核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group06` # 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ---- 原子の大まかな構造しか知らない私でも、彼らの言葉を聞くと、彼らの予言がとても恐ろしく感じた。当たり前のことだが、彼らは私よりも知識があるため核分裂の威力が計り知れないものだということは十分認識していたはずだが、彼らの研究結果を極秘にしようとは思わなかったのかと感じた。核分裂の可能性とこの言葉を残しただけでは、人類は不安になってしまう。確かに研究結果を共有することによって、この世の仕組みの解明に繋がることは確かだが、あまりにもリスクが大きすぎる。彼らは原子についてあまり人に知られずに研究を続ける方法はなかったのかと考えてしまった。 ---- 実験で発見したことは素晴らしく、新発明には期待できるけれど、同時にその技術は危険な方向へも利用できてしまう恐ろしさをこの言葉を読んで感じた。 「それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」という発言から、人間には理想を実現させる力や生活を豊かにする発明ができ、これからの未来に期待が持てる。 しかし、近年では、絶滅危惧種を生き返らせる研究や海底に住む研究が行われていると聞いたことがある。もし、元々自然に存在していたものを、人間の都合によって破壊させてしまっていたならば、それは他の生物のことを考慮しておらず人間中心的で、よい活用例でない。 科学技術の発達や近年の技術の進歩は素晴らしいが、その技術を開発することで代償に、他の生物や環境に悪影響を及ぼしていることが多くあり、問題解決がされる前に新しい技術が出現する。これは現代の課題だと考える。人間が思うままに世界を変えているが、果たしてそれは人間だけが利益を被っていて、他の生物にとっては不利益なだけなのではないのだろうか。実際に今、他国が戦争やミサイルなどで攻撃している事例もある。その弊害として、海の生き物は大量の放射能をあびているはずだ。他の生物も合わせて地球の住人であるため、技術を悪用するのはやってはいけない行為だと感じた。 よって、技術を応用して何かを実現させることはよいことだと思うが、それを悪用レベルにまで使うべきでないと考えた。 ---- =Rutherford= 彼の言葉は、原子の中にあるエネルギの強力さを私たちがわかるように直接的な感じで説明している。また、そのエネルギーの恐怖や偉大さにもふれている。 =Soddy= 彼の言葉は、例えをたくさん使ってて面白いと思った。キリスト教で有名な園エデン、地球温暖化、悪人などと様々なものに例えながら原子の中にあるエネルギーの凄さを伝えている。 ---- Soddyの言葉を読んで、使い方によっては世界を破壊することも平和にすることもできると読み取った。今、世界では新たな核戦争の勃発が危惧されていてこのような時だからこそこれらの言葉を思い出して核の使い方について見直すべき時が来ているのではないだろうか。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を聞いて、それほど昔から原子核の持つ危険は認知されていたのだなぁと驚いた。確かに、Soddyさんの言う通り、原子核の力を上手く利用することが出来れば、世界を楽園にも変えられるのかも知れない。しかし、現段階ではそこまでの技術はないし、仮にあったとしても、必ずそれを悪用する人間が現れるだろう。今の時点ですら、原子爆弾という凶悪な兵器を開発し、所持している国がある。唯一原子爆弾を落とされた国の住人として、今以上発達した科学力を手に入れることは危険ではないかと思ってしまう。二人の言う通り、優れた科学は私たちの生活を豊かにし、サポートしてくれるありがたい存在だけれど、その反面恐ろしい部分もあるということを、常に忘れないようにしたい。 ---- ラザフォードの、原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるという言葉について、動画の視聴前は何のことかさっぱりわからなかったのだが、授業を聞くと、原子内にぎゅうぎゅうにつまった無数の陽子が陽子同士お互いに反発しまくっているのに、原子にはそれを抑えこむだけの信じられないエネルギーがあるとわかり、この言葉に込められた思いを強く実感することができた。またこの言葉を受けて、ソディーの、やろうと思えば地球を破壊することも容易い原子のこのエネルギーを人類は規制していく必要があるという言葉について、私は原子力の研究をもとに開発された核兵器を連想した。そしてその兵器は1945年、日本の広島と長崎に落とされることになるのである。人類は結局、ソディーの危惧していた通りのことをやらかし、皮肉にも世界全体を“ほほえみの国エデン”に変えることはできなかったのである。 ---- 普通は反発力が起こるものがこんなにも小さく凝縮されて集まっているということは、Rutherfordの言葉通り、原子内に潜んでいるエネルギーは普通の化学変化で遊離されるエネルギーとは比べものにならないほどのエネルギーを持っていると思う。とてつもない小さなサイズであるにも関わらず、強力なエネルギーが凝縮され、それが反発力にも勝るエネルギーがあるから原子核という塊が成立していると考えた。原子核のエネルギーについての考えや核分裂の予言が現れたばかりの頃であるためか、RutherfordやSoddyの言葉からは、驚いてはいるものの、今まで検討もつかない未知の領域であった科学の問題の真理に近づいて少し納得をしているような雰囲気を感じた。Soddyが、物質を変化させることができるか否かという考えを飛ばし、もしそうであったらできるであろうことをつらつらと言っているのが、この原子核の強大なエネルギーに対する期待と裏腹に、恐怖心のようなものも抱いているように感じた。 ---- 彼らの言葉を読んで原子には無限の可能性が秘められていると感じました。原子がこの世の全ての大気中を覆い尽くしているので、それを解明するとなると地球全体をコントロールすることも可能になると思ったからです。 ---- Soddyの言葉からは未来の国家は彼の時代でのエネルギーの扱われ方を繰り返してはいけないという願いが込められていると感じた。 第一に、彼は第一次、第二次世界大戦を経験している。そしてそこから私は2段落目の内容が原爆について言っていると考えた。実際、原爆は地球を破壊する武器であったがアメリカは初めから投下しようとはせずハイドパーク協定にも記されたように「熟慮のうえ,爆撃は降伏するまで繰返す」と油断なく規制した上でレバーを引いた。 また、「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」、この言葉の助詞「にも」というのは強調を表す際に用いられる。そこからこの時代では微笑みの園エデンを作るために物質は変えられていないことがわかる。 Soddyが本当に第二次世界大戦を受けてこの言葉を書いたかどうかはわからないが、未来への警告を含んだ文章であることは強く感じられた。 ---- ラザフォードとソディはすでに原子核のエネルギーの危険性を理解して後世へ警鐘を鳴らすためにこのような言葉を残したのかと思いました。そして、このエネルギーを悪用した場合の例として砂漠の大陸の変造の例や、極地の氷を解かす例を挙げたのだと思います。しかし、最後の世界全体を微笑みのそのエデンにできるという言葉が引っ掛かりました。科学者はエデンという本当にあったかもわからないものを例として挙げないのではないかと思ったからです。全体的に抽象的な表現が多かったので難しく理解できないところがほとんどでしたが、最後にエデンという架空の楽園の話をしたということは原子核のエネルギーもうまく利用すれば世界全体に利益を与えるということを暗に示しているのかと思いました。 ---- 私はこの言葉を読んで、まさに21世紀のこの世界は、RutherfordとSoddyが想像したような世界になっていると感じた。私たちは原子核のエネルギーをコントロールできるようになり、それは原子力発電という素晴らしい発電装置を私たちに享受してくれた。その一方で、この原子核のエネルギーを悪用することもできてしまう。原爆などもその一例である。国家の長のボタン一つで核爆弾を落とすことが出来るような世界に今なっているのである。その点においては、いい意味でも悪い意味でも昔と比べて原子核のエネルギーは身近なものなのである。 ---- 1919年の時点で何も分からない、まさに暗闇の中をかき分けて中性子の存在を提唱したラザフォードは素晴らしい科学者だと思いました。また発見だけではなくソディーが核分裂が孕んでいるリスクまで提唱しているのは素晴らしいと感じました。 時が進んで、実際に核分裂を利用した兵器が生み出され奇しくも予言のとおりになってしまったので、今後は世界全体を微笑みの園エデンに変化させて行けるように核の研究を進めて行かないといけないと思いました。 ---- 私は二人の言葉を読んで、21世紀の出来事をまさに予言していると考え、核分裂の恐ろしさを感じた。なぜなら、二人が生きていた頃は原子核内に潜むエネルギーは取り出すこともコントロールすることも不可能であったのに、二人は莫大なエネルギーの強さと人間の性格から将来地球を破壊することもできる武器=原子爆弾の所有や使用を規制することも予言していると思ったからだ。日本は世界で唯一原爆を落とされた場所であり、私も小学校から高校まで原爆の恐ろしさや作ってはいけない理由を学んできたが、その巨大なエネルギーが原子の構造の中に閉じ込められていることを考えていたことがとてもすごいと感じた。私がこの時代に生きていたとしたら、莫大なエネルギーを何かしらには使えるとは考えるが、それが人々の生活に役立つものや、時には命を奪うものにつながるという考えにまでは至らなかったと思う。実際に、今ロシアはウクライナとの戦争で核兵器を使うかもしれない。これが実現すると、日本の原爆投下よりもさらに大きな影響を世界に及ぼし今までの生活とは激変してしまう。それを二人は予言していて、放射エネルギーは利用方法によっては世界の運命を変えるものになると感じた。また、核分裂の予言は東日本大震災の原発問題にも繋がっていると思う。なぜなら、原子力発電で発電することは人々の生活を豊かにできるが、事故が起これば人の命を奪ってしまうものであり、国家の判断でそれが変わっていくと思ったからだ。 これから、科学・技術が今よりも発展し様々な改良が進められれば、さらに核分裂の利用方法が広がり、生活を豊かにできることが増える一方で人々を脅かすものになることは間違いないと考える。理由は、現在の核分裂の使用を見てわかる通り、発電することが可能になったが原発事故の悲惨さは忘れられないものになったからである。しかし、レントゲンや食品の混入異物検査、食物の品種改良などメリットも多くある。よって、私は核分裂の利用をうまく使い分けることによってこれからの時代世界がよくなる方へと進むと考えた。 ---- ラザフォードとソディの言葉を読むと、原子核の膨大なエネルギーを発見した段階で既に規制が必要なことを悟っていることが分かる。しかし、同時にソディは私たち未来人が当たり前のように原子核エネルギー使用の規制を行い、それを上手く扱って、より平和で裕福な世界を創造しているだろうと期待しているように読み取れる。これに対して、今この世界で原子核エネルギーの果たす役割が、2人の思い描く通りになっているとは考えにくい。 まず、エネルギーが「富」と化している点に問題がある。