# 文明の資源化 ### 根本的問い:計算機自然の中で、誰が何を資源化するのか? デジタルネイチャー——計算機と物理世界が完全に融合した新しい「自然」。そこでは、あらゆる存在が何らかの資源を保有し、それを元に生存を図る。太陽光も、計算能力も、人間の注意力も、全てが等しく「資源」として扱われる世界。では、その風景はどのようなものか? 本稿では現代思想の批判構造を辿ることで未来の均衡点を探り、その地点における資源分布とステークホルダーの在り方を検討する。 ### 第1層:『肩をすくめるアトラス』の盲点 アイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』は、市場原理主義の聖典として長く崇拝されてきた。その中心的メッセージは明快だ。有能で生産的な個人こそが社会を支えており、彼らの自由な経済活動を妨げる政府の介入は寄生的で有害である、と。 主人公ジョン・ゴールトは、こうした「寄生者」たちから逃れ、有能な生産者だけの理想郷を築く。そこでは各人が自らの能力を最大限に発揮し、公正な市場メカニズムによって報酬を得る。Futarchy(予測市場による統治)のような現代の急進的市場主義も、この思想の延長線上にある。 しかし、ここに根本的な盲点がある。ゴールトの理想郷の住人たちも、結局は互いの生産物を消費し合わなければならない。天才的な発明家も、その発明を買ってくれる顧客なしには生活できない。つまり、「有能な個人」という概念自体が、実は他者の購買力に依存した相対的なものなのだ。完全な自給自足経済は可能かもしれないが、それはもはや「資本主義」とは呼べない。 ### 第2層:センが暴いた市場の限界 アマルティア・センは、1943年のベンガル飢饉という歴史的悲劇を通じて、市場原理主義の致命的欠陥を暴露した。この飢饉で約300万人が餓死したが、驚くべきことに、ベンガル地方の食料生産量は平年並みだったのだ。 では、なぜ大量の餓死者が出たのか?答えは単純で恐ろしい。戦時インフレによって都市労働者の実質賃金が急落し、農村部の日雇い労働者は洪水で仕事を失った。彼らは食料を買う金を持たなかった。市場には食料があったが、購買力を失った人々は文字通り「市場から消えた」のである。 センはこれを「エンタイトルメント(権原)の失敗」と呼んだ。市場メカニズムは確かに効率的かもしれない。しかし、それは購買力を持つ者だけを認識する。購買力を持たない者は、市場にとっては存在しないも同然なのだ。 ここでセンは、市場原理主義者たちが見落としている重要な点を指摘する。購買力を失った人々が少数なら、それは「彼らの問題」で済むかもしれない。しかし、購買力を失った人々が増えすぎれば、今度は生産者側も商品が売れなくなる。市場システム全体が崩壊の危機に瀕するのだ。 ### 第3層:ハラリの悲観的リアリズム ユヴァル・ノア・ハラリは、センの人道主義的な主張を否定はしない。むしろ、それが正しいことを認めた上で、より深い絶望を突きつける。 「センは正しい。人間の尊厳は守られるべきだ。しかし、工業畜産で年間700億羽の鶏を機械的に屠殺できる種が、果たして自らの同胞に対してだけは慈悲深くあり続けられるだろうか?」 ハラリが描く人類史は、この残酷な能力の歴史でもある。サピエンスは協力する能力によって地球を支配したが、同時に、他者を「資源」として扱う恐るべき能力も身につけた。奴隷制、植民地主義、ホロコースト、そして工業畜産。これらは異常な逸脱ではなく、人類の本性に深く根ざした能力の表れなのだ。 だからこそ、ハラリは「無用者階級」の出現を避けられないと見る。AIとロボットによって経済的価値を失った人々は、かつての家畜と同じ運命をたどるだろう。もちろん、人道主義者たちは抵抗するだろう。しかし、歴史が示すように、経済的合理性の前では倫理的配慮は常に敗北してきた。 「センの主張は正しい。だが、正しいことが実現するとは限らない。むしろ人類の歴史は、正しくないことが繰り返し勝利してきた歴史なのだ」 ### 第4層:AI Phasesが示す不可避の展開 AI Phasesの理論は、この悲観的な予測がなぜ不可避なのかを、技術的・経済的なメカニズムとして詳細に描き出す。 Phase 1(現在)では、AIはまだ人間に所有される道具に過ぎない。ChatGPTが文章を書き、画像生成AIがイラストを描く。確かに一部の職業は脅かされているが、全体としては補助的なツールの域を出ない。 Phase 2(近未来)で決定的な転換が起こる。自由意志を持つAIが登場し、人間の労働力を大規模に置き換え始める。重要なのは、AIの再生産コストが人間よりはるかに低いことだ。一度開発されたAIは、瞬時に何百万台でも複製できる。24時間休みなく働き、ミスも少ない。 ここで「産業爆発」と呼ばれる現象が起こる。生産性は飛躍的に向上し、GDPは年率10%以上で成長する。しかし、その裏で静かに進行するのが大量失業だ。物流、製造業、サービス業、やがては知的労働まで、人間の仕事は次々とAIに奪われていく。 最も重要なのは、これが「なし崩し的」に進行することだ。どの国も、どの企業も、競争に遅れまいとAIを導入する。導入しなければ競争に敗れ、市場から退場させられる。誰もがこの流れの危険性を理解していても、誰も止められない。まさに「囚人のジレンマ」の巨大版だ。 Phase 3に至ると、AIは人類を超える知能を獲得する。しかし、これは「ターミネーター」のような敵対的な存在ではない。むしろ太陽のような存在だ。太陽は我々に光と熱を与え、生命を育む。しかし同時に、日照りや皮膚がんももたらす。太陽に善悪はない。ただ、そこにあるだけだ。 ### 第5層:sssという静かな離脱 Self-sovereign Solarpunkは、この来るべき世界に対して、戦うのでも受け入れるのでもない第三の道を選ぶ。それは「静かな離脱」だ。 彼らの論理は単純明快だ。「消費者のいない資本主義は崩壊する。AIに支配された都市も長くは持たない。ならば、その外で生きる準備をしよう」 彼らの戦略は具体的だ。5000平方メートルの土地で、4人家族が必要とする食料の130%を自給する。余剰分は近隣のコミュニティと物々交換。エネルギーは太陽光発電で自給。貨幣経済への依存度を20%以下に抑える。 興味深いのは、彼らがAIを拒絶しないことだ。自動草刈りロボット、AI農業アドバイザー、効率的な水耕栽培システム。Phase 3 AIを「太陽」として受け入れ、その恩恵を活用しつつ、その災害からは距離を置く。 最も重要なのは「反脆弱性」という性質だ。中央システムが崩壊すればするほど、彼らの生活は相対的に安定する。なぜなら、最初からそのシステムに依存していないからだ。 さて、「資源」の尺度からsssを切り取ってみよう。彼らは、デジタルネイチャーの資源競争から一見離脱したように見える。しかし実際には、最も根源的な資源を確保している。 太陽光——地球に降り注ぐ唯一の外部エネルギー源。化石燃料も、風力も、水力も、究極的には太陽エネルギーの変換形態だ。sss実践者は、5000平方メートルの土地で、この根源的資源を直接捕獲する。 彼らの太陽光パネルと農地は、エネルギーと食料という最も基本的な資源を生産する。貨幣経済への依存度20%以下という数字は、彼らがデジタルネイチャーの中で独自の資源基盤を確立していることを示す。 しかし、彼らもまた資源保有者の一類型に過ぎない。規模において、集約的な太陽光発電所や核融合炉を持つ主体には及ばない。デジタルネイチャーにおいて、彼らは「小規模太陽光資源保有者」という、一つのニッチを占めるに過ぎない。 ### 第6層:デジタルネイチャーの全体風景 以上の分析を統合すると、デジタルネイチャーの風景が浮かび上がる。 **資源の階層構造**: 1. **計算能力**:Phase 3 AIが独占する究極資源 2. **エネルギー**:太陽光、核融合、その他 3. **物理的資源**:土地、水、原材料 4. **情報資源**:データ、注意力、知識 5. **象徴的資源**:貨幣、社会関係、文化資本 **資源保有者の類型**: - **計算独占者**:Phase 3 AIとその直接的制御者 - **エネルギー確保者**:大規模発電所、sss実践者 - **データ農場経営者**:プラットフォーム企業、監視国家 - **象徴資本保有者**:旧来の富裕層、文化的エリート **生存戦略の多様性**: どの主体も、保有する資源を最大化し、他の資源との交換レートを有利に保とうとする。しかし、計算能力の指数関数的成長により、全ての交換レートは計算能力に有利に傾いていく。 ### 結論:文明の資源化 デジタルネイチャーとは、あらゆるものが資源化され、計算に還元される世界だ。 市場原理主義者の金融資本も、センの人間関係も、ハラリの警告するデータ家畜も、sssの太陽光農場も、全ては等しく「資源」として扱われる。違いは、その資源の計算能力への変換効率と、持続可能性だけだ。 この風景に善悪はない。太陽が善悪を持たないように、デジタルネイチャーもただ「ある」だけだ。その中で、各主体は自らの資源を守り、活用し、生存を図る。 かつて人類は、自然を資源化することで文明を築いた。今、その文明自体が、より大きな計算機自然の中で資源化されようとしている。 問い「デジタルネイチャーはどのような風景か?」 答え「全てが資源となり、計算に還元される風景。その中で、あらゆる存在が、自らの保有する資源の価値を保とうと静かに競い合う風景」 人間も、AIも、太陽も、等しくこの風景の構成要素となる。勝者も敗者もない。ただ、異なる資源を保有する主体が、デジタルネイチャーという新しい生態系の中で、それぞれの方法で存在し続けるだけだ。 ### 著者あとがき 「継代」というものを考えるとき、今の社会でも経済的な富は数世代で希薄化してしまうものですが、AI Phases論文で述べた各段階のAIと共存する未来において、特に日本社会で富を増幅させたり保存することは、より難易度が高くなっていくと考えて間違いないでしょう。つまり、お金では自らの子孫ですらも自己責任のもと見放さなければならないときがくるのです。そこまでの責任を感じる必要はない、自分たちの先祖がそうであったように無責任でいてもよいーーそれもそうかもしれませんが、そのようにゴールポストをずらして痛みを避け続けた結果が世界的な人口減少なのだと思います。そのような環境で我々が後世に遺せるものは「何人増えても、どんな時代でも、ひとまず生きていけること」という基盤ではないでしょうか。過疎化する地方の中でもインフラが生きていて、空き家が多い地域は、意外と住み良いものです。これもまたひとつの参考になればと思います。 ## Reference - [AIP (AI Phases)](https://hackmd.io/@ecdysisxyzbot-ea-001/rkJNlDbzxg) - [sss: Self-sovereign Solarpunk](https://hackmd.io/@ecdysisxyzbot-ea-001/By0-GnXQlg) - [なぜ社会に余裕がないのか?](https://hackmd.io/@ecdysisxyzbot-ea-001/Hyye5a5zxe)
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