放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ###### tags: `科学・技術の視点(総合科目)` `2022後期` `Group02` # 放射性物質を発見した科学者の言葉を聞いて ---- ---- 「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にも増して善の方を引き出すであろうと信ずる者です」という言葉は科学に最も近いところにいる科学者であるため発することができた言葉であるように感じた。ほとんどの人は発明や発見された科学や技術を活用することしかない。自ら新しい発見や発明をすることはない。そのため、人間が有意義に使えば善になる科学を自分の偉大さ権力を示すツールとして使ってしまうと思った。 ---- 僕はこの資料を読み、自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのかについて考えました。新たな発見とは新たなる危険を伴う者です。しかし、それをやめてしまえば我々は停滞するのみです。僕は人間の生まれてくる意味に成長、進化などというものがあると思います。確かに危険を伴ううえにそれを制御することは不可能に近いです。しかし開発や新たな発見は続けるべきであると思います。 ---- 科学技術が進歩し、人間はそれを積極的に利用してきた。最初は生産性を高めたり生活を豊かにすることなどを目的として、科学者が研究を重ねて発展させてきたが、その目的を達成することができると今度はそれを悪用しようとする人がいる。本来の目的とは異なる、人類に害を及ぼすような使い方を人間自らが考えて実行する。このようなことが生じるのならば、最初からその知識を身につけなければ良い。人間が生み出した「優れもの」が「危険なもの」へとなってしまう前に、人間が自然の秘密をあばかなければ恐ろしい事態も未然に防ぐことができる。このように考えてしまうと、悲しいことに私はやはり科学技術の知識を人間が身につけることに対して消極的になってしまう。それが大罪人の手に渡ってしまうことは一番恐るべきことだと思うからだ。 しかし、視点を変えてみると、優れものとしての科学技術に関する知識を身につけた者が、新たな危険な使い方を考えるとき、彼らには相当な能力が必要だろう。どのようにしたらそれが損害を与えるようになるのか、ということを考えるにはその仕組みや関連する事柄を深く知っていることが必要である。危険なものへと変えてしまうことについては、良くないこととして捉えられるが、その科学技術を変えてしまおうと思う、すなわちそれに関心がある、ということについては良いことだと思う。一般的に、人間はそのような科学技術について積極的に知ることや、新たな知識を身につけることを避けてしまいがちである。だからこそ、それに関心のある人がいて、それに手を加えたり使用方法を変えてみようとする心持ちは素晴らしいことだと思う。そのような人たちが持つ豊富な知識を用いて、悪ではなく、それを超えるほど輝かしい新たな善の方法を思いつくことが世界にとって最も望むべきことだ。 ---- 私はP.Curieの意見に全面的に共感する。「いったい人間が自然の秘密をあばいて行くのは有意義なことなのか。それを役に立つことに使う用意はできているのか。」という部分について、私は人間が世界を良くも悪くも大幅に変える可能性のある発見をすることは世界の発展にとって良いことであるが、もしそれを悪用しようとする人の知識になってしまったらかえって世界を破滅に導いてしまうのではないかと考えた。資料の例に出ているとおり、ノーベルの発明したダイナマイトは人類の発展に貢献するものであると共に人類を脅かす強力な劇薬でもあった。しかしラジウムにしてもダイナマイトにしても、まだ見ぬ新しい発見にしても、人類はそれを悪用することよりも世界の発展に貢献させることのほうを優先すると私は信じている。そのため彼の意見に賛成である。 ----  ピエール・キュリー氏は、「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。」と述べているが、彼の考えは楽観的すぎたと私は考える。なぜなら、ノーベルがダイナマイトを発明し、軍用火薬として世界中に売ったことで、戦争に利用され、多くの人の命が奪われたからである。確かにノーベルは、第一次世界大戦が起こる1914年以前に亡くなっているし、キュリー氏が受賞した1903年も大戦前である。しかし、少なくともキュリー氏は、爆薬が大罪人の手に渡れば、恐るべき破壊手段になることを予測していた。