放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group10` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- P. Curieのこの言葉は、ラジウムの可能性とその危険性の両方を的確に表していると感じました。ラジウムを発見したことで私たちの生活が便利になったことは確かですが、同時に人間にとって災いとなることもまた事実だからです。ラジウムを発見した時点で善悪どちらの可能性も示唆していたP. Curieはやはり素晴らしいと思いました。現代を生きる私たちは、100年以上前に生きた科学者や多くの偉大な研究者たちの成果を享受して生活しています。そんな科学者たちが現代の私たちの科学との向き合い方を見て落胆しないように、正しく役立つように使わなければいけないと思いました。 また、人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのかという問いは、ラジウムの発見に限らず人間の自然との向き合い方を考え直すうえでとても大切なことだと思います。人間は自然がまるで自分たちの物かのように今まで多くの自然を犠牲にしてきました。森林伐採がその例です。人間は森林を伐採することで土地面積を増やし新たな建物を次々と建ててきました。それによる利点ももちろんありますが、森林が減ったことで気球温暖化を引き起こしたり、餌を求めて動物が都市へ山を下ってきたりなど、利点と同じくらいの問題も引き起こしています。今を生きる人間が自然との向き合い方をもっとよく考えなければ、未来の地球は今では想像もできないほどひどい惑星になってしまうかもしれません。 ---- 自然に関する研究は続けていくべきだと考える。紀元前から現代まで、人間は常に自然を利用して、多くの生き物を滅ぼしてきた。前回の講義で考えたような、核の軍事利用は、自然の持つ脅威的な力に味を占めた人々が築いた負の遺産の最たる例であるだろう。ソディやキュリー夫人などの科学者たち自身が、彼らの功績に手放しに喜ぶことをせず、将来を危惧した言葉を遺しているのだから、自然を暴いていく行為は、やはり止めるべきなのかもしれない。しかしながら、科学技術の発展は、そうした悪事への転用以上に、はるかに多くの希望を生み出していると考える。私たちの今の生活は、それ無しでは途端に崩壊してしまうものばかりだ。たとえば医療が挙げられる。ミサイルの高速化への利用や追尾機能により、兵器として重宝されているレーザー光は、メスに組み込むことでより微細な手術を行うことを可能にした。天気予報も、科学技術の発達に伴い精度が向上していっている。電球も、スマートフォンも、パソコンも、それなしでは世に生まれていない。現在でもこれだけ多くの生活必需品が生み出されているが、未来では恐らく更に多くの、まだ知られていない自然に関する知識が増えて、新たな機器も開発されているだろう。同時に、今は出来ないことも、未来では当たり前に出来るようになっていると推測する。そうした未来を迎えるためにも、人間はやはり、自然を研究し続けていくべきだと考える。しかし、キュリー夫人の「それを役に立つことに使う用意はできているのか。」という疑問もまたもっともだと感じる。人間が生み出した技術によって人間や、その他の生態系を壊してしまわないように、研究者・製造者だけでなく、利用者である私たちも含め、全ての人間が科学技術について能動的に学び、それを使うことが果たして適切なのかを慎重に吟味する必要があると考える。 ---- ピエール・キュリーの言う、「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずるものです。」という言葉に対して疑問を抱いた。確かに、ノーベルが発明したダイナマイトは、人間にとって驚くべきほどの大きな功績となったかもしれない。しかし、講義内で述べられていた通り、人間はその技術を戦争という残虐な行為に対して利用してしまった。そのため人間が自然の秘密を暴いていくことは一方では大きな恩恵を人間に対して与えうるが、他方でそれ以上に人間にとって大きな脅威にもなりかねないなと思った。これらのことから、ピエール・キュリーの言う人類が悪よりも善として科学技術を活用するだろうという発言は少し受け入れ難いなと感じた。 ---- この科学者の言葉は、放射性物質の有益性だけでなく、将来起こり得る危険性を危惧できていると思った。現在、ラジウムは私たちの生活に、特に医療分野で大きな役割を果たしていおり、私たちにとって必要不可欠なものとなっている。しかし、その反面、戦争など悲惨な事態を引き起こす手段としても使用されてしまっている。この一利一害の物質を私たちは日常生活に取り込んでしまった以上、上手く使っていかなければないないと思う。そのためにも、この物質は、良くも悪くも使えてしまう多大なパワーを持ったものだいうことを認識するとともに、この科学者の言葉を胸に留めておくべきだと考えた。 ---- 前回の核分裂と同様に、今回も科学の進歩によって人間に悪影響を及ぼすのではないかという問題が提起されている。キュリーはノーベルが開発したダイナマイトが悪い方向に使われているのを見ているからこそ、自分の研究の将来に不安を感じているのではないかと思う。最後の一文には科学者として研究を推し進めるが、将来はあなた達に任せますという未来へのメッセージのように感じた。 ---- 私はこのP.Curieの言葉を読んで、科学の力の危険性を、発見した科学者がどんなに認知していても、その力が学者の手を離れて強い権力を持ったもの、例えば国家などに渡ってしまえば、もはや完全なる安全を保つことは難しいのだと考えた。理由は、この言葉の中にもP.Curieが、自らの発見した物質が人間にとって災いとならないか危惧している内容が含まれており、彼女や、前回の授業で登場した科学者たちも、自分たちの発見が人類にとって善にも悪にもなりえることを理解していたこと、にもかかわらず、世界には核兵器が存在し、現在その兵器が使用される恐怖におびえながら暮らしている人々がいるということだ。彼彼女らの、人間の善性に対する期待に応えられていない現状が悲しく、科学の発展は必ずしも良いこととは言えないのではとも感じてしまった。 ---- ラジウムは現在、医療用や工業品に主に使用されている。強い放射能であるため、がん治療にも用いられる。ラジウムを静脈に打つことで、がんが転移している骨を治療することができる。ラジウムは人類にとってメシア同然である。一方、キュリーはラジウムの悪魔的部分を憂慮している。先程も述べたように、ラジウムはとても強い放射能を持つ。 現在、ロシアは核戦争を起こすのではないか、と囁かれているがその核爆弾の内部にラジウムは使用されているだろう。まだ、人類はラジウムを役に立つことに使う準備ができてなかったのかもしれない。二度も核爆弾の恐ろしさを経験している人類が、また自らの手でその恐怖を生み出してしまう可能性があることは人類の愚かさを象徴している。 私は、キュリーの言うようにラジウムは人類にとっての災いになると思う。 ---- P.Curieの自然の秘密を暴くことを人間が悪に役立ててしまうかもしれないという心配はまさに的中している。彼は人類は善の方を引き出すとしており確かにそういう側面はあるものの、やはり悪に役立てている面が存在するためである。ノーベルの発見である爆薬が戦争に用いられたことを知っているのであれば、P.Curieの心配はするだけ無駄ではないだろうか。もう既に結果として出ていたからだ。その時悪として用いられていたのであれば、今後新たなことが発見されるとして、それも悪用されることは確実である。私たちは科学に頼りきり、新たな発見を私たちの生活に役立てることを切望している。しかしながら、その便利さは自分達の首を絞めることと表裏一体であると考える。私達は新たな発見に喜びと共に、危機感を持つことが必要である。 ---- ラジウムに限らず、強いエネルギーを持つものはすべて良い方向でも悪い方向でも大きな影響力をもってしまう事になるのは避けられない事実だ。 「人間は悪い方向でも使ってしまうかもしれないが、いずれは良い方向に使えるようになる。」という性善説を信じて机上の空論を語るだけではなく、どんなものもプラスにもマイナスにも同じ絶対値の分だけ活躍機会があるので、悪い方向にも使われていくことを想定して共存することを受け入れるしかないと考えている。 ---- 今回のピエール・キュリーの意見は、良い方向で使えば便利なものになると分かっているが、人は必ずいい方向ではないように使用すると推測し、それに対する警告のように思いました。