放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group09` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- ノーベルやキュリー夫妻のような科学者達は、新たな発見がなされた際にそれが何を意味するのか、どの程度人類にとって有益で、どの程度人類にとって危険なのかがある程度は推測できる。しかし、自分もそうだが科学の教養をあまり持ち合わせていない市民の大部分からするとその理解はどうしても新聞やニュースなどのメディアを介したものになってしまう。この時、科学者がどれだけ声をあげても正しい事実が広まるかは予想ができない。実際に東日本大地震の影響で当該地域産の食材を過度に避けたりする人も多くいた。このような事態を防ぐためには日頃から様々な物事に興味関心を示し、一人ひとりが然るべき判断ができるようにしておくことが重要であると考える。資料のように当事者自身の口から誰にでもわかりやすい形で意見を述べることは非常に有効的であり、私たちがそのサインを逃さずに受け取る事ができれば結果的に善の力を引き出すことができるのではないだろうか。 ---- ラジウムに限らず、新たな発見は悪用しようと思えばできるし、人の為にしようと思えばできる。どのものも一緒で、可能性を秘めていれば、そこに危険性も伴うのである。そのため、Curieが放った「いったい人間が自然体の秘密を暴いていくのは有意義なことなのか」という疑問に対して、私は有意義なことであると思う。なぜなら、自然体を暴かなければ、人間は進化せず、いまだに熱や現代医療技術で治せるだろう病気を治療できず、滅亡する危機に陥る可能性があるからだ。ある意味、人間は生き残るために進化を成し遂げていた。その一方で、進化のためであると同時に、"発見する"能力を、人間は時として、同じ人間を傷つける武器としても使ってしまう。だが、これは新しい発見が悪いのではなく、これの使い道を選ぶ人間が悪いのである。したがって、自然の秘密をあばくことは有意義なことであると考える。 ---- この科学者の言葉を聞いて、私は、科学技術があまりにも発展することは人類にとって悪であると感じた。科学者は「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる」と述べていたが、私はそうではないと考える。歴史的な視点から考えると、第二次世界大戦などで、科学技術を悪用し、多くの犠牲者が出たという過去を持つ人類は、必ずしも科学技術を善行だけに利用するとは限らない。なぜなら、第二次世界大戦で、人は人を洗脳してしまう力をもっているということを証明したからだ。戦時下で人々は洗脳され、戦争反対と言っただけで、非国民だと拷問を受け、時には殺された。このような悲惨な状況を知ると、当時の人には良心というものがなかったのではないかとさえ思われるが、そうではなく、政府によって洗脳され、常識的な判断ができない、もしくはそれが許されなかったのだ。このように人が人を洗脳すれば、科学技術を悪用し、凶悪な事件を起こすことなどは容易にできてしまう。人類が必ずしも科学技術を悪用しないかと言ったらそれは信用できないと考える。また、現代的な視点から考えると、人々は科学技術への不安があり、それによる犯罪を恐れている。内閣府が2017年11月25日に公表した「科学技術と社会に関する世論調査」では、人々は科学技術の発展に伴う不安として、サイバーテロや不正アクセスなどの「IT犯罪」を挙げる人が61.0%に上ったことがわかった。現代は、インターネットやSNSなどの凶悪な犯罪が後を絶たない。ひと昔前までは人々はそのような犯罪が生まれるなんて予知できなかっただろう。これも、科学技術が発展したことによる、人類の悲劇である。結局、何か新しいことを生み出しても、それを悪用する人間は必ず存在すると思う。新しいものを発見することで、誰かを助けたり、役に立つだけではなく、誰かを傷つけたり、凶悪な犯罪が生まれるくらいなら、科学技術の発展があまりにも進むことについては反対である。 ---- 一つの革命的な発見は、人によって善のものや悪のものに変えることが簡単にできてしまうことを人々過去の開発や実験から知っているはずなので、私もP.Curieのように善の方に科学技術を使うような社会を目指していきたいと思いました。