# 第1回 ## 都市を「計画」するという視線 ### 近世までの状況 統計と測量は国家機密である → シーボルト事件 全域的視点は支配層に独占されている 都市の景観を規定しその眺望が一般人には閉ざされた天守閣 ### 近代 国民国家は眺望と地図を市民に開放した → 浅草十二階 全域的視点の内面化は国民教育によってむしろ推進され、都市計画という概念を用意した 空間の諸側面を統御するゾーニング(単機能化)や視線管理 ### ニューアーバニズム ロバート・モーゼス 1950年代のニューヨークを強権的に改造した ジェイン・ジェイコブズによる批判 多様性のための4要件: 1. 用途混用 2. 小区画 3. 新旧の混在 4. 高密度で歩行者的 『アメリカ大都市の死と生』 ヤン・ゲール『人間の街』 ヒューマンスケール、ウォーカビリティ ## 空間と場所 場所 place は主観的に意味づけされている点で単なる空間 space と異なる エドワード・レルフ『場所の現象学』 場所は人間存在の根源である このような立場では、[[近代都市計画]]は空間だけを見ていて場所を見落としていた、と総括される 人々は空間に生きてはいない:目的、人間関係、歴史、などがある 空間を表象する通常の地図に対し、場所を表象する地図「メンタルマップ」がありうる 園田聡『プレイスメイキング』 2000年代以降、日本ではテーマごとに異なる観光地図を作成するのが流行 メンタルマップの可視化・商品化 もえるるぶ東京案内、聖地巡礼 このプロセスは商品化された経験に特権を与え、それ以外を疎外しうる 私企業の構築するAR空間が場所を作る『ポケモンGO』 不忍池にレアなポケモンが出るというのでプレイヤーが集まり、辯天堂が境内でのアプリ利用を禁止する事態に # 第2回 ## 都市分極化仮説 カステル『情報都市』、サッセン『労働と資本の国際移動』 ### 世界都市から全球都市へ 世界都市:国家の首都が帝国主義的に拡大していき世界から人と物を集める 脱産業化 70から80年代のオイルショックに端を発する、先進諸国からの製造業の撤退 組織化された安定雇用の縮小:ポストフォーディズム その中で、産業ごとに全球的な産業構造:サッセンの言う「グローバルサーキット」が形成されていき、その中で本社機能が集約された場所が全球都市である ムニョス『俗都市化』:「拡散的集中」 90年代、きたる情報化によって都市の時代は終わると思われていた 郊外に小さなクラスター(「エッジシティ」)が形成されてそれが連なった地理空間になるのでは → そうはならなかった 拡散を可能とした技術的革新こそが、中心都市への集積を加速させたのだ むしろ近接的な情報のやり取りの価値が相対的に上昇したのでは → 第3回 全球都市 多国籍企業管理部門、金融、それを支える会計や法などの生産者サービスの集積 コスモポリタンなエリート層は集積しながらも全球都市間を自由に移動する:バウマン『グローバリゼーション』における「旅行者」→ かれらを呼び込むにはどうすればよいか、という都市政策上の課題の出現「資本は自らに適合的な空間を生産する」 これは世界都市とかなり状況が違う:世界都市は国家の威信によるのであった 全球都市は旅行者とそのためのアコモデーションが国家の威信と無関係に都市の国際的地位を定める ドバイやシンガポールを見よ、かれらは帝国ではない バウマンの世界観:自発的に流動しどこでも歓迎される「旅行者」、どこへ行っても歓迎されない「放浪者」(難民など)、その間の動く動機がないマス層 再生産労働:生産労働を反復できるよう支える家庭などの役割、および世代再生産 性別と結びついている ケアワーク、エッセンシャルワーク エリート層を中心にこの構造が崩れ、再生産労働が市場化されている 上二項の帰結 → 全球都市では、旅行者が生じさせる再生産労働の需要を放浪者が満たす 流動的な上下端の二層が集積し、都市は**分極化**する イデオロギーとしての全球化 日本では「国家戦略特区」(2014-) 指定エリアで大胆な規制緩和を行う - 建築物整備 東京の容積率緩和 - 専門職人材政策 「創業人材」、「高度専門職」、「外国医師に関する特例」、 - 再生産労働 「外国人家事支援人材の特例」 アジアヘッドクォーター特区エリア 園部『現代大都市社会論』 ## 認知地図の分極化 バブル期の日本の外国人流入研究『外国人居住と変貌する街』 このときに形成された構図が今もあまり変わらずに残っている なぜか → 移住システムによるチェーンマイグレーション 移住システム:移民コミュニティの互助機能のこと 選別、水路付け、促進が行われ、正帰還によって ethnic enclave を生じる チェーンマイグレーション:同じ場所に連鎖的に移民が来ること アメリカ人:家族を帯同し、渋谷から西側の目黒区・杉並区に居住する インターナショナルスクールの分布が相関する バブル期の頃はこの層の共働き比率が高まっており、それに伴って都心回帰が起きていた(家庭の役割が弱くなるので住宅地を離れる) 中国人:新宿以北、日本語学校の集積 この頃は元来単身上京者向けだった木造アパートが中国人留学生の居住地へと変化していた これまでの間に、かれらは社会的に上昇していくにつれて郊外へ動き、今は埼玉県南部にも集中している ブラジル人:中部・東海地方の内陸部企業城下町に集住 これはかれらが日系ブラジル人であり、バブル期に3世までの定住資格を付与する政策が始まったので身分に制限のない在留資格を有しているため 家族丸ごとやってきて大企業に就職し、属性バランスがよい フィリピン人:女性比率が高い 80年代から周辺ビジネス街(赤羽、錦糸町、蒲田)のパブなどへ 主要顧客は現地の中小企業に務める日本人男性で、かれらと結婚して家庭に入っていく 南アジア系ムスリム:バブル期にはとても多かった ほとんどが観光ビザで入国した不法就労者で、好景気の中で労働者を買えない零細工場に就労した 入国管理局もこの地域からの移民を想定していなかったため、80年代にビザ免除協定を結んでおり、バブルの始まりとともに急速に流入した 城北城東から埼玉県・群馬県へ定着 東武伊勢崎線沿線「ムスリム街道」 2000年代に不法労働者対応が厳格化し、コミュニティはほぼ消滅した 現在川口にいるクルド人コミュニティはこのときのイラン人の中のクルド系コミュニティが起源であったとされる エルドアン政権後、現地のクルド人コミュニティ内で難民申請先として日本が検討される理由となった 移住システムの機能である 既存の社会的分断線に沿って、空間的に不均等に発現する パキスタン大使館は有栖川にある パキスタン人が東武伊勢崎線から日比谷線へ乗り継いでここらへんに来ると、東急東横線から来た欧米人と接触し、このあたりで乗客の国籍分布が急転換する ## 人種化された認知地図 LAの認知地図の研究 アングロサクソン系の住むウェストウッド地区、アフリカ系のアバロン地区、ラテン系のボイルハイツ地区 それぞれでLAの地図を描くように聞くと、この順に認知地図のサイズが急激に小さくなる ![Pasted image 20250415120841](https://hackmd.io/_uploads/S1PQmOjCJl.png) ラテン系は不法就労者が多く、運転免許を有していないので機動力がない アフリカ系は機動力を有していてもコミュニティ内で閉じている # 第3回 欠席したので、プリントの内容をそのままここへ写す。 ## 人種化された認知地図(続き) 「危険地帯」認識の形成 「女子中学生突き落とし事件@高田馬場」の報道 → サブカル、「警察密着24時」的な報道番組の影響 「無法地帯」としての池袋-大久保-歌舞伎町の想像 ILO によるパリの履歴書送付実験 面接到達率は都心在住白人、郊外在住白人、都心在住アラブ系、の順に低下する 東ロンドン(Isle of Dogs)の認知地図の研究 M.Keith, P.Cohen, L.Back 白さを含意する Islander というアイデンティティ East Ender と対比される 土地のオーセンティシティをめぐる紛争、カナリ―ウォーフ再開発でのアイデンティティ再活性化 ### 記憶と歴史の選択 積極的に消去される記憶と歴史:台東区の旧町名復活議論、下谷万年町 多文化都市での歴史と記憶の選択 ドロレス・ハイデン『場所の力』 ボストンにおける、周縁化されてきた声に耳を傾け社会的な記憶や過去の共有を試みる協働 場所のアイデンティティの複数化を図る ## シティセールスと都市化競争 フロリダ『クリエイティブ資本論』 知識産業化による集積効果の増大、「都市の時代」再び 多様な人材の集積がもたらす創造性の増大、組織の一体感と速度を重視する対面コミュニケーション、労働の自発的長時間化、性別役割の解体による職住近接 一方、都市の外部不経済の解消も続いた 交通渋滞、通勤地獄、大気汚染など → 都市におけるイノベーションが牽引する経済成長、フォーディズムを確立したラストベルトの衰退 グレイザー『都市は人類最高の発明である』 日本では、渋谷のオフィス物件高騰、IT企業の「2駅ルール」 流動性と集積性がともに高い人々をどう集めるか、都市政策の問題 モレッティ『年収は「住むところ」で決まる』 社会階層格差よりも居住地格差が大きい creative class の趣味にあった都市アメニティ=個性・伝統・多様性への開放性を備えたまちづくり 観光→MICE誘致→人材誘致 という一直線の政策 都市や空間そのものの商品化、オーセンティシティの追求 ズーキン _the Culture of Cities_ 経済が文化を生むのではなく、文化の集積が経済を牽引する時代への転換 場所のアイデンティティの高まり、伝統の商品化、空間の消費・売買へ → 全球化の中での地域文化の再興 # 第4回 前回は観光政策と全球都市化政策が同じ方向性を目指すようになるので両者が一体化するという話があったらしい ## コロナ禍 オフィス需要が減退した 2021年は26年ぶりに東京都の人口が減少 都心回帰の時代は終わったかと思われた 26年前というのはちょうど情報化の初期で、そこにバブルによる地価高騰が重なりドーナツ化が進んでいた それ以来都心回帰が起きていた では2021年はどこにだれが転出していたのか? 絶対数としては近隣の関東圏への郊外化が起きたように見える 一方、2年前からの転入増加率で見ると軽井沢とか湘南とかは確かに出てくる しかし、その後の研究ではコロナ禍で移民管理が厳格化したことで外国人が転出したという要素が大きいともわかった 実際、23年には東京都人口は転入超過に戻った 都市が都市である本質的要素:流動性、密度、多様性 これは感染症を拡大する要素とほぼ同じであるので、感染症対策は都市の本質を直撃する 多様性は特筆を要する 日本では最初クラブハウスが、次は夜の街がクラスター源として非難の対象となったが、これは韓国やマレーシアでは宗教施設が、シンガポールでは移民集団が同じような扱いを受けた 都市には様々な少数派が活動しており、それらが有標化されて攻撃対象となった、ということ →実質的には、「都市が都市であること自体が悪い」に近いような社会状況 都心回帰の時代は都市の集積によるデメリットの解消も一因だった 脱産業化によって都市から工場がなくなる、環境規制や衛生インフラや交通政策で住みよくなる、など(_Triumph of the City_) しかしここで再来したのは集積に対するもっとも古い脅威である感染症であった 災害の機能:東日本大震災からの教訓 災害は時代の潜在的な趨勢を一気に加速させる また、元来あった性質を顕在化させ増幅する しかし、災害によって顕在化した既存の課題をラディカルに解決しようとする動きは、通常復興と時間経過によって元に戻ってしまう 2018~19年あたりはナイトエコノミーのために鉄道は終夜運転をすべきだという議論が盛んだったが、コロナ禍で繰り上がった終電は元に戻っていない 日本はコロナ対策の強化・延長を求める意見が常に大多数を占めるという点で世界的に珍しかった これはなぜかと考えると、高齢化、貧困化、コミュニケーション忌避の人口が相当な割合いたということなのではないか、という仮説 ## 均質化/差異化とジェントリフィケーション ### [[脱場所化]]・[[脱魔術化]] オフィス街の光景が世界的に均質化しているという話 歴史的文脈と切り離され(脱場所化)、コスモポリタン化している これは「フレキシブルな空間の生産」である:全球的な旅行者層は様々な背景を持ってやってくるので、文脈の強い空間は機能性の面から適切ではない また、その周辺の商空間も同様に全球的チェーンによって均質化している ジョージ・リッツァ『マクドナルド化の世界』における「脱魔術化」 脱魔術化が起こるからこそ、無秩序な「再魔術化」が起こるという論 お台場には(最近は潰れ続けているが)自由の女神が、昭和風の商店街が、小香港が、ヴィーナスフォートが、ガンダムが、お台場という場所の文脈と全く無関係に人工的に構築されている あるいはドーハのショッピングモールの中にはしばしば小ヴェネツィアがある ドーハという都市はショッピングモール街が延々続くような都市構造をしている、大きな原因は屋外環境が過酷であるために通常の商店街が不可能なこと、および元来文脈のなかった土地における全球都市の急速な拡大である → こういった現象を「再魔術化」と呼ぶ こういったことは、脱魔術化がまず起きていないと、ただ不格好になるだけである ### 均質化・差異化 デヴィッド・ハーヴェイ『ポストモダンの条件』 資本は差異を求めて移動する そのため、「空間のセールス」が必要となる 都市でこれが起こるとき、[[シティセールス]]と呼ぶ 単機能的なゾーニングに似た形で、但し機能だけでなく意味までも単一化されて演出される それは代替的な意味の消去を伴う 言い換えれば、必然的に意味の選択がある ムニョス『俗都市化』 差異のマネジメント、という概念 空間のセールスのためには条件がある: - 比較可能なプラットフォームの形成 たとえば、美術館で美術品を比較するとき、それらは同じ作りの(白くて平らな)フラットな空間で展示されていることが重要だ(「ホワイトボックス」) 同じことが都市空間の比較においても成り立つ ホワイトボックスは普遍的な、あるいは安心安全清潔な、都市インフラ - イコライジングのような作業 意味を選び、その振幅を整える これらを満たしたうえで空間のセールスが行われる そこでは[[均質化と差異化]]が同時に進行している 途上国に行くと、都市は暗く汚く危ない そこにどのような歴史文化的魅力があったとしても、安心安全清潔が担保されていなければ、訪れる対象にすらならない 都市インフラが達成されていてはじめて評価の対象になる パキスタンのカラチに行った話 爆弾テロがあるし停電があるし値札はまったくない 一方、現地では高級店となっているマクドナルドなどは店内で安心安全清潔が局所的に確保されていて、先進国世界のバブルになっている リチャード・フロリダ『クリエイティブ資本論』 創造都市論 多様性を確保した場所に創造階級(creative class)が集まり、経済成長を促す つまり、文化が先にあって経済成長が後で起こる時代に転換したのだという議論 