核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group04` # 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ---- 色んなほかのものもそうだけど、とんとんと叩いただけでコントロールできるぐらいなら発明や原子力のことなどなんにも困らないだろうなと思った。 ---- 教材5を見て、原子核の大きさがなぜ分かったのかという点も疑問に思ったが、たくさんの陽子を繋ぎ止められるということは莫大なエネルギーがあるということでは?という仮説にたどり着いたのがすごいと思う。特にSobbyの武器にもなりうるという言葉はその通りで、核兵器という最悪の兵器が生み出されたり、使用しないように規制したり、所持することで牽制しあったりなど言葉の通り現実になっている点が面白いと感じた。 ---- この二人の科学者の言葉を聞いて感じたのは、原子というのは莫大なエネルギーを生み出す可能性の塊であるが、それをコントロールすることはとても難しい。このエネルギーを良い方面で使いこなせれば人類に大きな利益をもたらすことができるが、使い方を誤れば、地球を破壊することにもつながる。過去に使用された原爆のように、人類がコントロールのレバーを握っているため、このような科学を利用する際には、最大限注意して使用しなければならないと感じた。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を読んで、まず両者に共通している考え方として1つの物事に対して多面的に考察していると感じた。1つの結果に対して1つの本質を見出すのではなく、視野を広げた上で本質を見極めようとしている。また更なる両者の共通点として、エネルギーをかなり大きく莫大なものとして捉えている点が挙げられる。こうした多面的な考え方が核分裂の予言に繋がったと考える。 ---- 「原子内に潜んでいるエネルギーは、普通の化学変化で遊離されるエネルギーとくらべて莫大であるに相違ないという結論に達する」、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけがもっていると考える何らの理由もない」といったこれらRutherfordの言葉は、それぞれ、原子核内の非常に小さなスペースに、大量の電子同士が反発しながらもそこに収まっていて、それらが収まるには、大量の電子からでた大きな反発力以上の、収める力が必要になるということ、物質がもっている分子の数は異なっても、その分子の構造をなしている一つ一つの原子の中の、電子や中性子の数は同じだと考えると、電子を収めるためにかかっているエネルギーの量も総じて同じだということ、を考えると、正しい言葉、考えであると共感することができる。しかし一方で、原子内に収まっている、電子の数が非常に少ないときのことを考えると、原子内で電子同士反発が起きていたとしても、その反発力は弱く、その反発力を抑えて原子内に電子同士を収めるのにかかるエネルギーもまた小さく、莫大であるとはいえないのではないだろうかということが考えられる。だから、Rutherfordの「原子内に潜んでいるエネルギーは、普通の化学変化で遊離されるエネルギーとくらべて莫大であるに相違ないという結論に達する」といった言葉はまた正しくないと考えることができる。また、物質がもっている分子の数が異なるように、原子核内における電子や中性子の数など、その分子の構造をなす原子の構造も物資によって異なっていたら、一つ一つの原子内における、電子同士の反発力を抑えるエネルギーもまた物質によって異なるのではないかと考える。だから、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけがもっていると考える何らの理由もない」といったRutherfordの言葉もまた、正しくない言葉と考えることができる。そのため、Rutherfordの言葉は、正しい言葉とも、正しくない言葉とも、どちらのパターンでも捉えることができる。だからこのRutherfordの言葉の真偽を明確にするためには、分子のように、物資によって原子内における電子、中性子の数が異なることはあるのかといったことを、実験などを通して分析し、確認をしたうえで、原子内に働くエネルギーの大きさについて考える必要があると考えた。 「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を改造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」といったこのSoddyの言葉はまさに現代の状況を表している言葉だと考える。現代には、「核変換技術」といった、原子核に放射性崩壊や人工的な核反応を与えることで、原子核を他の種類の原子に変えるといった技術が存在している。つまり現代国家は、Soddyの言葉にあるとおり、「物質を変えることができる国家」となっていることがいえると考えられる。また、実際「核変換技術」の存在によって、長時間放射線を出し続ける「長寿命核種」をもつ物資を、短時間しか放射線を出さない「短寿命核種」をもつ物質に変えることが可能となり、これによって放射性廃棄物の管理、処理、放射性廃棄物が自然に与える悪影響を小さくすること、が容易となっている。しかし、一方で、これは言い換えれば、「核変換技術」の存在によって、「短寿命核種」をもつ放射性物質を「長寿命核種」をもった放射性物質に変え、現代の環境を悪くすることや、また武器となる新たな物質をつくって国家同士で争うことも可能であるといえる。つまり「核変換技術」といった物質を変えることができる国家となった現代国家は、この技術の存在によって、国をより良いものとすることも、より悪いものとすることも、どちらも容易にできるようになったということがいえると考える。だから、この上記のSoddyの言葉は、まさに「核変換技術」をもつことで物質を変えることができる国家となった現代の実態を予期しているものであり、表しているものであるといえるのではないかと考えた。