# 上古漢語の子音体系(1):切韻体系の再構
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:pencil2: 編注
以下の論文の和訳(部分)である。
- Pulleyblank, Edwin G. (1962). The Consonantal System of Old Chinese. *Asia Major* 9(1): 58–144, 9(2): 206–265.
序文と切韻体系の再構に係る部分(pp. 63–85)のみを抜粋した。それ以外のページは、パートⅠ[(1)切韻体系の再構](/@YMLi/rJIytCsGT)、[(2)軟口蓋音と喉音の再構](/@YMLi/r1YL4JDV6)、[(3)歯音・側面音の再構](/@YMLi/SydgEgbKa)、[(4)歯擦音と唇音の再構・上古漢語音韻体系のまとめ](/@YMLi/rkb4b8_FT)、パートⅡ[(1)去声と上声の起源](/@YMLi/HyoFRGJc6)、[(2)鼻音と唇音の末子音の再構・補足](/@YMLi/S1x7mGPca)。
誤植と思しきものは、特にコメントを付加せずに修正した。
Pulleyblankによる中古漢語・上古漢語の音形の表記には以下の修正を加えた。
- 切韻体系の再構音および中古漢語の音素は太字で表記する。 \
上古漢語の再構音はアスタリスク形で表記する。 \
それ以外の音はイタリック体で表記する。
- 中古漢語の母音 **ɑ** は、表示環境によっては **a** と混同する可能性があるため、Karlgrenにならって **â** と表記する。
- 平声を「*¹*」、上声を「*²*」、去声を「*³*」で表記する。原文では平声は無表記、上声と去声は「ˊ」「ˋ」で表記されている。
引用されているKarlgren(1957)による中古漢語表記には以下の修正を加えた。
- 有気音の記号「*‘*」は「*ʰ*」に置き換える。
- 平声を「*¹*」、上声を「*²*」、去声を「*³*」で表記する。原文では平声は無表記、上声と去声は「ˊ」「ˋ」で表記されている。
現代語の表記は適宜一般的な正書法表記に改めた。
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## 1. はじめに
私は古典中国語における文法助詞の機能と相互関係を研究するうちに[^1]、この分野のさらなる進展には音韻論をよりよく理解することが必要だと確信するようになった。同時に私は、中国語と中央アジアの近隣諸言語との関係の初期の歴史についても研究していた。ここでもまた、外国語の中国語転写を正しく解釈するためには、音価をより適切に再構する必要があることが明らかになった。この2つの観点から、私はKarlgrenらの研究を基礎から再検討することになった。特に、外国語の転写が入手可能な最も早い時期からの外的証拠によって、内的再構の結果を検証することを試みた。その結果、内部的に矛盾がなく外的証拠とも一致する、上古漢語の新しい再構に向けて前進することができた。
私が提案したKarlgrenの体系に対する修正点の多くは、他の学者によってすでに提案されていたものであり、またその図式を複雑なものにするのではなく、本質的に単純で首尾一貫したものにすることに成功したことで、私は自信を持つことができた。依然として多くの不確定要素が残っており、細部についても解明すべき点が多く残されているが、残された多くの難問を解決するために、彼らの批判や助けを得ることを期待して、私の考えを研究仲間に提示する価値がある段階に達したと思う。
ここで紹介するのは、まず韻書『切韻』の音韻体系を修正し音素化したものである。これはKarlgrenが「Ancient Chinese」と呼んだ言語段階を表すが、私は中国語の用語に従って「中古漢語」と呼ぶことにする。修正案の多くは、羅常培、董同龢、李榮、藤堂明保、その他の学者による修正を取り入れたものであるが、全体としては新しい体系である。それに続いて、上古漢語の子音体系についての結論を述べる。議論の過程では母音体系にも言及する必要があるため、音韻構造全体に関する私の提案の概要を表形式で示したが、上古漢語から切韻体系に至るまでの韻の発展に関する詳細についてはここでは述べない。
