放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group05` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- なぜ人は革新的な技術を人類にために良い方向に使えばいいものの、犯罪や戦争などの「悪」に使ってしまうのか非常に疑問に思います。例えば、原子力は発電時にCO2が排出されないという地球に優しいエネルギーであり画期的な発見であったにも関わらず、第二次世界大戦では人と街を壊滅させてしまうほどの威力を持った爆弾として使用されてしまいました。歴史と人類の未来を変える発明を災いへと導いてしまうか、人類のための有益な技術となるかは、私たちの手にかかっていると考えました。 ---- 資料にあった「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。」という言葉にとても考えさせられた。例えば、私が高校の時社会の授業で印象に残っていることがある。それは、現在核兵器の総量は爆発威力にして2000メガトンになり、地球の人類を35回以上殺すことができる威力をもっているということだ。人類の生活向上のために作られたはずであるものが戦争のような行為では人間を破壊するものに変化することは世界中が(特に日本)痛感してわかっている。もう現在の時点でこの資料にある言葉がもう証明されているのにそれでもなぜ人類は兵器の研究をやめないのか疑問に思う。 ---- この資料を読んで、現代におけるテロなどは科学技術の進歩によって発生していると、私は考えます。例えば、今でも電車内で化学薬品を使った無差別殺人などは起きています。それは、科学技術の進歩によって我々の身近な存在になり、簡単に手に入れることができたためにそういった事件が発生しているのだと思います。 この資料でも「強力な爆薬は、人間に驚くべき仕事をなしとげさせてくれました。」「しかし、また、国民を戦争に導くような大罪人の手に渡れば、恐るべき破壊手段ともなります。」と述べられていた通り、化学薬品は正規な使用方法に則って使えば驚くべき仕事を成し遂げてくれるのですが、これが悪用されてしまえばそれは凶器となるのです。このように、科学技術の進歩により人間は助けられる一方で、テロなどといった人間に危害を加えるように使うこともできるのだとわかりました。 ---- Pierre Curieの、「犯罪者の手に落ちれば大変危険なものになる」という予想について、私も同じ意見を持っている。 簡単に言えば、ワンクリック詐欺は科学技術の進歩を利用した犯罪であるように、科学技術が進歩するたびに、誰かしらそれを犯罪に活用しようと試みる人が出てくるのである。このようにして、犯罪方面に頭の切れる人が、犯罪の手法として科学技術を利用するのである。共感する一方、私はそれに少し言葉を替えたい。それは、「犯罪者の」の部分である。私は、犯罪者の手に渡れば危険なものになると思っているのではなく、誰の手に渡っても危険なものになると思う。犯罪者だけが危険なわけではない。人は急に変貌することがある。それを手にした瞬間、危険な思想を抱く可能性がある。ゆえに、犯罪者の手に渡ればというわけではなく、「どのような人でも大変危険なものになる蓋然性がある」と言い換えたい。 ---- この科学者の言葉を聞いてやはり自然を科学を持って暴いていくことは必ずしも良いことばかりではないと考えた。放射性物質は人間に恩恵を与える一方で、それ相応の危険性も持っているということを知っておかなければならない。そしてその危険性を自分たちの私欲の為に利用してきた人間の歴史を忘れてはならない。ただもう放射性物質が世の中に知れ渡っている今、私たちが出来ることはその利用を善の方向へ持っていくことである。今尚放射性物質に限られず科学技術が本来あるべき姿ではない方向で利用されている。その驚異の中で我々は科学技術のあり方、その恩恵を受けるとはどういう事なのか改めて考えて行くべきだと考察する。 ---- 科学の発展が進むほど、医療分野や科学の分野の発展などに繋がり、私達の生活が豊かにする。しかし同時に私達は、科学者の有益な発見が悪用されてしまう危険性と隣り合わせだと感じた。ピエール・キュリーの言葉には、自分達の発見は、未来の発展に役に立つ可能性を秘めており、悪用しないで欲しいと言っているように感じた。 