放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group04` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- ノーベル賞受賞講演におけるキュリーの名言は、RutherfordとSoddyの名言と同様に、ノーベルが発明したダイナマイトの存在によって起きた善事と悪事のことを取り上げながら、放射性物質=化学物質の存在が、私たちの生活に善としても悪としても活用されうる存在であるといったことを伝えるものであると同時に、まただからこそ化学物質が善としてのみ生活にいきるよう、私たちは意識して化学物質を扱っていかなければならないといったことを忠告しているものであると考えた。そして、ダイナマイト以外にも原子爆弾など化学物質が悪用された例を具体的に認知している私は、これら上記のキュリーの名言から読み取ることができた意図に納得し、改めて一市民として、この名言を通して、現代における化学物質の扱い方はどうなっているか、核兵器廃絶のためにSNSで声をあげるなど、化学物質が悪用されている現状に対して対処するためにどのような行動をとることができるか、といったことを考える機会を得ることができた。 また、キュリーは、ノーベル賞を受賞するほどまでの大発見をしたはずにも関わらず、喜びの言葉を述べるどころか、「ラジウムは、犯罪者の手に落ちればたいへん危険なものになると思われます。」と、あえて発見したものが抱えるデメリットに言及することをしていた。更には、名言の中においてキュリーは、「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。」、といったように、発見物が悪用された時のことを考えたうえで、ラジウムを発見したことに対して罪悪感を感じていると、とれる発言をしていた。キュリーはこれらの発言を、ノーベルの発見の例とともに述べていた。だから、上記のようにキュリーが、ラジウム=化学物質は、善用だけでなく悪用もされうるものであり、私たち人類に危険をもたらしえるものであるといった、デメリットをもっているといったことを考え、発言することができたのも、また化学物質の悪用がなされた場合のことを考えて、「いったい人間が自然の秘密をあばいていくのは有意義なことなのか。」といった疑問を持ち得たのも、この名言を口にすることができたのも、全て、キュリー自身が、ノーベルの発見物による惨禍を受けて、化学物質の扱い方に対して反省し、改めて考え直したうえで、その惨禍を二度と起こさないようにするために何ができるか、考えることをしたからこそ、できたことだと考える。だからまた、化学物質が未だに悪用され続けている今を生きている私たちは、この「過去の惨禍を反省し、二度とその惨禍を起こさないようにするために、考え、行動する」といったキュリーの姿勢を見習って、実践し、化学物質の悪用を排除することに努めていくべきだということを、この名言を通して考えることができた。 ---- 放射線も原子と同じで正しい使い方をすれば人類にいい影響を与えることができると思うけど、間違った使い方をすると人類を破滅させることができるレベルの力があると思うから、正しい使い方をしていけたらいいと思いました。 ---- 技術の進歩が危険を及ぼすかも知れない可能性を秘めていることをラジウムという具体例で警鐘を鳴らしているものに近いと感じた。ラジウムという、今まで人間にとって未知数であったものに対して、秘密をあばいて真実を導き出すことでノーベル賞のように賞賛されたり未来の技術へと発展させたりすることができるが、人間にとってかえって災いとはならないか、つまりその技術の進歩やその過程で得た発見は使い方を間違えることがないか、という問題があるということを述べているのだと考えた。 ---- ピエール・キュリーの言ったこの言葉は、今後ラジウムが科学的に発達し、活用されることへの期待と、一方で誰かを傷つけてしまう武器となることへの警告の気持ちが含まれていると感じた。本来であれば、このような発見は、今後の社会の発展に役立つ有能なものとして期待するだけであったはずだが、意図せずにノーベルの発明したダイナマイトが戦争に使われてしまったことを意識し、悪い方向へとラジウムの力が使われてしまう可能性が大いにあることに危機感を抱いたのだろう。ノーベルに関する発言はノーベル賞と関連させたのであったのだと思われるが、自身の発言を通して、少しでもラジウムが誰かを傷つける道具とならないような抑止力となってほしいという願いを込めていたのだと思う。 ---- ピエールキュリーの言葉を聞いて、発明が全て善につながるわけではないのだと感じた。ピエールが述べているようにかつてノーベルが発明した爆薬は戦争に用いられてしまった。同様にピエールの発明したラジウムも犯罪に使われてしまう恐れが大きい。これからの人類の発展を願って発明したものが、自らの思惑から外れた用途で用いられることは決して容認できるものではないという強い意志がこの言葉から感じられた。また今後の持続可能な発展を目指すには、発明が悪に流されない工夫が必要である。こうした過去の過ちを忘れずに、自らの時代に起きたらどうするかを常に念頭においておくことが重要である。 ---- この意見を読んで、やはり科学者たちは研究の傍ら常に不安と戦っているのだと感じた。 私はこの授業を受けるまで、研究者たちは偉大な功績を残したりそれを賞賛されることにより誇らしい気持ちだけを感じて研究に精を出していると持っていたが、キュリーの言葉、また前回読んだラザフォードやソディーの言葉などを通して、大きな発見の裏にはさまざまな懸念があるのではないかと考えるようになった。 私のような一般人の視点から考えると、科学技術に関する発見やノーベル賞のニュースはとても輝かしくただただワクワクさせてくれるものだと思ってしまうが、研究者たちの視点から考えると、発見は大きく偉大なものであると同時に脅威なのだろう。またそのように恐れているものが実際に戦争で使用され、多くの犠牲を出したことを知ったら発見したことさえも悔やむ、なんてこともあるのではないか。 しかし科学技術は脅威であると同時に人を助ける「光」でもあると私は信じている。「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」私は現代の科学者全員にこの言葉を知ってほしい。そしてこの言葉を胸にこれからも進んで多くの発明をしてほしいと強く思う。 ---- 私は、この文章を読んで、「それを役に立つことに使う準備はできているのか」という一文が特に印象に残った。それは、歴史的に大きな発見があると私たちはその発見の事実についてだけ目を向けてしまいがちだが、その発見の本来の目的、そしてその意義は、今後その発見をどう人類の発展に繋げることが出来るかにかかっていると思うからだ。ただ単に大きなエネルギーを手に入れたとしても、キュリーの言うようにそれを善の方にいかに導けるかが大事なことであり、その目的を見失ってしまうとその時点でその発見は発見者にとっても負の遺産になってしまうのではないかと感じた。 ----  私はラジウムを発見したピエール・キュリーの言葉を読んで、彼が信じた今になっていないことを悲しく感じた。  人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか、という言葉が表しているように、放射性物質は世界や人を壊滅させる力を持ち、戦争の武器として使われてしまっている事実がある。ピエール・キュリーも言及しているノーベルが発見したダイナマイトに関しても、世紀的な発見のはずなのにそれが人を殺すための武器として使われてしまった。人間が自然の秘密を暴くということは、自然の力の莫大さを知り、それを自由に使えるということだ。犯罪者がその力を手にしてしまったら、自然は人間にとって恐ろしいものになりかねない。そのことにピエール・キュリーをはじめ、多くの科学者たちは気がついていた。  では、そんな恐ろしいものを見つけようと努力する必要はないのだろうか。なぜ科学者たちは次々と自然を解明し新たな発見をしようとするのだろうか。それはきっと、科学的な発見は人間の世界を劇的に変えるくらいの力があるからだと思う。新しい発見を悪に使われてしまう恐れがありながらも、それが良い使い方をされて人間を豊かにしてくれることを期待して、新たな発見を追求し続ける。ピエール・キュリーの言葉から、彼がラジウムが悪として使われることを懸念しながらも、それが世界を良い方向に変えることもできると知っていたからこそ、良い使われ方をすることを信じていたのだと分かる。  現代の私たちはそんな科学者たちの期待を裏切り、彼らの素晴らしい発見を人を傷つけるために使ってしまっている。ピエール・キュリーをはじめとする科学者たちはきっと今の世界を見たら悲しむだろう。私たちをもう一度科学技術の使い方を見直し、科学者たちの努力を無駄にしない善の使い方をしていく必要がある。 ---- 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて、彼女の強い意志を感じた。 彼女の言っているように、科学の新発見が人間にとって災いになってしまう可能性もある。