核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group05` # 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ---- この2人の言葉から、以前からいる人物でも人間が持つ技術力が一線を超えることを恐れているのだと思った。一方で、人間は原子をコントロール出来るようになると信じているようでもあった。技術の向上を望む一方でそれを恐れる様子はとても「人間らしい」と感じた。 ---- 原子核のエネルギーや放射能を使用して莫大なエネルギーをもつものが取り出されることが予想されていたと思う。 またこれらの研究によって良くも悪くも活用されるので規制するということを述べたと感じる。 地球を破壊するというのは後に戦争で使われた核兵器のことを指しており、これからの研究の可能性を示唆していたと思う。 ---- 確かに、Rutherfordの言う通り原子内にあるエネルギーは他のエネルギーよりも遥かに莫大なエネルギーをもたらしてくれる。よって、原子力発電など我々の生活には必要不可欠なものになりかけている。しかし、良いところだけではなく危険性も同じように持ち合わせていることを忘れてはいけないと思う。Soddyも言葉の中でその莫大な原子の力がいずれ地球を破壊してしまうような武器になるだろうと危惧しているように、我々がその力をコントロールできるほどの能力を持たない限り、人類は未知の力を持っている原子の危険性と隣り合わせなのだ。私たちが今住んでいるこの地球をエデンにするかはたまた地獄と化してしまうかは我々の手にかかっているのだと考える。 ---- RutherfordとSoddyの言葉について、「原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるに相違ない」こと、また、「それをコントロールするのは人間であり、どうコントロールするかによって私たちの未来が良くも悪くも大きく変えられる」ということに深く共感する。 第二次世界大戦の末期に、広島と長崎を破壊したのは、原子を利用した原子力爆弾であった。数えきれないほど大勢の死者や後遺症に苦しむ人々いた。原爆を投下したアメリカは、日本を降伏に追い込むことができたが、これはある意味、Soddyのいう地球を破壊することのできる武器になったと言えるのではないだろうか。一方、未来を明るい方向に変えたことについては、原子力発電が挙げられるだろう。大量の電力を一度に発電できる優秀な発電方法として原子力発電は日本の発電電力を大きく担うこととなった。以上のように、原子には莫大なエネルギーが潜んでおり、それによって世界を大きく変えることができる。 しかし忘れてはいけないことがあると私は考える。それはSoddyの述べるように、私たち人間が世界全体をエデンの園に変えられるようにうまく原子を利用し、コントロールする必要がある、という点だ。もしかすると、ロシアが原子力爆弾を使用して世界を破滅させるかもしれない。もしくは、北朝鮮が原子力爆弾を乗せた弾道ミサイルを発射させるかもしれない。また、ロシアや北朝鮮を制裁しようと他国が原子力爆弾を投下させるかもしれない。原子爆弾が投下された1945年から現代にかけておそらく科学は進歩し、当時よりも莫大なエネルギーで爆弾を爆発させることが可能になっているだろう。爆弾を使う・使わないに限らず、その原子力をどのように使用するか。人間の理性によって機能や被害、利益などを総じて鑑みた上で原子力を扱っていかなければ、それによって被る害は尋常ではないことになりうるからだ。 以上より、私はRutherfordとSoddyの言葉の一部に深く共感する。 ---- 私はRutherfordとSoddyの言葉を読み、そして核分裂について理解を進めていくことを通して、改めて「核分裂が私達の生活にどのように関わり、影響するのか」を知る必要があると考えた。核分裂の影響で身近なものは「原子力発電」である。核分裂の際に発生したエネルギーを利用して発電するものであり、私たちの暮らしを支えている。しかし2011年に起きた東日本大震災では大規模な地震、津波の影響により、原子炉に保管されているはずの放射性物質が飛び散りその被害は今も尚深刻である。そして核分裂を兵器として利用されたのが原子爆弾である。大量のウランを一度に核分裂させることで発生したエネルギーは甚大な被害を及ぼした。これらの出来事はSoddyの「そうしようと思えば地球を破壊することもできる武器を所有するのは、レバーに手をかける人間だろうが、本来けちな性格の人間は、そのレバーで、蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するのである。 物質を変えることができる国家は、砂漠の大隆を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」という言葉から既に予測されていたのだろうと推察する。核分裂が生み出すエネルギーは人々に恩恵を与える一方で、人々がそのエネルギーを利用して世界に被害を及ぼすことが出来る。この莫大なパワーを善悪両方に用いることが出来るのは人類であり、正しい方向へ持っていくには我々一人一人が恩恵を受け取るだけでその実態を理解しないままであってはいけない。その実態、影響について理解する必要性があると考察する。 ---- ラザフォードとゾディにより、放射能研究への道が開き、核分裂が利用されるようになったが、利用される事により、メリットとデメリットがあると感じる。 原子力発電は核分裂の際に発生するエネルギーを発電に利用している。原子力発電のメリットは、燃料を安定して入手可能である事や発電時に地球温暖化の原因となる二酸化炭素を排出しない為、地球温暖化対策の1つとして期待されている。また、多くの燃料を必要としないので、火力発電に比べ発電コストに占める燃料の割合が少ない特徴がある事が挙げられる。 デメリットは、原子力発電は核燃料から放射性物質の放出があるため、事故が発生するとほかの方式の発電所とは比べ物にならないほどの深刻な被害が及ぶ。また原子爆弾にも核分裂が用いられている。ウランやプルトニウムといった元素に中性子を衝突させると、原子核が2つに分かれ(核分裂)、エネルギーを放出する。核分裂と同時に平均2.5個の中性子が飛び出し、連続して核分裂が起こることによって、放出されるエネルギーは巨大なものとなる。このエネルギーを兵器に利用したものが、原子爆弾である。 ---- ラザフォードの発言から、膨大なエネルギーを発見したことに対する喜びを感じ取れないことに違和感を覚えた。