# 1.3 ホモ・デウス 4章5章 (7/23)
###### tags: `ホモ・デウス`
7/23 21:00 ~
【今回のお試し】6ターン制導入(1ターン20分くらい)
## お通し
21:00 ~ 21:30
- やっほー隊(古堅)
- INSIDE(古堅)
- ばっきーからの電話(古堅)
- 読書会について(古堅)
```
- 内的な動機と外的な動機
第二言語習得論
- 前適応
進化前の
- 選択盲
単純な脳、複雑な私
```
## ❶請藏
21:30 ~ 21:50
## ①古堅
21:50 ~ 22:10
### 文書の影響力
- 書字と貨幣の発明が人間の脳のデータ処理の限界を打ち破った。(197)
- アルゴリズムを構築することで、運命は生身の人間ではなくシステムに委ねられるようになった。(199)
- 文字で表すことは、現実を作り変える強力な方法になっていた。(206)
- 成績はどれだけうまくいっているかを測る手段だったが、学校ではごく自然に、いい成績を達成することに的を絞り始めた。(209)
<html>
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</head>
<body>
<div class="comment">
<p>
文書は事実を100%で記録しているとは限らない。自分自身、歴史を習っていて疑問に思っていた。<br/>
データはどうか。これも事実を100%で記録しているとは言い切れない。
そもそも脳が事実を100%記憶しているとは言えないので、信じている事実にも誤差があるのだと意識しようと思った。
→ 何が捨象されているかの意識が助けになる。
</p>
<p>
プロ野球でも選手の成長度合いを見て球団の育成システムを評価している。一方、敗北やチーム低迷は監督のせいだとよく言われる。監督の采配はアルゴリズム化されていないから?
→システム化できないものの表れ?
</p>
<p>
思考の整理学では、学校は飛行機ではなくグライダーのような自力では飛べない教育になっていると言っていたが、点数による好成績を目指す以前もそのような受け身の教育だったのか?
</p>
</div>
</body>
</html>
## ❷請藏
22:10 ~ 22:30
## ②古堅
22:30 ~ 22:50
### 虚構と現実の区別
- 虚構の信念を従順な現実に押しつける能力にかかっている。(211)
- 自分中心の世界で考える自己陶酔は幼少期の人間全員に共通する特徴。(213)
- 採用された基準が満たされたとき、それが虚構だとしても、そのシステムはうまくいっているように見える。(215)
- 企業やお金や国家は私たち自身に役立てるために創り出したにも関わらず、気がつくとそれらのために自分の人生を犠牲にしている。(219)
- 虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる。
<html>
<head>
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<body>
<div class="comment">
<p>
俺のせいだと考える思考が恥ずかしくなったし(笑)、その考えは真実を捉える上で邪魔になると改めて感じたので、気をつけたい。
→自責思考と他責思考をバランスよく使いたい。
</p>
<p>
社会人としての老後に対して、お金の不安と同じくらい"居場所がなくなることへの不安"があると聞いた。自分の人生を犠牲にしているに加え自分の人生に意味を与えるものも虚構なので、就活で一喜一憂するのが少しバカらしく見えてきた。(【内なる古堅】まじで就職決めたい、やばい焦る)
</p>
<p>
1章でもあったように、科学の力が宗教の世界を現実にするということが、この本で気づけたことの一つで、今までの「科学VS宗教」という考えに待ったをかけた。争うところはあるが、切磋琢磨しているイメージになった(?)