自分のした発見が有意義に活用されることが好ましいが、もし危険なものとして悪用されてしまったら、多くの人が傷つけられるかもしれないし人類から責められるかもしれない。そうなってしまったら、その原因が自分にあると考えかねない。リスクを伴うという恐怖に打ち勝ち、人間にとって善となることを信じて新発見を世に出した彼女は勇気ある人だと思った。 ---- ピエールキュリー氏の言葉の中で、「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか。」という部分が強く印象に残りました。 ここではラジウム、爆薬が例ですが、強い力を得れば当然悪用しようとする人間が出てくることは簡単に想像できます。 また、自分が今まで勉強してきた歴史の中でも社会の利益に反するようなかたちで利用された事例、意図的ではなくても環境や社会に悪影響を及ぼした事例がいくつもあります。 ですがそれと反対に莫大なプラスの成果ももたらしています。私たちの今のような暮らしができているのも間違いなく科学技術の発展のおかげです。 爆薬の例でも、ダイナマイトは炭鉱作業に効率化をもたらしましたが、人々を脅かす破壊や殺戮手段としても用いられました。 善い面だけでなく悪い面もあるからこそ、慎重にうまく付き合っていく必要があります。 科学技術の発展や革新と、悪用や誤用の防止の最適なバランスを求める必要性を強く感じました。 ---- 「それを役に立つことに使う用意はできているのか。」という言葉について、知識がないためにラジウムの正しい使い方を知らない、判断できないという人が多くいると思う。ラジウムは現在温泉などに使われてることで免疫力を高める機能などがあるという、人間にとって役立つものであるが、使用方法を誤れば危険なものへと一気に変貌してしまう。例えば戦争を導くような大犯罪人の手に渡り、ラジウムなどの放射性物質を用いたテロが行われたら、放射性物質は見ることも臭いがすることもないために人体に酷い影響を与える。これは恐るべき破壊手段であるため、絶対に悪用してはいけないのである。自然の秘密をあばきそれらを適切に使用すれば私たちにとってとても良い利益になるが、誤った使い方をすれば人間に害を与えるとても危険なものになり得るということである。なので私たちは放射性物質について正しい知識を身につけ、放射性物質の悪の部分ではなく善の部分の方を引き出すべきであると考える。 ---- 人間が自然の秘密を暴いたうえで、それを有効に使える「善」になるのであれば、ラジウム自体も「悪」にはならないのではないかと考えた。 ---- 自然はとても恐ろしいもので、知識を得れば得るほどに、人間は強力な武器を手に入れることになるのと同時に、有効的に利用することで、生活をより便利に、より豊かに使うことができる。どんなものでも使い方次第では災害を引き起こしたり、便利な道具にもなる。とにかく大事なのは、このような知識をしっかりと持ち、使い方を絶対に間違えないことである。ノーベルが発明したダイナマイトは、非常に便利な道具であると同時に、テロリストたちの武器にもなっている。本来の使い方から外れた使い方は、絶対にしてはいけないと強く感じた。 ---- 確かに、科学の力は偉大であり、かつ脅威でもあります。私たちの暮らしに役立ち、なくてはならないもので合ったりする一方、使い方を謝れば人類の命を脅かす存在ともなってしまいます。しかし、私たちが科学について日々研究し続けている本来の目的は、私たちの暮らしを豊かにしたり、より便利にしたりするためです。ノーベル賞の本来の目的も、人類の福祉に最も具体的に貢献した者を称えるためです。このようなことを一人一人が認識し考慮すれば、科学を悪として使用するという考えは生じてこないはずです。そのため、キュリーさんの「人類は新しい発見から悪にもまして方を引き出すであろうと信ずる」という考えに、私は深く賛同します。 ---- 前回の二人の言葉よりも未来の科学の悪用に対する不安が明確だと感じた。そもそも、自分の自然を追究していって発見するという過程自体が有意義なことなのかを自問自答する様子からも、人間の自然に対する姿勢の難しさを感じた。人間と自然との距離が近くなりすぎてしまうと、仮にそれによって得た利益が人間によって悪用され、自然との共生が実現しなくなってしまうこともありうるし、実際にすでにそのようなことが起きている。実際にキュリー夫妻は、ノーベルのダイナマイト発見とその悪用という前例をわかっていたからこそ、恐れを抱いているのだろう。その一方で最後には、「人類は新しい発見から悪にもまして前の方を引き出すであろうと信ずる者です。」にあるように、同時に未来に大きな希望や期待を寄せていることもわかる。