Karlgrenは、西暦601年に完成した『切韻』は、当時の隋の首都・長安の話し言葉に基づいていると考えた。この考えは、歴史的にも言語学的にも全く納得できるものではない。編纂者は誰も長安の出身ではないし、東方や南方の文化的中心地の方言ではなく、辺境の新しい首都の方言を採用したとは考えにくい。その序文から明らかなように、彼らは地域的な欠点を避けた理想的な教養のある話し言葉を表現することを意図していたが、その主要な基礎が長江下流域の教養階級の話し言葉であったことも明らかである(Luo 1931)。7世紀初頭の標準語が長安方言ではなかったことは、長安方言が標準語となった7世紀末以降に見られる、サンスクリット転写体系の著しい変化からも明らかである。同じような特徴は日本語の漢音とそれより早い呉音の比較(Karlgrenに反して、呉音は切韻体系にとても近い)や、中央アジアで発見された9~10世紀のチベット文字、ブラーフミー文字、ウイグル文字による中国語の転写にも見られる。これらの音価の違いはあまりに甚だしく、100年足らずの間に音が変化したというだけにしてはあまりに突発的である。さらに、長安の標準語に基づいた『慧琳音義』(9世紀)の音注では、当時の北西部の話し言葉とは異なる切韻体系に「南音」や「呉音」の烙印が押されている[^2]。
切韻体系は単に人工的に構築されたものであり、生きた話し言葉に基づくものではないという説も同様に受け入れられない。多くの又音 ==(文字の別の読み方)== が収録されているのは、方言の形を参考にした結果に違いなく、またその分類自体が、ほとんどすべての場合において、その後の言語の発展やそれ以前の歴史から見て音韻学的に有効なものであることが判明している。紀元600年の時点では、『切韻』によって作られたすべての対立を保持する方言はなかったかもしれないが、すべての対立は、当時のある種の教養言語に見られるものであったことは間違いないだろう。
上古漢語の実態を決定するのはもっと難しい。Karlgrenは、彼の上古漢語(Archaic Chinese)体系を『詩経』のものとし、かつそれは紀元前700年頃の長安方言で、彼の中古漢語の直系祖先であるとみなした。実際には、押韻よりも漢字の構造の方がより重要であり、2種類の資料が示す音韻体系は一般的に一致するが、完全な一致とは決して言えない。しかし、諧声系列はいつどこで生まれたのだろうか。もちろん、紀元前3世紀末の秦の文字改革がその分水嶺ではあるが、文字が作られる過程はその1000年以上前から続いていた。
上古漢語の実態については、当面はやや曖昧なままにしておくしかない。その前後の時代の資料を合理的な歴史的過程で説明できるような、できるだけ首尾一貫した内部矛盾のない体系を構築し、それを外的証拠で検証するしかない。このことから、まとまった対訳文献が初めて見られる漢代は特別重要となっている。それ以前の時代は、中国語とは大きく隔たった同族言語との比較に基づくしかない、限られた世界にある。
多くの点で有益な助言をいただいたHarold Bailey教授に感謝の意を表したい。
## 2. 切韻体系
上古漢語の再構の基礎として、Karlgrenの Ancient Chinese には、以下に概説する体系が用いられた。ここではこれを「中古漢語」と呼び、この言語で表記した語形には「M」の文字を付す。すでに他の人々によってKarlgrenの体系を修正する提案が多くなされているため、それに従う場合、すべての議論に立ち入る必要はないと考えている。
### A 頭子音(声母)
:spiral_note_pad: **表1: 切韻体系の頭子音一覧**
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| :----------- | :------------------------------------- | :-------------------------------------- | :----------------------------------------------------- | :------------------------------------- | :----- | :----- | :---------------------------- | :------------------- |