しかし、良好な関係からちょっとした亀裂が入って仲が悪くなったりするようにいつ何が起こるかということは分からないので、コミュニケーションを図って人々同士が良好な関係を築き上げることことこそ善のもの方に引き出す解決策なのではないかと考えました。 ---- 私は放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いてを読んで、ラジウムは犯罪者の手に渡れば大変危険なものになると言う言葉に強く共感した。確かにノーベルが発見したラジウムなどの原子は戦争などで使われてしまうような強力な爆薬となることは簡単でありその原子の使い方次第で渡る人によっては恐るべき破壊手段となってしまう。よってノーベルのラジウムの素晴らしい発見を発見されるべきものではなかったものとなる前に現代に生きる私たちが如何にして善の方向へと持っていくのか考えていくべきだと感じた。 ---- 私は、人間が自然を暴いていくことは有意義なことであると思う。確かに、ダイナマイトなどの化学技術は過去に多くの命を奪っていった。しかし、だからとって科学を発展させないことは、救えるかもしれない命や未来の可能性というものを潰すことになると思う。科学や発見自体は悪いことではないのだから、発見したものが悪用されないための対策やその扱い方についてを、私たちはよく考えるべきなのである。 ---- 発展には常にいい側面と悪い側面があるのは当然なわけで、悪にばかり目を向けていても仕方ないと思う。それ以上に何かしら科学技術が発展することは世界が抱える諸問題を解決する力がある点、これからも研究は続けるべきだ。そして論点が「役に立つか」という部分にあるが、ダイナマイトが戦争に使われたのも、使った当事者からしたら「役に立ってる」わけで結局誰かしらは得している。 ---- 私はこの言葉をみて、なぜ人間はもっとこの言葉を深刻に受け止めなかったのだろうかと考えた。放射性物質であるラジウムを発見した時点で危険性に気づいたが、人間にとって有意義なことにつながる可能性の方が高く、ノーベルの発見後のように人間は自らを滅ぼすような愚かな道は選ばないと期待を込めてこれからの人間に託すようにも葛藤しながらも発表したからこそ出た言葉であるよう聞こえた。だが、やはり日本のような被曝国があるように、欲望に負け恐るべき破壊手段としても使われてしまったことは、キュリーのせっかくの努力と気持ちを踏みにじった行為のようであると考える。そのため、こういったことが起こらないよう、統制する力を持つ者が善の方向に使えるように、言葉を深刻に受け止め規制するべきだったのではないかと考えた。 ---- ノーベルのダイナマイトを始め、多くの発明が人類にとって快適な生活を支えているのは確かです。最小限の労力で多くを得られるように手助けをしてくれます。その恩恵を私たちは日常生活でひしひしと受けています。 一方で、それ以上にどれほど多くの人の命を奪うために使われてきたでしょうか。なので私は「人類は悪にもまして善を引き出す」という意見には賛同できません。発明したものを国民を想って活用しようとする政治家は少なく、多くが金銭に目がくらみ悪用することを考えると思います。結局革新的な技術発見を成し遂げたとしても、それは権力者に他の国を牽制するための武器を与えているに過ぎないのだと思います。 ---- 私は、キュリーは自分が発見したラジウムが悪用され人類が苦しむ未来が見えていたのではないかと思う。言葉にあるように、ノーベルが発明したダイナマイトがあらゆる戦争に使われていることを実際に目にしているからだ。炭鉱の開発においては有意義な発明だったダイナマイトは、人類の醜い争いにも用いられ、多くの人間や動物が犠牲になった。 また、彼は自然の秘密をあばいていく科学者の立場であるにも関わらず、自分の立場に疑問を呈している。わたしには、自然の秘密をあばいて人類を豊かにすることは科学者にとって本望であるにも関わらず、自分が今やっていることは本当に人類を豊かにすることに繋がるか、彼はとっても不安であっただろう。 ---- 「ラジウムは、犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになると思われます」私はこう述べた科学者の意見に賛成だ。