キュリー夫妻のラジウムの発見は、物理学と化学に大進歩をもたらした。ラジウムは現在もガンの治療などに役に立っている。また、ラザフォードは、キュリー夫人からもらったラジウムを研究し、原子の構造を解明した。ラザフォードの発見は、分野的には原子物理学に属するものが多く、原子物理学は、現代の化学における物質の捉え方の基礎となる。そして、原子物理学から量子力学の考え方が生まれた。このように、科学者の発見の一つで、他の異なる分野の発見にも繋がっていおり、今日の材料開発や医薬品開発でもこれらの理論は活用されいると感じる。原子力発電などの技術を支える核物理学も、原子物理学と深い関連と言える。 ---- 結果的に人類は、おおよそ平和的な利用をしているのではないだろうか。確かに核を前提にした国際政治など、戦争における手段として利用されている側面はあるものの、それ以上に放射線を使った技術革新は目覚ましいものがあると思う。僕は特に、空港などでの手荷物検査で使われる技術は素晴らしいものだと思っている。危険物を触ることなく判明させることはもちろんのこと、法律で禁止されているような違法な麻薬なども分かるという。間接的ではあるが、麻薬による犯罪も未然に防止していると考えてもいいだろう。このように、一つの要素で様々な利益を出せていることから、放射線の平和利用はおおよそ達成されていると判断できる。 ---- キュリーさんも、過去のノーベルの例から自分達が発見したものが必ずしも100%安全で善良な使い道しかない様なものではないとわかっていたと言う風に私はこの記述を読んで感じました。そして、キュリーさんが警告していた通り人間はラジウムを兵器として使ったりしてしまったのは、先人達に申し訳ないと感じるし、何故その様な兵器が人々の幸せを作り上げると本気で思っていたのかと疑問にも思います。しかし、キュリーさんもノーベルさんも本気で自分達の発見した物を、将来人間が善の道として使ってくれると信じていました。現代に生きる私達は、彼らの様に危険性があると知りつつも私たちを信じてこの発見を残してくれた人々に恥じない様に、どんなメカニズムでどんな危険性があり、正しく使うにはどうすればいいのか、さらにもしもの場合を想定した対策等をもっと熟考しなければならないのではないかと私は考えます。それが、今の私達だけでなく将来生まれる多くの人々のためにも必要な事であると思います。 ---- 今回の放射性物質を発見した科学者の言葉を聞き私はラジウムの持つ力の大きさについて考えさせられました。彼らの発見がノーベル賞に値するほどの価値があり時代の進歩に貢献したことは確かです。しかしこれが人の役に立ち人類を豊かにするものだったかは別物です。というのも原子力と同様に力が大きすぎるあまり我々に脅威を与える可能性があるからです。 ---- 強力な爆薬は、人間に驚くべき仕事をしてくれましたし、実際に今現在の我々の生活はそういったもののおかげに成り立っています。しかし、使い方を間違えば、とても恐ろしい凶器になってしまいます。例えば、包丁は料理をするときに必要で便利な道具だが、それが危険な人に渡ると人を傷つける凶器となってしまいます。この科学者がこのノーベルが発見したものを人類が良い使い方をしていくだろうと信じていると言っていて少し悲しくなりました。この言葉を残したのが1903年なので、大きな戦争がこのあと100年も経たずに起こってしまったのでとても悲しいなと思いました。 ---- 突然ですが、今私はキリスト教概論を受講しています。その中で、人間の罪の本質とは、自分が神として善悪を決めるようになることだと学びました。 私は、科学の秘密を暴くことは有意義であると思います。しかし、人間がついつい目先の利益から物事の善悪を見誤り、せっかく得た知識を悪い方に利用してしまうことはいけないし、これ以上繰り返してはならないと思います。2人の科学者たちのコメントに対して、戦争を起こした政治家たちはどう思ったのか、調べてみたいと思いました。 ---- 確かに、彼の言う通り犯罪者の手にラジウム等これまで明かされてこなかったものが渡った場合、悪用されてしまう可能性があることは否めない。しかし、それと同時にプラスの要素も存在していることを忘れてはならない。実際に癌手術に用いられている放射線治療は、身体を切開する必要がないため、短時間かつ痛みが少ないということで重宝されている。