エネルギーの生産は今日の私たちの生活において欠かせないものであり、当然お金が発生する。市場での売却の際、お金に目がくらんで本来のエネルギーの意味を見失っている者もいるのではないかと思う。必要最小限のエネルギーを、まんべんなく世界の万民に届けることが最も重要だと考える。 次に原子核エネルギー使用の限界に関する問題だ。東日本大震災が例にあげられるように、科学の進歩を続ける人間でも、自然の脅威には敵わないことがある。これは原子核という巨大なエネルギーを使う上で、私たちが心しておくべき問題だと思う。ソディのいう「規制」というのは、原子核エネルギー自体の規制だけでなく、それを取り巻く環境とも共存して、人間が上手く使えるようになることを示していると私は感じる。 ---- Rutherfordは放射性元素を用いた実験で原子内のエネルギーが莫大であることを知りました。そこで放射性元素以外に同じように莫大なエネルギーを持っているものがあるのではないかと考えます。私は、 Rutherfordがこの事実からその他のエネルギーに対してなど、科学的な要素について考察をしていったように感じました。Soddyは、Rutherfordとは違い、この事実を利用することができるようになった未来を想像し、どのような世界になるのかという科学ではない面について考察をしていたと考えられます。同じ事実から人により何を考えるかが違うのだということがこの文の印象です。 ---- RutherfordやSoddyがこのように核分裂を予言することができたのはとてもすごいと思ったが、それではなぜ原子力に対する規制が十分になされずに、原爆や原発の事故が起きてしまったのか疑問に感じた。確かに、科学者は専門的な分野に特化し、研究を続けて新しいものを発明したり発見したりすることに努めるのかもしれない。しかし、新しいものには必ずリスクが生じる。経営学の観点から考えると、リスクとは予想とのズレのことである。したがって、リスクを抑えるためにも、その発明したものなどを制御する方法を見つけたり、法で規制したりしてこそ本当の発明であり、倫理的な観点からみても世の中の役に立つものと言えるのではないだろうか。とくに、Soddy は予言の中で人間は蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制すると語っているのだから、もっと早くから原子力を規制するべきであった。世界共通の法での規制や原子力を完全に制御することができるようになったときに、世界は本当の楽園になるのだろう。 ---- 私は、科学者は原子核のエネルギーを発見した時から、原子核が人間に危害を加える武器になり得ることを危惧していたと考える。また、初めて発見されたラジウムの他に違う物質の中にも原子核が存在し、よりエネルギーを持っていると推測していたと考える。実際に人間はウランやプルトニウム原子の原子核を発見した。そして、そこから生み出したエネルギで原子爆弾という兵器を生み出した。この武器は、戦争で使われることになり多くの人を傷つけた道具となった。人間は、科学の力を人間に危害を与えるために使われてはいけないと思う。現在でも核兵器を所有する国がある。その数は約13,400発と推計されて、世界のすべての人類を全滅させることができる量であると考えられている。原子核が発見されていた時から世界を壊しうることが分かっていたのなら、国家が核兵器を次々と作り始める前にその危険性を広めて規制するべきだったと考える。 ---- まずラザフォードの言葉に関して、最後の「太陽エネルギーの起源の問題も」とありますが、原子核という小さな中に密集する陽子のエネルギーの大きさは太陽エネルギーから発するエネルギーの大きさも本質的に同じと言うことだと解釈しました。確かに全体の中の一部という比の視点になるとどちらも巨大な中の一部なので同じ強いエネルギーだと理解できます。しかし元のものの大きさが明らかに太陽の方が大きいためエネルギー的には原子核の方が圧倒的に小さくなってしまいます。ここでソディーの言葉に「そうしようと思えば地球を破壊することもできる武器を所有する…」とありますが原子エネルギーは大きなエネルギーであることには間違いありませんが地球を破壊するほどの力はないことが現代に存在しないという点で証明されます。原子力発電に使われていますが、発見当初はまだ見ぬ未知のエネルギーに大いなる期待をしていたのだと思います。太陽エネルギーを利用できればエネルギー問題は全て解決すると思いますが現代の科学技術では難しいです。いつの日か科学技術の発展で太陽エネルギーを利用し、「ほほえみの園エデン」のような時代になる日が来ると推測します。ただ、ここでソディーの言葉の「地球を破壊することもできる武器」という言葉を思い返されました。莫大なエネルギーを見つけるということは革命的であり今後の幸せを思わせることですが、地球の終わりが来ることでもあるということを伝えてる言葉にも感じました。 ---- 一つ目に、二人の科学者の言葉を読んではじめに感じたのは、原子核内に存在する莫大なエネルギーに対してあまり「怖い」という感情は抱いていないのだなということだ。科学者としては自然な感情なのかもしれないが、「もはや何ら本質的な困難はない。」や「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」と発言しているところに、私の原子に対する印象と全く異なっているなと思った。それは、私の原子に対する印象は原子爆弾や原子力発電所の事故が多くを占めているからなのだと思う。 二つ目に、「物資を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり」という点に対して、自然を人間の手で変えることができてしまうことが怖くはなかったのだろうかと思った。