核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group01` # 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ---- Rutherfordは原子核エネルギーがとてつもなく大きなエネルギーであることを予見していた。実際、原子核エネルギーは現在人々の発電力として人々の暮らしを支える一方で、その強大すぎるエネルギーを軍事利用して人々の生活を脅かすという二面性を持っている。一方、Soddyは将来原子核エネルギーがどのように世界に影響を与えるかについても言及している。彼は「そうしようと思えば地球を破壊することもできる武器を所有するのは、レバーに手をかける人間だろうが、本来けちな性格の人間は、そのレバーで、蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するのである。」とまだ原子核エネルギーを取り出せないときから、人間がこの大きなエネルギーを規制することを予想していた。確かに、今でこそ規制しているイメージが定着しつつあるが、現代に至るまで人間は規制はおろか取り返しの付かないほどの悲劇、具体的には核実験、戦争、原発事故などを経験してやっと原子核エネルギーの危険性を実感している。しかし、本当に原子核エネルギーは規制されているのか、我々が住んでいる日本がたまたま被爆国で、核兵器を保有しておらず、3.11の福島第1原発の大事故があったから国民の多くが原子核エネルギーを規制した方がいいという認識を持っているだけなのではないかと思うことが多々ある。実際今でも日本国内では原発は稼働しているし、周辺国では核実験が行われており、つい先日核ミサイルが日本上空を通過して太平洋に落ちたばかりだ。過去には第三次世界大戦が起こるとしたら、核戦争になるとも予測されている。Soddyは「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」とも言っている。確かに、原子核エネルギーは強大である、しかし、仮に人間がこのエネルギーを制御することができたとしても、世界全体をほほ笑みのエデンにするのは不可能だと思う。 ---- この考察を読み、私は核心をついていると感じた。要するに(特にソディーの文面からは)現時代の核の傘の問題を示しているように感じられたのだ。現在核を保有している国は9カ国ある。例えば、平和を唱えつつも角を手放さないアメリカやフランスなどである。文章から直接表すのならば、レバーに手をかける人間というのが大統領や総理などの国の中心人物であり、その力を規制する、すなわち上に述べたような核の傘を張り合うような今の世界情勢を表しているのだろう。 最後の一文は何より、そんな核の傘を張り合うような国々はたくさんあるが、その中でも核を武器としている国、盾としている国、はたまた核を保有しない国を表しているのだと感じられた。これこそ、核の影響力の大きさと、そこから生まれる恐怖を体現した非常に先の見えた未来の考察では無いだろうか。 ---- Soddyが「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほえみの園エデンにもできる」と言っているが私はこの意見に反対である。理由は、人間は自然を相手に勝つことはできないと思うからだ。東日本大震災で大金をかけて造った堤防が津波によって破壊されてしまい、多くの方が津波に巻き込まれて亡くなったように、どんなに強力な科学技術があったとしても自然災害に打ち勝つことは不可能だと考える。 また、二人の科学者の言葉からは、原子内に潜んでいる莫大なエネルギーの威力の恐ろしさをとても感じる。そして二人は、このエネルギーが誰かによって悪用されてしまうのだろうと予想していると考える。ノーベルが、土木工事の安全性向上のために開発したダイナマイトが戦争に使われて大勢の人々が亡くなってしまったように、素晴らしい科学の開発は同時におぞましい手段になる可能性も秘めているのだと考えた。 ---- ラザーフォードの実験などについて自分でも調べてみました。 彼らが生きていたのが今から約100年以上前ということにも驚きましたが、彼らが残した予言の言葉にも驚愕しました。 21世紀の今わかっていることよりも、遥かに情報量や確かな仕組みがわからない中で、このように核分裂に対して予言を残した2人の頭の中を覗いてみたいと思いました。 しかし彼らの予言は物事をマイナスに捉えずに、良い方向に使われることを祈った言葉でもあるように思います。 ただ、「そうしようと思えば〜 規制するのである。」という言葉は、本当に我々人間の深部を捉えていると言えます。現に、世界はこのような人間たちで溢れかえっているということは事実で、誰しもが実際に生きながら感じていることでしょう。 私は彼らの予言の言葉の中でも特に、「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」という言葉に彼らの真意と願いが隠されていると思います。彼らがもしも今この瞬間も生きているとしたら、世界中に核が広がったことに科学の進行を感じると共に、核が世界の幸せではなく破壊のために使われていることを目の当たりにし、世界に失望したり核を憎んでしまったりするのではないかと思います。 私は、どうしても放射能や核についてあまり良い印象を持っていません。東北育ちで、福島の原子力発電所の一件についても色々と話を聞いたり、人々の暮らしを目の当たりにしてきました。 ただ、それでも放射能や核は私たちの生活の一部を支える大切な存在だと思います。病院などでも、放射線、放射能が使用されています。 私たちは全てを排除するのではなく、正しい使い方、正しい知識理解を持って接しなければならないと思います。 今も、放射能や核を使って相手を脅したり、被害を与えたり、己の保身のために保持していることがあります。 