# 11.ロマン主義批評における科学と詩 ・ワーズワス一派は、詩を「感情の流出・表現」とした →詩の真実とは「自発」「真正」「誠実」である ・かつて詩と対立するものは歴史であったが、今は非感動的で客観的な「科学」である →もし科学が真実であるとすれば、詩の真実とは何か? **11.1 実証主義と詩** ・ジェレミー・ベンサム(と功利主義者)は、詩は科学と比べて価値が低いと考えていた ・ベンサムにおける価値の基準は二つである 1:何か役に立つか 2:真実かどうか →詩は役に立つ(しかしピン遊び以下)が「偽りの表現」であり真実ではない →プラトンの「詩人追放論」の復活 ・詩の弁護者は二つの論点で功利主義者に対抗した 1:詩が科学的事実に反することをどのように正当化するか 2:人間への詩の効用をどのように証明するか **11.2 ニュートンの虹と詩人の虹** ・ニュートン『光学』(1704)における虹の分析は、詩人に関心を与え続けた →十八世紀の終わり頃まで、ニュートンの発見は、詩から迷信を排除し、ヨリ真実さを与えるものと考えられていた →しかし詩から寓話など非科学的なものを排除することに疑念をもつ者もいた(特にジョン・キーツ) →加えて十九世紀になると、功利主義者によって、科学の進歩と共に詩を衰退すると主張する者も現れた ・ロマン主義詩人は、科学と詩を対立しないものとして扱う →ワーズワスは、科学の知識は狭く、詩はあらゆる知識のなかに宿るとする →コールリッジは、詩は包括的な人間の活動を扱い、科学を生じる機能をも含んでいるとする **11.3 詩のうえでの真実と誠実** ・ロマン主義の理論家は、科学を真実と認めつつも、詩には科学とは異なった、しかもヨリ重要な「真実」があるとした →このような擁護には様々なパターンがある 1:詩は、それが感覚の世界を超えた現実に相当する、という点で真実である →詩を作り判断する際の基準として想像力に依存する 2:詩が真実であるのは、おのおのの詩が存在し、高度の価値を有し、実際に感動的で想像的な経験の所産であり、その原因である 3:詩は、観察者の感情と想像力を含む、あるいはそれによって変えられた対象と対応する、という点で真実である →科学は既知の事項を、詩は「感動による付加物を伴った」既知の事項を記述する 4:詩は、具体的な経験と事実そのものとに対応するが、科学も、それらを対象にして、分類と一般化のために性質を抽出する、という点では、両者ともに真実である →3の逆、経験で与えられる詩的真実を狭めたものが科学である 5:詩は、それが詩人の精神状況に対応するという点で、真実である →科学は「事実の記述」、文学芸術は「魂と結びついた事実を対象にし、特定の固定を、その趣向、その意志と能力に応じて、表出したもの」 →誠実さがひとつの審美的基準になる **11.4 真実でも虚偽でもないものとしての詩** ・前章のロマン主義理論は、科学とは別種の真実性があるとして詩を擁護していた →コールリッジの影響を受けたジョン・スチュアート・ミルは、これまでとは全く違う「詩の擁護」の理論を打ち出した →それは、かつての「模倣」としての芸術観と決定的に決別するものであった ・ミルによれば、科学は「自らを信仰に向け」、詩は「感情に向ける」 →雄弁もまた感情に訴えるが、雄弁が「手段として」感動を表現する一方、詩は「感情をそれ自体の目的として表現する」 ・詩は真実の基準から除外される →科学が提言であるとすれば、詩は審美的な思索の対象を提供するだけである →詩は非提言的なものであるから、その内容が真実であるかは問題にならない **11.5 ロマン主義の詩のもつ効用性** ・イギリスのロマン主義詩人が、詩と詩人を擁護しなければならなかったのは、フランス革命直後という社会的混乱の時期に生きていたからである →詩人は社会の中での詩人の立ち位置を模索していた ・詩的価値の理論は大まかに二つに区別できる 1:詩は固有にして唯一の価値を持つ 2:1に加えて、詩は道徳的で社会的な効果を及ぼす手段として、外部的な価値を持つ ・ワーズワスは詩の社会的機能(2)を重要視する →詩は、読者の感受性や共感を育てることで、道徳的にさせる →すなわち詩は「自己陶冶」として社会に奉仕するものである ・シェリーは、詩は美しいのみならず真実で善なるものを内包しているとする →詩が与える想像力は、個人が自己をほかの人々と同一化する機関である →詩は「同胞意識」を育む ・マシュー・アーノルドは(ワーズワスやミルの)詩を擁護する理論を、宗教の領域まで拡大した →アーノルドの時代には「科学と詩」という対立は「科学と宗教」に代わっていた →「宗教が、科学と対比された詩とともに崩壊した結果、宗教が詩に変貌し、詩が一種の宗教に変貌したのは、ヴィクトリア朝初期のことであり、このときこそ、すべての叙述が明確に、あるいは暗黙のうちに、想像性か合理性、表現性か主張性、という三つの完全な形態のいずれかに投げこまれることになったのであった」
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