また、この言葉は、第二回目の授業で学んだ、「技術には限界がある(メリットもあるがデメリットもある)」といった技術に関する教訓をいいあらわしているものでもあると考えた。 ---- 両者とも核分裂を予言した内容ではあるが、soddyの言葉には、原子の構造の中に閉じ込められたエネルギーがどんな力を持っているかを現実な描写で我々に伝えている印象を受けた。大陸や氷など、我々の世界に実在して可視化することのできるものが破壊されてしまうという可能性を示唆しているsoddyの文章が個人的に恐怖がリアルに頭に刻み込まれるような印象を持った。対して、Rutherfordの言葉は、逆に漠然とした表現でいかにも想像しにくい内容だと感じたが、これはいかに原子内に潜んでいるエネルギーが我々に表現することのできない莫大なものであるかを表しているのだと感じた。 ---- 授業を踏まえて、ソディ―の言葉から私が考えたことは原子力の在り方である。今回、原子核には巨大なエネルギーがあるということを学んだが、そのエネルギーを持つ一つに原子力がある。原子力はこれまでに、様々な方法で使われてきたが、良い方法として利用したのが、現在がん治療の主流となっている放射線治療である。この活用法によって非常に多くの人の命を救ってきたことはいうまでもなく、偉大な研究であった。一方で、悲惨な結果をもたらしてしまった原子爆弾も原子力から生まれたものである。原爆は私たち日本国民は強く意識していなければならないものである。これによって広島、長崎、ドイツの三か所に住む人の多くの命が犠牲となった。ソディ―の言葉にもあるように、原子力は発見当時、社会の発展を目指していたものだったはずである。しかし、今日ではこのエネルギーが良い方法のみならず、悪用をもされてしまう結果となってしまった。彼はこの言葉に、ラザフォードと共に発見した原子核のエネルギーを悪い方向に利用してしまう存在が今後出てくることへに懸念しているのと同時に、エネルギーを世界をより良くする為に活用してほしいという願いをも込めていたのではないだろうか。我々は原爆の過ちを踏まえ、改めてラザフォード、ソディ―に始まる数々の科学者らが残した発明の意義を見つめなおすべきであると思う。 ---- まずRutherfordの言葉を読み、この時代の科学者たちにとって原子のパワーは計り知れないほど恐ろしいものだったのではないかと感じた。私のような一般人の視点から考えても“莫大なエネルギー”という響きだけで怖いのに、常に科学と向き合っている科学者から見たらどれだけ恐ろしかったのだろうか。そして未知の力を前にどんな覚悟を持ってこの言葉を残したのか気になった。 次にSoddyの言葉を読み、“レバーを握る現代の科学者たち”が科学の力を使いどのようなことをしているか考えてみた。彼らは蓄積エネルギーの放出を規制できているのだろうか。科学の驚異的な力を手にした時、世界をほほ笑みの園エデンにしようと思えるのはそのうち何%なのか。私たちはもう一度科学と向き合って付き合い方を見直していかなければならないのではないかと考えさせられた。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を読んで、私はまず最初に、意外性を感じだ。というのも、私の勝手なイメージでは、原子力というものは、まず初めに人々の生活を豊かにするために開発され発展していき、その過程でそのエネルギーの大きさに気付いた一部の人々が大量破壊兵器としての使い方を導き出してしまったもの、いわば「想定外の使用方法が生まれてしまったもの」だと思っていたからだ。そのため、Soddyの文章であらかじめ地球を破壊できるエネルギーとしての核分裂を予期していたことは、私にとっては意外に思えたのだ。しかし、この文章を読んだことで、「地球を豊かにすること」と「地球を破壊すること」には共通する部分もあるのではないかという考え方も生まれた。たとえば、戦争で原子爆弾が多くの人の命を奪ったという悲惨な事実に変わりはないが、それでも原爆を投下した側の人間には「終わりの見えなかった戦争を終わらせた」という誇りを持っていた人も多いと聞いたことがある。私はこの考えを肯定することはできないが、人の考え方によっては、莫大なエネルギーは「悪」にも「善」にもなりうるという事実を踏まえて、改めて人間が自然の力を操ることの恐ろしさを感じた。 ----  RutherfordとSoddyの言葉を読んでまず一番に私が感じたのは、原子核エネルギーというものを発見した彼らに、核によって平和が失われている今の世界の責任は一切ないということです。  「普通の化学変化で遊離されるエネルギーにくらべて莫大であるに相違ない」という言葉などから、原子核の存在は当初は私たちの生活を豊かにする世紀の発見という認識だったことがよくわかります。実際に現在では多くの国が原子力発電を利用していたり、がんの治療に放射線が使われたりしており、特に原子力発電は、日本が主な発電方法としている火力発電などに比べてCO2の排出量が少なく、コストも安定しているため重要視されているのが事実です。 原子核エネルギーというものは確実に私たちの生活を豊かにした一方で、現在では危険な存在であるという認知も広くされています。私自身も、核と聞くと核兵器や原発事故などが1番に思い浮かんでしまいます。 「それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」という文章の中で、コントロールできるとすれば、という言葉が使われていることは、現代にある核兵器の問題の核心をついていると感じます。RutherfordとSoddyは原子核エネルギーの莫大さに気がついた時から、便利な使い方ができる一方で、それが危険な使われ方をされてしまうことも懸念していたことがこの言葉から分かります。人間が原子核エネルギーを手にした結果コントロールすることができず、平和の失われた世界を形づくってしまったのです。  ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の問題などがなかなか解決に近づけないのは、何をするにも核兵器がちらつき、周りの国もその恐ろしさを知っているからだと思います。