核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group03` # 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ---- F.Soddyの”物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほえみの国エデンにもできる。”という言葉に核への向き合い方が表れていると感じました。核分裂によって得られるエネルギーによって私たちは多くの恩恵を受けることができます。しかし、それと同時にエネルギーの莫大さと同じレベルの莫大なリスクを背負うことも忘れてはいけません。核分裂の発見が悪い歴史として扱われないために、慎重に核を利用するべきであると考えました。核の使用によって多くの命が失われた広島の爆撃は日本にとっては、苦い歴史です。しかし、今後の世界の核利用の発展には、忘れてはいけない教訓として刻まれると思いました。 ---- 「原子内に潜んでいるエネルギーは、普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて莫大であるに相違ないという結論」を提唱したE.Rutherfordは、原子が隠し持つ莫大なエネルギーの力が露呈されるのを期待しているように感じた。それは、Rutherfordはもちろんまだ誰も原子のエネルギーを体感したことが無いからこそ期待値が非常に高く掲げているのではと考える。 私も同じく原子は、もちろん目で見たり手で触れたりすることが叶わないからこそ、それだけ目に見えない大きな何かを秘めている原子が少し恐ろしくもあり、神秘的だと感じる。 どちらかというと私は、F.Soddによる「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり(中略)、世界全体をほほ笑みの国エデンにもできる」という言葉に惹かれた。原子は未知であり無限大の可能性を秘めているからこそ、「本来ケチ」で「物質を変えることができる」私たちが、戦争などではなく正しく物質を研究し扱うことが求められる。そうすることで、エデンの国までは行かなくとも今よりも平和な世界を目指して学びを進められるという前向きなメッセージをここから感じ取った。 ---- RuthefordとSoddyの言葉を読んで、彼らの言葉から、原子核エネルギーに対する未知数の可能性に対する期待、そして、この力を利用することの不安や危険を示唆していると考えた。このエネルギーをコントロールし、その力を生かすも殺すも、人間自身であるのはもちろんだが、良いことに使えば、それはとてつもなくプラスに、少しでも間違った使い方をすれば、とてつもなくマイナスに傾いてしまうという考えもこの2人の言葉から読み取ることが出来る。その代表的な例こそ、”原子力発電”ではないだろうか。原子力発電は、CO2を排出しないことがメリットの1つとして考えられると思うが、事故が起き、放射能が大量に外に流れてしまったら、CO2の排出よりも大変になってしまう。発電のコストが安定していることもメリットとして考えられるが、先ほどと述べたことと同様に、事故が起きてしまったら、放射能の冷却にかかるコスト、廃棄するための場所を作るためのコストなどの様々なコストがかかることになる。もちろん、他の発電所が崩壊したら、多くの問題が発生してしまうことが考えられるが、実際に私たちが東日本大震災の福島第一原発で体験したように、被害の大きさは尋常ではなかった。彼らの言っているように、人々はエネルギーを自らコントールすることが出来る。今回の大きな災害から学んだことを、留意し、新たなエネルギー創成方法を考え、少しでも害になってしまうエネルギーを自らの手で抑制し、持続可能な地球を作り上げていくべきだと、彼らの言葉から気づかされた。 ---- RutherfordやSoddyが予想するように、もしも人間が原子の構造の中に閉じ込められている莫大なエネルギーを自由にコントロールすることができた場合、人間は今の暮らしを豊かにできる可能性がある一方で軍事転用など国家の戦力の増強に利用される可能性もある。今の暮らしを豊かにするという視点では莫大なエネルギーを利用した高速移動や様々な道具の縮小化、ひいては他の惑星への移住など、前途洋洋たる未来が期待できる。しかし一方でそれを武器に利用しようという視点も存在すると思う。その場合、国家間の戦争に利用されることも当然あると思う。この2つの視点から考えるだけでも、新たな科学技術というものは人類のさらなる発展の可能性を秘めるというポジティブな面もある一方、結果的により多くの人の命を奪う可能性も秘めるというネガティブな面も持ち合わせているように思う。 ---- RutherfordとSoddyはラジウムから発生する気体状の物質の研究を端緒として、1900年から共同研究を行ない多くの論文を著している。が、それらの知見をまとめてひとつの結論、すなわち元素は放射線を放出して別の元素に変化するという、元素は不変とする従来の概念を覆す画期的な結論に達した。 ---- ラザフォードの「原子内に潜んでいるエネルギーは、普通の化学変化で浮遊するエネルギーとくらべて膨大に違いない」という言葉を受けて、実際に正しい結論を出している。現代では原子力発電とそのエネルギーを利用して発電している。なぜ原子力を用いているかというと、その他の物質は原子と比較して発生するエネルギーが大きいためである。だからこそ、原子力発電が主な発電の主となる国も実在する。それに対してソディーは「重い物質はすべて、ラジウムがもっているのと同じくらいのエネルギーを、原子の構造の中に隠し閉じ込めていると考えられる。」と述べている。重くは無いが、例えば、水素はその中のひとつと言えよう。現代では燃料電池車といって、水素で起きる爆発の力をエネルギーとして走る車がある。車を動くパワーは膨大な量を必要とするが、それを賄えるほどを生み出せるのが水素ということが分かる。ソディーはその後、「もし、それをトントンと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づけるだろうか。」と疑問に思っている。時が経ち、現代はその答えを出している。先程述べたように、車のエコな利用をしている一方で、核ミサイルとして負の方向に利用しようとする者もいる。 ----  RutherfordとSoddyの文章を読んで、考えたことが大きく二つある。  