</p>
</div>
</body>
</html>
## ❸請藏
22:50 ~ 23:10
## ③古堅
23:10 ~ 23:30
### 宗教と科学の欠点
- 人間の法や規範や価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語なら、そのどれもが宗教だ。(223)
- 霊的な旅は孤独。(230)
- 「倫理的な判断」「事実に関する言明」「実際的な指針」(235)
- 幸福には科学的な定義も測定法もない。(241)
<html>
<head>
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<body>
<div class="comment">
<p>
宗教の考え方を3つの段階分けて、科学的に証明できる要素があると説明していたことが、説得力があってよく考えているなと思った。
</p>
<p>
言葉は二元論の名残らしいから違和感はあるが、レールから外れた道を歩むことは霊的な旅と言えるのだろう。そう思うと、ワクワクを抜きにしてもそちらの方が魅力的に見える。<br>
生きがいについてでは、「神を信じることで、自己の生を楽に正当化できるが、自分で生の肯定をできずに苦しむ人もいる。」と書いてるが、今回で、その苦しみというのは、答えがないからということに加えて孤独であることが多いからということもあると知った。
</p>
<p>
セロトニン・オキシトシン・ドーパミンによる3つの幸せを幸福の定義に使うことはできないか?型に落とし込む危険性もあるが、考える価値はあるのかなと思った。
</p>
</div>
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</html>
## 請藏
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ノートブックのエクスポート
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ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来
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ユヴァル・ノア・ハラリ
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<hr />
<div class="sectionHeading">
第 4 章 物語 の 語り手
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<div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_orange">オレンジ</span>) - 位置3010
</div>
<div class="noteText">
今日のサンフランシスコで、たとえばジョンはグーグルに雇われ、メアリーはマイクロソフトで働いているのとちょうど同じで、古代のウルクでは、ある人は偉大な神エンキに雇われ、その隣人は女神イナンナに仕えていた。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置3012
</div>
<div class="noteText">
やはり未来から見つめてみると、企業に勤めること自体、その時代特有の共同主観的な虚構のウェブに支配されたおかしなことなのかもしれない。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置3119
</div>
<div class="noteText">
想像上の存在がものを建設したり人を支配したりすると考えるのは、奇妙に思えるかもしれない。だが今日、私たちは日頃から、アメリカが世界初の核爆弾を製造したとか、中国が三峡ダムを建設したとか、グーグルが自動走行車を造っているとか言っている。それならば、ファラオが貯水池を造ったとか、セベクが運河を掘ったとか言ってもおかしくないではないか。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置3243
</div>
<div class="noteText">
もしある聖典が現実を誤って伝えていたら、理屈の上では、信奉者たちが遅かれ早かれそれに気づき、その聖典の権威が損なわれるはずだ。エイブラハム・リンカーンは、すべての人をずっと騙し通すことはできないと言っている。残念ながら、それは考えが甘い。実際には、人間の協力ネットワークの力は、真実と虚構の間の微妙なバランスにかかっている。もし誰かが現実を歪め過ぎると、その人は力が弱まり、物事を的確に見られる競争相手に歯が立たない。その一方で、何らかの虚構の神話に頼らなければ、大勢の人を効果的に組織することができない。だから、虚構をまったく織り込まずに、現実にあくまでこだわっていたら、ついてきてくれる人はほとんどいない。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置3250
</div>
<div class="noteText">
ではなぜ、虚構は効果的に大勢の人を組織できるのか。
認知的負荷が下がる。熱狂する。
影響力の武器
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_pink">ピンク</span>) - 位置3292
</div>
<div class="noteText">
そのような自己陶酔は、幼少期の人間全員に共通する特徴だ。どんな宗教や文化の中で育った子供も、自分が世界の中心だと考え、その結果、他の人々の境遇や心情に対しては心からの関心をほとんど示さない。だから子供は親の離婚に深く傷つく。五歳児は、自分と無関係の理由で何か重大なことが起こっているのが理解できない。両親が、二人ともそれぞれ自分の問題や願望を持つ独自の人間であることや、子供のせいで離婚したのではないことを何度説明しても、その子には理解できない。彼は何事も自分のせいで起こると固く信じている。ほとんどの人は、この子供じみた妄想から抜け出す。だが、一神教の信者は死ぬまでその妄想にしがみついている。自分のせいで両親が争っているのだと考えている子供と同じで、一神教の信者は自分のせいでペルシア人がバビロニア人と戦っていると確信しているのだ。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_pink">ピンク</span>) - 位置3370
</div>
<div class="noteText">
したがって、どんな人間のネットワークであれ、その歴史を詳しく調べるときには、ときどき立ち止まって、何か現実のものの視点から物事を眺めてみるのが望ましい。では、あるものが現実のものかどうかは、どうすればわかるだろう? とても単純だ。「それが苦しむことがありうるか?」と自問しさえすればいい。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_pink">ピンク</span>) - 位置3380
</div>
<div class="noteText">
虚構は悪くはない。不可欠だ。お金や国家や協力などについて、広く受け容れられている物語がなければ、複雑な人間社会は一つとして機能しえない。人が定めた同一のルールを誰もが信じていないかぎりサッカーはできないし、それと似通った想像上の物語なしでは市場や法廷の恩恵を受けることはできない。だが、物語は道具にすぎない。だから、物語を目標や基準にするべきではない。私たちは物語がただの虚構であることを忘れたら、現実を見失ってしまう。すると、「企業に莫大な収益をもたらすため」、あるいは「国益を守るため」に戦争を始めてしまう。企業やお金や国家は私たちの想像の中にしか存在しない。私たちは、自分に役立てるためにそれらを創り出した。それなのになぜ、気がつくとそれらのために自分の人生を犠牲にしているのか?
