放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group06` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- 私はこの言葉を聞いたとき、科学知識の恐ろしさを目の当たりにしました。特に、湧くかもしれない疑問を具体的に3つ挙げていることに現実味を感じました。ノーベル賞の受賞公演ということは、本来は研究の成果を称賛するべきである場所なのに、この言葉に喜びはあまり感じ取れません。その場にいた一般の人たちは不安になったと思います。しかし本当に国民に向けて投げかけた、包み隠さないリアルな言葉であると思うので、科学者は研究が悪の手に渡る可能性があることを自覚しているのだという安心もあると感じました。逆に自分が科学者であり、もしその場にいたら、今後悪を阻止するために生きなくてはという責任感を感じると思いました。 ---- 自然の秘密を暴いた知識はかえって災いになるという言葉があるが、それに私も共感する。なぜなら、どんなに良い発見をしても事故や欠陥が見つかれば改良するのが難しい課題となる場合もあるからだ。むしろ、発明しなかった方が環境にも影響しなかったものは色々とあると思う。 また、新たな技術を手に入れられる反面、それが悪用されてしまえば、永久に悪いイメージが染みついてしまうからだ。 そして、「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる者です。」の発言について、私も人間は善を引き出してほしいし、そうであるべきだと思うが、世の中には悪人もいるので、なかなか心から信じるのが難しいと感じた。 ---- このような自然の強力な力や秘密をあばいていき、良いことはもちろんたくさんあるが、その新しく発見したものを使い危険なものを製作する人も必ずいると思う。そのため、新しい発見をするにはリスクがあると思う。今の世界で考えた時、ロシアには一番大きな原子爆弾があるということがわかる。それも、新たな発見があったからこそ、原子爆弾があるのだ。P.Curieが恐れていたものが現在、この世界で起きていて、技術や科学が発展していき、新たな発見があった時がとても怖いと思う自分がいる。 ---- Curieさんの言葉は、性善説に基づいているものだと思った。優れた科学技術は、人間たちによって戦争などに用いられてしまうこともあるけれど、その分私たちの生活の役にも立っている。原子力発電だって、事故を起こせば人体に有害だが、他のどの発電方法よりも沢山の電気を発電してくれる。それによって、私たちは電気に困らず暮らせているのだから、原子力は危険だから使うなと、一概に言うことは出来ない。危険な力を適切に、安全に使う手段を考案しなければならないと感じた。 ---- 放射性物質の恐ろしさは、被爆者の体験談や、最近で言えば福島第一原発の事故の例を見てもよくわかる。ここで、「科学は善にも悪にもなり、自分の発見した放射性物質が正しく使われることを望む」というピエールの言葉を私たちは改めて強く心にとめておく必要がある。 ---- 研究が進み今まで不明であった放射性物質の存在を突き止めたことができたという事実は、人々がそれを上手く活用し利用していけば世界中がより良くそして快適になるはずである。しかしキュリーは前回の核分裂を発見された時の科学者たちの言葉のように、悪いように使われて人々が不幸な災いを引き起こさないか心配している。さらに私には、前回の核分裂を知った未知のものの発見のようなこととは違い、より具体的で放射性物質という性質そのものを突き止めているので、具体的な悪用の仕方も容易に思いついてしまうことが研究結果を発表するのをさらに不安にさせているように感じた。それでもなお、研究の結果を世の中に伝えようとした理由は、最後に述べられているようにキュリーが『ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者』であるからであると思う。この意味はつまり、悪い使い方をされることに恐れるのに勝るほど、それが世界中の人々を豊かにして良い方向に導いてくれる、素晴らしい発見になることを信じているということであると思う。そして同時にそうなってほしいという人々への訴えかけや願いがこもっているように思えた。ノーベルが爆薬を世に伝えたように、キュリーの研究の発表は人々の幸せを願って行い、実際に人々の生活を豊かにした素晴らしいことであると思う。