実際、気候変動や世界各地での都市開発によって、砂漠の面積が変わったり、北極の氷が溶け動物に影響がでている。そして、現在生きる多くの人々は良いことだと捉えていない。 三つ目に、核分裂を予言した科学者たちはこの新しい発見に期待していたと思うが、実際には自然を破壊し、生物の命を奪う武器になってしまっている面がある。ダイナマイトが工事現場などでの便利な道具ではなく、戦争での大量虐殺のために使われるようになってしまったように、過去の人々が考えていなかった悲しい結果が生まれていることが残念だと感じた。 これらのことから、便利な何かの裏には危険性が存在するということを忘れてはいけないなと思う。人間が生み出したものは人間が責任をもって取り扱わなければいけない。 ---- Soddyの意見に対して私は人間は想像もつかないくらい果てしないエネルギーをコントロールできるようになってしまったのだと感じました。とてつもなく大きなエネルギーは時に世界を滅ぼす力ともなりエデンの園のような楽園と化すこともできるという一文から現在の世界は破滅の道を辿っているとつくづく思いました。彼らの文章から私が考えたことはどんなエネルギーであっても人間のレバーひとつによって良くも悪くも変わってしまうのだ。(例)広島原爆,ビキニ環礁の水素爆弾実験、と考えました。 ---- 今は科学のことを何も知らない私たちみたいな一般人は原子核の力を使いこなすような能力は持ってないけれど、科学技術の進歩で日常的に原子核の力がいろいろなものに使われるようになったら何れ大変なことが起きるだろうなと思いました。Soddyが言ったように原子核が持つ莫大な力が戦争の武器に使われるようなことがあればだれが止められるでしょうか。そんなことが起きる前に使用を制限しなければいけない。想像もつかない原子核の大きなエネルギーはいいように世界の役に立てることも考えられるし、戦争とか人間を脅かす力になることも十分に考えられる。科学者たちには慎重に使用方法を考えてほしいと思いました。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を読んで私が感じたのは、2人の核分裂に対する認識は異なっていたのではないかと言うことだ。RutherfordもSoddyも同じく核分裂を予測したことは変わりないが、Rutherfordの言葉はあくまでも自分の研究結果から推測された、放射性物質が持つ可能性を述べただけに過ぎず、Soddyは核分裂の持つ大きなエネルギーに気がついた上で、人間がその力を正しく振るうことができるのかと危惧しているように感じる。つまり、Soddyの方が予測としてみればRutherfordの一歩先を進んでいたと言うことだ。そしてこの2人の言葉を現在の21世紀から振り返ってみると、彼らが言っていることは概ね正しかったのだろう。第二次世界大戦で使用された原子爆弾は、ウランの核分裂を利用して作られた兵器であり、広島や長崎に大きな被害をもたらした。あのような悲劇を起こした原子爆弾は、核分裂の正しい使い方ではないとはっきりと言うことができる。にもかかわらず、現在では9カ国もの国が核兵器を使用しており、さらにその数を増やそうとしている国もある。もし再び核戦争が起きるのならば地球は滅んでしまうだろう。つまり、この現在の状況はまさしくSoddyの言ったとおりになったのだ。またSoddyの「本来けちな性格の人間は、そのレバーで、蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するのである」と言う言葉は、原子力発電のことを指しているようにも聞こえる。東日本大震災によって放射性物質が放出され、未だに何万人もの人が避難生活を余儀なくされている。この事故によって原子力の危険性を改めて実感した人々は、原子力発電に代わり火力発電に頼るようになったものの、10年以上たった現在では原子炉の再稼働が進んでいる。もちろん安全に配慮した上での再稼働であり、原子力自体が悪いわけではないが、電力不足が訴えられるようになり原子炉を再稼働するようになったこの姿は、Soddyの言った「油断なく規制する」という言葉に相違ないなと思った。 ---- この2人の言葉から仕組みは説明できないが原子という非常に小さな物質の中にこのような莫大なエネルギーが実際に存在することから、科学には時に想像できない現象が起こり、その力は自然をも変えてしまうような大きな力を持ちうる可能性もあることを改めて実感し、そこに対する恐怖も芽生えた。そのため現在の科学技術を過信せず常に予想外のことが起こる可能性を考えるべきだとより一層強く思った。 ---- Rutherfordは、原子内に潜んでいるエネルギーは普通の化学変化で遊離されるエネルギーよりも莫大であるということを述べているが、まさにその通りだと思う。原子力発電という形でその莫大なエネルギーを私たちの生活に生かしてくれており、東日本大震災以前はかなり多くのエネルギーを原子力発電でまかなっていたことからも、いかに原子力のエネルギーが効率よく発電できるかを表していると思う。一方で、東日本大震災の時のように命に関わる大きな事故が起きてしまったり、Soddyが述べているようにそれをコントロールする人間次第で世界の形を変えることもできてしまうものでもあり、使用には注意しなければいけないだろう。正しく使えば私たちの暮らしを助けてくれるものには間違いないと思うので、よく研究をしてその性質を理解し、使用する人や場面を判断・制限しなければいけないと思う。事故以降停止している原発も多いはずだが、むやみに使う前にそのように立ち止まってもう一度いちから原子力について考え直していくことが必要だと考えている。 ---- 化学が発展途中だった昔でさえ,原子内に潜んでいるエネルギーの大きさを予想していた。化学が発展した今はその膨大さは痛いほどわかっているはずだ。 そのエネルギーをどう使うかは人間の自由である。