見と同じく、人々の幸せのために活用されることだけを願うが、太平洋戦争での原爆投下といった悪のために利用してしまい、圧倒的な威力を世界中の人達が知ってしまったために、人は愚かなもので地球上ではもう善のためだけにラジウムが使われることは無いと実際は思う。ピエール・キュリーも彼がノーベルのダイナマイトについて言及したように、人々のためを思い研究をしたというのに、現代になり結果的に同じ運命を辿ってしまったことはいたたまれない。しかし、彼が前回のラザフォードやソディーらと大きく違う点は、発見した当初にきちんとデメリットの部分にも大きく着目し、考えていることだ。 ---- キュリーの言葉を読んで一つ大きな疑問が生まれた。それは、キュリーが言う通り、人間が自然の秘密を暴いていくことは有意義なことなのかという疑問だ。放射性物質を見つけた張本人が自分の発見に対して希望だけではなく大きな懸念を抱いていることが、文章から見て取れる。そして実際に、この発見はノーベルのダイナマイトと同様に、原発という形で100年後の人類に負の結果を招いてしまった。その結果を知った上で、改めて人間が新たな発見をし続けることへの疑問を持たざるを得ない。今後またさらに新たな発見があっても同じ結果を招いてしまう恐れが大いにあるからだ。しかし、この恐れと不安こそが更なる負を生まないための大事な要素なのではないか。キュリーがノーベルの発明から自分の発明が危険を招く可能性があると予想していたように、私たちも原発の失敗から学ぶこと、そして次に活かすことは非常にたくさんあると改めて考えた。 ---- 新しい素晴らしい力の発見が、その力を操る人間により良くも悪くもなるというのが怖いなと思いましたが、怖がっていては進化できないと考えるので、私も善の力が新たな発展を後押しし続ける社会であってほしいと思いました。 ---- このP. Curieの発言を目にして、色々な事を考えるきっかけになりました。まず、キュリーが述べたように科学技術の発展は表と裏の両側面あるという事です。表を見れば様々な分野に大きな功績を残すことが出来て、世の中にとっては良い事であります。その一方でそれと同時に裏には大きなリスクがはらんでいるというのも事実であると思います。だからこそ、キュリーは自分が発見した技術について災いをもたらす可能性があると述べたのだと思います。しかし、キュリーは最後のところで「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」と述べており、例え発見が悪用されようとも最終的には善のほうが悪にましていく事を強く願っていることが読み取れます。しかし、実際の世の中はキュリーが述べたような社会になったのか考えてみると答えは定かではありません。ノーベルが発見したダイナマイトは確かに炭鉱で大きな功績を残した一方で、戦争に悪用され今まででは考えられないほどの被害をもたらす原因にもなったのもなったからです。 こうした事から、世紀の大発見をした人にしか感じる事のない強い苦悩があったことがこうした発見初期の発言やその後のノーベル賞設立の成り立ちから容易に理解することができると思います。 ---- この言葉を読んで、科学者が日々葛藤しながら世の中のためになるようにと研究を続けているのは今も昔も変わらないのだなと思いました。しかし、現代までの歴史を振り返ってみて私は科学技術の良い面だけを享受することはできないのではないかと思ってしまいます。人間はこれまで、ダイナマイトや、原子力発電、ロケット、IT技術や、クローン技術など様々な発明を成し遂げてきました。ですが、戦争に使えそうな技術は必ずと言って良いほど後に軍事利用されています。私は、その一つの理由に戦争が稼げるからということがあると思いました。戦争は、たくさんの兵器を使うため莫大な費用がかかります。逆に言えばその兵器を提供している側は大儲けをすることができるのです。そのため、戦争が儲けられるビジネスとして捉えられているうちはそういった軍事利用は減らないのではないかと思います。よって根本的には戦争自体が減ることが、科学技術の良い面を生かす使い方が増える方法なのではないかと考えました。 ---- 放射線などの科学技術には必ず長所と短所が存在することが、放射性物質を発見した科学者の言葉から伝わる。科学技術は人類の生活をより豊かにすることができる一方で、有害性も同時に存在するからである。放射線は長所を利用して医療現場など様々な場面で活躍しているのと同時に、原発事故のような欠点も存在する。