しかし、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる」という言葉には少しひっかかるところがある。銃の防衛のための所持が認められている国があり、持つかどうかは個人の判断に任されているが、銃に対する事件が絶えないことからも人間は悪にもまして善を引き出すようには思えないからだ。 ---- いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのかということについての私の解答は、「使い方によっては有意義なものである」です。例えばノーベルの発見から考えると、ダイナマイトは工事など様々な場面での助けとなりましたが、戦争など悲惨なものにも使われてしまいました。というのも、科学者による発見は手探り状態で探しながら発見するというもので、発見した後どうなるかというよりかは発見することを目的にしていることが多いと思います。(全部とは言えませんが)または、〜〜のためにーー発見が大事だ!という風に発見したとしても、その裏に隠れているすべてのデメリットを考慮することは難しいと思います。それは、発見した後に更にいろんな人の考えに触れ、それによって新たな発見がある訳で、いつどこで世界を滅ぼすことのできるものの発見に繋がるかはわかりません。今世界が保てているのは、もちろん法律などもありますが、そもそも世界を滅ぼせるほどの例えば核爆発やウイルスなどを簡単に作り出すことができない、国規模のお金がかかるなどで制限されてるからであり、仮に普通の市民が簡単に作れる世界になってしまったら正直終わりなのではないかなと感じています。そう考えると、いつ世界が終わってもおかしくないと私は考えています。その中でなぜ有意義だと思っているのかというと、発見があって発展していかないと歴史が動くことがなく、何も成長することができないからです。人間がさまざまな発明し、成長してきたからこそ今の世界があると思うし、それは有意義なものだと思うからです。よって、使い方次第では世界は滅びるけど、発見というのは有意義なものであり、且つ、世界が続くために必要なものという紙一重の意味合いを持っていると考えました。 ----  P.curieの言葉はとても納得のいくものであると感じた。いくら素晴らしい化学薬品、機械などを作っても、結局のところ、それを使うのは人間であり、そのものが善と出るか悪と出るかは人間にかかっていると言ってもいい。農薬研究開発の過程から ナチスが猛毒の神経ガスとして開発したサリンなど、もとから、悪として使うために発明されたものもあるが、ラジウムのように最初は良い物として発明されたものが悪用されることもある。その代表がSNSだと思う。SNSの情報拡散力は良い情報も伝えやすいいが、悪い情報も伝えやすい。また、匿名性ということもあり、自由にアンチコメントなどを各書くことが出来る。これは、化学薬品ではないが、人間の発明によって成されたマイナスな面だと思う。  では、このような科学技術の発展に伴う、問題をどのように解決していくべきか。私自身その答えは法律にあると思う。科学時術の発展よりも法律の発展は大分遅れているように感じる。もちろん、議会の承認など様々な問題があるのは分かるが、このままでは、開発された様々なものが、法という縛りなく世に出され、それを悪用するという繰り返しであると思う。つまり、時代や科学の進化、発展に伴い、法律も進化、発展していくべきだと考える。そうすれば、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出す可能性が増えるのではないかと思う。 ---- 私は人類はさらに自然の秘密をあばいていくべきであると思います。もちろん世界が崩壊するような危険を引き起こすものを見つける可能性もあるし、すでに見つけられているものも存在している。しかしそれだからといって危険をこれ以上生み出さないために自然の解明を止めることはよくないと思う。自然をしっかりと理解することによってさらなる発展や利益を手に入れられる可能性があるし、事前に危険であることを知っておくことも重要である。さらに自然の秘密を解明していき事前に危険や破壊を避ける手段を模索すべきだろう。 ---- 私はキュリーの言葉を聞いて、人間が技術を追求することは果たして正しいことなのかと考えました。