災いや悪となることを確信してるように感じました。そう考えたのは、いい方向に使うと考えているのならば、これからどうラジウムを使っていって、どう世界が良くなるのかを期待しているというような発言になると私は思ったからです。 ---- 世の中が便利で効率的、快適な生活になっている反面で、それらの技術を悪用されてしまうのが現状です。世の中の科学技術を全ていい方面で使用されるのが理想的なことでありますが、これまでの人類の歴史を振り返る限り、そのような世界は望めないといえます。つまり、これから人類が新たな開発をしていく中で気を付けていかなければならないのは、性善説に立って物事を考えてはいけないということです。悲しい現実ではありますが、性善説に立ちなにもリスクを考えずに生活をしてしまえばそれは予想だにしない大きな悲劇を呼んでしまうことになると考えます。 ただ、現代の世の中からして新たな開発を止めるべきかと問われるとそれは止められないという答えになると思います。性善説に立つべきではないと論じるならば危険性を伴う新たな開発は止めるべきであるかもしれないが、現在の環境問題やエネルギー問題からすると新たな開発を行っていかなければ世の中は回って行かなくなってしまいます。ここが矛盾となってしまう点であるかもしれないが、複雑な状況が入り組んでいる現代ではそう簡単に解決できない問題であると考えます。 ---- 資料を読んではじめに感じたのは、ピエール・キュリーが思慮深い人物だということだ。彼は、自分の発見を手放しに喜ぶのではなく、その発見が世界にもたらすかも知れない悪影響に思いを巡らせ、それに対する人類の不安を真摯に受け止めることができている。このような人物はなかなかいないと思う。(多くの人は、自分の発見が客観的に人々にどのように受け取られるかまで考えが至らない) また、自らの経験だけに頼った考え方ではなく、歴史を振り返り(ノーベルの発見が人類にもたらしたプラスの出来事とマイナスの出来事)その上で、今回の発見から人類がプラスを引き出すことを信じていると言った彼の言葉には、聴衆の良心に訴えかける力があると感じた。 科学技術は、使いようによって、善にも悪にもなる。なかには悪に使おうとするモノも一定数いるかもしれない。しかし、だからといって人類が科学技術を使用しないという選択肢を選んでいたら、今の私たちの生活も、私たち自身でさえここにいなかっただろう。(平均寿命はもっと短くなっていたはずだ)そのため、悪用されるかもしれないことを念頭に置きながらも(決して忘れてはいけない)、新しい発見から人類がプラスの側面を引き出すことを信じるのが、科学者として最も望ましい姿勢であり、(そのような姿勢が社会をより豊かにすることにつながる)ピエール・キュリーは科学者の鏡そのものだと思った。 ---- 大きな影響力を与える科学技術が犯罪者の手に渡ることは恐ろしいことである。科学技術の悪用によって今までとてもたくさんの無実の人が犠牲になってきた。人間はこの過去から学ぶ必要がある。この科学者の投げかけている問いもそれを考えていたが故に出てきたのではないかと思う。なので、科学の進歩を止め、これ以上悲惨な事件を起こさないようにするべきという考えも一理ある。確かに、科学の進歩は確かに人間に負の側面にも作用してきた。しかし、同時に、人間がより便利に生活できることにも大いに貢献している。そのため、それを負の側面を出来るだけ抑えて、科学を進歩させるべきなのではないかと考える。人間が100%科学を役に立つように使える準備など存在しない。だからといって科学を進歩させなければ、救えたものまで救えなくなる。なので、負の側面を抑える努力を続けながらも科学を進歩させなければならない。しかし、この科学者は少し無責任なのではないかと思う。それは人間が新しい発見を悪より善の方に使うと信じると言っているだけで、それを実現させる提案を行っていない点である。新しい発見をしている科学者が一番、負の側面に目をむけ、負の側面を解決させることに努力するべきである。 ---- 私はこの言葉を読んで、たしかに自然の秘密をあばいていくことによって、ノーベルがダイナマイトを発見したときのように、善だけでなく悪用されることもあるが、それでも私たち人類は自然を解明し新しい発見をしていくべきだと考える。なぜなら、一つの発見から悪用例よりも数多くの恩恵を私たちは受けているからだ。