核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group08` # 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ---- 私は2人の文章を読んで、まず核分裂を予想していたという事実に素直におどろきました。 ----  二人の言葉を読み一番最初に感じたことは、新しい奇跡的な発見をしたにも関わらず、未来に対する不安を抱えているということです。そのように感じた理由は、「破壊」や「武器」という言葉を使っているからである。     ---- Soddy の言葉を読んで自然は人間によっていいようにも悪いようにも使うことができると考えた。なぜなら極地の氷を溶かしてしまえば水面は高くなってしまい陸地の面積が減ってしまうが、温室効果ガスなど有害なものを減らすことができれば地球温暖化を止めることができるからだ。 ---- 原子力が膨大なエネルギーを持つと考えているにも関わらず、その大きさが未知であることに怖さを感じました。より安全な代替可能なエネルギーが見つかれば原子力発電によるリスクをなくせると思います。原子力は、いいように使えばいいようになり、悪いように使えば悪いようになるため、使い方を見直す必要があると思いました。 ---- 原子核に潜むエネルギーがとてつもないことを理解しながらその取り出し方が不明であった時代に、科学者たちが「もしもそのエネルギーを取り出し、人間の都合のいいようにコントロール・活用することができるようになったら」と仮定して述べていることを踏まえると、彼らの言葉は、その後原子核の持つエネルギーを自由自在に使うことができるようになる将来の世代への警告であるように考えられる。「本来けちな性格の人間は、そのレバーで、蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するのである」という部分からは、人間は原子核の持つ膨大なエネルギーを膨大なまま利用するのではなく、暮らしを豊かにするために使うのに適切な分だけ調整しながら活用するようになるであろうという予測しているを表し、いずれ原子核のエネルギーは人間によって都合のいいようにコントロールされることを予言しているといえる。そして、「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」という言葉からは、そのエネルギーを自分たちに都合のいいように活用することで、彼らが自らの利益を追求することで地球に影響を与えるようになる懸念を示唆していると考えられ、とりわけ「地球を破壊することもできる武器を所有するのは、レバーに手をかける人間だろう」という部分からは、いずれこの膨大なエネルギーを利用可能にした人間は、使い方によっては大変な結果を生み出しかねないため、人間は原子核の力をコントロールすることができるということに大きな責任をもって適切に管理するべきであると警鐘を鳴らしているように聞こえる。以上をまとめると、過去の科学者は、原子核のエネルギーをコントロールできるようになった人間は、その利用可能な状態を権力としてとらえてはならないと警告しているといえる。 ---- 今の時代を予言しているようで少しゾッとすると共に、化学者の凄さを感じた。その当時は原子核のエネルギーを取り出すことなどまだできなかったというのに、いつか人間が技術を獲得し、そのとてつもなく膨大なエネルギーを利用する日が来ると確信していた。それだけ化学にどれだけの力があるのか理解していることに驚いた。また、人間がそれを良いようにも悪いようにも利用する生き物であるという、人間の本質を突いていることも深く考えさせられた。実際に規制が行われるところまで予測していることには驚愕である。ある意味これは彼ら当時の化学者たちから今の時代の私たちへの警告であるようにも感じる。原子核の使い方一つで人を苦しめることも幸せにすることもできる。慎重に扱えという警告である。 ---- Rutherfordの考えは最終的には合っていたものの当初、実験の偶然性により生まれた仮説をいざ言葉にしたときに、やや買い被り過ぎているのではないかと感じた。確かに未知の可能性が生まれたことで多くの謎への一歩前進となったことは間違いないだろうが、それが全てを解決する万能薬のようなものではないという事実を科学者としてもう少し踏まえた発言をするべきだったのではないかと感じる。100%の根拠がないにもかかわらず、「ない」と断言してしまうのは科学者としては愚行だと思う。 Soddyの最後の文(物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。)は本来あるべき姿を説いているが、今現代の事実から見ると真反対なことを言っていると私は思う。物質を変えることができるようになってしまった今、私たちは意図せず、極地の氷を溶かしてしまったり、砂漠の大陸を変造してしまっている。世界全体を人間にとって都合のいい楽園にすることはできているのかもしれないが、人間以外のもの全てにとっては地獄のような状況になってしまうこともありうる。これが長くにわたって続くことで、最終的には人間にも影響が及んですまう。よってこの言葉は確かに正解ではあるが、不正解であると考える方が正しいだろう。 ---- Rutherfordの言葉からは、原子核、核分裂の未知数さを表しているように感じた。具体的な数値などは示されておらず、「莫大なエネルギー」と述べているという点から、原子核内の「莫大なエネルギー」、秘められた力の未知数さを感じ取ることができる。また、その「莫大なエネルギー」の例として、太陽を挙げている。核分裂について解明できれば、莫大なエネルギーを発する太陽の起源を説明できてしまうということがくみ取れる。いわば、核分裂によって太陽ができたということである。このことから、太陽のエネルギーも未知数であるのに、それを作ることができてしまう核分裂のエネルギーの莫大さがうかがえた。 Soddyの言葉からは、より具体的に核分裂の脅威を感じ取れた。