一方でダイナマイトと同じようにリスクの大きいラジウムであるが、適切に使えば、プラスの側面も大きいのも事実である。人々は、がんの治療やラジウム温泉などで恩恵を受けてきた。  したがってキュリー氏は、プラス面だけではなく、ラジウムのリスクも計り知れないため、もっとリスクの方を強調して周知するべきだったと考える。 ---- 「私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずる者です」と言っているが、人類が放射性物質を悪の方に利用するのではないかと恐れているのではないかと思いました。「この知識は、人間にとってかえって災いとはならないか」と、悪影響を懸念しているからです。前回の課題に引き続き今回の言葉からも、科学者が新たな発見をすることによって、様々な葛藤があったことが感じられます。 ---- 現代において何気なく扱っている放射線だが、発見した科学者キュリー夫妻はソディ―らに続きその使用方法を懸念しているようである。今回の授業を受け、放射能の多様さとそれぞれの透過力の強さについて知った。特に医療関係で多用されるx線は、その利便性とは裏腹に極めて危険性の高い物質であると分かる。電子という身近な物質で構成されているにも関わらず、鉛や厚めの鉄でなければ防ぐことが出来ない。その透過力は極めて恐ろしく、人間の身体では太刀打ちできないほどの強さを持っている。また、放射性物質の一つであるセシウムは、ヨウ素に比べ薄まる速度が低く、一度発生させると最後、私たちはセシウムとともに生涯を過ごさねばならない。かつ、それらの放射性物質が一体いつ放射性を出すのかを明確に導き出せていないにも関わらず、危険性の高い放射性を扱うのは矛盾しているのではないかと感じる。放射性物質による危険性に伴い利便性を取った私たち現代人は、過去の有力な科学者たちが残した懸念の言葉を忘れてはならない。 ---- 私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引きだすであろうと信ずる者です。とあるが、私は人間は新しい発見から最終的には悪を引き出す者なのではないかなと思った。進化することは有意義ではあるが、それは最終的に悪につながると思う。 ---- この資料に書いてあるように、自然の研究をしさらにそれを利用していくようにしていくことは、善と悪両方のことがらがあるとおもいます。 これは、人間の生活を発達させていくためには仕方がないことだと私は考えます。実際、資料のような爆薬が戦争の手段に使われていることは、決して許されるべきことだはないですが、道具や手段は目的を変えれば、善にも悪にも働かせることができると僕は考えるため、仕方がないことだと考えます。 なので、利用する人間がどのような目的で、どのような利益が得られるかということを考え、ただうやむやに利用しないでいくことが重要だと僕は考えました。 ---- ピエール・キュリーは、発見した放射性物質が悪よりも善に使われると信じていると述べているが、私はそうは思わない。私は善にも悪にも同じくらい使われると考える。なぜなら、世界には善人と、悪人と両方が必ず存在し、善人が多くとも、悪人は、自分の信念のためにそれを使う確率が高いと考えるからだ。まず人間に善をもたらす使い方をして挙げられるのは、原子力発電である。原子の莫大な力を使った発電は、とても効率がよく、現代では欠かせないものとなっている。それと同時に、悪をもたらす核兵器として原子を使う人もいる。現在では北朝鮮が核ミサイルを定期的に発射するなど、原子を悪に使う人間は存在している。私は、人類が悪よりも善に原子を使う日が来ることを願うけれども、それを実現できる日は来ないと感じる。 ---- Curieが言ったように、科学で未知のものがわかるようになった時、多くの場合良い面と悪い面の両方が出てくると思います。X線のように、その発見のおかげで、レントゲン検査が出来るようになって現代人が助かっているものもあります。ただ、原子力発電や核兵器のように人間にとって大きな害になるものも出来てしまいました。戦争を長期戦ではなくより短期間にして、力を誇示するかのように科学の技術が使われてしまいました。ただ、その強大な力を隕石が落ちてくる時に防衛として将来使えるようになるかもしれません。科学の新発見には良い面悪い面ありますが、もはやそれが自然な流れであり、気にしても仕方がないとも思いました。 ---- P.Curieもまた、前回の課題の二人の言葉のように、良い面と悪い面のどちらも考えていると思う。 前半は主にネガティブな面について書かれている。Curieは、ラジウムの危険性だけでなく、人間が及ぼす影響や欠陥に気づいて心配している。