自然の秘密をあばくことで、人間は便利な技術を沢山手に入れてきました。核エネルギーもその一例だと言えます。人類は技術の進歩により、人間の寿命は伸び、遺伝子レベルにまで影響を及ぼすような力を手にしました。例えば、病気の新たな治療法やスマートフォンなどの電子機器を使えるようになった反面、延命装置で無理矢理命をつないでいる人や、デザイナーベビー、VR空間で1日を過ごす人など、人間という生き物が、科学の進歩によって歪な存在となっていっているような気もします。私は科学の恩恵を十分に受けているので、技術の進歩万歳!この時代に生まれてよかった!という気持ちが一番ではあるのですが、たまに、ふと人類はこのまま進んでいっても良いのだろうかと不安になる瞬間があります。 ---- P.curie は自分たちの発見が、大殺戮の道具になるのか、有意義に使うことができるか疑問視している。だが、P.Curieは、悪よりも善の方を引き出すと人間を信じていると言っていた。原子力は現在、発電や、医療などに役立てられている。だが、福島の原発事故や、広島、長崎に落ちた原爆によって、人々が亡くなってしまった現実がある。私は、人間は原子力の善より悪の方の力を引き出してしまったと思う。原子力の莫大な力は、人間によってレバーを握られて、いい面にも悪い面にも用いられている。そして、人間はその莫大な力を持っていい能力を持っていないと思う。 ---- 放射線を発見した科学者は、放射性物質のような科学の新しい発見が人間にとって災いとなることを予想できていたので、発見したという大々的な発表をせずに科学者のうちで有効利用すべきだったのではないかと思います。P.curieは当時すでに自分らの発見がはたして有意義に使われるのかと疑問に思っていたことがわかるので、なおさら自分らで使い道などを明確にしたうえで、放射性物質の詳細を明かすのではなく、それを使ってできるものだけを開発して発表すれば、人間にとって災いになる確率はすこし減ったのではないかなと思いました。また、この言葉のようにただ自分の発見を発表して、それが悪い方向に使われかねないと予想した上で、「それが善の方向へ使われることを信じます」は無責任なのかなと思いました。 ---- キュリー夫妻の発見したラジウムに対する言葉に関して、私は人間の持つ力の脅威を感じました。ラジウムのような放射性物質の利用は、「犯罪者のような悪人の手に渡ることで危険なものになる」という言葉に共感すると同時に、人間はこれをプラスの側面として利用する準備はまだ完全にはできていないのではないかと感じました。私たち人間は放射性物質と聞くとほとんどの人が悪いイメージを描くと思います。これは、現在人間が放射性物質を上手く人間の生活と調和するために、使うことができていないことが招いた結果なのではないかと考えました。さらに、ノーベル賞受賞時の言葉として、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる」という言葉が印象的でした。悪用することで、戦争に繋がったり、世界を危険に陥らせる力のあるものに対して、ただ不安だけを抱くのではなく、その発見が人間にとって、世界にとって良い方向へと導くものであると信じることで、未来も変わっていくのではないかと私自身も感じ、強くメッセージ性のある言葉だと思いました。 ---- 私はこの発言の中でも、「人類は新しい発見から〜信ずる者です」という部分が気になりました。確かに新しい発見は良い風に利用されることもあれば、悪用されることも必ずあります。それを科学者自身も分かっていると思います。ただそうといっても人類の発展のためには、新たな技術を発見することは重要なことです。そこで、新たな発見をした本人自身が悪用される危険も示唆しているので、これはある種の警告のようなものだと感じました。 例えば、ノーベルによって開発されたダイナマイトも、戦争で兵器として悪用され、彼に大きな批判が寄せられました。ですがそれはお門違いで、発見した人ではなく悪用した人が責められるべきだと思います。科学者たちは自然の探究こそを生業としている人も多いだろうに、そこでの発見を悪用されるという可能性までに言及しなくてはならない風潮には疑問が残りました。 ---- 今回の資料を読んで、ラジウムだけではなく、前回にも出てきた原子核も同じものだと考える。