世界を破壊できるほどの力を持つ原子核エネルギーが戦争の道具として使われてしまうことは、RutherfordとSoddyが一番望んでいない原子核エネルギーの使われ方に違いありません。二人の大発見が無駄にならないためにも、21世紀を生きる私たちは、核兵器廃絶に取り組むべきです。特に、唯一の核兵器被害者である日本は核の恐ろしさを世界に伝え続け、人々が原子核エネルギーを正しく使えるよう促していく役目を務めていくことが大切だと思います。 ---- 2人の科学者の予言通り、核分裂が起こる時、非常に大きなエネルギーが放出されることになる。私も2人のように、この莫大な力を上手く利用することができれば、人間は自然を意のままにコントロールできると考える。そうすれば、世界の環境問題は一つ一つ解決していくのではないかと思う。 しかし、このような核分裂などの非常に難しい科学知識を、一部の科学者を除いてほとんどの人は理解できないというのが問題点である。科学者たちは、この力をよくも悪くも自分たちの好きなように使うことができると言っても過言では無い。私たちには、嘘の説明をしてもわからないからだ。このように、裏でどんな実験をしているかわからないというのはとても恐ろしいことである。いつ地球が滅亡するくらい莫大なエネルギーが放出されてもおかしくはないということだ。 今後、難しい科学を理解できる優秀な人材を育てることは非常に重要になってくる。世界のエネルギー問題の関係者は、できるだけ多く人がいた方がよいと考える。 ---- Soddyの言葉を読んだとき、まず原子爆弾が頭に浮かんだ。原子爆弾については日本史で学んだので、少しではあるが知識がある。ごく短い時間に核分裂が次々と広がると瞬間的に非常に強大なエネルギーを生みだし、このエネルギーを兵器として利用したのが原子爆弾であるそうだ。 科学者たちが生涯をかけて研究した原子核のエネルギーの知識が、多くの人々を死に追いやる道に使われたことは非常に悲しく思う。それと同時に、Soddyが「物質を変えることができる国家は、砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる。」と言葉を残したような莫大な力を生み出すエネルギーを我々人間が利用することができることにきわめて恐怖を感じる。 現代でも多くの科学者たちの努力によって科学技術は進歩しているだろう。今回の授業を通して、科学技術の扱い方を誤らないために、慎重な判断や深い知識が必要だと感じた。 ---- 原子内に潜んでいるエネルギーは普通の化学変化で遊離されるエネルギーとくらべて莫大であるということについて、同じ質量から得られるエネルギー量として比較すると、石油や石炭の燃焼で得られる化学反応の約300万倍に相当するという例を読んで、放射線元素のエネルギーの威力を感じた。またラジウムと同じくらいのエネルギーの原子を取り出してコントロールできるとすれば世界の運命を形づくるという言葉について、人間によって原子を悪用にコントロールすれば地球を破壊できてしまうと思った。実際、1942年に行われた臨床実験によって条件が揃えば核分裂連鎖反応を起こすことが可能であることが立証され、それが原子爆弾をつくる先駆けであった。アメリカは原子爆弾を製造し、第二次世界大戦では日本に原子爆弾が落とした。これはRutherfordとSoddy の言葉の通り原子はなんでもでき、人間が手を加えれば世界の運命を変えてしまうことができるだろうと思った。国家はなんでもできるということは、原子を悪用するのではなく、X線や病気の治療のように人々のためになる目的で利用すれば、人間が長生きできる暮らしやすいような世界、ほほえみの園エデンのようにもできるのではないかと思った。 ---- 21世紀の現在であっても、原子力のエネルギーの莫大さや、それらが自然界を破壊する力のあるを持っていると言うことは何ら変化は無いと思う。 『ラジウムが持っているのと同じくらいのエネルギーを原子の構造の中に閉じ込めている』とあるように、原子力は見た目の小ささに相反し、使い方を間違えば多くの人を殺してしまう凶器にもなってしまう。実際に、東日本大震災で、原子力の怖さや威力の強さが露呈している。原子力を「コントロール出来るとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形作るだろうか」という1文は、現在の原子力発電に関連していると考える。原子力の莫大なエネルギーは上手く利用し、使いこなすことが出来れば電気エネルギーを作り出すという、非常に便利な道具になる。しかし1歩間違えてしまえば、人類の命をも脅かしてしまう脅威となりかねない。この武器をわたしたち人間がどのように扱っていかという部分がこの問題の一番重要なポイントになるだろう。この原子力の取り扱いや利用方法については今もなお物議を醸している。 このように、原子力についての考え方は現段階においてもRutherfordとSoddyと酷似していてるため、現在も過去も差程変化ははないものと言えよう。 ---- 私はこの科学者たちの言葉をきいて一番初めに、考えがずいぶんと壮大であると感じた。原子のエネルギーの莫大さを知ったとき、彼らはもうすでにその先を見据えていたことに驚かされたのだ。同時に、核分裂を予言して、さらに人間が科学をベースにこの世の中に存在する圧倒的な力に気が付いたとき、どう行動していくのかでさえも予想しているのは正直早すぎるのではないだろうかと思った。しかし、科学者にとって一つ一つの小さな発見を積み重ねて大きなことに活用することや、偶然ある事実に気が付いて、どう利用できるのかを考えることが世界を変えるカギを握るということは私でも少しは理解できる。そんな思考を持つ彼らが核分裂という手に負えないほどの威力に気が付いたとき、世界がどう変わるのか必死に頭を働かせ、抽象的なことを想いめぐらすことが精いっぱいだったのではないかとこの言葉から私は推測した。E.Rutherfordの言葉からは無限の可能性を読み取ることができる。