一つ目は、原子核エネルギーの発見が人類にとって非常に意味を持つものだったということだ。特にSoddyの「もし、それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」という言葉を読んでそう感じた。人間がいかに世界を科学の力で発展させようとしてきたかが分かるし、その発展において欠かせない“エネルギー”を、しかも莫大な力を持つものを発見したことに大きな意味があったように感じた。  二つ目は、人間は何か偉大な発見をした時にまずプラスな面に目を向けるということだ。Soddyの「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」という言葉に表れているように、新たな発見を世界を良くすることにどう貢献できるかということにまず目がいく。その莫大なエネルギーがどのような脅威をもたらすかを考えるのは二の次であり、人間の本質が垣間見えた気がした。 ---- Rutherfordの言葉に納得しました。化学変化で作り出せない原子内のエネルギーは、根本的なものなので、それを使って生み出されるエネルギーよりも莫大だと思ったからです。また、その莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っている、と限定する根拠はないのでこれも納得しました。 次に、Soddyの言葉は想像力が創造できる可能性の鍵を持っているのだなと感心しました。物事を多面的に捉え、抽象化も上手なので色々な比喩で表現していて、言いたいことの本質をわかりやすく説明していると思いました。 ---- Rutherfordの「原子内に潜んでいるエネルギーは、普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて甚大であるに相違ないという結論に達する。」という言葉を聞いて核の持つ力を様々な過去の事例から知っている現代を生きる自分だけではなく、何百年も前に生きていた人が、このように認識していたのはとても驚きました。また、「太陽のエネルギー起源の問題も、もはや何ら本質的な困難はない」と述べていることからも、こうした原子核の発見が核融合反応でエネルギーを生み出しているという太陽の起源を知るきっかけになったのだと今回知る事が出来ました。 更にsoddyもRutherfordと同じで原子の中に潜む物質の存在を世界の運命を形付けるとまで言っていて原子核の凄さを初期の段階から認識していたことが読み取れます。一方でsoddyは蓄積エネルギーの放出をケチな人間は規制するだろうと述べていますが、実際現代社会においては、原発や原子爆弾において蓄積エネルギーの放出を躊躇なく行ってきたことは歴史が証明していると思います。また、物質を変えることのできる国家は世界全体を微笑みの国エデンにできると言っていますが、実際には地獄とまで言われた広島・長崎での原子爆弾投下や何百年にわたって被害をもたらすことになった福島原子力発電所事故やチェルノブイリ原発事故など実際にはエデンの国には程遠い現実があることに我々は忘れてはいけないと思う。実際発見初期段階における2人の発言は原子核の持つ力の偉大さを理解しているものの、そうした力が持つ負の側面があまり協調されていないように感じます。時代を考えれば当然なのかもしれないが、今を生きる我々にとっては原子核の持つ力の凄さを認めながら負の側面からも目を離してはいけないと、最近核爆弾に関するニュースが増えているご時世もかんがみながら、改めてこの2人の発言を聞いて思いました。 ---- Rutherfordと、Soddyが原子のエネルギーは想像を遥かに超えるような大きなものであると予想していることがよく分かる。また、Soddyが「物質を変えることができる国家は砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」と述べていることから、原子は人間の使用方法によって世界を脅かすものとも、世界に平和をもたらすものともなり得るということを予測しているのではないかと感じた。実際現代からみると、このような予想や予測は非常に的を射ていると思われる。確かに原子力発電は開発当時、環境に優しく、安定供給が可能なことから夢のような発電方法と謳われてきた。しかし原子力発電の絶対神話が崩れ落ちた今、原子力発電は兵器ともなりかねないものになってしまっているだろう。また、核兵器の登場は世界を一変させたし、今現在もロシアの軍事攻撃などにより世界は核の恐怖にさらされていると言って間違いないだろう。このように世界に様々な面において多大な影響をもたらした核について、先人がこのように予測していたことは非常に興味深いなと思った。 ----  RutherfordとSoddyの言葉から、核分裂は人類に脅威を持っていることがこの時点で既に判明していることが読み取れる。核分裂は他の化学変化と比較して強大な威力を持っている一方で、一歩使い方を間違えれば人類あるいは地球そのものの運命を左右させることができるほどの威力を持っていることが伝わる。この時点ではまだ具体的な影響力まではわかってはいないものの、それなりに莫大な威力があることは既に感じていることが二人の科学者の言葉から伝わってくる。  さらに、人類は核分裂を自分達の利益のために使用する可能性があることも読み取れる。核分裂は莫大な威力を持っていることから、人類が自己の利益のためにそれを使用することも考えられ、それが人類や環境の破壊に繋がってしまう可能性がある。実際に核兵器などもその代表的な例である。核兵器は単なる武器として使用されるだけではなく、脅す道具として使用されることもある。従って、核兵器は人類の利益のために誤って使用されることもあり得る。 ---- この文章を読み、私は2つの視点からこの言葉の意味を捉えることができた。 1つ目は科学者がいた時代の世の中の人々の視点、 2つ目は現代の人々の視点である。 1つ目の科学者がいた当時は言葉の意味や真意をを理解できない人が多かったのではないかと考えた。 なぜならば、科学者の言葉は抽象的すぎるからだ。現代では、原子力発電所の事故や原爆などの武器が開発されていて、科学者の言葉を具体的な事実に当てはめて考えることができる。しかし、科学者がこの言葉を残した当時は、原子力の中にあるエネルギーによる発明が実際に起こっていないので科学者の言葉が抽象的で何のことを指しているのかピンときていなかったと考えた。 