砂漠の変造、極地の氷を溶かす、といった具体的なことをあげ、その規模の大きさから、改めて核分裂のエネルギーの莫大さを表していると思う。また、核分裂をコントロールできれば、世界の運命を形作る。核分裂というのは非常に危険な存在であるように思える。続く文章からは、そのことができるのは人間だけであるということが読み取れる。しかし、「本来ケチな本性の人間」と表していることからSoddyは核分裂の力を活用すべきであると考えているのではないかと思った。砂漠の変造、極地の氷を溶かす、といった具体的なことをあげ、その規模の大きさから、改めて核分裂のエネルギーの莫大さを表していると思う。最後の「ほほえみの園エデンにもできる」という言葉は、良い方向に核分裂を活用してほしいという願いが込められているのと共に、核分裂を悪用することを予言して、21世紀を生きる私たちへの皮肉なのではないかと思った。 ----  E.Rutherfordの「太陽エネルギーの起源の問題も、もはや何ら本質的な困難はない」という主張に対して、21世紀を生きる私は、太陽エネルギーについて賛成である。太陽光発電の特徴はエネルギー源が無尽蔵で、クリーンである点である。発電時に大気汚染物質を発生させることがなく環境にやさしい。このような点は、太陽エネルギーが困難でないことを証明する。  また、F.Soddyの「重い物質はすベて、ラジウムがもっているのと同じくらいのエネルギーを、原子の構造の中に隠し込めていることが考えられる」という言葉に私も賛成する。調べてみると、鉛より重い元素は全て放射能を持っていて、そこにあるだけで放射線を出し続けてるようだ。重い元素は不安定な状態にあり、その不満を発散させて落ち着きたいからであるようだ。高いエネルギーを持った核が、変化しているのである。このようなことから、21世紀でもF.Soddyと同じことが考えられているのである。加えて「そうしようと思えば、地球を破壊することもできる武器を所有するのは、レバーに手をかける人間だろう」という意見についても、21世紀を生きる私は賛成である。地球を破壊する武器そしてレバーと言えば、米国の大統領を思い出す。核のボタンと言われ、米国の大統領はいつ何時でも核兵器の発射令をすぐに出せる仕組みになっている。そんな核のボタンをブリーフケースに入れて大統領の随行者の軍人が持ち運んでいる。そんな兵器である原爆が日本の広島そして長崎に投下され街は破壊され、多くの人々が亡くなりそして現在でも原爆に起因するとされるがんなどの病気を患う人々がいるなど、甚大な被害を受けている。このようなひどい被害を与え世界を破壊する兵器を米国が今でも所有し、核ボタンを大統領の近くにおいておくというこの事実から、地球を破壊することもできる武器を所有するのは、レバーに手をかける人間だろうという意見に賛成する。「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という意見には、賛成できない。物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたりすることは可能であるかもしれないが、そのことによって世界はほほ笑みの園エデンにはならない。極地の氷を溶かすと、海面は上昇してしまい沿岸都市が洪水で水没してしまう。沿岸都市であるニューヨークや上海、そして東京が浸水したら、その都市にいる多くの人々に悪影響があるのではなく、世界経済も悪化し、地球が破壊することが考えられる。また、海面上昇により海岸浸食、高潮・高波・異常潮位などの沿岸災害の激化やサンゴ礁の消失が起きてしまうのである。実際に、沖縄でもサンゴ礁の消失が起きていて、モルディブ諸島やツバルなどでは浸水被害を受けている。ツバルは数十年後には沈んでしまうと言われているほどである。故郷に住み続けることができなくなる人々そして大切な故郷を失う人々がいるのである。このような出来事は、世界をほほ笑みの園エデンにするのではなく、恐ろしい園にするのである。 ---- 2人の言葉を読んで、私は放射性元素に潜む莫大なエネルギーを他の物質も持っていると考えた。なぜなら、「太陽エネルギーの起源の問題も何ら本質的な困難はない」ということから、太陽エネルギーの起源が放射性元素以外の元素が持つ莫大なエネルギーによって生まれた可能性が考えられるからだ。また、「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」とある。つまり、その莫大なエネルギーを人間がどのように使うかによって、世界環境をも操作することができてしまうということを示唆していると感じた。 ---- まず、E.Rutherfordの言葉から自然界の持つエネルギーは未知な部分が未だ数知れずあることを感じた。何らの理由もない、何ら本質的な困難はない、と言う言葉からもその無限性を感じる。F.Soddyの言葉も前者と大きな違いを私は感じなかったが、後者は無限の可能性を持った莫大なエネルギーの最終決定権は人間に委ねられているのだ、ということを感じた。広島原発がその例になるように、人間は自分達の住処を自分達で壊すことのできる力があり、その責務は計り知れないなだろう。 ----  Soddyの言葉の中に、「そうしようと思えば地球を破壊することもできる武器」とあるが、それは「核爆弾」が当てはまるのだと考えた。実際に日本は、世界で唯一の被爆国だが、当時の核爆弾の威力でも非常に強力だったため、現在、核戦争が勃発でもしたら本当に地球を破壊する恐れがあるだろう。そして、現在では、ロシアは戦争をしており、北朝鮮はミサイル発射実験を頻繁に行っている。つまり、核戦争が全くありえないとは言えなくなってしまっている。また、原子核などの原理を解明した科学者が、現代の核爆弾の使用方法などを見た時に、悲しむのだろうか、それとも、核分裂などを利用した兵器の誕生という科学の進歩に喜ぶのか、気になった。 ---- 科学の力は使い方によって幸せにもなったり不幸になったり怖いものなのだと感じました。21世紀に生きている私たちは原子核によって得られるエネルギーの恩恵を受けている。それが原子力発電である。ウランの原子核に中性子をあてることで原子で原子核が分裂して、エネルギーが得られる仕組みを使っている。