また、ここで述べることによって後世に伝えていこうとする意思が読み取れる。 一方後半部分では、生活を豊かにするきっかけとなったノーベルの発見により、悪い影響だけでなく良い影響も生まれると、Curieは信じている。 第4回の事前課題で、RutherfordとSoddyが「主語が人間や国家であるから人ごとのように考えている」と述べたが、Curieは上記で述べたように放射性物質の両面性を理解した上で、その時感じた疑問や懸念を私たち後世の人間に伝えようとしてくれたのだと感じた。 ---- 大きな発見には、悪用の懸念がつきものだと感じた。今回の放射性物質やダイナマイト、前回の授業で取り扱った核分裂など、人間の使い方次第で、平和にも破滅にも繋がる。私たちはこういったものを、正しく理解し、平和のために使っていかなければならないと感じた。 ---- 私は、「人間が自然の秘密をあばいて行くことは有意義なのか」という問いかけに対して、必ずしも有意義ではないと思った。まず、有意義であると思う点は、人間が自然の秘密を暴いたことで、放射線を発見することができた。また、放射線を発見したことで原子力発電が誕生し、人間の生活に豊かさを増すことができた。放射線は、原子力発電のみならず、医療などあらゆる面で人間の生活をより良くしていくための存在となった。これらの点を踏まえると、人間が自然の秘密を暴いたことにより、生活する中での便利さや安全さなどといった人間にとって有益となるものを与えたためとても有意義なことと捉えることができると思う。しかし、P.Curieが不安視していたように、人間が自然の秘密を暴いたことによって、むしろ人間が人間を殺すために使用される効率的な存在ともなっている。もし、人間がダイナマイトや放射線といったものを発明、発見していなければ、戦争による被害者も圧倒的に少なくなっていた可能性がある。ここでは、戦争を例に挙げたが、人間が暴いた自然の秘密は、悪意のある人間に利用されてしまえば、人間が人間を殺すための効率の良い殺人兵器となりうる。このように考えられる点から、人間が自然の秘密を暴くことは必ずしも有意義とは言えないと思う。 ---- 自然の秘密を暴いてそれを有意義な物に変えられるのであれば積極的に暴くべきである。犯罪者にわたって危険なものはラジウムだけではなくて、どんな薬品でも鉄砲でも刀でも包丁でも犯罪者にとっては武器になってしまうため、結局誰がどのように使うかに全てがかかっている。ただしそれをどのようにして規制するのかが大事であり、ラジウムは確かに犯罪者の手に渡ってはいけないと思うし、それを悪用する科学者はいてはいけないと思う。今どうやって規制されているのかは知らないが人の命を軽んじる結果になってはいけないと思った。 ---- 私は資料を読んで、今新しい物質を発見した科学者も同じことを言うだろうと考えた。新たな物質を発見した科学者が、その物質を戦争や犯罪などの良くない目的で使用されることは望まないだろうが、これまでの歴史を考えると、望まない方法に用いられてしまう可能性があるとよくわかっているはずである。少しでも悪用されることが少ないように、科学者たちは自分の希望を述べるだろうと考えられる。 また、もちろん戦争や犯罪に用いるのは良くないことだが、その新たな物質が本当に危険な物質であるかどうかを確かめることは必要であると考えた。ラジウムも核兵器が実際に作られて初めて、本当に危険性の高い物質であると言えるのではないかと思う。それを実際に使用するのは間違った行いであるが、可能性を試す必要はあると考えた。 ---- 科学や技術の進歩によって自然の秘密をあばくことは、人間が自然と共存して生きていくために有意義なものとなり得ると考える。もちろん罪人にその知識が渡れば破壊の手段ともなってしまうが、ここで疑問なのは、自然の秘密をあばくこと自体が人間に災いをもたらすのではないかという議論が存在することだ。罪人に科学や技術を悪用される可能性があるため、その可能性を初めから無くすために研究をしない、というのは、罪人のためにその他大勢の人間が自然と共存していく道を狭まれるというではないだろうか。本来無くすべき可能性は、科学や技術を悪用しようとすると人間が社会を動かす権力ほどのを持つことだ。 ---- 前回の授業では、科学を研究し、実験することは功罪であると学び、我々は科学に対する意識の低さと無責任を実感するべきだと考察した。それを踏まえ今回、私は人間は無知であることの恐ろしさを知るべきだということについて考えたい。ラジウムの発見について、キュリー夫妻らが放射性物質は癌治療にも使えるかもしれないと宣告したことから各地の病院が実験を始めた結果、大勢の人が放射線を大量に浴び、死ぬことになった。