ippei torigoe
Ryuichiro Ishikawa
## Abstruct
## 1. Introduction
## 2. 完備契約ベンチマーク
本章は、本稿の中心的主張である価格ベース契約の提案に先立ち、標準的な完備契約環境のもとで達成可能な厚生の基準点を定義することを目的とする。従来の不完備契約論では、自然状態の不可記述性や予見不能性、ならびに裁判所による執行コストなどの取引費用によって契約の不完備性はされてきた。
### 2.1 基本仮定
エージェントは2名 $i \in \{1,2\}$、時点は3つ(Date 0–2)を想定する。
Date 0 は契約締結期、Date 1 は投資期、Date 2 は状態実現後である。
> **用語メモ**
> – **ex ante** とは *Date 0*(契約締結時点)より前、すなわち当事者が将来の不確実性に直面する「事前」局面を指す。
> – **ex post** とは *Date 2*(状態が実現した後)の「事後」局面を指し、裁判所による検証可能性もこのタイミングで解釈する。
>注
>Indescribable States に移行しても、Date 2 の物理状態の検証可能性は維持される。他方、投資や私的価値(効用数値)は一貫して検証不可能である。本章および第3章の実装は、この切り分けの下で定義される。
#### ex ante での共通知識
- **状態空間**: $\Theta=\{\theta^{1},\dots,\theta^{K}\}.$
- **行動集合クラス**: 各状態に対応する有限集合$A_\theta\subseteq A,\qquad \theta\in\Theta.$
- **効用クラス**: $u_i^\theta:A_\theta\longrightarrow\mathbb{R},\qquad i=1,2.$
- **共通事前確率**: $p(\theta\mid e),\qquad e=(e_1,e_2)\in E_1\times E_2.$
ここで$e_i \in E_i$はエージェントによって行われる投資である。これら4項目はエージェント双方が ex ante で共有していると仮定する。エージェントにとって未知なのは将来どの $\theta$ が出現するかである。
#### 裁判所が ex post に検証できる情報
- **実施行動の本人確認**: 実際に選択・履行された物理的行動 $a\in A_\theta$ を観察し、その内容を証拠化できる。
- **行為の実行可能性判定**: 提示された $a$ が本当に $A_\theta$ の要素(実現状態で可行)であるかを検証できる。
- **状態の物理特性の検証**: Date2 において、実現した物理状態を裁判所が検証できる。
> **注**
> 投資 $e$ および 当事者の私的価値・効用の数値は、ex ante・ex post を通じて裁判所には検証不可能とする。
#### Date 0 契約締結期
エージェントは写像
$$
f:\Theta \longrightarrow A,
\qquad
\theta \longmapsto f(\theta)\in A_\theta
$$
を完備契約として署名する。この契約は「各状態でどの行動を実施するか」を規定している。
#### Date 1 投資期
1. **投資選択**: 各エージェント $i$ は私的・非検証的な投資 $e_i\in E_i$ を行う。
2. **状態分布の更新**: 投資ベクトル $e=(e_1,e_2)$ に基づき共通知識の確率分布を $p(\theta\mid e)$に条件付ける。
なお、重要な仮定として、Date 1 以降に再交渉はできず、契約 $f$ は変更できないものとする。
#### Date 2 行動決定期
1. 状態 $(\theta\in\Theta)$が確率的に実現。
2. 行動集合 $A^\theta$ と効用関数 $u^\theta$ が特定される。
裁判所は前述した3項目の情報のみ検証できる。
### 2.2 完備契約の定義
完備契約とは写像 $$f:\Theta \longrightarrow A,\qquad \theta \longmapsto f(\theta)
$$ であり、すべての $\theta$ について$\quad f(\theta) \in A^\theta$ を満たすものである。
投資 $e$ が与えられた時、契約 $f$ の下でのエージェント $i$ の期待効用は、
$$
U_i(f,e) = \sum_{\theta \in \Theta} p(\theta \mid e) u_i^\theta(f(\theta)) - c_i(e_i)
$$
ここで $c_i: E_i \to \mathbb{R}_+$ は投資コストである。
完備契約 $f$ のもとで各エージェントは$e^*_i$を選択することがナッシュ均衡となる。
$$
\sum_{\theta} p(\theta\mid e^*)\,u_i^\theta(f(\theta)) - c_i(e_i^*)
\;\ge\;
\sum_{\theta} p(\theta\mid e_i, e_{j\neq i}^*)\,u_i^\theta(f(\theta)) - c_i(e_i)
$$
> **注 **
> 十分条件としての一意:もし $c_i$ が厳密凸、かつ $\sum_\theta p(\theta\mid e)\,u_i^\theta\!\bigl(f(\theta)\bigr)$ が $e_i$ に関して厳密凹となる構造が与えられれば、一意の $e^*$ が成立する。以後は記法簡略のため、必要に応じて代表点 $e^*~\in~E^*(f)$ を固定して議論する。
投資ベクトル $e^*=(e_1^*, e_2^*)$ と完備契約 $f$ の対$(e^*, f)$をfeasible pairと呼ぶ。
> **定義 1(Pareto 最適性)**:
> feasible な $(e^*, f)$ が Pareto 最適であるとは、他のいかなる feasible な $(\tilde{e}, \tilde{f})$ に対しても
> $$
> U_i(\tilde{e}, \tilde{f}) \ge U_i(e^*, f)\quad (i=1,2)\ \ \text{かつ}\ \ \exists j\in{1,2}:\ U_j(\tilde{e}, \tilde{f}) > U_j(e^*, f)
> $$
> となるような $(\tilde{e}, \tilde{f})$ が存在しないときである。
### 2.3 状態依存的・非依存的な行動の分割
実務上、行動集合 $A_\theta$ は,財や品質といった 状態依存の物理的次元と、現金移転のような状態非依存の次元に分けて記述される。ここでは
$$
A^\theta = X^\theta \times Y
$$
と分割する。
* $X^\theta$: 状態 $\theta$ に依存する有限集合(物理的行動)
* $Y$: 状態に依存しない金銭移転ベクトルの集合
移転集合は次のように個別上下限と合計上限の両方を許容する一般形とする。
$$
Y \;=\;\bigl\{(y_1,y_2)\;\bigm|\;
\underline y_i \le y_i \le \overline y_i,\; i=1,2,\;
y_1 + y_2 = \overline Y\bigr\}.
