核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group09` # 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて ---- まず、Rutherfordの言葉にあったように、原子核に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーに比較しても、比べものにならないぐらいとてつもない力を持っていると思いました。授業にも出てきましたが、反発し合うような粒子が約1兆分の1cmの中で収まっているのだけではなく、爆発せずに安定しています。これを元に、Soddyが言った「...地球を破壊することもできる...」と「物質を変えることができる国家は、...世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という言葉が印象的で、原子核にはいろんな可能性が秘められているのだと考えました。なぜなら、未だに地球のあらゆる場所で戦争が勃発しているなか、原子核の想像もつかない凄まじい力を借りて、より危険な武器を作り出すことができるからです。これによって、戦争を悪化させる懸念もありますし、多くの犠牲者を出すことにもつながります。その一方で、メリットとしては、石油と比らべて、原子力発電の燃料のウランは資源の安定確保ができるため、代わりになる発電方法を探す手間が省かれることです。これらを踏まえて、原子は使い方によって、人間の味方にもなるし、人間の敵にもなりかねません。 ---- E-RutherfordとF.Soddyはどちらも原子核内に潜む巨大なエネルギーに期待している点について共通に述べられているが、その使い道の方向性に違いがあるように予言を読んで感じた。E-Rutherfordは、宇宙ないしは地球の本質的な謎の解決に焦点を当てている一方で、F.Soddyは、その巨大なエネルギーの危険性を理解したうえで、その力を利用し人間の豊かな生活送るという点に焦点を当てているということが読み取れる。私は、F.Soddyの考えこそ現代に生きる人間の考えに近いのではないかと考えたが、私はこの予言に対して否定的である。なぜなら、F.Soddyの予言は人間中心的だからだ。また、その巨大なエネルギーを武器に使用しても良いという考えを持っていることが「けちな性格の人間で…」という部分で示唆されている。武力としての使用を人間が規制するとあるが、本当に規制できるのかという点はとても疑問である。本当に規制できるのであれば、日本が被爆国になることはなかったはずだからだ。ゆえに、私はその規制はすべての国が施行したことで意味をなすものであり、今現在は不可能であることは現在の国際社会で物語っているのではないかと考えている。日本は唯一の被爆国であり、その悲惨さを知っているため核不保持国となったが他国はそうではない。一つの国が核を持たなくなったことは、核保有国にとっては朗報なのではないかとさえ思ってしまう。戦争が起こった際の勝率というものが一気に上がるからだ。つまり、核を持つことは武力だけではなく権威を示すものでもあるのではないかと考える。だから、人間がコントロールすることは難しいだろうと私は考えている。また、地球上にはたくさんの人間を含めたくさんの生物が生きており、人間側はその動植物がいなければ生きていくことはできない。にもかかわらず、原子核の巨大なエネルギーを利用して、砂漠の大陸を変造しようとしたり、極地の氷を解かそうとし、地球本来の姿を変えようとしていることが読み取れる。おそらくこのころから、少しずつ地球温暖化が始まりつつあったのだろうと思った。しかし、近年環境問題には積極的に取り組まれており、当時の考えというのは薄れつつあるため、核の問題も世界的に協力しなければいけないと改めて歴史を知ることで再確認できた。 ---- 私自身もぼんやりと「科学は無限の可能性を秘めいている」というのを理科の授業や普段の生活を通して感じていたが、それを専門家達もあらゆる根拠のもとで思っているんだなということが分かった。特に原子の持つ力は偉大であり使い方一つでこの世の中に革命をもたらすことができるエネルギーを持っている。これを通して僕が一つ考えたことは、「科学の発展を人間の思惑が邪魔しているのではないか」ということだ。例えばがん治療は現代の医療技術を最大限発揮すれば治る病気と言われている。しかし今日ガンで亡くなる人が多いのは抗がん剤を売る側の都合があったりするのではないかと考えた。確かに科学の可能性は無限大だし、原子の力は画期的だけど人の欲がそれを邪魔することがないか不安になった ---- 原子内のエネルギーの全容を解明しきれていないが莫大であることは実験によって確証しそれをコントロールできたらという言葉は、今現在原子力発電に応用されているようにその莫大なエネルギーによって同時に長時間多くの電気を使用することができるようになっているため、人間の生活の幅を広げたことに繋がるきっかけとなったという面では人類に必要で重要な言葉であったのかもしれないと考える。 だがそれと同時に、それをコントロールし活用できるようになった人間、国家が新たな武器を生み出したり、自然さえも変える可能性をもつということも予言しているように感じた。その膨大なエネルギーを人間が所有してしまったからこそもつ危険性が分かっていたのだとしたら、原発の事故や核兵器など大勢が犠牲となっている面から考えると、簡単ではなかったかもしれないが、新発見だとして発表し「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」などといった人間の欲望を掻き立てるような言葉である必要は無く少し無責任だったのではないかと考える。 ---- 人間は地球をどうにでもできる装置をコントロールできる境地にまで達しているから、ラザフォードは「どうして放射性元素だけが莫大なエネルギーをもっているかを考える必要もないし、太陽エネルギーの起源ももはや問題ではない」と考えたのかと私は思いました。