私は、それらのために使うのではなく、世界が幸せになるために科学は「生きるべき」だと考えます。 ---- 核分裂を予言した2人の科学者たちの言葉でも言及されているように、確かに現代では原子力をコントロールできるようになり、原子力発電所が造られたり、核兵器が生み出されるなど、様々な目的において利用されている。 ここで述べられている「物質を変えることのできる国家」とは、まさに現代におけるロシア・アメリカ・フランスなどの核保有国であり、最近ではウクライナ侵攻での核使用への懸念・北朝鮮のミサイル発射などの問題があるが、国際社会全体では核をなくそうという流れも見えている。そんな中で日本は原爆を経験し、また東日本大震災での放射線の被害の惨状も知っている唯一の核被爆国であるのにも関わらず、国際的な核兵器禁止条約に不参加であることについてはかなり問題視されるべきであると私は考える。彼らがこの予言をした時にはまさか本当に地球を破壊するような兵器を作り出しそのレバーに人間が手をかけようとする時代が来るなどとは思いもしなかっただろうが、実際にこのような現実があるということは、良くも悪くも科学の進化とは、人々の生活をより良いものにするという反面それと同時に残酷で皮肉なもののようにも感じられる。 しかし、この当時放射線についての研究がまだ乏しいものであったのにも関わらず、21世紀の現代で実際に現実となるような予言を残していることから科学の力にはかなり正確性があるのではないかと思った。今後文系であるが故に今まであまり触れてこなかった科学技術について理解を深め、様々な視点から物事を考えられるようになるためにこの授業を活用したい。 ---- まず前提として、この課題のベースとなる彼らの言葉の要旨をまとめたい。彼らは「原子核のエネルギーは莫大だ。やがて人間はそのエネルギーを利用し、地球を破壊する武器をも作ることができる手段を手にするはずだ。だが人間はきっとそれを規制し、世界をまるで楽園のようにできるようなポジティブな使い道をするだろう。」と言っていると私は理解した。ゆえにこれを前提として意見を述べたい。 彼らの気持ちを察するに、私は彼らは原子核の利用により世界は幸せになるのだとポジティブに考えていたのだと思う。人間はきっと倫理的に間違った使い方はしないと、言ってしまえば楽観的な予想を立てていた。あるいはこのようにも捉えられる。彼らは本当は人間が間違った使い方に走る可能性が高いことを予想していたが、自分たち原子核の発見者としての言葉が後世まで読まれるであろうこと自覚し、後世への規制の念も込めてこの言葉をしたためておいたのではないだろうか。だとすれば私たちは、この言葉と私たちがたどってきた歴史を振り返らなければならないと思う。 私たちは原子核をポジティブにもネガティブにも使ってきた。 最もネガティブだったのは、広島・長崎に投下された原子爆弾だろう。莫大なエネルギーは人を殺すことのみを唯一の目的とする残虐な武器に変えられ、数え切れないほど多くの人の命を奪ってしまった。彼ら科学者の願いに沿えなかったことが単純に悲しい。 だがポジティブな用途もあった。原子力発電だ。これは現代人の生活を大きく支えてくれた。大量のエネルギーを生み出してくれる上に温室効果ガスも出さない。放射能の危険性は気になるが、原子力発電が現代生活にも温暖化対策にもかなり役に立っていることはゆるぎない事実だ。 発見者が後世に託した希望は半分叶えられ、半分叶わなかった。現代人は一度立ち止まって私たちがしてきたことを冷静に振り返る時間が必要だと思う。ただ注意しておきたいのは、彼らの言葉は100年以上も昔に発せられたものだということだ。100年前と現在では時代は大きく異なる。私たちをとりまく世界情勢は変わっている。だからこそ、私たちは彼らの言葉を尊重しつつも、同時に今の時代に合った原子力の使い道を考え直していく必要があると思う。例えば、原子力発電は本当に必要なのかどうかをもう一度吟味したり、核爆弾を世界中の国が一斉に放棄する方法を模索したりなどだ。また極論を言ってしまえば、原子力を一切使わないという選択肢もある。あるいは科学の進歩によって原子力エネルギーに匹敵する、放射能のない新たなエネルギー源が発見できる可能性もある。時代は変わる。だから、「原子核の正しい使い方」というものを刷新していく必要があるのだ。 ---- Rutherford と Soddyは両者とも核がもたらす恐ろしさについて予言している。彼らが生きていた時代には、今のような技術はなかったものの、後に核がもたらす強い影響力を既に認識していたことに驚いた。それにも関わらず、2021年1月の時点で9か国の国が1万4525基もの核兵器を保有している。特に今はロシアとウクライナとの戦争が勃発していることから、核について今まで以上に考えなければならない。核を戦争だけに用いるのではなく、何か他の面で用いられている現状を私たちが正確に認識することも重要だと考えた。そこで、核がもたらすメリットについて調べてみた。核燃料であるウランやプルトニウムは核兵器以外に原子力発電として用いられている。さらに、放射性同位体を核に取り入れることで、癌の放射線療法や甲状腺などの検査にも使用されていることがわかった。医学雑誌『ランセット』の調査によると日本は「HAQ(インデックス)」調査で世界12位にランクインしている。そこで、高度で豊富な医療が受けられる日本で放射性核種を用いた医療・薬学を発展させていくべきだと考える。世界で唯一の被爆国である日本がこのように核の燃料となる技術をさらに発達させていくことで、世界へ核廃絶に向けて訴えることができるのではないかと感じた。 ---- 19世紀を生きていた人が第2次世界大戦時に日本に莫大な被害をもたらした原爆の危険性を的確に指摘していたのはすごいと思った。これほど前に放射能の実験が行われていたが、今でも人体には有害で、ロシアで起きたチェルノブイリ原発事故や福島第一原発事故で発生した被害は甚大なものになり、放射能はとても取り扱いが困難で、危険なものなのだと改めて思った。 ---- 1919年という昔に、現在の世界の核を規制する動きをも予言していて、科学者はすごいと思った。核という力は、私たちが計り知れないほど大きなもので、それがどう使われるかなよって地球を破壊にも、私たちの生活をより豊かにしてくれるものである。核にはそれをなしえる力があり、それがもたらすものには希望も絶望も存在しているのだと私は考えた。 ---- Rutherfordの言葉からは原子核に潜んでいるエネルギーはその時代に取り出しコントロールすることはできないが、とてつもなく将来的に期待されており、もはや考える理由もないほど希望に満ちていることが分かる。Soddyの言葉から、重い物質はラジウムほどのエネルギーを秘めており、それをコントロールすることができれば世界を簡単に支配できるだろうというその物質の凄まじさが伝わってくる。また、その支配者がどんな人かによって世界は全く変わってくるというようにも読み取れる。後半部分の比喩表現からも、その物質が世界の鍵を握っているかのように思わせ、その凄まじさが一層強く伝わってくる。 ---- 彼らは1900年代前半にも関わらず、もうすでに原子核に関してをとてもよく理解している。それに加えて、まだ人類が原子核をコントロールできることさえも分かっていないのに、「それをできる国家はなんでもできる」と書いてある。それは全てが原子からできていると理解していたからである。 この言葉の意味を人類がしっかりと理解できていたとしたら、原爆は起きなかっただろうし核競争もないだろう。ラザフォードは原子核の警告、ソディは原子核を「うまく」利用できたらの話をしているのにどうして人類は悪い方向にのみ持っていってしまったのかが疑問であるし、この先絶対にあってはならないと考える。 ---- Rutherford と Soddy の言葉を読んで一番最初に感じたことは、虚しさや悲しさでした。 この核分裂の莫大なエネルギーを発見した際、既に人類が警鐘を慣らしていたにもかかわらず、それらは実際に核兵器として使用され、また世界中で実験をされ、世界を終末へ導く武器で牽制し合う世の中になってしまったからです。 このSoddyの言葉からは「蓄積されたエネルギーを武器としてわざわざ放出するのは無駄」とか「核の力で世界を壊すのではなく、ほほ笑みの園にしてほしい」という思いをひしひしと感じます。この莫大なエネルギーをどう取り出すのかが確立されていなかった時代の人々ですら、危険な未来になることは安易に想像していたのに、現代の世界がそれを現実としてしまったことに残念さを覚えます。 確かに原子力発電という効率の良い発電方法が発見され、それはエネルギー問題を半永久的に解決する素晴らしいものでした。しかしながら現に日本やチェルノブイリでは原発の事故により甚大な被害がでたことに加え、最も考慮すべきこととして放射能を有した廃棄物が出るというデメリットももっています。現状、放射能が安全なレベルに落ち着くには数万年かかるとされており、原子力発電には問題が山積しています。 原子力は人類が扱うには早すぎたように感じます。Soddyがいうように上手く使えば原子力は世界をエデンの園に導くだけの力を持っているでしょう。しかしながら自分たちの生み出した武器、発電法になんら対応策を打ち出さないまま問題を先送りにして利用しているのは大変危険だと思います。世界はすでに原子力を知ってしまいました。そのためこれからに人類はなんとかこれらに対応する技術を生み出し、世界を崩壊させないように尽力するしかないと考えます。 ---- まず、初めにこの時代にRutherford と Soddyが言っていたことはとても的を射ているなと感じました。原子の力はとてつもなく大きくその莫大な力は人類に大きな利益と支配をもたらしました。 原子力発電は1部の国では最大の発電方法となっており生活するための手段です。また、原子力のプラスの利用とは言えません、が原子爆弾も人類に支配する力を与えたというように考えられます。このように人類の栄華に携わっている原子力ですが、人類はそれを完璧にコントロールすることはできませんでした。強大な力故に振りかざしたことで莫大な犠牲者が生まれ、また発電においては放射性廃棄物の処理などまだまだ解決されていない問題が山のようにあります。繁栄に貢献すると、人々の生活を豊かにし支配できれば楽園を形成できると思われていたこの力は、彼らの言葉の中では”けちくさい人間は”などと言われていたけれど、きちんと制限をしていかなければ核兵器の乱用など行きつく先は破滅になってしまうのではないかと感じました。 現在のロシアの状況もあり、決して仮定の話ではないと思います。 ---- 原子力は他のエネルギーと違い分裂により増やし続けることができる。その代わり貯める方法が大変で、震災のような被害が起きないように取り扱いには十分気をつけなければならない。 他のエネルギーはもとの原料が膨大な量必要だが原子力は装置さえ作れば半永久的に増え続けるため未来への希望がある電力であると考えられる。 ---- Soddyの言葉から、原子のもつエネルギーが地球を破壊する可能性があるほど莫大なものであると発見した段階で気づいていたことが読み取れる。私は、原子核を発見した段階でそれに関する研究や発明をやめ、法律で厳しく規制すべきであったのではないかと考える。世界のほとんどの主要大国が核を所有している現代社会においては、更なる核開発の禁止をするのが精一杯である。アメリカとロシア間の核戦争で世界の崩壊の危機がすぐ目の前まで迫ったこともあった。便利さを求めるあまり科学技術が人間の能力を超えすぎて手に負えなくなってしまっているのが今の社会であるため、少しでも人類滅亡の可能性のある実験や研究は控えるべきなのではないかと考える。 ---- Ruthefordの言葉からは、原子内に潜む巨大なエネルギーへの恐れと同時に未来の発見への恐れを感じる。全てのものは原子からできていてその中の小さな原子核の中にさらに陽子と中性子があって、それを発見できたこと自体奇跡に近い。