$$
> **注**
>M&T2001 では例として $\overline Y = 0$ を置き、$y_1+y_2=0$ のケースで議論している。解析を一般化して $\le$ に緩めても 本章の結論は維持されるが、本章では整合性を優先し等号を採用する。
各 $\theta$ における効用 $u_i^\theta(x,y_i)$ の金銭移転に対して、単調性と連続性を持つ。
1. **単調性**: 単調性は「お金は常に望ましい財」であることを示し、金銭移転をインセンティブ設計の純粋な手段として扱えることを保証する。これにより、任意の厚生配分を移転だけで微調整できる。
$$
\frac{\partial u_i^\theta(x,y_i)}{\partial y_i} \;>\; 0,
\qquad
\forall\,x\in X^\theta,\;y_i\in[\underline y_i,\overline y_i].
$$
2. **連続性**: $u_i^\theta(x,y_i)$ は $(x,y_i)\in X^\theta\times[\underline y_i,\overline y_i]$ 上で連続。この連続性は、期待効用の計算・最適化・均衡存在の際に極値定理を適用するための最低限の前提である。
### 2.4 Welfare-neutral 完備契約
完備契約の厚生評価にとって無意味な違いとして、次の二つだけを許容する。
1. **状態ラベルの付け替え**: 状態集合 $\Theta$ の要素は単なるインデックスにすぎず、別の全単射でラベルを振り直しても、その背後にある各環境パラメータを一対一に移し替えれば、実質的な内容は何も変わらない。ラベルの違いが厚生の比較を左しない。
2. **効用の正のアフィン変換**: 同一主体の効用を効用の正のアフィン変換
$$
\tilde{u}(x)=a\,u(x)+b,\qquad a>0,\; b\in\mathbb{R}$$
と伸縮・平行移動しても選好順位は保存される。尺度や原点が異なるだけの効用で厚生を論じるのは意味がない。
例えば、 $u(x)=x$ に対し $\tilde{u}(x)=2x+5$ は同じ選好を表現する尺度であり、どちらで測定しても配分の選好順位は変わらない。
これらの性質を確保するために、welfare-neutral 契約を定義する。
まず、二つの状態 $\theta, \theta'$ が同値($\theta \sim \theta'$)であるとは、次の条件を同時に満たすことと定義する。
$$
\theta \sim \theta'
\quad\Longleftrightarrow\quad
\begin{cases}
|X^\theta| = |X^{\theta'}|, \\[6pt]
\exists\, \kappa:X_\theta \to X_{\theta'}\; \text{(全単射)}, \\[6pt]
\exists\, a_i>0,\; \beta_i\in\mathbb{R}\;(i=1,2)\; \text{s.t.}\\[6pt]
\displaystyle
u_i^{\theta}(x,y_i)
= a_i\,u_i^{\theta'}\bigl(\kappa(x),y_i\bigr)+\beta_i,\\[4pt]
\qquad\forall x\in X^\theta,\;\forall y_i\in Y_i,\;i=1,2.
\end{cases}
$$
ここで、
* $X^{\theta'}$ は状態 $\theta'$ における状態依存行動の有限集合
* $\kappa$ は行動を一対一対応させる写像(行動の再ラベリング写像)
* $a_i$は正のアフィン変換における倍率係数、$\beta_i$は同変換の平行移動項であり、いずれも各エージェント $i$ に固有
この同値関係は、行動の名称を再ラベリングしても各主体の効用を同一の正のアフィン変換で尺度変換しても、選好順位は同一となる。したがって、状態 $\theta$ と $\theta'$ は厚生的に同一であるといえる。
> **定義 2(Welfare-neutral の位置づけ)**
> 本稿で用いる welfare-neutral の要件は、ラベル再付与と各主体の正のアフィン変換のもとで **厚生評価が不変** になることを保証する **十分条件** である。すなわち、任意の同値状態 $\theta\sim\theta'$ に対し、ある $\kappa,~a_i>0,~\beta_i$ が存在して
> $u_i^{\theta}\!\bigl(f(\theta)\bigr) ~=~ a_i\,u_i^{\theta'}\!\bigl(\kappa(f(\theta'))\bigr)+\beta_i,\quad i=1,2$
> が成り立つとき、$f$ は welfare-neutral と呼ぶ。
## 3 Indescribable States と Irrelevance Theorem
本章では、従来の完備契約ベンチマークにおいて前提とされる「物理的行動集合・効用関数・状態ラベルの事前可記述性・可検証性」を脱し、エージェントが ex ante に物理行動集合や効用関数を検証できない環境**Indescribable States**を扱うモデルを定式化する。
まず、物理行動そのものではなく番号付き効用関数ペアとその解読キーを契約対象とすることで、dynamic programmingを維持しつつも行動空間の不可記述性を受け入れる枠組みを構築する。
続いてnumber-based contractの下でエージェント同士が ex post にチャレンジ–ペナルティ方式メカニズムを用い、真実申告を唯一のサブゲーム完備均衡に誘導する手続を示す。
最後に、これらの構成要素をもとに本論の核心定理である **Irrelevance Theorem** を導出する。この定理は、物理的詳細は事後メカニズムで補完すればよく、契約に本質的なのは最終的な効用ベクトルのみという洞察の下、Indescribable States モデルにおいても完備契約ベンチマークと同等の厚生が実現可能であることを保証するものである。
**3.1 基本設定**
本節では、完備契約ベンチマークと Indescribable States モデルにおけるエージェント間の共通知識および裁判所による検証可能性の前提を定式化する。
#### 3.1.1 Indescribable States モデルにおける共有・検証対象
Indescribable とは ex ante に物理的状態を列挙・記述できないことを指す。他方で本稿の MT 型環境では、Date 2 に実現した物理状態は裁判所で検証可能と仮定する。一方、投資 $e$ や当事者の私的価値(効用 $u$の数値)は裁判所では検証不可能である。
* **ex ante 共通知識**
1. 番号付き効用集合 $\mathcal{V}={v}$:各状態で得られうる番号ベースのペイオフ利得関数対 $v=(v^1,v^2)$ の集合(高々可算)。
2. 事前分布 $\pi(v\mid e)$:投資 $e$ に条件付く番号付き効用の確率分布。
* **ex post 裁判所が検証できる命題**
1. **実行可能性**:履行された物理行動 $x$ が真の実現状態の可行集合 $x\in X_\theta$ に属するかどうか。
2. **実施結果と契約記述の整合**:観察される選択・転移が、番号つき契約が想定した実施規則と物理状態に照らして整合しているか。
#### 3.1.3 番号付きペイオフ関数
このように物理的行動が列挙困難な環境下でもdynamic programmingが可能となるよう、行動空間を整数ラベルに抽象化する。
* 各状態 $\theta$ の行動本数を $m_\theta\in\mathbb{N}$ とし、ラベル集合を