なぜなら、人間は自分の欲望のために力を得たい動物であり、力を得られたらその過程はもう重要視しないと思うからです。しかし、ここ数十年ではその核の是非が再議論されています。私はこの最大の武器を各国が手放すべきだと考えます。それは、人間がこの地球をどうにかできる力を得るべきではないと思うからです。多くの発見・研究から科学が進歩していくなか、人間が踏み込んで良い領域・悪い領域は科学者の中で線引きしておく必要があると思います。 ---- 今まで教科書にある通り習ってきた、電子と陽子がひとつの小さな原子に同時に多数存在することが実は大きな矛盾であることに気づかされて衝撃だった。磁石の反発のような現象がいつ起こってもおかしくないのに留まっていて、さらにその大きさも考慮すると膨大なエネルギーがあるだろうと考えた科学者はすごいと思った。 よって、その莫大なエネルギーを人間が操り、国家が絡めばいい方向にも悪い方向にも進めることができるとするRutherfordとSoddyの言葉はその通りだと思った。 一方で、彼らの言葉は皮肉も混じってるように感じられた。「地球を破壊することもできる武器」として大袈裟なように伝えているのは、科学者が単なる探究心から発見したことを、兵器など望んでいた用途でないものに悪用されたりした過去からなのではないかと思ったからだ。発見した嬉しさとともに、その莫大なエネルギーはいつか悪用されるのだろうという諦めがみえる言葉のようにみえた。 ---- まず、Rutherfordの言葉について考えると、我々の世代は東日本大震災の影響で原子力発電や原子力エネルギーについては、良いイメージがないと思う。実際に原子力エネルギーの被害にあったわけではないが、原子力発電所の近くに住む人が避難したりする映像はニュースを通して見てきた。しかし、Rutherfordが言うように、その時は原子力発電が取り上げられただけであり、それが別の発電方法だったとしてもおかしくない。例えば、太陽光発電。私たちは小学生のころから、「太陽光発電は、太陽という自然の力を使って発電しているものだからいい物である」として説明されてきた。しかし、これが今後もいい物として扱われるかは分からない。例えば、地球温暖化などの気候変動により、太陽の力が今よりも強くなり、太陽光発電によって発電された電気が一定量を超えてしまい、爆発することも考えられるかもしれない。これはあくまで、一例ではあるが、今の時代、今の気候だから適切とされているものでも、時が経れば、それは不適切なものとして扱われるかもしれないことは頭に入れておくべきだと思う。 次にSoddyの言葉について考えていきたい。エネルギーの使い方によって、良いようにも悪いようにも変えられると述べているSoddyの言葉は非常に説得力のある言葉だと思う、どれだけ素晴らしい発電方法などを発明しても、その発電方法によって貯められた電力を使うのは、我々人間であり、その人間の使い方によって世界が形作られるのは、当然のことである。しかし、Soddyは、「本来けちな性格の人間は、そのレバーで、蓄積エネルギーの放出を実に油断なく規制するのである」とも述べているが、「本来けちな性格の人間」と言葉には少し疑問が残る。人間は本当にけちであるのかは、人それぞれであると思う。例えば、普段から節電を意識している人はどれぐらいいるだろうか。そもそも、節電という言葉の定義も曖昧であるし、エネルギーの使い方において人間をけちであるからというのは、人間について一括りに言い過ぎなのではないかと感じる。人間の本質的な部分は、非常に難しい問題であり、そこを理由に結論を述べるのは、少々強引なのではないかと思った。 ---- 核分裂による生み出されるエネルギーはすさまじく、利用すれば莫大な利益を得ることができる反面、それにより世界を、地球を滅ぼすことは容易である。実際に現在も危険ではあるがそれ以上に利益を得れることから原子力発電は世界各国で行われているし多くの人が戦争における核というモノを恐れている。しかしそれが現在抑止力となりある意味での平和が成立している。おそらく核がなければもっと多くの人が死んでいると個人的には思うが、いつかすべてが滅ぶという恐れもある。 ---- 核分裂を予言した科学者達は、核のエネルギーがどれほど規格外のものなのかを理解し、それが人類、世界にもたらすものをわかっていたように思う。それは例えば第二次世界大戦において原子爆弾が投下されるといったものではなく、原子力によって人類は大きく発展するとともに、新たな火種にもなり得るということなのだと思った。そしてそれは現実となり、人類は原子力で多くの技術を得たが、それだけでなく、第二次世界大戦で日本に2弾の原子爆弾が投下され、今でも核兵器は世界中に散らばっている。また、科学者たちは核エネルギーは使い手次第なのだとも言っているように思う。使い手によって、人や環境を傷つけるものにも、わたしたちの暮らしを支えるものにもなる原子力を、有意義に、そして倫理的に使うべきなのだというメッセージに感じた。私たちは、この膨大な力を持つ原子力とどのように向き合っていくのか、今一度考えていかないといけないのだと思う。 ---- E.Rutherfordは、原子内にあるエネルギーは莫大なものであり、その莫大なエネルギーを持っているのは、放射線元素以外の元素もあるだろうとしている。私はこれに対して、正しいと考える。私は放射線元素以外の莫大な力を持っている元素を知らないが、まだ人間が見つけていない未知数の元素があるのではないかと思う。 また、F.soddyは、核の力を利用すれば、地球を破壊することもできる武器を所有できると言っていた。これは、今、現実のものとなっている。戦争に核が利用されている。世界のいくつかの国が核爆弾を所有しており、ロシアではその核爆弾の発射をほのめかして、相手を牽制している。