例えば、前回の授業で習った原子も、悪人によって核爆弾などの兵器として間違った使い方をされてきた。しかし、その後の授業内の課題でX線だけでもあらゆる場面で活用されたことが調べてわかったように、新しい発見は様々な場面で身近に私たちの役に立っているのだ。自然は私たち人間と比べ物にならない力をもっているが故に、その威力に圧倒され破壊や攻撃などマイナスなことで用いられることに目が向けられがちだが、実際はそれ以上の効果や利益を私たちにもたらしいてる。だから私は、言葉にある「人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。」や「この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか」という疑問には賛同できず、繰り返し述べるように災いとなること以上に人類の発展や生活に貢献していると考える。しかしここでは、数の問題ではなく、新しい発見から悪が引き出されていること自体が問題なのではという意見もあると思う。私自身もこの意見には共感できる。いくら人類にとって役立つものがあったとしても、一つでも脅威的なものがあれば、私たちは安心して暮らすことができないと考えるからだ。またその一つが一度の使用で甚大な被害を及ぼすため、利益と不利益のどちらの方が多いかという観点から考えられる問題ではないのかもしれない。しかしそれでも、自然の秘密をあばくと人類に災いを及ぼすからこれ以上新しい発見をするなということは、あまりにも極論すぎると私は感じる。自然を解明することで得る恩恵を受けつつも、悪用された際は真摯に受け止め改善に努めることが、新しい発見をしていく上での人類の責任でもあると考える。 ---- 人間の生活を豊かにするために原子力をはじめとした、科学の力を使用しているはずなのに、それを間違った使い方をしたせいで人々が不幸を被るなら利用を考え直すべきだとわたしは考えるため、この意見に賛成する。わたしたち人間は、リスクを負ってでも暮らしを豊かにしたいのか、それとも安心で安全な生活を求めるのか、それぞれ人によって考え方は違うと思うが、わたしは無理のない範囲で自然や科学の力を使うことは良いと考えるので、強力な科学の力はそこまで必要だとは思わないと感じた。 ---- P.Curieの言葉を読んで、2つのことを考えた。まず1つめは、なぜ彼はラジウムを発見したことを世の中に発表したのだろうかということである。文章全体を通して強い言葉でラジウムの危険性について述べているのならば、むしろ誰にもラジウムの存在を公開しなければよかったのに、と思ってしまった。前回の2人の科学者たちとは異なって、人間にもたらす利益よりも危険性を重要視しているように感じられた。 次に、最後の「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずるものです。」という言葉が深く心に残った。結果として人類は善悪両方の方向を引き出してしまった。彼が危惧していた、大罪人の手に渡り、破壊手段として使われることが現実となってしまった。後世を生きるわたしたちに大きな責任があると思った。 以上の2つのことから、P.Curieはラジウムが非常に強力な力を持っていることがわかっていながら、未来の人類が正しい方法で活用してくれることに賭けたのだと思った。 ---- 前回の2人の科学者の時と同様に、改めて人間の手にかかれば世界が破壊する可能性もあれば守られる可能性もあることがわかった。また、人間が自然の秘密を暴いていくことは有意義なことだと思うけれどそれを駆使する方法をまだ私たちは知らないため、ただただ世界を破壊させていっているのではないかと思った。 ---- キュリー夫人の「ラジウムは、犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになると思われます。」という言葉がとても印象的だった。実際ラジウムは現代社会を生きる我々を支える存在として、医療分野におけるX線であったり、工業や蛍光塗料など幅広く使用されている。しかし、これは目先の利益しか考えていない人がとった行動ではなく、将来性を見据えて社会をより良くしようとする強い意志がある人間が残した努力の証が、今もなお我々の生活に大いに役立っていると言える。