こういった点において、自然の秘密を暴いていくということは、人類にとって有意義だと言えるだろう。 彼が最後の方に述べている「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろう」という意見については、概ね賛成だ。特にこれと言った根拠はないのだが、自ら好んで世界を破滅に導こうとする者は、そういないだろう。少なくとも私はこのように考えている。しかし、悪人の気持ちは悪人でないとわからない。身勝手な理由で世界を終わらせようと考える者もいるかもしれない。こういった意味で「概ね」賛成である。 ---- 私は、人間が自然の秘密をあばくのは有意義であると考える。なぜなら、それによって多くの新たな発見があり、今まで解明されていなかったこともわかるようになるからだ。人間にとって災いとなるという意見もあるかもしれないが、それ以上に得られるメリットが大きいと思う。最後の文章にもあるように、新たな発見は善を引き出す。人間や科学が進化するためには、このような発見を良い方向に導いていくべきであると考える。 ---- 人間にとって自然の秘密をあばくことはよいことだと私は思う。先人たちのあばいた秘密により、私たちの生活は豊かになったからだ。しかし一方で秘密のままのほうが良いという意見もわかる。大きな力を誤った使い方をする人間にりようされると戦争などが引き起こされるといったものが懸念されるだろう。この二つの意見から改めて大きな力の使い方次第だなと思った。 ---- 私はこのピエール・キュリーの言葉を聞いて、人類は科学や技術の発展を善のために利用することを信じるという彼の言葉に、非常に共感しました。しかし、同時に、現実は非情なものであるということも理解しています。ノーベルの発明したダイナマイトのように、ピエール・キュリーの発見したラジウムも結局は、原子爆弾という大量殺戮兵器を生み出したり、チェルノブイリ原発事故をはじめとする原発事故を引き起こすことになりました。このような例はそれだけに留まりません。ライト兄弟が発明した飛行機も世界大戦に利用されたり、最近では、壮大な景色を撮影できるドローンも、戦争に導入されています。今まで、人間は幾度も発明を悪のために利用しているのです。このような事実を前に、なぜ私はピエール・キュリーの言葉に共感するのか。それは、彼の言葉にあるように、信じることが重要であるからです。 ---- 私は上記の資料を読んで自然科学の解明が人類にとってデメリットを生む可能性があるということには非常に共感する。しかし、自然科学の解明が人類にとって非常に大きなメリットを生んでいることも事実である。資料の中で挙げられているノーベルのダイナマイトを例にとっても、確かにダイナマイトがそのまま戦争の道具として用いられ多くの人々の命を奪ったことは事実であるが建設現場などでダイナマイトが人々の負担を減らしたこともまた事実である。月並みな表現になってしまうが、大事なのは解明された自然科学の用い方であり自然科学の解明自体は人類にとってメリットしか生まないと私は考える。 ---- P. Curieの言葉で印象に残ったのは、「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか」という言葉である。科学者は、自然科学について新たな知見を見つけることが仕事であるにも関わらず、そのような人たちが自らの仕事を否定するような思考になってしまうのは少し残念であると感じた。しかし、一方で言葉の最後は未来への希望で終わっていることから、聞いている人を惹きつけるためのパフォーマンスなのかもしれないとも感じた。私自身、この言葉を読む中、「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者」という部分にハッとさせられ、科学者の方々が見つけ出してくれたものを、人類の発展のためにしようしていかなくては…と再認識したので、前半部分にネガティブ要素を入れることは重要だと感じた。また、今回は断言している様子ではなく、予想している話し方だったので違和感なく聞くことが出来た。 ---- 科学を発展させることで役に立つように使えるようになるのかそれとも自然を破壊したり、自分達を脅かしたりするか、ということは今も昔も変わらない大きな疑問なのであると感じた。