良い人間が使えば、他の人々を幸せにすることができるものへと変えることできるようになると考える。また、逆に悪い人間が使えば、関係のない人々を巻き込んで傷つけてしまうようなものになってしまうと考える。人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なものかという疑問は、とても面白い言葉だなと感じた。科学者たちは、自分の好奇心から研究などを進めていき、自然の摂理を解明していっている。それを止めることは難しいと考える。そのため、自然の解明が有意義なものになるのかどうかは、それを使う人によって変わってくるものだと考える。そのため、資料の中にあった、「それを役に立つことに使う用意はできているのか」という言葉が重要になってくる。使う用意が重要になってくることが大切だと考えるが、役に立つという意味は、使う人によって変わってくるものなので、使う人が良いもののために使うのか、悪いものに使うのかで変わってくることだと考える。最後の文の、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」という文は、私と同じ考え方をしていることからでた言葉だと考える。持つものによって使い方が変わってくるという私の考えと同じため自然の秘密をあばくことが、悪いものよりも良いものに使われたいと考えているのだと考える。 ---- 科学の発見には悪用されるリスクが必ず伴う。いかに強大な科学の発見が宇宙の秘密を解き明かす偉大なものであっても、人間はその力の使い方を見誤ることがある。その力を持ってすれば人間の生活を格段に豊かにできるとしても地球を破壊する可能性があるものを、有効な利用方法に限定して運用することは必ずしもできない。人間が科学を冷静に対処できない未熟な存在であるのならば、科学は人間の手に余る代物なのではないだろうか。また、人間が強大な力を有効活用だけではなく悪用をしてしまうのは人間の未熟さだけでなく、その力の持った宿命でもある。というのも、力には必ずその副作用があり地球を破壊するのは致し方ないものである。核爆弾のような直接的な破壊でなくても、人間の暮らしを豊かにしたプラスチックはプラスチックごみの問題として、人々の移動を簡単にした車は排気ガスの問題として、徐々に地球を破壊して行っている。その一方で、放射性物質を発見した科学者の言葉を読むと、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろう」と信じているとある。これは、人間は科学技術の発見をよくも悪くも使えるが、きっとよい使い方をするだろうという意味である。これは私の考える人間の未熟さと相対する概念である。 ---- 放射性物質は悪者に利用されることもありますが、きちんと管理すれば合法的に利用することもできると思います。放射性エネルギーは、原子力発電、がんの化学療法、そして最近では考古学の分野など、日常生活で有効に活用されている例もある。つまり、放射性物質はそれ自体は有害なものですが、適切に使用すれば人間にとって有益なものになるのです。 ---- 文章の中で、「自然の秘密」「災い」という表現が印象に残りました。まるでキュリーがラジウムの持つ力を神秘的なもののように捉えていると感じたからです。私は前回や今回の講義を通して、原子の持つ莫大なエネルギーや放射性物質の減少には莫大な時間が必要になることを知りました。科学者たちは、計り知れない自然の力を目の当たりにして、一種の恐れを抱き、人間の道具として利用することに不安を感じたのではないかと思いました。また最後の文章からは、人間の欲によって、将来その自然力が暴力や権威を示す道具として悪用されることなくより良い方向に発展を遂げることを強く願っていることが読み取れます。 ---- ノーベルたちは平和な世界を望んでいたが結局は核兵器は世界中で広まりロシアはウクライナへの侵攻を続け、北朝鮮はミサイルの発射実験を続けている。このように、彼らの望んだ世界にならなかったのは残念だと思った。そして、私たちは彼らの望みをかなえるべく大罪人たちの行動を止めないといけないと思った。やはり平和な世界のほうがいいと思うからだ。 ---- 私もキュリーと同じように、自然の秘密が分かることは有意義なことであって、決して意味のないこと、悪影響を及ぼすものではないと考える。