| **喉音** | 影 *ꞏ* | 曉 *h* [²](#A2-曉母、匣母) | 匣 *ɦ* [²](#A2-曉母、匣母) [³](#A3-云母) | | | | | |
| **軟口蓋音** | 見 *k* | 溪 *kh* | 群 *g* [⁴](#A4-有声音) | 疑 *ŋ* | | | | |
| **硬口蓋音** | 章 *c* [⁵](#A5-章母、昌母) | 昌 *ch* [⁵](#A5-章母、昌母) | 常 *j* [⁴](#A4-有声音) [⁷](#A7-常母、船母) | 日 *ń* [⁶](#A6-日母) | | 書 *ś* | (船 *ź*)[⁷](#A7-常母、船母) | 以 *y* [⁸](#A8-以母) |
| **歯音** | 端 *t* | 透 *th* | 定 *d* [⁴](#A4-有声音) | 泥 *n* | 來 *l* | | | |
| | 精 *ts* | 清 *tsh* | 從 *dz* [⁴](#A4-有声音) | | | 心 *s* | 邪 *z* | |
| **そり舌音** | 知 *ṭ* [⁹](#A9-知母、徹母、澄母、孃母) | 徹 *ṭh* [⁹](#A9-知母、徹母、澄母、孃母) | 澄 *ḍ* [⁴](#A4-有声音) [⁹](#A9-知母、徹母、澄母、孃母) | 孃 *ṇ* [⁹](#A9-知母、徹母、澄母、孃母) | | | | |
| | 莊 *tṣ* | 初 *tṣh* | 崇 *dẓ* [⁴](#A4-有声音) | | | 生 *ṣ* | (俟 *ẓ*)[¹⁰](#A10-俟母) | |
| **唇音** | 幫 *p* | 滂 *ph* | 並 *b* [⁴](#A4-有声音) | 明 *m* | | | | |
#### A1. 頭子音
Karlgrenは軟口蓋音と唇音の頭子音について口蓋化音と非口蓋化音を区別したが、これは非音韻的なものであるため、Karlgren自身が後年の著作で主に行っているように無視する。Chao(1941)、Li(1952: 100–105)参照。
#### A2. 曉母、匣母
曉母と匣母は、軟口蓋摩擦音 *x-*, *ɣ-* ではなく、現代の呉語のように喉音 **h-**, **ɦ-** だった。Martin(1953: 16)、Kennedy(1952)、Tōdō(1957: 161)、Mizutani(1958)参照。
#### A3. 云母
云母 **ɦi̯-** = K. *ji̯-*(Karlgrenの *ɣ-* と *j-* の音韻的同一性については、Ku 1932; Chao 1941; Luo 1951; Li 1952: 105)。『切韻』に代表される言語よりも後期になると、**ɦi̯-** > *i̯-* となり、音韻的に以母 **y-** と結びつくようになった。つまり切韻体系には、後にゼロ頭子音となる2種類の半母音の介音がある。この仮説は、『韻鏡』以降の韻図で云母 **ɦi̯-** が匣母 **ɦ-** と同じ列を占めず、以母 **y-** と同じ列に配置され、一方が同じ列の三等を占め、他方が四等を占めていることを説明する。語頭の **y-** は子音音素とみなされなくなり、完全に半母音の介音 **-y-** と同一視されるようになった(介音 **-i̯-** と **-y-** の区別については後述する)(Tōdō 1957: 163 も参照)。
#### A4. 有声音
8世紀のサンスクリットからの転写文献には、有声閉鎖音・破擦音に関して帯気性の存在を示すような証拠がいくつかある(Maspero 1920)。しかしそれ以前には、漢語の有声閉鎖音・破擦音はサンスクリットの有声無気音に使用され、サンスクリットの有声有気音を示す必要があると考えられる場合には特別な方法が用いられていた。いずれにせよ、漢語には有声閉鎖音において有気音⇔無気音の音韻的対立はなく、Karlgrenの転写に含まれる有気音の表記は不要なものである。漢語の有声閉鎖音・破擦音は、無声閉鎖音・破擦音+有声喉音 *ɦ* のクラスター(**g** = *kɦ*, **dz** = *tsɦ* 等)として分析されるべきであると、もっともらしく提案されてきた。この分析は現代呉語方言の有声音に広く適用できるものである(Martin 1953、Bodman 1954: 23)。漢語の有声音が帯気性を伴っていたとしても、それはインド諸語に見られるものよりもはるかに弱かったと思われる。転写に関する限り、一般に清濁は帯気性よりもはるかに重要であり、したがって ==インド諸語の有声有気音の転写には== 有声音の文字を使用するのが最も有用だった。