よってまだ発見されていないだけで、人間がまだ知らないような莫大なエネルギーを持ったものが存在している可能性は大いにあると彼は考えた。今生きる私たちも気がついていないエネルギーが潜んでいるかもしれない。それに人類が気がついたとき、どうなるのかRuthefordが分からなかったように、今後私たちがエネルギーをどう使っていくのか分かり得ない。人間の自己中心的な性質を考えると私も科学の発見に恐ろしさを感じる。 Soddyは人間の弱さを理解してより現実的な予測をしているように思える。20世紀に入ってアメリカ、ソ連、イギリスと次々に核兵器を開発し、その力を国の力のように使い脅し合った。そして21世紀の今も核兵器を巡って緊張が走っている。一度エネルギーの大きさを知ってしまった人間が、世界を良い方にも悪い方にも導くことのできる核を利己的に利用し、抑止力として備えることまでを見透かされているように思える。しかし最後の「世界全体を微笑みの園エデンにもできる」という言葉からは、人間がそのパワーを平和利用にのみ使い、科学が幸せを導く世界を期待しているように感じる。今もう一つ深刻な問題として世界が環境問題に直面している。最近になってようやく過去の人間の過ちを認めることができたからこそ改善していこうという動きが生まれた。環境破壊が誰か特定の国や人のせいでもなく歴史の中で全ての人類が行ってきた行動の結果であって、世界で取り組まなければならないのだということを共有できたことが素晴らしいと私は思う。核兵器の問題も、人間が間違った使い方をしてきたことそして現在もそれを手放せずいることの愚かさを認めなければならない。その上で過去の偉大な科学者が発見した、希望ある科学の力を正しい方向にのみ使っていかなければならないと思う。 ---- Soddyの言葉は核分裂のエネルギーをコントロールした現代の世界をほとんど言い当てているように思える。「世界の運命を形づくる」とあるが、原子爆弾、原子力発電といったように現代の人々が想像する原子力は危険で悲劇を生むものであるため、原子のエネルギーで世界全体を楽園にできるような危険が無く安定した技術と、それが兵器に転用されることのない倫理観が今後の人類に生まれることを期待している。もし原子を自在に分解、構成できるようになれば、核分裂と核融合を人為的に繰り返すことで発生するエネルギーで世界がよりクリーンに発展できるのでは無いかと感じた。 ---- 2人の予言を聞き、私はその正確性に驚いた。Rutherfordの言う通り、放射性元素には莫大なエネルギーが秘められている。現に原子爆弾や原子力発電所のような、そのエネルギーを使用した物が存在する。太陽のエネルギーも同じく、トリチウム(放射性元素)と重水素が超高熱化で化合し、ヘリウムへと変化する際に生まれるエネルギーでさらなる熱を生み出している。ただ、私の疑問としては、本当に放射性元素のみが莫大なエネルギーを秘めているのかというものである。これを探求していくことこそ、近代化学の進歩の礎となるだろう。また、Soddyが言うように重い物質が持つ莫大なエネルギーは生物の存在を脅かすほどの兵器にも成りうることは現代の化学で証明されている。原子爆弾は広島と長崎で甚大な被害をもたらした。水素爆弾は第五福竜丸、とどのつまり関係ない人間に被害をもたらした。これが人災であることは自明である。Soddyの言う通り、レバーを引くのは人間で、けちな性格であるのは間違いないが、それは人類の生存のためである。パグウォッシュ会議が開かれたように、兵器は誰かがストッパーの役割を担わないと、指数関数的に歯止めが効かなくなってしまう。確かに兵器利用によってもたらされる恩恵は勢力均衡という平和実現の1歩である。実際にイグノーベル平和賞でもそれは認められた。ただ、これで本当の平和、ここで言うエデンの園は実現するのか甚だ疑問である。 ---- 私は二人の言葉を聞き科学者の視点から見た原子核の持つエネルギーの可能性と、間違った使い方をしたときの危惧が現れているように感じます。10のマイナス14乗mというとてつもなく小さいエネルギー源が、人間が想像もできないほど大きな力を持っていることが二人の言葉によって、より現実的に聞こえてきます。実際にそれ以降に戦争で核エネルギーが使用されたり、世界各地での原子力発電所の事故も人類に大きな被害をもたらせてきました。二人はこのような未来もすでに予測できていたのではないかと感じました。 ---- 原子内には莫大なエネルギーが存在している中で、Rutherfordが述べている「放射性元素だけが持っていると考える理由はなく、もはや何ら本質的な困難はない」という言葉に強く共感した。今回、原子核には莫大なエネルギーがあると分かったことで今までは、おかしいと疑問が残る状態だったことが覆された。この時代に原子内の研究から、さらに深い研究を行うことは難しいと思う。だが、今回原子核を見つけエネルギーが分かったことは今生きている私たちにも大きな影響を与えていると考えた。こんなにも素晴らしい発見をして、私自身がその立場であれば新たな可能性に期待していく。Rutherfordもこんな気持ちがあったのではないかと感じ共感した。次にSoddyの言葉は「重い物質はすべて、ラジウムがもっているのと同じくらいのエネルギーを、原子の構造の中に隠し閉じ込めていることが考えられる。もし、それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」について人間がコントロールできる時代になれば一人一人の様々な知恵が重なり合い今の私にも想像ができないくらい偉大なことが出来ると感じた。なぜなら、人間も原子からできている。その為、コントロールできるなら自分の事もコントロールできると考え、クローンやマインドコントロールも可能になってくるのではないかと感じた。 ---- Rutherfordの言葉を聞いて彼は、まだ知り得ぬ科学がもつ可能性を人々に考えさせるということを意図していたように感じた。