悪いようにもいいようにも使えるという考えは,現代も変わっていないだろう。常に危険と隣り合わせということは,東日本大震災で実感したはずだ。そのような危険を経験したからこそ,科学者ではないわたしたちでも危険さがわかり,どのように向き合っていくべきかを考えることができると思う。何も知識がない状態だと難しいことであるため,私はこれから原子核のエネルギーについて深く学び,これからのあり方を自分なりに考えていきたい。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を、私は「原子内に潜んでいるエネルギーは膨大なものであり、そのような膨大な力を持つエネルギーは他の物質も持ち得る。そのような強大な武器になり得るものを所有するのは人間であり、その規制も可能である。人間の選択次第で世界は大きくその容貌を変える。」と読み取った。確かにとてつもないエネルギーについて人間以上に理解する動物はいない。第二次世界大戦において、人間は一度原子の持つエネルギーを誤った方法で使用し、大きな犠牲を生んでいる。しかしだからといって原子のエネルギーそのものを全規制し否定するのは勿体無いように思う。Soddyの言うように、エネルギーは選択次第で武器にもなるが世界を良くする道具にもなり得るのだから。世界の未来は人間の選択に託されているのだろう。 ---- 2人の予想には当たっている点とはずれている点がある。 まず、当たっている点について述べる。RutherfordもSoddyも予想した大きなエネルギーであるという見解は、原爆や原発で利用された・利用されているエネルギー量を見てみるとわかるように当たっているだろう。また、戦時中世界に衝撃を与えた原子爆弾はまさに、Soddyの『そうしようと思えば地球を破壊することもできる武器』であると考える。 次に一部のみ当たっている点について述べる。『レバーに手をかける人間だろうが、本来けちな性格の人間は、そのレバーで、蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するのである。』という予想は、原子力発電の危険性を知りながらなお発電し蓄積し続ける日本を含む世界の国の現状を見ると、エネルギーを規制しようとしているとみることができるので当たっている。しかし一方、アメリカやロシアをはじめとする核保有国が核を使わずエネルギーを規制しているのは、「けちな性格の人間」だからではなく、核の保有を理由に対立しないようにする「恐怖の均衡」が生まれているからであると考える。よって蓄積エネルギーの放出を規制しているのは人間の「けち」という性格だけではないと思う。 最後に、間違っている予想について述べる。『世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。』という予想は間違っている。たしかに、核分裂を理解した国が船舶や電池など生活が便利になるようなものをつくることはできる。しかし、正しく利用せず原爆や原発という悲劇が生まれた事実もあり、必ずしもほほ笑みの園にはならないと考える。「どのように使うか」が将来を左右するのである。 ----  莫大なエネルギーの研究が進み、核兵器を持つ国が多くなってきた現代において、その兵器がどの程度の威力なのか分からないという所に恐ろしさを感じた。Soddyの言葉には、地球を破壊できるほどの武器を持ってしまった国は、その力に頼ってエネルギーを規制できるとあったが、武器を持つ国が増えてしまった現代は、規制ではなく抑制しあっている現状である。どの国が一番強力な力を持っているかという争いになり、平和と呼べる時代にはない。また、核を持たない国々は核保有国に従わざるを得ない状況にあり、自国を自国の力だけでは守れず、危険な事態へと近づいている。私は、現代は技術が進みすぎたが故に世界をどんな状態にもすることができるようになったと思う。エネルギーの発見で人を滅ぼせるほどの武器が作られたのは、研究して力を見つけた人が、周囲のためではなく、自分勝手に支配できる世界にしようとしているからだと思った。強力な武器が世の中に存在すること自体が危険であるため、技術の進歩が必ずしも誇れることではないと考える。技術だけが一人歩きして、気付いたら引き返せないところまで来ていた思いもよらぬ時代にある。発達しすぎた技術と向き合い、どのようにするかをこれからは考えていかなくてはならないと思う。 ---- まず前提として、この課題のベースとなる彼らの言葉の要旨をまとめたい。彼らは「原子核のエネルギーは莫大だ。やがて人間はそのエネルギーを利用し、地球を破壊する武器をも作ることができる手段を手にするはずだ。だが人間はきっとそれを規制し、世界をまるで楽園のようにできるようなポジティブな使い道をするだろう。」と言っていると私は理解した。ゆえにこれを前提として意見を述べたい。  彼らの気持ちを察するに、私は彼らは原子核の利用により世界は幸せになるのだとポジティブに考えていたのだと思う。人間はきっと倫理的に間違った使い方はしないと、言ってしまえば楽観的な予想を立てていた。あるいはこのようにも捉えられる。彼らは本当は人間が間違った使い方に走る可能性が高いことを予想していたが、自分たち原子核の発見者としての言葉が後世まで読まれるであろうこと自覚し、後世への規制の念も込めてこの言葉をしたためておいたのではないだろうか。だとすれば私たちは、この言葉と私たちがたどってきた歴史を振り返らなければならないと思う。 私たちは原子核をポジティブにもネガティブにも使ってきた。  最もネガティブだったのは、広島・長崎に投下された原子爆弾だろう。莫大なエネルギーは人を殺すことのみを唯一の目的とする残虐な武器に変えられ、数え切れないほど多くの人の命を奪ってしまった。彼ら科学者の願いに沿えなかったことが単純に悲しい。 