$$
M_\theta=\{1,2,\dots,m_\theta\}
$$
と定義する。
* 番号付きペイオフ関数
$$
v^i_\theta:M^\theta\times Y_i\;\longrightarrow\;\mathbb{R},
\quad i=1,2
$$
を導入し、投資・移転に応じた効用を数値で表現する。
* 解読キー
$$
\sigma_\theta:M^\theta\;\longrightarrow\;X^\theta
\quad\text{s.t.}\quad
u_i^\theta\bigl(\sigma_\theta(k),y_i\bigr)=v^i_\theta(k,y_i)
$$
により、物理行動 $X^\theta$ と番号付き効用 $v_\theta$ は効用同値性を満たす。
#### 3.1.4 事前分布の整合性
投資ベクトル $e$ を与えたとき、番号付き効用関数対 $v$ の発生確率を
$$
\pi(v\mid e)
\;=\;
\sum_{\theta\,:\,v_\theta=v}p(\theta\mid e)
$$
と定義し、完備契約モデルの事前分布 $p(\theta\mid e)$ と整合的に連携させる。
> **dynamic programming(最適反応の形成)**
> 各エージェントは投資 $e$ と契約案に基づく効用ベクトルの分布 $\pi(v\mid e)$ を用いて、物理行動を列挙せずとも **将来効用に関する期待** のもとで最適反応を形成できると仮定する。
### 3.2 「番号付き事前信念」とその整合性
投資ベクトル $e=(e_1,e_2)$ が与えられたとき、エージェント両者は番号付き効用に関する共通事前分布 $\pi_e(v)$ を形成すると仮定する。
これは、状態が可記述の場合の事前 $p(\theta\mid e)$ と整合的でなければならない。
$$
\pi_e(v)=\sum_{\theta:v^\theta=v}p(\theta\mid e)
$$
したがって、describable statesとindescribable statesとの両モデル間で、利得に関する信念の整合性が保たれる。
### 3.3 番号付き契約
Indescribable statesの下では、物理行動そのものを ex ante で特定できないため、エージェントは効用のみに依存するnumber based contract
$$
f:V\;\longrightarrow\;\mathbb{Z}_+ \times Y,\qquad f(v)=(k,y)
$$
を締結する。
ここで、$k$ は採用すべき行動の番号、$y=(y_1,y_2)\in Y$ は金銭移転を表す。
任意の二状態 $\theta\sim\theta'$(von Neumann–Morgenstern 効用が正のアフィン変換で一致する)について、
$$
v_i^\theta\bigl(f(v^\theta)\bigr)=a_i\,v_i^{\theta'}\bigl(f(v^{\theta'})\bigr)+b_i,\qquad i=1,2
$$
が成り立つとき、契約 $f$ はwelfare neutralityであると定義する。
welfare neutrality契約は、物理状態の再ラベリングがエージェントの厚生に影響しないことを保証し、Irrelevance Theremに不可欠な性質となる。
### 3.4 メカニズム
番号付き契約 $f: \mathcal{V}\to \mathbb{Z}_{+}\times Y$ を実装するためのメカニズム $g$ の構造を形式的に定義する。
> **前提(再交渉なし)**:第2章の仮定に合わせ、Date 1 以降の再交渉は許容しない。必要に応じ、デポジットやランダム罰を組み合わせ、再交渉に強い実装を維持する。
### 3.4.1 メカニズムの概要
メカニズム $g$ は、状態 $\theta$ の実現後に当事者が次の段階を踏むことで構成される。
1. 申告段階: 当事者1は、自らの主張する私的値(例:$\hat v$)を申告し、当事者2に対して 二つのメニュー($(x,y)$ の組)を提示する設計が ex ante で規定されている。二つのメニューは、真実申告タイプが一方を厳密に好むよう設計されており、虚偽申告の場合には選好と申告との間で可観測な自己矛盾が生じるようになっている。裁判所は効用の数値や「解読キー」を検証しない。
2. チャレンジ/受諾: 当事者2は、提示メニューに基づき選択するか、可観測な整合性違反(実行不可能、記述・履行の矛盾など)を根拠にチャレンジできる。チャレンジが成立すれば罰 $P$ が科され、既定のフォールバック配分 $(x^0,y^0)$ に戻る。チャレンジが不成立であれば、その旨が記録される(以後の履行へ進む)。
3. 実行段階: チャレンジがなければ、当事者2の選択結果どおり $(x,y)$ が履行される。裁判所は 物理状態に照らした履行の整合性のみを検証する。この構成では、効用数値や解読キーの検証を要しない。虚偽申告は、二メニュー設計によって自己矛盾が可観測事実として露見し、罰 $P$ により抑止される。
### 3.4.2 部分ゲーム完全均衡実装の要件
* フェイルセーフ:整合性違反が認定された場合のデフォルト$(x^0,y^0)$を事前に規定する。
* 無限移転可能性のケース(3.5 に移譲):
準線形効用かつ$Y=\{(y_1,y_2)\mid y_1+y_2=0\}$
に上限がない場合、金銭罰$P$を任意に大きく設定でき、真実申告が唯一の最適戦略になる(3.5 参照)。
* 上限付き移転のケース(一般):
金銭移転に上下限がある場合は、実効罰$\tilde P$を
$$\tilde P \;>\; \max_{i\in\{1,2\}} \;\Delta U_i^{\max}$$となるよう制度設計する。
ここで$\Delta U_i^{\max}$は、当該契約環境下でエージェント \(i\) が虚偽申告により得られ得る利得上積みの上界である。
$\tilde P$ は金銭罰に限らず、「ペナルティ付きフォールバックの自動適用」「デポジット没収」「次期ステージでの不利割当」など **可観測・可実装** の不利化で実装する。
* 挑戦コストの整合:真実申告下では整合性違反が成立しないため、失敗時コスト(例:$2P\ \text{または}\ \tilde P\ \text{相当}$)により無用の挑戦は抑止される。
> **備考(再交渉)**:本メカニズムは 2 章の前提と同様、Date 1 以降の **再交渉なし** を前提とする。必要に応じてランダム罰やデポジット型ペナルティを用い、再交渉による均衡崩壊を回避する。
> **本節の位置づけ**:3.4 の一般ケースでは実効罰 $\tilde P$ により真実申告を実装する。本節はその **特例** として、準線形かつ移転上限なしの環境で、**金銭罰** $P$ のみで同様の結論が得られることを示す(Maskin–Tirole 型の古典構成)。
### 3.5 準線形効用と大きなペナルティを伴う実装の具体例
効用が準線形かつ金銭移転に上限が存在しない特別なケースにおいて、番号付き契約をサブゲーム完全均衡で実装する具体的メカニズムを示す(MT の標準的な二メニュー機構:Maskin (2001) の Stage (i)–(ii) に相当)。この例は、この例は、フォールバック代替 $(x^0,y^0)$ と大きなペナルティを用いて真実告白を唯一の均衡戦略に誘導する典型的構成である。
#### 3.5.1 前提条件
1. 準線形効用: 任意の状態 $\theta$ において、エージェント $i$ の効用は次のように分離的に表される:
$$
u_i^\theta(x,y_i)\;=\;w_i^\theta(x)\;+\;y_i,\quad i=1,2.
