創作についてちょっと思うことがあったので。 最近、というわけでも無いんだけど、自分には一定のレベル以上のものが作れないんだなあというコンプレックスがあります。 動画も、デザインもそうです。最近だと絵もそうですかね?わからん。 これは練習不足とか以前の話として、そこまで練習するような熱意が無いんだな、と自分にガッカリする感じです。 決して「皆さんセンスありますね、上手でいいですね才能のある人は」みたいなアレじゃないです。 練習や努力には熱意が必要です。 またの名を「デカい感情」というやつです。 創作に対するデカい感情を持っていなければきっと人を感動させることなど出来やしません。 せいぜい自分が気持ちの良いと感じるものを作って、一時的には俺やればできる子だなーとなって、でも目だけは肥えているからあとで「は?」となって、それを繰り返すんです。 ただこれに気づいて困った…と思うと同時に、自分の源泉はここじゃないんだなとも最近気づきました。 何らかを「作れる」ことに強い憧れがあります。創作をする人たちも大好きです。 この人達に向けて「あ~~」ってなるのは、自分がオモシロイと思ったことを自分の手で具現化できるからです。多分ですけど。 極端な例を出しますと、僕が昔見ていた動画シリーズ「ニコニコ技術部」があります。 あそこにいる人達は「これ面白そうやん!」と思ったときにそれを本当に作ってしまう知識や技術を持っているんです。 その流れもあって、僕は「技術の無駄遣い」「野生のプロ」「なぜベストを尽くしたのか」あたりのタグがついた動画が本当に好きです。 もしかしたらMADも同じかも知れません。「このアニメとこの曲合うやん!」という発想をそのまま作れてしまうのが最高という点があるんじゃないかな。 つまり、人を感動させようとかアレに感動したから俺もやりてえとか、爆発しそうな感情を発散・表現しようだとか、自分はそういうのでものを作っていないんだな…ということに気づいたのです。 思いつきを具現化する手段、それが動画なり何なりという感じだったのでしょう。 絵日記とかで絵の練習が止まってるのも、自分がパッと思いついたある程度のところはそれで作れてしまっているからその先への向上心が無いのでしょうね。 作って楽しいことは確かだけど実際ヘタなのも変わらないから、熱意不足を棚に上げてうーんと唸っている…何してるの? それはそれとして、思いつきを具現化する手段として、もう一つやり方があります。 俺に作れないものは人に作ってもらおう…というヤツです。 僕はプロみたいなかっこいい動画は作れません(少なくとも自分ではそう感じる)。かわいい絵も描けないしエモいデザインもできないし、あなたなんにもできないのね。 でも幸いにも力を貸してくれる人は周りにいましたので、全力で借りて色々作れました。 ここで気づきました。「俺が直接つくる意味、ねえな………」「クオリティ高いんならそのほうがええやんな………」 多分この辺が全力で技術を追求したり表現の工夫に苦悩したりできない根底なんだろうな。俺が作るより上手い人がいて、助けてくれちゃうという幸運。という気づきでした。 ていうか得意な人がいるならその人に任せてクオリティ上げたいと思うのは当たり前なんだよな。 適材適所でもの作るの大好き、俺がいないと出来なかったものが目の前にある状況がすごく生きてる感じがする。 色々書いたけど多分これだけ。 うーん、全然まとまらなかった。何が言いたかったんですかね。 恥ずかしくなったら消すと思います。