放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group08` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- 先週の参照した科学者の予言は原子核の持つエネルギーの利用方法がわからない時代に述べられたものであったが、今回はすでに科学の研究成果が悪用されたのちの時代の科学者の意見を聞いて、研究によってこの世の未知なる物事を解明していくという純粋な目的を持った科学者たちの成果がその本来の研究目的とは大きく異なる形で利用されうることに彼らはむなしさを感じているように感じた。また、科学者の研究結果が彼らの意図に反して様々な思惑を持つ人々によって利用され、結果として環境や人々に損害を与えてしまったことにより、純粋な目的をもって研究に取り組んだ研究者たちが責任を感じ、自らの活動に否定的になってしまうことはとても悲しいことであると感じた。そして、「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」というキュリーの言葉からは、今後の世界をよりよくしていく可能性を持つ発見を、良い目的のみに使ってほしいという全人類への切な願いが読み取れる。 ---- まず、「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。」という言葉に対して、確かに疑問点になると感じた。物質や自然に対して知識を深めていくと、良い面も悪い面も見つかる。良い点を私たち人間のために活用することはよくある。しかし、人間にとってはいいかもしれないが環境やその他の動物にとっては悪影響になりうる。実際に人間が自然を、環境を変えてしまっている。果たしてこれは良い点と捉えられるのだろうか。人間が自分たちの利益ばかりは追求しているだけだ。また、悪い影響を与えると知っていて、それを使うときもある。例えば戦争だ。物質の性質や効力を学び、研究や実験で成功して、それを実践に移す。もし人間が研究しなかったら、絶対に戦争は起こらなかったとさえ言えると思う。秘密をあばくことで、人間にとって利点になることも多くあるが、悪い点も見つかるためそれをどのように扱うかは人によって異なる。結論、制御できるのは人間しかいないため、新たな情報を見つけて、それを利用することは良いと思うが、使うことによってなにが起こるのか、なにが変わるのか、変わったあとをどうするのか、全てを考えてから行動に移すべきだと考える。 ---- 前半の部分を読んでいる時、私も自然とノーベルのことを思い出した。人のためになると信じて発明したものが人を傷つけるものとして使われるようになった時、彼はどのような気持ちでその事実を受け止めたのだろうか。キュリーはそのような前例を受け、発見した放射線が悪用されうることを予感しているのがわかる。また、そのようなことがあるかもしれないのに研究を続けることが本当に正しいことなのか自問している。しかし、最終的に彼は人間の善の心を信じることを選んでいる。今を生きる私たちはその思いあるいは願いを無下にしてはならないと思う。要するに、放射性物質を悪用するような核ミサイルなどの兵器をもうこれ以上使わない作らないようにしなくてはならないのだ。 ---- 私は、P. Curie, 1903ノーベル賞受賞講演を読んで、大半の部分に賛成することができるが、「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」この部分に限り、やや否定的な感情を抱いてしまう。なぜなら、私が思うに、どれほど善意の意識の高い人間であっても悪意がゼロにはならないからである。誰しもが持つ好奇心は時におかしてはいけない罪に繋がってしまう。ノーベルの発見は確かに多くの命を奪いための兵器として使われてしまった。このような使用方法を考えてしまった人がいるからだ。他の発見についても、別の用途に、悪意のある使用方法を考え出してしまう人は必ずいる。考えずとも好奇心で発見してしまうこともありうる。人を救うための使用方法が考えられたとしても、それは悪意ある使用方法が見つけ出されてしまった瞬間、その影に隠れてしまい、意味をなさなくなってしまうのではないかという考え方を否定することができない。 ---- P.Curieの言葉を聞いて、まさしく事前課題を取り組んだ際に考えていたことだと激しく共感した。ノーベルは人類の発展のためにダイナマイトを発明したのにも関わらず、爆薬として使用され、多額の利益を受けた。そして彼は、「死の商人」と批判を受けた。ノーベルは「遺産は人類のために最大たる貢献をした人々分配されるようにする」と遺言を残した。またキュリー夫妻も同じく人類の発展のために研究していただろう。過去、現在の科学者もみなそうであるだろう。人類の発展のために偉大なる貢献をしたのにもかかわらず、人類を殺す方向に利用されてしまうのではないかという危惧が言葉全面から伺える。実際、科学の発展に伴い、兵器も進化している。一方で、科学の発展により、医療分野も発展し、以前は救えなかった命が現代では救えるということもある。我々は科学を人を殺す、痛めつけるためではなく、人類を救う手段としてのみ活用するにはどうしたらよいのか。キュリー夫人は、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる者です。」と述べているが、120年近く経った今でも、彼女が信ずる未来は見えていない。むしろ彼女が生きた時代よりも深刻になっているかもしれない。これは我々人類の永遠の課題なのかもしれない。 ----  私も、「強力な爆薬は、人間に驚くべき仕事をなしとげさせてくれました。国民を戦争に導くような大罪人の手に渡れば、恐るべき破壊手段ともなります。」というものに賛成である。実際にダイナマイトは、普仏戦争でプロイセン王国によって使われるなど、大量虐殺のために使われた。また、太平洋戦争で日本の広島と長崎に原子爆弾が落とされ、多くの人々が亡くなり、そして今でも苦しんでいる人がいる。これだけではなく、強力な爆薬によって被害を受けた人は多くいる。私は、「現在、核戦争が起きた場合、死者は50億人に上る。大気中の煤煙が日光を遮ることで農産物の生産が壊滅的なダメージを受け、世界的な飢饉による犠牲者は核兵器爆発による死者数をはるかに上回る恐れが大きい。」という記事を以前読んだ。このように、強力な爆薬、核が使われると、深刻な問題が発生し世界が破壊してしまう。以上のことから、強力な爆薬が、大罪人の手に渡れば、恐るべき破壊手段ともなると考える。  そして、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」というものに私もそう信じたいと強く感じる。ダイナマイトも、本来はトンネル建設などの土木工事に使われ、早く・安全に掘削できるとされ多くの需要があった。ダイナマイトだけではなく、科学技術の発達は私たちの生活を豊かに充実させている。科学技術の発展が、生命のために役立つことのできる世の中であってほしいと私も強く願いまた信じている。 ----  この言葉を読み最初に感じたことは、やはり科学の使用において善と悪は表裏一体であるということだ。なぜなら、キューリー夫人の言葉にあるように、発見された危険な物質は、人間に驚くべき仕事をなしとげてくれる一方で、恐るべき破壊手段ともなるからである。そのような危険性もあるが、キューリー夫人は「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」述べ、科学の発見を前向きなものと捉えているのではないかと考える。しかし、キューリー夫人は信じると言っているだけであって、悪のものとして使用されないという確証はないようである。そのようなあやふやな感じであると、悪い結果をもたらすことになるのではないか。今回の講義で学んだように、ラジウムが発見された後、労働者階級の女性たちが危険なものと知らずに、口にしてしまい死亡するという事故が、実際に起こってしまった。このことから、「信じる」という言葉は科学の世界においては、不適切な言葉であるのではないかと考える。 ---- ノーベル賞を受賞した段階で恐れていた悪を人間は犯してしまい、本来人間の生活を豊かにするべく発明されたものが今では原子力といえば人体に被害を及ぼすという印象が強くなってしまっている。このことから結局人間は自分の利益のためなら悪に負けてしまうのかなと感じた。また使い方を間違えれば他のものを傷つけてしまう恐れがあるものをノーベル賞にするのは良いことなのかとも考えた。