当時どれほど原子の仕組みや核分裂の可能性というものが偉大な発見であったのかを明確に表しているともいえるだろう。そして、特に印象に残ったのはF.Soddyの[それはどんな自然力となって…]だ。抽象的だが、当時、核分裂を予言したときに、未来のより科学や技術の発展した世界になったときにいったいどんな世界が待ち受けているのかという興味が表れている。さらに、「そうしようと思えば地球を破壊…」と「物質を変えることができる国家は…」の箇所では、未来の人々に、どうかこの力を悪用せずにうまく利用してほしいという彼自身の希望や願いが込められていると私は解釈した。 私たちは今日、核兵器や核爆弾、原発の問題など様々な困難に直面している。当時の科学者の理想と、願った世界と今の世界は果たして釣り合っているのだろうかと考えた。残念ながら、一部の人間は蓄積エネルギーの放出を規制せず、人々を恐怖に陥れ、自分たちの利益のためだけに利用した。私個人としては理想とは程遠い世界だと思う。これからもしばらくは深刻な問題となる核問題、私たちがどのような行動を選択するべきなのか改めて考えねばならないのではないだろうか。そして同時に、彼らのように小さい発見であれ大きい発見であれ、目の前のことだけに目を止めるのではなくて、先を見据えた考え方が大切だとも感じた。 ---- 生活において電気は必需品であり、無くなってしまえば生きていけないと思う。明かりは当たり前のように毎日使い、現在使用しているスマートフォンやパソコンも電気が無ければ使用することができなくなる。その電気の元となるエネルギーは人間にとって、とても重要なものであり、コントロールできた方が良いと思うが、全ての物において良い使い方だけをするとは限らない。そのような膨大なエネルギーを武器として使用してしまえば、多くの人が命を落としてしまうため、必ずしもエネルギーをコントロールできるようになる事が良い事だとは言いきれないと思う。昔の戦争は銃やミサイルで戦争をしていたが、もし今戦争をしたらどのような武器が飛び交うのだろうかと考えると少し怖いとも思う。 ---- 1.Rutherfordの言葉についての意見・考え Rutherfordの言葉を読んで、私は原子内に潜んでいるエネルギーが普通の化学変化で遊離されるエネルギーとくらべて莫大であるとわかっただけでなく、そこから更に考えを深めて応用していることがすごいなと思いました。もし、私がこのような大発見をしたらそのことだけに満足してしまうと思います。しかし、そうせずに放射性元素以外にも当てはまるのではないか、更には太陽エネルギーの起源の問題にも当てはまるのではないかと考えられる考えの深さや柔軟性に驚きました。 2.Soddyの言葉についての意見・考え 私はSoddyの言葉を読んで、Soddyの予言していた悪い未来の方が実現してしまったのだと知り悲しくなりました。Soddyは元素のもつとても強力なエネルギーの力が世界を良くすることも悪くすることもできると述べましたが、実際にはほほ笑みの園エデンとなることをのぞんでいたにちがいありません。しかし、実際にはそれと反対で地球を破壊する武器として使う道を選んでしまいました。私たちは失敗から学び、エデンを実現するための使い方を考えていかなければならないと思います。 ---- 重い物質はすべて~世界の運命を形づくるだろうか。という言葉に興味を持った。この文章内に書かれているラジウムという物質について調べた。ラジウムは、医療や、工業、蛍光塗料、温泉などに使われている。例えば、原子の中に隠し閉じ込められている物質がラジウムだとしたら、それを少しずつトントンと叩いてコントロールしながら出していくことで、今の医療や温泉の技術が発展していくのではないかと考えた。ラジウムがなくなるとラジウムを使っている今の医療や、研究に使えなくなってしまい、発展させることができない。しかし、一度に多く放出されるとラジウムは強い放射能を持っているため、環境に悪影響を及ぼす可能性がある。物質をコントロールできることで、私たちは、物質によって悪影響がなく生活できていると考えた。 ---- 原子核のエネルギーには未知の可能性があり、このエネルギーを私たちが使用するかどうかという点において、私は日常で使うエネルギーとして現在使用している発電の代わりに用いるのは賛成である。火力発電や水力発電では地球環境に悪影響を及ぼしてしまい持続可能な社会はその方法では作れないと思うからだ。確かにクリーンエネルギーが開発されているが、現時点での発電率は全体の中でも低く、コストもかかる。よってこのエネルギーを使えるようになれば、私たちの大きなエネルギー源をまかなえると思う。しかし原子核のエネルギーには、使うにあたって安全性と倫理的な問題がある。安全性については、原子力発電所の二の舞にならないように検証する必要があるし、軍事利用に用いられないために倫理的な問題について議論し合い、世界全体でのルールを規定するべきだと思う。 ---- RutherfordとSoddy共に原子の持つ力を地球規模で影響を与えるものと考えている。なぜなら、莫大や地球という語彙を使って述べているからだ。また、Soddyのそうしようと思えば...の部分から始まる段落は、現在のウクライナ侵攻におけるロシアの核使用後の未来を想起させるような内容であり、いつか現実になり、世界の運命を変えるという含みを持っていると考えた。しかし、’実に油断なく規制するのである’という言葉は、規制という言葉にどのような意味をどこまで持っているのだろうと疑問に思った(核兵器をしようするという意味か、使わないために規制するという意味か)。また、世界全体をほほ笑みの園エデンという言葉はどのような意味を持つのだろうかと深く考えさせられた。 ---- 2人の意見に共通することは、原子の構造の中に含まれているエネルギーは世界をもコントロールし破壊できるほど大きなエネルギーを持っているということだ。実際、F.soddy氏の「物質を変えることができる国家は〜世界全体をほほ笑みのエデンにもできる」という部分は、原子の物質を解明できる国が自然含む地球を思うようにコントロールできる可能性を示唆している。