確かにキュリーの恐れるように犯罪者が使用すると世界を崩壊してしまうようなラジウムのような強いものもあるけれど、逆にその物質を知ったからこそ防ぐ工夫も生まれるのだと思う。ここで新しい発見を止めてしまったら、人間の生活水準はここで留まり、よい方向には向かわないし、科学物質への興味も薄まってもし研究していなかった物質に変化が起きた時に何も対応できなくなってしまう。犯罪者の悪用を恐れて人間のより良い生活への向上を止めてしまうのはもったいないと考えるのが私の意見だ。 ---- 私はこの資料の人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずるということと同意見である。なぜなら、たしかにこれらの知識を悪用し他の人々を苦しませることもあるかもしれない。しかし新しい発見はうまく活用することによってさらに人々が有意義に生活したり、逆に人々を助けることができるものにもなりうると考える。例えば、ノーベルの作った土木工事の安全性向上を目的としたダイナマイトは、土木工事中に怪我をする人やなくなってしまう人を防ぐとともに人々に楽さを与えた。このように、使用者が本来の使い道で使えば善を引き起こす。また、いずれのものを開発したとしても悪用者は存在するため、そのような者の心理を考えた上では発明するものが限られてしまうだろう。 ---- 力の価値はその力をもつ人の価値で決まると私は考える。たとえばヒーローもののアニメーションなどで、ヒーローより悪者が強い力を持っている時、「彼が仲間になってくれればもっと強い悪者も倒せるのに。」と感じたことがある。逆に強く頼れる味方が悪者の仲間になってしまったら一気に世界が悪い方向へと進む。つまり、力を持つものがその力を利用する方向によって世界は大きく変わる。まったく同じことをキュリー夫妻と主張している。人類がラジウムという大きな力をもつのに十分なヒーロー性をもっているかということだ。あるアニメで、悪者向きのずる賢いと言えるような能力を持った人物が、周囲の人間に「悪者だ。怖い。」などと評価される中、その力を活用し立派なヒーローになるといった物語があった。その力を人間にとっても地球にとってもいいものにするのも悪いものにするのも力を使う者に託される。発見当時から現在までわかってきたことだが、時代に合わせて、そのことをしっかり理解し、私たちがヒーローとなれるよう使い方を考え続けなければならないのではないだろうか。 ---- キュリー夫人の「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」という言葉が、「人間は放射性物質を悪にも利用する」という前提で語られていることに、人間のなさけなさを感じました。人間はおろかで欲深く、争いを起こしてしまう生き物です。事実、私たち人間はダイナマイトや核兵器によって地球と多くの人々に被害をもたらしました。原発事故で放射能を浴び、被害を受けた人々もいます。しかし、だからといってノーベルとキュリー夫人の発見がなかったことになればいいとは決して思いません。間違いなくこれらの発見は私たちの生活をより便利にし、病気の早期発見や治療にまで大きな進歩を与えました。ですから私は、この問題は人間が一生闘ってっていかなくてはいけないものであると思います。どちらかが0になることも、どちらかが100%になることもないとは思いますが、私たちは悪よりも常に善が勝るように闘い続けるべきなのであると思います。 ---- 始めに、私はこれらの物質を発見、発明した人は世界を豊かにするために発明したと思う。結局は使う人の使い方によると思う。包丁も食材を切るものとして作られているが、人を刺したり切るために使う人もいる。人間がどれだけ自然の知識を暴いたり発見をしたとしても結局はそれの使い方だし、自らの解釈の仕方だと思う。社会を進化させるものなのか、社会を破壊するものなのかは人間によると思う。破壊する人の下にはいかないように持っている人、見つけた人がしっかりと管理していくべきだ。 ----  私は、P.Curieの言葉を聞いて、私たち人間の責任が問われていると感じました。なぜなら、人間が自然の秘密を暴いていくことが有意義かどうかは、私たち人間の行動で決まると考えたからです。私たちは、人間が暴いた自然の摂理を、生活を便利にするための良い使い方にもできるし、戦争などのための悪い使い方をすることもできます。