$$
2. 無限移転可能性: 移転空間 $\;Y=\{(y_1,y_2)\mid y_1+y_2=0\}$ は上限・下限を持たない。
3. ノートレード点: 全状態に共通する代替行動 $x^0\in X_\theta$ が存在し、これをノートレード点とする。正規化により
$$
w_i^\theta(x^0)=0,\qquad i=1,2
$$
が成立する。
4. 番号付き契約の Pareto 最適性: 番号付き契約 $f$ は、任意の状態 $\theta$ において Pareto 最適な効用組を実現するものとする。
#### 3.5.2 ペナルティの役割
* ペナルティ水準の設定: 真実申告による利得と虚偽申告による潜在利得の差を上回る大きさで $P$ を設定する。
* エージェント1への抑制効果: 虚偽申告が発覚すると $P$ を失うため、真実申告が唯一の最適戦略となる。
* エージェント2への無駄な挑戦抑止: 真実申告下では挑戦成功確率が事実上ゼロであり、失敗時のコスト $2P$ が期待利得を下回るため、挑戦を控えて受諾を選択する。
これにより、準線形効用環境でも節 3.4のメカニズムに従って番号付き契約をサブゲーム完全均衡として実装し、完備契約ベンチマークと同等の厚生を達成できる。
### 3.6 Irrelevance Theorem
前節までで構築した Indescribable States モデル下において、番号付き契約とチャレンジ–ペナルティ方式のメカニズムが持つ「完備契約ベンチマークと同水準の厚生達成能力」を形式的に定式化する。
>**定理 3 (Irrelevance Theorem).**
番号付き契約 $f:\mathcal{V}\to\mathbb{Z}_+\times Y$ が以下の条件を満たすとき、Indescribable States モデル下においても、サブゲーム完全均衡を通じて、各状態 $\theta$ における実現効用が
$$v^i_\theta\bigl(f(v^\theta)\bigr)\quad (i=1,2)$$
と一致し、完備契約モデルにおける厚生水準を達成できる.
1. Welfare neutrality**: $\theta\sim\theta'$(効用関数同値の二状態)ならば、ある正のアフィン変換 $(a_i,b_i)$が存在して
$$
v^i_\theta\bigl(f(v^\theta)\bigr)
=a_i\,v^i_{\theta'}\bigl(f(v^{\theta'})\bigr)+b_i
\qquad(i=1,2)
$$
が成り立つ。
2. Pareto 最適性: 任意の状態 $\theta$ において、$f(v^\theta)$ が実現する効用組が Pareto 最適である。
3. 技術的仮定: (Assumption 1–2) フェイルセーフ点 $(x^0,y^0)$ の存在や、挑戦失敗時に最低限確保される厳密不等式条件を満たすこと。
#### 3.6.1 証明スケッチ
1. メカニズム構成: 3.4節で定義したメカニズムを用い、エージェント1が番号付き効用 $\hat v$ を申告し、($x$,$y$) により嘘のみ可観測矛盾として露見させるメカニズムを適用する。
2. 真実申告の誘導
* ペナルティ \(P\) を十分大きく設定することで、虚偽申告時の損失が真実申告による利得を上回り,エージェント1 の唯一最適戦略が真実申告となる.
* 挑戦成功確率とコスト $2P$ の関係から、エージェント2 は真実申告下での受諾を最適とする。
3. 均衡効用の一致: 均衡下では常に $\hat v=v^\theta$ が申告され、番号付き契約 $f(v^\theta)$ にしたがって $(k,y)$ が実行される。したがって、実現効用は $v^i_\theta(f(v^\theta)$ と一致する。
4. Welfare neutrality の役割:異なる物理状態間で再ラベリングが行われても、均衡効用の評価が不変になることを保証する。この考え方は Moore–Repullo 型のサブゲーム完全実装論と整合的である(同論文の十分条件そのものを主張するものではない)。
以上により、物理的行動や効用関数が事前に列挙不能(indescribable)であっても、厚生水準を損なうことなく完備契約ベンチマークが達成可能であることが示される。これは、番号付き契約を介し「最終効用ベクトルのみが契約に本質的」であり、物理的詳細は事後にメカニズムが埋め合わせるという洞察に基づくものである。
## 4 価格ベースモデル ― LMSRによる確率共有仮定の代替
本章では、第2・3章で用いた「事後分布 $\pi(\cdot\mid e)$ を当事者が共通知識として共有する」という強い仮定を、prediction marketを参照することで緩和する。具体的には、Logarithmic Market Scoring Rule, LMSRを用いて形成される市場価格 $p$ を契約パラメータとして参照する「価格ベース契約」を構成する。
章の流れは、(i) 基本設定(§4.1)、(ii) LMSRの数学的性質(Bregman双対・有限損失、§4.2)、(iii) 誤差評価(KL→全変動→厚生、§4.3)、(iv) 価格ベース契約の定義と近似性(§4.4)、(v) 誘因適合性の設計(§4.5)、(vi) 情報フローの整理(§4.6)である。
### 4.1 予測市場の基本設定
#### 4.1.1 LMSRモデルの基本構造
LMSR はマーケットメーカー(MM)が常時相手方として取引を受け、参加者に真の信念を申告させるインセンティブを与えるよう設計されたアルゴリズムである(Hanson, 2003; 2007)。参加者がある状態の実現確率を高く見積もるなら、その状態に対応する証券を購入することで期待利得を得る。
#### 4.1.2 状態空間と Arrow–Debreu 証券
有限状態集合を
$$
\Theta=\{\theta_1,\dots,\theta_K\},\quad K\ge2
$$
とする。各状態 $\theta_j$ に対し、実現時のみ1を払う Arrow–Debreu 証券 $s_j$ を考える。
$$
s_j(\theta)=
\begin{cases}
1, & \theta=\theta_j,\\
0, & \theta\ne\theta_j.