2つ目の現代の人々の視点では、原子力の影響を大きく受けたのちの今の時代でこの言葉を聞くと、共感する人が多いのではないかと考えた。 特に、「武器を所有するのは、レバーに手をかける人間だろうが、本来けちな性格の人間は、そのレバーで、蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するのである。 物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」という部分については、様々な具体的事実に当てはめて考えられるのではないかという考察をした。 例えば、広島長崎の原爆投下や、スリーマイル島、チェルノブイリ原子力発電所、福島第一原子力発電所などで国家を揺るがし、歴史の汚点として残るような出来事になっている。 逆に、レントゲンなどが発明され医療現場で活用されることにより、患者の病状を正確に把握して適切な処置を行えるようになったことで世界全体の長寿に繋がっている。 このように、目に見えない小さな物質ひとつによって世界における国の立場や、経済や情勢が動いていることを考えると、この科学者の言葉は現代を予言していらのではないかと疑うくらい当てはまっている。このことから現代の人々は科学者の言葉に共感すると考えた。 ---- この二人の研究によって発見された原子内の構造が現代では通説となっているがこの二人はそれを後の人類がもっと深く研究してこうなるだろうと予想出来ているような気がしました。実際に核分裂が発見され人類はさらに科学について進化し今こうして豊かな生活が送れているのはこの二人の研究があったからだと思います。しかし、ソディーが言っているように研究が進んだから核ミサイルのような武器まで開発されています。これを、悪用しているのが北朝鮮やロシアだったりするわけです。自国の防衛のために保有しておくなら問題はないが他国に被害を及ぼすために保有するのであればこの発見はされない方が良かったのではないかと考えてしまいます。この二人は決してそれを望んでいるとは思えません。 ---- 核分裂を起こすことでエネルギーを作り出す原子力発電は世界各国で使われている上に、その技術はリスクが伴うため禁止されたり制限されたりしている。さらには核分裂の力を利用した原子爆弾が作られ、それが日本に投下され、大きな被害があったという過去も存在している。また、長崎・広島への原爆投下を受け、世界では核兵器をなくしていこうという取り組みも行われている。実際、核兵器を保有している国は少なく、保有を公表している国は世界的に見て権力を持っている大きな国々である。核分裂を利用しようと考え、その技術を研究している国は結果的に強い国である。もしもまた戦争が起きるならば保有国が生き残るのは明らかなので、世界の運命が核分裂によって決まってしまうというのも過言ではないと考える。 ---- 原子核の持つ莫大なエネルギーの存在に気がついてしまった当時の研究者達は、そのエネルギーの正しい使い道とは何かを理解する事に苦しみ、また、原子核の持つ危険性を研究する過程で学んできたからこそその恐ろしさを感じてしまい、原子核を活用した開発に後ろ向きになる事もあったと思う。その一方で自分たちで無ければ誰がその使い道を探すのかと心の中での葛藤は現代の科学者達にまで受け継がれていると思う。現在、人類は少しだけ自らの手で開けてしまった原子核という扉の前にこれからの私達の進むべき道を作る上で、確実に解決しなければならない数々の問題に直面している。その1部が核爆弾の開発と原子力発電所事故である。よってここで、私達は環境問題にも繋がり、放射能によって破壊された自然が地球に暮らす全ての生き物に影響を及ぼし滅亡の危機に陥らせてしまう恐れと豊富な電気という資源を享受して明るく便利な生活が常に隣合っているという事実を今1度考え直さなければならないと思う。 ---- 原子内のエネルギーが莫大であるということは発見当初から明確であったことがこの文章から分かった。また、soddyの文章からは人間はこのエネルギーの放出を規制すると読める部分あるが、そこは現代においてはあてはまらない部分であると感じた。電子力発電は現代に必要不可欠な電気のエネルギーを作り、生活を豊かにするという人間にとってはプラスな面がある一方で、やはり事故であったり、武器として使われてしまったりといったマイナス面も挙げられるものである。その二面性を持つものであるという、どちらの影響も感じる現代においては、規制しているという表現には当てはまらないと感じた。この二つの文章は見方を変えればこのエネルギーの大きさの影響力に警鐘を鳴らしているものであるともいえる。どちらも圧倒的なエネルギーの大きさを強調していて、世界を変える可能性にも言及している点において、そう感じた。 ---- 実際に核分裂を利用することによって、私たちの生活が豊かになっている面もあれば、使用方法が悪いと、恐怖になっている場合もある。実際に原子力発電があれば、電気料金は、減るが、原爆として使われることもある。この現状をものの見事に予想しているなと思った。しかし、実際のところ現在日本で稼働している原子力発電所の割合は少ない。家で使われている家電もそうだが、何年も使われていない家電は劣化が早いと思う。そのため、稼働していない、劣化がしやすい原子力発電所の検査や点検のために莫大なお金をかけることや、万一、爆発が起こり被害があることを考えると現在、核分裂を使用したことによる物は負の影響の方が大きいと考えている。この負の側面を解決するには、何年かかっても、原爆が起こらないようなシステムづくりからの原子力発電車の再稼働を目標にするべきだと思う。また、現在北朝鮮のミサイル発射が話題になっているが原爆などの悪用はされるべきではないと思う。私たち一般市民が騒いでるだけでは解決されないと思うが、このような意見にしっかりと耳を向けて欲しいと思った。 ---- 原子核のエネルギーを知るだけでなく、コントロールする未来まで見えていることに驚いた。また、コントロールする能力を世界中の国家が求めることや、それによる影響を容易に想像できるはずなのになぜ焚きつけるようなことを言うのか理解できない。 ---- 初めに、人間はもし原子核を思い通りに扱えるようになると、その莫大なパワーとエネルギーを用いて何でもできるようになってしまうんだなと思いました。