# ②戦後 * 戦後の米国では、ソ連との**冷戦**下における経済成長と国際情勢が黒人の劣悪な生活に対して変化をもたらす * 人種問題の解消の国際社会への**アピール**でソ連との**冷戦**を優位に進めたい米の思惑 * 人種問題を表に出さないよう「赤狩り」と称して黒人を攻撃することもあった 逆も然り * 活動家達は非暴力の運動を行ったが、政府や南部白人などの反対派や容赦なく暴力で反撃した。 ## 冷戦下の公民権運動 ### 1.冷戦・赤狩りと人種差別 * ハリ―・S・トルーマン大統領 人種問題に取り組んだ初の大統領 ルーズベルト大統領の死後、トルーマンが昇格就任 1. **米国際戦略**:反ファシズムから反共産へと変更 →赤狩り旋風:共産主義者や容共リベラル派を政治的、社会的に放逐 1940年→1948年 北部黒人200万人増加 黒人票が大統領選の結果を大きく左右し得る →人種差別撤廃の政策 **必須** 2. 1948年**大統領選** ウォレスは撤廃を掲げて進歩党結成 1946年 **トルーマン**(PM)が大統領公民権委員会設置 →委員会が人種差別撤廃の様々な勧告 受け入れる→  南部白人おこ 受け入れない→ 北部黒人おこ → ウォレスに流れる 1948年 トルーマンは黒人票獲得のためこれを受け入れる 民主党大会で公民権法支持の綱領 →南部4州の代議員離脱→ **州権党・ストロム・サーモンド** **民主党は3つに分裂して共和党デューイと戦う** **四つ巴:**【**民**++トルーマン++ vs **民**++ヘンリー・ウォレス++(前VP) vs **民**++ストロムサーモンド++(州権党) vs **共**++デューイ++】 → **トルーマン勝利** →**黒人票の重要性** & 反共産vs非反共産 3. 選挙後 反共産でNAACP を味方につける NAACPは裁判による公民権運動 「**分離すれども平等**」に対する抗議からスタート 4. **ブラウン判決** アールウォーレン最高裁主席判事の奔走により**勝訴** 「隔離は本来的に不平等」 全会一致 最高裁の判決=国家の方針転換 【米国基本原理:人種隔離→**人種差別撤廃**】 ⇔ 一方、アイゼンハワー大統領はその実行には消極的な態度であった ### 2. 黒人の活動開始・南部白人の総反抗 1. バスボイコット運動の始まり 381日 アラバマ州モントゴメリー ブラウン判決を踏まえて人種差別撤廃を目指し、黒人が動き出す 挑戦 1955年アラバマ州モントゴメリーのバス車内で、黒人**少女**が市条例に逆らって白人女性に席を譲らず逮捕された。 同年冬に同様の事件を起こし逮捕された、黒人**女性**のローザパークスはその後、裁判の原告を務め公民権運動の指導者の一人になる MARTIN LUTHER KINGもこの頃指導者に迎えられる(公民権運動は1930年代から行っていた) 1956年 最高裁:人種隔離バスは**違憲** 2. 南部白人の抵抗 南部に公民権運動を広げる黒人と、既得権益を死守しようとする南部白人 →白人による経済的暴力的な制裁 1956年 南部宣言:旧南部11州の上下院議員がブラウン判決を拒否し、人種隔離を発表 ジョージア、アラバマ、サウスカロライナ州議事堂に南軍旗で抗議 黒人を「赤狩り」(=共産主義者であるとして攻撃)した ### 3. 黒人革命と公民権法の成立 1. 高度経済成長と南部農業の変貌 米経済の大成長の一方で貧困も深刻化: 1/4が貧困ライン以下 南部:軍需による食料需要→ 農業の多角化    1950年〜 機械化が進み、プランテーションから近代的大農場へ 黒人小作農は解放、都市へ 2. グリーンズボロ・コーヒーパーティー 黒人学生が食堂に座り込み  人数は続々増加 「グリーンズボロ・コーヒーパーティー」と呼ばれ、全土に広まった *ボストンティーパーティー SNCC(学生非暴力調整委員会) 3. 