\end{cases}
$$
#### 4.1.3 コスト関数と支払
MM は累積純発行数量 $q=(q_1,\ldots,q_K)$ に対して
$$
C_b(q)=b\ln\Bigl(\sum_{j=1}^{K}e^{q_j/b}\Bigr),\quad b>0 \tag{4.1}
$$
なるコスト関数を用いる。ポートフォリオを $q\to q+\Delta q$ に変更する参加者の支払は
$$
\mathrm{Pay}(\Delta q)=C_b(q+\Delta q)-C_b(q). \tag{4.2}
$$
#### 4.1.4 限界価格と確率解釈
限界価格は
$$
p_j(q)=\frac{\partial C_b}{\partial q_j}(q)
=\frac{e^{q_j/b}}{\sum_{k=1}^{K}e^{q_k/b}} \in \Delta(\Theta). \tag{4.3}
$$
ゆえに $p_j(q)$ は状態 $\theta_j$ の主観的確率として自然に解釈できる。
### 4.2 LMSRの数学的性質:Bregman双対性と有限損失性
#### 4.2.1 Bregman双対性
負エントロピーの定数倍
$$
f_b(p)=b\sum_{j=1}^{K}p_j\ln p_j,\quad p\in\Delta(\Theta), \tag{4.4}
$$
を導入すると、LMSR の勾配写像 $p=\nabla C_b(q)$ と $f_b$ の勾配写像は次の意味で対応する。
**命題 4.1(Fenchel–Legendre 双対)**
$p=\nabla C_b(q)$ が成り立つとき、ある定数 $c\in\mathbb{R}$ が存在して
$$
q_j=b\ln p_j+c\quad (j=1,\ldots,K) \tag{4.5}
$$
が成り立つ。逆に、任意の $p\in\Delta(\Theta)^\circ$ に対し($^\circ$は内部)、ある $c$ を選べば (4.5) で与えられる $q$ は $\nabla C_b(q)=p$ を満たす。
>注
>$C_b(q+c\mathbf{1})=C_b(q)+c$ で $\nabla C_b$ は $\mathbf{1}$ 方向に不変。よって $q$ は定数加算まで一意。*
#### 4.2.2 Bregmanダイバージェンス=$b$倍のKL
Bregmanダイバージェンス
$$
D_{f_b}(\pi\|p)=f_b(\pi)-f_b(p)-\nabla f_b(p)^\top(\pi-p)
$$
は、負エントロピーの場合には KL に一致する。
**命題 4.2(Bregman)**
任意の $\pi,p\in\Delta(\Theta)$ について
$$
D_{f_b}(\pi\|p)=b\,D_{\mathrm{KL}}(\pi\|p)
= b\sum_{j=1}^{K}\pi_j\ln\frac{\pi_j}{p_j}. \tag{4.6}
$$
*証明*:$\nabla f_b(p)=b(\ln p_j+1)_j$ より定義通り展開すればよい。
#### 4.2.3 有限損失性
LMSR における MM の最悪損失は有限で、初期点 $q=0$(すなわち $p$ 一様)に対し
$$
\max_{\theta\in\Theta}\Bigl\{\,q_\theta-\bigl(C_b(q)-C_b(0)\bigr)\Bigr\}\;\le\; b\ln K.\tag{4.7}
$$
よって MM の最悪損失は$blnK$ で上から有界である。
これは運営上の補助金を明示的に上限制御できることを意味する。
### 4.3 誤差評価:KL → 全変動 → 厚生
本節では、市場価格 $p$ と真の分布 $\pi$ の誤差を**在庫上限制約**の下で評価し、Pinsker不等式を介して全変動距離、さらに厚生誤差に落とし込む。
#### 4.3.1 在庫上限制約による KL 上界
LMSR の原始変数 $q$ に直接のバウンドを課す。
**仮定 4.1(在庫上限)**
ある $\Delta>0$ と初期数量 $q^{(0)}$ があり、取引期間を通じて
$$
\|q-q^{(0)}\|_\infty \le \Delta .
$$
初期価格を $u:=p(q^{(0)})$ とする。
**命題 4.3(在庫上限 $\Rightarrow$ KL 上界)**
任意の $\pi\in\Delta(\Theta)$ と仮定4.1の下で、任意の到達点 $q$ に対し
$$
D_{\mathrm{KL}}(\pi\|p(q))
\;\le\;
D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)+\frac{2\Delta}{b}. \tag{4.8}
$$
*証明*:$\delta_i:=(q_i-q_i^{(0)})/b\in[-\Delta/b,\Delta/b]$ とし、(4.3) より
$$
\ln\frac{p_i(q)}{u_i}=\delta_i-\ln\!\Bigl(\sum_k u_k e^{\delta_k}\Bigr).
$$
$\sum_k u_k e^{\delta_k}\in[e^{-\Delta/b},e^{\Delta/b}]$ なので
$|\ln(p_i/u_i)|\le |\delta_i|+|\ln(\cdot)|\le 2\Delta/b$。
ゆえに
$$
\begin{aligned}
D_{\mathrm{KL}}(\pi\|p(q))
&=D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)+\sum_i \pi_i \ln\frac{u_i}{p_i}\\
&\le D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)+\sum_i \pi_i\bigl|\ln\frac{u_i}{p_i}\bigr|
\le D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)+\frac{2\Delta}{b}.