だがポジティブな用途もあった。原子力発電だ。これは現代人の生活を大きく支えてくれた。大量のエネルギーを生み出してくれる上に温室効果ガスも出さない。放射能の危険性は気になるが、原子力発電が現代生活にも温暖化対策にもかなり役に立っていることはゆるぎない事実だ。 発見者が後世に託した希望は半分叶えられ、半分叶わなかった。現代人は一度立ち止まって私たちがしてきたことを冷静に振り返る時間が必要だと思う。ただ注意しておきたいのは、彼らの言葉は100年以上も昔に発せられたものだということだ。100年前と現在では時代は大きく異なる。私たちをとりまく世界情勢は変わっている。だからこそ、私たちは彼らの言葉を尊重しつつも、同時に今の時代に合った原子力の使い道を考え直していく必要があると思う。例えば、原子力発電は本当に必要なのかどうかをもう一度吟味したり、核爆弾を世界中の国が一斉に放棄する方法を模索したりなどだ。また極論を言ってしまえば、原子力を一切使わないという選択肢もある。あるいは科学の進歩によって原子力エネルギーに匹敵する、放射能のない新たなエネルギー源が発見できる可能性もある。時代は変わる。だから、「原子核の正しい使い方」というものを刷新していく必要があるのだ。 ---- まず、ラザーフォードの文章から見てみる。「原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるに違いない」、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っていると考える何らの理由もない」といった表現をしている。このことから、ラザーフォードは放射性元素が莫大なエネルギーを持っているということを確信しているということが窺える。また、ソディは「重い物質はエネルギーを閉じ込めており、それをコントロールすれば世界の運命を形づくる」、「地球を破壊することができる武器を、けちな人間は油断なく規制する」といった表現をしている。このことから、ソディは地球を破壊できる力を持った放射性元素を利用しないことを惜しみ嘆いているように感じられる。実際、放射線は莫大なエネルギーを持っていたために、福島の原子力発電所の事故のような大きな被害が出た。原発事故により大量の放射線物質が放出され、被ばくした多くの人たちはがんや白血病を発症した。現在ではその被害はほとんどなくなってきているが、被害を受けた人たちの不安や悲しみは消えることはない。また、人間だけでなく魚や米といったものにも影響を与えた。現在多くの原子力発電所が稼働を停止しているが、再稼働の動きも見られる。全ての原子力発電所を廃止するべきだという声もある。しかし、日本の電力自給不足を考えてみてもそうすることは難しい。審査を通り安全だとされたものだけが稼働している状況だが、絶対に安全ということはできないと思う。福島原発事故の際も、安全だと思っていたのにも関わらず起きてしまったのだ。災害に対して人間は無力であり、防げない事態が起こるかもしれない。しかし残っている原発の数は多くないため、1つ1つの安全対策を徹底的に行うことが重要なのではないだろうか。原子力発電なしでも電力を十分賄えるよう、他の発電方法へ徐々に移動していくことが日本にとって良いと思う。また、国民の賛同を得ることも必要である。原子力発電に対して不安を持っている人は多い。どのような基準で発電所を稼働させるのか、いかに安全が確認されているのかといったことを説明し、納得してもらった上で協力してもらうことが重要だと思う。国民もただ傍観するのではなく、理解しようとする姿勢をとるべきだ。このように、原子力発電を今すぐ廃止することは難しいが、国民と国が協力しながら徐々に他の発電に移行していくことが良いのではないかと考える。 ----  私はラザフォードやソディが、原子核からエネルギーを取り出す前から、それを生かすも殺すも人間次第だと予測していたことが印象に残った。それではなぜ、科学者たちは「地球を破壊することもできる」物質を取り出すことに尽力したのか。私は今回の授業で学んできたように、デメリットに見合うだけのメリットがある、画期的なエネルギーだったためだと考える。科学者たちにとっては探究心を刺激し、研究の裾野を広げられるものだったであろうし、一般人は現代でも、放射線の恩恵を受けている。例えば、X線は医療から食品、工業品製造、空港での手荷物検査など多岐に渡る分野で利用できるし、放射線治療によって、がんを効率よく消すことが可能になった。  その一方で原子爆弾や核ミサイルが開発されたり、原発事故が起こったりして、多くの人間の命が脅かされ、失われてしまったことも事実である。ソディーがレバーに手をかけるのは、人間だということを述べていたように、ひとりひとりの放射線に対するリスクの認識が重要であると考える。また、発言力の強い政治家などによって、放射線の技術が悪用されないように、私たちひとりひとりが政治に参加していくことも大切だと感じる。 ---- 人間はRutherfordとSoddyが説いた言葉を重要視すべきだったと考える。原子内に潜む莫大なエネルギーを利用して原子力爆弾や原子力発電を発明されたが、それを使うかどうか決める権力を持つ者やその周りの人々は、そのエネルギーの力や危険性について漠然としか知らなかったのではないだろうか。 Rutherfordの言葉通り、原子内に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーに比べて莫大だ。福島第一原発での事故や第二次世界大戦での原爆投下の被害などから、現代を生きる我々はその危険性について理解している。しかし当時は科学者間でのみ知られていたのかもしれない。これにより多くの人々が原子核について正しい知識を持たない状態で、原子核の所持や使用が始まったと推測する。 