# 2021年サマーキャンプメッセージ 「『主よ、主よ』と言うものがみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の 父のみこころを行うものが入るのです(マタイ7:21)」 ## しもべに預けられた財産 ## マタイの福音書 25章14節-30節 「お前はわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びを共に喜んでくれ。(マタイ25:21)」 1. タラントのたとえ 2. たとえ話の意味 - 何で最後のしもべは叱られたのか? - 財産->お金?才能? 神さまの財産とは何だろうか? 3. 天におられる父のみこころを行うこと - 私たちが神さまから任されている財産は何だろうか? - 神さまの財産を管理することとはどういうことだろうか? ### 導入 サマーキャンプのテーマ聖句:『主よ、主よ』と言うものがみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の父のみこころを行うものが入るのです(マタイ7:21) この聖句の中にある「父のみこころを行う」というのはどういうことでしょうか? これから、イエス様が語った「タラントのたとえ」という例え話から、このところを話していこうと思います。 ### タラントのたとえ イエス様は、「天国は、旅に出る時に、自分のしもべたちに財産を預ける人のようです」と例え話を始めました。 主人はしもべたちをそれぞれ呼び、それぞれの能力に応じて 一人には5タラント、一人には2タラント、一人には1タラントを渡して旅に出かけました。 5タラントを預かったしもべはそのお金を使って商売をして、さらに5タラントを得ました。 同じように、2タラント預かったしもべも、さらに2タラントを得ました。 一方、1タラントを預かったしもべは地面に穴を掘り、主人のお金を隠してしまいました。 かなりの時間がたって、しもべたちの主人が帰ってきました。 すると、5タラント預かったしもべが進み出て、もう5タラント差し出して言いました。「みてくださいご主人様、あなたが預けた5タラントのほかに、もう5タラント儲けました。」 すると主人は「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」といいました。 2タラント預かったしもべも進み出て、もう2タラント差し出して言いました。「みてくださいご主人様、あなたが預けた2タラントのほかに、もう2タラント儲けました。」 すると主人は「よくやった。良い忠実なしもべだ。お前はわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びを共に喜んでくれ。」といいました。 最後に1タラント預かっていたしもべが進み出て言いました。「ご主人様、あなたは持たない者からさらに取り上げる厳しい方だと知っています。それで私は怖くなり、あなたの1タラントを地面の中に隠しておきました。ご覧ください。これがあなたの物です。」といいました。 これに対して、主人は「悪い、怠け者のしもべだ。私が持たない者から取り上げるものだというのか。もしそうならば、お前は私のお金を銀行にあずけておくべきだった。そうすれば私が帰ってきたときに、私のお金を利息といっしょに返してもらえたのに。」といって叱り、そのしもべからタラントを取り上げ、5タラント儲けたしもべに与えて、「誰でも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていないものは持っている物までも取り上げられるのだ。」といって、このしもべを外に放り出してしまいました。 ### たとえ話の意味 はじめにこのお話を読んだときに、「この主人はひどい人だ、お金を預けておいて、それを減らすことなく主人に戻したのに、お金を取り上げて外に放り出すなんでひどいではないか。」 「それに持っている者はさらに与えられて、持っていないものはさらに取り上げられるだって?そんなのひどいではないか。神さまは不平等なお方なのだろうか?」 という風に思いました。 ここに出てくる「主人」は神さまのことだと思い、神さまは能力が高い人に多く与えて、能力の低い人からは取り上げてしまうのだと思っていました。 しかし、そうではありません。 この時イエスさまは、神さまが旧約聖書の時代にイスラエル人に授けた律法や神さまの教えのことを「主人が預けた財産」にたとえており、その律法を以て神さまを信じる人が増えることを望まれていました。 しかし、当時の律法学者たちはただ神さまを恐れ、律法から外れて神さまから怒られないようにすることばかり気にかけていて、その律法を正しく人に広めようとは考えていませんでした。 そのような、「律法さえ破らなければそれでいい」という態度で神さまからの恵みを取り扱うならば、やがて天の御国がこの地上に来るとき、神さまはその人から祝福を取り上げ、天の御国に入れることはないだろう。という風に語っておられたのです。 また、この主人は5タラント儲けたものと、2タラント儲けたもの、まったく同じ言葉でほめて喜んでくれていますね。