科学を発展させることが善良に使われることを信じるのは科学者が科学者で居続けるために必要なことであって彼らにとって都合のいい解釈であると言えるかもしれない。だからと言って数少ない悪用を防ぐために技術を発展させることを妨げるのも正しいとは言えないから、彼ら科学者は科学者として人類のことを信じるためにはどうしたらいいかということを考えることを止めてはいけないと思った。 ---- 科学や技術が発展するたびに、我々の生活はより豊かになるのだろうと未来に期待する。その一方で、この技術を戦争などで凶器にするために悪用する人はいないのか、ダイナマイトや核兵器を思い出して懸念する。そして、悪用するつもりがない場合にも、原子力発電のように事故などで取り返しのつかないことにならないかの懸念もある。さらには、便利になることによって人間の基礎体力、能力が低下していくのではないかと考えることもある。 ---- キュリー夫妻が述べた悪人の手に渡ったら危険や災いをもたらす原因になるという考え方は前回の講義で出てきたsoddyとラザフォードの言葉と同じようなことを言い表していると感じた。研究者は核や放射線といったエネルギーを人類にとって良いものにも悪いものにもなりうると予測しておりだからこそ自分が発見したものに対して責任を持たなければと感じたのではないかと考えた。そのために世間一般の人達に悪にも善にもなるといったある種の忠告を行うことで悪いことに利用しないようにさせたかったのかなと感じた。でも希望を持っていることも明らかであり研究者たちは悪魔でも世界をより良くするために発見したことが伺えた。 ---- ラジウムだけにも関わらずそういった発見と使用は、科学研究として良い方向にも悪い方向にもいってしまうのは明らかである。良い例が原子力発電と核兵器のつながりです。私は発見はいいにしろ使用の仕方を、今でも問題になっていますが制限する制約をつくるべきだと思いました。 ---- 放射性物質は人体に影響を与えるものであり、原子核エネルギーと同様にいい方向にも使われるし、悪い方向にも使われてしまうことは理解ができる。キュリーは人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信じていると述べているが、確かに科学的な発見は有意義に使われることが多いと感じる。一方で東日本大震災における原子力発電所の事故によって放射線が大量に放出されてしまった時のように防ぎようがなかった部分もあり、意図的ではなかったのにもかかわらず、悪の部分として人体に影響を及ぼす事態となってしまうことがある。つまりキュリーは科学の善と悪の部分を人間がコントロールすることを前提としているが、実際には科学的な力というのは人間がコントロールするよりもはるかに未知であり、強大であるのではないかと感じる。もちろん人間がコントロールできる範囲では善の方向に使われるようにしなくてはならないが、現実的にそれが難しい場合があることを把握しておかなければならないと考える。 人間が自然の秘密を暴いていくのは有意義なことであるのかに対しては、これは有意義であると考える。上に書いたように人間に悪影響を及ぼすことはあるかもしれないが、それを上回る恩恵を科学的発見から得ていると感じるためである。 ---- 私は、ラジウムは人類にとって脅威になると思うが、危険とともに使用していくことに賛成である。 なぜなら、効率的実用的なものには常にリスクが伴うからである。科学者達が、示唆し危惧しているように悪用しようとしている人の手に渡れば、危険なものになることは目に見えているが、それを技術の発展に貢献できることをわかっている以上、役立たせない理由はないと思う。なので、研究開発と共に一般市民も把握すべき教養を広める必要がある。しかもそれには、国の豊かさや治安の良さも大いに関係していると思う。危険性を理解している以上それを阻止する手立てを立てなければならないと感じた。 ---- キュリーは元々は工事現場で簡単に破壊できるようにダイナマイトが作られたという意味を話しているのだと思う。しかし、それは戦争にも使われてしまった。当時のキュリーは科学の発展は善悪が伴うことを示唆していた。結局のところ放射能の研究は現代の医療分野においてラジウム放射線による癌の治療などに応用されたが、原発の事故などで放射能が漏れるなど悪いことが起きている。