またSoddyは、人間が原子核を自由にコントロールするようになると蓄積エネルギーの放出を油断なく規制するのではないかと考えていた。実際原子力の使用は一般的に規制されているが、核兵器を保有したり、原子力発電所を利用する国は存在する。先述した通り、原爆投下や原子力発電所における事故によってようやく多くの人々が原子核の巨大なエネルギーを目の当たりにすることとなったのだ。しかし人間はこれらの利用をやめようとしない。この莫大なエネルギーがもたらす被害を大衆が理解している今だからこそ、過去の出来事から学び、原子核を使用することについて改めて考え直す必要がある。 もし原子核が発明された当時、RutherfordやSoddyの言葉が多くの人々によって深刻に捉えられていたら、核兵器の使用や原子力発電所の稼働は抑えられていたのかもしれない。人間が何か新しい技術を生活に取り入れる際は、危機管理を全て科学者や科学者の知識に任せるだけでなく、自ら知ろうとする姿勢が大切なのだ。 ---- RutherfordとSoddyは実験で分かったことに対して、そこで満足することなく懐疑的な視点を持っていることが、言葉からわかった。その理由は、Rutherfordは、原子核を発見しその位置と大きさを発見しただけではなく、その大きさに陽子と中性子が収まっていることから、莫大なエネルギーを持っていると結論付けていて、RutherfordもSoddyも、その莫大なエネルギーは、例えばラジウムといった放射性元素だけではなくほかの物質も持っているのではないかという可能性を示しているからである。この姿勢は、科学者だけではなく21世紀に生きる私たち一人一人も持つべきものではないかと思った。私たちの周りは便利なものであふれている。もちろん便利なものを使うことで生活は豊かで過ごしやすいものになるかもしれないが、私たちは今この瞬間の快適さだけを考えてばかりで未来のことを考えられていないのではないかと思った。例えば、プラスチックは加工がしやすく耐久性も高いため生活の様々なところで使われてきているが、地球温暖化や海洋汚染、資源の枯渇など多くの問題を引き起こしてしまっている。この時点でも未来を考えられていなかったことがわかるが、プラスチック削減のために、近年紙製のストローや袋などに変える店が増えていることにもこの問題は潜んでいるのではないかと考える。確かに紙製のものに変えればプラスチックの使用は減るかもしれないが、今度は森林伐採が進み、将来的には生物のすみかの減少や大気汚染といった新たな問題が発生するのではないか。この視点を持たずにプラスチックを減らすことさえできればいいと考えている人が現代の人には多いと思う。問題を一つだけと考えずにすべてのことに懐疑的な視点を持つことができるようになるべきだということをRutherfordとSoddyの言葉から学ぶことができると思った。 ----  RutherfordとSoddyの言葉を読んでまず一番に私が感じたのは、原子核エネルギーというものを発見した彼らに、核によって平和が失われている今の世界の責任は一切ないということです。  「普通の化学変化で遊離されるエネルギーにくらべて莫大であるに相違ない」という言葉などから、原子核の存在は当初は私たちの生活を豊かにする世紀の発見という認識だったことがよくわかります。実際に現在では多くの国が原子力発電を利用していたり、がんの治療に放射線が使われたりしており、特に原子力発電は、日本が主な発電方法としている火力発電などに比べてCO2の排出量が少なく、コストも安定しているため重要視されているのが事実です。 原子核エネルギーというものは確実に私たちの生活を豊かにした一方で、現在では危険な存在であるという認知も広くされています。私自身も、核と聞くと核兵器や原発事故などが1番に思い浮かんでしまいます。 「それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」という文章の中で、コントロールできるとすれば、という言葉が使われていることは、現代にある核兵器の問題の核心をついていると感じます。RutherfordとSoddyは原子核エネルギーの莫大さに気がついた時から、便利な使い方ができる一方で、それが危険な使われ方をされてしまうことも懸念していたことがこの言葉から分かります。人間が原子核エネルギーを手にした結果コントロールすることができず、平和の失われた世界を形づくってしまったのです。  ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の問題などがなかなか解決に近づけないのは、何をするにも核兵器がちらつき、周りの国もその恐ろしさを知っているからだと思います。世界を破壊できるほどの力を持つ原子核エネルギーが戦争の道具として使われてしまうことは、RutherfordとSoddyが一番望んでいない原子核エネルギーの使われ方に違いありません。二人の大発見が無駄にならないためにも、21世紀を生きる私たちは、核兵器廃絶に取り組むべきです。特に、唯一の核兵器被害者である日本は核の恐ろしさを世界に伝え続け、人々が原子核エネルギーを正しく使えるよう促していく役目を務めていくことが大切だと思います。 ---- 私はこの科学者たちの言葉をきいて一番初めに、考えがずいぶんと壮大であると感じた。原子のエネルギーの莫大さを知ったとき、彼らはもうすでにその先を見据えていたことに驚かされたのだ。同時に、核分裂を予言して、さらに人間が科学をベースにこの世の中に存在する圧倒的な力に気が付いたとき、どう行動していくのかでさえも予想しているのは正直早すぎるのではないだろうかと思った。しかし、科学者にとって一つ一つの小さな発見を積み重ねて大きなことに活用することや、偶然ある事実に気が付いて、どう利用できるのかを考えることが世界を変えるカギを握るということは私でも少しは理解できる。