膨大なエネルギーが人間社会にとって、悪い影響を及ぼす想像しかできなかったのではないかと邪推してしまった。一方ソディーの方はもっと露骨に感じた。砂漠の改造や極地の解凍など、一見人間に対する大きなメリットを示唆しているかにみえるが、特に極地の解凍などは近年の地球温暖化で望ましくないことだとされていることもあり、未来への希望的観測とは思えない。この世界に生えている「善悪の木の実」のうち、悪の木の実を食べることなくこれからも繁栄していってほしいものである。さもなければ「エデン」から追放されてしまうことになるだろう。平和的利用は大事。 ---- 「原子内に潜んでいるエネルギーは、普通の化学変化で遊離されるエネルギーに比べて莫大であるに違いない」という記述を読んで、Rutherfordは「違いない」と断言をしていたので、どうしてこの時点でそんなにも断言できたのかという事に疑問を持ちました。 「太陽エネルギーの起源の問題も、もはや何ら本質的な困難はない」と記述しているが、少々説明を省きすぎている気がするので私の様に科学・技術について専門的に勉強したことのない人間からするとどういうことなのか、何を意味するのかが分かりにくいと感じた。 Soddyはこの原子核のエネルギーを人間がコントロールできる様になること、そしてそれを世界がより良くなるために使って欲しいという風に願っているのではないかと私はこの記述を読んで感じました。しかし、実際には原子核が発見された数十年後に戦争の道具として使われ、世界中で数えきれない程の被害を出した面が存在します。なので、彼らが努力をして研究を重ねて見つけた物が人を傷つけてしまったと考えると同じ人間として悲しいやら恥ずかしいという気持ちになりました。 ----  Rutherford と Soddy の言葉を読んで、私は2つの事を思いました。まずは原子力の力はとてつもなく大きいものであるという常識の確認です。2011年に発生した東日本大震災の際、私は当時埼玉に住んでいたのですがTVで流れる福島原発や放射能に苦しむ方々の映像を見て幼いながらにとても怖くなり関心を持ちました。その中でも特に福島第一原発が水素爆発を起こした映像は今でも脳裏に焼き付いています。11年の歳月を経て知的武装を身に着けた現在、改めて当時の状況を振り返ると思うことがいくつかあります。2人の科学者の「原子力をコントロールする国、人は世界の地形を変え覇権を握る」という言葉はまさに2011年の出来事を言い表しているかのように原子力の怖さを物語っているでしょう。しかし、彼らの言葉にはマイナス的な意味合いだけでなくプラスの意味をも含んでいると私は考えます。課題4で学んだ通り原子力は品種改良や化石年代特定、レントゲンなど様々な場面で活用され我々の生活を便利にしてくれています。医療分野を筆頭にこれらがもたらしてくれた恩恵は大きく、益々叡知を運んでくれるでしょう。いわば諸刃の剣とも捉えらる原子力をどう扱っていくかは今後の大きな課題であると同時に、大きな希望の光です。時代を担うのは我々です。今のうちから先人の教えを取り入れさらに知的武装を固めていこうと思います。 ---- 原子核の中に地球を破壊することができるほどとてつもない力があるということに、まだ取り出すこともコントロールすることもできていないときに気づくのがすごいと思った。ソディの言葉からこの時代から原子核をコントロールしたいと思っているのに驚いた。実際に原子核の反応を利用して戦争で原子力爆弾が使われたり、原子力発電の事故によって多くの人が犠牲になったりしてしまった。この危険さえ2人はこの時代に予知していたのか。そのように思ってしまうと、完全に我々は原子核の操り方を間違えてしまった。原子核などについていまだ完璧に理解できておらず、世界全体をほほ笑みの園エデンにはまだできないだろう。今後しばらくは許容できるリスクを我々は受け入れていく必要がある。 ---- まず始めに、100年前の推測が現在私たちが言い当てているのはすごいと思った。 ソディーが言ったように、今人間は原子によって、地球を破壊することもできる武器を作ることができている。ただ、上手く規制をしているかと言われると、それは違うと思う。なぜなら、核兵器はしばしば国同士の睨み合いのカードとして使われているからである。違法に作られ流通しているとニュースで耳にしたこともある。このような使い方は、制御したとは言えないと私は考える。 また、技術的な面でも制御しきれていない。確かに原子力は上手く使えれば莫大なエネルギーを得られる、とても素晴らしい力だと思う。しかし、1984年のチェルノブイリ原子力発電所の事故や2011年の東日本大震災による福島第一原発の事故など、長きにわたる深刻な被害を生んでいる。 100年前の科学者たちが夢見たような素晴らしい世界は現在の私たちの世界ではまだまだ理想であって、技術的にも社会情勢的にも難しいというのが現実なのではないかと思う。 ---- 私自身21世紀は、概ね彼らの予想した通りの世界になったと思う。まずラザフォードの文についてだが、これは言うまでもなくその通りだと思う。彼の言う通り原子に潜んでいるいるエネルギーは非常に莫大なものであり、だからこそ多くの地域で原子力発電が用いられるようになったのだ。次にソディの文について言及していきたい。今日の社会は、原子核の分裂をコントロールできるようになったわけだが、彼の言う通り世界は大きく変わった。原子爆弾や原子力発電の登場である。実際に第二次世界大戦では、日本に原子爆弾が投下され、多くの尊い命が犠牲となった。人類はその反省から世界中で核爆弾の使用を禁ずることとなった。これもまた彼の予想通りである。さらに「国家は世界全体をほほ笑みの園エデンにすることができる」とあるが、私はこれを「核を有する国家は世界を破滅に導くことができる」と解釈した。もしそうであるならば、世界平和のために何としてでも阻止しなければならないと思う。これは21世紀に住む私たちに課された使命なのかもしれない。 ---- Rutherfordが何度も同じ実験を繰り返し、原子内に潜んでいるエネルギーを莫大なものであると導き出したことは、非常に偉大であると感じた。また、原子核の大きさが、10の-14乗mであることも非常に驚いた。そんなに小さな原子核が原子力発電所の源になっているというのは、力がいかに強力かということがわかる。それから、Soddyは、地球を破壊することもできる武器を所有するのは、レバーに手をかける人間と言ったが、現代の科学技術は非常に発展しているため、使い方を一歩間違えれば、人類を簡単に滅ぼしてしまうのだと恐ろしい気分になった。