# 背景 「身の回りにある自然、飼い猫だけかも、あとは垂直と水平の人工物しかない」 この発言から全ては始まった。 ## そもそも自然とはなにか。 私たちの生活の中には、一見、自然と人工物という二元的な対立軸が存在しているように思われる。生活の中心には飼い犬や植物など自然に属するものと、水平や垂直の概念を持つ建築物や電子機器など人間により創られた人工物がある。しかし、この簡単な二元的な区分が、現代社会の複雑な自然観を適切に表現することができるのかという疑問が浮上してくる。 > 【自然】 し-ぜん > 1)人の手を加えない、物のありのままの状態。 2)この世のあらゆるものの総称。  イ)人間の社会から離れた立場で考えた(ありのままの)天地万物。  ロ)人間を含めて因果的必然の世界。物体界。 http://subsites.icu.ac.jp/people/yoshino/nature.html (Note: 他にいい定義があればそれを入れる) という定義が存在しているが、この定義で現代社会の複雑な自然観を適切に表現することができるのかという疑問が浮上してくる。 生き物が自然の一部であるとするならば、自分自身も自然の一部であると言えるのだろうか? また、遺伝子組み換え野菜や畑で育てられた作物は、山奥で採れる山菜と同じく自然なのだろうか? 人の手が一部介入している以上、これらを「人工物」と判断すべきなのか? それとも「人の手が加わった自然」という新たなカテゴリが必要なのか? ## ブリコラージュ 昔は竹で竹籠を作っていたが今は、ポリプロピレンのバンドを使いハンドバッグを作る文化がある。(俗に言うハンドメイドである) > ポリプロピレンとは(PP)とは? ポリプロピレンとはプラスチックの一種であり、プロピレンと呼ばれる無色透明な気体を利用することで作られます。 ポリプロピレンは非常に軽いことと加工性が高いことから、一般家庭で使用される身の回りのさまざまな製品に使われています。 https://www.polycompo.co.jp/blog/material/115/#:~:text=%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%88PP%EF%BC%89%E3%81%A8,%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 これは本質的には同じ事なのではないか? 昔は竹が豊富に存在していた(竹はよく育つ)。その中で竹を材料にすることは自然であり、 昨今のPPバンドが豊富に存在している状態では、PPバンドを材料にすることが自然なこととなる。逆にあえて竹を使う事のほうが非自然的な行いと言えるかもしれない。 素材を使って入れ物を作る事、これはとても自然な事である。 鳥は自然を作るように、熊が穴を掘る様に、人は道具を作る。 材料が自然由来かどうかではなく、身近なもので道具を作る事が 人間にとって自然だという可能性もある。 もともと「人工物は自然ではない」という前提から出発しているが、プラスチックやポリプロピレン、コンクリートなども、元をたどれば必ず自然物から由来している。これらは単に自然物に人間が加工を重ねた結果である。 そのため、これら人工物もまた、ある観点から見れば「自然」であると捉えることが可能である。 ## 自然とは ある人間が生まれたときに既に存在しているものは、その人にとって自然であるとの考え方がある。この考えを拡張すれば、現代人にとってはテレビ、携帯電話、クレジットカードも自然な存在ということになる。赤ちゃんや幼児がiPadで動画を見る行為も、その個体にとって自然な行動と捉えることができる。 一方で、デジタルデトックスという言葉が存在するように、技術からの一時的な離脱がブームになっている現状がある。 例えば電波の届かない廃村に行くと、当然ながら携帯電話は使えなくなるが、このような状況は本当に自然に向き合っている状態と言えるのだろうか。 この現代において、携帯電話を持つことが自然な行動であるならば、その逆の行動、すなわち携帯電話を持たない状態は異常とも解釈できる。 私たちは、AIは新たな自然となりつつあると確信している。 その前提の下で、人間の自然な動きや社会の振る舞いは何か、 またこれから取り込まれるであろう自然とは何かについて考えてみる必要がある。 自分達のこの命題に対して、 一つの提案を行う。 # 未開デルタ 「未開デルタ」は、デジタルが広く普及した現代において、従来の「自然」とは異なった「現代の自然」という概念を定義することを目標としたプロジェクトである。