第二次世界大戦では、広島や長崎は、核爆弾により、焼け野原になった。核爆弾は砂漠の大陸に変造することは可能だと思う。だが、核爆弾では、世界全体をほほ笑みの園エデンにすることはできないと考える。 ---- F.soddyは原子の中に莫大なエネルギーがあることを知り、それが人間の力で取り出せたときのことを考えているのでまずその視点で見ていることに驚きましたし、「地球を破壊することができる武器を所有する」というのはまさに原爆のことだし、それが人間によって規制されることも予想していて驚きました。また、放射線の話の、科学者は発見したものを次の科学研究のツールにすると言うことがありましたが、エネルギーを取り出してコントロールすることを考えたりしているので、いつの時代も科学者は見つけたものを活かす事を考え、現代、少し前の時代ではそれが悪い方向に使われていることがよくわかりました。また、F.soddyの2つ目の言葉から、エネルギーに世界を破壊する力があるように、科学には世界を変えたり、エデンの園にしたりする力があることがわかりましたが、科学者による未知の発見は世の中の技術分野を大きく発展させたり、開発に役立つかもしれないが、それと同時に使い方次第で世界を破壊しかねない恐ろしいことだと感じました。 ---- RutherfordとSoddyが原子核という莫大なエネルギーをもつ物質を未来の人類がどのように使っていくのかに対して恐怖や期待などいろいろな感情を抱いていたのだろうと感じられる言葉であった。大きなエネルギーを良い方向にも悪い方向にも使うことができ、それがあるとき地球をも破壊し得るものである場合に、私たちはどう扱うのが正解なのだろうかと考えた。科学の進歩は正しい方向に作用しないと悲劇を引き起こすものであり、そうならないように監視し、制御する責任が私たち市民にもあると思う。人間は水や電気を生活に必要とし、ただでさえ環境に負担をかけているため、それを軽くするような使い方であれば原子力は素晴らしいものであると考える。反対に自然環境に配慮せず、人間の欲だけに従って使われるものであってはいけないと思う。 ---- 彼らの言葉を読んで、私が感じたことは主に2つあります。1つ目は、原子の中に大きなエネルギーが潜んでいることから発展させて、世界へと視点を向けている考えは、とても偉大であるということです。なぜそう感じたかというと、原子内のエネルギーをコントロールすることは現実的に不可能であっても、それを言葉として表現したことに奥深さを感じたからです。原子は実際に私たち人間の目には見えることも、触れることもできません。しかしその中に潜む莫大なエネルギーを操ることができたとき、世界はどのように変化するのかを、私自身明確に想像することは難しいですが、とても興味深く感じました。2つ目は、先ほど述べたように目に見えない小さな原子が、コントロールされることで、世界という大きな概念を変えるかもしれないという言葉の表現が印象に残り、面白く感じたことです。理由は、一見かけ離れた物に感じる原子と世界の変化ですが、物質を変えることができる国家は、世界の様々な問題や現象を変えることができるかもしれないという未来への考えに胸を打たれたからです。世の中の物質を作る原子のエネルギーには、世界を変える力がある可能性をといた彼らの言葉は、今世紀を生きる私たちにとっても、大きな希望や可能性を与える重要な考えだと思い、共感しました。 ---- まず私がRutherfordの言葉を聞いて感じたのは、科学者の底知れぬ探究心が垣間見えるということです。この未知のものに対する期待が、太陽という巨大すぎる天体の名前を用いるところに表れているように見えました。彼らが原子核についての発見をしたのも、その度重なる実験を経ての成果でしたから、また新たな実験材料が増えたことに対する喜びもきっとあったはずです。 そして、Soddyの言葉の中でも「それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」という部分が気になりました。その核分裂をコントロールできるようになった人間は、原子力発電といった文明の発展に寄与する存在を生み出しながら、原子爆弾という凄惨すぎる武器を開発することにも成功しました。果たして世界の運命は良い方に動いたのか、それとも悪い方に進んでしまったのでしょうか。一つの技術が開発されたら、それが悪用されてしまうということはよくあります。ダイナマイトもその一例でしょう。彼らが「地球を破壊することもできる武器」の存在を示唆していたのは意外でしたが、日本に生きる私にとってはこの発見さえなければと考えてしまいました。この発見さえなければ日本が敗戦しなかったのかもしれないし、地震による被害も抑えられたかもしれません。ただ科学の力は今も偉大であり、彼らの発見が「砂漠の大陸を変造したり、極地の氷をとかしたり、世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」力を持っていたのは事実です。目には見えない世界での冒険で手にした彼らの成果を良い風に活かす必要があり、どんな発見も公共の福祉のために使われるべきだと強く感じました。 ---- 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて、いい意味でも悪い意味でも的中させているなと考えた。いい意味で科学者たちが予言したことで言うと、原子核のエネルギーをコントールできるようになり、そのエネルギーを自在に扱えるという点である。現代は、電気がない生活できないような状況である。その中で、火力発電や水力発電などを用いた発電や、風力発電、太陽光発電などがあるが、そこから生まれる電気の量が限られてくる。しかし、原子力を用いた発電では、それらとは比にならないくらいの電気を生み出すことができている。一度にたくさんの電気を生み出すことができるので効率も良く、原子力発電所をいくつかこの日本でも作られた。