もちろん使い方によってはより良い世界を作ることができるため科学者にとっては有意義な発明であるが、権力者にとっては最終手段として武力を使う際に悪用する危険もある。そのためノーベル賞として大々的に公表するのではなく科学者が知るだけではダメなのかと思うからだ。 ---- わたしは、人間が自然の秘密を暴くことは、有意義であり、役に立つと思う。原子力も、発電という形で使うことに成功している。しかし、原子力が人間にとって災いであるということもその通りである。私たちがすべきことは、悪の使い方を考えることではなく、善の使い方を考えることであり、そのために勉強をする必要があると思う。 ---- 科学技術が発達し、人間が自然の秘密を暴いていく中で、技術を利用する前の用意とその知識によって生じる危険性についての示唆が100年以上前から行われたことが科学者の言葉からわかる。この発見から現代に至るまで、放射性物質を用いた様々な科学技術が利用されてきた。「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」とあるが、私は人類が現代までにおいて放射性物質の善の部分が悪にも増して引き出したとは言えないと思う。なぜなら、原子力発電による廃棄物処理や、原子力発電所の事故と原子爆弾による多くの被害など、医療分野や工業分野での利点以上に人類の用意不足による問題が多く生じてきた。技術の危険性は理解していても、それがいつどこで、どのような形で生じるかを理解できていない結果だと言える。だからこそ、今一度技術の扱い方を見直し、技術発展が必ずしも人類の生活を豊かにする手段とは限らないことを考える必要があると思う。 ---- 私は人間が新しい知識を見つけ、進化していくことはとても重要だと考える。確かに、人類は自らの手で自らの住処を壊すことのできるものを生み出してきた。ラジウムだけでなく核もその典型例だろう。人類がそれらを生み出すということは、生活の質を向上させる等、それらを生み出す何らかの背景があったに違いない。時には、依存することもあるだろう。だからこそ、規律と自覚が必要だと考える。悪の手に渡ることはあってはならないが、それを完全に防ぐことを前提にしていては何も始まらないと考える。 ----  Curieの言葉を聞いて、科学・技術の発展には、必然的に良い点と悪い点の両方が必ず伴うと考えました。さらに、悪用しようという意図がなくても結果的に悪い影響が生じてしまうこともあるのだと思います。まず、原子核、そして、ダイナマイトの両方とも我々の生活を豊かにし、そして発展させました。しかし、その反面、核兵器や爆弾といったような方法で使用する人々が現れます。ですがそれは普通のことだと考えます。なぜなら、我々が生活していく中で、既存のものを普段とは違った方法で試したり、既存のものをより良いものに変えようとすることと同じように必然的に起こってしまうことであり、結果として核兵器や爆弾などができてしまったに過ぎないからです。次に、悪用しようという意図がなく、結果的に悪い影響が生じてしまった例として、自動車などによる排気ガスが例として挙げられるでしょう。排気ガスは、地球温暖化の原因の一つではありますが、意図的に環境破壊をしようとして出てきたものではありません。このように、科学・技術の発展に、良い点、悪い点の両方があることは当たり前であると考えます。 ---- 私は人類が自然の秘密を暴くのは有意義ではないと考える。人類の範囲以上の力を持ってしまうと、誰も止められなくなり、最悪の事態を迎えてしまう。確かに自然の秘密を暴いたことによって人類にのとってプラスに働くことがあるかもしれない。だかしかしそれは現実とは程遠く、とても難しいのが現状である。よって私は人類が自然の秘密を暴くのは有意義ではないと考える。 ---- 科学者の言葉を聞いて私もキューリの意見に賛成である。昔から科学者は自分の探求している結果のみならずその結果から次から次へと自然の仕組みを解明していった。そのため、私たちは多くの知識を得ることができる。しかし、一方で危険にもさらされている。安倍元首相を殺害した犯人は自分で銃を作ったり、国家的な大きさで言えば、ロシアが原爆を落とそうとしたり、北朝鮮がミサイルを発射したり、科学者によって明らかにされたことが武器に使われていることも忘れてはいけない。だからこそ、自国を潤すエネルギーとして利用していくべきだと感じた。 ---- 自然の秘密を暴くことによって得られた知識が悪い方向に使われてしまうことを防ぐことは難しいと考える。放射線物質が発見されて現在に至るまで、塗料としてラジウムが使われたことで多くの人が癌になってしまったりなどの弊害がいくつかあったことは事実である。しかし、キュリー夫人の発言通りそれ以上の恩恵を人類にもたらす結果となっている。仮に放射線物質が発見されなかった場合の人類にとってのデメリットの方が確実に大きいことが21世紀から見てわかる。 また、この発言からキュリー夫人の研究に対する覚悟と情熱、苦悩を読み取ることができる。今自分たちが命を懸けて挑んでいる研究が後々人類を滅ぼすかもしれない、多くの犠牲者を出すような事件に利用されるかもしれない、このような不安感は研究者に付きものなのかもしれないと感じた。このような未来への不安は前回のソディーの発言からも読み取れたことだと気づいた。 ---- この資料を読んで考えられる視点は大きく二つあると考えます。  一つは、科学者の発見は悪であるという視点です。「悪」というととても言葉が強く聞こえてしまいますが、科学の発展は時に戦争を引き起こしてしまう危険なものでもあると私は感じました。21世紀を生きる私たちは日々科学に支えられて生きています。ITや医療をはじめ科学の発展があったからこそ救われた場面というのは多く存在します。しかしその反面、科学は人を傷つける凶器にもなり得ます。原爆や兵器、ガスや公害などあげればきりがないほど科学は人を殺し傷つけてきました。そんなふうに傷つける存在になってしまうくらいならばいっそ見つからない方がよかった、科学や高度な技術がなくても人間は生きていくことはできるのだから発展なんてしない方がよかったんだという考えが一つの視点です。  もう一つは科学の発展がどんな影響を人間に及ぼしていたとしても結局は人間がどう科学を利用するかなのだから科学は正しく善いものであるという視点です。私はこちらの視点の方が共感できるなと感じました。科学に限らず全てのものは人間がコントロールすべきものです。逆に言えば、コントロールできないものは人間が手出ししてはいけない領域だと私は考えています。人間が発見したものがどれだけ莫大な力を持っていたとしても、もしこの世界に善良な人間しかいなければその力を正しく利用して役立てることができると考えます。キュリーさんの「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずるものです。」という言葉にもあるように、私たちには知性や理性が備わっています。本来ならその力や発見をコントロールしていくだけの能力は備わっているはずです。しかしそこに権力や利益が絡んできてしまうと人間は間違いを犯してしまいます。それでも間違っていることは間違っていると言い続ける人の方が多く、戦争よりも平和を望む人の声の方が大きければ世界は正しい方向に進むとキュリーさんは伝えたかったのではないかと推測しました。  二つ目の視点の箇所でも述べた通り、人間は自分たちが理解することのできない領域にまで手を出してはいけないと思います。科学においても、これ以上は危険だと思えばそこで手を引く。探究心よりも平和を追求する気持ちを科学者にも持って欲しいなと考えました。   ---- 私は人間が自然の秘密を暴いていくことは有意義であると考える。例えば放射線についての知識がなかった場合について考えてみる。もし放射線について何も知らなければ、原発事故の時体調不良になった原因はわからず、祟りや呪いなど科学的根拠のないものが原因になっていたかもしれない。そうなれば体調不良について根本的解決ができず、未来につなげることはできなかったであろう。それゆえ自然の秘密を暴いていくことは人間にとって有意義である。しかし人間にとって災いとなる可能性もある。使う人の手によって災いへと転換される可能性もあるため危険性も十分にある。それでも、自然の秘密を暴いていくことは重要である。 ---- ノーベルやキュリーの発明や発見によって結果的に多くの命が奪われたかもしれないが、彼らのおかけで社会は著しく発展した。そのため科学で自然の秘密を解明することは有意義であり、キュリーの言うように、科学の力を悪ではなく善の方に使うことが大事だと思った。 ---- 人間が新たな発見をすることで今日まで進化をしてきた。だがしかし、その発見が必ずしもすべての人々を豊かにしているかというと、そうではない。