良くも悪くもコントロールするのは人間であるため、人々の役に立つように使用すべきであると感じた。 ---- 私はRutherford と Soddyが言いたいことはつまりすべての物を構成する最小単位である原子というものはとてつもなく莫大なエネルギーを持っており、それを取り出して思うように加工できるようになれば我々人類はあらゆるものを創造することが出来るということだと解釈した。彼らの言葉の中でも言及されていたが、確かに原子を思うように扱うことが出来れば太陽やなどの規格外なものを創造しうる可能性は確かにあると思うが、いまだ発見されていない原子よりも最小の物が存在する可能性なども考慮すると、果たして原子を思うように扱えるようになったからと言ってそのようなことが出来るとは想像しがたいと考える。 ---- E.RutherfordとF.Soddyの言葉を聞いて考えたことは、彼らの期待とは反して私たち人間は原子内に潜んでいる蓄積エネルギーを惜しげもなく放出し、微笑みのエデンではなく、楽園喪失の世の中になってしまっているのではないかということだ。もちろん、これらのエネルギーが、産業の発展と生活の向上に大きく寄与したことは間違いないが、それでも様々な弊害が起きていると感じる。例として、「核のゴミ」の問題を挙げる。これは、原子力発電を運転した際に出る放射性廃棄物であり、放射能レベルが非常に高く処分が難しいとされている。それにも関わらず、最終的にどこに処分するかが決まっておらず、現在は基本的に全国にある原子力発電所の中で保管されている。原子力発電を使えば、核のゴミが出てくることはわかっていたにも関わらず、「ゴミの問題は後から考えれば良い」と対策を後回しにして、石油などに頼らないエネルギーの需要に対応するために、原子力発電所を建設し続けたことが問題であると感じた。このように原子力発電所を稼働し続けたことは、Soddyの『蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するのである』という予想に反していると考える。また、2011年の東日本大震災では、福島第一原子力発電所の原子炉の核燃料が溶け、大量の放射性物質が放射された問題などから、エデンとは程遠い形になってしまったのではないかと感じた。 ---- 「重い物質はすべて、ラジウムがもっているのと同じくらいのエネルギーを、原子の構造の中に隠し閉じ込めていることが考えられる。」という言葉が印象に残った。例えば人間の髪の毛も原子がでできているが、人間の髪の毛の中の原子にもラジウムと同じくらいのエネルギーがあるのだろうか。調べてみると、人間の髪の毛のタンパク質はとても強いため、10万本あれば10トンの重さを支えることができるという。そのタンパク質を作っているのも元を辿れば原子である。この人間の髪の毛の強度はラジウムのいうエネルギーとは全く違った要素ではあるが、もろそうに見える物質であっても原子によって大きな力を持つことを証明している。だからSoddyの言葉をみた時、信じがたかったが、私たちが知らないだけでどんな原子も大きなエネルギーを持っているかもしれないと思った。 (参考:qzemi.com/junior/qbox/55) ---- 核分裂の力がいかに大きなものかを示している言葉であると考える。壮大な力を持つものを人間が発見してしまった暁には、その力を有効活用すれば「エデン」に、そうでなければ地球を破壊する武器にもなりうるとある。しかし、前者の場合本当にエデンになりうるのかという点において、チェルノブイリや福島を見るとそうは思えないのである。 人間の私利私欲のために核分裂を使うというのは、そこから得られる大きな力よりもさらに大きすぎるリスクと隣り合わせであるということを十分に自覚しなければならないと考える。核分裂の恩恵によって私たちが住んでいるエデンは、核分裂によって一瞬で地獄にもなりうることをよく考えたい。 ---- 技術やエネルギーを応用することは良いことにも悪いことにも使えるため、応用する人次第によって世間から核分裂の見方が変わると感じた。soddyが言うように原子核のエネルギーを使うことで技術だけではできない世界の環境問題を解決に繋げることができたり未知だからこそ解決出来るかもしれない可能性に導きつけると考えている。だがしかしそれとは逆にかつてない威力で人の命も簡単に落とせると感じた。だからこそ何のためにどうして核エネルギーを使う必要があるのか述べることが世間で良く見られるかどうかの別れ道になるのではないかと感じた。 使用用途に合わせてエネルギーや技術を応用することが正しい使い方だと感じる。 ----  ラザフォードの原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であると確信している予言に対しては不思議な気持ちが残る。原理的に考えて陽子の+電荷を抑えるだけのエネルギーがあると考えることは妥当かもしれないが、目の前にあるはずの目に見えないだけの原子にそのような莫大なエネルギーを実際の生活においては感じないからだ。やはり目に見えないものは信じがたいというのが率直な意見である。確かに顕微鏡でも見るのが困難なほど小さな原子にそれだけのエネルギーがあるのだとしたら、非常に高熱の太陽エネルギーが生み出されると科学者が考えることも理解ができる。  ソディーは原子核のエネルギーについて地球を破壊することもできると述べていたが、それは現実に原子爆弾によって実現可能だと証明されたように思う。たった一発の原子爆弾で日本は甚大な被害を負った。つまりまだ実際に起きてはいないが核戦争などがおきたら世界が滅亡しないまでも、想像もできないほどの破壊が起きると予想できる。科学は一つの発見によっていい方に使われ、それによってこの世の中が大きく発展してきた一方で、命にかかわるような悪い方向に使われてしまう危険性が常に伴っている。原子核エネルギーの発見に当てはめてみれば、原子力発電という発電方式によって、人間は恩恵を受けた一方で上記に挙げたように戦争の手段としても使われる。だれでも原子核エネルギーのような巨大な力を手に入れたとしたら、それをコントロールしてみたいと感じてしまうかもしれないがソディーの言うほほ笑みの園エデンに世界が鳴るように科学者をはじめとして人類は規制をかけていかなければならないと思う。 ---- ゾディが原子が甚大なエネルギーを含んでいることを発見したことが100年以上も前でそれが地球にとって甚大な脅威となるという仮説を立てられる科学者の偉大さを感じた。 また、ほかの科学物質とは比にならないエネルギーを含んでいる原子を人間は自滅のために利用するのではなく、科学技術の発展に使うべきである。