そのため、科学技術の長所だけではなく短所も考慮する必要があると主張しているのではないかと考える。 それに加えこれらの言葉は、放射線は悪用する人物の手に渡ってしまうと危険であるということを主張しているのではないかと考える。一度放射線を悪用すると、被害が広範囲に渡って拡大するからである。実際にノーベルの爆薬の事例を出していることから、放射線をはじめとする科学技術を一度悪用すると、それに反省しない限り同じことが繰り返されていくのである。それを防ぐために、科学技術の過去も振り返るべきだと伝えたかったのではないかと考える。 ---- この言葉を読んで、科学者は自分の研究に対して誇りを持っていると分かった。 その一方で、「ラジウムは、犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになると思われます。」というところから自分が発見したものに対しての規模の大きさを誰よりも自覚して恐れているということも分かった。だからこそ未来を生きる私たちに対して「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか…」と警鐘を鳴らすような言葉を残しているのだと解釈した。 「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」というように、自分の発明によって未来の科学技術が発展することを期待してくれている。確かにこの発明により私たちの生活は豊かになり、助かる命も増えた。また以前に比べて見違えるほどの経済成長につなげてきた。その一方で、期待をことごとく裏切り、歴史上で同じような失敗を繰り返してしまっている一面もある。 科学者が誇りを持って世の中に発表した努力の産物を、私たちが濫用することは決して許されない。むしろ誇りを守っていかなければいけないと考える。 ---- キュリーさんは自分がラジウムを見つけた時点で悪い使われ方をされてしまうのではないかと心配しているが普通の人なら、発見した嬉しさの方が強くなってしまい喜びの言葉を述べてしまうと思う。しかしキュリーさん達、科学者の凄いと思う所は常にプラスの面とマイナスの面を考えながら生きているところだと思います。またキュリーさんはノーベルさんへの敬意もしっかりしていてノーベルさんが発明したダイナマイトは結果的には悪い使われ方もしたが人類にとって確実にプラスな発明だったということを最後の「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずるものです」に込められているような気がしました。最後の言葉は現代を生きる私たちへのお願いの言葉でもあると思うのでこの言葉はもっと広げていくべきだと思います。 ---- キャリーの言葉にある「国民を戦争に導くような大罪人の手に渡れば、恐るべき碳壊手段ともなります。私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」の部分はとてもわかりやすく人間の性質を表していると思う。人間は新しか作られたものを最初は物事の効率や機能を高めたりする目的で使用するが、段々と悪い手段に使おうと考えることがよくあると思う。例えばシンナーは本来塗料を薄めて塗りやすくするために用いたり、温度や湿度の変化に対してシンナーの蒸発量を制御し、きれいな塗装表面にする役割があるが薬物として吸うために使う人が一定数いる。発明された技術の使い道を増やすことは素晴らしいことだが良くない使い方を生み出すことは慎むべきだと思う。 ---- P. Curieの言葉は少し無責任な気がします。放射線物質を発見したことによって、現在の人類の科学技術は大きく発展して、とても生きやすい世の中になっていますし、人間が善を引き出しているのは確かです。しかし実際問題悪も引き出してしまっています。善を信じるという言葉だけでは済ませられない責任も発見者にはかかってくるのではないでしょうか。 ---- ダイナマイトが戦争で敵を倒すために使用されたという過去と同じようにラジウムも悪用されかねないといっているが、実際に核は世界でも研究され続けておりこの先は今よりもっと破壊力のある爆弾ができていく可能性も無視できない。放射線についての研究を続け、新しいことを発見することはもちろん人類にとっては素晴らしい発展だと言える。