また、「けちな性格の人間は蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制する」という部分は、いわゆる世界の破壊を目論まない多くの国家にとって、物質を利用することで世界の覇権国に成り上がることを目論むごく1部の国家・または集団の存在がいかに脅威か、という警鐘をF.soddy氏は私たちに訴えているようにも伺える。 一方、F.soddy氏の文章の完結部分は「ほほ笑みのエデンにもできる」と記されている。それを聞くと、原子の中のエネルギーは世界を良い方へも変貌させられる可能性があるということも示唆しているように感じられるが、私はこれには同意しない。なぜなら、ダイナマイトを発明したアインシュタインやその他の科学者たちが当初は戦争を止めるために発明したものを後にそれが原爆として戦争で使われることになってしまったように、原子の中のエネルギーも、例えば自然を復活させる可能性のある物質を解明できたとしても、それは同時にいままで常識だった原子の仕組みが変わり生命の危機に繋がる可能性も秘めている。 よって、原子の中のエネルギーが世界を支配できる可能性は無限大という点と、そのエネルギーを使う国による世界の破滅に対する危惧に対しては大いに同意するが、その原子の中のエネルギーの解明に向けた取り組みに関しては、地球が今まで成り立ってきたシステムを破壊しかねないという点で反対する。 ---- 私はまずラザフォードの言葉について「原子内に潜んでいるエネルギーは普通の化学変化で遊離されるエネルギーに比べて莫大である」という結論に賛成する。原子核の中に陽子と中性子が入っているということは原子核の中に巨大なエネルギ―が働いているということを今回の授業で分かったからだ。プラスとプラスは同じ核の中には入れないはずであるのに原子核の中に陽子が入っているのは現代の人間にも図り知れない力が働いていると考える。だが、ソディーの「重い物質はすべて、ラジウムが持っているのと同じくらいのエネルギーを原子の中に閉じ込めている」というのに疑問をもった。重い物質は例えば金が挙げられるが、その金が「自然力となって世界の運命を形づくるとは思えないからだ。また、「そうしようと思えば地球を破壊することもできる武器を所有する」というところにも疑問を持った。もし私だったら最新技術に活用できるのではないかと考えたからだ。マイナスに考えている点で当時の人と現代の人の思考のずれがあるなと思った。 ---- 今よりも100年以上前に莫大なエネルギーが眼脂の構造の中に閉じ込められていることを発見し、またそれをエネルギー源として使うという発想を生み出したことに驚嘆した。そして授業動画にもあったように規制することまで予言しているところが注目すべき点であると私は考える。現代、原子力発電は二酸化炭素を排出しないなどの理由から世界的に注目されている。しかし事故が発生した場合甚大な被害が発生してしまう。実際に2011年に発生した東日本大震災では福島県の原子力発電所から放射性物質が放出してしまい深刻な問題となった。しかしその事故の教訓や研究者の意見もふまえ新規制基準が作られ施行された。また核エネルギーは膨大であるため核兵器として戦争などで武器に使われる可能性もある。そのため核兵器禁止条約などあらゆる規制がなされている。核エネルギーは危険な一面をもっているため規制は必要であると考えるが、一方で人々の暮らしに大いに役立つ科学技術である。科学者を含め専門家が安全に使用できる方法を模索している今私たちが私が貢献できることは限られているが、まずはこの授業で自然科学について学び正しい知識を身に着けたいと思う。 ---- 2人の科学者の言う「エネルギーの放出」というのは、放射性物質が放射線を出すことと関係があると考えた。放射線は直接浴びて人体に害を及ぼすだけでなく、放射線を浴びたものを口に入れたり、空気から体内に取り込んでしまう場合もある。それほど害の大きい物質を人間がコントロールして放出させた場合、甚大な被害になることは容易に想像できる。その例として、原子爆弾などが挙げられる。これは放射線による被害を分かった上で人間が意図的に作り上げたものであり、それにより実際大きな被害が生まれた。二人の科学者の予言通り、人間の手によりコントロールされ、その地域を破壊した。このように放射線のエネルギーはかなり大きく、「世界の運命を形づくる」とあるように、世界を破壊させることも可能になってくるのだ。私はこのように莫大なエネルギーを、地球破壊といった悪い目的で利用するのではなく、良い利用の仕方を考えていくことが大切だと思う。例えばレントゲンに用いられる放射線は量が少ないために人体に影響を及ぼすことはないと言われている。このように医療の発達などといった目的で用いて、人々を救うために活用することが、正しい使い方だと考える。人間の知恵と技術最大限に生かして、世界をより良くするために使用するべきである。 ---- 科学者がこの言葉を発表した当時は、まだそのとてつもないエネルギーを武器として使ったことがないのに、「人間はその力を、コントロールしなければならない。」と書いてあり、科学者の先を見通す能力に驚いた。特にF. Soddyさんの言葉は、今のロシアのウクライナ侵略を思い起こさせた。原子の力を操れる張本人こそ、その本当の力を何一つ理解していないのではないかと思ってしまった。そして科学者の願いとは真逆の方向に世界を変えていっており、今のロシアは何とも情けないと思った。どうせ核を一人の力で操れるのであれば、世界を楽園にしてほしい。 ---- 世界の情勢によって、天と地が分かれると考える。なぜなら、人間は様々な新しいものをつくり出すことができ、原子のエネルギーを利用して、問題解決に矛先を向ける場合もあるが、犯罪に矛先を向ける場合もある。例えば、世界中で戦争が激化し、多くの人が不幸であると感じ、生きる意味、意義を見出すことができなくなったとき、もしかしたら、地球を滅ぼすための考えを持ってしまうかもしれない。人間に未知なもののコントロールがゆだねられているということは、便利なものであり、それ以上に危険なものであると考える。 ---- 原子内に潜んでいるエネルギーは普通のエネルギーより莫大なエネルギーを持っていると私は考える。