中古漢語の有声音を有気音とみなすかどうかは別としても、Karlgrenのように、それ以前の段階にサンスクリット語のような有気音⇔無気音の対立が存在していたと考えることはもちろんできない。東アジア言語圏では、閉鎖音に無声音・有気音・有声(有気または無気)音の三者対立が広く見られるが、四者対立を持つ言語はまったく存在しないようだ。
#### A5. 章母、昌母
私はKarlgrenの *tś-*, *tśʰ-* の代わりに、**c-**, **ch-** と表記する。
#### A6. 日母
日母 **ń-** = K. *ńź-*。この音素は、唐代以前および唐代初期の転写では、単純な硬口蓋鼻音であった。唐代の長安方言では、鼻音の頭子音はすべて同調音部位の閉鎖音を生じ、部分的に脱鼻音化した(*ŋ-* > *^ŋ^g-*, *n-* > *^n^d-*, *ṇ-* > *^ṇ^ḍ-*, *m-* > *^m^b-*, *ń-* > *^ń^j-*)。これは、7世紀末以降の転写において、サンスクリットの有声有気破裂音を表すために使用されていることからもわかり、漢音やブラーフミーにおける漢語の転写にも反映されている。チベット文字とウイグル文字にも見られる。Mizutani(1957)によれば、新しい用法の痕跡は7世紀初頭にすでに見られるが、サンスクリット語の鼻音を表す古い用法は8世紀初頭まで優勢を保った。末尾に鼻音を持つ音節は最後に影響を受けたようで、例えば 若 **ńi̯a** がサンスクリット *ja* に使われはじめたとき、穰 **ńi̯aŋ** は依然として *ña* に使われていた。*m-* から *mb-* などへの脱鼻音化は、山西省南部のいくつかの方言でも見られ、唐閩にも反映されている(Forrest 1948: 160) ==:bulb: 「唐閩」とは、唐代の古い特徴を残すと考えられる閩南語の読みに対するForrestの呼称==。**ń-** の脱鼻音化はもっと広範囲に及んでいる。すべての北部方言といくつかの中部方言では鼻音要素は完全に失われており、その結果、例えば北京語では、ウェード式では ⟨j-⟩ 、新しい公式ローマ字 ==(漢語拼音)== では ⟨r-⟩ と表記される、有声そり舌摩擦音となった。
#### A7. 常母、船母
常母 **j-** = K. *ź-*。船母 **ź-** = K. *dźʰ-*。『切韻』の反切ではこの2つの頭子音は区別され、韻図では有声硬口蓋破擦音(=Karlgrenの *dźʰ-*)と有声硬口蓋摩擦音(=Karlgrenの *ź-*)を暗示するように配置されている。しかし周祖謨は、『玉篇』や『経典釈文』に代表される初期の反切では2つの頭子音が区別されておらず、他の辞書が区別している場合でも、その分布は辞書間でも『切韻』とも一致していないと指摘している(Zhou 1957 \[1941]: 146 ==\[1966: 147–148]==)。現代方言にはこの2つの頭子音の区別はない。南部方言では、両者とも摩擦音になることがほとんどである。官話では、仄声と平声の特定の末子音の前で同じことが起こるが、それ以外の場合は両方の頭子音とも破擦音で実現される。したがって、『切韻』における区別がどこまで音素とみなせるかについては疑問がある。
転写音価に着目すると、常母には、Karlgrenの *ź-* ==\[ʑ-]== よりも破擦音 **j-** ==\[dʑ-]== を仮定する方が納得のいくものであることがわかる。この音は7世紀まで、サンスクリットの *j* を規則的に表現している(cf. e.g. Li 1952: 164; Mizutani 1957: 348ff.)。タイ諸語における初期の漢語の借用語では、チワン語はこの頭子音を有声破擦音であるかのように表現している。他のタイ諸語は歯擦音を指すが、無声音であるかのように振る舞うため、タイ語における特別な発展を考慮しなければならない。
船母(Karlgrenの *dźʰ-*)の単語は、常母(Karlgrenの *ź-*)より数は少ないが、同様にサンスクリット *j* を表すことがある(表2)。