\end{aligned}
$$
**4.4(初期価格が真実に近い場合)**
もし $D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)$ が十分小さい(例えば $u$ を統計的事前で初期化)なら、(4.7) は $\Delta/b$ 項が支配的になる。
#### 4.3.2 Pinsker による全変動距離の上界
全変動距離を $\|\cdot\|_1$ で表す流儀を採る($\|p-\pi\|_1=\sum_j |p_j-\pi_j|$)。
**命題 4.5(Pinsker)**
任意の $\pi,p$ について
$$
\|\,\pi-p\,\|_1 \le \sqrt{2\,D_{\mathrm{KL}}(\pi\|p)}. \tag{4.9}
$$
命題4.3と合わせて次を得る。
$$
\boxed{\;
\|\pi-p(q)\|_1 \;\le\;
\sqrt{\,2D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)+\frac{4\Delta}{b}}\; . \;}
\tag{4.10}
$$
### 4.3.3 効用のリプシッツ性と厚生誤差
市場価格を参照したときの効用が価格に対して鋭敏すぎないことを仮定する。
**仮定 4.2($L^1$-リプシッツ連続性)**
エージェント $i$ の効用 $\hat{u}_i(p,\theta)=u_i^\theta(x(p),y_i(p))$ は、ある $L_i>0$ で
$$
|\hat{u}_i(p,\theta)-\hat{u}_i(p',\theta)|\le L_i\|p-p'\|_1
\quad(\forall\,\theta,\,p,p'). \tag{4.11}
$$
**定理 4.6(厚生誤差の上界)**
仮定4.1・4.2の下で
$$
\Bigl|\,U_i^*(\pi)-U_i(\Phi(p(q)),e)\,\Bigr|
\;\le\;
L_i\sqrt{\,2D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)+\frac{4\Delta}{b}}\quad (i=1,2). \tag{4.12}
$$
ここで $U_i^*(\pi)=\sum_\theta \pi(\theta)\hat{u}_i(\pi,\theta)$、$U_i(\Phi(p),e)=\sum_\theta \pi(\theta\mid e)\hat{u}_i(p,\theta)$。
*証明*:(4.11) と (4.10) の直接適用。
**含意**:在庫上限 $\Delta$ を固定すると、**$b$** が他構えれば誤差は **$1/\sqrt{b}$** で減少する。初期価格 $u$ を事前で取れば、全体として小さい厚生損失で**完備契約の近似**が達成できる。
### 4.4 価格ベース契約 $\Phi(p)$ の定義と近似性
#### 4.4.1 契約の定義
市場で観測された最終価格ベクトル $p\in\Delta(\Theta)$ を直接参照する**価格ベース契約**
$$
\Phi:\Delta(\Theta)\to X\times Y^2,\quad
p\mapsto (x(p),y_1(p),y_2(p)) \tag{4.13}
$$
を定義する。ここで $x(p)$ は物理的行動、$y_i(p)$ は移転。
#### 4.4.2 予算均衡
当事者間の資金移転は内部で均衡させる。
$$
y_1(p)+y_2(p)=0\quad(\forall p). \tag{4.14}
$$
*(注)これは**契約当事者間**の予算均衡であり、市場運営(MM)の補助金 $b\ln K$ の話とは別である。*
#### 4.4.3 完備契約の近似
定理4.6より、在庫上限と価格感度が満たされる限り、$\Phi(p)$ は完備契約 $f^*$ の厚生を
$$
\Bigl|\,U_i^*(\pi)-U_i(\Phi(p),e)\,\Bigr|
\;\le\;
L_i\sqrt{\,2D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)+\frac{4\Delta}{b}} \tag{4.15}
$$
の誤差内で近似できる。特に、初期 $u$ を統計的事前や過去市場データで整え、$\Delta$ を小さく保ち、$b$ を十分大きくとれば、任意精度に近い厚生実現が可能である。
## 5 近似実装定理
本章では、第4章で得られた誤差評価に基づき、価格ベース契約 $\Phi(p)$ が第2章の完備契約ベンチマーク $(f^{*},e^{*})$ を厚生の意味で近似実装することを示す。中心的な観点は、Maskin–Tirole 型の共通事前仮定を、LMSR により形成される市場価格 $p$ による確率近似で置換し、その置換誤差をパラメータ $(b,\Delta)$ と初期価格 $u$ の関数として上から評価できる点である。
### 5.1 準備と基本評価
記法は第4章に従う。LMSR のコスト関数 $C_b$ と価格 $p(q)=\nabla C_b(q)$ を用い、初期数量 $q^{(0)}$ と初期価格 $u:=p\!\left(q^{(0)}\right)$ を与える。在庫上限を次のように仮定する。
**仮定 5.1(在庫上限)** ある $\Delta>0$ が存在して、取引過程を通じて $\|q-q^{(0)}\|_{\infty}\le \Delta$ が保たれる。
第4章の評価(命題 4.3 と Pinsker 不等式)より、任意の真の分布 $\pi\in\Delta(\Theta)$ について次が成り立つ。
$$
\|\,\pi-p(q)\,\|_{1}
\;\le\;
\sqrt{\,2\,D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)\;+\;\frac{4\Delta}{b}\,}.
\tag{5.1}
$$
右辺は、初期価格と真の分布の乖離に起因するキャリブレーション誤差
$$
\delta_{\mathrm{cal}}(u,\pi):=\sqrt{2\,D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)}
\tag{5.2}
$$
と、市場の在庫・流動性に起因する市場誤差
$$
\delta_{\mathrm{mkt}}(b,\Delta):=2\sqrt{\frac{\Delta}{b}}
\tag{5.3}
$$
の和で上から評価できる。すなわち $\sqrt{a+b}\le \sqrt{a}+\sqrt{b}$ より、
$$
\|\,\pi-p(q)\,\|_{1}\;\le\;\delta_{\mathrm{cal}}(u,\pi)+\delta_{\mathrm{mkt}}(b,\Delta)
\tag{5.4}
$$
が従う。
さらに、第4章と同様に、価格依存効用
$$
\hat u_i(p,\theta):=u_i^{\theta}\bigl(x(p),y_i(p)\bigr)
\tag{5.5}
$$
が確率単体上で $L^{1}$–リプシッツであることを仮定する。
**仮定 5.2($L^{1}$–リプシッツ性)** ある定数 $L_i>0$ が存在して、任意の $\theta\in\Theta$ と $p,p'\in\Delta(\Theta)$ について
$$
\bigl|\hat u_i(p,\theta)-\hat u_i(p',\theta)\bigr|
\;\le\;L_i\,\|p-p'\|_{1}
\tag{5.6}
$$
が成り立つ。
### 5.2 近似実装定理
完備契約側の厚生を
$$
U_i^{*}(\pi):=\sum_{\theta\in\Theta}\pi(\theta\mid e^{*})\,\hat u_i(\pi,\theta)
\tag{5.7}
$$
価格ベース契約側の厚生を
$$
U_i\bigl(\Phi(p(q)),e^{*}\bigr):=\sum_{\theta\in\Theta}\pi(\theta\mid e^{*})\,\hat u_i\bigl(p(q),\theta\bigr)
\tag{5.8}
$$
と定義する。
**定理 5.1($\delta$–近似実装)** 仮定 5.1 と仮定 5.2 の下で、任意の $i=1,2$ について
$$
\bigl|\,U_i^{*}(\pi)-U_i\bigl(\Phi(p(q)),e^{*}\bigr)\,\bigr|
\;\le\;
L_i\,\sqrt{\,2\,D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)\;+\;\frac{4\Delta}{b}\,}.