人間が知らないことを解明しようとする思考を本質的に捨てることはできない生物だから、それをやめるのではなく、科学や技術を発展させていくことは大切だとしている。その中で、利用方法を間違えて取り返しのつかないことになってしまうことを防ぐために、つまり人間にとってこの知的好奇心と発明が災いにつながることを防ぐために尽力しなければならないのだと思う。私たちも、先人たちのかつ名を受け継ぐだけでなく、彼らの当時の考え方や思いも一緒に引き継いでいかないのだと実感した。 ----  まずは、ラジウムを利用することで、様々な分野で便利になり医療にも使用されている。そのため、ラジウムを利用すること自体はメリットしかなく、生活をより良くしてくれている。しかし、犯罪者に利用されてしまえば危険ということも事実である。私はここで大事なのは、ラジウムを本当に利用しても良いかを考えることではなく、どのように犯罪者の手に渡ってしまうのを防ぐかを考えるべきだと思う。 ---- キュリーの言葉から彼が研究を続け、この発見をすることに対する葛藤がよく感じ取れた。もちろん彼は自分の発見が社会の発展だけでなく悪用されてしまう可能性についても気づいていただろうと思う。言葉にもある通りノーベルのダイナマイトの発見はあらゆる場面で社会に貢献することもできたが、同時に戦争の武器として多くの人の命を奪った。そしてキュリーは自分の発見がダイナマイトのような使われ方をする事に対し責任を負うべきなのかについて疑問に思った。確かに彼の発見したものは後に数えきれない人の命を奪った。しかしそれはキュリーが多くの人の命を奪ったことになるのだろうか。放射線で命を亡くした方の遺族はキュリーを恨んでいるのだろうか。私はキュリーは人を殺していないと考える。原爆によって亡くなった方は戦争の被害者だし、他の放射性物質の事故によって亡くなった方も、その事故の被害者だ。 そしてノーベル賞受賞という多くの人が注目するタイミングで「悪にもまして善を引き出すだろう」という言葉を残す事はこれから放射性物質を扱う人々に対する警告とも取れると思った。 ----  この資料を読んで、私は自然の秘密を暴くことはたしかに驚異にもなるが、それでも有意義なことだと思う。 自然の秘密はとても強大で、その力を使う人全員が人類にとって正しい使い方をするとは残念ながら考えられない。秘密を暴かれなければ起こらない災害もあるだろう。しかし、その強大な力を正しく使うことで人類の生活が豊かになるのも事実である。だから、自然の秘密を暴いたときに全人類がその秘密について正しい知識を持つことが大切だと思う。自然の秘密を暴くことをやめず、正しい使い方をしているか常に全人類が監視ししていれば、危険な使い方をする人を止められるはずである。危険を恐れて豊かな生活を探していくこと諦めるのではなく、危険さを理解し、危険をどう回避するかを考えながら秘密を探っていくことが大切だと思う。  また、ノーベルは人類を危険に晒すためでなく世界を豊かにするために爆薬を発明したのに、その爆薬が悪い人の手に渡ってしまい悲劇を起こした。暴いた自然の秘密を正しく使っていくことは、秘密を暴いてくれた科学者に敬意を表すことにもつながる。自然の秘密を暴くことに費やされた科学者の長く地道な実験時間とその思いを大切にしなければならないと思う。 ---- 強力な爆薬は、人間に驚くべき仕事をなしとげさせてくれました。という文章について私は、第二次世界大戦で日本に落とされた原子爆弾のことではないかと感じた。原子爆弾で多くの人が亡くなり、辛い思いをしてきた人が数えきれないほどいた。これにより、世界中の人たちは、爆薬や兵器がどれほど人を苦しめたか戦争で思い知ったため、現在、私たちは平和に暮らせている。そして、文章の最後にある私は、ノーベルとともにあり~信ずるものです。のように人間が原子爆弾という凶器を新しく発見したことにより、悪に導かれたが、その後、人々は経験から学び、二度と起こらないように活動するようになるという善の道に凶器が導いたのではないかと感じた。 ---- 私は人類は新しい発見から成長することができると思います。確かに軍事的な利用や、原発の事故など人類はたくさんの化学の発展によって過ちを犯してきたので負の面のほうが大きく見えるかもしれない。しかしこれらの負の面を経て、化学が私たちに与える影響を知り、過去の過ちを学び、使い方を改めることができているのではないかと思います。一つのことが発見されることで化学は様々な側面で利用することができる。どうしても負の面が多く映ってしまうが、その技術が人間を救った例も多く存在するはずである。