これにより、東日本大震災では津波で発電所がやられ、大きな問題となってしまった。このように、科学者達が予言したように、原子核のエネルギーをうまくコントロールすることで私たちの生活に必要な電気を生み出している。これは、いい意味で予言が当たったなと考える。悪い意味で言うと、核分裂が持つ、エネルギーを兵器として使い、戦争時に用いたことだと考える。それにより、日本が多くの被害を受けてしまったことだと考える。悪いことでうまく使ったと言いたくはないが、核分裂のエネルギーの大きさを都市に落とすことで大きな被害を生み出していた。本来このようにして、使うことは間違いであるため良いことではないが、核分裂のエネルギーをうまくコントロールすることで、兵器として、うまく使えたのだと考える。これが、悪い意味で科学者達の予言が当たってしまったことだと考える。 ---- E. Rutherfordは、原子内に潜んでいるエネルギーの莫大さを結論づけ、この発見が別の事象を説明するのに役立つのではないかという言葉を残している。F. Soddyは原子構造の謎を解き明かしたことによって、このエネルギーをコントロールすることで得られるものは大きいだろうと考えている一方で、人間は同時に地球を破壊する力を手に入れてしまうと述べており、その一方で人間はこのとき自分たちの持つ力を制限するだろうとしている。これらの言葉を読んで、実際に、彼らの時代の発見が現代社会においてあらゆる場面での実用化が実現されたのを鑑みると、科学の発見がもたらす社会的なインパクトの偉大さがよくわかる。こうした意味で、科学者たちが科学の研究に魅せられるのも納得がいくと感じた。また、彼らの言葉を読んだとき、RutherfordとSoddyの持つ純粋な知的探究心や好奇心が第一に感じられた。科学者たちにとって、こうした研究はその後の実用性も当然大事だと考えられるが、それ以前に発見自体の偉大さを強く感じさせる文章から、彼らの解き明かしたいという行動原理も読み取くことができる。他方、Soddyは発見の偉大さとともに地球を破壊することも可能になるという、科学的な知識・技術の重大さにも触れ、またこの力については人間の元来の性格によって規制されていくだろうと楽観的な推察をしている。現代における原子力の利用を見ると、膨大な電力を生み出す実用的な原子力発電として利用されている一方で、原子力発電によるゴミ問題や安全性の問題、さらには核爆弾の登場によって国際社会は常にその脅威にさらされている。こうした現実を考えると、Soddyの持つ人間に対する”ケチ”という見方は、やや楽観的であったのではないかと考えられる。 ---- 核分裂を予言した科学者の言葉を聞いて確かに核分裂を安全で確実に利用出来るようになればそれは人間にとって大きな成果を得られるが、その反面地球を壊せる破壊力を持っており 実際にはチェルノブイリ原発事故のような爆発事故が発生した事例もある。 核分裂を予言した科学者の予言は正しかったが 人間の受けた代償は とても大きなものになったと私は考える。 ---- 2人の言葉を読んで、原子が持つ膨大なエネルギーについてまだ十分に研究されていないにも関わらず、新たな科学・技術へ応用しようとしていると感じた。 これは科学の「過信」であると思う。なぜなら、発見されたエネルギーに関して、まだわかっていないことが多い中で「武器」「力のコントロール」への言及がされており、リスクについての十分な検討がされていないように感じるからだ。 ---- Soddyが物質を変えることができる国はこの世をよくも悪くも変化させることができるというようなことを言っていた。実際に核分裂ができるようになったことで一見人々の暮らしは豊かになった。原子力発電によって原子力発電所周辺ではそれに関する様々な仕事ができるため、たくさんの人が雇用され、働き口を見つけることができた。また、原子力発電という発電方法ができたことによって石油資源のあるなしに関わらず安定的な電力供給が可能になった。一方で、東日本大震災での福島原子力発電所やチェルノブイリ原子力発電所のように事故などの影響は大きい。放射能による病気で苦しむ人や自分の住んでいた地域に放射能濃度が高すぎることによって帰宅困難になる人もいる。よって、彼の物質を変えることのできる国は世界を良い方向にも悪い方向にも変化させることができるという意見は核分裂と原子力発電所が起こした良い側面と悪い側面を当てはめてみると的を得ているのではないかと考える。 ---- 私は2人の科学者の言葉を読んで、原子力の恐ろしさと人間が地球に与える影響の大きさを改めて強く感じた。私は、人々は原子力のエネルギーや構造についてもっと知るべきであると考える。確かに今、原子力のエネルギーの影響で日本の環境が脅かされているという自覚は無く、毎日原子力を恐れて生きているわけでは無い。しかし、Soddyさんが言っていたようにレバーひとつで一気に世界の平和が乱されてしまう。また、日本では恐れないで生きていけるけれど、今行われているウクライナとロシアの戦争でも原子力が使われる可能性は十分にあって、毎日恐れながら生きている人々もいる。更に北朝鮮が発射しているミサイルがもし日本に落ちてしまったら、大きな原子力の被害を受けることになる。このように、今は平和に思っているこの世界も知らない世界では原子力に苦しむ人がいて、また、簡単に原子力で大切な人を失う可能性もある。もっと人々は原子力エネルギーの恐ろしさを知った上で、新たな科学技術の開発をするべきであると思う。 ---- 原子核がもつエネルギーが莫大であると分析した彼らは、そのエネルギーを使った未来をも予言し、素晴らしいと思った。また、それをコントロールしようとすることは人間には難しいのではないかとも予言している。たしかに、コントロールができずに不幸な出来事も起こった。福島第一原発やスリーマイル事件などを一例とし原子力は愚かなものだと決めつけるのは良くないと思うが、その力を借りるということはそれなりのリスク、責任も伴うということを忘れてはいけないと思う。