本来であれば反発しあうのに、その斥力を上回る巨大なエネルギーによって陽子が閉じ込められていたということは、当時からは想像もつかない事実であったと思う。しかし実験によってそれらが証明されたことで、彼自身が科学の更なる解明に胸を躍らせているとともに、科学のもつ可能性の偉大さを他人にも伝えようとしているのだろうと考えた。Soddyは、科学的知識の拡大によって人間に可能なことが増えているが、そこに潜む危険性を示唆しているのではないかと考えた。人間のおこないによって変幻自在に「エデンの園」を作り上げることが出来る一方で、それは人間だけにとっての楽園であって、世界に存在する他の生物にとっては生息地を破壊され、追い出されてしまうということである。科学の解明を進めるという科学者の立場から、その技術をむやみに行使しすぎてはいけないという警鐘を鳴らしていると感じた。 ---- Rutherfordは原子核のエネルギーの可能性についてプラスの視点のみから述べているが、Soddyはそれを踏まえた上で、両義的な影響力(世界を救うことも潰すこともできる)について述べているため、個人的にはSoddyの言葉の方が説得力があるように感じた。原子核によるエネルギーをどう利用するかは、紛れもなく人間に託されており、どうしても良い点だけが注目されやすいが、そこに敢えて批判的な視点も置くことで、私たち人間への忠告も兼ねているのではないかと思った。また、Rutherfordが原子核のエネルギーの活用法として、別のエネルギー(太陽エネルギー)への影響を挙げていたのに対し、Soddyはより広い視点(世界の運命)で捉えていたため、その規模の違いも説得力の差につながったのではないかと思う。 ---- Soddyは、核のエネルギーを手に入れた国家はその気になれば地球を滅ぼすことも、エデンを作ることもできるとした。その上で人間はけちだから、核を使うことを「実に油断なく規制する」だろうと言っている。しかし私は、この見解は少々楽観的すぎたのではないかと考える。 まずSoddyが述べた「けち」の解釈について、私は2通りの受け取り方が考えられた。一つは、国家は核エネルギーを資源的に勿体ぶる、という意味での「けち」である。当時はまだ原子核を取り出す事はできていないという技術レベルであるため、更に運用するともなれば膨大なコストがかかると予想されたはずだ。 もう一つは、現在の状況により近い解釈だ。それは、世界の多くの国家が核を保有し、それを牽制の意味で使用を渋るという意味での「けち」である。この二つの解釈では、後者がより残念な状況と言えるだろう。また、Soddyが言った「実に油断なく」は前者の解釈であり、より人の理性に期待した形でもあるのではないだろうか。 21世紀の現在までに、確かにある程度の核規制は進められてきた。新しいものでは、2021年1月に発行された核兵器禁止条約などがある。しかしこうした規制はあくまで後付けであり、実際第二次世界大戦中には広島、長崎に原子爆弾が投下されたという歴史的事実がある。 Soddyの予想に反して、国家は必要とあらば核兵器を使用する例である。これは感想になってしまうのだが、彼らは核に眠るエネルギーを発見した際、その危険性も理解した上で運用には希望を見出していたのではないだろうか。それまで解明できなかった太陽のエネルギーなどの可能性を感じ、科学者としての期待が感じられた。現時点での核の運用方法は兵器、発電以外だと医療くらいしか思いつかないが、彼らがエデンを作れると感じた核の運用の構想を聞いてみたい。 ---- 核分裂が現代の日常生活に役立てられているものの代表例として、原子力発電が挙げられる。原子力発電が行われる主なメリットは二つあると考える。一つ目は太陽光発電や風力発電、水力発電などの他の自然エネルギーを用いた発電方法よりもはるかに安定して大量の電気を作り出せる点である。これによって天候などの環境にに左右されることなく、私たちへの電力供給が可能になる。二つ目は、発電の際に地球温暖化の主な要因と考えられる二酸化炭素を排出しない点である。現在の日本における、化石燃料を用いた火力発電の割合は7割を超えている。この発電方法によって多くの電力が供給され、我々は恩恵を受けているわけだが、同時に地球間可能を脅かしていることを忘れてはならない。それに比べ、原子力発電においてはその心配はない。 しかし、私たちは原子力の負の面にも向き合わなければならない。特に大きなデメリットとしては核分裂が生み出すエネルギーが大きすぎる点である。原爆はまさにその代表例である。この点ではF.Soddyの予言は当たらずも遠からずと言える。また、東日本大震災の時のように放射性物質による汚染も大きな関心事である。 科学技術の進歩は常に正負の側面が表裏一体である。そのため私たちが最も意識すべきことは技術の使い方である。レバー一つで世界が一変することを常に認識しておく必要がある。 ---- まず、ラザーフォードの文章から見てみる。「原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるに違いない」、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っていると考える何らの理由もない」といった表現をしている。このことから、ラザーフォードは放射性元素が莫大なエネルギーを持っているということを確信しているということが窺える。また、ソディは「重い物質はエネルギーを閉じ込めており、それをコントロールすれば世界の運命を形づくる」、「地球を破壊することができる武器を、けちな人間は油断なく規制する」といった表現をしている。このことから、ソディは地球を破壊できる力を持った放射性元素を利用しないことを惜しみ嘆いているように感じられる。実際、放射線は莫大なエネルギーを持っていたために、福島の原子力発電所の事故のような大きな被害が出た。原発事故により大量の放射線物質が放出され、被ばくした多くの人たちはがんや白血病を発症した。現在ではその被害はほとんどなくなってきているが、被害を受けた人たちの不安や悲しみは消えることはない。