これが、犯罪者の手に落ちれば、現代にも残り続ける物は存在していなく、むしろ自己の利益のみに執着し、ラジウムが持っている能力を悪事に働かせることで、東日本大震災以上の被害を世界全体の至る所でもたらす可能性があるだろう。犯罪者であれば、自己の利益のためなら、他人を犠牲してでもラジウムの能力を悪事に働かせようとするので、そういう人にとっては人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことではないと言い切れる。良い側面を持っている化学物質でも、善悪の人間によってそれが我々が生きる社会においてうまく活用できているのか、それとも社会全体ではなく、一部の人間の懐に潜り込んでしまったのか、大きく二局に分かれてしまうため、今後新しい化学物質が発見された際は、キュリー夫人の言葉にあるように「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる者です。」つまり、新発見を悪事に働かせるのではなく、皆の役に立つことに活用する必要があり、これが本来の人間の在るべき姿ではないかと考えた。 ---- ダイナマイトもラジウムも、使い方によって良い面と悪い面がある。 これは前回の議題の核分裂のパワーも同じことが言えると考えました。 また、私にもこの言葉と同じように人間が自然の秘密を暴くことへの不安があり、人間が多大な力を持ったせいで起きた悲劇も知っているため、人間は間違えるという前例があることも知っています。 しかし、この言葉には人類を信じるというシンプルなメッセージが読み取れます。 人類がいがみ合わずより良い方へ進んでいくことだけに自然のもたらす多大なパワーを使えたら、と考えるとワクワクします。 ---- 私はP.Curieの言葉から、科学者たちの科学に対する情熱を感じた。世紀の発見は、それを手にした者次第で世界を良い方向にも悪い方向にも進めるが、科学者たちは未来に希望を持って研究に精を入れているのである。恐らく、現代においても科学者たちは素晴らしい発見をしたときでも、それが与え得る悪影響のことを考えるため手放しに喜ぶことはできないだろう。しかし人類を明るい未来へと導く可能性のある科学を研究していることを、誇りに思って欲しい。それと同時に私たちも科学者たちに対する敬意の念を忘れてはいけないと思う。 ---- 資料を読んで、人間が自然の領域に入りコントロールするのは確かに難しいのだと思いました。ただ、難しいからといって人間が科学を捨て生きていくのが正しいとは思いません。科学を悪用する人たちに責任があり、善として使っている人たちが責任を負う必要はないからです。そのため、私たちが扱うことのできる科学との線引きが必要なのであると考えます。 ---- 私は基本的に、キュリーの考えに賛成する。科学技術の発展や新たなものを見つけることは、人類の進歩に貢献しうるため、どんどん開発していくべきだ。確かに、犯罪者やそれを悪用しようとする人の手に渡ったら、人類を脅かすことにも繋がるかもしれない。だが、悪用を恐れて科学技術の進歩を抑制しても、既存の技術を悪用される恐れもある。人類が、自動車を開発したことで、交通事故によって失われる命もあったが、それによって経済を発展させ、さらに救われる命も生み出した。科学技術の進歩は、直接でなくとも間接的に命を救うことがあると思う。故に私はキュリーの考えに賛成し、科学技術の進歩を望む。 ---- 科学者の言葉を聞いて、新しい発見をする科学者たちは多くの責任を負わなければいけないこと、その覚悟のうえで私たちにその有能性を教えてくれているということが非常に強く伝わった。ノーベルの例を出しているように、新しく発見したダイナマイトは多くの利便性を我々に提供してくれた。その一方でダイナマイトは戦争に使われ、多くの命を奪い、深く人間の心や体を傷つけた最悪な凶器となってしまった。そう考えてしまえば、ダイナマイトをこの世界に紹介したノーベルに責任があると、そう思う人もいるだろう。しかし今回放射線物質がダイナマイトのように莫大で、そして危険性を持つエネルギーであることを承知の上でこの科学者はその発見を世に知らせた。そこには相当な覚悟、葛藤、責任があったに違いない。もし放射線物質がまたノーベルと同じように悪用されてしまったら、放射線物質を人間に与えてしまった科学者が悪いと言われてしまうかもしれない。