しかしキュリーの言葉通り、現在では人々に不幸な災いが降りかかってしまうかも知れぬような、放射性物質が関連する事例も多く存在する。これらを今後どのように対処するかは現在ぶつかっている重要な課題であると考えた。 ---- 私はこの記事を読んで自然の力に人間が干渉することは良くないと思う。確かに自然について知ることで生活が豊かになっているけれども、それ以上に我々に被害を及ぼす点を考慮すると自然の脅威の方が恐ろしいからだ。 ---- ピエール・キュリーはノーベルのダイナマイト開発の前例から、自身の開発したラジウムが自分がそれを開発した時の思いと逆の使われ方をされてしまわないかと心配していると考えられます。ノーベルが開発したダイナマイトは、彼の願いである「強力な爆薬の開発と使用が人間に恐怖を生み出し、恐怖のあまりに戦争を起こそうと言う思いはなくなる」こととは反対にその兵器がより活発に使われるようになってしまいました。彼の生み出したラジウムも同様に人間に害を与えることのできる物質であったため、ピエールはこのような心配をしたのだと考えられます。 ---- キュリーは放射性物質が犯罪者の手にわたってしまった時の危険性をやはり理解していたのだと思いました。そのため、「人間が自然の秘密を暴いていくのは有意義なことなのか」という疑問が生まれたのだと思います。その後ノーベルの強力な爆薬の発明に対する善の部分と悪の部分を発言したのだと思います。しかし、最後に「人類は新しい発見から悪にもまして善のほうを引き出すであろう」ということを発言しているので後世の人類を信じてくれているのだと思いました。 ---- 犯罪者の手に渡ってしまうと危険なものになる要素が含まれるラジウムをなぜ世に発表したのだろうか。私の考えではそれは、キュリー夫妻がその時代の世の中に希望を与え自分自身も希望を持ちたかったからではないかと思う。我々の生活を豊かにしてくれるものにも、どんな危険なものにもなることができる放射性物質を、悪い方向ではなく良い方向で使ってくれる人々の方が多いことが分かればまだその時代の世の中に希望を持てたのではないだろうか。さらにそんな悪いことなどに使わないで欲しい、と人々を信じたかったということも考えられる。 授業内で例に挙げられていたように、ダイナマイトを発明したノーベルの理想とは全く違う爆薬という形で応用された例を知っているキュリー夫妻としては、この言葉の最後の強い一文が最も伝えたいことなのではないかと感じた。この例だけでなく他の科学技術の兵器への応用例の歴史を知っている我々にとっても、この一文が科学者による言葉ということですごく説得力のあるものだと思った。 または、開発者がこの言葉を残すことによって、言霊として人々に覚えてもらい良い方向に使われる活用のみを望んでいたとも考えられるかもしれない。 ---- 「人間が自然の秘密をあばいていくのは有意義なものなのか」この問いに対して答えることはものすごく難しいことのように感じました。それらの発見によって私たちの生活が豊かになったのは疑いようもない事実であるから有意義でないとは決して言えない。しかしノーベルの発見したダイナマイトは結果的に国民を戦争に導く爆薬を作り出したという点で私たちを苦しい状況にもっていったといえる。その点からすると有意義なものとは言えない。この問委は、答えを出すことができない難しいものだと感じた。 ---- 私は、P.Curieはノーベルの発見したダイナマイトが科学・技術に大きな進歩を与えたと共に、戦争などにも使われてしまい新しく発明されたものに対して便利になる側面がある一方で、大きなリスクも抱えていることを理解している。このような悪にも変えられる恐ろしさを知っていたからこそ平和を求める未来の人類は悪の目的として新しい科学を利用しないで、豊かな方に使ってほしいと願っていると感じた。しかし、現在では前回の講義でも扱ったように核分裂を原子爆弾や原子力発電所に利用しどちらも悪への影響が大きく出ていると思う。また、クローン技術の観点からも同じことが言える。なぜなら、技術の発展によって同一の遺伝子から同じものが作れるがそれが後に人権の侵害に繋がり、新たな問題を起こす可能性があるかもしれない。これでは、開発が進み安全であるとしても人間の生活に役立つからと言って作り続ければ、それは生態系を崩すことになり得ると考える。