なぜなら、原子爆弾や原始爆発のイメージがかなり悲惨なものであるからである。これらのことが起きると、人や動物、植物全てに甚大な被害が及ぶ。そのため、原子内に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーよりも大きいと思う。 もし物質を変えることができる国家があったとすれば、全ての生活に良い傾向を持たせることが出来ると思う。なのでほほ笑みの園エディンになると感じた。 ----  Rutherford と Soddy、両者の言葉からまずよく伝わってくるのは、彼らが原子核の構造と秘密を知ってどれだけ興奮しているかということである。新しいことを発見したときの、まるで無限の想像力を得たかのような勢いで、あれこれと思考が巡っていく感覚は誰しも共通して経験したことがあるだろう。彼らの、一見科学者らしく見える固い言葉遣いの中に、そのような情熱が垣間見える。  Rutherfordは、原子内に潜んでいるエネルギーが莫大であったという事実から、放射性元素以外にもこれと同様、またはそれ以上のエネルギーを持ったものが存在するに違いないと考えている。そして、原子内のエネルギーの莫大さが判明した今、あの太陽エネルギーの起源の問題についてもかなり扱いやすくなったと述べている。科学者が研究を進める目的の1つは、もちろん「新事実を発見すること」であるが、その新事実は、更なる新事実を発見する大きな手掛かりになるということがよくわかる。このような段階を踏んで、科学は日々進展していくのだろう。  Soddyは、もし、重い物質の原子構造の中に閉じ込められている莫大なエネルギーを人間がコントロールすることができれば、それは自然力となって世界の運命を形づくるだろうと想像している。同時に、そのエネルギーをどのように扱っていくかは、けちな性格を持った人間にかかっていると指摘している。科学は、人間にとって「有用」でなければ意味がない。私達の生活に何も影響を与えなかったり悪影響すら与える可能性のあるものは、むしろ科学とはいえないのかもしれない。だから、Soddyは新たに発見されたエネルギーに関しても、人間がコントロールできるようになることを夢見ている。   ---- Soddyの言葉を読んで、自分たちが住んでいる地球を人間は自らの手で今すぐにでも破壊することもできるが、人間が本来ケチである性格を倫理的に抑え、制御することができていることを学んだ。また、人間にはこの地球を天国にも地獄のようにもできる可能性があるという風に感じ、自分の可能性も信じようと思うことができた。 Rutherfordの言葉を初めて読んだ時、理解することが難しかった。しかし、何回か読んでいくと、なんだか、Soddyの言っていることと似ているように感じた。文頭や文中にある「…」からは、考えているように一見思えるが、そうではなく、Rutherford 自身が自信を持って断言して世界に訴えかけているように思った。 ----  21世紀を生きる私たち は第二次世界大戦での原子爆弾や、原子力発電所など核分裂の反応を使った副産物を利用している。  rutherfordやsoddyが予言したように、核分裂というものはとても大きなエネルギーを持っている。しかしこの絶大なエネルギーというのは使い方を間違えてしまうと大きな被害が及んでしまうということを私たち人間は忘れてはいけないのだと考える。核分裂のエネルギーは絶大であり、原子力発電所のように平和利用を目的とした使用は人々に大きな利益をもたらす。実際、原子力発電で発電されたエネルギーは人々が生活するために必要不可欠と言っても過言ではない。しかし、この核分裂のエネルギーを己の利益のために利用してしまうことは多くの人に被害が及んでしまう可能性もある。  核分裂のエネルギーは絶大であるからこそ、Soddyが予言したようにこのエネルギーの使用を規制していく必要があるだろう。規制する事で、このエネルギーをより効果的に使うことができるのではないだろうか。 ---- まず前提として、この課題のベースとなる彼らの言葉の要旨をまとめたい。彼らは「原子核のエネルギーは莫大だ。やがて人間はそのエネルギーを利用し、地球を破壊する武器をも作ることができる手段を手にするはずだ。だが人間はきっとそれを規制し、世界をまるで楽園のようにできるようなポジティブな使い道をするだろう。」と言っていると私は理解した。ゆえにこれを前提として意見を述べたい。  彼らの気持ちを察するに、私は彼らは原子核の利用により世界は幸せになるのだとポジティブに考えていたのだと思う。人間はきっと倫理的に間違った使い方はしないと、言ってしまえば楽観的な予想を立てていた。あるいはこのようにも捉えられる。彼らは本当は人間が間違った使い方に走る可能性が高いことを予想していたが、自分たち原子核の発見者としての言葉が後世まで読まれるであろうこと自覚し、後世への規制の念も込めてこの言葉をしたためておいたのではないだろうか。だとすれば私たちは、この言葉と私たちがたどってきた歴史を振り返らなければならないと思う。 私たちは原子核をポジティブにもネガティブにも使ってきた。  最もネガティブだったのは、広島・長崎に投下された原子爆弾だろう。莫大なエネルギーは人を殺すことのみを唯一の目的とする残虐な武器に変えられ、数え切れないほど多くの人の命を奪ってしまった。彼ら科学者の願いに沿えなかったことが単純に悲しい。 だがポジティブな用途もあった。原子力発電だ。これは現代人の生活を大きく支えてくれた。大量のエネルギーを生み出してくれる上に温室効果ガスも出さない。放射能の危険性は気になるが、原子力発電が現代生活にも温暖化対策にもかなり役に立っていることはゆるぎない事実だ。 発見者が後世に託した希望は半分叶えられ、半分叶わなかった。現代人は一度立ち止まって私たちがしてきたことを冷静に振り返る時間が必要だと思う。ただ注意しておきたいのは、彼らの言葉は100年以上も昔に発せられたものだということだ。100年前と現在では時代は大きく異なる。私たちをとりまく世界情勢は変わっている。