# 1.2 ホモ・デウス 2章3章 (7/16)
###### tags: `ホモ・デウス`
## テーマを決めてプレゼン
#古堅
## 気になったこと
- 農業革命は経済革命であると同時に宗教革命でもあった。
- ?
- 科学者は適切なニューロンを電気的に刺激して、怒りや愛の感情を誘発することさえできる。
- 電気信号によって全システムが機能しているのなら、いったいぜんたい、なぜ私たちは恐れを感じる必要まであるのか?
- 身体的活動の99%が意識的な感情を全く必要とせずに起こる。
- 主観的経験を含むアルゴリズムは知られていない。
- 現象的意識
> 現象的意識(げんしょうてきいしき、英: phenomenal consciousness)は、人間の意識という言葉に関する区分のひとつで、質的な内容を持った、主観的な体験のこと。現象的意識に含まれる個々の質感のことをクオリアと言う。
- 現代の政治や倫理の体系は主観的経験の上に成り立っており、脳の活動にだけ注目して解決できる倫理的ジレンマはほとんどない。
- 心も科学のゴミ箱に放り込まれた魂や神やエーテルの仲間入りをするべきかもしれない。
- 生き物とアルゴリズムとの類似性は、私たちを誤った方向に導きかねない。
- 経験することはどれも、脳の中の電気的活動の結果であり、従って「リアルな」世界とは私には区別のしようがないバーチャルな世界をまるごとシュミレートすることは、理論上可能。
- 名探偵コナン「ベイカー街の亡霊」
- 自分が経験している不快感に動機づけられており、その感覚を止める以上のことを使用しているわけではないという。無数の見知らぬ相手と非常に柔軟な形で協力できるのはサピエンスだけだ。
- 密接な関係を結べる相手は150人が限界であることが、調査でわかっている。
- フォロワーや友達
- 共同主観的現実
### 追読本
- 感情の正体
# 議事録
- ミーム
- 文化的に生き残ったもの
- ポスト構造主義
- ゲーデルの不完全生理
- 単純な脳、複雑な私
## 保留
- 提示されたほうのエリート層がこの不公平な提案を受け容れ、一〇〇億ドルのほとんどを横領して、スイスの銀行にある自分たちの口座に送り、アメとムチの組み合わせで、支持者の間に反乱が起こるのを防ぐことは十分ありうる。
- そのような脅しと約束は、安定した人間のヒエラルキーと大規模な協力のネットワークを生み出すのにしばしば成功する──人々が、そうしたヒエラルキーやネットワークは、人間のただの気まぐれな思いつきではなく、必然的な自然の摂理あるいは神の神聖な命令を反映していると信じているかぎりは。大規模な人間の協力はすべて、究極的には想像上の秩序を信じる気持ちに基づいている。
→ この妄信を打ち砕く問いや説明はないか。
# 請藏
## 読書会のためにメモしていたこと
### ホモ・デウス
- かなり西洋の文脈で語られている。
- 神話をつくったある主体がいるかのように語られていることに注意。
- 神話はどのようにできたのか。水に流れる意志が無いように、神話も作られていく意志はない。でも流れていく。
- 動物に意識がある気がしない。
- うちはイタチの凄さ
- 共同意識とアバター
- ピダハン
- 物事を相対化する感覚
### その他の話
- 堀元さんのようにはなりたくない
- 論理学を信じるな
https://youtu.be/vUPCiY6prkk
- 赤いカブトムシ
https://youtu.be/G1U2o-fBo4M
- 哲学的ゾンビ
[【漫画】下校時刻の哲学的ゾンビ | オモコロ](https://omocoro.jp/kiji/64616/)
- 中国語の部屋
- 哲学チャンネル
- わたしはどこにあるのか
https://youtube.com/playlist?list=PLmIEdCb2QKW2sl82_NtZrBYgtvtIa-G4Q
>再生リストの6番目の動画(#5)がなぜか一番下にあるから注意
- 思考の整理学 コマ送りと意識
- ンコダイス
## メモ
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ノートブックのエクスポート
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ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来
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ユヴァル・ノア・ハラリ
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第 2 章 人 新 世
</div>
<div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置1594
</div>
<div class="noteText">
ペンシルヴェニア州立大学のスタンリー・カーティス教授は、ハムレットとオムレットと名づけた二頭のブタが鼻先で特製のレバーを操作できるように訓練した。すると二頭はほどなく、単純なコンピューターゲームの学習と実行で霊長類と肩を並べられるようになることがわかった( 14)。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置1597
</div>
<div class="noteText">
それだけブタの知能が高いのならば、苦痛を感じさせず、自身の状況を気づかせないないまま、家畜とし続けることはできないかと考えた。
これ自体恐ろしい考えだが、実は人間社会ではすでに、今見た「人間対家畜」の構図が「人間対人間」の間で存在、今後ますます顕著になっていくのかもしれない。
