放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group01` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- P.Curieの言葉を見て、私は2つのことを思った。まず、人間が自然の秘密を暴いていくというのは非常に有意義なことである。科学の力によって、いままでは自然や未知といって諦めていた数々の問題を解決してきた。感染症の特攻薬などがいい例で、不治の病と呼ばれていた結核も今では治療可能な病気となっている。また、毎日当たり前のように見ている天気予報も科学の力によって雨が降る仕組みがわかったおかけで、雨に濡れるのを防いだり、場合によっては自然災害から身を守ったりすることができるようになった。自然の秘密を暴くことは人間を危険から遠ざけることに貢献している。しかし、その一方で自然を暴くことによって人間は新たな危険とも付き合っていかなければならない。P.Curieはその例としてノーベルのダイナマイトを挙げたが、今授業で扱っている原子核エネルギーもその一つである。むしろ、ダイナマイトは処理ができる分まだ対処のしようがあるが、原子核エネルギーに関しては、発電という良い方向に使っても、核のゴミだったり、限界のある地層処分だったりで人間の手に余る力だ。P.Curie自身は、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者」と述べているが、私はこれに関して疑問が残る。科学技術の軍事利用や悪用はこれからも不可避だろう。しかし、上記の通り自然を暴くことによって人間が助かっていることもまた事実である。このバランスをどうやって調整すればいいのか、はたまたそれは可能なのか、私にはわからない。 ---- 多くのエネルギーを発見してきたのは人間ですが、そのエネルギー、ここでは放射線物質も人間の手によって悪に転じることがあります。P. Curieは、その事実を見据えていたと同時に、人間が自分の見つけた物質を用いて創造する未来を懸念していたのだと考えます。「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。」というところから、彼自身も創造することのできないことだったのだと感じました。一方で、もちろんこれらの物質は私たちの未来を進化させることに多く利用されてきました。なので、P. Curieやノーベルのような科学者は、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者」として、彼らの発見した物質の期待を込めていたのだと考えました。 ---- 私は、彼の考えとは正反対に、人類は新しい発見から善にもまして悪の方を引きだすであろうと信ずる者である。なぜなら、ノーベルの発見においても原子核の発見においても人類は失敗をしてきたからである。新たな科学の発見は、事故や事件を伴うケースが多い。しかし、私はそのことを分かった上で科学者には自然の秘密をあばいていってほしいと考える。なぜなら、そのことによって技術がさらに進化し、私たちの生活がより良いものになると思うからだ。そして、技術が進化していくにつれ、災いに対処する技術も同時に進化すると思う。 ---- 科学者とは、ひとつのことに熱中しているようで、あらゆるものにも目を向けていると思いました。 メリットだけでなく、デメリットについても深く考察するのは簡単なようで難しいことではないでしょうか。 ラジウム・ガールズのようなラジウムによる事件も起きたように、現に災いとして起きている事象があります。 ピエール・キュリーが当時「この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか」と考えることが出来ていたのに、このような事件が起こったことは非常に科学者としては悲しいことなのでは、と思いました。 この世界の現状では、「科学者の言葉には、これからの未来を科学的視点で予言している部分がある」というよりは、科学者が発見したものを善ではなく「悪」で引き出してしまっているのだと思います。 ---- 「この知識は人間にとってかえって災いとはならないか。」「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」という言葉から、発見者は人間が放射線物質を平和的な用途にのみ使用し、悪用はしないはずだと期待していたことが分かる。 しかし、人間は悪用した。