今回の講義で扱っていたラジウムをはじめ、原子核を利用した原子爆弾などの危険なものも、新たな発見によって生み出された。決してその原子核が悪いのではなく、それらを悪用しようとする人間の心が悪い。これから先、さらに多くの新たな発見がされていくことは間違いない。そこで重要なのは、それらの発見を悪用しないことだ。そのためには、政府などが扱い方をしっかりと制限して、幸福のために利用するべきだと考えた。 ---- ピエールキュリーはもちろん発見した時点で既に、危険なもので犯罪に使われる可能性について理解していた。前回の「予言した科学者の言葉を聞いて考えたこと」の他の人の意見にも何故危険とわかっていて研究をするのかというような意見があったが、「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くことは有意義なことなのか。」とピエールキュリー本人の言葉にもある。このように言っているにも関わらず研究を続けるのは何故なのか少し気になった。 二枚目のスライドの言葉について、ノーベルがダイナマイトを発見したことで工事で使われるなど役に立ったこともあったが戦争で使われたことを挙げている。このように悪い前例があるにも関わらず、同じ過ちを繰り返すことは良くないと思う。太平洋戦争で原子爆弾が投下された実例や、現在いくつかの国が核兵器を所有し他国に恐怖を与えていることから、この時にピエールキュリーが言ったように恐るべき破壊手段となりノーベルの二の舞になってしまっているのが現状だと考える。前回の科学者の言葉同様、科学者が恐怖を警告しているにも関わらず、その通りになってしまっている現状は改善するべきだと考える。折角科学者が研究して得た科学の進歩がこのように悪い方向で使われてしまうことは本人も全く望んでおらず、役立つような良い方向で使用するべきだ。 ---- 事前課題と答えが似通ってしまうが、宇宙の真理を整理することが不利益を生むことになっても、探求自体は常に有意義なものだと思う。なぜならば、知ることで人間に不利益を及ぼすような真理があったとしても、「どんな不利益があるのか」を知ることが進歩だと思うからだ。知らなければ対応を考えることすらできない。 そして、人類は手にした新しい技術を悪用することなく役立てる準備ができているのか、という点には「軍事力以外の場面であれば可能」だと考える。基本的に、人間は制度を作り自らを縛ることで、科学技術の利用を制限し、人間が扱える範囲に留められるだろう。しかし国際社会の取り決めは(たとえ国連のような多国間枠組みであっても)強制力を持たない。そして軍事力は、他国を強制的に従わせる力という意味での国力に直結する重要な分野だ。したがって、核兵器に代表される軍事分野の科学技術に関しては、『悪にもまして善の方を引き出す』ことは実現しないと思う。だからこそダイナマイトが現代でも悪用され続けているのだ。そして、制度の限界にこそ科学者の探求力を活かすべきではないだろうか。ダイナマイトや核兵器を使うことによって起きうる損害、不慮の事故などを正確に予想し、政治家に客観的な事実を届けることで抑止になるのではと思った。 ---- ノーベル賞という名誉ある賞を受賞したならば、人々の生活をさらに良くするだろうなどと前向きに考えるのかと思いましたが、ノーベルを例に挙げて人間がラジウムを使用することで災いをもたらす恐れがあるという可能性を述べており、今後の使われ方に危機感を持っていることに驚きました。 また、彼は最後に「人類は新しい発見から善の方を引き出すであろうと信ずる」と力強く述べていることから、人間が自然の秘密をあばくのはやはり有意義であるのだというメッセージを私たちに強く訴えかけているのではないかと思いました。 ---- 放射性物質の発見は悪いことではないと私は考える。しかし、それが実際に良い発見であったか悪い発見であったかは今後その技術を使う人間よると思う。どんな発見もメリットもあればデメリットもあると思うからもっと正しい使い方を広げていけばよいのではないかと考える。 犯罪者の手に渡らないように厳重に管理して使用していくこともしっかりと考えていかなければならないと私は考える。 ---- 私はこの文章を読んで前回学んだソディーらと同じような意見であるように思った。