これが「トントンと叩いてコントロールできる」という部分に当たると考える。しかし一方で私たちはその莫大なエネルギーの脅威を知っている。それが原爆である、科学が国家間の争いに悪いように利用された。しかも有名な科学者であったアインシュタインも協力していた。このことから私は、科学者の探求というのは自由であるべきだが、その発見された物質や反応を規制するべきだと感じた。誰かに危害を与えるための使用禁止など世界間での決まりが重要だと考える。また、発電のためだとしてもほかの再生可能エネルギーを使うことが大切だと考えた。また現代でも核による問題は存在している。ロシアとウクライナの問題でもロシアが核の使用をちらつかせていたり、北朝鮮がミサイルを日本に発射したりと核の膨大なエネルギーを武器としている。確かに話し合いで決着がつかなければ最終的には武力による対戦になってしまうが、国際的な核廃止を求めていくことが大事なのではないと思った。 ----  原子核が持つ莫大なエネルギーを認識したことで、ラザフォードはさらなる発見をすることに確信を持っているように思った。  ソディも原子核を国家が利用できるようになることで、できるようになってしまうことについて言及していた。ソディの発言から私は原子核のエネルギーの大きさを軽視していたことに気づいた。原子核を取り出し利用することで生態系が破壊されてしまうほどの環境変化をもたらすことが可能になるかもしれないという恐ろしさがあることを学んだ。  しかし、ソディはマイナスの面だけでなく人類の発展にも役立つことを示唆していると読み取った。21世紀の我々からすると原子力発電が当たり前の存在のように感じる。ソディにもこのような未来が見えていたのではないかと考えた。 ---- ラザフォードが述べた原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるという予想は正しいものであった。このエネルギーを使って人間は原子力発電というものを発明し、莫大なエネルギーを私たちの生活に活用し利用していく手段を得ることができた。しかし、ソディーが述べた人間はこの莫大なエネルギーを持つ原子の力を手中に収めた上で、その使用量を制限していくことができるという意見は間違っていたと考える。原子力の力の可能性を未だ人間は理解しきっていないと考える。もし本当に原子力の持つ危険性を理解していれば、福島における原発事故は起きなかっただろう。もちろんあの地震自体が人間の予測を遥かに超えるものであった。それでも、危険性がきちんと把握できていればその近くには住居を作らないなどもっと事前から事故が起きる可能性を考えておくべきだし、その為の対策を取るべきあったと考える。そもそも科学や自然の力というものは一生人間の手中に収めることはできないものである。理解できた気になっているだけで、いつでも自然の力は人間を上回る。残念ながらソディーが述べたように人間は科学の、原子の力を完全に制御することは少なくとも今現在はできていない。砂漠の大陸を変造することも極地の氷を溶かすことも人間が望んで行うことはできない。自然の力を見誤れば、飲み込まれるのは人間である。どれだけ科学が発展したとしても、その源にある何かにはきっと人間は手が届かず、無闇に手を伸ばせば負けるのは人間だろう。どこまでいっても必ず何か理解できない力がそこに存在することを決して忘れてはいけないし、傲慢に自然を支配したように振る舞ってはならないのだ。 ---- 原子内に潜んでいるエネルギーは甚大であるというのは事実であると考える。もし、原子内にエネルギーが少ししかないとすれば、原始レベルの大きさで人間の生活を支える電力を発電することは難しいと考えられるからである。発電する点だけではなく、兵器としての使われ方からみても、原始内にはとてつもなく大きなエネルギーが含まれていると思う。第二次世界大戦で使われた兵器として原子爆弾がある。原子爆弾の威力が凄まじかったのはさまざまな記録や残っている。核エネルギーが小さかったとしたら甚大な被害を及ぼすこともなかったに違いない。以上の二点より原子内に潜んでいるエネルギーは甚大であるというのは事実であると考える。 ---- 原子核内にとてつもないエネルギーがあり、それが地球全体に影響を及ぼす可能性があることを、放射性物質を取り出すことのできていない段階で指摘していたことに驚いた。地球を破壊することのできる武器(核兵器)の出現や核兵器の規制、核保有国が世界で力を持つ現状などを的中させていることは物凄いと思った。しかし、そこまで予測でいたならば、なぜ科学者たちは核兵器の研究・生産をしてしまったのか疑問に思った。 ---- 21世紀の今、原子力によるエネルギーを利用して、様々なことに活用している。核融合を利用して原子力発電や、放射線の利用をしたりして日々の生活を豊かにしている。原子力発電は、原子力の平和的利用として知られている。その反面、核爆弾などの核兵器への利用がされている。記憶としてあるのは、日本への原子爆弾が投下されたことである。これによって多くの被害が出た。ある意味、核爆弾を持っている国は、世界を変えることができる。だが、21世紀の今、核兵器を廃止しようと、核兵器廃止条約が締結された。だが、いまだに核兵器を保有している国は存在している。核を利用して戦争し土地を獲得して平和にするのではなく、原子力発電や、放射線を利用して生活を豊かにし、平和にするべきだと思った。 ---- まずE. Rutherfordの言葉から考える。一つ目と二つ目の言葉について、核分裂を予言した言葉だが実際に現在その通りになっている。この事のように今でも新たな発見がされることもあるため、まだ見つかっていないが放射性元素と同レベルのエネルギーを持つ物質もあるのかもしれないと考えることができた。そのような物質が発見されると便利な部分もできるかもしれないが危険も多くなると考えられる。今発見されているもののことだけ考えがちだが、これからの未来さらに発見される可能性もあると考えることは大切であると思った。