広島・長崎に落とされた原爆は広範囲にわたって放射能をまき散らした。放射能によって苦しむ人がいる人は知っていたのに意図的にそれをした。もちろん放射能はX線検査や空港の手荷物検査など、様々な場面で平和的に活用されている。平和的な用途のためにこれからも研究開発を続けていくのはとても良いことだと思う。その反面、それが悪用された過去もあるため、私たちはその面に目を向けて、それをどう改善していくべきかということも考えるべきだと思う。 私は何事もないときに平和なのは当たり前だと思う。本当の平和とは、何かが起きたときにも相手を攻撃しようとしないことだからだ。だから私たちは、戦争でもしなければこの国は豊かにならないと思うほど追い詰められたときでも、また、相手が怖いから武器が手放せない時でも一度冷静にならなければならない。そして相手を攻撃せずともお互いが良い状態になれる方法を話し合いによって見つけなければならない。 だが先祖は過去に武力で解決しようとしてしまった。今を生きる私たちはそこから学ばなければならない。そして二度とそのようなことはしてはならない。 今のロシアとウクライナの戦争を見ると、また同じ事が繰り返されてしまわないか非常に心配だ。同時に私には心配することしかできないのが悔しい。だがこの世界を核兵器のない世界にするために何をするべきかを考え、それを少しでも実効に移すことはできる。世界から核兵器をなくすためには、現在の非核国がこの先核を持つことがないように、核では平和は手に入らないと肝に銘じさせること。核保持国が、保有国同士でお互いの核を怖がり合っているなら、両者同時に核を手放させこの先核を持つことはないと約束させること。私が考えられる限り、こうすることで核兵器をなくすことができると思う。 だが、これが机上の空論になってはいけない。行動に移さなければ何も変わらない。私自身が署名運動に参加したり、核兵器禁止条約への批准を推進する政治家に投票したりなどするべきだ。放射能の発見者は我々が、そしてもちろん私が、そうすることを望んでいると思う。 そして放射能の良い面はこれからも発展させ続け、悪い面は縮小させていくべきだ。 ----  キュリー夫妻の言葉を聞いて実感したことは、彼ら科学者自身が新たな技術を開発していくたびに、自身が見つけ出した発見に期待と不安の両方の気持ちを抱いていることである。新たな技術を開発したことで、社会に貢献できたという思いの反面、文章にも書かれていたように、「犯罪者の手に渡れば大変危険なものになる」と述べられている。つまり、使用方法を誤ってしまえば、世界秩序を不安定にしてしまう。実際に、ラジウムは世界大戦で用いられ、多くの人々を苦しめた。このように科学技術の発見後、私たちがどのように使用するかは現代においても課題である。そこで、私たちが誤った使用方法を防ぐためには、発見されたものに対する知識を正確に認識することである。そうすれば、人間にとって災いとならない使い道ができるのだ。 ---- 自然の秘密を暴いていくことはさまざまな可能性を広げていく有意義なことではあると思う。しかしその研究により被害を生むケースも多々ある。だが、それはその発見された技術のせいではなく、それを扱う人間が被害を生んでいると考えるべきである。つまりは自然の秘密を暴き、技術を進歩させていくことを制御させる前に、技術の扱い方をどう制御するのかが求められているのだと思う。 ---- ラジウムや爆薬などのとても危険なものを発見した研究者一人がいくらその危険性を説いたところで、いつの時代も自分たちのことしか考えていない人には届かないと思った。第二次世界大戦で起こった原爆も日本を降伏させるだけに多くに命を奪い、現在作られている核兵器も他国への牽制の為に、危険なものだと思っていながら自分たちが優位に立つためには、こういう世界の発展の為に作られたものを平気で悪用していく人間の闇が目に見えている。世界が発展していくためには、こういう危険なものを安全に使用することで更なる発展を促す一方で、確実に悪用する人も現れるので、なかなか厳しい世の中だなと思った。 ---- 自然の秘密を暴くのは有意義だと思う。それが善であれ悪であれ、人間には知らないことが多すぎる。もしかしたら人間にも自然にも善となることがみつかりより良い方向へすすむかもしれない。しかし、悪にもまして善を引き出すというのには反対だ。欲まみれの人間が悪を引き出さないわけが無い。なぜか。過去の歴史を振り返れば当然だ。戦争を見ればわかる。悪の方が多くなるとは言わないが少なくとも悪の道も多くあると思う。 ---- キュリーの悪い予想通り、「この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか、ということです。」放射性物質を扱う上で、確かにキュリーが願った通り現在ノーベル賞など多くの「善」のことに活用されていることはその通りである。しかし、キュリーが犯罪者と言った通り、「悪」の方法で扱う犯罪者が生まれてしまっているのは否定できない。大量の放射線に被ばくすると、白血球の減少や不妊・脱毛・白内障などの有害な組織反応が起きる。事故など以外で故意に人間同士のぶつかり合い出これが発生したことは、今後一切なくすべきであるのに、現在無くなるような状況には思えない。どの物にも良い面悪い面と両面あるものだと思うが、メリットが大きい分デメリットも大きいというのは、全ての人がこの扱いについて考えるべきであると思った。 ---- 私は個の資料を読んで、今までそのような観点から考えたことがなかったため、この考えは斬新であると感じた。新しい発見がすべてうまい方向性に導かれるとは限らないことが示唆されている。ラジウムの発見を通じて、社会に対して都合の良い面もあれば、犯罪者の手に渡り社会に対して悪い面も存在することが考えられるとしている。つまり、そもそもラジウムの発見自体が発生しなければ、良い面とともに悪い面も存在しなかったはずである。ノーベルは土木工事等の作業効率上昇のためにダイナマイトを開発したが、このダイナマイトは戦争でも用いられ、たくさんの尊い命を奪ってきた。この資料を通じて、私は新たな発見が社会に役立つものであるという考えを持っていたが、その考えを見つめなおすきっかけになったと感じる。 ----  放射線が犯罪者の手に渡ることがあるのか疑問に思った。今後の科学の進歩によりより小型で安全な装置となりうるかもしれないが、今のところはまだないのかなと思った。しかし、戦争などで放射線を使い攻撃をされるとピエールキュリーが言っていたことが起こってしまう。もちろん、画期的な科学の進歩であり、発見ではあるがよくない行いをされると意味がない。そのためにも、世界政府として放射線に対する取り扱いをもっと厳しくすることが今の社会に必要なのではないかと考えた。 ---- 昨今、私たち人間はより良い暮らしを求め、新たな技術開発に精を出している。新たな可能性を秘めた研究、開発をした者は世間的に賞賛が与えられる。たとえ、それが悪い用途があるとしても良い用途が付随していると同じように称賛される。しかし、世の中の全ての人間がそれを良い用途で使うとは限らない。悪い用途で世界を脅かす人もいれば、良い用途で世界に救いの手を差し伸べる人も存在する。ここではその例としてラジウムが紹介されているが、ラジウムも二面性がある。また、前回講義での核エネルギーにも二面性が存在する。研究者はそのリスクを背負いながらも、研究に日々を費やし、新たな技術革新を進めている。P. Curieはノーベルとともに、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる」と述べており、私たち人間が善の用途で世界を導くことを信頼しているから、熱心に研究をすることができ、また、世の中でその研究を待ち望む人がいるからこそ一生懸命研究に打ち込むことができていると考える。そのため、私たち人間が開発、研究されたものに対して正しい用途、知識を認識し、共通意識を持つことが重要であると考える。 ---- 今回の科学者の言葉にも、核分裂の科学者たちの言葉にあったように、人間がどれほど上手く制御し使うかだと考える。 人間が唯一制御できず、操れないものは自然だと思う。それゆえに、自然のカラクリを解明していくのはまだこれまでの私たちには早すぎたと思う。 人間の悪い感情がなくならない限りこのような発見、応用は悪い方向にことを進めてしまうと考える。 ---- ダイナマイトは兵器として、また土木工事の効率を格段に上昇させるためにも扱われていました。どのような技術でも悪用しようとする人は現れるし、生活を発展させようと試みる人たちも現れると思います。大事なのは科学技術の発展を止めることではなく人々の教育なのではないかと思います。 ---- 放射性物質の発見はキュリー夫妻が発見しなくとも、いずれ見つかることになったでしょう。ノーベルの爆薬も同じで、彼でなくともいずれ誰かが発明する運命だったのでしょう。それならば発見した人、自然の秘密を暴いた人を責めるのはお門違いです。結局、この大変な力を持つ技術が悪人に渡るか否か、そして残虐な目的で使われるかどうかは誰にもわかりません。