昔は知られておらず研究によって開発された技術は地球の環境を破壊したり、植物・動物にまで影響を及ぼしている。しかし、同時に人間の生活が便利になり、医療の発達にもつながった。キューリーが残した「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」の言葉のように、新しい放射能についての発見が良い使われ方をすることを願う。 ---- 確かに科学の発展により我々の生活が脅かされてしまうような事が起きるきっかけとなるかもしれないが、私達がその危険性を学び、少しでも社会にとって良い影響を及ぼす事の多い使い道を開発する事に役立てると良いと思う。例えば、放射線は人体に悪影響を及ぼすが鉛は放射線を通さないという特徴から人体への負担を軽くする性質を活かしてレントゲン室は患者にも放射線技師にも安全な場所となっている。このように単体では不都合な特徴でも他の物質と組み合わせることでその危険性を緩和する事ができるケースもある。 ---- 先日の課題で読んだ文章よりも明確に、この新しく発見したラジウムという放射線について、人間にとってのプラスな面と、マイナスな面の二面が書かれている文章であると感じました。「いったい人間が自然の秘密をあばいていくのは有意義なことなのか。」という部分にもあるように、この新たに人間が手にした力を人間は操ることが可能であるのかという心配しているような面も見受けられると感じました。そして使い方を間違えると災いにつながるということにも言及しているという点から二面性に触れていると感じました。 ---- 私は人間が自然の秘密を暴いていくことは有意義なことであると思う。しかし、この秘密を役に立つことに使う用意が全くできていないと思う。この用意というのは国の中での決まり、国同士の決まり(世界全体での決まり)を整えることである。実際に破壊兵器の中でも毒ガスのような化学兵器や生物兵器は所有や仕様が禁止する条約が成立しているが、核兵器に関しては一律に禁止する条約は成立していない。このような状態が人間にとって有意義なものになるはずのものが破壊手段になってしまうことにつながると考えた。このような秘密の発見がされたとき各国が自分の国のみの利益のみ(武力行使による)にそれを利用するようなことはあってはならないと思う。武力行使をする必要のない各国の付き合い方を日頃から築くべきだと考えた。さらに、うえで述べたような用意ができていれば資料の最後の言葉「悪にもまして善の方を引き出す」という言葉の悪の部分などを気にしなくて良い、人間にとってメリットしかなくなると考えた。 ---- キュリー氏はラジウムを見つけた時、喜びと同時に不安を覚えたのだと思う。「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか…」という言葉から、人類にはまだラジウムは早かったのではないかという後悔を感じた。 「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」という言葉に関して、「確信している」ではなく、「信ずる」という言葉を使ったのは、人間がラジウムを悪に用いることが目に見えているからだろうなと感じた。 ---- キュリー氏は放射性物質ラジウムの発見をノーベル氏の発見が典型的な例として、彼の発見も人々にとって便利なものを生み出すためにも使うことができるし、反対に犯罪者の手に渡れば大変危険なものとなることを述べている。それは、両者ともに発見した科学者たち自身であるからこそ、それほど莫大な力を秘めていることを私たち以上に知っているし、その莫大な破壊力についても恐れていると思う。だからこそ、彼が最後に残した「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」という言葉には重く、私たちの胸にずっしりと刻み込まなければならない意味が秘められていると思う。彼ら偉大な科学者たちは、人間の生活をより豊かで便利なものにするために研究を重ね、それら莫大な力を生み出す物質を発見したという、何のためにこれらの物質が発見され、応用されているかということを、物質を扱う私たちは常に考えなければならないと思う。そして、それを考えて利用することができたら、彼らの言うように善の方向に向かって人類はこれからも進んでいけるだろうと私は思いました。 ---- 私はこのことは良い面、悪い面があるがやらなければならないことだと考える。