一つ目の言葉で、原始内に潜んでいるエネルギーの大きさについて断定しているがそれで終わらずに、本当にこのような莫大なエネルギーを持っているのは放射性元素だけなのかという疑問を持つような視点を持つのが大切だと思った。 次にF. Soddyの言葉に関して、「砂漠の大隆を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」というようにかなり大袈裟に表現しているように感じるが、このくらいの危機感を持って捉えることも大切だと感じた。 ---- 私は、2人の言葉に部分的に賛成する。まず、膨大なエネルギーを利用できるようになった国家は今まで考えもしなかったようなことを実現できるようになるという点については賛成だ。実際に原子力発電が生み出す膨大なエネルギーによって私たちの生活は便利になり続けているし、火力発電の削減にも繋がっている。原子爆弾も(現代の国際社会に限って考えれば)大国同士の戦争を防ぐという政治的役割を果たしているともいえる。人間の意志1つで世界を滅ぼすことも、世界をよくすることも出来るのは事実だ。 ただ、副作用があまりに大きすぎることと、人間は本来利己的な生物であるため世界をよくする方向に足並みを揃えられないという2つの観点を現代人は考慮すべきだと思う。副作用については、生物への悪影響と放射線廃棄物の問題が挙げられる。これらを具体的に予見することは、陽子・中性子発見の時点では不可能であるし、科学者たちに非はない。しかし問題が浮上した時点から今まで、原子力の代替手段を生み出すことにもっと人的・資金的コストをかけるべきだと思う。 また、人間は本来利己的な生物である。原子力ほどの膨大なエネルギーを「世界をよくする」方向に使うには、一国残らず足並みを揃えることが必要であるが、現実的ではない。なぜなら原子爆弾(に代表される原子力の悪用)が、「自国民の生活を守る」ためによだれが出るほど魅力的な手段だからだ。「自分の国に戦争をしかければ世界が終わるぞ」という脅しになるため、持とうとする国が後を絶たない。このように、もはや原子力の悪用自体を禁止することはほぼ不可能なため、他の手段で安全保障・経済発展を達成する方法を考え続けなければならない。 ---- 現在では原発事故が起きたことで、多くの人が原子の中心にある原子核には巨大なエネルギーがあることや放射性物質は人体にとって危険であるという認識を持ちました。しかし、原子核を発見して間もない段階で、原子核が本来であれば反発しあってしまう陽子を閉じ込め、安定させるために莫大なエネルギーを持っているだろうという結論を導き出した上で、莫大なエネルギーを他にも持っているものがあるかもしれないという可能性を示しており、既存の事実だけで物事を決めつけないことの大切さを教えてくれているように思いました。 人間は自然には抗えないという言葉を耳にします。しかし科学者は、人間が原子の中に閉じ込められているエネルギーを用いて自然を変えることができ、使い方によっては地球を破壊することができるとまで述べています。実際に地球温暖化など、人間が自然を変えていることは否定できないと思います。100年も前に述べられた言葉ですが、彼らの言葉を受け止め、人間が原子の中の莫大なエネルギーを今後利用するなら、何のために用いるべきなのかを一人一人が真剣に考えていかなければならないと考えました。 ---- この予言を聞き、原子核のエネルギーの可能性が寛大であることは私自身も結論に達することはそう考えるのが妥当だと考える。しかし、この寛大なエネルギーが放射線元素だけが持っていると考える、太陽エネルギーの起源の問題ももはや本質的な困難ではないとあるが、それはどうなのかと感じる。現在では、科学技術の発展が大きい中で今まで発見できなかったそういったエネルギーの発見はあるのではないかと考える。すべてが原子の構造の中に閉じ込められていることを予測し、それをコントロールしようと考えているが、まずはそれを自由に操れるほどの力を磨くべきではないかと考える。実際に寛大な力を扱えるような技術がないまま、ただ放射させるのでは武器にもなりえない。人間が確かに鍵を握っているのだろうが、物質を変えることが出来る国家にはまだなりきれていないのではないと私は考える。 ---- ソディの最後の言葉にはとても納得した。実際に今、地球温暖化などにより極地の氷河がとけてしまうなどの問題が発生しているが、そもそも地球温暖化は人間の行動によって進行しているものである。これは、ソディの最後の言葉に通ずるものがあるのではないだろうか。我々は知識を利用して、人間にとって有益になるような様々な物質を生み出しているが、それと同時に多くの自然環境を破壊していることもある。破壊することができるのならば、守ること、よりよい地球を創り出すことも可能ではないだろうか。 ---- 核エネルギーを支配しようとする人間は、責任を持って世界を良くするためだけに使うべきだ。核分裂のエネルギーが莫大なものであることは明確だからだ。原子内にあるエネルギーは地球を破壊することができる。環境保全の観点から核を扱うことに注意するべきである。さらに政治の観点からも、国の武力や権威として利用されている今、自然を変えられる力を持っていることを充分に理解して慎重に、そして地球全体の平和と安寧だけを目標として扱うべきだ。 ---- 当時原子核に潜む巨大なエネルギーの取り出し方や根源を理論づけられていなかったにも関わらず、今現在まさにロシアとウクライナ間の戦争で核兵器が用いられることが危惧されているように、原子核が持つエネルギーの規模から今後の人類や世界に与える影響まで予言していることに驚きが隠せなかった。また、原子核のエネルギーの正体が明らかになって、いずれ人間によってコントロールできるようになってしまうことを予言しているように、今後原子核のエネルギーがなぜ莫大であるのか解明できるという確信と義務感が表れているように感じた。 ---- Rutherford と Soddy の言葉を読んで、核分裂が描く2つの未来を想像した。 ひとつは、核分裂により引き起こされた巨大エネルギーが倫理的に正しく利用され、人々や地球に幸福をもたらす未来である。その一例として挙げられるのが原子力発電である。