しかしながら、科学者たちはそのパワーを制御するだろうと謳っていたことは少し安堵感を覚えさせてくれたと同時に、制御しなければならないほどに強大で、一度放ってしまうと恐ろしいパワーであることも知りました。これらの利用方法は、また新たに何かを生み出し、人間の生活を飛躍的に便利にさせることもある一方で、原子爆弾など、一国家の恐ろしい目的によって罪もない多くの人々を傷つけてしまうような悲惨なものさえ生み出してしまうのだなと改めて考えさせられました。科学技術の進歩は常に正の側面と負の側面を伴っていると考えると、これらを推し進めるか否かという問題は容易には判断できなものだと思いました。私たちは常にその両方の側面を考えたうえで、科学に対しての知見を得るべきだと思います。 ---- このように世界を変えてしまう莫大な力を持っていても使う人、国はいないと思う。今の技術では世界を滅ぼすことなど容易なことであり、逆にそのような武器を持っていることで均衡が保たれている。その莫大なエネルギーをどのような使い方をするかで良い方にも悪い方にも進んでいくと考える。 ---- 彼らは核分裂を予期したことで新たなエネルギー源の発見や太陽のエネルギー発生の仕組みの解明に一歩近づいた様に感じた。そして彼らは、それが人類を滅ぼしかねないエネルギーであるということにも気づいた。Soddyは原子力が人類にとって有益にも有害にもなる扱いづらいものであり、それを判断するのはそれを手にした者であると考えている。彼は地球を破壊しうる武器、現在の核兵器の存在を示唆しているし、それと同時に原子力によって世界全体を微笑みの園に変えることができると語っている。彼の言葉通り、現在原子力は人類を支えている反面、多数の事故や核兵器によって我々を脅かす存在でもある。 ---- 「太陽エネルギーの起源の問題も何ら本質的な困難はない」という部分から、彼らはどの程度のエネルギーが潜んでいるのかを具体的に理解していたことに対して驚いたし純粋にすごいなと思いました。しかし、特にF.Soddyの言葉から、人類がこのエネルギーを将来どのように利用するか想像できていたことも同時に読み取れます。「武器」という単語から人間が悪意のある使い方をする可能性があることをわかっていながら、自分たちの予想や発見に対する戸惑いや葛藤がなく、まるで「この力を使わないでどうする」といった印象を受けました。人間の「知りたい」という欲望はその発見が良くない方向へ向かうとわかっていても止めることが難しいのだなと思いました。加えて、「世の中には知らなくてもいいことがある」と言うように、核分裂の発見がなかったら現代の核実験や核抑止はなかったかもしれないと考えると複雑な気持ちになります。 ---- Rutherfordは原子内の莫大なエネルギーと太陽エネルギーを結びつけている。しかし、実際それらを結びつける明確な根拠はなく、いい加減ではないか。なぜ太陽エネルギーに目をつけたのか説明するべきだ。Soddyは人間がエネルギーを使って世界を変えないのはケチだと述べている。しかし私は莫大なエネルギーを使って自然に手を加えるのは危険だと考える。実際、人間が作り出したものによって自然は徐々に壊され、最終的に人間にも害が及ぶ。人間が世界を大きく変えようとしないのは防衛本能からではないか。 ---- 2人の科学者は共に原子内には大きなエネルギーが潜んでいると考えているが、実際原子力発電など、原子の核分裂を利用し発電していることから原子が大きなエネルギーを有しているという考えは正しい。E.Rutherfordの言葉を聞いて、原子内のエネルギーは実際に莫大であるし、この世には当時はまだまだ発見されていなかったものも含め、現在122種類もの元素がある。そのため彼が言う通り莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っていると考える理由は無いと思う。そこで彼が例にあげた太陽のエネルギーについても視野を広げて規模を大きくして考えてみると、原子に潜むエネルギーが大きいからこそ太陽も大きなエネルギーを放出していると考えられるため彼の予言は正しいと考える。しかしF.Soddyは重い物質は全て大きなエネルギーを原子の構造の中に閉じ込めていると考えているが、実際のことは私は分からないが原子は全てとても軽いため、重さとエネルギーの大きさはあまり関係ないのではないかと考えた。また彼は原子をコントロールできることを前提に話しているが、原子のコントロールはとても難しいため彼が考えるような砂漠の大陸の変造などは実現していない。しかし本当に原子をコントロールする技術が発達すれば、彼が述べるように自然をもコントロールすることで、環境問題などの改善にも繋がるのではないか。 ---- 第2回授業でもあったように、科学技術の発展には陰と陽の側面があり、人々の生活を豊かにすると同時に、人々に多大な被害を被る可能性がある。彼らの発言は、人々のためにと作り出したものが、人間の手によって人々に危害を加えることになってしまうという危険性を訴えているのではないかと考える。実際に核兵器が誕生し、その武器のレバーに人間が手をかけた歴史がある。また、東日本大震災では地震の二次災害として、原子力発電所からの放射線物質が大きな問題となった。どんな大きな力もどのように使用するかが重要であると思う。 ---- 「世界全体を微笑みのエデンにもできる」などの言葉は、原子核などの科学技術は世界をより良くするものであり、科学技術の持つ可能性が様々な分野で世界に貢献するという面が強調されていると感じた。実際、日本でも2010年頃には原子力発電が総発電量の25%を占めており、その発電量は日本が必要とする電力を補うために大きく貢献していたと考えられる。この点では確かに原子核は世界をより良くするものだと言えるが、科学者たちの言葉は原子核のエネルギーが世界に不利益を与える可能性があるという面が考慮されていないように感じた。特に、F.Soddyが人間が「そうしようと思えば地球を破壊することもできる」と言っている部分や、原子核のエネルギーをコントロールできることを前提に未来を想像している部分に原子核や人間に対する過信を感じた。実際、日本の福島県で2011年に原子力発電所の事故が起こり、10年以上たった2022年現在でも福島県内には帰還困難区域が残っている。このような事故が起こる可能性があったにもかかわらず、「世界全体を微笑みのエデンにもできる」などの言葉を述べているのは原子核に対する過信であり、F.SoddyやF.Rutherfordは原子核のリスク面に対しても目を向けるべきであったと考える。 ---- 放射性物質が原子核に大きなエネルギーを持っていることをE. RutherfordとF. Soddyは昔から発見していてすごいなと思った。放射性物質にはすさまじいエネルギーがあってそれをコントロールすればすごい自然力で世界の運命を形作るという意味が最初全く理解することができなかった。しかし何日も考えてみたら人間は放射性物質を利用した原子力発電を使い莫大なエネルギーを利用していることに気が付いた。しかし東日本大震災など災害などによって放射能が外に大量に放出されて人間の身体に悪影響を及ぼすことから長年立ち入りができないなど大きな問題となった。なぜ昔から放射性物質は大きなエネルギーを持っているので人間が手を加えてはいけないとわかっていながらもエネルギーとして利用してしまったのだろうかと思った。 ---- RutherfordとSoddyは実験で分かったことに対して、そこで満足することなく懐疑的な視点を持っていることが、言葉からわかった。その理由は、Rutherfordは、原子核を発見しその位置と大きさを発見しただけではなく、その大きさに陽子と中性子が収まっていることから、莫大なエネルギーを持っていると結論付けていて、RutherfordもSoddyも、その莫大なエネルギーは、例えばラジウムといった放射性元素だけではなくほかの物質も持っているのではないかという可能性を示しているからである。この姿勢は、科学者だけではなく21世紀に生きる私たち一人一人も持つべきものではないかと思った。私たちの周りは便利なものであふれている。もちろん便利なものを使うことで生活は豊かで過ごしやすいものになるかもしれないが、私たちは今この瞬間の快適さだけを考えてばかりで未来のことを考えられていないのではないかと思った。例えば、プラスチックは加工がしやすく耐久性も高いため生活の様々なところで使われてきているが、地球温暖化や海洋汚染、資源の枯渇など多くの問題を引き起こしてしまっている。この時点でも未来を考えられていなかったことがわかるが、プラスチック削減のために、近年紙製のストローや袋などに変える店が増えていることにもこの問題は潜んでいるのではないかと考える。確かに紙製のものに変えればプラスチックの使用は減るかもしれないが、今度は森林伐採が進み、将来的には生物のすみかの減少や大気汚染といった新たな問題が発生するのではないか。この視点を持たずにプラスチックを減らすことさえできればいいと考えている人が現代の人には多いと思う。問題を一つだけと考えずにすべてのことに懐疑的な視点を持つことができるようになるべきだということをRutherfordとSoddyの言葉から学ぶことができると思った。 ---- 破壊原子内に潜んでいるエネルギーが太陽エネルギーの起源を説明できるほど莫大なエネルギーをもっていることが分かった。どのくらいというのはイメージが難しいが太陽という私たちに身近な例えは分かりやすいと思った。 人間にとって地球が破壊されれば、自分たちが生活している場がなくなってしまう。だが、その破壊のレバーを所有しているのは人間であるという矛盾が私たちが今抱えている地球温暖化などの問題と同じような状況だと考えた。私たちは生活をするために木を伐採したり、二酸化炭素をどんどん排出しているが、それには犠牲がともなっている。そしてその犠牲によるマイナス面が人間に返ってきているからである。また、人間が生み出したものによって人間が死ぬという矛盾もSoddyの予言から読み取れると考えた。最近では、ロシアとウクライナの戦争での使用が恐れられている核こそが人間によって人間が犠牲になるということをよく表していると考えたからである。ほほえみの園エデンにもできるということはその逆の世界にもできるということであると考えた。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を読んで、両者ともに核分裂はその時点ではなかったものであるのにそうして確信を持って言葉を残したということは、科学の力を信じており、科学はまだまだ大きな力を秘めているということを今までの研究などから悟っていたのだなと感じました。核分裂に限ったことではなく、様々なことにも言えるという事がわかり、いろいろな世界の事象を良い方のものにも、悪い方のものにも変える事ができる可能性を秘めているということを表しているし、そうして表すことによって、科学者からそうではない一般の人にまで様々な場面で影響があるということを示しているのだなと感じました。科学によってこの世界に及ぼされる影響は良くも悪くもとても大きい力であるということを理解させられる内容であると感じました。 ----  科学技術を有効活用するのか、はたまた人を傷つける道具にしてしまうのかは、私たち人類のレバーに委ねられている。  科学技術の活用方法を巡った話題は、Rutherford と Soddy に留まらない。一例として、スウェーデンの科学者であり、ノーベル賞の創始者で有名なアルフレッド・ノーベルを挙げる。彼はニトログリセリンの小さい工場を家族で作ったものの、大きな爆発事故が発生し、彼の末の弟と4人の労働者が亡くなった。ノーベルはニトログリセリンを安全な爆薬にしようと残った兄弟と協力し研究に打ち込んだ。その結果、珪藻土にニトログリセリンを染み込ませると安定性が増し、扱いやすくなることを発見した。さらには雷管も開発し、完成した爆薬をノーベルは「ダイナマイト」として売り出した。当時は蒸気機関が発明され石炭の需要が高まり、交通インフラも急速に発展した。ダイナマイトを用いれば石炭採掘が容易になったり、工期の短縮に繋がるとして世界中から注文が寄せられた。  ノーベルはこれを軍用爆薬として、各国の軍隊にも売り込んだ。彼は、次のような言葉を遺している。『「永遠に戦争が起きないようにするために、驚異的な抑止力を持った物質か機械を発明したい」「敵と味方が、たった一秒間で、完全に相手を破壊できるような時代が到来すれば……」「すべての文明国は、脅威のあまり戦争を放棄し、軍隊を解散させるだろう」。』(ダイヤモンド・オンラインより)一瞬のうちにお互いが絶滅するような兵器をつくることができれば、その恐怖で戦争を起こそうとは思わない、と彼は考えた。一方で現実では、ダイナマイトは戦争に使われ多くの犠牲者を生み出す結果となった。それはノーベルの兄、リュドビックが亡くなった際、ノーベル自身が亡くなったと勘違いをした新聞が「死の商人、死す」という見出しの記事を出すほどであった。