これは放射性物質という自然に対して無知であることを恐れず、成功が不確かな実験を行ったことが原因である。 我々は今日、多くの犠牲の上に科学技術の恩恵を受けている。だからこそ、これ以上、科学技術とその研究・実験によって、いたづらに犠牲者を出してはならない。そのためにすべきことは、己が無知であることを知ることだ。自然をどこまで知っていて、どこから知らないのかを明確にすべく、調査・研究を続けることを怠らず、まだ知り得ていないことは無知だと認めることが大切なのではないか。それによって我々は犠牲を出さずに、自然及び自然の産物を知り得る日が来るかもしれないと希望が持てるのだと考えた。 ----  私はこの言葉に同意する。近年、科学技術は飛躍的に進歩している。科学技術の発展は、現在世界で問題となっていることの多くを解決することができる。例えば、貧困問題は、問題を抱えている国の科学技術が発展することによって、より安価に世界に必要なものを購入することができるようになる。他の例としては、科学技術が発展することで、環境問題も解決に近づく。より環境に害を及ぼさない技術があれば、環境問題は解決できる。このように、放射性物質も有効活用すれば世界の様々な問題を解決することにつながる。しかし私は、唯一戦争の問題だけはどんなに科学技術が発展しても解決することはできない、と考える。科学技術が発展することによって、原子爆弾のように敵国により甚大な被害を与える悲惨な戦争が起こる可能性がある。だからこそ、私は人の心を豊かにする必要があると考える。 ---- 発明や発見をした人たちの考えや懸念は、後世の人たちに伝えることはできても理解させることは難しいのではないかと感じた。前回の講義で触れた核についての科学者たちによる予見と共通して、発見した人や新たな技術の実用化に成功した人はその技術の持つ危険性を把握しており、それを伝えようという姿勢を感じる。しかし実際にはノーベルが発明したダイナマイト然り核や放射性物質は、我々の生活に大きく貢献している一方で、悪用されたりそれらが元で起こる事件が起きてしまう。なぜなら転用するのは発明者自身ではなく、死後に現れる人々だからである。意志は残るが引き継ぐか引き継がないかは、その人の信念によるところが大きい。危険性を重要視する側がマイノリティになった場合には方向転換を促すのは難しいのかもしれないと感じた。 ---- 放射性物質のラジウムは犯罪者にわたってはいけないと文章中にあるが、20世紀はじめには、ラジウムを飲料として摂取していた人たちもいたし、時計の針先にラジウムを含む蛍光塗料を塗る仕事により被曝してしまったラジウムガールと呼ばれた人たちもいた。 まず先に必要なのは、ラジウムが危険な物質であることを広く知らせることであったのではないか。もちろん犯罪者の手に届いてしまうのは悪用されるからとても危険だ。しかしそれを悪いものと知らずに利用し被害を受けてしまう人たちは、誰のせいでもなく被害者となってしまう。未知の物質を研究し、結果を報告することが重要なのだ。 文中にあるノーベルの例のように、危険な物質を発見し、それを大々的に公開すると結果として大勢の人を殺してしまうのかもしれない。しかしそれも技術の進歩であることには間違いないし、それを利用することで救われる人もいるかもしれない。なのでラジウムのように危険であるということが周知されないよりかは、公開された方が良いのではないかと思った。 ---- まず何事にも両面性があると思う。白があれば黒があり、光があれば影があるこれはは抜け出せない性質だ。これらの負の影響を考えるとき、メリットを完全に無視してはいけないと思う。ラジウムの発見は多くの災難をもたらしたかもしれないが、世界にも多くの利益をもたらした。次に、世界には未知の危険なものが非常に多く、新しい発見はすべて重要で不可欠である。これらの謎は私たちの生活と密接に関係しているかもしれない。危険に直面するのは立ち止まっているのではなく、研究を続けることが科学的精神である。本当にやるべきことは、世界中の誰もが危機管理を学び、物事の危険を知ることだ。 ---- 開発や研究をすること、する人は自分の研究が人類にとってプラスのモノとなると信じて行っているので研究すること自体を規制するようなことはしてはならないのではないかと感じました。つまり我々人間が自然の秘密を暴いていくことは有意義であるのかという疑問に関してはぼくは有意義だと考えます。例えばラジウムもそれが莫大なエネルギーを持ち、使い方を誤ると破壊手段となってしまうことも研究をしなければわからなかったことです。仕組みを理解したうえでどのように使うか、規制するべきなのはその使い方であると考えます。