預ける量はその人の能力によって変わりますが、儲けた量については平等に評価して、そのことを喜んでくれる。神さまはそのようなお方なのです。 少しお話を整理しましょう。 このたとえ話はそれぞれ、 * **主人**:神さま(イエス様) * **しもべ**:イスラエル人(私たちみんな) * **主人の財産**:律法 という風にたとえらられて、このたとえ話から「律法から外れることだけを恐れて、神さまから与えられたものを人から隠しているのなら、天の御国に入ることができないだろう」ということを語っておられます。 ここからさらにもう一歩だけ踏み込んで考えてみましょう。 律法学者のことを意識したのであれば、主人の財産とは律法のことを指していました。 しかし、主人の財産、神さまの財産とは律法だけでしょうか?他に神さまの財産といえるものはないのでしょうか? 神さまが私たちに与えているのは十戒のようなルールだけでしょうか? あるいは、神さまが私たちに与えるものといったら、才能や賜物を思いうかべるかもしれませんが、それだけでしょうか? ### 天におられる父のみこころを行うこと そんなことはないはずです。 神さまは創世記に記されている通り、この世のすべて、天地を造り人を作り地上のすべての生き物を作られた方です。ならば、この世のすべての物は神さまの物で神さまの財産です。 また、神さまは私たちに「あれしてはいけない、これをしてはいけない」というルールだけを与えているのではなく、生活するのに必要なお金、友達との楽しい関係性、家族との落ち着いてのんびりできる時間、これらもすべて他の人を通して神さまが私たち一人ひとりに預けてくれている物です。 神さまはこれらの財産を私たちに預けて、管理を任せているのです。 **神さまの財産を管理するということはどんなことでしょうか?** 神さまが作り上げたこの世界を、神さまの財産を管理するということはいまいちイメージが付かないですね。 例えば、ジョイフルキッズのスタッフとか。 スタッフは、みんなのお父さんお母さんの大事な子供であり、神さまがとくに愛しておられる大事なみんなを一時的に預かって、より神さまを知って愛し合いえるようにいっしょに聖書の勉強をしたり遊んだりしていますね。 例えば、みんながいま学校で何か植物を育てているとしましょう。ちょうど夏休みなので朝顔を育てているのかもしれません。 今は子供で、まだ能力が小さいので小さな植木鉢しか預けられてないですが、やがて大人になったら庭師として庭全体にある植物を手入れしてその美しさを表現する人になるかもしれません。 もしかしたら林業といって、山にある木や森全体を管理するお仕事に就いて、神さまが造られた山などの自然を守り、より素晴らしい物にする人になるかもしれません。 星野富弘さんという人がいます。 とてもきれいな花の絵と詩を書く人です。 この人はもともと中学校の体育の先生だったのですが、24歳の時に体育の授業中の事故で首から下が動かなくなってしまいました。 病院で大学時代の先輩から聖書を渡され、 > 今日あっても、明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどまでに装ってくださるのだから、まして、あなたがたに、よくしてくださらないわけが、ありましょうか。(マタイ6章) という聖句に影響を受けて、病院の窓の外から見える花々の美しさに気が付き、絵を描くようになりました。 もちろん首から下は動かないので、筆を口で咥えて首の動きだけで絵を描いているそうです。 そうして花の美しさを描き、日々の感謝などを詩につづっていくつかの本を出版しています。 口で筆を咥えて絵を描けるようになるまで、たくさんの訓練をしたことでしょう。 この人は体が自由に動かせないという点では私たちよりも能力が小さいかもしれません。 しかしこの人は、神さまが造り預けてくださった花の美しさを描き、本を出版することで世界中の人にその美しさを伝え、美しさを伝えることで神さまのすばらしさを伝え褒めたたえているのです。 ### まとめ みんなが神さまから預けられているものは何でしょうか? 聖書の教えだけでしょうか? 聖書の教えをほかの人に直接伝道した人だけが天の御国に入れるのでしょうか? そうではありません。 神さまは地上のすべての所有者で、さまざまなものを私たちに預けています。 自分の能力や、預けられたものがどのようなものであっても、またどのような表現方法であっても、例え伝えることのできた人数が少ししかいなくても、神さまのことを伝えることができたのならきっと神さまは平等にそのことをほめてくれて、喜んでくださいます。 直接的に神さまのことを伝道することができなくても、神さまのことを思い神さまが喜ばれることを考えて預かっているものを扱い、それをもっと素晴らしいものにするのならば、きっと神さまはそのことを喜んでくださいます。 預けられている物は、当たり前のこと過ぎて見つけるのが難しいかもしれません。 他の人に比べて小さくて、恥ずかしくて土の中に隠してしまいたくなるかもしれません。 しかしそれを隠したりせず、神さまのために扱うことができるようなそのような者に一緒になれたらばいいなと願っています。 お祈りをします。