原子力発電が中心的な発電方法になれば、これまで火力発電で使用されていた石油は不要になり、温室効果ガスの発生が抑えられる。風力発電や太陽光発電のために山を切り開く必要も無くなり、豊かな自然と動物たちを保全することも可能になるだろう。このように、核分裂が持つ巨大エネルギーとその危険性を理解した上で利用すれば、エネルギーを生成する上で生じる現状の課題はカバーできるのだ。 もうひとつは、核分裂により引き起こされた巨大エネルギーを悪用し、人々に不幸をもたらし地球を破壊する未来である。この一例が原子爆弾である。程度を考慮せず核分裂を起こせば、国や地域を消滅させるほどのエネルギーを発するだろう。これが悪意を持って行われた時、明るい未来を作るはずだった世紀の大発見は、途端に世界を滅ぼす狂気へと姿を変えるのだ。 従って、核分裂が正の方向に使われるべきだと言うのは至極当然のことなのだが、悪意を持った人間による意図的な使用も不可能では無いということを覚えておかなければならないと考える。 ---- 原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるというのはその通りであると思う。原子力によって発電してその電力が日本を動かしていたことからもそのエネルギーの大きさがわかると思う。また生活の中にある様々な物質も同じように莫大なエネルギーを隠しているため、人間の手によってその力をコントロールし、様々な変化を起こすことができるのだと思った。これは原子量発電など安全に扱えば世の中のエネルギーとなるものもあれば、核兵器やミサイルなど人を殺したり、国を壊せるようなものもある。人々はこの原子内の莫大なエネルギーの怖さを理解し、扱い方次第で凶器になるということを忘れずにしなければいけないと感じた。 ---- 当時の科学者は、原子核の今までにない莫大なエネルギーを発見したことにより、これを有した未来について大きく分けて2つの事柄を想像したと私は考える。1つは原子核のエネルギーの利用可能性についてである。「もし、それをとんとんと叩いて…」という箇所から、発見したエネルギーが今後、人間がさらに研究を進める中でいつしか様々な場面で役立ち、人間の生活を豊かにしていくこととなることを想像したのではないか。そして2つ目は、人が原子核のエネルギーを人間が扱っていくという事に関しての懸念である。科学者たちは、自分たちのような人間今後その発見からさらに発展し、その莫大なエネルギーをコントロールできるようになる日がいつか来るだろうと考えたのだと思う。新たな可能性を生み出す一方で、人間という生物が多様な利用価値のあるものを得た瞬間、すべてが良い方向に転ぶという事はないだろうと彼らは考えたのではないか。科学者という貪欲な精神で研究をしていた立場であるからこそ、その視点からも述べられた内容なのではないかと考えられる。 科学者たちの言葉はあくまで予想的な発言であったのかもしれないが、実際現代になって原子力発電への利用や核兵器の製造、また東日本大震災で起きた原発事故といったように、良いことにも悪いことにも様々な問題に発展している。当時大きな発見をした彼らにとって、このとてつもないエネルギーが今後人間の手に渡ることによってどのような運命をたどっていくのかが明確でないながらも予測がされ、現代の人間から考察すると、結果的に予言のような言葉になっていたとも読み取れるのではないかと私は考えた。 ----  原子核のエネルギーをコントロールすれば世界を変えることができるだろうと期待すると同時に、人間は地球を破壊することができる武器を作るのではないかという危険性も科学者たちは予想していたのだと知った。  私は、このようにあることに対するメリットとデメリットを考えることは非常に重要なことだと考える。物事には必ず光と影がある。科学者たちも早くから原子核のエネルギーの利便性と危険性を予想していたのはさすがだと思った。実際、原子核のエネルギーは、原子力発電やレントゲン、空港での手荷物検査の機械に使われ、私たちの暮らしを大きく変えた。そして、人間は原子核のエネルギーを用いた原子爆弾や水素爆弾を作り、地球を破壊した。  デメリットの部分が実際に起きてしまったことは悲しいことだが、良いところだけでなく、悪いところも予測するということは大切であると感じた。   ----  「もし、それ(莫大なエネルギー)をとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」と、Soddyは述べている。そして2022年現在、世界は核分裂を利用した兵器によってパワーバランスが形成されている。実際に、アメリカ、イギリス、中国、フランス、ロシアの5つの常任理事国は核拡散防止条約でも核の保有が認められていることを踏まえれば、Soddyの予言は的中していると言える。核をコントロールして作られた兵器が世界の運命を形づくっている。  また、世界各国では、原子力発電が発電方法の1つとして採用されている。2017年の世界全体の発電手法の割合として原子力は10.3%を占め、石炭、石油、天然ガスといった火力発電に次ぐ主流の発電方法といえる(#1)。先ほど述べたSoddyの予言に照らし合わせれば、核分裂をコントロールして、世界の運命を、「電力を供給する」方向で形づくっていると言える。 [参考] #1:Sustainable Japan『【エネルギー】世界各国の発電供給量割合[2019年版](火力・水力・原子力・再生可能エネルギー)』(2022年10月9日参照) https://sustainablejapan.jp/2020/04/03/world-electricity-production/14138 ---- まず前提として、この課題のベースとなる彼らの言葉の要旨をまとめたい。彼らは「原子核のエネルギーは莫大だ。やがて人間はそのエネルギーを利用し、地球を破壊する武器をも作ることができる手段を手にするはずだ。だが人間はきっとそれを規制し、世界をまるで楽園のようにできるようなポジティブな使い道をするだろう。」と言っていると私は理解した。ゆえにこれを前提として意見を述べたい。  彼らの気持ちを察するに、私は彼らは原子核の利用により世界は幸せになるのだとポジティブに考えていたのだと思う。