便利な世の中になってはいるがそれに伴う弊害も起きているので、善悪はつきものだと考えながら科学・技術の発展をしなくてはならないと考える。 ---- とても考えさせられる言葉であると思いました。特に自然の秘密を暴くことは有意義なことなのか?と人類はそれを役に立つ事に使う準備はできているのかという言葉はとても心が締め付けられる思いです。キュリーの心配の通り、大きなパワーを持つ物が世界にもたらしたものは善悪両方あると思います。しかし、悪の方があるからと言って無意味な事であるとは私は思いません。なぜならそれ以上に人類の役に立ったと思うからです。科学の発展は人類の発展に繋がりました。それは心優しい人達がそれを人類の役に立てようとしたからです。そういう人達が存在している以上、無意味な事であるとは言えないでしょう。 また、準備はできているのかという言葉にはそれを扱える技術の準備ではなく、それを使用する者の心の準備であるという事だと私は解釈しました。大きな発明を何に使うかは技術的な問題ではありません。何に使った事が正しいかどうかが重要なのです。だからこそ心の準備はできているのか?それを正しい方向に使う心を持つ準備は出来ているのかという解釈が出来ます。 二つの言葉を踏まえて考える事は確かに人類は過ちも犯した。ただ今人類が発展しているのは間違いなく、正しくあろうとした努力の積み重ねであると言えると私は思いました。 ---- 「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか」という言葉に関して、私も同じような疑問を持つことがあると思った。21世紀は技術が進歩し、インターネットという便利なものがある中で、誹謗中傷による自殺やインターネットに依存してしまうという問題点もある。私達はそれらをうまく利用し生活していかなくてはならないと日々感じている。これは、キュリー夫人が放射性物質に対して感じたことと同じような感覚だと考えた。「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」という部分はラザフォードやソディが原子力を発見した時に考えていたことと似ていると感じた。そして、新たなものを発見した人はそれが持つメリットとデメリットを理解したうえで、未来の人々がメリットを活かしてくれるだろうということを期待し世の中に発表していると思った。 ---- ピエール・キュリーが述べた、言葉には現代にも通じるところがあると感じた。新たな発見は、人々の生活をより豊かにしていくことは現代において明らかであろう。ピエール・キュリーが発見したラジウムは放射線治療にも使われ、多くの人々を救う発見となった。私たちが利用するスマートフォン、自動車、AI技術など現代の技術は誰かの発見、発明により生まれたものである。そのような利点がある中で、誰がどのような手段で発見を用いるのか、ピエール・キュリーが心配していた部分も現代に通じる部分がある。述べた当時、ノーベルの発見であるダイナマイトは人々の仕事を楽にした一方で戦争に用いられた。現代でも似たようなことが起きている。最近、ニュースでAIイラストについての記事を見た。AIの発展により、イラストレーターの画風を学び、真似て描く技術についてである。その凄さには驚かれた。イラストの一部をAIに頼めれば効率は上がる一方、第三者にこのような技術を悪用されると、職を失ってしまう可能性がある。ピエール・キュリーが生きていた時代も、現代も、発見・発明の負の部分をどう対処していくかが重要な課題であることは間違いない。これからは、人を不幸にする負の部分をなるべく抑制し、良い善の部分を生かすことが求められていくと私は考えた。 ---- 私はこの意見を読んで、人類の新しい発見は人間次第で良くも悪くも転じる可能性があると考える。キュリーさんがおっしゃっていたように、放射線はダイナマイトの発明によって人類に貢献した一面もある一方で、その力を用いて人類を絶望に導いたこともある。人類の発明は莫大な力を持っていることは自明であり、それをどのように使っていくかのよって良い発明にも悪い発明にもなりうると考える。しかし、その莫大な力を見れば悪い用途を考える人が出てくることは明らかである。よって私は、人類の発明は悪い方向に転ずるのではないかと考える。 ---- ラジウムを発見したように科学者が自然の秘密を暴いていくことは人間の生きていく上で発展につながると考える。