また、人間だけでなく魚や米といったものにも影響を与えた。現在多くの原子力発電所が稼働を停止しているが、再稼働の動きも見られる。全ての原子力発電所を廃止するべきだという声もある。しかし、日本の電力自給不足を考えてみてもそうすることは難しい。審査を通り安全だとされたものだけが稼働している状況だが、絶対に安全ということはできないと思う。福島原発事故の際も、安全だと思っていたのにも関わらず起きてしまったのだ。災害に対して人間は無力であり、防げない事態が起こるかもしれない。しかし残っている原発の数は多くないため、1つ1つの安全対策を徹底的に行うことが重要なのではないだろうか。原子力発電なしでも電力を十分賄えるよう、他の発電方法へ徐々に移動していくことが日本にとって良いと思う。また、国民の賛同を得ることも必要である。原子力発電に対して不安を持っている人は多い。どのような基準で発電所を稼働させるのか、いかに安全が確認されているのかといったことを説明し、納得してもらった上で協力してもらうことが重要だと思う。国民もただ傍観するのではなく、理解しようとする姿勢をとるべきだ。このように、原子力発電を今すぐ廃止することは難しいが、国民と国が協力しながら徐々に他の発電に移行していくことが良いのではないかと考える。 ---- 「この莫大なエネルギーを放射性元素だけがもっていると考える何らの理由もない」であったり、「重い物質はすべて、ラジウムがもっているのと同じくらいのエネルギーを、原子の構造の中に隠し閉じ込めていることが考えられる」といった内容の言葉から、RutherfordとSoddyがいかに核分裂によって生み出されるエネルギーが莫大であるか理解していることが容易に分かる。さらにSoddyの言葉からは、原子核に潜む莫大なエネルギーがどのように使用されるのかは全て人間の手によって決まるということも読み取ることができる。その理由は、Soddyは物質がもつエネルギーの放出を人間は油断なく規制すると考えており、一方で「物質を変えることができる国家は砂漠の大陸を変造したり、極地の氷を溶かしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」と述べているからだ。つまりこれは、人間の手によって操作される莫大なパワーを秘める物質は、使われ方次第で多くの利益をもたらすかもしれないが、それと同時に多くの損害をもたらす危険性を孕んでいることを意味している。どのような結果を世界にもたらすかは、全て人間が鍵を握っているのだ。 ---- 私はRutherfordとSoddyの言葉を読んで、2つのことを考えた。1つは、2人の科学者の大変な苦労と努力である。Rutherfordの薄い金箔にα線を通す実験にもあったように、金箔をα線が通るかどうかを私たちだったら3回から5回程度で、確信を持ち実験を終えて結論を出してしまうだろう。しかし、Rutherfordは何回も何回も実験をし、その中で一度異なる結果を得て、そこから原子核を発見することにつながった。そこからさらに、原子核の中に陽子と中性子が入っていることや位置、大きさなど原子の存在が分かったことにとどまらず、詳細までも突き止めるまで研究をおこなった。このように継続的に細かいことまで調べることで2人は自分たちの研究結果に自信を持ち、実際に明確に判明していないものの未来もここまで自信をもってはっきりと言うことができるのだろうと考えた。これに対してもう1つのことを考えた。それは、なぜここまで難しい表現をして言葉にしたのだろうと率直に疑問である。なぜだろうと考えたとき私は、2人の言葉には、まだ分かっていないものの将来を予想して言葉にするとなると、ぴったり合うような簡単な具体例を挙げることが難しかったのではないかと考えた。だから、このように少し難しい表現を使って、誰もが予想できないほどの莫大なものだという印象をつけるためにもこのような少し深く考えなければ分からないような表現をしたのではないかと考える。 ---- 私はラザフォードやソディが、原子核からエネルギーを取り出す前から、それを生かすも殺すも人間次第だと予測していたことが印象に残った。それではなぜ、科学者たちは「地球を破壊することもできる」物質を取り出すことに尽力したのか。私は今回の授業で学んできたように、デメリットに見合うだけのメリットがある、画期的なエネルギーだったためだと考える。科学者たちにとっては探究心を刺激し、研究の裾野を広げられるものだったであろうし、一般人は現代でも、放射線の恩恵を受けている。例えば、X線は医療から食品、工業品製造、空港での手荷物検査など多岐に渡る分野で利用できるし、放射線治療によって、がんを効率よく消すことが可能になった。 その一方で原子爆弾や核ミサイルが開発されたり、原発事故が起こったりして、多くの人間の命が脅かされ、失われてしまったことも事実である。ソディーがレバーに手をかけるのは、人間だということを述べていたように、ひとりひとりの放射線に対するリスクの認識が重要であると考える。また、発言力の強い政治家などによって、放射線の技術が悪用されないように、私たちひとりひとりが政治に参加していくことも大切だと感じる。 ---- 人間はRutherfordとSoddyが説いた言葉を重要視すべきだったと考える。原子内に潜む莫大なエネルギーを利用して原子力爆弾や原子力発電を発明されたが、それを使うかどうか決める権力を持つ者やその周りの人々は、そのエネルギーの力や危険性について漠然としか知らなかったのではないだろうか。 Rutherfordの言葉通り、原子内に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーに比べて莫大だ。福島第一原発での事故や第二次世界大戦での原爆投下の被害などから、現代を生きる我々はその危険性について理解している。しかし当時は科学者間でのみ知られていたのかもしれない。