であれば、そこについて危惧するのも話が違うでしょう。 そのため科学技術が進歩することが有意義かそうでないかは漸近線の上を行く話であり、正直なところどちらでも良いのです。 我々人類にとって大切なのは、これらの技術が悪用されないため、そして悪用されたとしても対処できるような構造を築いていくことなのだと考えます。つまり生み出された技術に関しての良し悪しを考えるのではなく、今後どうすることが世界をエデンの園にするのにふさわしいのかを考え、実行に移していくことが重要なのだと思います。 今回の原子力に関しては、この対処法が確立されていないと自分は考えます。核廃棄物が人体に影響しないレベルまで崩壊するのに途方もない時間がかかるのに、穴に埋めるという原始的で短絡的な方法しか取れていないからです。急速に崩壊させる方法、もしくはなんらかの手段で有効活用できる方法を確立することが我々の急務だと考えました。 ---- 前回のRutherfordとsoddyの言葉にあったように、人類が新たに発見された科学の力をどのように使っていくかについてが述べられている。内容の本質は変化しておらず、ただ内容が具体化されているように私には感じられた。異なるのは内容が具体的になっているという点である。まだ莫大なエネルギーを持っているということしか分かっていなかったRutherfordやSoddyの時代と違い、性質などもある程度わかっていたこの時代においてより強い危機感をこの言葉から感じる。ノーベルが作業員たちの仕事を減らそうと発明したダイナマイトが兵器として使われるようになってしまった例を挙げて、過去から学び、未来の人々に科学を良いものへとつなげてほしいと思っているメッセージのように思われた。結果として人類は核のエネルギーをも兵器に利用してしまったため、この時の願いは叶わなかったのだなと思った。 ---- ラジウムは犯罪者の手に渡れば、危険なものになるという考えは正しいと思う。 被爆すると人体に影響がでてしまう。 だがメリットとして多大なエネルギーを生み出すことができる。 技術を正しく使うことも含めて人類にとっての成功、成長が得られる。 100パーセント安全であるというものはこの世に存在しないため少しのリスクを負って、試行錯誤しながらよりよく技術を利用できるようにするべきである。 ---- 私は、人類は新しい発見から善よりも悪の方を引き出してしまうと考える。爆弾を例にとってみると確かに洞窟やダムを掘ったりする際に、人間では成しえないパワーとスピードで仕事を行うことができる。しかし、21世紀において爆弾は、他国を威嚇したり実際に攻撃したりするために使われているのがほとんどである。第一次世界大戦でアメリカや日本に好景気が訪れたように、戦争は経済を循環させ、戦勝国や軍需産業を行い武器を提供する国に大きな利益と発展をもたらす。現在進行形でロシアとウクライナ間で戦争が繰り広げられており、もはや人類は戦争をやめることなどできず、結局爆弾の大半はこれからも悪に利用されていくのだと考える。仮にこの先新しい発見をしたとしても人類はこのような同じ過ちを繰り返していくのだろう。 ---- 「人間が自然の秘密をあばいていくのは有意義なことなのか」という言葉がある。私は有意義なことだと強く思う。電気や遺伝子の研究も当時は認められず、その重要性が理解されていない場合も多くあった。しかしその後科学の発見は沢山の人の命を救い、人々の生活を豊かにすることとなった。確かに核爆弾の使用やスペースシャトルの打ち上げ失敗など科学の失敗は発生しているため、全ての場合で倫理的に正しく使用されたり技術が十分に用意できているわけではない。ただ、研究によって得た知識がもたらしてきた恩恵の大きさを考えると「災い」とは言えないと思った。後半に関しては、発展を導くためであるはずの爆薬が戦争にも使われたことで、その後の科学の向かう先についてあらゆる可能性を推測し善に使われるよう望んでいるようにも感じる。結果として複数の国が核兵器を開発・保有したことを考えると、やはり人間は利己的な目的を優先してしまうため科学に関わらず悪の面を完全に無くすことは出来ないのだと私は思う。 ---- 科学者である彼自身が「人間が自然の秘密を暴いてゆくのは有意義なことか」という問いを想像しているのがとても印象的だった。新発見や技術の進歩は疑いなく人間の生活を便利で豊かなものにしているが、それらが兵器に転用されて平和が脅かされてしまえば結果的に悲劇しか残らない。