ラジウムの発見も、原子力発電という、莫大なエネルギーを効率よく生み出すことのできる手段としてこの世界を大いに発展させた。さらに放射線技術は発電の面のみならず医療にも使われており医療技術の発展にも大きな効果をもたらしたといえる。しかしその一方で、キュリー夫人が述べたように人間がその優れものの使い方を一歩間違えればそれは大きな爆弾として使用され、世界に悲惨な事態を招くことになる。自然物の発見が人間の世界にどう影響をもたらすか、その全ては発見した技術を人間がどう扱っていくかという、人間の行動に委ねられているのではないか。自然の解明が吉と出るか凶と出るかは人間の行動次第である。なので、自然の秘密を暴いていくことは有意義なものとしてもそうでないものとしても捉えることができると私は考える。しかし、これに正解はなく、人間が新たな自然の発見を悪用する可能性の方が高いと考えるものにとってはこれは有意義なことではないかもしれない。また、人間といってもやるべきことが一概に同じとは言えず、発見した科学者の義務、そしてその発見されたものを活用していく人たちの義務は別に考えられる。科学者には、その発見した自然物質の与える影響や安全な使い方を説明する義務があるのではないか。また、使用するものはその科学者の意見を参考に正確に使用していく義務があると考える。このように人によって視点を変えてその人がやるべきことを全うして安全に自然物を扱っていくことができれば、私たち人間が生活する上で、自然の力は大きく働き人間の世界を豊かなものにしてくれるのではないかと考える。 ---- 科学の力で、医療が発達し、病気などで生きられなかったかもしれない人が生きられるようになった。平均寿命が延びて、たくさんの人が長く生きられるようになった。人間は生きたいから、技術の進歩を求めているのだと思う。しかし、化学兵器によって、失う命が増えたことも事実である。他者を攻撃するのは、自分を守りたいからである。生きるために必要な食料や資源、土地が欲しいから争いを起こしている。分け合うことができれば、争いは起こらないはずだが、人間は欲張りな生き物である。そのため、現状でも格差が生まれている。そうなってくると、生きるために科学の力を悪用する人が出てくるのは必然的で、平和利用のみというのは難しいと思う。 ---- この言葉を読んで、ラジウムを発見した本人で、恐ろしさを誰よりも知っているからこそ、このように危機感を強く感じているのだと思いました。逆に考えると、無知は恐ろしい状態だと感じました。物質の性質や恐ろしさを知らないで使用してしまうと、思いがけない形で危険な状態になってしまうこともあり得ると思います。物質について知ることは、その物質を安全に使っていくうえで非常に重要なのだと考えました。 人間はほかの動物よりも知能が発達していて、危険な物質を発見したりそれを使用することができます。この事実を良いこと捉えるか悪いことと捉えるかは、人間の行動にかかっていると、この言葉を読んで改めて思いました。そのため、物質を発見した以上、その物質を安全に使用し悲劇が起きないようにすることは人間の責任であると考えます。犯罪者の手に渡らない努力をすることもまた同じことです。そのために法で規制したりするなど、さまざまな工夫をして向き合っていくべきだと考えます。そうして、安全になお人間にとってプラスになるような使い方をしていければいいと思いました。 ---- キュリーは、人類は新たな発見をした際に悪よりも善の方を引き出すと信じているが、私もそれに同意する。危険な使い方をすれば世界を一瞬にして壊すような恐ろしいものになりかねないが、それほどの力があるということは、良い方向にも同じように強力なパワーが利用できるのである。キュリーは3つの疑問を提示しているが、それらの質問を頭に浮かべながら発明をすれば、自分を制することができるので、ラジウムなどの危険なものも間違った使い方をせずに済むのではないのだろうか。すべての科学者は、このように自分自身に問いかける必要性があると思う。 ---- 私は、残念ながらキュリーの演説の最後にある「人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出す」という言葉は現在の人間が果たすことはできなかったと思う。