(NHK特集記事より)  このように、製作者の意図したものとは違う使用用途で広まってしまった例は多い。放射性物質に関しても、適切に扱えば石油の何倍ものエネルギーを効率的に取り出すことができる反面、そのエネルギーを原子爆弾として人を傷つけることができる。  さらには「物質を変えることができる国家」というのは、核兵器を保有する国の勢力までもを予言していたのでは、と考えた。まさに、アメリカとロシアがそれぞれ保有する核兵器の数を競い合い、お互いの力を誇示し合う時代があった。冷戦である。今なお、世界には約15000発もの核弾頭が存在する。(日本赤十字社HPより)核弾頭は武器であると同時に、より多く保有すればするほど、他国より優位に立てる道具へと変貌した。核兵器により幅を利かせた国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。または失楽園かもしれない。科学技術は功罪という二面性を持つため、その使い方は十分に議論されなければならない。方針を決めるレバーに手をかけるのは私たち市民である。対岸の火事と悠然と構えるのではなく、自分から情報収集をするなどし積極的な姿勢が求められる。 <参考文献> ・「大富豪になったノーベル…爆薬「ダイナマイト」を発明した意外すぎる理由」ダイヤモンド・オンライン https://diamond.jp/articles/-/265843?page=2 アクセス日:2022-10-09 ・「なんでノーベル賞をあげることにしたの?」NHK https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2019/article/article_05.html           アクセス日:2022-10-09 ・「日本だけではない、被爆国」日本赤十字社 https://www.jrc.or.jp/international/news/190807_005824.html                     アクセス日:2022-10-09   ---- まず前提として、この課題のベースとなる彼らの言葉の要旨をまとめたい。彼らは「原子核のエネルギーは莫大だ。やがて人間はそのエネルギーを利用し、地球を破壊する武器をも作ることができる手段を手にするはずだ。だが人間はきっとそれを規制し、世界をまるで楽園のようにできるようなポジティブな使い道をするだろう。」と言っていると私は理解した。ゆえにこれを前提として意見を述べたい。  彼らの気持ちを察するに、私は彼らは原子核の利用により世界は幸せになるのだとポジティブに考えていたのだと思う。人間はきっと倫理的に間違った使い方はしないと、言ってしまえば楽観的な予想を立てていた。あるいはこのようにも捉えられる。彼らは本当は人間が間違った使い方に走る可能性が高いことを予想していたが、自分たち原子核の発見者としての言葉が後世まで読まれるであろうこと自覚し、後世への規制の念も込めてこの言葉をしたためておいたのではないだろうか。だとすれば私たちは、この言葉と私たちがたどってきた歴史を振り返らなければならないと思う。 私たちは原子核をポジティブにもネガティブにも使ってきた。  最もネガティブだったのは、広島・長崎に投下された原子爆弾だろう。莫大なエネルギーは人を殺すことのみを唯一の目的とする残虐な武器に変えられ、数え切れないほど多くの人の命を奪ってしまった。彼ら科学者の願いに沿えなかったことが単純に悲しい。 だがポジティブな用途もあった。原子力発電だ。これは現代人の生活を大きく支えてくれた。大量のエネルギーを生み出してくれる上に温室効果ガスも出さない。放射能の危険性は気になるが、原子力発電が現代生活にも温暖化対策にもかなり役に立っていることはゆるぎない事実だ。 発見者が後世に託した希望は半分叶えられ、半分叶わなかった。現代人は一度立ち止まって私たちがしてきたことを冷静に振り返る時間が必要だと思う。ただ注意しておきたいのは、彼らの言葉は100年以上も昔に発せられたものだということだ。100年前と現在では時代は大きく異なる。私たちをとりまく世界情勢は変わっている。だからこそ、私たちは彼らの言葉を尊重しつつも、同時に今の時代に合った原子力の使い道を考え直していく必要があると思う。例えば、原子力発電は本当に必要なのかどうかをもう一度吟味したり、核爆弾を世界中の国が一斉に放棄する方法を模索したりなどだ。また極論を言ってしまえば、原子力を一切使わないという選択肢もある。あるいは科学の進歩によって原子力エネルギーに匹敵する、放射能のない新たなエネルギー源が発見できる可能性もある。時代は変わる。だから、「原子核の正しい使い方」というものを刷新していく必要があるのだ。 ---- まず、ラザーフォードの文章から見てみる。「原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるに違いない」、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っていると考える何らの理由もない」といった表現をしている。このことから、ラザーフォードは放射性元素が莫大なエネルギーを持っているということを確信しているということが窺える。また、ソディは「重い物質はエネルギーを閉じ込めており、それをコントロールすれば世界の運命を形づくる」、「地球を破壊することができる武器を、けちな人間は油断なく規制する」といった表現をしている。このことから、ソディは地球を破壊できる力を持った放射性元素を利用しないことを惜しみ嘆いているように感じられる。実際、放射線は莫大なエネルギーを持っていたために、福島の原子力発電所の事故のような大きな被害が出た。原発事故により大量の放射線物質が放出され、被ばくした多くの人たちはがんや白血病を発症した。現在ではその被害はほとんどなくなってきているが、被害を受けた人たちの不安や悲しみは消えることはない。また、人間だけでなく魚や米といったものにも影響を与えた。現在多くの原子力発電所が稼働を停止しているが、再稼働の動きも見られる。全ての原子力発電所を廃止するべきだという声もある。しかし、日本の電力自給不足を考えてみてもそうすることは難しい。審査を通り安全だとされたものだけが稼働している状況だが、絶対に安全ということはできないと思う。