また顕著になっていくとは言ったが、その構図の家畜にあたる人間達は、先に述べた恐ろしい考えによって生かされるブタのように、その構造に気づくことなく生きていくことになり、さらに彼ら本人にとっては幸せすら感じているかもしれない。この構造を俯瞰すると恐ろしいことだが、本人が幸せならばいいではないかという考えも思いつく。そしてそのことをこの本では述べたいのだと思う。
そこから抜け出したい。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置1718
</div>
<div class="noteText">
科学者がこれを認めるまでには長い年月がかかった。心理学者が、人間の間でさえ親子の情動的絆の重要性を疑っていたのは、それほど前のことではない。二〇世紀の前半には、フロイト理論の影響があったにもかかわらず、支配的だった行動主義学派は、親子関係は物質的フィードバックによって形作られ、子供が必要としているのは主に食べ物と住み処と医療であり、子供が親と絆を結ぶのは、こうした物質的必要性を親が満たすからにすぎないと主張した。思いやりや抱擁やキスを求める子供は、「甘やかされている」と考えられた。親に抱き締められたりキスされたりした子供は、愛情に飢えた、利己的で自信のない大人に育つと、保育の専門家は警告した( 21)。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置1759
</div>
<div class="noteText">
農耕民は自分のしていることを百も承知していた。自分たちが家畜を利用し、人間の欲望や気まぐれのなすがままにしていることを知っていた。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置1760
</div>
<div class="noteText">
本当にそうだろうか。
ある行動に対して何かしらのインセンティブ、モチベーション、圧力があれば、無自覚にその行動をしてしまっていることはあるように思える。
例えば、結果として犯罪となってしまったことに対し、後からの解釈としてそこに悪意を見出すこともできるかもしれないが、実は誰ひとりとして悪意などなかったなんてことはありえそうだ。
マクロとミクロ
複雑系
歴史の正体
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置1761
</div>
<div class="noteText">
彼らはこの行動を、新しい有神論の宗教の名において正当化した。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置1761
</div>
<div class="noteText">
真偽はともかくとして、ある目的の手段として作られた宗教は、それ自体を目的としたものになったとすれば、
それを崇高なものとして崇め奉るその滑稽さは、まさにここにある。
宗教もある種の生物と見なせる。受け入れられなかったものは滅び、より受け入れられる要素(生存に有利な遺伝子)を取り入れ、進化していく。反対勢力は捕食者、競合生物のようなもので、生存が脅かされたならば、そこから学び変化、適応する。時代を経るごとにより強固な宗教が出来上がっていく。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置1928
</div>
<div class="noteText">
農業革命が有神論の宗教を生み出したのに対して、科学革命は人間至上主義の宗教を誕生させ、その中で人間は神に取って代わった。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置1929
</div>
<div class="noteText">
初め、人間至上主義にはあまりピンと来なかった。
しかし、ここまで読み進めてみると、この主義は現代社会を生きることによって、無自覚に身につけていることがだんだん分かってきた。
この本では、農業革命の頃から神話がつくられたと何かしらの主体を想定した語り方をするが、その時代の誰ひとりとしてそれを意識しなかっただろうし、それでも全員がそれに加担していたのだろう。
このことが今の自分にも当てはまると思うと恐ろしい。
思想主義は唱えられた後、社会に浸透していき、それが当たり前である、それが社会通念である世代が出てくる。彼らは自分たちが特定の思想主義を抱いていることには気づかない。
そもそも初め唱えられた主義思想は、実は提唱者ひとりで考えられたものではなく、その時代を反映、もしくはその時代に反発したものであるという意味で、かなり社会からの作用を受けている。
そう考えると、純粋な私の意思など無いように思えてくる。
全てが頼りないものに思えてくる。
</div><div class="sectionHeading">
第 3 章 人間 の 輝き
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置2162
</div>
<div class="noteText">
それ以上に重要なのだが、そのような現象にはどのような進化上の利点がありうるのかも、科学者は知らない。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置2163
</div>
<div class="noteText">
確かに、生物は進化上の利点があるものを獲得してきたはずだが、進化上の利点を目的として突然変異を起こすわけではない。生存に有利にははたらかないが、不利にも働かない、そんな性質が偶然獲得されたならば、淘汰はされないので残り続ける。偶然獲得した性質が生存に有利にはたらきはするが、明らかに必要以上の性質、無駄な能力がある場合も、性質に不利にはたらかなければ残り続け、そのうち強化されていくこともあり得る。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置2279
</div>