これにより多くの人々が原子核について正しい知識を持たない状態で、原子核の所持や使用が始まったと推測する。 またSoddyは、人間が原子核を自由にコントロールするようになると蓄積エネルギーの放出を油断なく規制するのではないかと考えていた。実際原子力の使用は一般的に規制されているが、核兵器を保有したり、原子力発電所を利用する国は存在する。先述した通り、原爆投下や原子力発電所における事故によってようやく多くの人々が原子核の巨大なエネルギーを目の当たりにすることとなったのだ。しかし人間はこれらの利用をやめようとしない。この莫大なエネルギーがもたらす被害を大衆が理解している今だからこそ、過去の出来事から学び、原子核を使用することについて改めて考え直す必要がある。 もし原子核が発明された当時、RutherfordやSoddyの言葉が多くの人々によって深刻に捉えられていたら、核兵器の使用や原子力発電所の稼働は抑えられていたのかもしれない。人間が何か新しい技術を生活に取り入れる際は、危機管理を全て科学者や科学者の知識に任せるだけでなく、自ら知ろうとする姿勢が大切なのだ。 ---- RutherfordとSoddyは実験で分かったことに対して、そこで満足することなく懐疑的な視点を持っていることが、言葉からわかった。その理由は、Rutherfordは、原子核を発見しその位置と大きさを発見しただけではなく、その大きさに陽子と中性子が収まっていることから、莫大なエネルギーを持っていると結論付けていて、RutherfordもSoddyも、その莫大なエネルギーは、例えばラジウムといった放射性元素だけではなくほかの物質も持っているのではないかという可能性を示しているからである。この姿勢は、科学者だけではなく21世紀に生きる私たち一人一人も持つべきものではないかと思った。私たちの周りは便利なものであふれている。もちろん便利なものを使うことで生活は豊かで過ごしやすいものになるかもしれないが、私たちは今この瞬間の快適さだけを考えてばかりで未来のことを考えられていないのではないかと思った。例えば、プラスチックは加工がしやすく耐久性も高いため生活の様々なところで使われてきているが、地球温暖化や海洋汚染、資源の枯渇など多くの問題を引き起こしてしまっている。この時点でも未来を考えられていなかったことがわかるが、プラスチック削減のために、近年紙製のストローや袋などに変える店が増えていることにもこの問題は潜んでいるのではないかと考える。確かに紙製のものに変えればプラスチックの使用は減るかもしれないが、今度は森林伐採が進み、将来的には生物のすみかの減少や大気汚染といった新たな問題が発生するのではないか。この視点を持たずにプラスチックを減らすことさえできればいいと考えている人が現代の人には多いと思う。問題を一つだけと考えずにすべてのことに懐疑的な視点を持つことができるようになるべきだということをRutherfordとSoddyの言葉から学ぶことができると思った。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を読んでまず一番に私が感じたのは、原子核エネルギーというものを発見した彼らに、核によって平和が失われている今の世界の責任は一切ないということです。 「普通の化学変化で遊離されるエネルギーにくらべて莫大であるに相違ない」という言葉などから、原子核の存在は当初は私たちの生活を豊かにする世紀の発見という認識だったことがよくわかります。実際に現在では多くの国が原子力発電を利用していたり、がんの治療に放射線が使われたりしており、特に原子力発電は、日本が主な発電方法としている火力発電などに比べてCO2の排出量が少なく、コストも安定しているため重要視されているのが事実です。 原子核エネルギーというものは確実に私たちの生活を豊かにした一方で、現在では危険な存在であるという認知も広くされています。私自身も、核と聞くと核兵器や原発事故などが1番に思い浮かんでしまいます。 「それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」という文章の中で、コントロールできるとすれば、という言葉が使われていることは、現代にある核兵器の問題の核心をついていると感じます。RutherfordとSoddyは原子核エネルギーの莫大さに気がついた時から、便利な使い方ができる一方で、それが危険な使われ方をされてしまうことも懸念していたことがこの言葉から分かります。人間が原子核エネルギーを手にした結果コントロールすることができず、平和の失われた世界を形づくってしまったのです。 ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の問題などがなかなか解決に近づけないのは、何をするにも核兵器がちらつき、周りの国もその恐ろしさを知っているからだと思います。世界を破壊できるほどの力を持つ原子核エネルギーが戦争の道具として使われてしまうことは、RutherfordとSoddyが一番望んでいない原子核エネルギーの使われ方に違いありません。二人の大発見が無駄にならないためにも、21世紀を生きる私たちは、核兵器廃絶に取り組むべきです。特に、唯一の核兵器被害者である日本は核の恐ろしさを世界に伝え続け、人々が原子核エネルギーを正しく使えるよう促していく役目を務めていくことが大切だと思います。 ---- 私はこの科学者たちの言葉をきいて一番初めに、考えがずいぶんと壮大であると感じた。原子のエネルギーの莫大さを知ったとき、彼らはもうすでにその先を見据えていたことに驚かされたのだ。同時に、核分裂を予言して、さらに人間が科学をベースにこの世の中に存在する圧倒的な力に気が付いたとき、どう行動していくのかでさえも予想しているのは正直早すぎるのではないだろうかと思った。しかし、科学者にとって一つ一つの小さな発見を積み重ねて大きなことに活用することや、偶然ある事実に気が付いて、どう利用できるのかを考えることが世界を変えるカギを握るということは私でも少しは理解できる。