フロリダの言う「多様性」は内実が怪しんじゃないかという議論が巻き起こった 挙げられていた「多様性インデックス」は、性的少数者、ボヘミアン(芸術家的な人たち)、外国人、の3つであったが、ここからは人種と民族性の議論が欠落している _A Companion to the City_ フィル・コーエンによる寄稿 文化的少数者は資源になるが、貧困は資源になり得ない:「文化資源論」 フロリダの議論はこれに沿ってしまっている もとの話に戻ると、都市インフラの整備は貧困などの撹乱要因の排除を伴い、それは不可視化され、その上で「多様性」などの差異が踊っている、という構図になる ハニガン _Fantasy City_ における「衛生化されたお祭り騒ぎ」 美術館では美術品を時代や潮流で並べる:雑多なまま見せるということはできない 記号化、演出、マッピングが起きる マッピングというのは、本来混交とした現実を地図の上に整理すること 文化的ゾーニングと言える 同様の現象を、都市ではないが多文化社会論として書いた本にオーストラリアのガッサン・ハージ『ホワイト・ネイション』がある 多文化は雑多に存在するが、多文化主義政策はその輪郭を明確にしていかないといけず、これを動物園にたとえている つまり、都市の多様性が演出される過程で、都市の中の地区の単位ではむしろ均質化が起きている ニューヨークがリトルイタリーを演出するとき、リトルイタリー内部ではイタリア人でない住人もイタリアン料理店を開くようになるだろう まとめると、インフラ(不可視部)の均質化、その上での差異化、その差異化の内部でのマッピングによる小さな均質化、という3面構造になっている # 第5回 ## [[ジェントリフィケーション]] 60から70年代の英米の郊外化、それによる都心空洞化 ロンドンの場合:チューブ料金区分のゾーン2「インナーシティ」 都心地域(ゾーン1)の直接周縁 ゾーン1はCBDだからいいけど、ゾーン2は画一的にゾーニングしづらい オフィスもあれば工場もあり、歴史的な商業地区もある ドックランズもここに入る 東側のホワイトチャペル駅のブリックレーンはリヴァプール・ストリートからゾーン2への入口で、カレー屋が並ぶ ドックランズとともにアジア系が多い 一方、南側は黒人系が多い ブリクストンはビクトリア駅から地下鉄で10分 これらの場所はゾーン1からかなり近いにも関わらず近代都市計画では遷移的な立ち位置になっていたため荒廃しており、ここへ80から90年代に不動産開発が入ってきた 潜在的な賃料と実態が噛み合わない「レントギャップ」 その過程でもともとあった移民コミュニティなどは「買い負ける」ことになり、立ち退かざるを得なくなる ブリックレーンに2015年にできた indigo という店がめちゃめちゃ美味しかったらしい 要するに、元来あった文化要素が消去されたというわけではないのだ しかし元来あったコミュニティに提供できるような価格帯ではなくなっていく 「審美化」aestheticization という語も使われる 差異のマネジメントが効いていて、観光客が入りやすくなる 『ニューヨーク烈伝』高祖岩三郎 ジェントリフィケーションが現代的階級対立の最前線だと主張している 2015年、ブリックレーン北側にある「高級シリアル店」が襲撃される 貧困な食事であるシリアルの高級化・トレンド化 店名が Cereal Killer Cafe で、これは東ロンドンでは切り裂きジャックを参照している 殺害現場を巡る「切り裂きジャックツアー」なるものもある ブリクストンの場合、ハラール食品店や黒人向け化粧品店などが集積し、国民的にはレゲエの聖地として有名 レゲエはここのジャマイカ系住民の文化に由来し、70年代くらいから音楽ジャンルとして全国的に確立した _Loft Living_, Sharon Zukin まず marginal gentrifier が現れる ブリクストンでは、レゲエ好きの芸術家層がやってきて、地価が安いのでスタジオやアトリエをそこへ開き始める 80年前後 すると不動産業者が入ってきて、商業施設のリニューアルが起き、創造階級が流入 yuppy: young urban professionals yuppification すると、最終的に当初の marginal gentrifier すら買い負けるようになり、かれらまで退去させられていく マンハッタン北部ハーレム ブラックミュージックの聖地であるアポロシアター 前世紀はアポロシアターまでタクシーで行って終わったら直帰しないと危ないとか言われていた、今は普通に歩けるが グラフィティのアート化というのがある、H&Mが店舗外壁に自らグラフィティ的なデザインを入れているとか art washing と言われる 元来の自由なグラフィティは vandalism として厳しく規制されていく appropriation 奪用されていく ### 日本 大阪西成区釜ヶ崎 高度経済成長期に「寄せ場」が形成されたエリア 寄せ場というのはホテルという建前で実際には一日あたりで賃料を取る集合住宅で、生活空間であった 日雇い労働者がいると取り立てでヤクザが来たり、雇い主たちも随分治安の悪い業界だったりする さらにそこへ左翼運動も関与してきて過激化していく 90年代なかばにバブル期の寄せ場高級化によってゲストハウスと福祉マンションという2形態に変わっていく その過程で一時的にホームレスが急増した ゲストハウスは事情を知らない外国のバックパッカーを集め、高級化 福祉マンションは当時の世代が高齢化して生活保護に入ったのが集住している 生活保護は捕捉率が非常に低いが、高齢者に対してだけ捕捉率が高い 2010年代後半から、「新今宮ワンダーランド」というものが始まり、21年に星野リゾートが巨大なシティホテル OMO7 を建てた 「ディープ」の商品化 公式サイトには「労働支援の聖地」のフレーズが踊る 貧困は差異として商品化しにくい([[創造都市論]])のだが、そこをやや無理にやっている側面がある ホームレスの審美化など かつての日雇い労働者は「もういない」 むしろ残った負のイメージの払拭が現地では重要課題だと見なされるようになっているので、現地での再開発支持は強い また、新しい世代のホームレスたちがこういった既存の福祉サービスのある地域を避け、個人化してネットカフェなどに行っていることを踏まえ、イメージ転換は福祉共同体として新世代を受け入れるために必要ではないかとも思われている ### シンガポール 80年代からチャイナタウンが大きく変化した リリコーンの論文 シンガポールは70年代に高度経済成長があり、同時に観光客の激減を経験する 政府はアジア的な魅力を失ったからだと分析し、自らをアジア文明のゆりかごと位置づけてエスニックなエリアを残すべきだという考えになる → 補助金や法制を使って業種を誘導し、21世紀にかけてそれを生活空間から市場価値のある観光空間へ変貌させた 文化的ゾーニングの政策としての発現である Chinatown Heritage Centre という歴史的経緯を展示する博物館が残っている 『ブルックリン化する世界』森智香子 ### [[京都のオーバーツーリズム]] 舞妓のプライバシーが消滅している問題に対し、地元商店街が通りごと観光客立入禁止とする事例 あるいは外国人ばかりが行く「舞妓シアター」 一方で、舞妓は伝統的には非常に閉じた文化(一見さんお断りなど)で、強い資本と社会関係資本を有した男性のみが楽しめるものだった それがポップカルチャー化していくことは評価できるのではないか # 第6回 