そんな思考を持つ彼らが核分裂という手に負えないほどの威力に気が付いたとき、世界がどう変わるのか必死に頭を働かせ、抽象的なことを想いめぐらすことが精いっぱいだったのではないかとこの言葉から私は推測した。E.Rutherfordの言葉からは無限の可能性を読み取ることができる。当時どれほど原子の仕組みや核分裂の可能性というものが偉大な発見であったのかを明確に表しているともいえるだろう。そして、特に印象に残ったのはF.Soddyの[それはどんな自然力となって…]だ。抽象的だが、当時、核分裂を予言したときに、未来のより科学や技術の発展した世界になったときにいったいどんな世界が待ち受けているのかという興味が表れている。さらに、「そうしようと思えば地球を破壊…」と「物質を変えることができる国家は…」の箇所では、未来の人々に、どうかこの力を悪用せずにうまく利用してほしいという彼自身の希望や願いが込められていると私は解釈した。 私たちは今日、核兵器や核爆弾、原発の問題など様々な困難に直面している。当時の科学者の理想と、願った世界と今の世界は果たして釣り合っているのだろうかと考えた。残念ながら、一部の人間は蓄積エネルギーの放出を規制せず、人々を恐怖に陥れ、自分たちの利益のためだけに利用した。私個人としては理想とは程遠い世界だと思う。これからもしばらくは深刻な問題となる核問題、私たちがどのような行動を選択するべきなのか改めて考えねばならないのではないだろうか。そして同時に、彼らのように小さい発見であれ大きい発見であれ、目の前のことだけに目を止めるのではなくて、先を見据えた考え方が大切だとも感じた。 ----  原子核が発見されたのは1911年、核分裂の予言がされたのは1919年である。歴史を振り返ると、この辺りの時代はヨーロッパで第一次世界大戦が行われていたり、中国や日本などアジアでも様々な戦争、運動が行われていた。科学者たちが「普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて莫大であるに相違ない」「それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」「地球を破壊できる武器を所有する」と考えたのは、このような時代背景が関係してくるのではないかと考えた。もし核分裂の発見がもう少し遅ければ、または極端に早ければ、核分裂を武器に利用するという考えは思い浮かばなかったのではないか。または、思いついたとしても、そのような武器をつくる技術は発展しなかったのではないか。ソディーの「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という発言は、戦火が激しかった時代だったからこそ、核分裂を兵器などに使用せず、世界全体の暮らしに役立てるような使い方をして欲しいという願いが込められていたのではないかと思う。  しかし、科学的な観点からすれば、あの時代に核分裂を発見できたおかげで様々な問題を解決できたり、新しい実験を行うことが出来るようになったのだろう。その実験が現代の私たちの暮らしを豊かにしていることは明白である。あのとき核分裂を発見したことが良かったとも悪かったとも評価できないというのが私の意見である。良いとされていることも、視点を変えれば様々な問題を抱えているのだと思った。 ---- 私は、核分裂を予見していた二人の科学者が伝えたかったことは「核分裂による莫大なエネルギー」と「その力を扱うのが人間であるということを忘れてはいけない」という、二つの意見だと感じた。E.RutherfordとF.Soddyの言葉に共通しているのは、核分裂が当時の科学的知見からは見当もつかないほどの莫大なエネルギーを生みだすと予見していたことだ。特に、Rutherfordはそれが太陽エネルギーの原理であることを予見しており、当時の人々に新たなエネルギーとしての期待を持たせたのではないだろうか。しかし、光があれば影があるように核分裂反応には負の面もある。代表的なものが核兵器だろう。今でこそ、その恐ろしさが周知されているが、核兵器が実在しなかった当時はその恐ろしさに理解どころか、関心すらあまりなかったのではないだろうか。その上で、Soddyの言葉に目を向けると、核分裂を利用した兵器がいつか生み出されること。その兵器が恐るべき威力を持ちうることと、それを支配するのが「人間」であることに、意見をフォーカスさせていることに気が付く。彼は、きっと科学技術が人類に進歩をもたらす一方で、破滅をももたらすことを意識の根底に持っていたのだろう。彼はその言葉の最後で、力を正しく使えば世界をエデンにすることもできると述べている。科学技術の光と闇の部分の両者を視野に入れていた彼は、科学の進歩とは宇宙の真理を整理することであり、その発達が必ずしも人類の進歩につながるわけではないと考えていたのではないだろうか。真意はわからないが、その考え方は今日に生きる我々も持つべきものであると感じる。旧石器時代の人類は石器を作り出し、それを調理器具や農耕の道具として使った一方、武器として用いて争いの道具にも利用した。当時と比べて科学技術が大きく発達した世界に住む我々は、核分裂の仕組みも、その恐ろしさもよく理解しているが、いまだ解明されていない科学技術に対してはその力の理屈も使い方も全くの未知である。どこまで技術が進歩してもそれは、先祖が石器を作ったときと同じ状況なのかもしれない。今日、ロボット工学やクローン技術、A.Iの開発など、人類の発達に大きく貢献するであろう一方で、一歩使い方を誤れば人類を破滅させるかもしれない技術は数多く存在する。私たちが先の二人の科学者の言葉から学ぶべきは、未知の科学技術を運用していくうえで、人類はその技術の進歩だけでなくその力の負の面にも目を向け、それを安全に運用する方法を模索する意識だと考える。 ---- ----