、Curieが2段落目で言っているように、どんなに強大なものでも使い方次第では人間にとって有益なものになり、逆に凶悪な人間の手に渡ってしまえば非常に悪い状況に陥ってしまう。この意見には大いに同意だ。ここでソディーらと異なる点はCurieは人間なら善の方向に使うことができるということを信じている点である。この意見に私は反対だ。なぜかというと、最近では強大な効力をもつものを良い効果を生み出すために使っている例をあまり見ていないからである。例えば、ロシアは核兵器を戦争に持ち込もうとしていたり、北朝鮮は大量にミサイルを発射したりと放射性物質が害を起こすような使い方が最近では多いと感じている。もちろん人間が善の方向に使ってくれると信じたい気持ちもわかるが、私は現実的に考えてそれは難しいと考える。 ---- 前回の課題の二人の科学者の言葉と比較する視点で述べると、かなり共通していると思った。例えば、前回の科学者たちは核のエネルギーを扱うものは破壊の目的ではなく楽園にするために使うべきだと警告と期待を寄せている。同様にキュリーも自然環境や平和を破壊する目的に使われることを非常に危惧しており、同時に人間は善へと導く使い方ができるはずだと信頼している。確かに両者は核エネルギーについてわかっていることの差があるが、思いは共通している。 現代を生きる者の一人としては、キュリーが人間に対して寄せる信頼を裏切っているように感じた。核エネルギーは兵器に応用され人々の安全を脅かすものに変貌してしまっている。そうしたのは人間であり、キュリーが言っていたように「善の方」のみを引きだしていないからだ。 ---- 「いったい人間が自然の秘密をあばいていくのは有意義なことなのか」という疑問が挙げられていたが、確かに科学者によって新たな物質が発見されていくことで、その物質が悪用され、生活が脅かされるケースが考えられるため有意義であると断言はできないが、ダイナマイトが人々のより豊かな生活に寄与したように、暮らしを豊かなものに変えることができる物質が解明されていくという意味では科学者の研究にはちゃんと意味があると思った。 ---- 私は、Piereの発言に対して、2つの視点から考えを述べる。 1つは、人間が自然の秘密を暴いていくのは有意義な事なのだろうかということに関してである。 私自身は、自然の秘密を暴いていくことは有意義な事だと考える。これまで人間は自然の未知なる部分を明らかにしていったから、寿命が延び、災害へ備えられるようになり、様々な病に対立できるようになった。自然の秘密を暴いてきたからこそ、人間は可能性を広げ、豊かな発想を現実にしてきたのではないかと考える。確かに、後述するように、自然の秘密を暴いていくことは危険と隣り合わせになるという側面も含んでいる。しかし、だからと言って立ち止まらずに、前に突き進んできたからこそ、文明は築かれてきたのではないだろうか。たとえ自然を暴くことが災いを導いたとしても、それを上回る技術をモノにできるのが人間だと考える。 もう1つは、Piereが人類は新しい発見から善の方を引き出すと信じていることに関してである。 私自身も、人間は新しい発見を善の方向へと役立て、更なる発展のために利用する存在だと信じたい。しかし、悪の側面が思いついてしまう以上、発見を善の方向だけに有効活用するというのは不可能だと考える。なぜなら、人間の倫理観や理性というものは非常にもろく、時に私利私欲に負けてしまうものだと考えているためである。残念なことであるが、どうしようもない事実として私たちは受け止め、どんな新たな発見にも必ず善悪両面が潜んでいるということを心得ておく必要があると考える。 ---- 私は自然の秘密を暴いていくことは非常に有意義であると考える。なぜなら今の我々の生活は自然を暴いてきた結果であると思うからである。しかしその威力は想像以上であり、利用の仕方を誤れば非常に大きな凶器となる可能性を秘めているものも多い。そのため自然の秘密を暴き、何も考えずに利用することがないように注意すべきであるとも思う。ピエール・キュリーがダイナマイトによって使い方によって危険性があると理解していたと想定できるにもかかわらず放射性物質を発表したのは、その出来事から学んだことで人間がまたこれを悪用することはないと信じていたからであると感じた。しかし現代でも核兵器をはじめ、自然が悪用されているものは尽きない。