また、地球を破壊することもできる武器を人間は油断することなく規制すると、ゾディの言葉であるが、これには賛同できる。 この世界がどうなってもいいと考える人間はこの地球に少なからずいるはずだ。そんな人に武器のレバーを任せることはできないので、抜け目ないように管理しなければならない。 また、放射能を使ったエネルギーの精製は実に効率いいが人間に被害がでたら元も子もないので、安全に管理しなければと思った。 ---- E.Rutherfordの言葉から 核エネルギーの凄さは当たり前のことと理解しているように感じた。 私が生まれた時にはすでに原子力発電や核兵器など存在していたので、何の違和感もなくそれについて考えることはしなかった。 F.soddyの言葉からは核の使い方は人間次第というように書かれていると私は捉えた。 実際に原子力発電など人間の生活に欠かせない電気をたくさん生み出し私たちの生活を豊かにしてくれる。しかし、東日本大震災による原発問題になったり、 核兵器の問題など、悪い面もある。 この2人の言葉からは今の私たちと核は密接な関係であり、正しい使い方をしていくべきだと考える。 ---- 核という莫大なエネルギーを手にしてしまった人間はそれを使用するリスクを考える責任があると私は二つの文を読んで考えた。例えば包丁がそうである。使用用途によって人を喜ばせる美味しい料理を作るために使用できれば、又は使い方を間違えれば人を傷つけるものにもなる。核は莫大なエネルギーにより人類の発展に大きく貢献した。その反面史上最悪の武器にもなった。そのため人類はこの大きなエネルギーを使用するにあたって正しい使用方法、つまり人類の発展に使用する責任があると私は考えた。全ては使う人次第なのである。 ----  莫大なエネルギーを放射性元素だけがもっていると考える何らの理由もないというラザフォードの言葉について、何らの理由もないということは放射性元素の他にも同様のエネルギーを持つものがあるかもしれないという意味だと解釈できると考えた。ラザフォードは核分裂のエネルギーの莫大さを予言していたが、それは第二次世界大戦の原爆投下などによって証明されていると思う。  ソディーの核分裂を人間がコントロールすることができるのならば、どんな世界の運命をつくるのだろうかという点に関して、現代では人間がコントロールできているとは言えないと考えた。その理由は、東日本大震災の福島第一原子力発電所の事件があったことにより、自然災害などの原因で人間がコントロールできなくなることがあり、そのことによって人間の生活が脅かされることがあったからだ。  石炭や石油ばかりに頼ってエネルギーを得ることは枯渇する危険があるだけでなく、二酸化炭素の排出による環境汚染の問題があり、21世紀の大きな問題である。核分裂の力を利用する原子力発電はそれらの問題を解決するひとつの方法であるため、デメリットを考えて利用を停止することは現代において不可能であると考えられる。しかし、ソディーの人間は蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するという言葉に対して、この先規制せずに核分裂のエネルギーを使う可能性は高まるのではないかと考えた。最近北朝鮮がミサイルを打つ回数が増えていることなどの理由によって世界が対立した際には人間は規制しないと思う。ソディーの最後の言葉に関して、物質を変えることができる国が世界全体をほほ笑みの園エデンにもできるという表現は、原子力が世界において大きな意味をもつということを表していると解釈し、正しい表現であると考えた。 ---- RutherfordとSoddy、両者の核分裂に関する予測は、とても的確で鋭いものであった。そのような予測が彼らが生きていた時期から出来ていたことに、まず驚いた。核を取り出すことも後に可能になり、原子内に存在するエネルギーが莫大なものであったことも判明した。しかし、彼らの核分裂に対しての予測は的確なものであったが、その利用については現代の状況と異なると私は考える。Soddyは物質を変えることのできる国家は、世界全体を微笑みの園にすることもできると述べていた。しかし、現状は核を用いた核兵器や核ミサイルが開発され、微笑みとは真逆の状態で彼らの発見が用いられている。世界を良くするためでなく、人々を怖がらせるものとして製造され、国のトップがそのレバーを簡単に押せる状況は決して彼が望んだことではないであろう。より良い世界を作るために核は用いられてはいないので、Soddyの予測とは異なっているのではないかと私は考えた。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を読んで、原子力の利用は人間たちがある程度規制していかなければならないと思いました。なぜなら、原子力は使い方を間違えれば人類を危険に晒すこともありうるからです。二人の言葉から、原子力はとても大きな力を持っており、その力を使えば地球という巨大なものに対してまでも様々な影響を及ぼせるということがわかります。それを良いことに使えば、原子力発電などに応用し、人間の生活を向上させることができます。その一方で、原子爆弾など、使い方を誤れば人間を滅亡に導くことも可能です。そのような莫大な力をむやみやたらに使うことは決して安全であるとは言えません。原子力の使い方を規制し、本当に人間のためになる使い方とは何かを試行錯誤しながら用いていくことが最善であると考えます。 ---- Soddyが述べたように重い物質が全てラジウムが持っているのと同じくらいのエネルギーを隠し持っているとして人間がそれをコントロールすることができてしまったら、まさにSoddyの言葉通り地球を破壊することができてしまうほど莫大なパワーを持つことになる。しかしこのように、人間が莫大なエネルギーを支配することになると世界の秩序が乱れ悲惨な事態が起きてしまうということが簡単に予想することができていたにも関わらず、人間は資源を求めて原子力発電を始め、実際に原発事故による大被害が起きてしまっており、さらに人間が核を扱うことによって北朝鮮の核ミサイル問題など現状で解決しなければいけない核に関する問題が世界の至る所で起きてしまっている。人間が核や原子力と関わる際にこういった問題は付き物であると私は考えるため、原子力に頼らず、1つ目の課題で挙げたような再生可能エネルギーなどの新しい発電方法を拡大・発展させ、人間が核と関わる機会をなるべく減らすべきなのではないかと私は考える。さらに、別の視点から考えるとRutherfordが述べたように太陽は莫大なエネルギーを持っているので、そのエネルギーを使って原子力発電の代わりに太陽光発電、太陽熱発電など太陽の力を利用した発電を促進していくべきではないかと考える。 ---- 太陽は宇宙空間に存在し、酸素がないため、燃えているという可能性は否定される。また、太陽のエネルギーも原子核のエネルギーも非常に大きなものであるということは共通している。しかし、ここからこれらが同じものだと言い切るには不十分だと思う。例えば、地球上と宇宙空間では、環境に違いが出るかもしれないからである。Soddyの言葉の最後には、「世界全体を微笑みの国エデンにもできる。」とあるが、私はそうは思わない。原子力の平和利用には、原子力発電が挙げられる。核燃料エネルギーは、二酸化炭素を排出することなく、少量の燃料で大量の電気を生み出すことができる。そのため、積極的に取り入れている国もある。しかし、事故が起きてしまうと、被害は広範囲にわたり、元に戻るまでは長時間を要する。さらに、使用済みの核燃料を完全に処理する方法は確立されていないため、危険性が残っている。このように、安全性に対して疑問が残るということは、地元の人など不安を抱えて過ごす人もおり、すべての人が幸せになれるとは考えにくい。また、この先原子力における平和利用の方法が見つかったとしても、自然の大きなエネルギーに手を加えている時点で、最終的に制御できなくなり、私たちに不利益をもたらすことが想像できる。よって、原子力によって世界を楽園にすることはできないと考える。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を読んで私がもった意見は、原子核の持つエネルギーが莫大であるということに気づいた人間は、そのエネルギーの持つ恐ろしさに対して責任を持たなくてはならないということです。科学者たちの研究おかげで、人間は原子の構造やその中に潜むエネルギーに気づくことができました。人間がこの莫大で恐ろしいエネルギーをどのように規制しコントロールしていくかに、世界が今後どうなっていくかという運命がかかっているのだと思います。私たちのこれからに行動に、地球が破壊されてしまうのか、それとも持続していくのかがかかっていくのだと改めて実感しました。 2011年に起きてしまった原発事故は、原子力が一度暴走してしまうと私たちの手に負えないこと、そして人間だけでなく自然環境をも傷つけその被害は広範囲・長期に及ぶことを示し、また原子内に潜むエネルギーの莫大さも表しています。このことを忘れることなく、地球が持続していく道を考え続ける責任が、人間にはあるのだと考えます。 ---- RutherfordもSoddyも、原子の持つエネルギーは計り知れないもので、世界を大きく動かすものだと自覚していることがよくわかった。例えばRutherfordは原子の莫大なエネルギーを踏まえれば太陽エネルギーの起源の問題などの研究の解明に活かせると話しているし、Soddyは原子があればほほえみの園にもできるほど世界を動かせると言っている。しかし、Soddyはほほえみの園だけではなく、砂漠の大陸を変造したり極地の氷を溶かしたりする力もあると指摘している。つまり、世界を良い方向のみならず悪い方向に進めることもあるとしているのだ。21世紀に住む私たちは原子力発電所の事故によって原子の持つ恐ろしい力を見せつけられたが、当時の科学者も原子の良さを認める一方でその危険性を見据えていたとわかり、科学者の観察眼の鋭さが垣間見えた。 ---- 放射能や核の利用が現在のように行われていなかった状況であったにも関わらず、核のエネルギーがどれほど大きなものであり、核は、人間の利用の仕方によって生活を豊かにするためのものにも、脅威にさらすものにもなり得るということを科学者たちは予言していた。核のエネルギーを利用した原子力発電は、火力発電に比べて温室効果ガスの発生が少なく、また再生可能エネルギーによる発電に比べて電気の供給量が多いため、わたしたち人間の生活を豊かにした。しかし一方で、現在に至るまでに人間は核がどのように利用できるかを研究し、発明してきたわけであるが、東日本大地震の原発事故の問題が未だ解決されていないことからもわかるように、人間は核を完全にコントロールすることは現在もできていない。さらに、Soddyは、人間は蓄積エネルギーの放出を規制すると予言したが、実際は核兵器の開発、使用のように規制ができているとは言い難い状況である。私たちは、今一度核の利用においてメリットとデメリットを見直し、コントロールが可能な範囲で豊かな生活のための利用をしていくべきであるとわたしは考える。 ---- ラザフォードは、原子核の持つエネルギーが他のどの化学変化において生み出されるエネルギーよりも大きいことを述べ、とにかく原子核の持つエネルギーが巨大であることを主張している。ラザフォードはα線を金箔に照射する実験において、その実験を数回行うことで「α線は金箔を透過する」という結論を出すのではなく、何十回、何百回と行う中で「α線が跳ね返る」という実験結果があるということを導き出した。ゆえに、膨大な回数におけるさまざまな実験・研究を経たうえで「放射性元素だけがこの莫大なエネルギーを持っていると考えるのは難しくない」と述べているのだろう。また、まだ明らかにされていないさまざまな問題についても「本質的な困難はない」としている。しかし、原子核が持つエネルギーを取り出したりコントロールすることはできていない中で「放射性元素だけが」「本質的困難はない」と断言することは正しいのだろうか。ラザフォード自身、科学者としていまだ明らかにされていない事象を解き明かそうと取り組む中で、このような固定観念が妨げになってしまうことはなかっただろうか。私は、ラザフォードがこの結論を見出したのは時期尚早であったのではないかと考える。これが一つの仮定とするのならまだしも、断言するまでには至らないのではないだろうか。 それに対してソディは、「重い物質はすべて、ラジウムがもっているのと同じくらいのエネルギーを、原子の構造の中に閉じ込めていることが考えられる。もし、それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」と、原子核の持つエネルギーに対することを一つの仮定として考えていたことが読み取れる。自分が明らかにしたことはあくまでも科学の進歩の過程であると考えていたのではないだろうか。しかしながら、私はその後の文章に疑問を投げかけたいと思う。ソディは「このエネルギーは地球を破壊することもできる武器にもなり得る。この武器を所有するのは人間であり、それを利用することができるのも人間であるが、人間の性格上、実行までには至らず規制がかかる。」と述べている。