これまでの歴史を振り返っても研究によって生まれた技術が悪用されており、キュリーの懸念していたことが実際に起こってしまっているわけですが、研究者を表彰することはもちろん、その技術を素晴らしい手段で用いた技術者や経営者、国家なども歴史に刻まれるような表象をするのが良いのではないかなと考えます。 ---- この言葉を読んで、放射性物質は医療関係などプラスになったことももちろんあるが、事故や戦争などマイナスの部分で目立ってしまうことが多くなってしまい、悪より善の方を引き出すことを信じていたこの科学者が望まない結果となってしまったように思った。また、自然の秘密を知るのは有意義なのか、このことがかえって人間の災いにならないか、と考えておりこの科学の発見が将来悪い方向に使われる可能性もあるとわかっていて、この言葉を通じて人々に注意を促しているように感じた。 ---- 自分の発明がそれまでの戦争を一変させるような爆破兵器として使用されることで、科学者にとっては罪悪感で苦しむ。では、科学者はどう責任を取ればよいのか。科学者ではなく、人間としての目線を持つ事が大事だと思う。自分の発明した科学技術が悪用される可能性を誰よりも早く気付くのは、それを開発した科学者自身である。したがって、その科学者には人類に役立つ成果を発表すると同時に、こんな風に使われたら危険であるということを警告する義務があると思う。そこで、キュリーはラジウムが犯罪人の手に渡ると、非常に危険なものになるだろうと警告を発している。その背景にあるのはノーベルとともに、人類は新しい発見から悪にもまして善を引き出すであろうという信念である。放射線は農業にも、X線として医学などにも色々と活用されている。そのため、悪用されることによるデメリットだけを懸念するのではなく、この発明を利用することで現代の世界でも活躍できている技術もあるので、その発明を批判することはできない。やはり、そこでデメリットだけを見て、科学者を批判することは私は違うのではないかと思った。人間が自然の秘密をあばいていくことに対してはやはり懸念が見られるが、それと共に期待されることも大きいため、私は有意義なものであると考えた。 ---- ラジウムではないが似たものとして放射性物質について考えると、役に立つものというより人々を脅かすものとしてのイメージが強い。実際核爆弾が生まれ、使用されて発生した放射線に今もなお苦しんでいる人がいて、今に至るまで牽制の意味合いも含め含め人々を恐怖にさらしている。私はこのような結果を肯定する気はないが、知識を追い求めることを否定するつもりもない。悪に利用されてしまった部分はあるが、人々の生活を発展させた一助でもあるからだ。放射線によって発電方法が増えたほか、X線の利用などにより医学を進歩させた。ダイナマイトの例の通り災いにも益にもなりえる。知識を追い求め放射線について明かされることがなければ核兵器は生まれなかったかもしれない。それによって亡くなった人々は数えきれないほどではあるが、放射線が明らかになったことで先ほど述べたように医学は進歩し、助かった人々が多いだろうと考えられる。ピエールの話した内容とほぼ同じにはなるが、知が明らかになることが悪いのではなく、手にした人によって得られる結果が悪になることが人々を脅かすのだろうと考える。 ---- 先週読んだ科学者の言葉と似ているところがあると思った。自分が見つけたラジウムが悪用されることを懸念しているのは、RutherfordとSoddyが核のエネルギーが莫大であることを人類がうまく利用しなくてはならないことを言っていたことと共通している。キューリー夫人は、人類がラジウムを悪用することを懸念しているが、最終的には人類が善の方を引き出すことを望み、信じている。キューリー夫人は未来の人類にラジウムの使い方を託し、いい方向へと使ってもらうことを強く願っていたことがこの文章から読み取れた。 ---- 私は人間はまだ科学などの強大な力を使いこなす力・知識を持ち合わせていないと思う。授業の例でもあったダイナマイトや最近、ニュースで取り上げられることが多い核兵器は用途によっては人間の生活を豊かにするものであるが戦争に使うなど適切な使い方ができないと人の死に関わる。 ---- 私は放射性物質の発見を肯定します。人間が自然の秘密を暴いていくのは避けては通れない道だと考えます。なぜなら人間と自然は繋がっているので、自然の秘密に触れないでいてもどこかでその壁に人間がぶつかると思うからです。人間が自然に踏み込んではいけないと思いながらも未知なことを解明していくことは、人間の発展に繋がります。またこれは自論ですが、普段の生活の中で、なんでだろう?と疑問に思ったことを研究して追求するのだから、それだけ自然の謎は私たちの身近にあるものであり秘密を知ることは大切だと思います。