2000年代前半ロンドン市長ケン・リヴィングストン 左派系の人物で開発を規制 ロンドン五輪を控えて開発推進を掲げて選挙に勝ったのがボリス・ジョンソンであった 開発規制を大規模に緩和するとむしろ住宅供給が十分に入るので家賃が下がるのではないかという考え ## 都市と犯罪 2000年代中頃からの監視社会批判 『ホラーハウス社会』:地域パトロールのような活動や防犯カメラ設置の盛り上がりに対する批判 [[体感治安論]] 日本の刑法犯認知件数は2002年から下がり続けていた それにもかかわらず犯罪は増えていると感じられ、それが監視社会化を招いた 時と場所によって少年犯罪、性犯罪、外国人犯罪などへの不安が高まり(異質な存在への不安が広がることをモラル・パニックという)、防犯サービス市場が拡大したりした 監視される不安よりも見守られる安心感を感じる マイク・デイヴィス『要塞都市LA』*City of Quartz* 「[[疑似公共空間]]」公共空間のように普段は見えているんだが、実際には私有化されていたり監視されていたりして真の公共性は確保されていない ケープタウンの例 アパルトヘイトの「ホームタウン」に由来する低開発・劣悪環境の黒人居住地 実際の市街地は治安が悪すぎるので、gatekeep されたショッピングモール内ではじめて自由に歩ける → ショッピングモールが疑似公共空間になっている 実際には見かけの公共性は私有地ゆえの排除力によって可能になっている 天王寺公園の例 パークPFI 本来真の公共空間だった場所が、資本導入によって疑似公共空間となる 新今宮の隣で、70年代から2000年代までは公園に屋台が立っていて日雇い労働者らの週末の遊び場になっていた カラオケ屋台とかあった 排除の第一段階として、柵で囲ってその内側は有料化し、ホームレスは緑のない通路エリアへ その後、2016年に夜間封鎖が決まり、天王寺芝生公園として整備が始まった 同様の空間が完成した例として、東京では南池袋公園がある [[排除型空間]] ベンチの仕切り、ホームレスが滞在しやすい隙間空間を埋め尽くすためだけの謎オブジェ 環境管理型権力と呼ばれる権力行使 規律訓練型権力から環境管理型権力へ 後期近代的と言われる > ミシェル・フーコーがパノプティコン(一望監視施設)を用いて近代を成り立たせる権力の様式を論じた「規律訓練」に、ジル・ドゥルーズは「環境型」の新たな形式を対置しましたが、これを受けて東浩紀さんは「規律訓練型権力」から「環境管理型権力」という現代的な統治の形態の変遷を描きました。 [暮らしの利他——公共圏におけるモノと身体](https://www.fhrc.ila.titech.ac.jp/report/%E7%AC%AC15%E5%9B%9E%E3%80%80%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E5%88%A9%E4%BB%96-%E5%85%AC%E5%85%B1%E5%9C%8F%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%81%A8%E8%BA%AB/) 人間を規律するのではなく、環境や空間の設計によって人間を統制する 足立区北鹿浜公園の例 2000年代なかばはヤンキーのたまり場だった 2009年から2010年の1年間、[[モスキート音]]を流す社会実験を実施 [[宮下公園]]の例 2010年 ナイキがネーミングライツを取得し、「ナイキパーク」としてボルダリングウォールやスケート場を整備しようとした → 大反発が起こり、ナイキは整備だけしてネーミングライツを放棄 ホームレスは公園自体からは排除されたが、周囲にまだ住んでいるという状況 ナイキを最初に呼び込んだのは当時無所属議員だった長谷部氏、現渋谷区長 その後三井不動産が開発を引き継ぎ、商業施設の屋上を渋谷区に公園として提供することで法定緑地面積を確保し続ける今の案となった ひとつの空間に様々な意味を読み込み多様な認知地図が共存しうるようであるべきところ、商業主義によって一色に塗られていく ニューヨーク [[ブライアントパーク]]の例 タイムズスクエアから歩いて数分  90年代前半までは非常に危険な公園として有名だった 90年代なかばからジュリアーニ市長が「割れ窓理論」に基づいた強力な犯罪対策を開始し、その後 BID; business improvement district:非常に強力な町内会で、ニューヨーク市への税金をこちらへリダイレクトできるような地域組織を可能とする制度で再開発が行われた オフィス街だったため多額の法人税由来の BID 賦課金が入り、現在ここの BID は1億円単位になっている BID という制度はニューヨーク市内の地域間格差を増大させる装置として批判されている # 第7回 『割れ窓理論による犯罪防止』ケリング、コールズ 通俗的な理解とかなり違う community policing が重要なのであって、割れ窓が放置されているような共同体の self neglect が問題なのだ 70~80年代、アメリカは治安悪化が進んで警察力のキャパシティを超え始めていた そういう文脈において、自ら治安を維持できる共同体建設を唱えた議論 北鹿浜公園:モスキート音はすぐにやめたが、報道されて地域の関心を集めたため、その関心が抑止力となり、ヤンキーは戻らなかった 吉原直樹『開いて守る』 地域住民がお互いを知ることがモラル・パニックやその他の社会不安対処に重要 「[[協治型セキュリティ]]」 上野、商店会と警察が協力した客引き防止パトロールの例 移民店舗主にとっては、地域のお祭などと比べて目的と利害一致が明白なため、共同体参加の第一歩として機能しているらしい 言い換えれば、新しい人たちが地域で社会関係資本を築く入口になっている アメ横、完全に道路交通法に違反した路上への店舗展開「出幅営業」 3坪で月50万円というような、路上営業前提の地価水準となっている ただし、無法地帯ではない 店舗敷地から道路へ2m出たところに2000年くらいから勝手に黄色い線を引いていて、これが守られている 警察も実運用としてこの基準まで容認している アメ横はふつう道路幅が8~9mある 両側2mだと間に4mは空くので、緊急車両も通れるだろうという考えなのだろう どういう話かというと、ここでは公権力を導入して治安維持をするのは適切でない 商店街の魅力を保つためにも、移民店舗ときちんとコミュニケーションをしていく必要が生じ、これが移民を包摂するきっかけになっていると言える アメ横もいくつかの商店会連合会に分かれていて、場所によって2mルールの徹底度は違うのだけれども、ルールを enforce できている場所のほうが移民包摂にも成功している 「ほこみち」:歩行者利便増進道路 歩道幅員が3.5mあれば、歩道の残りの幅員を商業活動などに使って良いという制度 今のアメ横はこの制度による公認を目指している ## モビリティの増大とその歪み 全球都市は集積性と流動性がともに高い 前半は集積性に注目してきた 後半は流動性の話をしよう 1980年代 [[空間論的転回]] アメリカ都市社会学の黎明地はシカゴであった 19世紀アメリカの地理 中西部の穀倉地帯を五大湖へ集積し、水運で輸出する 20世紀に入ると、五大湖地域は重工業地帯へ転換して栄えた 1900年前後にシカゴは爆発的人口増を経験した 工業地帯を目指す南北戦争後の解放奴隷、第一次世界大戦が近づくにつれて情勢不安を脱出しようとする東欧・イタリア系など