P.Curieは発見が善に活かされることを信じると述べているが、前回の学習内容と同様に結局は人間の倫理観に委ねられているのだと感じた。 ---- ラジウムの発見は有意義なものだが、かえって人間に災いをもたらすという意見もあるという意見を述べているこの文章だが、科学の進歩と平和問題はパラドックスのようなのだと私は考える。人間がより多くの恩恵を受けるためには科学的な研究をするしかない。すると「リスク」が付随してくるのだ。身近にあるもので例えると薬があげられる。薬には主作用と副作用が表裏一体として存在する。科学技術も同じく善の側面と悪の側面とが表裏一体である。ここでいう悪は、兵器利用に当たるが、科学技術が進歩するにつれて平和からかけ離れてしまう。この問題を解決するにはどうしたら良いのかは、もはや科学技術ではどうにもならなそうだ。 ---- 科学に関する発明について人類に多大な恩恵を与えている反面、その発明がなければ起こり得なかった事故や失われなかった命があるということを一番わかっているであろう発明者の言葉というのは、その発明者の正直な気持ちと共に、私たちへの警告のようにもとれる。もちろん自分が発明した科学の力が人の命を奪うことにつながったらどうしようもない気持ちになると思うし、良い方向に使われることはとても幸福を感じることだと思う。「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか」という部分を発明者が自分の発明を進める中での葛藤が現れている文章に感じて、少し切ない気持ちになった。このような言葉を聞いて、私たちは彼らの偉大な発明が悪い方向に使われないように行動することを忘れないようにしなければならないとより強く感じた。 ---- 私は、さまざまな発見を人間が行っていくのは凄くいい事で誇るべき事だと考えます。ですが、その上でキュリー夫妻も述べているように発見するにあたって、有意義なものにするための準備はできているのか、という部分がすごく大切だと感じました。発見しそれが世の中に広まるもの凄い事ですが、悪の使い方をされてしまえば、発見した方も悲しく、批難を浴びてしまうことも0ではないと考えました。発見した方の努力が世の中にも伝わり善の方向で利用していくことが出来ることで世の中もすごく可能性も広がり活性化していくと考えます。その上で、発見したものに対する規則を作り提示し、発信していく、またどのような効果をもたらしてくれるのかという点も大きく広めていくことが大切だと感じました。 ---- 「人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか」というこの問いを、科学の新たな発見を称賛するノーベル賞の授賞に際して述べたキュリーは、自分の研究に対して過度に打ち込んでまわりが見えなくなってしまわずに、客観的視点を持ち続けている点が優れていると感じた。自然の秘密をあばき、人間の都合でそれらを利用していくと、先週の原子力やノーベルの爆薬のように想像以上に強大な威力を生み出し、人々の脅威になるだけではなく、自然環境をも破壊し、人類の存続を脅かす可能性もある。「この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか」とあるが、ラジウムによる被爆について調べてみると、スイスの時計工場でラジウム入りの蛍光塗料で塗装をしていた女工たちの多くが被爆した事件が出てきた。役に立っている反面、災いにもなってしまっていることが現実だと思う。彼は科学の進歩も使い方を間違えれば破壊手段になることを理解したうえで、悪より善の面に希望を抱きたいという思いからこの言葉を述べたのだろうと考えた。 ---- ノーベル賞という世間へ公開される場において、危険な物質(ラジウム)の生態を明かす・公表することはもしかしたら人間にとって災難を招くかもしれないという、キュリー夫人の抱く恐怖にはとても共感できた。前回の原子核と同様に、目に見えない物質によって果てしなく広大な地球が破壊されるかもしれない、ということは非常に恐ろしいし、物質を扱う人間によって物質の良し悪しが決まると言っても過言でないことは明らかであるからだ。だからこそ、この新しい発見からプラスの要素を生み出してほしい、という彼女の発言にはとても同意できるし、改めて人間は考えていく必要があると思った。また、過去の科学者が身を削ってまで研究して教えてくれた数々の物質の生態を、21世紀を生きる私たちは認識する必要があるし、そうすることで科学者たちの努力を無駄せずに済むと思う。 ---- この言葉を残した当時は、それこそラジウムなどが人間の殺し合いに使われることはまだ分かっていないはずだ。しかしそれが戦争を引き起こし続行させた、いわゆる"犯罪者"たち(国家)の手に落ち、人間の発展のためではなく、敵を攻撃する武器として使われたのは紛れもない事実である。最後の「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる者です」という一言には、これからを生きる人々に、悪のためでなく、善のために科学技術を活用していってほしいというキューリー夫妻の願いがこもっているのだと思った。ただやはり、人類が自然の秘密を暴いていくということが有意義なことなのか、良いことなのか、と聞かれたらはっきりとは答えられない自分がいるのも確かである。良い様に使えば、人類が発展していくために必要になってくることなのかもしれない。ただ、私個人的には、もうこれ以上の発展を望んでいない。ずっとこのままでいいから、これ以上の発見だったらがないことを願うばかりだ。そもそも原子力が発見されなければ、もっと技術は遅れていたとしても、まだ平和な世界になっていたのではないかと思うからだ。 ---- 私はこの科学者が最後に述べた言葉に偽善を感じた。開発した本人達はそう思わないかもしれないが、周りの強欲な人々が科学技術を良い方向の部分のみに使用することを許さないことを私達は現代の社会ですでにじっかんしている。人類が自然の秘密を理解していく事は私達の生活にとって良いようようにも作用してきた。例えば身近な所だと天気予報などは非常に役立っている。しかし、明らかに今私達の身を危険に晒しているのも私達が自然を追求して得たものを応用し新たな物をつくりだしているせいである。現に当初の目的から外れた武器などがどんどん応用され世界を危険にさらしている。 ---- ピエール・キュリーの言葉を聞いて、人間は研究等を通じて自然の秘密をあばき、その力を獲得してきたが、それを善にも悪にも両方使えることが可能であり、どちらかを使うのかは人間の自由である。又、過去の歴史からも分かるように人間はその両方を実際に引き出してきたというように解釈した。そして、悪の方に利用してしまったという過去の過ちから反省し、もう二度と同じような過ちを犯さないと約束をしたように思えたが、しかし、現実問題として、ロシア・ウクライナ戦争で実際にロシアは核兵器を利用しようとまでしており、現代に至ってもなおその過ちは繰り返されようとしている。このようなことからも、善の方に利用されるのが理想であるが、それはあくまで理想論であり、現実としては一回その力というものを手にしてしまうと、そこから離れることが出来ないというのが人間の本性であるように思う。 ---- ダイナマイトが、本来ノーベルが意図した使い方以外の用途で使用され、意図しなかった多くの犠牲者を生んでしまったことは非常に残酷なことである。しかし、それは人間が元来持つ好奇心や向上心を考慮すれば想像に容易いことである。科学の進歩は常に正負の面を持つ。なぜなら人間の想像力や発想力は善悪を問わないからである。人間は常に何かに役立てるために科学を進歩させてきた。日常生活のためなら日常生活のために、戦争のためなら戦争のために発展し続ける科学を応用するのである。ゆえにP.Curieの言うように、ラジウムもまた例外ではない。 ---- 「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか」という言葉に考えさせられた。文章にも出てきているように、ノーベルが作ったダイナマイトは土木工事のために作られたものだった。戦争での武器に使われるなどの負の方面で使用されるのはノーベルにとって予想外であったのだ。科学によって私たちの生活は豊かになったことは確かだが、同時に危険な世界にもなっていると思う。安全な使い道しかないと思って開発したものが、誰かの手によって悪用されることがあるからだ。けれどキュリー夫人は「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる者です」と言っている。例え悪の道があるとしても人間はきっと良い方向に使ってくれると信じているから、科学の発展は有意義なことであるということだろう。私も人間は善であると信じたいが、現実はそう甘くないと思う。現に悪の方向で使用されている例が多々あるのだ。何でもかんでも自然の秘密を暴いていくことが人間にとって良いこととは思えない。もう既に開発されてしまったものはどうしようもないが、これからの科学の発展については慎重になるべきだと思う。 ---- 実際その物質を見つけ、その可能性を最初に認識した人だからこそ出来る演説だったと感じた。その素晴らしさと恐ろしさを知ってしまったからには、世の中に発信することが今後の世界の発展に繋がる。しかし、前例があるように恐ろしい使い方をされた場合それは全て使う側の責任となると彼は考えたように思う。下手に使うくらいなら知らぬが仏、知らなくていいことは沢山ある、それをどのように活用するか、知識と良識が試される現代に、世界の進み至る先を暗示しているような言葉だったと私は感じた。 ---- ピエール・キュリーが放射性物質を発見した時代は、今から100年以上前であるのにも関わらず、実に的を得た未来への懸念を示していると私は感じました。 人間が自然の秘密を暴いていくのは果たして有意義なことなのか、という彼がもっていた疑問に対し、現代を生きる私たちは首を縦にふることはできないと考えます。今や人々の生活の大部分を支えている原子力は、画期的な人類の発見であることに間違いはないですが、現代に至るまで人間が原子力をポジティブに使用できていない状況を考慮すると、そのようなハイリスク・ハイリターンの物質はそもそも発見されるべきではなかったのではないのかとさえ思ってしまいます。しかし、現在私たちは、原子力や放射性物質が孕む危険性を身をもって認識しつつも、その画期的な能力に魅了され、その強大なエネルギーの大きさに依存しています。切りたくても切れない縁なのであれば、最初から存在しなければよかったと私は感じてしまいました。 また、キュリー氏が当時感じていた、放射性物質が役に立つことに使われる準備を人間はできているのかという疑問は、当時もっと重要視されるべきだったと私は感じています。キュリー氏の言葉は、「まだ放射性物質を適切に利用できる準備は整っていない可能性が高いけれど、もう発見してしまったから、この先人々にとってプラスとなる使い方がされるよう期待しよう」といった少し無責任な言葉にも私は聞こえてしまいました。過去にどのような事情があったかは分かり得ないけれども、この時点で疑問に思っているだけでなく、早急に受け入れ体制を整えるべきではなかったのかと感じました。 ----  今回P. Curieの言葉を読んで、「人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか」という言葉に共感した。人間が最初は何か詳しくは分からなかった放射線を見つけ出さなければ、今人間はがんの治療を受けられていなかったり、人間の生活をより快適にするための工事や食品開発、飛行機内での安全性等は生み出せていないだろうと考える。一方で、人間が自然の秘密をあばいていくことによって知り得た情報を悪用したことで、関係の無い第三者が戦争や事故に巻き込まれ命を落としているという事実もある。戦争や震災当時、子どもながら亡くなってしまった人が今生きていたら大人になっている年代だろう。マイナスな方だけを見れば、科学の力によって生きられなかった命は沢山あり、それがなければもっと生きられた人々は多く存在すると考える。しかし、プラスの面から見れば今がんを発見して治療している人は放射線による検査や治療によってがんを見つけ出し、改善する為の治療をしている。このようにして失われている命だけでなく、救われた命も多くあると思う。だから、人間にとってすべてが災いとなるわけではないでろう。しかし、本当に災いとなるだけの科学にしないためには発見した人が気をつけるだけでなく、発見から何十年、何百年も経った今そして未来に生きる人々が、科学の力を応用して使う際に正しい知識を持った上で、善の方を引き出し、正しく活用すべきだと考える。  最後に、「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」と言う言葉があるが、この言葉を読んで科学の発見には善だけでなく悪も含まれているが、それを理解した上で発見した科学者は悪だけを見ることなく、善を用いて活用してほしいという願いが込められているのではないかと考える。そのためには、悪から目を背け、善だけを見て利用するではなく、悪を正しく理解し、悪がもたらす危険性を知っていることが、善を正しく使うための一つの方法だと思う。新しい発見をしてはいけないのではない。それを良いものにするも、危険なものにするも自分たち次第である。正しい知識を持って、正しく使うことこそが、人間が自然の秘密をあばいて行くことを有意義なものにするだろう。 ----