核分裂を発見する前から彼らがそのことを主張していたのに、莫大なエネルギーの力を目の当たりにした我々がその主張を大切にしないことは私たちこそ愚かだ。自由や力を持つということの恐ろしさを彼らの時代からわかっていたのにも関わらず、現代で実際に予言に似た出来事が起こってしまった事実を受け止め、「今」ではなく「これから」を見据えて行動する力を獲得する必要があると思う。 ---- 二人の言葉を読んで、私たちは原子核が与えうる影響を深く理解し、適切にコントロールしていく必要があると考えた。現代では、二人の予言通り、原子核のエネルギーをコントロールすることが比較的可能な状態まで進化している。このような時代の中で、多大なエネルギーを持つ原子核は、私たちの使い方次第で良い影響をもたらすこともできれば、逆に悪い影響をもたらすこともできると思う。実際に、原子核を使用した原子力発電も発明されてきた。確かに原子力発電は、発電時に二酸化炭素を排出しなかったり、安定して電気を供給できたりするなど、私たちの生活に様々なメリットをもたらしてくれる。また、私たちの生活を豊かにする新しい技術がこれから出てくるかもしれないし、そのための研究も進んでいることだろう。しかし、原子核が持つエネルギーは、2011年の東日本大震災によって起きた福島第一原子力発電所の事故のように、人間の生活に多大な悪影響を及ぼしてしまうこともある。また、原子核を悪用して軍事に使ってしまう国も出てくるかもしれない。昔とは違い、今の時代はそのような核を使った戦争にだってなり得る。そのようなことが現実に起これば、世界は簡単に崩壊してしまうだろう。 したがって、私たちは、このような危険性を再確認し、原子力の本質を見抜く必要がある。また、利便性を優先した人間的な都合によって判断するのではなく、原子力を使用している他国の状況も視野に入れながら、原子核を適切に使用していくことが大切だと考えた。 ---- RutherfordとSoddyの文章について、原子の構造の中に閉じ込められているエネルギーは莫大なものだと述べているが、まさにそのエネルギーが応用されて作られた原発や原爆が存在することを知っている私たちからすると、彼の予言が正しかったのだと思わされる。原爆はその気になれば地球を破壊する威力を持っているし、原子力発電は二酸化炭素の排出量が少なく、効率的に発電できるという一面を持つ一方で、事故が起きてしまうと取り返しのつかないことになるという危険性もあり、人間は自国の環境と照らし合わせながらどのように付き合っていくかコントロールするべきである。日本では東日本大震災の影響で原子力発電は悪だという考えも根強いが、フランスでは発電量の約70%を原子力発電が占めており、生活に欠かせないものとなっている。自分たちできちんとコントロールしながら、良い方向にエネルギーを活用していくことが大切だと考える。 ---- 今、エネルギーという言葉は身近にあるためエネルギーがどのくらい力を持つか分からないが昔の人々は知らないことだらけで恐怖心を覚えながら生きていたということがRutherfordとSoddyの言葉から伝わった。昔の人々が核分裂のように経験したことの無い恐怖を味わって改善策を練り、そして今、たとえ私たちに困難なことが起きたとしても私たちが幸せに生活できる世の中になっているのだなと感じた。 ---- 原子核エネルギーが他のエネルギーよりも莫大であることや危険なものになり得ることを改めて実感した。地球を破壊しようと思えば破壊できる原子核のエネルギーを人間が油断なく規制しているというのは、21世紀の今から考えると異なっているのではないかとと思う。実際に原爆が作られ、何人もの人が犠牲になってしまった。ほほえみの園にするどころか、あんなにも残酷なことが行われることはエネルギーを発見した当時はなかなか検討もつかないことだったのだろう。強力なエネルギーを扱うときはどのように使うのかがとても大切なのだと感じた。しっかりとコントロールして使用することができても、人が傷ついてしまうように利用したらそれはコントロール出来てないのと同じだと思う。良い面だけを見るのではなく、悪いことにつながる可能性も考えなければならないと分かった。 ---- 私は、RutherfordとSoddyの言葉を読んで、原子内に潜んでいるエネルギーが膨大にあり、そういった物質の中の原子の持つエネルギーをコントロールすることができれば世界中のエネルギー問題を解決することができるだけでなく、天候などの自然までもを左右することができると考えたが、そういったエネルギーに依存し続けることは今後も安全面や再生可能性で不可能なのではないかと考える。それは、安全面という点から考えると歴史を見れば分かるが核分裂を利用した兵器や原子力発電はたびたび悲惨な事故・戦争などを引き起こしており、このまま原子力に依存し続けることで、チェルノブイリ原発事故や東日本大震災での原発事故などのような世界にとって重大な危険性を多く抱えてしまうことになると考える。また、再生可能性の面から考えても危険性の高い放射性物質を放つ「核のゴミ」が永遠と発生してしまうことからもやはり問題があると考える。 ---- まず前提として、この課題のベースとなる彼らの言葉の要旨をまとめたい。彼らは「原子核のエネルギーは莫大だ。やがて人間はそのエネルギーを利用し、地球を破壊する武器をも作ることができる手段を手にするはずだ。だが人間はきっとそれを規制し、世界をまるで楽園のようにできるようなポジティブな使い道をするだろう。」と言っていると私は理解した。ゆえにこれを前提として意見を述べたい。 彼らの気持ちを察するに、私は彼らは原子核の利用により世界は幸せになるのだとポジティブに考えていたのだと思う。人間はきっと倫理的に間違った使い方はしないと、言ってしまえば楽観的な予想を立てていた。あるいはこのようにも捉えられる。