このようなアメリカ最初の異文化共存空間の中で、その混沌を理解し整理するため、フィールドワークによる実証的・問題解決的な「シカゴ派」都市社会学が勃興した 1910~20年頃のことである ルイス・ワースなど 彼らにとって、多様な都市住民とそれが引き起こす秩序と無秩序は、所与のものである 言い換えれば、それは自然を観察するような、生態学的視点であった 1960~70年頃になるとこれには批判がされるようになる シカゴ派は自己完結的である そもそも都市とその諸力はいかなる資本の流れの中で生まれてくるのか、ということをこそ問うべきだと言われた 都市は箱庭ではない 一方で、マルクス主義的な社会理論の革新も起きていた マルクス主義は史的唯物論に依っており、時間感覚は有するが空間感覚が非常に弱い それは無茶苦茶な世界同時革命の思想にも現れているのではないか 南北格差は単なる資本主義の発展段階の時間差ではない;共時的な不均等な空間配置は積極的に資本主義システムの一部として機能しており、待てば「南」が「北」と同じ場所に来るとは限らない 以上のふたつが合流し、資本主義経済を空間の中にあって空間を経由して機能するものと捉え、それを介して都市や移民を理解する学術潮流が出現した これを新都市社会学といい、この転回を空間論的転回という 初期の提唱にはデヴィッド・ハーヴェイ『ポストモダニティの条件』がある ハーヴェイは地理学者であるので、自然にマルクス主義の影響が大きい ### ハーヴェイ 全球化とは時空間の圧縮である フォーディズムの限界:工業製品は作りすぎても買う人がいなくなる、特に普及段階が終わると小ロット生産に転換し、速いペースで新しいトレンド(差異)を開発企画し生産に乗せるというサイクルを回さないといけなくなる 同時に、情報化も起こった → 生産体制と労働の柔軟化、文化産業(広告やブランディング)が重要になり、規格化可能な工場群は周辺部へ移転される:周辺部フォーディズム 「規格化可能なものから周辺部へ空間的に移転する」 規格化可能という単語が重要で、これはまったく肉体労働に限定されない オフィス街の事務処理も規格化可能である:日本企業のバックオフィスは日本語話者の多い大連に集積している 2010年頃にグレーゾーン金融の規制が強化されたとき、サラ金会社との手書きの契約書をデジタル化して処理する労働を日本企業は大連にアウトソースし、その結果として大連には「日本語は話せないが、どんなに汚い手書きの日本語文も読める」人材とその育成システムが出現していたらしい どの部門が世界のどこに立地しどこに結節点を置くのかということがリアルタイムで決定され、その柔軟なネットワークが世界経済の本質となっている ### カステル [[マニュエル・カステル]]『都市・情報・グローバル経済』 情報経済化 専門職層の台頭と労働者のインフォーマル経済への切り下げ ある種のサービス業(飲食、介護などの再生産労働)は移転不可能である そのために、これらだけは専門職層を追って全球都市に集積し、都市が分極化する 国際分業が加速化することで、「所在の空間 space of locality」が「フローの空間」へと移行していく イオンモール土浦の例 土浦は霞ヶ浦沿いの城下町として発展した場所で、イオンモールの出現で衰退したというお決まりの話があるのだが 霞ヶ浦で穫れたわかさぎなどを地元の醤油で煮た佃煮が名物である 出羽屋や小松屋などの老舗 これらがカステルの言う「所在の空間」である 原材料には場所の必然性があり、佃煮にも当然特段の場所的な意味がある いかに商店街が寂れているからと言って、土浦での商売をやめるか、近くの賑わっているつくばに移転するかというと、そうはならない 一方、イオンモールはなぜここに来たか? 土浦にこだわりがあるのではない ここに投資すると回収率が高いという判断によって無文脈にやってきたのである 投資を回収してしまえば、流通インフラ群を再投資して更新する必然性はイオンモールにはない 言い換えれば、イオンモールの本体は土浦にはなく、全球的なネットワークという抽象的存在の中に浮いているのであって、特定の場所と結びついていない イオンモールにとって事態が悪化すれば(人口動態予測などで将来が暗くなれば)、躊躇なく土浦から撤退するであろう!イオンモールは「フローの空間」として土浦を見ている 世界をネットワークの一時的な(代替可能な)結節点として見て、それが急速に空間を再編し続ける、そういう世界になっている 所在の空間はフローの空間に圧倒されていく このような事態の中にあって、人間のライフサイクルはどうなるのか イオンモールの顧客や従業員のライフサイクルはイオンモール自体のその場所に対する時間的感覚よりもずっと長い → 食料砂漠問題、失業問題 ラストベルトもこういう話であろう:フォード社にとって五大湖地域はネットワークの中の脆弱な結節点でありそれを速やかに解消したが、労働者にとってはそういう話ではない ### バウマン『グローバリゼーション』 モビリティ(可動性)によって社会が分断され、階層化されるのである 旅行者の「自己隔離化」傾向について話している ドバイの人工島は象徴的である 現住コミュニティと完全に切り離された世界に生きていて、特に中東では本来イスラム教国であるところへ西洋的な自由主義的空間の泡が作られ、そこに旅行者は自己隔離している # 第8回 ### モビリティ・スタディーズ 移動の差を社会編成の重要な変数として考える社会学の一分野 ### ジョン・アーリ 『モビリティーズ』 もともと観光研究の人だった カステルと同様の、ネットワークと結節点に社会が再編成されているという世界観 一方、カステルなどが情報や資本の動きに着目している一方、アーリは身体性に関心がある 私たちのくらしの中で、移動が常態化してくるのである これにはバーチャルな移動が含まれる リモート会議はそうだし、あるいは SNS で全く違う場所の人々の生活空間に没入するような状態も含まれるであろう 従来の社会科学は「定住主義」を暗黙に前提してきていた 移動を追いかけられる社会学に展開しなければならないのだ:移動論的展開、mobilities paradigm citizenship 市民権 どれだけ十全に権利を持っているか これがネットワークへのアクセスで、言い換えれば移動の可能性で定まっている ネットワーク資本:移動する力、人間関係を移動の中で維持する力 具体例としては、ビザ、人間関係、運動能力、通信インフラ・デバイス、安全性 これらが調整され資源として機能していないといけない 先進国においてこれがもっとも顕著に立ち現れるのは災害時かもしれない ### 災害とモビリティ 私たちは普段フローの空間に生きているが、大災害が起きるとそれらの流れは寸断され、情報や資源はローカル化する すると当然、旅行者たちは困ってしまう:東日本大震災のとき、たとえば CNN や BBC を見ていても近所の給水所の情報は手に入らない また、海外メディアは原発事故の状況を過大に報道し、エリート層に過剰反応を引き起こして大量の国外脱出が起きた 技能実習生は年契約なので年に何回も回せる作物が向いている、なので技能実習生を大量に導入してナズナ(年6作)を作る農業類型がある 茨城県の話 東日本大震災当時は中国人が最も多かった 中国大使館から直接電話がかかって逃げろと言われ、パニック的に全員逃げていった すると後日、知らない実習生送り出し団体から人が来て、タイやベトナムの技能実習生を売り込まれた 要するにその団体が大使館を騙っていたのである もちろん、職場に信頼や絆があるところではパニック的な帰国は起こりづらかった チェルノブイリ原発事故 北側に放射性物質が飛散し、実はベラルーシ側のほうが大変 建屋内の放射性物質排除を諦め、コンクリートで封鎖している 2010年代はお土産屋さんがあったりサバゲー会場として人気だったりしてゆるい感じだったらしい 当時、ここで働いている層はソ連では比較的高級な暮らしをする労働者であった 2020年時点、数千人が現地に残っていた 「サマショール」 立入禁止区域に住んでいるにも関わらず、ウクライナ政府はかれらを強制的に排除してはいない なぜか?