自由乗車運動の圧力 :K政権を試す 1960年 大統領選で共和党の候補を破って当選した**JFK**は、大都市の黒人票の大部分を確保したことに反し、当選後は 公民権運動に**消極的**であった    JFK は政権の高官に人種隔離主義者を多く任命 →**非**暴力抵抗を掲げて結成したCORE:  長距離バスに黒人・白人が共に乗車  …既に合法  南部白人たちは彼らに暴力で猛攻撃  ⇔FBIなど政府は動かず …差別・暴力を看過 次第に激化するも活動家たちは続行 →2, 3 のような非妥協の姿勢は大人の活動家を動かし、連邦政府も対応を迫られる 4. バーミングハム闘争 1963年 このとき既に、暴力事件は日常茶飯事になっていた 【Birmingham → **Bombing**-ham】 1963年 には逮捕者が3000人に達した 活動家達は「プロジェクトC」として公共施設(図書館・飲食店・公園・白人教会)で座り込み & 大人数で行進  →大量逮捕を**誘発**し、世界の注目を集めようとした 実際、子供達による大行進に対し警察が棍棒や高圧ホース、警察犬で大量逮捕をする壮絶な様子のテレビ報道は、国民の政府への批判・運動への共感を煽った * **ケネディの対応** 米国の**イメージ悪化**に対応する形でケネディが動き出す 人種差別撤廃の交渉を行わせるも**失敗**し、SCLC本部に爆弾が投げ込まれる ケネディは連邦軍を派遣し、人種差別**撤廃**の立場を明確にした。 その後、裁判所の命令により一連の運動は**成功**となった 一方、運動全体で**2万人が逮捕**、**10人殺害** 特徴:**学生中心**→→黒人**労働者階級**含む 5. ワシントン行進 集会には20万人が集まった(白人5万人) **I have a dream** SNCC代表の演説の原稿は**検閲**され、連邦政府への批判などは**削除**された 集会は**非暴力**の範囲で無事に成功 米の人種差別撤廃政策を世界に**宣伝**  ...冷戦を優位に進める為の世界に対する**アピール** 6. 公民権法の成立 公民権法への南部白人による激しい抵抗 →テロリスト  ケネディ暗殺 PMに昇格就任した**リンドン・ジョンソン**は1956年の南部宣言時の民主党員の3人のうちの1人 1964年下院で議案を通過   ⇔ 上院では南部民主党が抵抗:500以上の修正法案、議事妨害の長時間演説 その後上院でも73:27で通過、大統領の署名 公民権法では連邦司法長官に強い権限が与えられ、米市民の差別からの保護のために、連邦の権限で裁判を起こせるようになっていた。 **投票権**の保証、公共施設・教育現場における差別の禁止   +人種に限らずその他の性、出身国による雇用差別の撤廃の禁止   ↑ 人種差別で問題視されてきたアメリカが世界に先んじた ### 4. 投票権法の成立 1. ミシシッピ・サマープロジェクト / フリーダムサマー 深南農村部では公民権法はあまり変化をもたらさなかった  →黒人の**参政権**獲得の運動  ⇔南部は黒人が人口の過半数を占めていたので、白人達の抵抗は必死  →公民権運動を行う黒人たちに物理的・経済的制裁を加えた FBI はこれを**無視**し、あまつさえ、運動を危険視し、**抑圧**していた 活動家:**ミシシッピ自由民主党**を結成 2. マルコム  **!** ++【不十分?】++ 公民権法だけでは今までの苦労は償われないとして武装抵抗を肯定し、白人社会からの離脱を唱えた。 都市黒人大衆の間で支持されたが1965年に暗殺 3. セルマ行進 アラバマ州セルマ 公民権法を違えて黒人参政権が白人に妨害されていた深南部のセルマでは、参政権獲得の為キングの応援を仰ぐ →セルマ〜モンゴメリー:**投票権法要求デモ**(セルマ行進)を行った しかし途中、警察は行進中止を命令し、デモ隊を催涙ガス、棍棒で攻撃。→テレビ  ↑「**血の日曜日事件**」 そして連邦判事がデモの中止を命令 キングは、参政権獲得には政府の支持が必要と考え命令に応じることにしたが、地元黒人やSNCCの活動家達はデモ続行 キングがデモの途中で引き返すのを見た活動家たちとの間に溝 その夜起こった、白人牧師殺害事件による国民世論の高まりに、PMジョンソンは投票権法を決意 4. We Shall Overcome ジョンソン:投票権法を**提案**、テレビ放映 投票権法**要求**の行進:5日間・80km 3200人参加 連邦兵士・アラバマ州兵が**護衛** モンゴメリーで2万人を前にMLKが演説 MLKがモントゴメリーでバスボイコット運動を行ってから10年 その後、投票権法は議会を通過し、ジョンソン大統領が署名し発効 ~1968年 黒人有権者の投票登録率は一気に高まった。