彼らは本当は人間が間違った使い方に走る可能性が高いことを予想していたが、自分たち原子核の発見者としての言葉が後世まで読まれるであろうこと自覚し、後世への規制の念も込めてこの言葉をしたためておいたのではないだろうか。だとすれば私たちは、この言葉と私たちがたどってきた歴史を振り返らなければならないと思う。 私たちは原子核をポジティブにもネガティブにも使ってきた。 最もネガティブだったのは、広島・長崎に投下された原子爆弾だろう。莫大なエネルギーは人を殺すことのみを唯一の目的とする残虐な武器に変えられ、数え切れないほど多くの人の命を奪ってしまった。彼ら科学者の願いに沿えなかったことが単純に悲しい。 だがポジティブな用途もあった。原子力発電だ。これは現代人の生活を大きく支えてくれた。大量のエネルギーを生み出してくれる上に温室効果ガスも出さない。放射能の危険性は気になるが、原子力発電が現代生活にも温暖化対策にもかなり役に立っていることはゆるぎない事実だ。 発見者が後世に託した希望は半分叶えられ、半分叶わなかった。現代人は一度立ち止まって私たちがしてきたことを冷静に振り返る時間が必要だと思う。ただ注意しておきたいのは、彼らの言葉は100年以上も昔に発せられたものだということだ。100年前と現在では時代は大きく異なる。私たちをとりまく世界情勢は変わっている。だからこそ、私たちは彼らの言葉を尊重しつつも、同時に今の時代に合った原子力の使い道を考え直していく必要があると思う。例えば、原子力発電は本当に必要なのかどうかをもう一度吟味したり、核爆弾を世界中の国が一斉に放棄する方法を模索したりなどだ。また極論を言ってしまえば、原子力を一切使わないという選択肢もある。あるいは科学の進歩によって原子力エネルギーに匹敵する、放射能のない新たなエネルギー源が発見できる可能性もある。時代は変わる。だから、「原子核の正しい使い方」というものを刷新していく必要があるのだ。 ---- まず、ラザーフォードの文章から見てみる。「原子内に潜んでいるエネルギーは莫大であるに違いない」、「この莫大なエネルギーを放射性元素だけが持っていると考える何らの理由もない」といった表現をしている。このことから、ラザーフォードは放射性元素が莫大なエネルギーを持っているということを確信しているということが窺える。また、ソディは「重い物質はエネルギーを閉じ込めており、それをコントロールすれば世界の運命を形づくる」、「地球を破壊することができる武器を、けちな人間は油断なく規制する」といった表現をしている。このことから、ソディは地球を破壊できる力を持った放射性元素を利用しないことを惜しみ嘆いているように感じられる。実際、放射線は莫大なエネルギーを持っていたために、福島の原子力発電所の事故のような大きな被害が出た。原発事故により大量の放射線物質が放出され、被ばくした多くの人たちはがんや白血病を発症した。現在ではその被害はほとんどなくなってきているが、被害を受けた人たちの不安や悲しみは消えることはない。また、人間だけでなく魚や米といったものにも影響を与えた。現在多くの原子力発電所が稼働を停止しているが、再稼働の動きも見られる。全ての原子力発電所を廃止するべきだという声もある。しかし、日本の電力自給不足を考えてみてもそうすることは難しい。審査を通り安全だとされたものだけが稼働している状況だが、絶対に安全ということはできないと思う。福島原発事故の際も、安全だと思っていたのにも関わらず起きてしまったのだ。災害に対して人間は無力であり、防げない事態が起こるかもしれない。しかし残っている原発の数は多くないため、1つ1つの安全対策を徹底的に行うことが重要なのではないだろうか。原子力発電なしでも電力を十分賄えるよう、他の発電方法へ徐々に移動していくことが日本にとって良いと思う。また、国民の賛同を得ることも必要である。原子力発電に対して不安を持っている人は多い。どのような基準で発電所を稼働させるのか、いかに安全が確認されているのかといったことを説明し、納得してもらった上で協力してもらうことが重要だと思う。国民もただ傍観するのではなく、理解しようとする姿勢をとるべきだ。このように、原子力発電を今すぐ廃止することは難しいが、国民と国が協力しながら徐々に他の発電に移行していくことが良いのではないかと考える。 ---- 私はラザフォードやソディが、原子核からエネルギーを取り出す前から、それを生かすも殺すも人間次第だと予測していたことが印象に残った。それではなぜ、科学者たちは「地球を破壊することもできる」物質を取り出すことに尽力したのか。私は今回の授業で学んできたように、デメリットに見合うだけのメリットがある、画期的なエネルギーだったためだと考える。科学者たちにとっては探究心を刺激し、研究の裾野を広げられるものだったであろうし、一般人は現代でも、放射線の恩恵を受けている。例えば、X線は医療から食品、工業品製造、空港での手荷物検査など多岐に渡る分野で利用できるし、放射線治療によって、がんを効率よく消すことが可能になった。 その一方で原子爆弾や核ミサイルが開発されたり、原発事故が起こったりして、多くの人間の命が脅かされ、失われてしまったことも事実である。ソディーがレバーに手をかけるのは、人間だということを述べていたように、ひとりひとりの放射線に対するリスクの認識が重要であると考える。また、発言力の強い政治家などによって、放射線の技術が悪用されないように、私たちひとりひとりが政治に参加していくことも大切だと感じる。 ---- 人間はRutherfordとSoddyが説いた言葉を重要視すべきだったと考える。原子内に潜む莫大なエネルギーを利用して原子力爆弾や原子力発電を発明されたが、それを使うかどうか決める権力を持つ者やその周りの人々は、そのエネルギーの力や危険性について漠然としか知らなかったのではないだろうか。 Rutherfordの言葉通り、原子内に潜んでいるエネルギーは他のエネルギーに比べて莫大だ。福島第一原発での事故や第二次世界大戦での原爆投下の被害などから、現代を生きる我々はその危険性について理解している。