# 国連安保理改革を考える 要約と考察 ## まえがき 加盟国めっちゃ増えてるじゃん ソ連崩壊、冷戦終結もあったし国連ができた時からは結構変わったよね~ 安保理改革 ≒ 国連改革 安保理改革の大まかな流れを書いてみる いろいろな施策が試みられてきたけど、どれもうまくいってない 何故か? → 各国のそれぞれの利害対立 それぞれの国の本音と建て前を両方とも把握できてないと「実像」は浮かんでこないよね 2010年以降は改革の気運自体がしぼんじゃった。。。 日本国内も全然関心を示してないよね 本書の特徴を説明するよ~ 書き手がただの研究者だけじゃなく、実際の国連の職員や大使など、実務に携わった人が書いてる! →複眼的な分析ができるよ! 「安保理改革なくして国連改革は完成しない」byアナン元事務総長 本書の構成 第一部:安保理改革の政治的な状況とか歴史的経緯 第二部:安保理改革がどのような影響を与えるのか? 第三部:米、英、仏とアフリカ諸国の見方・考えを紹介 ## 序章 安保理案内 ##### 安保理とは 安全保障理事会は国連の主要機関の一つで国際の平和と安全の維持に関する主要な(primary)責任を負う。(国連憲章24条1項)。主として紛争の平和的解決の勧告(憲章6章)ならびに国際の平和と安全の維持、回復にかかわる行動の決定(憲章7章)を行う 安保理が特定の紛争や事態を審議しているとき、総会は「安全保障理事会が要請しない限り、この紛争又は事態について、いかなる勧告もしてはならない」(憲章12条1項)。 ##### **会期・議長** 一定の会期はない。必要に応じ随時開催。 事態に応じて開催されるので早朝に開かれることもある。 場所は基本ニューヨークの国連本部だが必要に応じて様々な場所でもok ##### **表決** - 実質事項(決議や議長声明など安保理の「決定」を含む、安保理の実質的な責任に直結するすべての事案) →常任理事国の同意投票(この場では反対票=拒否権)を含む9か国の賛成で決定される(憲章27条3項) - 手続き事項(安保理が扱う議題の採択、理事国以外の安保理審議への参加の可否、安保理の開催地の選定など議事進行や運営関係)   →常任・非常任を問わず9か国の賛成で決定され、常任理事国の拒否権は適用されない(憲章27条2項) ##### **安保理の「決定」** 安保理の決定には以下の四種類ある。これらは法的拘束力を持つ安保理の「決定」として国連文書に記録される。 1. 安保理決議 もっとも重要 安保理の公式会合で採択される  2. 安保理議長声明 コンセンサスで合意 3. 事務総長と安保理議長との間の書簡交換 PKO司令官や事務総長特別代表の任命の承認などに使われる。 4. 安保理議長の覚書 審議の手続き上の問題や制裁委員会の構成に関するもの、非公式協議においてノーオブジェクション(異議なし)手続きで合意する (3)と(4)は様式も目的も違うため、国連文書では別々の扱いを受けている **安保理決議の法的拘束力** 憲章25条「安全保障理事会の決定をこの憲章に従って受諾しかつ履行することに同意する」→法的拘束 最近の安保理決議は前文で「国際の平和と安全に対する脅威」などの存在を認定し、憲章7章もしくは7章の特定の条項を明記したうえで、決議主文において「Decides... shall」など決定であることを示す文言を用いることによって法的拘束力があることを示す場合が多い 言い回しの表現によっては拘束力がないと解釈される表現もある **安保理の作業方法** 安保理の公式会合は原則として公開される(非理事国には別途区域が設けられていて、傍聴できる) 非公式協議については非公開かつ理事国のみの参加 安保理会合(meetings)の分類 1. 公開会合 punlic meetings 公開討論  一般参加国も参加可能 討論  理事国のみ 採決を行う前に利害関係者などを招き審議が行われる ブリーフィング 採択 2. 非公開会合 private meetings 非公開会合  安保理の審議事項に関心のある加盟国の意見を徴収するために、加盟国並びに事務局関係者を審議に参加される 兵員派遣国会合  PKOに部隊を派遣する加盟国の意見を聞いて審議に役立てようとする 根拠:安保理決議1353(2001) 会合(meetings)以外にも、安保理の非公式協議(informal conconsulations)、非理事国を招待して対話を行うInformal dialogue(非公式対話)、アリア・フォーミュラ会合がある **安保理の任務と権限** * 安保理は国連の集団安全保障の中核である(国連憲章24章1条) * 安保理は加盟国に変わって行動する(24章1条)。