<div class="noteText">
最後に、次のような立場を取る科学者もいる。意識は現実のもので、重大な道徳的・政治的価値を持つかもしれないが、生物学的機能は何一つ果たさない。意識は特定の脳の作用の、生物学的には無用な副産物だ。ジェットエンジンは騒々しい音を立てるが、その騒音が飛行機を前に進めるわけではない。人間は二酸化炭素を必要としないが、息をするたびに、空気中の二酸化炭素を増やす。同様に、意識は複雑な神経ネットワークの発火によって生み出される、一種の心的汚染物質だ。意識は何もしない。ただそこにあるだけであるというのだ。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_pink">ピンク</span>) - 位置2287
</div>
<div class="noteText">
ことによると、生命科学はこの問題を間違った角度から眺めているのかもしれない。生命科学では、生命とはデータ処理に尽きる、生き物は計算を行なって決定を下す機械である、と考えられている。とはいえ、生き物とアルゴリズムとの間のこの類似性は、私たちを誤った方向に導きかねない。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置2290
</div>
<div class="noteText">
新しいアイディアは今ある知識が元になっている。
知っているものに引っ張られない方法はないのか。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置2290
</div>
<div class="noteText">
一九世紀の科学者たちは、脳と心を、まるで蒸気機関であるかのように説明した。なぜ蒸気機関なのか? なぜなら、それが当時の最新テクノロジーであり、列車や船や工場の動力源だったので、人間が生命を説明しようとしたとき、生命も蒸気機関と類似した原理で機能しているに違いないと思い込んでいたからだ。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置2342
</div>
<div class="noteText">
もしかしたら、今は二二一六年で、あなたは退屈したティーンエイジャーであり、原始的で胸躍る二一世紀初頭の世界をシミュレートする「バーチャル世界」のゲームに夢中になっているのかもしれない。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置2344
</div>
<div class="noteText">
脳内オカマバー、ナレーションに加えて、精神安定剤として使えそう。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置2509
</div>
<div class="noteText">
私が物乞いにお金をあげるときには、物乞いの姿を目にすることで自分が経験している不快感に反応しているのではないか? 私は本当にその物乞いのことを気遣っているのか、それとも、自分の気分を良くしたいだけなのか( 16)?
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置2712
</div>
<div class="noteText">
サピエンスが(敵対的なもの、好色なもののどちらでも)密接な関係を結べる相手は一五〇人が限度であることが、調査でわかっている( 22)。人間が大規模な協力のネットワークを組織するのを何が可能にしているにせよ、それが親密な関係でないことは確かだ。 これを聞いたら、心理学者や社会学者や経済学者など、研究室での実験で人間社会を解明しようとしている人は頭を抱えるだろう。実験の大多数は、計画と資金の両面の制約のせいで、個々の参加者や少人数のグループを対象に行なわれるからだ。だが、小さなグループの振る舞いに基づいて巨大な社会のダイナミクスについて推論するのは危険だ。一億の国民を擁する国家は、一〇〇人から成る生活集団とは根本的に違った形で機能する。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_blue">青</span>) - 位置2745
</div>
<div class="noteText">
近年には、霊長類学者フランス・ドゥ・ヴァールが行なったこんな実験もある。二頭のオマキザルを隣り合ったケージに入れ、お互い、相手がしていることがすべて見えるようにした。ドゥ・ヴァールらはそれぞれのケージの中に小石を置き、サルたちを訓練して小石を手渡してもらうようにした。サルは石を渡すたびに、代わりに食べ物をもらった。最初、ご褒美はキュウリ一切れだった。サルは二頭ともとても満足し、喜んでキュウリを食べた。それを何度か繰り返してから、ドゥ・ヴァールらは実験の次の段階に進んだ。今度は、一頭のオマキザルが石を渡すと、ブドウを一粒与えられた(ブドウはキュウリよりもずっと美味しい)。ところが、もう一頭が石を渡すと、相変わらずキュウリを与えられた。前はキュウリでとても満足していたこのサルは激怒した。キュウリを受け取ると、一口かじっただけで、怒って実験者に投げつけ、飛び跳ねたり、大きな金切り声を上げたりし始めた。彼は「お人好し」ではなかったのだ( 23)。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_pink">ピンク</span>) - 位置2757
</div>
<div class="noteText">