よって人間の決断による負の面を怖がり、未知の発見を閉ざすことは私たちの未来にとって全体的に見たら損ではないかと思います。 ---- 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ラジウムというのは、キュリー夫妻が発見したもので、キュリー夫人は晩年放射線障害による再生不良性貧血により亡くなったため、本人も十分理解し、講演していることから、とても危険なものであると改めて認識した。また、2段落目からは放射性物質により起こされた事例が思い浮かぶ。原子爆弾やチェルノブイリなどでの事故である。このことから、放射性物質やそこから知り得た知識は善の方ではなく悪の方を引き出すことが起こりうる・実際に起こっていたと考えると、とても恐ろしくなった。 ---- ノーベル賞は私のイメージとしては世の中のさまざまな人に貢献する発見や仕事をした人と考えている。つまり、そこからそれによって生じる問題についてはどうしても想像できなかった。ノーベル化学賞は他の賞と違って、化学者よ発見により戦争や犯罪に使われる懸念があること理解する必要がある。自身の発見が悪用されないか、そういう観点からも考えれるのが有能な化学者であると考えた ---- この言葉で疑問に思ったことがある。ノーベルのダイナマイトという発見は果たして悪より善を引き出したのか、という点だがそこはピエールさんの言葉とは関係がないので一旦おいておこうと思う。ただピエールのノーベル賞授賞式でのこの内容への言及は、自分のラジウムという発見が悪より善を引き出すものになってほしいという願いが込められているのだと理解した。 この言葉から察するに、実際に悪用されるだけでなくそれによって大量の人間が死んでしまうであろうことは彼自身わかっていたと思う。それでも人類を信じて諸刃の刃であるラジウムを世界に発表したピエールの行動は理解できないとも思うし、でももし自分がラジウムを発見していたら絶対発表しているので、正直自分の中でも今の感情を言語化できない。ただピエールが悪用されることを危惧していても発表したのは、私とは違って人類に希望を見出して少しは信じていたからだと思う。ピエールはこの言葉の前半部分で自身の葛藤について少し言及している。ただラジウムが世界にとって善か悪かという視点も大事だが、科学者もこうやって悩みながらの人間はきっと善として使用して発展できると信じることにしたのだなあという科学者側の視点に立つのも面白いと思った。 ---- 研究者たちは自然の理を解き明かすために色々な研究に取り組んでいる訳だが、研究者自身もそれが善ではなく悪に使われてしまう可能性がある事は恐れているのだと知った。キュリーさんが最後に「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」と力強く主張しているのが、キュリーさん自身もその威力を知っていることを裏付ける力強いメッセージに見えた。 ---- キュリーさんの言葉を聞いて、ラザフォードとソディ―の言葉とは違い、ラジウムが悪用されないかということを疑問に思っていたり、人や環境に役に立つものとして存在してよいものなのかも疑問として捉えていることが二人とは対照的であると思った。ラザフォードやソディ―は原子を「地球を破壊することもできる武器」とネガティブに捉えているがキュリーは放射性物質が及ぼす悪影響を思慮していることから、発明された当時はもしかしたらまだ放射性物質が世の中にそれほど需要があるものとして捉えられていなかったのではないかと考えた。放射線が医療の場でX線撮影やCT検査で利用されていたり、他にも工業や農業など幅広く利用されており私たちの生活をよりよくするために活用されている。だが、東日本大震災では水素爆発が放射性物質の放出につながり、多くの死者を出すことになってしまった。放射性物質も少し使い方を間違えたら、人々にとって需要を与えるものから害を与えるものに簡単に変わってしまうと考えた。 ---- 私は人間が自然の秘密を暴いていくのは、たしかにかえって人間の災いとなる場合もあるかもしれないが有意義なことであると考える。例えば1956年に熊本で水俣病と呼ばれる公害病が発生した。水俣病とは、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビなど魚介類が直接エラや消化管から吸収して、日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患である。仮に科学者がこの水銀化合物の秘密を暴かなかったとすると、原因を発見できずさらに多くの人に被害が出ていただろう。