確かにノーベルの作ったダイナマイトだったり国を滅ぼすこともできる放射線だったりがあるが、それ以上にそう言う発見があったことで助かった命が多くあると思う。今はそのような発見から勢力均衡という形で平和は保たれている。このことは結果論ではあるが、キュリー夫妻の言うよう人間は使い方を誤ることはあるが学ぶことのできる生き物であり、善の心を持つ者の方が多く、科学技術を悪い方へ使う人の方が少ないと思う。 ---- ノーベルの発明したダイナマイトは、鉱山作業などをより良くするために発明されたものであるが、戦争において人を殺す道具として使用された。これは人間の善より悪が優ってしまっった例である。正しい使い方をすれば人間に多大な利益をもたらしてくれるものを、人間の悪意によって人間を傷つけるものにするのは発明者も願っていない。キュリーはこのノーベルの例を引き合いに出すことで、放射性物質の平和的利用を訴えているように感じた。 ---- キュリー夫人の「人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか」の部分が一番印象に残った。なぜなら私の意見と似ているからだ。人間が自然について知る動機は、自然が人間にとって脅威であり命を守るためであったと考える。例えば、火山の噴火や洪水や地震などの自然災害、農作物が枯れてしまうなどの被害である。しかし、時代が進むにつれてその目的が変化し「いかに人間の暮らしが豊かになるか」を求めるようになったと感じる。確かに、科学・技術の発展により病気を治すことができたり貧困から抜け出せたりとその功績は計り知れない。しかし、一方で人間の悪意により人が殺されたり自然環境の破壊なども起きてしまっている。私は、これ以上の利便性や機能性のために自然の秘密を暴く必要はないと思っているため、この一文が気になった。 ---- P.Curieはラジウムの発見による更なる技術の進化を期待するとともに大罪人に悪用されることを懸念しており、この発見が人類にとって本当に吉となるのか半信半疑でいる。私は自然の秘密を暴くことは悪だとは思わない。むしろその科学者は賞賛されるべきであり、その力をどう使うかは科学者だけでなく人類全員に責任があると考える。これ以上大きな破壊活動が行われないために新たな発見をしない、ということは無理だ。人間は謎があればそれを解き明かそうとする生き物だ。科学者ならば尚更だろう。だから私たちはその新たな発見された力を有効活用することに尽力しなければならない。そのためには人類全員がその大きな力の良い影響力、負の影響力ともに正しく理解することが必要だ。現代を生きる私たちにとって過去の悲惨な出来事について知ることは容易い。科学者など一部の人間だけでなく人類全員が莫大な力の危険性を理解し、二度と悲惨な過去を繰り返さないという覚悟や意識を持つべきだ。また、P.Curieは自分が大きな発見をしたのにも関わらず手放しで喜ばず、それの負の力にも目を向け警告している。私たちにはこのような様々な視点から物事を見ることが必要なのだ。 ---- 私は、Curieの言葉について、現在の私たちの視点から考えると、ラジウムも放射性物質の一つであるため放射線の恐ろしさを知りその危険性を踏まえた上で、少し負の面、危険性を考えすぎているなと感じました。それはラジウムはガンマ線源として医療用、工業用、蛍光塗料などに用いられており善の面で大いに役立っているからだと考えます。しかし当時の人々からすれば、ノーベルの偉大な発見が彼の意志とは無関係に「爆薬」という悪の形で用いられ、結果として戦争という人を殺すことを促す形に繋がってしまった例があったため、科学者の新たな発見をよく思っていない人々もいた為に彼は自分の発見が良いものか悪いものか葛藤しているのだと思いました。また現代では科学技術により新しいものを生み出し、私たちの生活を豊かにしていこうという風潮があるため戦争に用いられることを1番に考えることはあまりないと思いますが、それは今日本が比較的平和であるからであって、いつロシアとウクライナのような戦争が勃発するか分からないためCurieのように新たな発見による負の面を懸念することは大切なことだと考えます。 ---- 私もP.Curieと同じように人間は新しい発見から悪よりも善を引き出す存在であると信じたいです。実際にノーベルなどの歴史的な発見は現代の私たちの暮らしや生活に大きな善の影響を与えています。そして、私たちが今快適で便利な生活を送れているのは彼らのような科学者が新たな発見を繰り返してきたからです。