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置3387
</div>
<div class="noteText">
私たちは二一世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう。そうした宗教はバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの助けを借り、私たちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、私たちの体や脳や心を形作ったり、天国も地獄も備わったバーチャル世界をそっくり創造したりすることもできるようになるだろう。したがって、虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる。
</div><div class="sectionHeading">
第 5 章 科学 と 宗教 という おかしな 夫婦
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置3434
</div>
<div class="noteText">
科学と宗教にまつわる誤解のほとんどは、宗教の定義の仕方が間違っているために生じる。人は宗教を、迷信や霊性、超自然的な力の存在を信じることや神の存在を信じることなどと、じつに頻繁に混同する。だが、そのどれ一つとして宗教ではない。宗教は迷信と同一視することはできない。なぜなら、大半の人は自分が最も大切にしている信念を「迷信」とは呼びそうにないからだ。私たちはつねに「真実」を信じる。迷信を信じるのは他の人々だけだ。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置3438
</div>
<div class="noteText">
自分が思う真実も迷信であるかもしれないという視点を常に持っておく。
しかしそう言葉で言うのは簡単だが、普通真実と思っているものは、そう思っていると自覚することもなければ、だからこそ疑うことはそれ以上に難しい。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置3447
</div>
<div class="noteText">
宗教を「神の存在を信じること」と定義するのにも問題がある。敬虔なキリスト教徒は神を信じているから宗教的だが、共産主義には神がないから熱心な共産主義者は宗教的ではない、と私たちは言いがちだ。とはいえ、宗教は神ではなく人間が創り出したもので、神の存在ではなく社会的な機能によって定義される。人間の法や規範や価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語なら、そのどれもが宗教だ。宗教は、人間の社会構造は超人間的な法を反映していると主張することで、その社会構造を正当化する。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置3452
</div>
<div class="noteText">
この本での宗教のシニフィエと、一般的に使われる宗教のシニフィエは違う
シニフィアン(ここでの宗教)は同じだが、シニフィエ(その言葉にどんな意味が込められているか)が違っている。
この本での宗教はかなり本質的な捉え方がされている。だから、普段は宗教とは意識されない私たちの社会通念にまで、それは宗教であるというように述べられている。間違ってはいないが誤解も招きそうある。
宗教の本質を捉えている(抽象している)からこそ、その捨象されたものを探らなければならない。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置3533
</div>
<div class="noteText">
この二元論の遺産のせいで、俗世界の慣習や取引を疑って未知の目的地に敢然と向かう旅はみな、「霊的な」旅と呼ばれる。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置3539
</div>
<div class="noteText">
宗教にとって、霊性は権威を脅かす危険な存在だ。だから宗教はたいてい、信徒たちの霊的な探求を抑え込もうと躍起になるし、これまで多くの宗教制度に疑問を呈してきたのは、食べ物とセックスと権力で頭がいっぱいの俗人ではなく、凡俗以上のものを期待する霊的な真理の探求者たちだった。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置3560
</div>
<div class="noteText">
歴史的視点に立つと、霊的な旅はいつも悲劇的だ。社会全体ではなく、個々の人間にだけふさわしい、孤独な道のりだからだ。人間が協力するには確固たる答えが必要で、疑問ばかりでは足りない。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置3562
</div>
<div class="noteText">
無用になった宗教構造にいきり立つ人々は、それに取って代わる新たな構造を作り出すことが多い。二元論者たちにもそれが起こり、彼らの霊的な旅はやがて宗教的な体制となった。マルティン・ルターにもそれが起こり、彼はカトリック教会の戒律や制度や典礼に異議を唱えた後、図らずも、自らが新しい戒律の書物を執筆し、新たな制度を確立し、新たな儀式を考案することになった。それはブッダやイエス・キリストにさえ起こった。二人は断固として真理を追求していくうちに、伝統的なヒンドゥー教とユダヤ教の戒律や典礼や組織を突き崩した。だがけっきょく、歴史上、他の誰と比べても、彼らの名において生み出された戒律と典礼と組織の数のほうが多い。
</div>
</div>
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</html>
## 振り返り・次回の計画
23:30 ~ 24:00