そんな思考を持つ彼らが核分裂という手に負えないほどの威力に気が付いたとき、世界がどう変わるのか必死に頭を働かせ、抽象的なことを想いめぐらすことが精いっぱいだったのではないかとこの言葉から私は推測した。E.Rutherfordの言葉からは無限の可能性を読み取ることができる。当時どれほど原子の仕組みや核分裂の可能性というものが偉大な発見であったのかを明確に表しているともいえるだろう。そして、特に印象に残ったのはF.Soddyの[それはどんな自然力となって…]だ。抽象的だが、当時、核分裂を予言したときに、未来のより科学や技術の発展した世界になったときにいったいどんな世界が待ち受けているのかという興味が表れている。さらに、「そうしようと思えば地球を破壊…」と「物質を変えることができる国家は…」の箇所では、未来の人々に、どうかこの力を悪用せずにうまく利用してほしいという彼自身の希望や願いが込められていると私は解釈した。 私たちは今日、核兵器や核爆弾、原発の問題など様々な困難に直面している。当時の科学者の理想と、願った世界と今の世界は果たして釣り合っているのだろうかと考えた。残念ながら、一部の人間は蓄積エネルギーの放出を規制せず、人々を恐怖に陥れ、自分たちの利益のためだけに利用した。私個人としては理想とは程遠い世界だと思う。これからもしばらくは深刻な問題となる核問題、私たちがどのような行動を選択するべきなのか改めて考えねばならないのではないだろうか。そして同時に、彼らのように小さい発見であれ大きい発見であれ、目の前のことだけに目を止めるのではなくて、先を見据えた考え方が大切だとも感じた。 ---- 原子核が発見されたのは1911年、核分裂の予言がされたのは1919年である。歴史を振り返ると、この辺りの時代はヨーロッパで第一次世界大戦が行われていたり、中国や日本などアジアでも様々な戦争、運動が行われていた。科学者たちが「普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて莫大であるに相違ない」「それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」「地球を破壊できる武器を所有する」と考えたのは、このような時代背景が関係してくるのではないかと考えた。もし核分裂の発見がもう少し遅ければ、または極端に早ければ、核分裂を武器に利用するという考えは思い浮かばなかったのではないか。または、思いついたとしても、そのような武器をつくる技術は発展しなかったのではないか。ソディーの「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という発言は、戦火が激しかった時代だったからこそ、核分裂を兵器などに使用せず、世界全体の暮らしに役立てるような使い方をして欲しいという願いが込められていたのではないかと思う。 しかし、科学的な観点からすれば、あの時代に核分裂を発見できたおかげで様々な問題を解決できたり、新しい実験を行うことが出来るようになったのだろう。その実験が現代の私たちの暮らしを豊かにしていることは明白である。あのとき核分裂を発見したことが良かったとも悪かったとも評価できないというのが私の意見である。良いとされていることも、視点を変えれば様々な問題を抱えているのだと思った。 ---- 私は、核分裂を予見していた二人の科学者が伝えたかったことは「核分裂による莫大なエネルギー」と「その力を扱うのが人間であるということを忘れてはいけない」という、二つの意見だと感じた。E.RutherfordとF.Soddyの言葉に共通しているのは、核分裂が当時の科学的知見からは見当もつかないほどの莫大なエネルギーを生みだすと予見していたことだ。特に、Rutherfordはそれが太陽エネルギーの原理であることを予見しており、当時の人々に新たなエネルギーとしての期待を持たせたのではないだろうか。しかし、光があれば影があるように核分裂反応には負の面もある。代表的なものが核兵器だろう。今でこそ、その恐ろしさが周知されているが、核兵器が実在しなかった当時はその恐ろしさに理解どころか、関心すらあまりなかったのではないだろうか。その上で、Soddyの言葉に目を向けると、核分裂を利用した兵器がいつか生み出されること。その兵器が恐るべき威力を持ちうることと、それを支配するのが「人間」であることに、意見をフォーカスさせていることに気が付く。彼は、きっと科学技術が人類に進歩をもたらす一方で、破滅をももたらすことを意識の根底に持っていたのだろう。彼はその言葉の最後で、力を正しく使えば世界をエデンにすることもできると述べている。科学技術の光と闇の部分の両者を視野に入れていた彼は、科学の進歩とは宇宙の真理を整理することであり、その発達が必ずしも人類の進歩につながるわけではないと考えていたのではないだろうか。真意はわからないが、その考え方は今日に生きる我々も持つべきものであると感じる。旧石器時代の人類は石器を作り出し、それを調理器具や農耕の道具として使った一方、武器として用いて争いの道具にも利用した。当時と比べて科学技術が大きく発達した世界に住む我々は、核分裂の仕組みも、その恐ろしさもよく理解しているが、いまだ解明されていない科学技術に対してはその力の理屈も使い方も全くの未知である。どこまで技術が進歩してもそれは、先祖が石器を作ったときと同じ状況なのかもしれない。今日、ロボット工学やクローン技術、A.Iの開発など、人類の発達に大きく貢献するであろう一方で、一歩使い方を誤れば人類を破滅させるかもしれない技術は数多く存在する。私たちが先の二人の科学者の言葉から学ぶべきは、未知の科学技術を運用していくうえで、人類はその技術の進歩だけでなくその力の負の面にも目を向け、それを安全に運用する方法を模索する意識だと考える。 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