しかし当時は科学者間でのみ知られていたのかもしれない。これにより多くの人々が原子核について正しい知識を持たない状態で、原子核の所持や使用が始まったと推測する。 またSoddyは、人間が原子核を自由にコントロールするようになると蓄積エネルギーの放出を油断なく規制するのではないかと考えていた。実際原子力の使用は一般的に規制されているが、核兵器を保有したり、原子力発電所を利用する国は存在する。先述した通り、原爆投下や原子力発電所における事故によってようやく多くの人々が原子核の巨大なエネルギーを目の当たりにすることとなったのだ。しかし人間はこれらの利用をやめようとしない。この莫大なエネルギーがもたらす被害を大衆が理解している今だからこそ、過去の出来事から学び、原子核を使用することについて改めて考え直す必要がある。 もし原子核が発明された当時、RutherfordやSoddyの言葉が多くの人々によって深刻に捉えられていたら、核兵器の使用や原子力発電所の稼働は抑えられていたのかもしれない。人間が何か新しい技術を生活に取り入れる際は、危機管理を全て科学者や科学者の知識に任せるだけでなく、自ら知ろうとする姿勢が大切なのだ。 ---- RutherfordとSoddyは実験で分かったことに対して、そこで満足することなく懐疑的な視点を持っていることが、言葉からわかった。その理由は、Rutherfordは、原子核を発見しその位置と大きさを発見しただけではなく、その大きさに陽子と中性子が収まっていることから、莫大なエネルギーを持っていると結論付けていて、RutherfordもSoddyも、その莫大なエネルギーは、例えばラジウムといった放射性元素だけではなくほかの物質も持っているのではないかという可能性を示しているからである。この姿勢は、科学者だけではなく21世紀に生きる私たち一人一人も持つべきものではないかと思った。私たちの周りは便利なものであふれている。もちろん便利なものを使うことで生活は豊かで過ごしやすいものになるかもしれないが、私たちは今この瞬間の快適さだけを考えてばかりで未来のことを考えられていないのではないかと思った。例えば、プラスチックは加工がしやすく耐久性も高いため生活の様々なところで使われてきているが、地球温暖化や海洋汚染、資源の枯渇など多くの問題を引き起こしてしまっている。この時点でも未来を考えられていなかったことがわかるが、プラスチック削減のために、近年紙製のストローや袋などに変える店が増えていることにもこの問題は潜んでいるのではないかと考える。確かに紙製のものに変えればプラスチックの使用は減るかもしれないが、今度は森林伐採が進み、将来的には生物のすみかの減少や大気汚染といった新たな問題が発生するのではないか。この視点を持たずにプラスチックを減らすことさえできればいいと考えている人が現代の人には多いと思う。問題を一つだけと考えずにすべてのことに懐疑的な視点を持つことができるようになるべきだということをRutherfordとSoddyの言葉から学ぶことができると思った。 ---- RutherfordとSoddyの言葉を読んでまず一番に私が感じたのは、原子核エネルギーというものを発見した彼らに、核によって平和が失われている今の世界の責任は一切ないということです。 「普通の化学変化で遊離されるエネルギーにくらべて莫大であるに相違ない」という言葉などから、原子核の存在は当初は私たちの生活を豊かにする世紀の発見という認識だったことがよくわかります。実際に現在では多くの国が原子力発電を利用していたり、がんの治療に放射線が使われたりしており、特に原子力発電は、日本が主な発電方法としている火力発電などに比べてCO2の排出量が少なく、コストも安定しているため重要視されているのが事実です。 原子核エネルギーというものは確実に私たちの生活を豊かにした一方で、現在では危険な存在であるという認知も広くされています。私自身も、核と聞くと核兵器や原発事故などが1番に思い浮かんでしまいます。 「それをとんとんと叩いてコントロールできるとすれば、それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか。」という文章の中で、コントロールできるとすれば、という言葉が使われていることは、現代にある核兵器の問題の核心をついていると感じます。RutherfordとSoddyは原子核エネルギーの莫大さに気がついた時から、便利な使い方ができる一方で、それが危険な使われ方をされてしまうことも懸念していたことがこの言葉から分かります。人間が原子核エネルギーを手にした結果コントロールすることができず、平和の失われた世界を形づくってしまったのです。 ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の問題などがなかなか解決に近づけないのは、何をするにも核兵器がちらつき、周りの国もその恐ろしさを知っているからだと思います。世界を破壊できるほどの力を持つ原子核エネルギーが戦争の道具として使われてしまうことは、RutherfordとSoddyが一番望んでいない原子核エネルギーの使われ方に違いありません。二人の大発見が無駄にならないためにも、21世紀を生きる私たちは、核兵器廃絶に取り組むべきです。特に、唯一の核兵器被害者である日本は核の恐ろしさを世界に伝え続け、人々が原子核エネルギーを正しく使えるよう促していく役目を務めていくことが大切だと思います。 ---- 私はこの科学者たちの言葉をきいて一番初めに、考えがずいぶんと壮大であると感じた。原子のエネルギーの莫大さを知ったとき、彼らはもうすでにその先を見据えていたことに驚かされたのだ。同時に、核分裂を予言して、さらに人間が科学をベースにこの世の中に存在する圧倒的な力に気が付いたとき、どう行動していくのかでさえも予想しているのは正直早すぎるのではないだろうかと思った。