安保理の決定は加盟国が受諾し、履行することが義務(25条)→安保理決議の法的拘束力の根拠 憲章7章41条は経済制裁などの非軍事的措置を、42条は「空軍、海軍または陸軍の行動」を取る制限を安保理に付与 安保理の構成 * 当初の11か国(常任5非常任6)から非常任のみ増加し、15か国に拡大(1965年憲章改正) * P5はずっとこのメンツ。地域代表の発想ではない。 またNPT(核不拡散条約)上の核兵器国も同じメンツ * 憲章23条1項は国連創設時のP5の国名を列挙するのみで、常任理事国の選定基準や資格についての言及はない * 非常任理事国(10か国)は地理的な配分によって選出される(任期は2年で毎年5議席が改選される。連続再選は不可) アジア2、アフリカ3、中南米2、西欧その他2、東欧1 **表決方法及び拒否権** * 手続き事項は9票、非手続き事項(実質事項)はP5のすべての同意を含む9か国の賛成が必要である(27条3項) * 国連憲章上は拒否権(the right of veto)という言葉はないが、27条3項の解釈として拒否権を持つ。拒否権は常任理事国の内で一か国でも決議に反対票を投ずれば決議は否決されるが、採決で棄権した場合や採決に不参加の場合は拒否権の行使とはみなされず、決議は9の賛成票を得れば採択される。 * 常任理事国に拒否権が付与された理由は、重要な事項、特に軍事的な措置の場合には、実効性の観点から安保理決定は「大国一致の原則」によるべきだとされたことによる。また、また国連の創設を主導した当時のアメリカ政権は、上院の反対により国連の前身である国際連盟への加盟に失敗した教訓から、自らの国益に反する紛争に巻き込まれないことを担保するために、アメリカ1国でも反対すれば安保理が決定を下せないようにする拒否権の導入が必要であると考えた。この考えに熱烈に賛成したのは、当時はP5の中で唯一の社会主義国であったソ連であった。 * ただ、拒否権の発動が無制限に認められたわけではない。P5が紛争当事国の場合は、紛争の平和的解決(憲章6章)の場合には棄権しなければならないが(憲章27条3項但し書き)、強制的解決(7章)については、拒否権をもつことで妥協が成立した(ヤルタ方式)。但し、実際には棄権していない場合が散見される。 * 中小国に配慮して「大国は拒否権を乱用しない」との4ヵ国声明が発出されている(憲章採択のために開催された1945年のサンフランシスコ会議の招請国である、米、英、ソ、中の4ヵ国政府代表団の声明)。また、国連発足後10年目に憲章再検討のための全体会議を開催すること(109条)で妥協が成立した。但し、この再検討会義は今日に至るも開催されていない。実際は、拒否件乱用の長い歴史がある。中小の原加盟国がサンフランシスコ会議で拒否権の導入に強く反対したのは、このような5のみに与えられる特権は憲章2条1項の「(国連は)そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている」とする規定に反するとの理由からである。実際、ベルギー、ペルーやキューバなどは、常任理事国制度は「われわれを二級市民に貶めるものだ」として最後まで反対した。一方、アメリカやソ連の代表は「拒否権を認めるか、国連の創設をあきらめるか」と中小の原加盟国に迫ったといわれる。拒否権を含む安保理の常任理事国制度に対する反発は、その後も解消されず今日に至っており、拒否権をめぐる問題は安保理改革が進展しない要因の一つとなっている。ある事項が手続事項か非手続事項(実質事項)かを決める場合、憲章には定がないが、上記「4ヵ国共同声明」によって、このような予備についても拒否権行使が認められている。さらに拒否権を質事項とした問題に実際の採決でも再び拒否権行使が可能てで、このような場合を「二重の拒否権」と呼んでいる。ただし、かつてミャンマーの軍政への批判が高まったとき、安保理での審議を求める米英と、「内政問題」として審議に反対する中国の間で話し合いがつかず、proceduralvoteで議題とすることが認められた例もある。 * 拒否権は「だれも自己の裁判官となることはできない」との法の公理には反する。しかし、明石康氏によれば、拒否権は「加盟国の総意が実力によって裏づけされていない事態になるのを防ぐための、いわば安全弁」であり、「成算のない世界戦争にまきこまれることがないように保障する。この意味で、拒否権は大国を守るとともに、小国をも守るものである。」とされている(明石康「国際連合』岩波新書1985年43頁)。 * 最近は冷戦時代に比べれば、拒否権行使は少なくなっているが持っているだけで脅しになり(ポケット・ヴィトォ)、事態を常任に有利に展開させるという政治的効用がある。 **紛争の平和的解決(憲章6章)** >  交渉、審査、仲介、調停、司法的解決等による紛争の平和的解決(33条1項)がある。 安保理が自ら審議する場合には、「紛争」については如何なるものでもよいが、「事態」については、国際的な摩擦に導くか、または紛争を生じさせる可能性のあるものでなければならないとされている。 米ソ対立で安保理が機能不全に陥っていた冷戦が終了すると、安保理の「守備範囲」は飛躍的に拡大した。背景としては、安保理がイデオロギー対立のくびきから解放されたことに加えて、安保理が扱う平和への脅威の大半が、国連創設当初に想定された国境をまたぐ国家間の争いから、主権国内の内戦に変わったことがある。安保理は、自らが扱う平和の再定義を迫られたわけである。まずナミビアやカンボジアで、冷戦中は「内政干渉」としてタブーとされていた選挙支援、人権擁護、インフラ整備、政府機関の再建などの国家再建などを、当事国の合意を条件に安保理が認可することが可能になった。冷戦中インドなどは、地雷の撤去さえも「安保理の任務でない」として反対していた。次に、ソマリア、ルワンダや旧ユーゴなどの危機に際して、紛争当事国の同意を得ない「人道的介入」の是非が議論された。今世紀に入ってミャンマーで大型台風によって10万人余りの死者が出た時、人道支援の遅れに業を煮やした旧宗主国イギリスは、紛争がないにもかかわらず、同国への「人道的介入」の必要性を主張した。また、2007年にはイギリス政府のたっての要請で、安保理は気候変動を議題として公式会合を開いた(S/PV.5665)。 安保理の守備範囲の拡大を求めるアメリカやイギリスが主張する憲章上の根拠は、「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、・・・」(憲章39条)という、安保理のみが自らが扱う脅威の範囲を決定できるという規定であった。 ・安保理は調整の手続きや方法を勧告する。これは、紛争の具体的な処理に加え、準司法的(quasi-judicialな権能も持っていることを意味する。ただし、原則として法律的な紛争は国際司法裁判所に付託することが求められる(36条3項)。 **紛争や事態の調査** ・いかなる紛争についても、国際的な摩擦や紛争を発生させる虞のあるいかなる事態も調査することができる(34条)。 ・調査には、紛争当事国の同意が必要である。ただし、湾岸戦争後のイラクへの国連ミッション(UNSCOM)のように憲章7章の下での安保理決議により強制的に派遣したものもある。 **平和の維持・回復のための措置(憲章7章)** ・平和を脅かし、戦争を引き起こそうとする加盟国の行為を防止し、除去し、これらを鎮圧するための有効な集団的な措置をとる権限がある。 ・紛争や事態が「平和に対する脅威」か「平和の破壊」か「侵略行為」かの決定を行う(39条)。 ・そのうえで、勧告と強制的な措置の間の中間的な「暫定措置」を要請することもできる(40条)。これは、サンフランシスコ会議で中国(中華民国)の主張により設けられた。具体的には、軍事行動の一時的な停止、兵力の撤退、中立地帯の設定等が考えられる。 ・これに従わなかった場合には、どちらの当事者に制裁措置を加えるか、侵略者と認定するかの判断に影響を与える。 ・勧告や暫定措置でも効果がない場合、あるいは当初からそれでは効果が見込めない場合は、強制措置がとられる。第一段階として経済制裁(41条)が、その後に軍事的な措置がとられるのが普通であるが、はじめから軍事的な措置をとることも可能(42条)である。 **国連憲章上のいわゆる「国連軍」は設置されたことがない** 憲章42条、43条の空、海、陸軍の行動は発令されたことがない。これまでの軍事的な強制措置はすべて憲章7章に基づく多国籍軍による授権行動である。 1950年の朝鮮国連軍(国連軍と呼ぶが実態は多国籍軍) 1991年の湾岸多国籍軍 1992年のソマリア多国籍軍 1994年のハイチ多国籍軍 1994年のルワンダ多国籍軍 2000年のイラク多国籍軍等 **軍備規制の計画策定** ・軍事参謀委員会の援助を得て軍備規制の方式を確立するための計画を策定する責任が安保理にある(26条)。 ・軍縮は国際連盟の重要な目的であったが、国連においては憲章上も実態上も安保理の任務としてあまり重視されていない。今後の国連改革や安保理改革の中で取り上げるべきテーマと考えられる。 ・安保理として行った措置(過去の例) 一積極的安全保障(PSA)に関する安保理決議225(1968年) 一消極的安全保障(NSA)に関する安保理決議984(1995年) 一不拡散に関する安保理決議1540(2004年) 一核不拡散・核軍縮に関する安保理首脳会合(オバ大統領が議長 2009年) ### 第一章 安保理改革議論の歴史 ~国連総会での議論を中心に~ **はじめに**  安保理改革が議席増加のような憲章改正を伴う場合には、憲章108条が適用され、「この憲章の改正は、総会の構成国の3分の2の多数で採決され、」その後「安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の3分の2によって各自の憲法上の手続に従って批准された時に、すべての国際連合加盟国に対して効力を生ずる」ことになる。つまりプロセスの第一段階は改正のための総会決議の採択であり、従って安保理改革の審議は総会がその主要な舞台となる。また、安保理の作業方法の改革のような、当然には憲章改正を伴わない決定も、憲章10条に「総会は、・・・この憲章に規定する機関の権限及び任務に関する問題若しくは事項を討議し、・・・このような問題又は事項について国際連合加盟国もしくは安全保障理事会又はこの両者に対して勧告をすることができる」と規定されている通り、総会の権限内であると考えられる。この事実を念頭に、本章では、総会に於ける安保理までの半世紀以上に亘る歴史を概観する。 #### 1.1963年の安保理拡大  1963年9月16日、翌日の第18通常会期の開始を前に、日本を含む44ヵ国が"Question of cquitable representation on the Security Council and the Economicand Social Council"を議題に追加するよう要請した(A/5520、A/5520/Corz.1)。追加要請の理由として、1945年来0の新加盟国が入ったが、その多くはアフリカ・アジアの新興国で今日両大陸で加盟国の過半を占めている、加盟国の更なる増加の可能性は高く、安保理及び経社理の構成を見直してより衡平な代表性を得るとしている。本件は一般委員会(A/BUR/SR.154)では特段の議論無く議題に追加を勧告、総会本会議(A/PV1210)でも特段の議論無く議題に追加を決定、特別政治委員会(当時存在した、第1〜第6委員会と並ぶ、7の主要委員会の一つ。1993年、決議47/233により第4委員会と統合)に割り当てられた。  特別政治委員会に於ける審議は、同委員会から総会への報告書(A/5675)にまとめられている。それによると、12月10日、中南米の21ヵ国が総会決議案A/SPC/L.104/Re1を提出、非常任理事国をから8に(安保理の総構成国数を11から13に)増やすための憲章改正を提案した。13日、アフリカ・アジアの37ヵ国"が別の決議案A/SPC/L109を提出、こちらでは非常任理事国を10に(安保理の総構成国数を15に)増やすための憲章改正を提案した。議席数以外の異同は次の通りである。続いて16日の特別政治委員会の会議(A/SPC/SR.429)で、A/SPC/L.109の共同提案国の一つインがA/SPC/L.104/Rev1に対する頭修正提案(alamendment)を出した。A/SPC/L.104/Rev.1の骨格は維持しつつ、拡大後の安保理の議席数、議席配分、批准期限への言及など実質的な内容はA/SPC/L.109とほぼ同内容とするものである。同じ会議でA/SPC/L.104/Rev1側を代表 してエルサルバドルが修正提案を受け入れる旨発言した。A/SPC/L.104/Rev.1修正版(asamended)の採決では、賛成96、反対11、棄権4だった。反対国の内特筆されるのが、ソ連が「憲章改正のためには全ての安保理常任理事国の承認(筆者注=批准)が必要だが、中華人民共和国の国連に於ける合法的権が回復されるまではこれが達成できない」(国連年鑑1963年版、82頁)として、中国代表権問題と絡めている点である。米国は、安保理拡大の必要性は認めるが、効率性の観点から過剰な拡大は支持できず、総構成国数13を越える改正に賛成する訓令は受けていないと述べた。英仏は翌年への審議継続を提案した。  特別政治委員会の勧告は、翌17日の総会本会議で、決議1991A(XVIII)として採択された(賛成97、反対11、棄権4、A/PV.1285)。この憲章改正は、憲章108条に則り「安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の3分の2によって各自の憲法上の手続に従って批准された」1965年8月31日に発効した。これに基づき、同年12月10日の総会本会議(A/PV.1392)でまず任期を終える3の非常任理事国(ボリビア、象牙海岸、マレイシア)に代わる3カ国としてアルゼンチン、ブルガリア、マリを選出、続いて同会議及び13日の本会議(A/PV.1393)で追加4議席分として日本、ニュージーランド、ナイジェリア、ウガンダを選出した。 #### 2.1979年-1991年  この憲章改正発効から14年経ち、197年11月14日付の10ヵ国書簡(A/34/246)で、安保理改革に係る議題項目Question of equitable representation on and increase in the membership of the Security Council)の追加が要請された。右書簡では、上記の1963年憲章改正以降、国連加盟国は113から152に増えた、新規加盟国の多くはアフリカ、アジア、ラテンアメリカの国である、しかし加盟国の増大が安保理の構成には未だ反映されておらず、各地域グループで非常任理事国1議席に対してアジアは185ヵ国、アフリカは16.3カ国、ラ米は14ヵ国の加盟国があるのに対し西欧は11ヵ国、東欧は10ヵ国であり、非同盟及び途上国の過小代表となっている旨述べた。常任議席の拡大については触れていない。11月27日の一般委員会で、米国が既存の議題項目(「国連憲章及び国連の役割強化に係る特別委員会の報告書」)の中で安保理改革を検討するとの修正提案(A/BUR/34/土1)を出したが賛成3、反対7、棄権3で否決、議題項目追加は賛成19、反対5、棄権2で総会本会議に勧告された(A/34/250/Add.4)。翌28日の本会議では賛成83、反対14、棄権9で勧告通り議題項目は追加され、(1963年のような委員会付託ではなく)本会議の担当となった(A/34/PV.80)。これに従い本件は12月14日の本会議で討論された(A/34/PV.103-104)。冒頭、インドが決議案A/34/57の提案理由説明を行った。この決議案は、非常任 議席を10から14に増やし、アフリカ・アジ合計5議席を8議席に増加(5議席をアフリカ3、アジア2に分ける了解があったが、決議案では明示的に4対3と分割し、残り一議席は両大陸間で交代)、ラ米2議席を3議席に増加するという趣旨である。これに対し一部のラ米諸国から修正案A/34/L.63が提出された。 これによると非常任議席は16(総構成国数は21)、議席配分は下表の通りである。 ![](https://i.imgur.com/buBvQQB.jpg)  14日の討論の最後にインドの提案により、決議案と関連文書の審議を次会期に延期することになった(決定34/431、無投票で採択。) 翌年の第35通常会期冒頭の一般委員会で、本件議題項目について再び異論が出され、投票(賛成15、反対7、棄権1)の結果議題に含めることを勧告(A/35/250)、総会は無投票で勧告を承認した(A/35/PV.3)。 1980年12月4日の討論では、インドが決議案A/35/L34/Rev1を提案理由説明、後にA/35/L.34/Rev.2と改訂されたが、採決に至ることなく、会期末の1981年9月14日付決定35/453で、全ての関連文書を第36会期に送付することとなった。 A/35/L.34/Rev.2で想定された内容は、修正案A/34/I.63 と同様に非常任議席を16に増加する一方、議席配分はアフリカ5、アジア4、東欧1、ラ米3、西欧その他2、残り1議席は(1)ラ米と(2)アジア以外の4地域の二者の間で「ラ米→アフリカ→ラ米→西欧その他→ラ米→東欧」のように交替制とする、との内容である。第36会期では討論自体も行われず、会期末の1981年12月18日に、翌年の暫定議題に本件項目を含めるとの決定36/460が採択されただけで終わった。その後類の状況が10年に亘り続いた(決定37/450,38/454,39/455,40/460,41/469, 42/459, 43/458,44/460,45/421,46/418) #### 3.冷戦終結後の動き ~作業部会の設置  次に大きな動きがあったのは冷戦終結後の1992年、第47会期のことであ る。まず同年9月、ジャカルタで開かれた第10回非同盟諸国首脳会議の最 終文書(A/47/675)で、「国連加盟国の増加を反映し、加盟国のより公平・衡 平な代表性を促進するため安保理の構成の見直し」を呼びかけた(第2章第 32段落)。11月23日の本件項目の討論(A/47/PV.69)では、多くの国がブトロ ス=ガーリ事務総長による「平和のための課題」(A/47/277)に言及し、また 常任議席の増加も取り上げている。この日は討論だけで終わったが、同日 付でインド、日本その他が決議案A/47/L.26を提出、27日にパキスタンが 文に"Reaffirming the principle of sovereign equality of all Members of t Nations"を追加するとの修正案(A/47/130)を提出、12月9日にはパキスタン