しかし本当にそうだろうか。実際、人間はそのエネルギーを武器として使用し、原子爆弾というとてつもなく恐ろしいものを生み出してしまった。これは、ソディが人間の本質というものを見誤っていたのではないかと考えさせられる。科学者たちは、自分自身の探求・信念のために科学を発展させていくのかもしれない。時代の変化ということも大きな原因であるだろう。しかし、財や利益を求める人間がいないわけではない。そのような人々にこのエネルギーが渡ってしまえば、その「規制」はいとも簡単に破られてしまうだろう。最後の文で「物質を変えることができる国家はなんでもできる」とソディ自身も述べているが、もしかしたらソディは「規制」が破られる可能性を危惧したうえで、でもやはり人間は「レバーに手をかけるだけで実際には引くことにはならない」と信じたかったのかもしれない。 ----  原子核が発見されたのは1911年、核分裂の予言がされたのは1919年である。歴史を振り返ると、この辺りの時代はヨーロッパで第一次世界大戦が行われていたり、中国や日本などアジアでも様々な戦争、運動が行われていた。科学者たちが「普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて莫大であるに相違ない」「それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」「地球を破壊できる武器を所有する」と考えたのは、このような時代背景が関係してくるのではないかと考えた。もし核分裂の発見がもう少し遅ければ、または極端に早ければ、核分裂を武器に利用するという考えは思い浮かばなかったのではないか。または、思いついたとしても、そのような武器をつくる技術は発展しなかったのではないか。ソディーの「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という発言は、戦火が激しかった時代だったからこそ、核分裂を兵器などに使用せず、世界全体の暮らしに役立てるような使い方をして欲しいという願いが込められていたのではないかと思う。  しかし、科学的な観点からすれば、あの時代に核分裂を発見できたおかげで様々な問題を解決できたり、新しい実験を行うことが出来るようになったのだろう。その実験が現代の私たちの暮らしを豊かにしていることは明白である。あのとき核分裂を発見したことが良かったとも悪かったとも評価できないというのが私の意見である。良いとされていることも、視点を変えれば様々な問題を抱えているのだと思った。 ---- まず前提として、この課題のベースとなる彼らの言葉の要旨をまとめたい。彼らは「原子核のエネルギーは莫大だ。やがて人間はそのエネルギーを利用し、地球を破壊する武器をも作ることができる手段を手にするはずだ。だが人間はきっとそれを規制し、世界をまるで楽園のようにできるようなポジティブな使い道をするだろう。」と言っていると私は理解した。ゆえにこれを前提として意見を述べたい。  彼らの気持ちを察するに、私は彼らは原子核の利用により世界は幸せになるのだとポジティブに考えていたのだと思う。人間はきっと倫理的に間違った使い方はしないと、言ってしまえば楽観的な予想を立てていた。あるいはこのようにも捉えられる。彼らは本当は人間が間違った使い方に走る可能性が高いことを予想していたが、自分たち原子核の発見者としての言葉が後世まで読まれるであろうこと自覚し、後世への規制の念も込めてこの言葉をしたためておいたのではないだろうか。だとすれば私たちは、この言葉と私たちがたどってきた歴史を振り返らなければならないと思う。 私たちは原子核をポジティブにもネガティブにも使ってきた。  最もネガティブだったのは、広島・長崎に投下された原子爆弾だろう。莫大なエネルギーは人を殺すことのみを唯一の目的とする残虐な武器に変えられ、数え切れないほど多くの人の命を奪ってしまった。彼ら科学者の願いに沿えなかったことが単純に悲しい。 だがポジティブな用途もあった。原子力発電だ。これは現代人の生活を大きく支えてくれた。大量のエネルギーを生み出してくれる上に温室効果ガスも出さない。放射能の危険性は気になるが、原子力発電が現代生活にも温暖化対策にもかなり役に立っていることはゆるぎない事実だ。 発見者が後世に託した希望は半分叶えられ、半分叶わなかった。現代人は一度立ち止まって私たちがしてきたことを冷静に振り返る時間が必要だと思う。ただ注意しておきたいのは、彼らの言葉は100年以上も昔に発せられたものだということだ。100年前と現在では時代は大きく異なる。私たちをとりまく世界情勢は変わっている。だからこそ、私たちは彼らの言葉を尊重しつつも、同時に今の時代に合った原子力の使い道を考え直していく必要があると思う。例えば、原子力発電は本当に必要なのかどうかをもう一度吟味したり、核爆弾を世界中の国が一斉に放棄する方法を模索したりなどだ。また極論を言ってしまえば、原子力を一切使わないという選択肢もある。あるいは科学の進歩によって原子力エネルギーに匹敵する、放射能のない新たなエネルギー源が発見できる可能性もある。時代は変わる。だから、「原子核の正しい使い方」というものを刷新していく必要があるのだ。 ---- まず、ラザーフォードの文章から見てみる。「原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるに違いない」、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っていると考える何らの理由もない」といった表現をしている。このことから、ラザーフォードは放射性元素が莫大なエネルギーを持っているということを確信しているということが窺える。また、ソディは「重い物質はエネルギーを閉じ込めており、それをコントロールすれば世界の運命を形づくる」、「地球を破壊することができる武器を、けちな人間は油断なく規制する」といった表現をしている。このことから、ソディは地球を破壊できる力を持った放射性元素を利用しないことを惜しみ嘆いているように感じられる。実際、放射線は莫大なエネルギーを持っていたために、福島の原子力発電所の事故のような大きな被害が出た。原発事故により大量の放射線物質が放出され、被ばくした多くの人たちはがんや白血病を発症した。現在ではその被害はほとんどなくなってきているが、被害を受けた人たちの不安や悲しみは消えることはない。また、人間だけでなく魚や米といったものにも影響を与えた。現在多くの原子力発電所が稼働を停止しているが、再稼働の動きも見られる。全ての原子力発電所を廃止するべきだという声もある。