しかし、科学者にとって一つ一つの小さな発見を積み重ねて大きなことに活用することや、偶然ある事実に気が付いて、どう利用できるのかを考えることが世界を変えるカギを握るということは私でも少しは理解できる。そんな思考を持つ彼らが核分裂という手に負えないほどの威力に気が付いたとき、世界がどう変わるのか必死に頭を働かせ、抽象的なことを想いめぐらすことが精いっぱいだったのではないかとこの言葉から私は推測した。E.Rutherfordの言葉からは無限の可能性を読み取ることができる。当時どれほど原子の仕組みや核分裂の可能性というものが偉大な発見であったのかを明確に表しているともいえるだろう。そして、特に印象に残ったのはF.Soddyの[それはどんな自然力となって…]だ。抽象的だが、当時、核分裂を予言したときに、未来のより科学や技術の発展した世界になったときにいったいどんな世界が待ち受けているのかという興味が表れている。さらに、「そうしようと思えば地球を破壊…」と「物質を変えることができる国家は…」の箇所では、未来の人々に、どうかこの力を悪用せずにうまく利用してほしいという彼自身の希望や願いが込められていると私は解釈した。 私たちは今日、核兵器や核爆弾、原発の問題など様々な困難に直面している。当時の科学者の理想と、願った世界と今の世界は果たして釣り合っているのだろうかと考えた。残念ながら、一部の人間は蓄積エネルギーの放出を規制せず、人々を恐怖に陥れ、自分たちの利益のためだけに利用した。私個人としては理想とは程遠い世界だと思う。これからもしばらくは深刻な問題となる核問題、私たちがどのような行動を選択するべきなのか改めて考えねばならないのではないだろうか。そして同時に、彼らのように小さい発見であれ大きい発見であれ、目の前のことだけに目を止めるのではなくて、先を見据えた考え方が大切だとも感じた。 ---- 原子核が発見されたのは1911年、核分裂の予言がされたのは1919年である。歴史を振り返ると、この辺りの時代はヨーロッパで第一次世界大戦が行われていたり、中国や日本などアジアでも様々な戦争、運動が行われていた。科学者たちが「普通の化学変化で遊離されるエネルギーと比べて莫大であるに相違ない」「それはどんな自然力となって世界の運命を形づくるだろうか」「地球を破壊できる武器を所有する」と考えたのは、このような時代背景が関係してくるのではないかと考えた。もし核分裂の発見がもう少し遅ければ、または極端に早ければ、核分裂を武器に利用するという考えは思い浮かばなかったのではないか。または、思いついたとしても、そのような武器をつくる技術は発展しなかったのではないか。ソディーの「世界全体をほほ笑みの園エデンにもできる」という発言は、戦火が激しかった時代だったからこそ、核分裂を兵器などに使用せず、世界全体の暮らしに役立てるような使い方をして欲しいという願いが込められていたのではないかと思う。 しかし、科学的な観点からすれば、あの時代に核分裂を発見できたおかげで様々な問題を解決できたり、新しい実験を行うことが出来るようになったのだろう。その実験が現代の私たちの暮らしを豊かにしていることは明白である。あのとき核分裂を発見したことが良かったとも悪かったとも評価できないというのが私の意見である。良いとされていることも、視点を変えれば様々な問題を抱えているのだと思った。 ---- 私は、核分裂を予見していた二人の科学者が伝えたかったことは「核分裂による莫大なエネルギー」と「その力を扱うのが人間であるということを忘れてはいけない」という、二つの意見だと感じた。E.RutherfordとF.Soddyの言葉に共通しているのは、核分裂が当時の科学的知見からは見当もつかないほどの莫大なエネルギーを生みだすと予見していたことだ。特に、Rutherfordはそれが太陽エネルギーの原理であることを予見しており、当時の人々に新たなエネルギーとしての期待を持たせたのではないだろうか。しかし、光があれば影があるように核分裂反応には負の面もある。代表的なものが核兵器だろう。今でこそ、その恐ろしさが周知されているが、核兵器が実在しなかった当時はその恐ろしさに理解どころか、関心すらあまりなかったのではないだろうか。その上で、Soddyの言葉に目を向けると、核分裂を利用した兵器がいつか生み出されること。その兵器が恐るべき威力を持ちうることと、それを支配するのが「人間」であることに、意見をフォーカスさせていることに気が付く。彼は、きっと科学技術が人類に進歩をもたらす一方で、破滅をももたらすことを意識の根底に持っていたのだろう。彼はその言葉の最後で、力を正しく使えば世界をエデンにすることもできると述べている。科学技術の光と闇の部分の両者を視野に入れていた彼は、科学の進歩とは宇宙の真理を整理することであり、その発達が必ずしも人類の進歩につながるわけではないと考えていたのではないだろうか。真意はわからないが、その考え方は今日に生きる我々も持つべきものであると感じる。旧石器時代の人類は石器を作り出し、それを調理器具や農耕の道具として使った一方、武器として用いて争いの道具にも利用した。当時と比べて科学技術が大きく発達した世界に住む我々は、核分裂の仕組みも、その恐ろしさもよく理解しているが、いまだ解明されていない科学技術に対してはその力の理屈も使い方も全くの未知である。どこまで技術が進歩してもそれは、先祖が石器を作ったときと同じ状況なのかもしれない。今日、ロボット工学やクローン技術、A.Iの開発など、人類の発達に大きく貢献するであろう一方で、一歩使い方を誤れば人類を破滅させるかもしれない技術は数多く存在する。私たちが先の二人の科学者の言葉から学ぶべきは、未知の科学技術を運用していくうえで、人類はその技術の進歩だけでなくその力の負の面にも目を向け、それを安全に運用する方法を模索する意識だと考える。 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