人間はきっと倫理的に間違った使い方はしないと、言ってしまえば楽観的な予想を立てていた。あるいはこのようにも捉えられる。彼らは本当は人間が間違った使い方に走る可能性が高いことを予想していたが、自分たち原子核の発見者としての言葉が後世まで読まれるであろうこと自覚し、後世への規制の念も込めてこの言葉をしたためておいたのではないだろうか。だとすれば私たちは、この言葉と私たちがたどってきた歴史を振り返らなければならないと思う。 私たちは原子核をポジティブにもネガティブにも使ってきた。  最もネガティブだったのは、広島・長崎に投下された原子爆弾だろう。莫大なエネルギーは人を殺すことのみを唯一の目的とする残虐な武器に変えられ、数え切れないほど多くの人の命を奪ってしまった。彼ら科学者の願いに沿えなかったことが単純に悲しい。 だがポジティブな用途もあった。原子力発電だ。これは現代人の生活を大きく支えてくれた。大量のエネルギーを生み出してくれる上に温室効果ガスも出さない。放射能の危険性は気になるが、原子力発電が現代生活にも温暖化対策にもかなり役に立っていることはゆるぎない事実だ。 発見者が後世に託した希望は半分叶えられ、半分叶わなかった。現代人は一度立ち止まって私たちがしてきたことを冷静に振り返る時間が必要だと思う。ただ注意しておきたいのは、彼らの言葉は100年以上も昔に発せられたものだということだ。100年前と現在では時代は大きく異なる。私たちをとりまく世界情勢は変わっている。だからこそ、私たちは彼らの言葉を尊重しつつも、同時に今の時代に合った原子力の使い道を考え直していく必要があると思う。例えば、原子力発電は本当に必要なのかどうかをもう一度吟味したり、核爆弾を世界中の国が一斉に放棄する方法を模索したりなどだ。また極論を言ってしまえば、原子力を一切使わないという選択肢もある。あるいは科学の進歩によって原子力エネルギーに匹敵する、放射能のない新たなエネルギー源が発見できる可能性もある。時代は変わる。だから、「原子核の正しい使い方」というものを刷新していく必要があるのだ。 ---- まず、ラザーフォードの文章から見てみる。「原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるに違いない」、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っていると考える何らの理由もない」といった表現をしている。このことから、ラザーフォードは放射性元素が莫大なエネルギーを持っているということを確信しているということが窺える。また、ソディは「重い物質はエネルギーを閉じ込めており、それをコントロールすれば世界の運命を形づくる」、「地球を破壊することができる武器を、けちな人間は油断なく規制する」といった表現をしている。このことから、ソディは地球を破壊できる力を持った放射性元素を利用しないことを惜しみ嘆いているように感じられる。実際、放射線は莫大なエネルギーを持っていたために、福島の原子力発電所の事故のような大きな被害が出た。原発事故により大量の放射線物質が放出され、被ばくした多くの人たちはがんや白血病を発症した。現在ではその被害はほとんどなくなってきているが、被害を受けた人たちの不安や悲しみは消えることはない。また、人間だけでなく魚や米といったものにも影響を与えた。現在多くの原子力発電所が稼働を停止しているが、再稼働の動きも見られる。全ての原子力発電所を廃止するべきだという声もある。しかし、日本の電力自給不足を考えてみてもそうすることは難しい。審査を通り安全だとされたものだけが稼働している状況だが、絶対に安全ということはできないと思う。福島原発事故の際も、安全だと思っていたのにも関わらず起きてしまったのだ。災害に対して人間は無力であり、防げない事態が起こるかもしれない。しかし残っている原発の数は多くないため、1つ1つの安全対策を徹底的に行うことが重要なのではないだろうか。原子力発電なしでも電力を十分賄えるよう、他の発電方法へ徐々に移動していくことが日本にとって良いと思う。また、国民の賛同を得ることも必要である。原子力発電に対して不安を持っている人は多い。どのような基準で発電所を稼働させるのか、いかに安全が確認されているのかといったことを説明し、納得してもらった上で協力してもらうことが重要だと思う。国民もただ傍観するのではなく、理解しようとする姿勢をとるべきだ。このように、原子力発電を今すぐ廃止することは難しいが、国民と国が協力しながら徐々に他の発電に移行していくことが良いのではないかと考える。 ----  私はラザフォードやソディが、原子核からエネルギーを取り出す前から、それを生かすも殺すも人間次第だと予測していたことが印象に残った。それではなぜ、科学者たちは「地球を破壊することもできる」物質を取り出すことに尽力したのか。私は今回の授業で学んできたように、デメリットに見合うだけのメリットがある、画期的なエネルギーだったためだと考える。科学者たちにとっては探究心を刺激し、研究の裾野を広げられるものだったであろうし、一般人は現代でも、放射線の恩恵を受けている。例えば、X線は医療から食品、工業品製造、空港での手荷物検査など多岐に渡る分野で利用できるし、放射線治療によって、がんを効率よく消すことが可能になった。  その一方で原子爆弾や核ミサイルが開発されたり、原発事故が起こったりして、多くの人間の命が脅かされ、失われてしまったことも事実である。ソディーがレバーに手をかけるのは、人間だということを述べていたように、ひとりひとりの放射線に対するリスクの認識が重要であると考える。また、発言力の強い政治家などによって、放射線の技術が悪用されないように、私たちひとりひとりが政治に参加していくことも大切だと感じる。 ---- 人間はRutherfordとSoddyが説いた言葉を重要視すべきだったと考える。原子内に潜む莫大なエネルギーを利用して原子力爆弾や原子力発電を発明されたが、それを使うかどうか決める権力を持つ者やその周りの人々は、そのエネルギーの力や危険性について漠然としか知らなかったのではないだろうか。 