さらに多くの人間や他生物を傷つけ、この世界までを破壊してしまったら多くの責任と後悔を被るに違いない。それでも人間の手に託したということは、葛藤、覚悟、責任を考慮した上で、私たちを信じているのだと感じる。人間は自分たちの利益ばかりを考えて行動してしまう。その結果としてダイアナマイトが戦争に使用されてしまった。しかし人間は一度過ちを犯したら、そこから反省し、今後のために生かしていける生き物でもある。ダイナマイトによる大きな過失があるからこそ、私たちはその過去をまた繰り返さないように使用していくだろうと期待も込めて放射線物質を私たちの手に与えたのだと感じた。だからこそ私たちは正しい方法で、そして未来の生物、人間、地球のためを思ってリスクを軽視せず使用していくべきなのだと考える。便利なものを与えられた時点で、人間は手放すことは不可能である。だからこそ悪用しないように、そして過去の過ちを忘れないことを意識していくべきだと感じた。 ---- この意見はある1つの発見のいい面・悪い面のどちらにも言及しているという点で現代にも通ずると考えた。ここではノーベルの爆薬を例に挙げているが、この講義のトピックである核や原子力に置き換えると、原子力発電により人々に恩恵を与えたが一方で核兵器という形で悪用もされた。また、知識をどう使うかが重要だというメッセージも科学の発展がますます進む現代の我々が肝に銘ずるべきものだ。 ---- 私はキュリー夫人のこの言葉を聞いて、高校生の時に授業で習ったフリッツ・ハーバーを思い出しました。フリッツハーバーは優れた科学者でしたが、農薬の開発によって多くの人を飢餓から救う一方でナチス政権下で毒ガスを開発して多くの人々の命を奪いました。 彼は科学というものは使い方次第で正義にも悪にもなり得るといった例になる人だと思います。キュリー夫人もノーベルの発明を例にして同じことを言っていますが、私は、ノーベルとともに、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」という部分は少々楽観的・希望的だなと思いました。 ---- 我々一般市民から見れば、放射線という科学技術の恩恵を受け、戦争に使われようものなら声を上げて批判することができ、正解は当たり前のように言えるかもしれないが、国を動かしている立場の人間は、この技術を持ってでも国民を守らなければならないと判断せざるを得ないことだってあると思う。また研究者から見れば、キリスト教の立場だと、自然の秘密を暴いていくことは神に近づき神を知ることに必要なことであるという主張もあると思うので、研究は尊いものだともいえる。 ---- 私も科学はデメリット以上に人間にとって大きな利益を生み出してくれると信じている。なぜなら、人間の暮らしを豊かにしたのは紛れもなく科学の進歩であるからだ。前回の授業で核分裂に対する2人の科学者の意見を聞き、使い方次第では善にも悪にもなりうることを強く感じた。しかしながら、科学の実用例を調べれば調べるほど、私たちが当たり前のように利用してきたものが科学に支えられていることを知った。医学がここまで進歩してきたこと、手荷物検査など、より迅速で正確な防犯を行えるようになったことなど、私たちの暮らしの隣には常に科学がある。どれもが、先人達が研究を重ね発見したものであり、それにより今の暮らしが豊かになっている。もちろん、時には人間に害をなす使い方がされる場合もあるが、それ以上に人間を豊かにする力を持っていると私は考える。私は人間がその豊かさだけを享受し、悪い方に進んでいかないことを信じている。 ---- たしかに、放射性物質は使い方ひとつ間違えるだけで、人体にまで影響を及ぼす恐るべき破壊手段ともなりうるが、正しい使い方ができれば、人類を大きく進化させる偉業を成し遂げることが期待できる。キュリー夫妻が、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずると言っているが、私もこの言葉にすごく共感した。これほど画期的な発見を悪用して無駄にすることなく、有意義に力を発揮してほしいと思う。 ---- 私はキュリーが最初に述べているように、人間が自然の秘密を暴いていくことがかえって災いになる可能性は十分にあると思った。