→ WHO によると、甲状腺がんなどよりも精神的健康の課題の方が重大であった 事故後の強制的な移動などの結果、PTSD、うつ病、アルコール依存症、平均寿命の劇的な低下が報告された 場所は、人間存在の根源である 2021年 NHK朝ドラ『おかえりモネ』 主人公は気仙沼から上京して気象予報士になった 災害の回避と「土地」なるものから離れられないことの関係など 東日本大震災後、三陸海岸を中心として「漁港集約化」の議論が起こった 数kmの範囲にいくつも小さな港が散在していて、担い手も少なくなっているし、復興にあたっても全体として進捗を阻害する しかし、結局反発が強く、ほとんどの港を復興した いわば、漁業の産業ネットワークの中でのフロー的な最適化を行おうとして失敗したのだと総括できる 漁村では漁業の営みと漁港施設が生活と不可分である 沼南ファーム 高齢化で担い手のいなくなった水田を集約して100ヘクタール単位で機械化 コメが均質に実るためには冬場に「レベリング」といって水田をミリメートル単位で平坦化する必要がある 灌漑条件は水の流れで決まるので緻密な標高管理が必要なのである また、深田といって水が溜まりやすい水田もあり、この場合は機械の速度が出ないので効率を阻害する そういった土地はもう所有者に返却しようかという話になっている 要するに、効率を追求するとそれに適応できる土地とできない土地が出現する 中山間地域の機械化困難な農地のほうが大多数であって、もしそこを効率のために放棄するのであれば、農業と一体化した現地の生活をどうすべきか、耕作放棄地が荒れてしまうのをどうすべきか、ということになる 原発事故後、柏市周辺は関東平野で最大の放射能ホットスポットになっていた 2011年当時、農家の中では精神的な問題を抱える人も多く深刻な状態になっていた 一番苦しいのは柏を離れるとか補償をもらってやめたらとかいった善意の提案、あるいは「食べて応援」といったキャンペーン 農家は自分の農地の細かい標高差や風の通りを知り尽くしており、その理解があるかどうかで作物の出来が全く異なる 土地を移るということは容易ではない 一方、消費者は発達した物流網の中で容易に「産地を選ぶ」ことができる 消費者は部分的に旅行者的な振る舞いをしており、土地に縛り付けられた生産者との大きな非対称性がある ガイガーカウンターを持って深夜に農地を測る 自分の農地から放射能が検出されたらコミュニティのなかで暮らしていけなくなるという認識があり、測っているところを隣人に見られたくなかったのである 限界集落の話に戻ろう フロー化する世界の中で、産業ネットワークの結節点として選ばれない空間だと定式化できる 災害がなかったとしてもインフラ維持にはコストがかかる ジョン・アーリは immobility が特権であることもあるという議論をしている 山下祐介『限界集落の真実』は限界集落を維持する道を見出すよう論じている 一方、林直樹『撤退の農村計画』は「積極的な撤退」を提案している どの集落にも余力があるうちに、一番長続きしそうな集落に集約すれば、みんな共倒れするよりも文化や営みを長く守れるはずだ 東日本大震災の帰還困難区域 指定解除された後も、復興するにはまず除染(まぁ、掃除)が必要である 2014年頃までは、安全地域を指定してその周囲だけを選択的に除染すべきではないかという議論があったが、その後タブー化していった # 第9回 林直樹『撤退と復興の農村戦略』 将来技術の発展によって再び価値のある土地になるかもわからないので、一時的な戦略的撤退を考えるべき 粗放化など 徳島県神山町、サテライトオフィス生態系 ドローンや自動運転によるラストワンマイルの解決 最後に、モビリティそのものではなく、モビリティ志向という規範を考えたい 移動するという規範が定住するという規範よりも強い時代 一方で、今の日本ではここ40年間で移動志向は低下しているらしい 逆に地元がいいよねという風潮、ドラマ『ブラッシュアップライフ』 2つの規範が地域的、ジェンダー的、階層的に偏在している 都会に出たがる女子、出したがらない親 移動する権利も移動しなくていい権利も等価に保障されるべきものであるが (ここらへん移動と都市形成についての考察が不十分に感じる) 伊藤将人『移動と階級』 フランス国民連合、マリーヌ・ル=ペンの政治 国際援助を拡大して移民しなくても幸せになれるようにすればいい ## 郊外化 ### 郊外イデオロギー ハワード 田園都市構想 都市と農村は中世から存在するが、そのどちらでもない場所、ハワードは「都市と農村の結婚」と呼んだ ゆえに、田園・都市である 郊外は近代的概念である ハワードは自給自足的な衛星都市群を構想していた 実際にはモータリゼーションによって実現することとなる 一方、日本の郊外化は1910~20年頃に始まった 関西のほうが早い 阪急電鉄が沿線に住宅地開発を行ったのがはじまり さらにその終点には週末観光地を設ける:阪急の場合、宝塚 渋沢栄一の田園都市株式会社 東急の母体である 東京の場合、関東大震災によって下町が消失し、過密が問題として注目されて郊外化が一気に進行した 同時に、商業資本が産業資本に転換し、大量のホワイトカラー中間層:サラリーマンが出現していた 彼らの通勤を担う大量輸送手段として鉄道が繁栄し、彼らの住処として郊外が開発される 社会史学者の中川清『日本の都市下層』 ここで下層と呼んでいるのは下半分のことである かれらは生活が家族で完結しない:長屋に住んでいる、水道がないので井戸に水を汲みに行く、ガスがないので屋台で食事をする ここでの屋台はほとんど地域の炊き出しのようなもので、あちこちの路地にローカルに存在する お風呂は銭湯に行く このような状況は戦後にも部分的に現れた:街頭テレビなど かれらとしては、プライバシーのある空間に抜け出し、家族で完結する暮らしを得たいのであった 実際に戦後の高度経済成長期においてかれらはその願いを叶えていき、サラリーマンとして郊外に進出した 個人主義、プライバシー、私有原理 「夢の郊外」近代家族で完結した空間 家族をいれる箱 (n-1)LDK モデル 1960年代の流行り「住宅双六」 庭付き郊外一戸建てが「上がり」になっている アメリカ郊外は1万人くらいの町会単位でホームページがあり、Community Statistics が公開されている そこには人種構成、収入中央値、公共サービスの詳細が書かれており、要するに、「売っている」のであり、こういうのを見てどの町に住むか選ぶのである これは均質化を生じる その極限にあるのはゲーテッド・コミュニティである 今ではライフスタイル型のゲーテッド・コミュニティなんかも多い、高齢者たちに専門化していたり あるいは保安圏型といって、治安の悪い地域で自主的にコミュニティを囲ってしまう事例も多い これは日本ではタワーマンションで起きている現象と対応すると見るべきだろう エンリコ・モレッティ『年収は「住むところ」で決まる』 扇動する側の本 ロバート・サンプソン _Great American City; Chicago and the Enduring Neighborhood