しかし、日本の電力自給不足を考えてみてもそうすることは難しい。審査を通り安全だとされたものだけが稼働している状況だが、絶対に安全ということはできないと思う。福島原発事故の際も、安全だと思っていたのにも関わらず起きてしまったのだ。災害に対して人間は無力であり、防げない事態が起こるかもしれない。しかし残っている原発の数は多くないため、1つ1つの安全対策を徹底的に行うことが重要なのではないだろうか。原子力発電なしでも電力を十分賄えるよう、他の発電方法へ徐々に移動していくことが日本にとって良いと思う。また、国民の賛同を得ることも必要である。原子力発電に対して不安を持っている人は多い。どのような基準で発電所を稼働させるのか、いかに安全が確認されているのかといったことを説明し、納得してもらった上で協力してもらうことが重要だと思う。国民もただ傍観するのではなく、理解しようとする姿勢をとるべきだ。このように、原子力発電を今すぐ廃止することは難しいが、国民と国が協力しながら徐々に他の発電に移行していくことが良いのではないかと考える。 ----  私はラザフォードやソディが、原子核からエネルギーを取り出す前から、それを生かすも殺すも人間次第だと予測していたことが印象に残った。それではなぜ、科学者たちは「地球を破壊することもできる」物質を取り出すことに尽力したのか。私は今回の授業で学んできたように、デメリットに見合うだけのメリットがある、画期的なエネルギーだったためだと考える。科学者たちにとっては探究心を刺激し、研究の裾野を広げられるものだったであろうし、一般人は現代でも、放射線の恩恵を受けている。例えば、X線は医療から食品、工業品製造、空港での手荷物検査など多岐に渡る分野で利用できるし、放射線治療によって、がんを効率よく消すことが可能になった。  その一方で原子爆弾や核ミサイルが開発されたり、原発事故が起こったりして、多くの人間の命が脅かされ、失われてしまったことも事実である。ソディーがレバーに手をかけるのは、人間だということを述べていたように、ひとりひとりの放射線に対するリスクの認識が重要であると考える。また、発言力の強い政治家などによって、放射線の技術が悪用されないように、私たちひとりひとりが政治に参加していくことも大切だと感じる。 ---- 人間はRutherfordとSoddyが説いた言葉を重要視すべきだったと考える。原子内に潜む莫大なエネルギーを利用して原子力爆弾や原子力発電を発明されたが、それを使うかどうか決める権力を持つ者やその周りの人々は、そのエネルギーの力や危険性について漠然としか知らなかったのではないだろうか。 Rutherfordの言葉通り、原子内に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーに比べて莫大だ。福島第一原発での事故や第二次世界大戦での原爆投下の被害などから、現代を生きる我々はその危険性について理解している。しかし当時は科学者間でのみ知られていたのかもしれない。これにより多くの人々が原子核について正しい知識を持たない状態で、原子核の所持や使用が始まったと推測する。 またSoddyは、人間が原子核を自由にコントロールするようになると蓄積エネルギーの放出を油断なく規制するのではないかと考えていた。実際原子力の使用は一般的に規制されているが、核兵器を保有したり、原子力発電所を利用する国は存在する。先述した通り、原爆投下や原子力発電所における事故によってようやく多くの人々が原子核の巨大なエネルギーを目の当たりにすることとなったのだ。しかし人間はこれらの利用をやめようとしない。この莫大なエネルギーがもたらす被害を大衆が理解している今だからこそ、過去の出来事から学び、原子核を使用することについて改めて考え直す必要がある。 もし原子核が発明された当時、RutherfordやSoddyの言葉が多くの人々によって深刻に捉えられていたら、核兵器の使用や原子力発電所の稼働は抑えられていたのかもしれない。人間が何か新しい技術を生活に取り入れる際は、危機管理を全て科学者や科学者の知識に任せるだけでなく、自ら知ろうとする姿勢が大切なのだ。 ---- RutherfordとSoddyは実験で分かったことに対して、そこで満足することなく懐疑的な視点を持っていることが、言葉からわかった。その理由は、Rutherfordは、原子核を発見しその位置と大きさを発見しただけではなく、その大きさに陽子と中性子が収まっていることから、莫大なエネルギーを持っていると結論付けていて、RutherfordもSoddyも、その莫大なエネルギーは、例えばラジウムといった放射性元素だけではなくほかの物質も持っているのではないかという可能性を示しているからである。この姿勢は、科学者だけではなく21世紀に生きる私たち一人一人も持つべきものではないかと思った。私たちの周りは便利なものであふれている。もちろん便利なものを使うことで生活は豊かで過ごしやすいものになるかもしれないが、私たちは今この瞬間の快適さだけを考えてばかりで未来のことを考えられていないのではないかと思った。例えば、プラスチックは加工がしやすく耐久性も高いため生活の様々なところで使われてきているが、地球温暖化や海洋汚染、資源の枯渇など多くの問題を引き起こしてしまっている。この時点でも未来を考えられていなかったことがわかるが、プラスチック削減のために、近年紙製のストローや袋などに変える店が増えていることにもこの問題は潜んでいるのではないかと考える。確かに紙製のものに変えればプラスチックの使用は減るかもしれないが、今度は森林伐採が進み、将来的には生物のすみかの減少や大気汚染といった新たな問題が発生するのではないか。この視点を持たずにプラスチックを減らすことさえできればいいと考えている人が現代の人には多いと思う。問題を一つだけと考えずにすべてのことに懐疑的な視点を持つことができるようになるべきだということをRutherfordとSoddyの言葉から学ぶことができると思った。 ----  RutherfordとSoddyの言葉を読んでまず一番に私が感じたのは、原子核エネルギーというものを発見した彼らに、核によって平和が失われている今の世界の責任は一切ないということです。  「普通の化学変化で遊離されるエネルギーにくらべて莫大であるに相違ない」という言葉などから、原子核の存在は当初は私たちの生活を豊かにする世紀の発見という認識だったことがよくわかります。実際に現在では多くの国が原子力発電を利用していたり、がんの治療に放射線が使われたりしており、特に原子力発電は、日本が主な発電方法としている火力発電などに比べてCO2の排出量が少なく、コストも安定しているため重要視されているのが事実です。 