放射性物質という単語を聞いて、病気の治療へ使われているというようなポジティブな面よりも、原爆投下の後遺症の要因であったり、原発事故が未だに解決されない要因であるというようなネガティブな面を想像してしまうというところから善の方が引き出されたとは言えないのではないかと考えるからだ。 ---- キュリー氏は前回の科学者同様、新しい技術が「悪い」使われ方をすることを懸念していた。実際にノーベルの研究が戦争などで使われたように。しかしそのような懸念を持ちながらも彼らのような科学者たちが研究を辞めず、自然の摂理を解き明かすのはそれが未来、将来にとって「良い」ものになると信じているからなのだろうと言葉を聞いて感じた。悪い使われ方をされるのなら自然の摂理は解き明かさなくてもいいと考えるかもしれないが、自然の摂理が解き明かされたことで、病の実態や地球環境の変化はなぜ起こるのかなどを「確実に証明されるもの」として存在させたことで、人権の問題や、古代の非現実的な儀式によってなくなる人を救うなど、他面でも人々を幸せにしている。つまり、科学や、自然の摂理の研究が悪いのではなく、それを利用する「正しい知識のない、私利私欲にまみれた人間」のせいでそれがまるで悪のようになるだけなのである。 ---- ラザフォードやソディは放射性元素が持つエネルギーを「莫大なエネルギーである」「そうしようと思えば地球を破壊することもできる武器」と表現しており、特にソディは人間によって世界の平和が壊されることを危惧していた。しかし、両者ともにそれを間接的に感じさせる言葉であり、直接的に危険性を断言することはなかった。それに対しキュリー夫人は「犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになる」と断言している。また、自分の研究がこれから先の未来、人類を滅ぼすことになるのではないかと恐怖を抱いていることが読み取れる。 私は、小学生の頃にキュリー夫人の伝記を読んだことがある。そこには、亡くなったときのキュリー夫人の手はラジウムの研究によってボロボロになっていたということが書かれていた。私はこの記述から、キュリー夫人が世界の平和・人類の発展のために尽力したことを改めて感じた。そして何よりも、研究を続けた彼女自身がラジウムの危険性を身をもって感じていたのではないかと推測した。ノーベルを例に挙げて説明しているように、彼女は科学の発展が人間生活をより豊かにしてくれること、そして、世界や人類を破壊する手段になってしまうことも理解していた。したがって、ノーベル賞受賞講演で研究者の彼女自身が自分の声で伝えることにより、偉大なことを成し遂げたことだけでなく、ラジウムの恐ろしさを認識してほしいという考えがあったのではないかと思う。また、最後の文から、彼女の研究が人類にとって”善”となることを切に願っていることがよくわかった。しかしながら、「信ずる」という言葉によって、ラジウムの強大な力が大罪人の手に渡る可能性のほうが高いと感じていたのではないかということが伝わってくる。1903年にキュリー夫妻が、1911年にキュリー夫人がノーベル賞を受賞しており、第一次世界大戦は1914年に始まった。自分が生きている生活の中で、戦争への歩みが確実に進んでいると肌で感じていたことだろう。私は、キュリー夫人はラザフォードやソディよりも放射線元素のもつ危険性を感じていたのではないかと思った。 ---- 自然の秘密を暴いていくことは有意義なのかというキュリーの言葉に対して、私は有意義であると考えます。たしかにノーベルのダイナマイトのように、せっかくの発明品が私たちや地球を傷つけてしまうような事例も無くはありません。しかし、放射線の発見によるレントゲン検査、太陽光発電、絶滅危惧種の保護活動など、科学技術が発展したからこそ人類や地球にいい影響を及ぼしている事例は山ほどあると考えます。また、第二次世界大戦を終え世界中の様々な団体が戦争反対を推し進めている今、仮に科学技術を悪用しようとするような動きがあれば、各国の国民が声を上げて阻止することができると思います。 今後も科学者たちにより様々な発見がなされ、その度にこの議論は起こるでしょう。私たちはその度にキュリーのような科学者の言葉を思い出し、自分たちの行動を見直すことで善の方を引き出す必要があると考えます。 ----
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