よって自然の秘密を暴く行為は危険な面もあるが人間の命を救える可能性も増えるため、私は重要な行為であると考える。 ---- 人間が科学を発達させる本来の目的は私たちの暮らしを豊かにするためであるが、それにデメリットが伴ってしまうのはやむを得ないことである。しかし、人間の手によって引き起こす可能性のある問題には、できるだけ対処する必要がある。例えば新たに発見された物質などは、その安全性が保証されるまで誰でも簡単に触れるようにしてはならないであろう。しかし、人間による悪用は完璧に防ぐことはできない。どれだけ人間を信じていても悪用しようと考える人もいて、倫理的な問題ではあるが完全に対策することは不可能であろう。そのため、生じる可能性のある問題を完全に予測して、できる限りの対策ができている状態で、新たな技術を生み出していくべきであると考える。 ---- キュリー夫妻の意見は今の2022年にも全く通じると思った。キュリー夫人がラジウムを発見した後、人間はその後も多くの発見をし、その発見を良くも悪くもいろいろな方法で活用してきた。そのため、犯罪者の手に渡れば、という言葉からは当時からそのような警戒をしていたのだと思われる。 ---- 人間はより便利なようにとさまざまなものに手をつけ、利用している。しかし、その本質的なものを理解してない場合が多い。そのため、犯罪を犯している人がいることに気がつかないということがあるのではないかと考える。とても難しいことではあると思うが、便利なものを利用していく一方で、犯罪を犯させないようにする必要がある。これはとても難しいことだと考える。そのため、このことは、これから先ますますいろいろなものが解明され、技術革新が進んでいく世の中にとって、大きな課題であると考える。 ----  P.Curieの気持ちを表現すると、「迷い」そして「切望」となるだろう。  初めに、彼女は迷っている。人間が自然をコントロールするのに足りる存在なのかどうかを。自然を暴いていくということは、暴いた分の自然が持つ莫大なエネルギーのすべてが人間にのしかかってくるということである。それを万人の役に立つことに用いるか、災いとなることに用いてしまうかは、人間次第になるの である。その人間側の準備ができてきるかを確認することなく、科学の発展だけが一人歩きしてしまうことに対して彼女は迷っているのである。  しかし、それでも彼女は切望している。人間が暴いた自然を「有効に」利用していくだろうと。言葉のなかにその根拠は記されてはいない。よって単なる楽観的な思考に思えてしまうかもしれないが、私には孟子の「性善説」のような、根本から人間を愛する含みを感じた。もちろん、科学の成果をその後の人間たちがどのように用いていくかなどを確かめることは不可能だ。であれば、地球さえを滅亡させることのできる力を持つ核のエネルギーは、発見されないほうがよかったのか。発見されてもその危険性を考慮して世間に公表しないほうがよかったのか。そうとはならない。核のエネルギーは計り知れないほど様々な分野で応用され、人間の命や暮らしを支えている。有効に利用したときの利益が大きいのだ。ただ、物事はうまくできていて、利益が大きければその分悪用されたときの「不利益」は甚大なものになる。だから、「信じる」しかないのだ。投げやりかもしれない、根拠のないことかもしれない。だが、信じるに値する存在、それが「人間」なのだ。 ----  この文章の様に、科学の進化は悪用すればするほど戦争のように多くの人が命の危険に晒される可能性があるが、その新しい発見を平和に活用させることで、発見以前の世界よりも人類が過ごしやすい環境になると考えた。従ってキュリーさんの考えに同意する。 ---- 私たち人類が発見してきたものの中には非常に大きなエネルギーを持っているものも存在している。核分裂のエネルギーやラジウムがその例の一つとしてあげることができるだろう。 科学者の言葉のようにもちろんこうした強大な力を発見する必要があるのかと考える人が多いのも頷ける。こうした強大な力は悪用しようとする人はたくさん出てくるのは間違いない。実際核分裂の際に発生するエネルギーは爆弾として人類を傷つける兵器として悪用されてきた。私たちはこの強大な力が人類にとって有用に使われていくために、このエネルギーが悪用されないような制度を作っていくべきでは無いだろうか。複数の国家などでの監視体制や独立した団体による管理体制などは悪用を防ぐ1つの手段になりうるだろう。私たちは自然の中から強大なエネルギーを発見し、生活に生かしてきた。この発見を悪用することなく使っていくことができる環境を私たちは作っていかなくてはいけないのでは無いだろうか。 ----