だからこそ、人間が悪にもなり得る自然の持つ膨大な力をどのように使い、どのように使うべきかしっかり考える必要があると思います。また、科学者の言葉と実際に起こった負の歴史を照らし合わせ、ただ便利さだけを追求してなりふり構わず自然の力を使っていくのではなく、その前にそれらの力を私達人間が有意義に使うことができる環境や体制を整える必要性も感じました。 ---- P. Curieの言葉からは、ラジウムが世界に与えうる恩恵と損害の二つの視点について考えさせられた。まず恩恵については、爆薬を例とし、「強力な爆薬は、人間に驚くべき仕事をなしとげさせてくれました。」と述べられている。この部分では、科学や技術が世界にもたらす恩恵の大きさの主張を読み取ることができるが、P. Curieの言葉全体では恩恵よりも科学・技術が与えうる損害を危惧する視点が主張されていると感じた。「犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになると思われます。」といった言葉や、「国民を戦争に導くような大罪人の手に渡れば、恐るべき破壊手段ともなります。」という言葉からは、世界に大きく貢献しうる科学技術は、一歩間違えれば極めて危険なものとなり、世界に損害を与えるものになる一面を持っているのだということが強調されていると感じた。特に後者の言葉からは、第二次世界大戦の際の広島・長崎での原子爆弾投下が思い出され、その被害の大きさを知っているからこそ、P. Curieの言葉の重みを考えさせられた。そして、最後の「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」という言葉からは、大きな力を持つ科学や技術こそ、世界に不利益や不幸を招くことなく、世界に良い方向に貢献できるように慎重に扱うべきであるのだと考えた。 ---- とてもこの意見に賛同した。たしかに放射性物質は治療に使われたり、大量のエネルギーを生み出したりと人間にとってプラスな面もあるけれども犯罪者が悪用したり戦争で悪用したらとても大きな被害に繋がる。だれも悪用しないことを願っているが誰も悪用しないという保証はないのでそう考えると新しい物質の発見はとても恐ろしいことだなと思った。いまより便利になったり救える命が増えるのはとてもよいことだけれどもその反面、悪用されるかもしれないということも考えないといけないのだなと思った。新しい物質の発見はプラスにもマイナスにもなるのでとても難しいなと思った。 ---- 前回にも言ったがこれは物事の二面性の問題だと感じる。人類にとってプラスの使い方をすることもできるが私利私欲のためにマイナスの方向で使用することもある。ただそこは人間の良心に訴えかけて誤った使い方をさせないようにする。ただ自然を、この世界を知れば知るほどマイナスの方向に使う大義名分が出てくる恐れがあるので科学技術によって知りすぎるのもあまり良くないのかもしれない。ただ人類の生活を豊かに、便利にするような利用法が発達すればいいと感じた。 ---- ピエール・キュリーの言葉は、まさに未来を予言したものだと感じた。放射線の研究で放射線をたくさん浴びたキュリー夫妻はやがてその影響を受けて衰弱してしまっている。自然の秘密をあばいた彼ら自身に災いが降りかかったのである。放射能兵器も発明されてしまい多くの人の命を奪ってきた。そして、東日本大震災によって、良い使い方として発明したはずの原子力発電でさえも人間に災いをもたらすものとして認識されるようになってしまった。言葉の最後では「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です」というように肯定的に締めくくっているが、これは本当に人間が善のために使うと思っていたのではなく、ピエール・キュリーの願いや警鐘の意味が込められていたのではないかと思う。ノーベルが発明したダイナマイトが破壊手段として使われたという事実を目の当たりにしている彼が、人間は新しい発見を善いことにしか使わないと思っていたわけがないと考える。この言葉を現代の私たちは忘れずに、新しい発見に向き合わなければいけないと思う。 ---- キュリー夫妻が発見したラジウムは、人体に非常に有害であることは確かであり、マイナスの側面である。