しかし、私たち人間はどうしても、生活を豊かにするためにはどうすればよいかという人間中心的な視点から科学を見る傾向にあります。実際に、現代の地球上では、人間の営みによって起こった自然環境の変化が見られ、大気汚染や地球温暖化、オゾン層の消滅などの問題が次々と発生しています。これらの問題を解決するためにはどうしたら良いのだろうかと考えた時、私はあることに気が付きました。それは、これからも私たち人間は科学の力に頼らざるを得ないのではないかということです。私は、科学や技術によって生じた問題は、新たな科学や技術によって解決を図るべきだと考えました。しかし、科学に頼りながらこれからの社会を生きていく上で最も大切なことは、世界を変え得る科学の力を所有しているという責任を持ち、人間を中心に考えるのではなく、「自然と共生する」という視点を持ちながら、科学や技術を発展させていくことであると感じました。 ---- 私は、この言葉は理想論だと思う。キュリーは、この発見が悪用されるかもしれないという可能性を踏まえたうえで人間が善の方向に使うと信じているし、それができれば理想だと思うが、なかなか難しいだろうと考える。なぜなら、時代によって良いことの尺度が異なるからだ。世の中が戦争一色の時代であれば、国のために強い武器を作ることが善かもしれない。また、開発したときには善であったものも、時代が変われば悪い面が見えてきて悪とされることもあるだろう。また、1つの国や組織が技術を悪用して武器を開発すれば、ほかの国や組織も、対抗できるように、または牽制のために、すぐに同じかそれ以上の機能を持った武器を開発するだろう。この負のループを止めるためにはすべての国の信頼関係が必要だが、現実的に考えてすぐにそういった関係を結ぶのは難しいと考える。 ---- 強力な爆薬は戦争や殺人において非常に便利だと思う。また、何かの科学技術に発展しうるかもしれないという点でも便利である。しかし、戦争や殺人で必ず人が亡くなり、その亡くなった人の家族や友人など周りの人々は悲しみ苦しむ。このように考えると、「発見」という聞こえの良い言葉は適していないと思う。発見したことで誰かを犠牲にしているのであれば発見しない方が良かったのである。今後、犠牲者を増やさないためには放射性物質についての知識を公共の場で出さないことが適切だと考える。東日本大震災で放射能が放出されたことで亡くなってしまった人々の追悼の意を込めて放射性物質を学ぶのも大切なことであるが、私は被害者の数が有無を言うと考えるため放射性物質に関する勉強は不必要だと考える。 ---- キュリー夫人は人間が自然の秘密を暴くことは有意義なものであるのか、かえって災いとなるのではないかと考えている上で、人間が善の使い方をするだろうと信じていたのが、とても心苦しく感じた。もちろん私たちは自分たちの生活を便利にするために使っていることがほとんどである。しかし一部の悪を持つ人々がいたために放射性物質は破壊手段ともなってしまっているのだ。私は自然の秘密を暴くことは有意義なことであるとは思う。しかしその後、どのようなものとして扱われるべきなのかしっかり考え、想像してから活用されるべきであると感じた。また、危険性に対しても十分な対策や知識が必要であると思う。 ---- 私は放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて、放射線物質のように人々のために素晴らしい利益をもたらしてくれるような自然の力を発見していくことは良いことなのではないかと考えました。確かに研究者が世界のためにと研究し発見したことが、逆に悪用され人々を傷つけてしまったことはノーベルのダイナマイトの発明以外にも多くあると考えます。しかし、素晴らしい使い方をするのも悪用するのも扱うのは人間である以上、社会や国がきちんと管理・運用を行えば制御できるものであると考えました。また、悪用されることばかりを恐れてしまえば、現在も残る世界の様々な問題を解決することができる可能性を潰してしまうことになり、そういった停滞こそ危険だと考えます。現在、戦争や紛争などが起こる原因はエネルギーや資源関係の問題が多く、科学者による新たな発明や発見によってこういった争いを止めることや悪用を防ぐことすらもできるのではないかと考えました。 ----