Effect_ 「近隣効果仮説」 近隣の外部環境や共同体内の人々の特性が個人レベルの帰結に大きく影響することを実証 言い換えれば、個人レベルの帰結の集合は個人レベルの帰結に自己帰還する 地域の規範、組織、集合的効力感が帰結に影響を及ぼす ロバート・パットナムなどの社会関係資本の議論と似ている 社会関係資本は個人ではなく社会に属するものなのである パットナムの議論は人脈の話とは違っていて、共同体の中にある社会的なつながりに人々がアクセスできるかという話をしている バージェスの同心円モデル 中心業務地区、遷移地帯、労働者住宅地帯、優良住宅地帯、通勤者住宅地帯 方向感覚がなく中心との距離だけで分布が定まるモデルは、自動車中心的なアメリカ都市に特有の形態である Hoyt のセクター理論 鉄道沿線というものを加味する 鉄道が沿線を形成し都市を分割するので、沿線の放射状優良住宅地帯と扇型の中間層・下層住宅地帯が出現する 若林幹夫『郊外の社会学』 青い郊外と白い郊外の区別(ブルーカラーとホワイトカラーを指している) 東京では、東~北東方向に遷移地帯がある一方、西~南西方向は郊外開発である これが伸びていく先がそれぞれ青い郊外と白い郊外になる また、北東へつくばエクスプレスが敷設されると、青い郊外の中でそれに沿って白線のように白い郊外が生じる 三浦展『家族と郊外の社会学』 第四山の手論 東京は西から武蔵野丘陵が伸びてきて、その先が指のように分かれて張り出している 江戸時代から、この下町と山の手の区別には階層的意味が重なっていく 明治以降、山の手なるものは西へ広がり続けている 明治時代に第二山の手が出現:牛込、四ツ谷、新宿、渋谷 同時に下町も拡大した:月島、豊洲 関東大震災後を契機とし、第三山の手:小田急沿いや東急沿い 二子玉川、田園調布 第四山の手は戦後で、私鉄がそのまま伸びていく:川崎北部、横浜北部 同時に拡大する下町は足立区、葛飾区、松戸へ 大手町を起点に千代田線・小田急線統合回廊を見ると、柏と町田がだいたい同じ距離である 町田側が柏と同じ地価になるには、厚木の向こうまで行かないといけない 三浦展『ファスト風土化する日本』2004年 今はかなり眉唾扱いなのだが...... 郊外のコピペ的光景が場所のアイデンティティを剥奪し、そのために少年犯罪が拡散しているんだ、ということを言った また、郊外は純粋な消費の空間だと指摘する:職場があるわけでもなく、また農村的な労働と生活が不可分な空間でもない 若者に職業イメージが湧きづらく、上昇志向を持たない無気力な世代が出現しているのではないか これは眉唾な部分 まともな部分としては、自動車中心的な社会において移動が点と点を結ぶだけのものになり、社会関係資本が枯渇する、というような話 公共交通の公共性、自動車の個人性の話 なぜ21世紀の頭に郊外化がそこまで急激に批判されたのか 都心の人口は90年代まで減少傾向にあったが、それが90年代なかばに転換し、都心回帰が始まったのである その波の中での言論現象であった 来週は比較的まともな話になりがちな持続可能性の議論をする # 第10回 欠席 # 第11回 先週: 日本における住宅政策は、居住権を基本的人権として位置づけず、サプライサイドに重点を置いて展開されてきた これは持ち家主義と相互作用しており、結果として、住宅は余っていて空き家化しているのに居住権を満たされていない人口が存在する、という状態になっていた 中流層が分厚かった時代はそれでもよかったが、新自由主義化に伴ってそれでは立ち行かなくなったといえる 今週は郊外の商業空間を見ていく ## 郊外大規模店舗 turn of the century のまちづくり三法 90年代なかば 非関税障壁の議論を受け、日米構造協議 1998年 都市計画法改正 立地面積を基準としていたものをゾーニング基準へ転換し、地方自治体の一存で大規模店舗を立地させられるようになった 1998年 中心市街地活性化法 TMO など 2000年 大規模店舗立地法 大店法は一定面積以上の場合に地元商店街との交渉(商業活動調整協議会)が必要だと定めていたが、これがなくなった 丸田一『場所論』 フランチャイズによって郊外から東京へ富が吸い上げられ、東京を中心とした空間の再編が起こる ショッピングモールの「バリアフリー」性、また「フリーミアム」性 日本は社会内部の分断線が弱いので、疑似公共空間としての排除性よりもバリアフリー性が目立つといえる 自動車によるアクセスのバリアーがある一方で、中に入ってしまえば自動車は完全に排除され人間中心の空間になっている 石原武政『小売業の外部性とまちづくり』 経営学の人 イーアスつくば店 北関東でもっとも早かったモールのひとつ トレンドに近いおしゃれめな場所としてブランディングしている 二角/三角一モール構造 ショッピングモール設計は人を歩かせ滞在時間を長くするのが重要なので、両端や角に大型・滞在型の施設を配置している 動線は不愉快にならない程度に複雑化されている また、業態によるゾーニングが存在する さらに、通路の中に椅子や広告物を設置している 現在はトレンドに追随し続けるために利益率下位1/3を毎年切り捨て続けているらしい こういった一元的設計やさらにはイメージの作成と維持は、従来の商店街組織では不可能である これが小売業の外部性を内部化しているのだと石原は書いている ## シャッター商店街 群馬県 全国で一人当たり自家用車が一番多い 県内最大の都市は高崎で、新幹線が通っている そこから両毛線に乗り換えて前橋に行かなければいけない 両毛線は北関東の工業地帯を東西に結ぶ路線だが、自動車化のため、高校生しか使っていないという状況 最近の前橋は復興しつつあるらしいが、しばらく前までは東日本最悪のシャッター商店街と言われていた シャッター商店街の原因は本当に規制緩和か 新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』 大正から昭和初期に「商店会」というものが出現した この時期は百貨店の出現とだいたい同じであり、百貨店への対抗を最初の動機として商店街組織が作られていった 「横の百貨店」という語り 戦後、保守政権体制のもとで、商店街は「両翼の安定」概念に組み込まれた:企業福祉と自営業者保護 軍の消失に伴う膨大な失業者を企業は雇用しきれなかったため、復員兵などは零細自営業者として暮らしており、日本政府が自営業者に補助を行うのは元来福祉であった これは経済成長とともに、つまり70年代頃から、個人の保護から地域の保護へと移行し、魚屋や米屋などの重要な業種の過剰競争を避けるため距離制限や人口制限によって密度に上限を設けた 同時に、戦後民主主義によって旧来型の家制度の解体と核家族化がはじまる 旧来、日本の family business は、実の子が後を継ぎたがらない場合は養子を取って家を維持する仕組みになっていた これがだんだん実の子が継ぐしかないという状況になった 結果的に、商店街は血縁によって閉ざされた停滞的空間となってしまった 70年代、スーパーマーケットの出現 これに対し商店街を守るべく反対運動が起こり、これによって自民党は大店法を成立させたのである 1973年のこと これのため、80年代までスーパーマーケットというものはとても小さいものだった 五十嵐さんは首都圏に生まれ育ったが、はじめてショッピングカートを押したのは99年にイギリスに留学したときだったらしい ダイエー 1970年代から90年代まで、日本の流通業界を牛耳った 政治力を発揮して行政と戦い、全国の駅前一等地に3から4階建ての大型スーパーを建設していく 