また、火というのは、人類が開発したものではないが初め昔の人は火事が起きてもそれは怖いものとして近づくことはなかった。しかし、人々は徐々にその火に近づいたりすることで、自分たちの生活に役立てていった。例えば照明代わりや、調理に使うなど現在では加工する際にも火を扱っている。またその火を戦争にも使用するなどしてきた歴史もある。この進歩は、人間の興味や欲望からうまれたと考える。このように人間は、自分たちの使いたいようになんでも願望を叶えることができる。去年の今頃、京王線では、油のような液体をまいて放火した事件がある。これは、火を使った悪な犯行といえる。人々は自分の感情で何も悪いことをしていない赤の他人にまで被害を加えてしまうときもあるため、科学者だけでなく国民が科学・技術の発達に対する悪い影響については理解を深めやってはいけないことだと主張できる世界にならなければいけないと考えた。 ---- 人間は科学の進歩による恩恵を多く受けている。だからこそ科学に携わり、科学的発見を人類皆で喜び、祝う。歴史上この繰り返しだったからこそ今の私たちがいる訳だから、科学的発見が有意義なものであることは間違いないと思う。Curieは悪にもまして善の方に使うよう信じると述べているが、私は人間は元々悪の心を持っているのではないと思う。「欲、富、地位」などに縛られることで善悪の区別がつかなくなる。戦争も元はと言えばこれらが発端の要因であるはずだ。つまり私たちは、発見された科学を、それは上限があること、それを超えると人類は破滅に向かうことを理解した上で慎重に使うことが必要であると言える。 ---- 私は人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことだと思います。もちろん、P. Curieが言うように、その知識が悪用されてしまったという歴史があります。しかし、自然の秘密をあばくことで人々の日々の生活は格段と便利になりました。自然の秘密を暴いた技術の例として、地震の予測があげられます。地震予測は、まだ完全なものではありませんが、私は地震大国日本に住むものとして、あってよかったと感謝している技術です。 私は戦争を知らない世代なのでこのような考えになるのかもしれません。戦争を経験した祖父に戦争について話をしてもらったときに、悪く使われるならそんなものない方がいいと言っていました。 悪用をされないようにする、これが大事なことであると考えます。 ---- キュリーは、原子力がノーベルの発見したダイナマイトと同じ道を進んでしまうことを示唆しながらも、人間が正しい使い方をしてくれると信じていた。しかし、結果として善の使い方である、原子力発電でも人間や自然を脅かす大きな事故が起き、日本には原子力爆弾が投下され、キュリーの願った通りにはならなかった。ここで一つ言えるのは、人間は過去の過ちを反省したとしても、欲望に負けてまた新たな過ちを繰り返すということである。 キュリーには放射性物質を発見したことに対して、視点を変えると良い点と悪い点が両方ある。キュリーの良い点をあげると、世界に原子力という大きな力を与えたことである。また、この知識を発見してしまったことに対して反省を示しながらも正しい方法で使ってほしいとメッセージを残していることである。逆に、キュリーの悪い点をあげると、原子力によって被害を受けた人たちからすれば、原子力という危険なもの発見してしまった人物であるということである。また、原子力の危険性を知りながら十分にそれを規制したりコントロールしたりする準備がないまま発表してしまったことである。確かに、キュリーが悪いのではなく、原子力を悪用した人物が悪いのだが、キュリーには発見したのだからそれを有効活用できるように世界を導くべきだったのだろう。科学者はこの原子力の発明に限らず、世の中に便利なものを与えてくれる反面、使い方を間違えると危険なものを世界に提供する。だからこそ科学者は科学技術を正しく使っていくために、規制したり、コントールしたりする仕組みを、研究と同時に構築することが求められるのだろう。そのような科学者を本当に一流の科学者と呼べるのかもしれない。 ---- ラジウムの発見は科学者にとって大変喜ばしいことであり、これからの研究や新たな疑問の解決に繋がってくるものであると同時に、新たに危険なものを見つけてしまったという恐怖もあったのでは無いかと考えました。 