役に立つ立たないというのは利用する立場が判断するのだから、秘密を暴く人ではなく利用する人に責任があるのかもしれません。例えば、包丁の発明は料理効率を上げましたし料理が繊細に表現できるようになりましたが、殺人などの犯罪でも利用される現実があります。このようにすべて受け手が重要なのです。そのように科学発見を世界の発展のための利用してきてくれた人たちがいるから今日の世界があるわけで、発見に罪はないということです。 ---- 上記の資料をみて、やはり人間の発展を促すぐらいの画期的な科学技術は人を滅ぼすぐらいの危険性を秘めていることを改めて実感した。だが、なぜ人間は危険性があることを知りながらも研究を続けるのか。それはやはり危険性を伴ってなおも求めたくなるほど科学技術には人間の発展を急速に促す力があり、魅力があるのではないかと思う。犠牲を払ってなおも人間は科学技術を求め研究を続けるのだ。 ---- 科学は人間の果てしない欲望を原動力として急激に成長した。時代を変える革新的な発明は、目的がまず初めに存在し、そのために技術が発見、使用され、その派生として様々なものが生まれるケースが多数である。軍事産業において誕生した技術が、私たちの暮らしを豊かにしている例は数えきれない。結果的に人類を豊かにしたにせよ、その技術の開発の初めにあった目的は緊迫した状況下で人類によって生み出されたものなのであり、そうしたコストを度外視するような、リスクを顧みない姿勢から科学が大きく前進することはやはり自然なのではないか。性悪説とまではいかないが、やはり人類は利己的な思想や何者かと競争することで大きな力を発揮するのであり、これはどんな生物にも当てはまることである。それを否定できないのであれば、私たちは過去の事例を反省し、原初の目的を清く持つしかないのではないか。 ----  私は、いったい人間が自然の秘密を暴いていくのは有意義なことなのかというキュリーさんの疑問に対して、マイナスが起こることは容易に予想できるが、私はそれでも考え続ける生物である人間は秘密を暴き続けるのだと思う。進化を続けるために人間は研究を続け、未知なるものを見つけつづけていくのだろう。そのたびにメリットと危険性の隣り合わせの中で正しさを求めていくのだろうと考える。人類は新しい発見から悪にもまして善の方を引き出すであろうと信ずるという言葉に対して私は簡単に信ずるとは言えないと考える。今現在も戦争が起きている中で新しい発見が善の方を引き出すものになっているとは見えない点が多すぎるからだ。それに善と悪というのはとても難しい分かれ目だと考える。例えば、核兵器と核の平和利用は切り離せないともいえるからである。原発の開発によって核拡散のリスクが増大することもあり得るというのだ。朝日新聞デジタルの記事によると、プルトニウムの同位体の中で、核分裂の連鎖反応を起こしやすいのがプルトニウム239といい、米政府などは、これが93%以上のものを「兵器級」、それほど高くないものを「原子炉級」などと分類している。日本は原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出しており、現在、約46トンを保有する。日本の電力業界などは、日本が保有するプルトニウムは「原子炉級」であり、「兵器用に適さない」と主張してきた。しかし、米国のNGO「憂慮する科学者同盟」のエドウィン・ライマン上級研究員は、「原子炉級で核兵器を作れないと主張することは、核物質を厳重に守る理由を失いかねず、危険なウソだ」と指摘する。97年に米エネルギー省が発表した報告書でも、「原子炉級プルトニウムでも、より高度の設計技術を用いればより大きな破壊力を持つ核兵器が生産可能」と結論づけられている。さらに、IAEAもプルトニウムが原子炉級か兵器級かにかかわらず、1発の核爆弾が作れる可能性がある量を8キロとしている。過去には、インドが民生用の原発技術で核兵器を開発した。その件で衝撃を受けた米カーター政権は「核拡散につながる」として、使用済み核燃料の再処理と高速増殖炉の開発にストップをかけることになったと述べられている。ここから、原発の利用から核兵器が生みだせる危険性が読み取れる。核の平和利用が核兵器とつながっているように、善と悪は切り離せず、善にのみ使われると信ずることは私はやはりできないと考える。 (参考)渡辺志帆、小川裕介、”原発の核燃料で核兵器は作れる? 核をめぐるQ&A”、朝日新聞デジタル、2019年12月19日 7時00分、https://www.asahi.com/articles/ASMDJ6T12MDJPLBJ00F.html、(参照2022-10-15) ----