\tag{5.9}
$$
とくに、$\Delta$ を固定して $b\to\infty$ とすると
$$
\limsup_{b\to\infty}\bigl|\,U_i^{*}(\pi)-U_i\bigl(\Phi(p(q)),e^{*}\bigr)\,\bigr|
\;\le\;L_i\,\sqrt{2\,D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)}。
\tag{5.10}
$$
さらに、もし $u=\pi$ が達成されていれば
$$
\bigl|\,U_i^{*}(\pi)-U_i\bigl(\Phi(p(q)),e^{*}\bigr)\,\bigr|
\;\le\;2L_i\,\sqrt{\frac{\Delta}{b}}
\;\xrightarrow[b\to\infty]{}\;0
\tag{5.11}
$$
が成り立つ。
*証明* 式(5.1) と仮定 5.2 より、任意の $\theta\in\Theta$ について
$$
\bigl|\hat u_i\bigl(p(q),\theta\bigr)-\hat u_i(\pi,\theta)\bigr|
\;\le\;L_i\,\|\,p(q)-\pi\,\|_{1}
\;\le\;L_i\,\sqrt{\,2\,D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)\;+\;\frac{4\Delta}{b}\,}。
$$
これを $\pi(\theta\mid e^{*})$ で重み付けて総和すれば式(5.9) が従う。式(5.10)、式(5.11) はそれぞれの極限および $u=\pi$ の代入から直ちに従う。
**系 5.2(uniform 初期化の一様上界)** 初期価格を一様 $u_j=1/K$ にとると $D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)\le\ln K$ であるから、
$$
\bigl|\,U_i^{*}(\pi)-U_i\bigl(\Phi(p(q)),e^{*}\bigr)\,\bigr|
\;\le\;L_i\,\sqrt{\,2\ln K\;+\;\frac{4\Delta}{b}\,}
\tag{5.12}
$$
が任意の $\pi$ に対して成り立つ。
### 5.3 Maskin–Tirole の共通事前仮定に関する含意
完備契約ベンチマークは共通事前 $\pi$ を直接参照する。一方、本章の結果は、共通事前の直接参照を市場価格 $p$ の参照へ置き換えても、厚生差が
$$
\bigl|\,U_i^{*}(\pi)-U_i\bigl(\Phi(p(q)),e^{*}\bigr)\,\bigr|
\;\le\;L_i\left\{\delta_{\mathrm{cal}}(u,\pi)+\delta_{\mathrm{mkt}}(b,\Delta)\right\}
\tag{5.13}
$$
で上から評価できることを与える。すなわち、適切な初期化 $u$ と十分な流動性 $b$、および在庫上限 $\Delta$ の下で、共通事前仮定は厚生の意味で**近似的に無関連**であるという含意が得られる。特に $u=\pi$ が達成される場合、式(5.11) より $b\to\infty$ で first-best 厚生に収束する。
### 5.4 パラメータ依存性と計量的トレードオフ
本節では式(5.13) の右辺がパラメータにどのように依存するかを整理する。
**命題 5.3(単調性)** $\delta_{\mathrm{mkt}}(b,\Delta)=2\sqrt{\Delta/b}$ は $b$ に対して減少、$\Delta$ に対して増加である。また、LMSR におけるマーケットメーカーの最悪損失上限は $b\ln K$ であり、$b$ に対して増加である。
*証明* $\partial\delta_{\mathrm{mkt}}/\partial b=-\sqrt{\Delta}/(b^{3/2})<0$、$\partial\delta_{\mathrm{mkt}}/\partial \Delta=1/\sqrt{\Delta b}>0$。最悪損失は第4章式(4.7)。
**系 5.4(トレードオフ)** $b$ を大きくすれば誤差上界は小さくなるが、同時に最悪損失上限が増大する。逆に、$\Delta$ を厳格にすれば誤差上界は縮小するが、取引の可動域は制約される。したがって、$(b,\Delta)$ の選択は誤差低減と市場運営コストの均衡問題として位置づけられる。
このように在庫上限と流動性という観測可能かつ操作可能なパラメータを用いれば、LMSR 価格を共通事前の代替として参照する価格ベース契約が、完備契約の厚生を明示的な誤差内で近似実装できることを示した。誤差は、初期価格と真の分布の乖離を表す $\delta_{\mathrm{cal}}(u,\pi)$ と、在庫・流動性に起因する $\delta_{\mathrm{mkt}}(b,\Delta)$ に分解され、前者は初期化の精度により、後者は市場設計により制御される。本章の結果は、Maskin–Tirole 型の共通事前仮定を、市場価格参照という実装可能な仮定へと置換しても、厚生の観点からベンチマーク契約に一定の精度で近接できることを理論的に裏づけるものである。
## 第6章 価格参照下の誘因適合性
本章では、第3章で確立した番号ベース契約の実装論を前提として、参照パラメータが市場価格である場合の誘因適合性を定式化する。ここでの焦点は、価格参照の可検証性と参照価格の外生性(ないしは限定的内生性)であり、これらを満たす限り、第3章のメカニズム的構成を重複なく継承できること、さらに第5章の近似厚生評価と設計上分離できることを示す。
### 6.1 参照規則と可検証性
参照価格は、事前に公表された規則 $R$ によって確定されるものとする。取引過程 $\{p(t)\}_{t\le T_{\mathrm{fix}}}$ に対し、
$$
\bar p \;:=\; R\bigl(\{p(t)\}_{t\le T_{\mathrm{fix}}}\bigr)\in\Delta(\Theta)
\tag{6.1}
$$
を参照値とし、契約は $\Phi(\bar p)=(x(\bar p),y_1(\bar p),y_2(\bar p))$ を規定する。
**仮定 6.1($p$–整合性の可検証性)** 時点 $T_{\mathrm{fix}}$ において、提示された行動・解読キーが $\bar p$ と**整合**するか否かは、公的に可検証である(すなわち、$\Phi(\bar p)$ が一意に規定する可観測要素に対し、整合・不整合が客観的に判定可能である)。
> 直観的には、第3章での「番号付き効用に対する整合性判定」を、$\bar p$ を固定したうえでの「価格参照に対する整合性判定」に置き換えた仮定である。可検証性は $\bar p$ の値それ自体にのみ依存し、$\pi$ への近似誤差とは独立である。