福島原発事故の際も、安全だと思っていたのにも関わらず起きてしまったのだ。災害に対して人間は無力であり、防げない事態が起こるかもしれない。しかし残っている原発の数は多くないため、1つ1つの安全対策を徹底的に行うことが重要なのではないだろうか。原子力発電なしでも電力を十分賄えるよう、他の発電方法へ徐々に移動していくことが日本にとって良いと思う。また、国民の賛同を得ることも必要である。原子力発電に対して不安を持っている人は多い。どのような基準で発電所を稼働させるのか、いかに安全が確認されているのかといったことを説明し、納得してもらった上で協力してもらうことが重要だと思う。国民もただ傍観するのではなく、理解しようとする姿勢をとるべきだ。このように、原子力発電を今すぐ廃止することは難しいが、国民と国が協力しながら徐々に他の発電に移行していくことが良いのではないかと考える。 ----  私はラザフォードやソディが、原子核からエネルギーを取り出す前から、それを生かすも殺すも人間次第だと予測していたことが印象に残った。それではなぜ、科学者たちは「地球を破壊することもできる」物質を取り出すことに尽力したのか。私は今回の授業で学んできたように、デメリットに見合うだけのメリットがある、画期的なエネルギーだったためだと考える。科学者たちにとっては探究心を刺激し、研究の裾野を広げられるものだったであろうし、一般人は現代でも、放射線の恩恵を受けている。例えば、X線は医療から食品、工業品製造、空港での手荷物検査など多岐に渡る分野で利用できるし、放射線治療によって、がんを効率よく消すことが可能になった。  その一方で原子爆弾や核ミサイルが開発されたり、原発事故が起こったりして、多くの人間の命が脅かされ、失われてしまったことも事実である。ソディーがレバーに手をかけるのは、人間だということを述べていたように、ひとりひとりの放射線に対するリスクの認識が重要であると考える。また、発言力の強い政治家などによって、放射線の技術が悪用されないように、私たちひとりひとりが政治に参加していくことも大切だと感じる。 ---- 人間はRutherfordとSoddyが説いた言葉を重要視すべきだったと考える。原子内に潜む莫大なエネルギーを利用して原子力爆弾や原子力発電を発明されたが、それを使うかどうか決める権力を持つ者やその周りの人々は、そのエネルギーの力や危険性について漠然としか知らなかったのではないだろうか。 Rutherfordの言葉通り、原子内に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーに比べて莫大だ。福島第一原発での事故や第二次世界大戦での原爆投下の被害などから、現代を生きる我々はその危険性について理解している。しかし当時は科学者間でのみ知られていたのかもしれない。これにより多くの人々が原子核について正しい知識を持たない状態で、原子核の所持や使用が始まったと推測する。 またSoddyは、人間が原子核を自由にコントロールするようになると蓄積エネルギーの放出を油断なく規制するのではないかと考えていた。実際原子力の使用は一般的に規制されているが、核兵器を保有したり、原子力発電所を利用する国は存在する。先述した通り、原爆投下や原子力発電所における事故によってようやく多くの人々が原子核の巨大なエネルギーを目の当たりにすることとなったのだ。しかし人間はこれらの利用をやめようとしない。この莫大なエネルギーがもたらす被害を大衆が理解している今だからこそ、過去の出来事から学び、原子核を使用することについて改めて考え直す必要がある。 もし原子核が発明された当時、RutherfordやSoddyの言葉が多くの人々によって深刻に捉えられていたら、核兵器の使用や原子力発電所の稼働は抑えられていたのかもしれない。人間が何か新しい技術を生活に取り入れる際は、危機管理を全て科学者や科学者の知識に任せるだけでなく、自ら知ろうとする姿勢が大切なのだ。 ----  RutherfordとSoddyの言葉を読んでまず一番に私が感じたのは、原子核エネルギーというものを発見した彼らに、核によって平和が失われている今の世界の責任は一切ないということです。  「普通の化学変化で遊離されるエネルギーにくらべて莫大であるに相違ない」という言葉などから、原子核の存在は当初は私たちの生活を豊かにする世紀の発見という認識だったことがよくわかります。実際に現在では多くの国が原子力発電を利用していたり、がんの治療に放射線が使われたりしており、特に原子力発電は、日本が主な発電方法としている火力発電などに比べてCO2の排出量が少なく、コストも安定しているため重要視されているのが事実です。 原子核エネルギーというものは確実に私たちの生活を豊かにした一方で、現在では危険な存在であるという認知も広くされています。私自身も、核と聞くと核兵器や原発事故などが1番に思い浮かんでしまいます。 「それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」という文章の中で、コントロールできるとすれば、という言葉が使われていることは、現代にある核兵器の問題の核心をついていると感じます。RutherfordとSoddyは原子核エネルギーの莫大さに気がついた時から、便利な使い方ができる一方で、それが危険な使われ方をされてしまうことも懸念していたことがこの言葉から分かります。人間が原子核エネルギーを手にした結果コントロールすることができず、平和の失われた世界を形づくってしまったのです。  ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の問題などがなかなか解決に近づけないのは、何をするにも核兵器がちらつき、周りの国もその恐ろしさを知っているからだと思います。世界を破壊できるほどの力を持つ原子核エネルギーが戦争の道具として使われてしまうことは、RutherfordとSoddyが一番望んでいない原子核エネルギーの使われ方に違いありません。二人の大発見が無駄にならないためにも、21世紀を生きる私たちは、核兵器廃絶に取り組むべきです。特に、唯一の核兵器被害者である日本は核の恐ろしさを世界に伝え続け、人々が原子核エネルギーを正しく使えるよう促していく役目を務めていくことが大切だと思います。 ---- 私はこの科学者たちの言葉をきいて一番初めに、考えがずいぶんと壮大であると感じた。