Rutherfordの言葉通り、原子内に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーに比べて莫大だ。福島第一原発での事故や第二次世界大戦での原爆投下の被害などから、現代を生きる我々はその危険性について理解している。しかし当時は科学者間でのみ知られていたのかもしれない。これにより多くの人々が原子核について正しい知識を持たない状態で、原子核の所持や使用が始まったと推測する。 またSoddyは、人間が原子核を自由にコントロールするようになると蓄積エネルギーの放出を油断なく規制するのではないかと考えていた。実際原子力の使用は一般的に規制されているが、核兵器を保有したり、原子力発電所を利用する国は存在する。先述した通り、原爆投下や原子力発電所における事故によってようやく多くの人々が原子核の巨大なエネルギーを目の当たりにすることとなったのだ。しかし人間はこれらの利用をやめようとしない。この莫大なエネルギーがもたらす被害を大衆が理解している今だからこそ、過去の出来事から学び、原子核を使用することについて改めて考え直す必要がある。 もし原子核が発明された当時、RutherfordやSoddyの言葉が多くの人々によって深刻に捉えられていたら、核兵器の使用や原子力発電所の稼働は抑えられていたのかもしれない。人間が何か新しい技術を生活に取り入れる際は、危機管理を全て科学者や科学者の知識に任せるだけでなく、自ら知ろうとする姿勢が大切なのだ。 ---- RutherfordとSoddyは実験で分かったことに対して、そこで満足することなく懐疑的な視点を持っていることが、言葉からわかった。その理由は、Rutherfordは、原子核を発見しその位置と大きさを発見しただけではなく、その大きさに陽子と中性子が収まっていることから、莫大なエネルギーを持っていると結論付けていて、RutherfordもSoddyも、その莫大なエネルギーは、例えばラジウムといった放射性元素だけではなくほかの物質も持っているのではないかという可能性を示しているからである。この姿勢は、科学者だけではなく21世紀に生きる私たち一人一人も持つべきものではないかと思った。私たちの周りは便利なものであふれている。もちろん便利なものを使うことで生活は豊かで過ごしやすいものになるかもしれないが、私たちは今この瞬間の快適さだけを考えてばかりで未来のことを考えられていないのではないかと思った。例えば、プラスチックは加工がしやすく耐久性も高いため生活の様々なところで使われてきているが、地球温暖化や海洋汚染、資源の枯渇など多くの問題を引き起こしてしまっている。この時点でも未来を考えられていなかったことがわかるが、プラスチック削減のために、近年紙製のストローや袋などに変える店が増えていることにもこの問題は潜んでいるのではないかと考える。確かに紙製のものに変えればプラスチックの使用は減るかもしれないが、今度は森林伐採が進み、将来的には生物のすみかの減少や大気汚染といった新たな問題が発生するのではないか。この視点を持たずにプラスチックを減らすことさえできればいいと考えている人が現代の人には多いと思う。問題を一つだけと考えずにすべてのことに懐疑的な視点を持つことができるようになるべきだということをRutherfordとSoddyの言葉から学ぶことができると思った。 ----  RutherfordとSoddyの言葉を読んでまず一番に私が感じたのは、原子核エネルギーというものを発見した彼らに、核によって平和が失われている今の世界の責任は一切ないということです。  「普通の化学変化で遊離されるエネルギーにくらべて莫大であるに相違ない」という言葉などから、原子核の存在は当初は私たちの生活を豊かにする世紀の発見という認識だったことがよくわかります。実際に現在では多くの国が原子力発電を利用していたり、がんの治療に放射線が使われたりしており、特に原子力発電は、日本が主な発電方法としている火力発電などに比べてCO2の排出量が少なく、コストも安定しているため重要視されているのが事実です。 原子核エネルギーというものは確実に私たちの生活を豊かにした一方で、現在では危険な存在であるという認知も広くされています。私自身も、核と聞くと核兵器や原発事故などが1番に思い浮かんでしまいます。 「それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」という文章の中で、コントロールできるとすれば、という言葉が使われていることは、現代にある核兵器の問題の核心をついていると感じます。RutherfordとSoddyは原子核エネルギーの莫大さに気がついた時から、便利な使い方ができる一方で、それが危険な使われ方をされてしまうことも懸念していたことがこの言葉から分かります。人間が原子核エネルギーを手にした結果コントロールすることができず、平和の失われた世界を形づくってしまったのです。  ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の問題などがなかなか解決に近づけないのは、何をするにも核兵器がちらつき、周りの国もその恐ろしさを知っているからだと思います。世界を破壊できるほどの力を持つ原子核エネルギーが戦争の道具として使われてしまうことは、RutherfordとSoddyが一番望んでいない原子核エネルギーの使われ方に違いありません。二人の大発見が無駄にならないためにも、21世紀を生きる私たちは、核兵器廃絶に取り組むべきです。特に、唯一の核兵器被害者である日本は核の恐ろしさを世界に伝え続け、人々が原子核エネルギーを正しく使えるよう促していく役目を務めていくことが大切だと思います。 ---- 私はこの科学者たちの言葉をきいて一番初めに、考えがずいぶんと壮大であると感じた。原子のエネルギーの莫大さを知ったとき、彼らはもうすでにその先を見据えていたことに驚かされたのだ。同時に、核分裂を予言して、さらに人間が科学をベースにこの世の中に存在する圧倒的な力に気が付いたとき、どう行動していくのかでさえも予想しているのは正直早すぎるのではないだろうかと思った。