放射性物質は医療の現場などで使われ、X線も放射線であり、がん治療など我々の病気治すことが出来ると言う利点がある一方、使い方を誤れば、放射線を浴びた人は苦しみ、次第に衰弱していき、亡くなってしまうようにとても危険な物質であることは発見した科学者もわかっていたと思います。だからこそこの放射性物質が犯罪者の手こよって利用されてしまえば大きな被害がでるのは明らかだと思います。 Curie が自然の秘密を暴いていくことが有意義なのかと考えたのはもし、この放射性物質が自然 の中で誰にも見つけられずに、知られなければ被害は起きることがなく、放射性物質による危険性は生まれないのだと思います。ですが、こうして放射線物質が発見されたことによって利益もあり、科学者はそれを利用する用意が整ったからこそ使用するために発表したのだとおもいます。 このノーベル賞による発表でメリットを得て、デメリットを得ないと考えたのは我々人が悪ではなく善の方を選ぶと科学者が信じたことにとても感銘を受けました。私たちは放射性物質や他の一歩間違えれば破壊の武器となるものの危険性や恐怖について知っています。その危険を起こさず、 目先の利益だけに囚われずに危険性を知り、活用していこうとする気持ちは人間にはあるのだと考え、ノーベルなどの科学者は多くのことを発見してったのだと思います。 ---- いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。この知識は、人間にとってかえって災いとはならないかという文章からキュリーさんや、ノーベルさんは自然を暴いていくことへの不安があったと考えられる。彼らは不安はあるが技術の良い部分が世界の発展につながることに期待して新しい物質を生み出したのだと思う。そして、この技術が正しく使われることを願ってこの言葉を残したのではないのかと思った。この2人が発見したものは技術発展の観点に置いてとても素晴らしいものだと考える。しかし、この素晴らしい技術を私たちは正しく使う用意はできていなかったと思う。私たちは核やダイナマイトの危険性や正しい使い方をしっかりと理解する必要があったと思う。しかし、私たちは利益や戦争で勝つといった自己満足的な目的のために科学技術を使用してしまった。実際ダイナマイトや核は戦争で使われて多くの命を奪ってしまった。二人の科学者は、新しい発見が悪よりも善の使い方をされることを願っていると思った。そのため、現代の私たちは過去の過ちを反省し、科学技術を正しく使用しなくてはいけないと考える。 ---- 前回同様にピエール・キュリーも発見を悪用することにならないかと心配していました。心配しつつ悪人がいない世界を望んでいたのかもしれません。しかし、私は悪用がない世界など残念ながら存在しないと考えます。戦争になったらより強力な攻撃を相手にしたいはずです。利用可能な兵器をあえて使用しないなどしてたら相手に先を越されて負けてしまうと思います。戦争となると何よりも自国の勝利が大事になってきます。悪用などと言っている場合じゃないのかと思います。悪用しないで欲しいとスピーチするのは逆に悪用できるのだと悪人に伝わってしまうように感じました。 ---- キュリーの言葉を聞いて、私の感じていることと近いなと思った。「それを役に立つことに使う用意はできているのか。」というところに特に共感する。 一方で、使う用意ができていなかったとしても、科学の進歩を止めることなどできないのではとも思う。それは、研究があったから生活は豊かになった面があるのと同時に、どんな人でも何かしらの「研究」をしていると思うからである。 科学の進歩に対して、使用方法についての厳格なルールの設定や安全性の確保が不十分なのだと思う。個人的には、自分たちの能力に伴わないものを普及させすぎることに否定的であり、使用するならばもっと世界で統一された基準やルールを設けるべきだと思う。 ---- 私はラジウムのような危険な物質を発見することは人間が進歩する上でしょうがないことであると考えました。なぜなら人間の知的好奇心というものは誰にも抑えることができず、良くも悪くも進歩を止めてしまえば技術の発展などは見込めないからです。しかし発見する人間にも責任はあると思います。その物質の人間に対する利益のある使い道を明確にした上で世界に公表するべきであると思うし逆もまた然り危険な要素も公開しなければならないと思います。包み隠されている部分があると人間は暴きたくなるのが本質ですので人間の発見は留まることを知らないと私は考えました。 ---- 今回、ピエールキュリーのノーベル賞での言葉を聞いて、現代の視点で考えると未来で直面する放射性物質の恐ろしさを見事に予言していると感じた。幼い頃からキュリー夫妻の伝記をよく読んでいたため、この言葉は耳にしたことがありました。当時、放射能の危険性が認知されておらず、研究の過程で大量の放射能をあびていました。ピエールは放射線障害が悪化して衰弱し、謝って馬車の前で転び、車輪に頭をひかれて死亡しました。また、マリーも最後は放射能の影響と思われる白血病で死んでしまいました。自然の秘密をあばいた二人は、世界最初の放射線障害の犠牲者であったのです。使い方を誤ったり、リスクを理解せずに利用してしまうと、人間を死にまで追いやる壮大な力なのだと実感しました。 また、ピエールキュリーの言葉の中で「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか」というフレーズがとても印象的でした。当時の科学者たちの立場からすると、ノーベル賞を受賞した権威ある人が「いったいこの研究は意味があるのか」と発していることになるため、人生を捧げる研究に対して迷いが生まれてしまうような言葉だと思います。そして最後に「人類は新しい発見から悪にも増して善の方を引き出すであろうと信ずる者です」というポジティブで期待に満ちた言葉で締めくくっています。しかし、この言葉を聞いて、改めて自分たちが行おうとしている研究の危険性を改めて考えさせられるスピーチなのだろうと思いました。 ---- 自然の秘密を暴くこと自体は悪いことだとは思いません。こないだ勉強した発電方法も風力発電や太陽光発電など自然の力をめいいっぱい使っているからです。自然の力を私たちの日々の生活に活用していることはたくさんあります。原子爆弾のように悪い使用例もあれば、人間の役に立てるようないい使い方もあるのです。しかしそれを役に立つことに使う用意はできているのかと聞かれると一概にはい、とは言えないと思います。これは実際役に立っているかの問題ではなくて我々の意識の問題だと思います。自然の危険な側面を頭に入れて人の命を脅かす可能性を常に考えて、自然の力を使わせていただく覚悟を持っているのかということです。自然を活用する際にそういった意識がなければ使ってはいけないなと思いました。 ---- この考えを読んで思ったのは、世紀的な発明が人間のためになるかどうかは、人間の理性によって決まるのだなということだ。キュリーがこう話した約30年後に、戦争下で原子爆弾が投下された。つまり、キュリーの言う通り、国民を戦争に導くような大罪人の手によって、放射性物質が人間に災いをもたらしたのである。しかし、あの原爆投下で沢山の人が亡くなったにも関わらず、アメリカでは原爆投下が米兵の多くの命を救ったとして、原爆は必要な判断だったと正当化されていた。加えて今でも数カ国の国が核を持ち、核によって戦争が起きないよう牽制しあっているのが現状だ。キュリーは「人間は悪にもまして善の方を引き出す」存在であると述べているが、その「善」というのは世界の状況によって変化するものだと私は思う。例えば、戦争下であれば相手に勝つことのみが「善」とされ、だからこそアメリカ国内では、原爆投下が正しかったとされていたのだろう。もちろんキュリーは放射性物質を原爆のように使うことを「悪」だと言っていたのだろうが、あれだけ放射性物質の使い方を危惧しておきながら、それを防ぐことができなかったというのは、人間の本質を見誤っていたのだと思った。人間はこれからもどんどん自然の秘密を暴くことになると思う。その発見が人間に災いをもたらすのか、はたまた有意義なものになるのかは、この世界に生きるすべての人がいかに理性的に行動できるかにかかっているのだと思った。 ---- 彼らの言葉を聞いてラジウムのような無限の可能性が秘められている力をより良い世界を作るために使うのも、平和を壊し人々を殺害する兵器として使うのも人間次第なんだなと改めて感じた。このような科学の発見は我々の生活を豊かにできる反面で脅かす可能性もあるため、危険性を理解し、制御しながらうまく使うことがより良い世界を作る第一歩であると思った。 ---- 文章にあるように、強力な爆薬は私たちの生活を豊かにする可能性がある一方で、悪用されてしまえば世界を破壊しかねないとも思います。私は後者を防ぐために何かをすることは難しいと考えていてその恐怖に向き合って生きていくしかないと思います。 ---- 述べられている通りラジウムは非常に危険なもので使用方法を謝れば大変なことが起きてしまう。しかしこのような自然の秘密を暴き自分たちの生活に役立てることは、やはり意義があるのではないかと思う。ただやはりそのような大きな力を持ったものを間違った使い方で使えば私たちに対して大きなダメージがあることもあるからこそ、無制限に使えてはいけないのかなとは思う。ルールを決めたり、性質をしっかり理解し免許などを持ったりしている人が、人々の役に立つ様な使い方をすれば、そうした発見は非常に意味のあるものになるだろう。私も、ノーベルと同じく人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信じている。 ---- Curieの言葉のように、原爆が作られてしまったことでとても大きな発見が脅威に変わってしまったと思う。しかし物事は何に対しても裏と表があるように、メリットもデメリットも持ち得るのである。もちろん原爆やノーベルの強力な爆薬を悪用することは決して許されるものでは無いが、そのエネルギーから得たものは、非常に大きいはずだ。そもそもそのエネルギーが解明されていなければ、今の世界は存在しない。 ---- 人間が自然の秘密を暴いていくことで、防げる災害や病気があったり、活用して人類を発展させられたりする。一方、自然の秘密が暴かれることで争いの種が生まれたり、その知識の量に差がつき、国際社会において有利不利が生まれたりもしている。これは自然なことであり、得た知識を人類全体の利益に寄与するよう意識して活用していくことが大切だと考える。なぜなら、今後秘密を暴くことを国際社会において規制するとしても隠れて研究を進める国や団体は出てくるだろうし、先進国と発展途上国では得られる情報量や質に乖離があるために、その差に無頓着なまま活用してしまうと差と溝は広がる一方だからである。 ---- 放射性は核分裂と比べて、放射性炭素を用いた年代測定に使われ真相を暴いたり、身体検査に利用され医療技術の進歩に貢献したり『善の方』を引き出せているように思う。一方、『ラジウムは、犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになると思われます。』と書かれているが犯罪者の手に落ちなくとも危険なものである。福島第一原発の放射性がその例である。この世界にいるのは人間だけではないため、危険なものに変化する要因は人間でだけではない。原発の場合は災害であったが、動物の衝突など予期しない行動により危険な状態になる可能性もある。科学者は環境を考慮した上で最悪の場合も想定し利用してよいか検討する必要がある。そした我々は放射性の危険性を理解し注意を払うべきであると考える。 ---- 人類における画期的な発見は、善にも悪にもなるということを強調して伝えたいのだと思った。私はこの世の中に存在するものは使い方次第で人を救うものにも、傷つけるものにもなると考える。そのため、間違った使い方や問題点を知った上で、そのことに気をつけながら関わっていかなくてはいけない。キュリー夫妻は、これまでなされてきた人類の発見は、全てに意味のあることだから、発見を台無しにしないためにも善の方向へ導けるように生かすことが人間の務めだと言っているのだと思った。また、功績を伝承していくためにノーベル賞や偉大な賞が存在しているのだと思う。災や困難を承知で価値ある発見をした科学者を称えて、様々な知識を持つことが必要である。 ---- 私は、人類は新しい発見から善より悪の方を引き出すと考える。なぜなら、核分裂のエネルギーを利用する原子爆弾は多くの人を殺すものであり、また原子力発電は火力発電の何百倍のエネルギーを生み出し、そこで作られる電気は例えば病院で使われ患者の命を救うかもしれないが、事故が起きてしまえば放射線を浴びた人が亡くなる可能性もあるからである。さらにダイナマイトの場合も、そのエネルギーでトンネルを掘れるなど様々な工事ができるようになったかもしれないが、誤爆などの事故が起きてしまうと人が亡くなる可能性がある。そして戦争では爆薬として利用されてしまう。このように人類は、新しい発見を技術が飛躍的に発展するよう活用して善を引きだすと同時に、多くの命を危険にさらすようなことに悪用して、悪の方をより引きだしてしまうと考えられる。 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