創設者は早い時期から大店法を批判し、商店街の権力と「地元民主主義」が消費者の権利を妨げていると論じた 「バリュー主義」「消費者主権」「流通革命」 バブル崩壊で駅周辺の地価が下落していくと、ダイエーの不動産は不良債権化した一方、ジャスコ(イオン)のような都市での戦いを諦めた勢力が自動車化の波に乗って拡大し、競争に敗れた 同様の筋道を辿ったブランドにイトーヨーカドーがあり、こちらはセブンイレブンと合併したことでコンビニ事業に支えられて生きている コンビニとイオンは対照的で、前者は中心市街地の中であくまでも小型店舗にとどまることでフランチャイズとしてスケールし、後者は中心市街地を避けることで大規模店舗としてスケールした 結果として、中心市街地はコンビニによって場所性を失い、目的地としての価値は郊外店舗に吸い寄せられていく、という状態になった バブル期の別の潮流として、ハコモノ公共施設の大型化・郊外化も起きていた こういった展開によって、2000年代の到来を待たずして中心市街地は明確に衰退の道にあったといえる # 第12回 戦後の失業者対策に発祥する商店街保護は当初の商店会の成立理念を消滅させてしまったといえる 初期のコンビニは地域の酒・たばこ屋をフランチャイズに誘い込むことで拡大した シャッター商店街はなぜシャッターを下ろしているのか 中心市街地の地価は高く、なぜこれを貸さないか?ということを問わないといけない 住居兼用だと固定資産税が 1/6 にまで軽減される制度がある 住居兼用の基準は事業所の床面積の半分が住居として使用されていることで、商店街の2階はそのための住居となっている 日本は借家権が強い 借り主が同意しない場合、建物を取り壊したりするのに大きな負担がかかる すると、商店街に住んでいる高齢者は、自分の子供がこれを相続したときに自由に処分できるように、貸し控えるのである 貸し控えが蔓延すると地価が高止まりし、借りる人も少なくなる 一方で、日本でジェントリフィケーションが英米ほど深刻化しない理由としても借家権の強さはある その中では、日雇い労働者などの借家権が発生しない借り方を使わざるを得ない層には特有の弱者性がある また、商店街制度の硬直化は自営業による社会移動の道を閉ざす力としても作用してきたと考えられる メンバーシップを固定化して属人的に保護するのではなく、運営組織に権力を託して人間の出入りに開かれた体制としたほうがよかっただろう 中心市街地は公共性の高い空間である 戦後商店街保護は私権保護を超えるものではなかった 地域への責任感や公共意識が欠如していたのではないか? 「エリアマネジメント」の概念が出現している 五十嵐はロードプライシングを連想するらしい:中心市街地の交通資源は価値のある公共財であるため、それを目的地としてではなく通過のために限って使用する場合は、一定の価値を差し出させる、という特徴付けができる 私権に踏み込み、エリアマネジメントを行う こうすることではじめて、内部に完全な構成の自由を有するモールに対抗可能な空間を構成できるようになるのではないか 高松市丸亀町の事例 四国の中枢都市は松山だが、交通の要衝は高松 広島・岡山に近い関係 高松丸亀町商店街 中心に大きなドームを有するアーケード ドーム部分はきれいに飾られてブランドショップや分譲マンションが入り、そこから離れるとだんだん価格帯が下がっていき飲食店街に移行する ほとんど百貨店のような強さのエリアマネジメントが効いている 丸亀町まちづくり会社を立て、その名義で土地所有権をこつこつと集めていき代表して貸し出すことで、所有と経営を完全に分離した 定期借地によって貸し出している 定期借地は借地権が一定期間で完全に消滅する制度であるため、離散的なタイミングで追い出せる この期間は地権者に自由に設定させている 一方で地代は劣後化させる:地代はすべての債務の中で最後とし、経営が悪くなれば踏み倒せるようにした これによって、地権者にはよりよいテナントを精査する強い動機が生じる 銀座の事例 商店会は全銀座会という、2001年からある 圧倒的な地価の高さがあるため、私権に踏み込むというのは難しい そこで景観からのテナント誘導が存在する 広告に関して「銀座デザインルール」なるものがある 全銀座会にデザイン協議会が立っており、千代田区から誘導されて権威を有しているが、法的拘束力があるのではない 報告書などで望ましくない事例を「晒し」ているだけ 既存のものには口出しできないが、新しく申請を出してきたときには修正を指導しうる 国際的なブランド店に対しても結構口出ししている デザインというのはある面で口実に過ぎず、デザインに関しての話を契機としてコミュニティの建設を行っているのである 広告デザインを切り口にしてコミュニティへの協力的態度を測りゆるやかに選別しているとも言える 地権者がコミュニティの内部にいるので、ルールに従おうとしないテナントには地権者も厳しい態度を取る 一方で、このような強い態度は、銀座に出店することに重大な社会的ステータスがあるからこそ取れている ## これから 石巻市の市街地構造 江戸時代は北上川沿いの船着き場が市街中心だった 明治時代、仙石線石巻駅が建設されたが、これは中心市街地から相当離れた場所に誘致された 古い城下町ではよくあることである これが昭和前期にかけて駅前市街地を形成した 昭和後期、モータリゼーションが到来すると、既存市街地に直結する石巻街道をバイパスする石巻バイパスが北回りに建設され、この沿道に市街地形成が起こる 現在、そこからさらに大きく離れた北西に高速道路インターチェンジがあり、そこにモールが展開している 交通動線の変化は自然なことであって、それに抗って戦後日本的空間を保存することは無理筋である いくつか妥協はある 中心性、商業集積、市民アイデンティティの三要素からどれかを落としてみる - 観光まちづくりへの転換 - 用途転換、リノベーション - 郊外型店舗にコミュニティ機能をもたせる 第3項を詳しく検討したい ショッピングモール間の淘汰の時代が来ている 床面積追求競争が激化する一方で、そこから脱出を試みて地元密着化を選ぶ店舗(「ライフスタイルセンター」)も多く出現し、二極化している 市民プラザが入っていたり保育施設や病院が入っていたり イオンモール土浦のイートインスペースは高齢者が溜まり場にしている 土浦でやっていた食堂をやめた夫婦がここに通ってお惣菜を買って食事をするようになり、そこの常連客も追ってやってきて、要するに衰退する中心市街地のコミュニティがそのままここへ移動している この話は指導学生の卒論だったらしい ドラマ『ブラッシュアップライフ』 主人公は転生を繰り返すが、毎回地元の人間関係を最優先にする人間 コンビニ、ファミレス、ラウンドワンなどの景観が地域アイデンティティやそれと不可分な人間関係の背景として自然に存在している 現にモールがコミュニティの場となっているのであって、モールを公共に取り込むという向きでフローの論理に対抗することが重要ではないか 貞包英之『地方都市を考える』 「フリーミアム的空間」 モールは入場無料である 阿部真大『地方にこもる若者たち』 地方都市は「ほどほどパラダイス」 スポイルされているというニュアンスも込められてはいる ある種のコミュニティにはなっているが、コミットする回路にはなっていない 郊外のフリーミアム的空間の中でのコミュニティは消費空間において既存人間関係を維持するには十分だが、それは提供側や公共の視点を獲得するものにならない モールの撤退を阻止するためにはそのようなコミットメントが必要である 次回、ニューアーバニズムと都市計画 # 第13回 欠席