だからこそ、私たちは彼らの言葉を尊重しつつも、同時に今の時代に合った原子力の使い道を考え直していく必要があると思う。例えば、原子力発電は本当に必要なのかどうかをもう一度吟味したり、核爆弾を世界中の国が一斉に放棄する方法を模索したりなどだ。また極論を言ってしまえば、原子力を一切使わないという選択肢もある。あるいは科学の進歩によって原子力エネルギーに匹敵する、放射能のない新たなエネルギー源が発見できる可能性もある。時代は変わる。だから、「原子核の正しい使い方」というものを刷新していく必要があるのだ。 ---- まず、ラザーフォードの文章から見てみる。「原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるに違いない」、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っていると考える何らの理由もない」といった表現をしている。このことから、ラザーフォードは放射性元素が莫大なエネルギーを持っているということを確信しているということが窺える。また、ソディは「重い物質はエネルギーを閉じ込めており、それをコントロールすれば世界の運命を形づくる」、「地球を破壊することができる武器を、けちな人間は油断なく規制する」といった表現をしている。このことから、ソディは地球を破壊できる力を持った放射性元素を利用しないことを惜しみ嘆いているように感じられる。実際、放射線は莫大なエネルギーを持っていたために、福島の原子力発電所の事故のような大きな被害が出た。原発事故により大量の放射線物質が放出され、被ばくした多くの人たちはがんや白血病を発症した。現在ではその被害はほとんどなくなってきているが、被害を受けた人たちの不安や悲しみは消えることはない。また、人間だけでなく魚や米といったものにも影響を与えた。現在多くの原子力発電所が稼働を停止しているが、再稼働の動きも見られる。全ての原子力発電所を廃止するべきだという声もある。しかし、日本の電力自給不足を考えてみてもそうすることは難しい。審査を通り安全だとされたものだけが稼働している状況だが、絶対に安全ということはできないと思う。福島原発事故の際も、安全だと思っていたのにも関わらず起きてしまったのだ。災害に対して人間は無力であり、防げない事態が起こるかもしれない。しかし残っている原発の数は多くないため、1つ1つの安全対策を徹底的に行うことが重要なのではないだろうか。原子力発電なしでも電力を十分賄えるよう、他の発電方法へ徐々に移動していくことが日本にとって良いと思う。また、国民の賛同を得ることも必要である。原子力発電に対して不安を持っている人は多い。どのような基準で発電所を稼働させるのか、いかに安全が確認されているのかといったことを説明し、納得してもらった上で協力してもらうことが重要だと思う。国民もただ傍観するのではなく、理解しようとする姿勢をとるべきだ。このように、原子力発電を今すぐ廃止することは難しいが、国民と国が協力しながら徐々に他の発電に移行していくことが良いのではないかと考える。 ----  私はラザフォードやソディが、原子核からエネルギーを取り出す前から、それを生かすも殺すも人間次第だと予測していたことが印象に残った。それではなぜ、科学者たちは「地球を破壊することもできる」物質を取り出すことに尽力したのか。私は今回の授業で学んできたように、デメリットに見合うだけのメリットがある、画期的なエネルギーだったためだと考える。科学者たちにとっては探究心を刺激し、研究の裾野を広げられるものだったであろうし、一般人は現代でも、放射線の恩恵を受けている。例えば、X線は医療から食品、工業品製造、空港での手荷物検査など多岐に渡る分野で利用できるし、放射線治療によって、がんを効率よく消すことが可能になった。  その一方で原子爆弾や核ミサイルが開発されたり、原発事故が起こったりして、多くの人間の命が脅かされ、失われてしまったことも事実である。ソディーがレバーに手をかけるのは、人間だということを述べていたように、ひとりひとりの放射線に対するリスクの認識が重要であると考える。また、発言力の強い政治家などによって、放射線の技術が悪用されないように、私たちひとりひとりが政治に参加していくことも大切だと感じる。 ---- 人間はRutherfordとSoddyが説いた言葉を重要視すべきだったと考える。原子内に潜む莫大なエネルギーを利用して原子力爆弾や原子力発電を発明されたが、それを使うかどうか決める権力を持つ者やその周りの人々は、そのエネルギーの力や危険性について漠然としか知らなかったのではないだろうか。 Rutherfordの言葉通り、原子内に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーに比べて莫大だ。福島第一原発での事故や第二次世界大戦での原爆投下の被害などから、現代を生きる我々はその危険性について理解している。しかし当時は科学者間でのみ知られていたのかもしれない。これにより多くの人々が原子核について正しい知識を持たない状態で、原子核の所持や使用が始まったと推測する。 またSoddyは、人間が原子核を自由にコントロールするようになると蓄積エネルギーの放出を油断なく規制するのではないかと考えていた。実際原子力の使用は一般的に規制されているが、核兵器を保有したり、原子力発電所を利用する国は存在する。先述した通り、原爆投下や原子力発電所における事故によってようやく多くの人々が原子核の巨大なエネルギーを目の当たりにすることとなったのだ。しかし人間はこれらの利用をやめようとしない。この莫大なエネルギーがもたらす被害を大衆が理解している今だからこそ、過去の出来事から学び、原子核を使用することについて改めて考え直す必要がある。 もし原子核が発明された当時、RutherfordやSoddyの言葉が多くの人々によって深刻に捉えられていたら、核兵器の使用や原子力発電所の稼働は抑えられていたのかもしれない。人間が何か新しい技術を生活に取り入れる際は、危機管理を全て科学者や科学者の知識に任せるだけでなく、自ら知ろうとする姿勢が大切なのだ。 ---- RutherfordとSoddyは実験で分かったことに対して、そこで満足することなく懐疑的な視点を持っていることが、言葉からわかった。その理由は、Rutherfordは、原子核を発見しその位置と大きさを発見しただけではなく、その大きさに陽子と中性子が収まっていることから、莫大なエネルギーを持っていると結論付けていて、RutherfordもSoddyも、その莫大なエネルギーは、例えばラジウムといった放射性元素だけではなくほかの物質も持っているのではないかという可能性を示しているからである。この姿勢は、科学者だけではなく21世紀に生きる私たち一人一人も持つべきものではないかと思った。私たちの周りは便利なものであふれている。もちろん便利なものを使うことで生活は豊かで過ごしやすいものになるかもしれないが、私たちは今この瞬間の快適さだけを考えてばかりで未来のことを考えられていないのではないかと思った。例えば、プラスチックは加工がしやすく耐久性も高いため生活の様々なところで使われてきているが、地球温暖化や海洋汚染、資源の枯渇など多くの問題を引き起こしてしまっている。この時点でも未来を考えられていなかったことがわかるが、プラスチック削減のために、近年紙製のストローや袋などに変える店が増えていることにもこの問題は潜んでいるのではないかと考える。確かに紙製のものに変えればプラスチックの使用は減るかもしれないが、今度は森林伐採が進み、将来的には生物のすみかの減少や大気汚染といった新たな問題が発生するのではないか。この視点を持たずにプラスチックを減らすことさえできればいいと考えている人が現代の人には多いと思う。問題を一つだけと考えずにすべてのことに懐疑的な視点を持つことができるようになるべきだということをRutherfordとSoddyの言葉から学ぶことができると思った。 ----  原子核が発見されたのは1911年、核分裂の予言がされたのは1919年である。歴史を振り返ると、この辺りの時代はヨーロッパで第一次世界大戦が行われていたり、中国や日本などアジアでも様々な戦争、運動が行われていた。科学者たちが「普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて莫大であるに相違ない」「それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」「地球を破壊できる武器を所有する」と考えたのは、このような時代背景が関係してくるのではないかと考えた。もし核分裂の発見がもう少し遅ければ、または極端に早ければ、核分裂を武器に利用するという考えは思い浮かばなかったのではないか。または、思いついたとしても、そのような武器をつくる技術は発展しなかったのではないか。ソディーの「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という発言は、戦火が激しかった時代だったからこそ、核分裂を兵器などに使用せず、世界全体の暮らしに役立てるような使い方をして欲しいという願いが込められていたのではないかと思う。  しかし、科学的な観点からすれば、あの時代に核分裂を発見できたおかげで様々な問題を解決できたり、新しい実験を行うことが出来るようになったのだろう。その実験が現代の私たちの暮らしを豊かにしていることは明白である。あのとき核分裂を発見したことが良かったとも悪かったとも評価できないというのが私の意見である。良いとされていることも、視点を変えれば様々な問題を抱えているのだと思った。 ---- 私は、核分裂を予見していた二人の科学者が伝えたかったことは「核分裂による莫大なエネルギー」と「その力を扱うのが人間であるということを忘れてはいけない」という、二つの意見だと感じた。E.RutherfordとF.Soddyの言葉に共通しているのは、核分裂が当時の科学的知見からは見当もつかないほどの莫大なエネルギーを生みだすと予見していたことだ。特に、Rutherfordはそれが太陽エネルギーの原理であることを予見しており、当時の人々に新たなエネルギーとしての期待を持たせたのではないだろうか。しかし、光があれば影があるように核分裂反応には負の面もある。代表的なものが核兵器だろう。今でこそ、その恐ろしさが周知されているが、核兵器が実在しなかった当時はその恐ろしさに理解どころか、関心すらあまりなかったのではないだろうか。その上で、Soddyの言葉に目を向けると、核分裂を利用した兵器がいつか生み出されること。その兵器が恐るべき威力を持ちうることと、それを支配するのが「人間」であることに、意見をフォーカスさせていることに気が付く。彼は、きっと科学技術が人類に進歩をもたらす一方で、破滅をももたらすことを意識の根底に持っていたのだろう。彼はその言葉の最後で、力を正しく使えば世界をエデンにすることもできると述べている。科学技術の光と闇の部分の両者を視野に入れていた彼は、科学の進歩とは宇宙の真理を整理することであり、その発達が必ずしも人類の進歩につながるわけではないと考えていたのではないだろうか。真意はわからないが、その考え方は今日に生きる我々も持つべきものであると感じる。旧石器時代の人類は石器を作り出し、それを調理器具や農耕の道具として使った一方、武器として用いて争いの道具にも利用した。当時と比べて科学技術が大きく発達した世界に住む我々は、核分裂の仕組みも、その恐ろしさもよく理解しているが、いまだ解明されていない科学技術に対してはその力の理屈も使い方も全くの未知である。どこまで技術が進歩してもそれは、先祖が石器を作ったときと同じ状況なのかもしれない。今日、ロボット工学やクローン技術、A.Iの開発など、人類の発達に大きく貢献するであろう一方で、一歩使い方を誤れば人類を破滅させるかもしれない技術は数多く存在する。私たちが先の二人の科学者の言葉から学ぶべきは、未知の科学技術を運用していくうえで、人類はその技術の進歩だけでなくその力の負の面にも目を向け、それを安全に運用する方法を模索する意識だと考える。 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