### 6.2 価格参照下の真実整合性(第3章の継承)
第3章のチャレンジ–ペナルティ方式のメカニズムは、可検証性の対象が「番号」から「$\bar p$ に整合する行動・移転」へと置き換わっても、同型に適用できる。ここでは結論のみを記す。
**命題 6.1(真実整合性の十分条件)**
仮定 6.1 の下で、罰則 $P>0$ を十分大きく設定すれば、時点 $T_{\mathrm{fix}}$ における均衡行動は「$\bar p$ に整合する行動・解読キーの提示」および対応する移転の実施となる。すなわち第3章で示した真実整合的実施は、参照対象が $\bar p$ に変わっても保たれる。
*スケッチ* 第3章の命題では、整合性判定の被検証命題が「番号付き効用」だった。ここでは被検証命題が「$\Phi(\bar p)$ による規定に整合」である点のみが相違であり、挑戦の成立条件と罰則の役割は同一である。
この命題は、**実施段階の誘因**が $\bar p$ の近似誤差とは無関係であることを示す。第5章の厚生誤差は ex ante の期待に現れる一方、ex post の実施は可検証性と罰則のみで確保される。
### 6.3 参照価格の外生性と限定的内生性
参照価格 $\bar p$ が当事者の逸脱によって恣意的に操作されると、命題 6.1 は依然として成り立つものの、**操作による私的利得**が生じうる。以下では、外生性を仮定する場合と、限定的内生性を仮定する場合を分けて十分条件を与える。
#### 6.3.1 外生性
**仮定 6.2(外生的参照価格)**
契約当事者のいかなる単独行動も、参照規則 $R$ により確定される $\bar p$ を変えることができない(例:当事者の取引禁止、第三者市場の価格参照、または各当事者の影響が無視可能な厚い市場)。
この場合、操作利得はそもそも発生しないため、命題 6.1 と第5章の結果は無条件に適用できる。
#### 6.3.2 限定的内生性($\eta$–影響の上界)
外生性を強く仮定しない場合、参照規則 $R$ の下で各当事者の影響力に上界を置く。
**仮定 6.3($\eta$–影響の上界)**
当事者 $i$ の任意の単独逸脱に対し、参照値の変化は
$$
\bigl\|\,\bar p^{\,\mathrm{dev}}-\bar p\,\bigr\|_{1}\;\le\;\eta_i
\tag{6.2}
$$
を満たす。
ここで $\bar p^{\,\mathrm{dev}}$ は当事者 $i$ が最適に振る舞ったときに誘発し得る参照値である。上界 $\eta_i$ は、例えば在庫上限、取引時間帯のランダムサンプリング、複数市場のメディアン集計、当事者の建玉制限などから制度的に導出される。
**命題 6.2($\eta$–操作利得の上界)**
第5章の仮定($L^1$–リプシッツ性)を満たすとき、当事者 $i$ が参照値を操作して得られる厚生上の上積みは
$$
\sup_{\text{単独逸脱}}\,\Bigl\{\,U_i\bigl(\Phi(\bar p^{\,\mathrm{dev}}),e^{*}\bigr)-U_i\bigl(\Phi(\bar p),e^{*}\bigr)\,\Bigr\}
\;\le\; L_i\,\eta_i
\tag{6.3}
$$
で上から抑えられる。
*証明* $L^1$–リプシッツ性より $|\hat u_i(\bar p,\theta)-\hat u_i(\bar p^{\,\mathrm{dev}},\theta)|\le L_i\|\bar p-\bar p^{\,\mathrm{dev}}\|_1$。$\pi(\theta\mid e^{*})$ で重み付けて総和し、(6.2) を用いる。∎
**系 6.3(操作抑止の十分条件)**
罰則 $P$ を $P>L_i\,\eta_i$ と選べば、任意の単独逸脱に対する操作利得は非正となり、参照価格操作は抑止される。
> 備考。LMSR の具体的パラメータ $(b,\Delta)$ は $\eta_i$ の制度的上界を導出する際に用いられ得る(例:在庫上限と時間集計から生じる価格変位の上界)。ただし、**命題 6.2 は $(b,\Delta)$ を前提せず**、可観測な影響上界 $\eta_i$ のみで表現される。
### 6.4 誤差評価との分離
本節では、誘因の議論が第5章の近似厚生評価と分離可能であることを明示する。
**命題 6.4(分離)**
仮定 6.1 と、仮定 6.2 もしくは仮定 6.3・系 6.3 の下では、
(i) 実施段階の真実整合性は命題 6.1 により確保される、
(ii) 近似厚生誤差は第5章の上界
$$
\bigl|\,U_i^{*}(\pi)-U_i\bigl(\Phi(\bar p),e^{*}\bigr)\,\bigr|
\;\le\;L_i\left\{\sqrt{2D_{\mathrm{KL}}(\pi\|u)}+2\sqrt{\tfrac{\Delta}{b}}\right\}
$$
のとおりであり、誘因に関する $\eta_i$ や $P$ の選択とは独立である。
*証明* (i) は命題 6.1。 (ii) は第5章の導出が参照値 $\bar p$ を所与として行われることに依存しており、$\bar p$ の生成メカニズム(外生・内生の別)には依存しない。
本章は、価格参照を採用した実装において、可検証性と参照価格の外生性(または限定的内生性の上界)を仮定すれば、第3章のメカニズム的実装を重複なく継承できることを示した。とりわけ、(i) 参照規則 $R$ と可検証性により ex post の真実整合性が確保され、(ii) 参照価格への影響を $\eta_i$ で上界づけることにより、罰則 $P$ の単純な閾値条件 $P>L_i\,\eta_i$ で操作が抑止できる。さらに、(iii) これらの誘因上の要件は第5章の近似厚生評価と設計上分離され、共通事前を市場価格により置換したときの近似的無関連性の主張を損なわない。
## Ref
- [Unforeseen Contingencies and
Incomplete Contracts](https://scholar.harvard.edu/files/maskin/files/unforeseen_contingencies_and_incomplete_contracts.pdf)
- [Logarithmic Market Scoring Rules for
Modular Combinatorial Information Aggregation](https://mason.gmu.edu/%7Erhanson/mktscore.pdf)
- [A Utility Framework for Bounded-Loss Market Makers](https://arxiv.org/abs/1206.5252)