原子のエネルギーの莫大さを知ったとき、彼らはもうすでにその先を見据えていたことに驚かされたのだ。同時に、核分裂を予言して、さらに人間が科学をベースにこの世の中に存在する圧倒的な力に気が付いたとき、どう行動していくのかでさえも予想しているのは正直早すぎるのではないだろうかと思った。しかし、科学者にとって一つ一つの小さな発見を積み重ねて大きなことに活用することや、偶然ある事実に気が付いて、どう利用できるのかを考えることが世界を変えるカギを握るということは私でも少しは理解できる。そんな思考を持つ彼らが核分裂という手に負えないほどの威力に気が付いたとき、世界がどう変わるのか必死に頭を働かせ、抽象的なことを想いめぐらすことが精いっぱいだったのではないかとこの言葉から私は推測した。E.Rutherfordの言葉からは無限の可能性を読み取ることができる。当時どれほど原子の仕組みや核分裂の可能性というものが偉大な発見であったのかを明確に表しているともいえるだろう。そして、特に印象に残ったのはF.Soddyの[それはどんな自然力となって…]だ。抽象的だが、当時、核分裂を予言したときに、未来のより科学や技術の発展した世界になったときにいったいどんな世界が待ち受けているのかという興味が表れている。さらに、「そうしようと思えば地球を破壊…」と「物質を変えることができる国家は…」の箇所では、未来の人々に、どうかこの力を悪用せずにうまく利用してほしいという彼自身の希望や願いが込められていると私は解釈した。 私たちは今日、核兵器や核爆弾、原発の問題など様々な困難に直面している。当時の科学者の理想と、願った世界と今の世界は果たして釣り合っているのだろうかと考えた。残念ながら、一部の人間は蓄積エネルギーの放出を規制せず、人々を恐怖に陥れ、自分たちの利益のためだけに利用した。私個人としては理想とは程遠い世界だと思う。これからもしばらくは深刻な問題となる核問題、私たちがどのような行動を選択するべきなのか改めて考えねばならないのではないだろうか。そして同時に、彼らのように小さい発見であれ大きい発見であれ、目の前のことだけに目を止めるのではなくて、先を見据えた考え方が大切だとも感じた。 ----  原子核が発見されたのは1911年、核分裂の予言がされたのは1919年である。歴史を振り返ると、この辺りの時代はヨーロッパで第一次世界大戦が行われていたり、中国や日本などアジアでも様々な戦争、運動が行われていた。科学者たちが「普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて莫大であるに相違ない」「それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」「地球を破壊できる武器を所有する」と考えたのは、このような時代背景が関係してくるのではないかと考えた。もし核分裂の発見がもう少し遅ければ、または極端に早ければ、核分裂を武器に利用するという考えは思い浮かばなかったのではないか。または、思いついたとしても、そのような武器をつくる技術は発展しなかったのではないか。ソディーの「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という発言は、戦火が激しかった時代だったからこそ、核分裂を兵器などに使用せず、世界全体の暮らしに役立てるような使い方をして欲しいという願いが込められていたのではないかと思う。  しかし、科学的な観点からすれば、あの時代に核分裂を発見できたおかげで様々な問題を解決できたり、新しい実験を行うことが出来るようになったのだろう。その実験が現代の私たちの暮らしを豊かにしていることは明白である。あのとき核分裂を発見したことが良かったとも悪かったとも評価できないというのが私の意見である。良いとされていることも、視点を変えれば様々な問題を抱えているのだと思った。 ---- 私は、核分裂を予見していた二人の科学者が伝えたかったことは「核分裂による莫大なエネルギー」と「その力を扱うのが人間であるということを忘れてはいけない」という、二つの意見だと感じた。E.RutherfordとF.Soddyの言葉に共通しているのは、核分裂が当時の科学的知見からは見当もつかないほどの莫大なエネルギーを生みだすと予見していたことだ。特に、Rutherfordはそれが太陽エネルギーの原理であることを予見しており、当時の人々に新たなエネルギーとしての期待を持たせたのではないだろうか。しかし、光があれば影があるように核分裂反応には負の面もある。代表的なものが核兵器だろう。今でこそ、その恐ろしさが周知されているが、核兵器が実在しなかった当時はその恐ろしさに理解どころか、関心すらあまりなかったのではないだろうか。その上で、Soddyの言葉に目を向けると、核分裂を利用した兵器がいつか生み出されること。その兵器が恐るべき威力を持ちうることと、それを支配するのが「人間」であることに、意見をフォーカスさせていることに気が付く。彼は、きっと科学技術が人類に進歩をもたらす一方で、破滅をももたらすことを意識の根底に持っていたのだろう。彼はその言葉の最後で、力を正しく使えば世界をエデンにすることもできると述べている。科学技術の光と闇の部分の両者を視野に入れていた彼は、科学の進歩とは宇宙の真理を整理することであり、その発達が必ずしも人類の進歩につながるわけではないと考えていたのではないだろうか。真意はわからないが、その考え方は今日に生きる我々も持つべきものであると感じる。旧石器時代の人類は石器を作り出し、それを調理器具や農耕の道具として使った一方、武器として用いて争いの道具にも利用した。当時と比べて科学技術が大きく発達した世界に住む我々は、核分裂の仕組みも、その恐ろしさもよく理解しているが、いまだ解明されていない科学技術に対してはその力の理屈も使い方も全くの未知である。どこまで技術が進歩してもそれは、先祖が石器を作ったときと同じ状況なのかもしれない。今日、ロボット工学やクローン技術、A.Iの開発など、人類の発達に大きく貢献するであろう一方で、一歩使い方を誤れば人類を破滅させるかもしれない技術は数多く存在する。私たちが先の二人の科学者の言葉から学ぶべきは、未知の科学技術を運用していくうえで、人類はその技術の進歩だけでなくその力の負の面にも目を向け、それを安全に運用する方法を模索する意識だと考える。 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