しかし、科学者にとって一つ一つの小さな発見を積み重ねて大きなことに活用することや、偶然ある事実に気が付いて、どう利用できるのかを考えることが世界を変えるカギを握るということは私でも少しは理解できる。そんな思考を持つ彼らが核分裂という手に負えないほどの威力に気が付いたとき、世界がどう変わるのか必死に頭を働かせ、抽象的なことを想いめぐらすことが精いっぱいだったのではないかとこの言葉から私は推測した。E.Rutherfordの言葉からは無限の可能性を読み取ることができる。当時どれほど原子の仕組みや核分裂の可能性というものが偉大な発見であったのかを明確に表しているともいえるだろう。そして、特に印象に残ったのはF.Soddyの[それはどんな自然力となって…]だ。抽象的だが、当時、核分裂を予言したときに、未来のより科学や技術の発展した世界になったときにいったいどんな世界が待ち受けているのかという興味が表れている。さらに、「そうしようと思えば地球を破壊…」と「物質を変えることができる国家は…」の箇所では、未来の人々に、どうかこの力を悪用せずにうまく利用してほしいという彼自身の希望や願いが込められていると私は解釈した。 私たちは今日、核兵器や核爆弾、原発の問題など様々な困難に直面している。当時の科学者の理想と、願った世界と今の世界は果たして釣り合っているのだろうかと考えた。残念ながら、一部の人間は蓄積エネルギーの放出を規制せず、人々を恐怖に陥れ、自分たちの利益のためだけに利用した。私個人としては理想とは程遠い世界だと思う。これからもしばらくは深刻な問題となる核問題、私たちがどのような行動を選択するべきなのか改めて考えねばならないのではないだろうか。そして同時に、彼らのように小さい発見であれ大きい発見であれ、目の前のことだけに目を止めるのではなくて、先を見据えた考え方が大切だとも感じた。 ----  原子核が発見されたのは1911年、核分裂の予言がされたのは1919年である。歴史を振り返ると、この辺りの時代はヨーロッパで第一次世界大戦が行われていたり、中国や日本などアジアでも様々な戦争、運動が行われていた。科学者たちが「普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて莫大であるに相違ない」「それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」「地球を破壊できる武器を所有する」と考えたのは、このような時代背景が関係してくるのではないかと考えた。もし核分裂の発見がもう少し遅ければ、または極端に早ければ、核分裂を武器に利用するという考えは思い浮かばなかったのではないか。または、思いついたとしても、そのような武器をつくる技術は発展しなかったのではないか。ソディーの「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という発言は、戦火が激しかった時代だったからこそ、核分裂を兵器などに使用せず、世界全体の暮らしに役立てるような使い方をして欲しいという願いが込められていたのではないかと思う。  しかし、科学的な観点からすれば、あの時代に核分裂を発見できたおかげで様々な問題を解決できたり、新しい実験を行うことが出来るようになったのだろう。その実験が現代の私たちの暮らしを豊かにしていることは明白である。あのとき核分裂を発見したことが良かったとも悪かったとも評価できないというのが私の意見である。良いとされていることも、視点を変えれば様々な問題を抱えているのだと思った。 ---- 私は、核分裂を予見していた二人の科学者が伝えたかったことは「核分裂による莫大なエネルギー」と「その力を扱うのが人間であるということを忘れてはいけない」という、二つの意見だと感じた。E.RutherfordとF.Soddyの言葉に共通しているのは、核分裂が当時の科学的知見からは見当もつかないほどの莫大なエネルギーを生みだすと予見していたことだ。特に、Rutherfordはそれが太陽エネルギーの原理であることを予見しており、当時の人々に新たなエネルギーとしての期待を持たせたのではないだろうか。しかし、光があれば影があるように核分裂反応には負の面もある。代表的なものが核兵器だろう。今でこそ、その恐ろしさが周知されているが、核兵器が実在しなかった当時はその恐ろしさに理解どころか、関心すらあまりなかったのではないだろうか。その上で、Soddyの言葉に目を向けると、核分裂を利用した兵器がいつか生み出されること。その兵器が恐るべき威力を持ちうることと、それを支配するのが「人間」であることに、意見をフォーカスさせていることに気が付く。彼は、きっと科学技術が人類に進歩をもたらす一方で、破滅をももたらすことを意識の根底に持っていたのだろう。彼はその言葉の最後で、力を正しく使えば世界をエデンにすることもできると述べている。科学技術の光と闇の部分の両者を視野に入れていた彼は、科学の進歩とは宇宙の真理を整理することであり、その発達が必ずしも人類の進歩につながるわけではないと考えていたのではないだろうか。真意はわからないが、その考え方は今日に生きる我々も持つべきものであると感じる。旧石器時代の人類は石器を作り出し、それを調理器具や農耕の道具として使った一方、武器として用いて争いの道具にも利用した。当時と比べて科学技術が大きく発達した世界に住む我々は、核分裂の仕組みも、その恐ろしさもよく理解しているが、いまだ解明されていない科学技術に対してはその力の理屈も使い方も全くの未知である。どこまで技術が進歩してもそれは、先祖が石器を作ったときと同じ状況なのかもしれない。今日、ロボット工学やクローン技術、A.Iの開発など、人類の発達に大きく貢献するであろう一方で、一歩使い方を誤れば人類を破滅させるかもしれない技術は数多く存在する。私たちが先の二人の科学者の言葉から学ぶべきは、未知の科学技術を運用していくうえで、人類はその技術の進歩だけでなくその力の負の面にも目を向け、それを安全に運用する方法を模索する意識だと考える。 ---- ----