だが、本当にそうだろうか? これらの説はチンパンジーやオマキザル、狩猟採集民の小さな生活集団には当てはまるかもしれない。人間の小さな集団を対象にして研究室で試した場合にも、うまく当てはまる。とはいえ、人間の大集団の振る舞いを観察すると、完全に異なる現実が見えてくる。人間の王国や帝国のほとんどははなはだ不平等だったが、それでもその多くが驚くほど安定していて効率的だった。古代エジプトでは、涼しい豪華な宮殿で居心地の良いクッションに、金のサンダルを履いて、宝石がきらめく服をまとったファラオが手足を伸ばして寝そべり、美しい乙女たちが甘いブドウをその口に含ませてやっていた。開け放たれた窓から見渡せる畑では、薄汚れたぼろをまとった農民たちが、容赦なく照りつける日差しの下でせっせと働いている。一日の終わりにキュウリを口にできる農民は幸せだった。それにもかかわらず、農民たちはめったに反乱を起こさなかった。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_orange">オレンジ</span>) - 位置2783
</div>
<div class="noteText">
提示されたほうのエリート層がこの不公平な提案を受け容れ、一〇〇億ドルのほとんどを横領して、スイスの銀行にある自分たちの口座に送り、アメとムチの組み合わせで、支持者の間に反乱が起こるのを防ぐことは十分ありうる。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置2787
</div>
<div class="noteText">
そのような脅しと約束は、安定した人間のヒエラルキーと大規模な協力のネットワークを生み出すのにしばしば成功する──人々が、そうしたヒエラルキーやネットワークは、人間のただの気まぐれな思いつきではなく、必然的な自然の摂理あるいは神の神聖な命令を反映していると信じているかぎりは。大規模な人間の協力はすべて、究極的には想像上の秩序を信じる気持ちに基づいている。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置2791
</div>
<div class="noteText">
この妄信を打ち砕く問いや説明はないか。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_pink">ピンク</span>) - 位置2814
</div>
<div class="noteText">
ところが、第三の現実のレベルがある。共同主観的レベルだ。共同主観的なものは、個々の人間が信じていることや感じていることによるのではなく、大勢の人の間のコミュニケーションに依存している。歴史におけるきわめて重要な因子の多くは、共同主観的なものだ。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置2816
</div>
<div class="noteText">
名前をつけることで、今まで存在するのにも関わらず意識されなかったものを、掬い取り輪郭を与えることができる。
だからこそ言葉にこだわるし、積極的に名前をつけたい。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置2840
</div>
<div class="noteText">
貨幣が共同主観的現実であることを受け容れるのは比較的易しい。たいていの人は、古代ギリシアの神々や邪悪な帝国や異国の文化の価値観が想像の中にしか存在しないことも喜んで認める。ところが、自分たちの神や自分たちの国や自分たちの価値観がただの虚構であることは受け容れたがらない。なぜなら、これらのものは、私たちの人生に意味を与えてくれるからだ。私たちは、自分の人生には何らかの客観的な意味があり、自分の犠牲が何か頭の中の物語以上のものにとって大切であると信じたがる。とはいえ、じつのところ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。
</div><div class="noteHeading">
メモ - 位置2846
</div>
<div class="noteText">
相対化されることで、足下がグラつく。
なるべく多くのものを相対化しようと試みるが、それが幸福をもたらすかは分からない。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_yellow">イエロー</span>) - 位置2853
</div>
<div class="noteText">
それでも、何十年、何百年もたつうちに、意味のウェブがほどけ、それに代わって新たなウェブが張られる。歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとって人生で最も重要に見える事柄が、子孫にはまったく無意味になるのを理解することだ。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_orange">オレンジ</span>) - 位置2959
</div>
<div class="noteText">
二一世紀の間に、歴史学と生物学の境界は曖昧になるだろうが、それは歴史上の出来事に生物学的な説明が見つかるからではなく、むしろ、イデオロギー上の虚構が DNA鎖を書き換え、政治的関心や経済的関心が気候を再設計し、山や川から成る地理的空間がサイバースペースに取って代わられるからだろう。
</div><div class="noteHeading">
ハイライト(<span class="highlight_pink">ピンク</span>) - 位置2964
</div>
<div class="noteText">
したがって、もし自分たちの将来を知りたければ、ゲノムを解読したり、計算を行なったりするだけでは、とても十分とは言えない。私たちには、この世界に意味を与えている虚構を読み解くことも、絶対に必要なのだ。
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