ノーベルの例もそうだし、また自然に限らず現代様々な技術が開拓されており、その技術たちは多方面で人間を助けている。その一方でそれを悪用する人も少なからずいるという事実を私たちは見て見ぬふりをしていると思う。これからも技術は発展していくべきだという考えは一般的だと思うが、完全にそうと言い切ってよいのかは考える必要があると思う。ただ、確かに新たな知識によって人間の生活は格段に変化したし、悪いことだけではない。「悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる」という言葉の通り良いことに目を向けて前向きになっていくことも大切だと思った。 ---- 私はこの言葉を読んで、まさに、原発による事故が多数起き、多くの被害が生まれてしまった今の状態を予言しているように感じた。特に、「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。 この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか、ということです。」という文章が印象に残り、その通りだと思った。人間が自然の秘密をあばいていったために生まれた科学技術によって、人間の生活は豊かで便利なものとなり、有意義だと思われがちであるが、それと同時に取返しのつかないことも起きていて、後戻りできないところまで来てしまったと思い知らされた。また、原発に関しては、役に立つことに使えたものの、後のことまでは考えず、事故が起こるかもしれないということまでは想定されていなかったがために、Curieが言ったように人間にとってかえって災いにもなってしまった。そして、その災いは様々な場所で何回も起こり、被害者の方はたくさんいて、事故の処理には驚くほどの年月を要する。今のことだけではなく、後世のことまで考え人間にとって災いとなってしまわないかということ、そして市民も知的武装を持つことが必要だと考える。 ---- 私は「いったい人間が自然の秘密をあばいていくのは有意義なことなのか。」と言う言葉を聞いて、たしかに自然の秘密を暴かなければ起きない事故などもあると思うが、それをうまく使うことで良い方向に導くこともできると思うので、自然の秘密を暴くことは有意義だと思いました。つまり、自然には良い方向へと導く力もあるが、それと同時に悪い方向へと導く力もあると考えました。自然はいい意味でも悪い意味でも大きな影響力を持っています。その力をいかにうまく活用するかが大事になってくると思いました。上手に使うためにも私たち人間は自然についての理解をさらに深める必要があります。いい点と悪い点のどちらか一方を理解するのでは十分ではないため、両方を理解し、使用する際は最悪の状況も想像し、それを対処する方法を備えてから使う必要があると考えました。 ---- 私は科学分野における新たな発見は人類の発展を大きくサポートしてくれると思います。単純に機器に対する行動の選択肢が増えるという理由でもあります。しかし新しい発見が悪に利用された時の方がインパクトや話題性が大きくなるため、自然の秘密を暴いていくことは悪とされがちです。なぜなら「結果」のみが大きく報道されるためです。悪い内容はさらなる批判や噂付きで広まっていきます。ラジウムやダイナマイトの発明はなんと言ってもこれまでの人類の発展に貢献してきました。また、何を持って使い方の「善」と「悪」を分けるかが重要ではないでしょうか。例えば、原子爆弾。多くの人々の命を奪ってしまうことはもちろん悪です。一方で、相手を牽制することで国民を守るという意味では善と捉えることはできないのでしょうか。私は原子爆弾を肯定したいわけではありませんが、使用方法によっては悪とも言い切れないのではと思いました。 ----
×
Sign in
Email
Password
Forgot password
or
By clicking below, you agree to our
terms of service
.
Sign in via Facebook
Sign in via Twitter
Sign in via GitHub
Sign in via Dropbox
Sign in with Wallet
Wallet (
)
Connect another wallet
New to HackMD?
Sign up