便利になる反面、人の命や生活を脅かす悪事に使用されることが一つでもあるのなら、自然の秘密を暴くのは良くないのかもしれないと感じる。 ---- 私は今回の資料を読んで、サッチャー元大統領の「核兵器を持たない世界なんて、全人類にとってより安定を欠いたより、危険な世界になるだろう」という言葉を思い出しました。もちろん核兵器や放射線などの存在自体は危険なものかもしれませんが、それによって保たれてる均衡や安全もあるのかなと考えると、一概にそれらが悪いともいえないのかなと感じました。 ---- この発言は前回の予言に比べて研究者の気持ちが表れていると感じました。 「人間が自然の秘密を暴いていくのは有意義なことなのか」「役立つ用意はできているのか」「かえって災いとはならないか」などの言葉から研究者は放射性物質の発見が人類にとって大きな変化を与えうることがわかっていたからこそ,自分の研究が世に明かされることでノーベルのダイナマイトのようになるのではないかと不安が大きかったのではないかと思いました。しかし同時に役にたつからこそ放射性物質の発見を発表したのだと思います。キュリーは人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者と発言しましたがこの放射性物質の発見を人類は世に役立ててくれるに賭けたのだと考えました。 ---- まず、犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになるというP.Curieの言葉はまさに通りだと思う。前回の科学者たちの言葉を読んだとき同様、強大な力を持つ新たなエネルギーは私たちにとって文明の利器にも凶器にもなりうるからである。 「自然の秘密をあばいて行く」という事に関していくつか考えられることがある。自然の仕組みを理解していくことにより、人間が生きるうえで有意義な発明を生み出せる可能性がある。しかしそれと同時に、その発明が自然を破壊する原因となってしまう、あるいは秘密をあばいて行くという時点で既に自然を壊しているかもしれないのではないかとも私は考える。前回の言葉同様、得た知識や発見にどう向き合い、どう扱っていくかの人間の行動次第という結論に至る。自然の力を研究し、未知なる発見を追い求めることを人間は何のために行っているのかを一度立ち止まって再確認しなければならない、そしてP.Curieは、人類はその上で正しい道を歩んでくれると信じて、未来の私たちにメッセージを残したのではないかと思う。 ----  ピエール・キュリーの言葉を読んで、彼は人間の怖さを伝え、科学者として自分が行っていることは正しいのかどうか自分に問いかけているように感じた。  前半には「犯罪者」、後半には「大罪人」という言葉を使い、人間は危険な使い方をしかねない、破壊手段として利用しかねないと危惧している。後半の文章で、「人類は新しい発見から悪にもまして全のほうを引き出すであろうと信ずる者です。」と言っているが、新しい発見が本来とは異なる方法で利用されると分かっているからこそ、改めて人間の怖さを伝え、正しい使い方をするように注意喚起の意味も含めて言ったのではないか。  また、新しい発見は科学者にとって喜ばしいことのように思われるが、それがかえって人間に不幸をもたらすことなのではないかと疑問を感じているように思った。前半の文章の「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか、ということです。」という部分が端的に表現されていると思った。自分の発見が人間によって悪として使われてしまうことから、自分の発見は、社会に貢献しない無意味なものではないかと彼は考えていたと思う。 ---- キュリーは「人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか」と、科学の悪用を懸念していた。私は、科学は実際に悪用され、今後も悪用され続けると思っている。その為にも法規制や国際的な条約を通して、その悪用を防ぐ必要があると考えている。 原子核にしろ、原子力発電のように人類の利益になる使い方もあれば、核兵器のように人類の利益を著しく損なう使い方も存在する。この、科学の悪い使い方を規制するルールを、私たち人間が作っていく必要がある。原子核で言えば、殺人能力の高い核兵器の削減、断絶を目的とした核拡散防止条約がそれにあたる。 ----