原子核エネルギーというものは確実に私たちの生活を豊かにした一方で、現在では危険な存在であるという認知も広くされています。私自身も、核と聞くと核兵器や原発事故などが1番に思い浮かんでしまいます。 「それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」という文章の中で、コントロールできるとすれば、という言葉が使われていることは、現代にある核兵器の問題の核心をついていると感じます。RutherfordとSoddyは原子核エネルギーの莫大さに気がついた時から、便利な使い方ができる一方で、それが危険な使われ方をされてしまうことも懸念していたことがこの言葉から分かります。人間が原子核エネルギーを手にした結果コントロールすることができず、平和の失われた世界を形づくってしまったのです。  ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の問題などがなかなか解決に近づけないのは、何をするにも核兵器がちらつき、周りの国もその恐ろしさを知っているからだと思います。世界を破壊できるほどの力を持つ原子核エネルギーが戦争の道具として使われてしまうことは、RutherfordとSoddyが一番望んでいない原子核エネルギーの使われ方に違いありません。二人の大発見が無駄にならないためにも、21世紀を生きる私たちは、核兵器廃絶に取り組むべきです。特に、唯一の核兵器被害者である日本は核の恐ろしさを世界に伝え続け、人々が原子核エネルギーを正しく使えるよう促していく役目を務めていくことが大切だと思います。 ---- 私はこの科学者たちの言葉をきいて一番初めに、考えがずいぶんと壮大であると感じた。原子のエネルギーの莫大さを知ったとき、彼らはもうすでにその先を見据えていたことに驚かされたのだ。同時に、核分裂を予言して、さらに人間が科学をベースにこの世の中に存在する圧倒的な力に気が付いたとき、どう行動していくのかでさえも予想しているのは正直早すぎるのではないだろうかと思った。しかし、科学者にとって一つ一つの小さな発見を積み重ねて大きなことに活用することや、偶然ある事実に気が付いて、どう利用できるのかを考えることが世界を変えるカギを握るということは私でも少しは理解できる。そんな思考を持つ彼らが核分裂という手に負えないほどの威力に気が付いたとき、世界がどう変わるのか必死に頭を働かせ、抽象的なことを想いめぐらすことが精いっぱいだったのではないかとこの言葉から私は推測した。E.Rutherfordの言葉からは無限の可能性を読み取ることができる。当時どれほど原子の仕組みや核分裂の可能性というものが偉大な発見であったのかを明確に表しているともいえるだろう。そして、特に印象に残ったのはF.Soddyの[それはどんな自然力となって…]だ。抽象的だが、当時、核分裂を予言したときに、未来のより科学や技術の発展した世界になったときにいったいどんな世界が待ち受けているのかという興味が表れている。さらに、「そうしようと思えば地球を破壊…」と「物質を変えることができる国家は…」の箇所では、未来の人々に、どうかこの力を悪用せずにうまく利用してほしいという彼自身の希望や願いが込められていると私は解釈した。 私たちは今日、核兵器や核爆弾、原発の問題など様々な困難に直面している。当時の科学者の理想と、願った世界と今の世界は果たして釣り合っているのだろうかと考えた。残念ながら、一部の人間は蓄積エネルギーの放出を規制せず、人々を恐怖に陥れ、自分たちの利益のためだけに利用した。私個人としては理想とは程遠い世界だと思う。これからもしばらくは深刻な問題となる核問題、私たちがどのような行動を選択するべきなのか改めて考えねばならないのではないだろうか。そして同時に、彼らのように小さい発見であれ大きい発見であれ、目の前のことだけに目を止めるのではなくて、先を見据えた考え方が大切だとも感じた。 ---- 私は、核分裂を予見していた二人の科学者が伝えたかったことは「核分裂による莫大なエネルギー」と「その力を扱うのが人間であるということを忘れてはいけない」という、二つの意見だと感じた。E.RutherfordとF.Soddyの言葉に共通しているのは、核分裂が当時の科学的知見からは見当もつかないほどの莫大なエネルギーを生みだすと予見していたことだ。特に、Rutherfordはそれが太陽エネルギーの原理であることを予見しており、当時の人々に新たなエネルギーとしての期待を持たせたのではないだろうか。しかし、光があれば影があるように核分裂反応には負の面もある。代表的なものが核兵器だろう。今でこそ、その恐ろしさが周知されているが、核兵器が実在しなかった当時はその恐ろしさに理解どころか、関心すらあまりなかったのではないだろうか。その上で、Soddyの言葉に目を向けると、核分裂を利用した兵器がいつか生み出されること。その兵器が恐るべき威力を持ちうることと、それを支配するのが「人間」であることに、意見をフォーカスさせていることに気が付く。彼は、きっと科学技術が人類に進歩をもたらす一方で、破滅をももたらすことを意識の根底に持っていたのだろう。彼はその言葉の最後で、力を正しく使えば世界をエデンにすることもできると述べている。科学技術の光と闇の部分の両者を視野に入れていた彼は、科学の進歩とは宇宙の真理を整理することであり、その発達が必ずしも人類の進歩につながるわけではないと考えていたのではないだろうか。真意はわからないが、その考え方は今日に生きる我々も持つべきものであると感じる。旧石器時代の人類は石器を作り出し、それを調理器具や農耕の道具として使った一方、武器として用いて争いの道具にも利用した。当時と比べて科学技術が大きく発達した世界に住む我々は、核分裂の仕組みも、その恐ろしさもよく理解しているが、いまだ解明されていない科学技術に対してはその力の理屈も使い方も全くの未知である。どこまで技術が進歩してもそれは、先祖が石器を作ったときと同じ状況なのかもしれない。今日、ロボット工学やクローン技術、A.Iの開発など、人類の発達に大きく貢献するであろう一方で、一歩使い方を誤れば人類を破滅させるかもしれない技術は数多く存在する。私たちが先の二人の科学者の言葉から学ぶべきは、未知の科学技術を運用していくうえで、人類はその技術の進歩だけでなくその力の負の面にも目を向け、それを安全に運用する方法を模索する意識だと考える。 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