時計産業において夜でも見やすくなるように針や数字にラジウムを塗っていたラジウム・ガールズたちは緻密な作業のゆえ、筆を口で整えるたびに被曝していたことは言うまでもないが、その当時ラジウムが有害だと知っている人はほとんどいなかったので、仕方がないという言い方もできると考えた。 一方で、前回の「核」と比べて戦争で武器として使われたということは今までにないことを踏まえると「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる者です」という言葉通り、私たち人間の役に立っているプラスの側面の方が多いと考えた。これの具体的な例としては、ラジウム温泉というものがあったり、骨に転移した癌を治療できたりと、様々挙げられる。ラジウムという放射性物質に関しては、人間は「善」を引き出してきたと考えて良いと思った。 ---- 今までたくさんの科学者の方が自然の秘密を暴いてくれたおかげで今のとても便利な世の中があると思っています。なので基本的に科学の発展は有意義な事だと感じています。しかし、便利さと危険は表裏一体で私たちの生活が豊かになるたびにそれに伴って危険性も増していくことを自覚していかなければならないと思います。また、科学が発展していくとともに私たち人間がしなければけないのは発展した科学を人類の進歩のために使う方法を考え、決して人を傷つけるために使わないように教育していくことも大事だと感じます。 ---- 私はこの言葉を読んで、大きな力を扱うには、それ相応の覚悟であったり、準備が必要なのだと感じました。大きな力は普通であれば良い方向に行くように使うべきであると、誰もが理解していると思います。しかし、ちょっとした欲や自分本位な考えなどの歪みが生じてしまうと、その大きな力が負の方向に全て向いてしまうと思いました。それは、少しの影響で済むものではなくなるし、むしろかなり大きな損害や被害へと繋がると思います。それも、日本だけ、ここだけなどのスケールでなく、国際的な問題にまで発展する恐れさえあります。どのように大きな力と付き合っていくのか、その大きな力を上手に利用する責任が重要であると思いました。 ---- P. Curieの「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。」という指摘に関しては、もっともである。本来、科学は人間の「世界はどうなっているのか」という好奇心に基づいている。先人の知恵として積み上げられている科学の成果は、我々の生活を格段に便利にしてくれる。しかし、その科学技術の成果はいかほどにも利用できる。 同じことが、枯葉剤の開発にも一脈通ずるものがある。アーサー・ガルストンはアメリカの植物学者として、植物の成長を助ける方法の研究者であった。彼はトリヨード安息香酸(TIBA)という大豆の開花を早めるホルモンの合成に着手するが、これは濃度を高めると落葉を促すものでもあった。同時に、細菌兵器を研究する科学者がこの薬品に目をつけ、化学兵器を作り出した。オレンジ剤と呼ばれたそれは、ベトナム戦争で枯葉剤として実際に使用された。 米軍が枯れ葉剤を使用した目的は、解放戦線の隠れ家であるジャングルを壊滅させ、解放区で作られる農作物を汚染して食糧を奪うためだった。だが事態はそれに収まらず、その影響で無数の奇形の子供たちや成人の健康被害までもを生み出してしまった。放射線に関する技術に限らず、技術が悪用されてしまった例は枚挙にいとまがない。 一方で、科学技術が悪用されるおそれがあるからといって、一切の研究・開発を止めたらそれは如何なものか。科学技術の開発が脈々と続けられてきたのは、その成果によってもたらされるメリットがデメリットを上回るからである。人類は、生活をより豊かにしようと不断の努力を続けてきた。その営みを途絶えさせてもいいのだろうか。 P. Curieの意見は、性善説の考えに基づいている。人は本来は善であるが、それでも悪が善を覆うことがある。それでも「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだす」ことを期待したP. Curieの思いを、現代の我々が忘れてはならない。 <参考文献> "かれは‐ざい【枯葉剤】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge-com.hawking1.agulin.aoyama.ac.jp , (参照 2022-10-17) ----
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