:spiral_note_pad: **表2: サンスクリット *j* を転写する船母音節**
| 漢訳 | *K-MC* | サンスクリット |
| :--------- | :------------------------ | :------------- |
| 阿順那 | *ꞏâ¹-dźʰi̯uĕn³-nâ¹* | *Arjuna* |
| 阿波羅實多 | *ꞏâ¹-puâ¹-lâ¹-dźʰi̯ĕt-tâ¹* | *Aparājita* |
しかし多くの場合、この頭子音は以母 **y-** (= K. *i̯-*) と同様に用いられた。すなわち後述するように、初期の仏典転写では硬口蓋摩擦音の音価を持っており、サンスクリットの *y* または *ś* に由来するプラークリット *ź* を表すために使われた(表3)。また、漢語の有声音の以母 **y-** (= K. *i̯-*) と船母(Karlgrenの *dźʰ-*)は、語頭位置におけるサンスクリット *ś*、推定音価 \*ź ==\*\[ʑ]== に使用されている(表4)。おそらく、より早い『魏略』に見られる、श्रमण *śramaṇa* の転写である 晨門 K. *dźʰi̯ĕn¹-muən¹*(または *źi̯ĕn¹-muən¹*)でも同じ現象が見られる(Chavannes 1905: 550)。
:spiral_note_pad: **表3: サンスクリット *y*, *ś* を転写する船母音節**
| 漢訳 | *K-MC* | サンスクリット |
| :-------- | :------------------ | :------------- |
| 那述 [^3] | *nâ¹-dźʰi̯uĕt* ¹ | *nayuta* |
| 兜術陀 | *tə̯u¹-dźʰi̯uĕt-dʰâ¹* | *Tuṣita* [^4] |
:spiral_note_pad: **表4: サンスクリット *ś* を転写する以母・船母音節**
| 漢訳 | *K-MC* | サンスクリット |
| :---------- | :----------------------- | :------------- |
| 悦頭檀 [^5] | *i̯wät-dʰə̯u¹-dʰân¹* | *Śuddhodana* |
| 術婆迦 | *dźʰi̯uĕt-bʰuâ¹-ki̯â¹* | *śubhakara* |
| 實叉難陀 | *dźʰi̯ĕt-tṣʰa¹-nân¹-dʰâ¹* | *śikṣānanda* |
| 實利 [^6] | *dźʰi̯ĕt-lji³* | *śarīra* |
船母と以母が密接な関係にあることは、数多くの異音同綴の例からも裏付けられる。例えば、賸 K. *i̯əng*/*dźʰi̯əng*、射 K. *i̯a*/*dźʰi̯a*、蛇鉈 K. *ie̯*/*dźʰi̯a*、噊驈 K. *i̯uĕt*/*dźʰi̯uĕt*、剡 K. *i̯äm*/*dźʰi̯äm* などである。常母 K. *ź-* と船母 K. *dźʰ-* の異音同綴の例もあるが、数は少ない。
私の考えでは、切韻体系の船母は、それ以前の漢語に明確な起源があったわけではない。ある方言において、常母 **j-** が破擦音性を失い始めると同時に、既存の *ź-* が摩擦音性を失って以母 **y-** に変化した時期に生まれたのではないだろうか。
個々の方言内では、この2つのプロセスは間違いなく歩調を合わせ、2つの音素は区別されたままである。しかし、方言間借用によって、以母 **y-** のより保守的な発音 ==*ź-*== が常母 **j-** の新しい摩擦音の異音と解釈され、その結果 ==船母は== もともと常母 **j-** だったかのように扱われたのかもしれない。
常母 **j-** とも以母 **y-** とも対立する第三の音素があった可能性を排除するのは時期尚早であるため、私はこの頭子音を **ź-** と表記する。これによって、『切韻』のすべての対立を表記に反映するという原則が守られる。残念ながら、この転写では常母 **j-** と船母 **ź-** の対立が、韻図が示す意味とは逆になっている。しかし、韻図は『切韻』よりもずっと後に作られたものであり、その作者には、明らかに不安定な推移段階にあった対立を回復する手段がなかっただろう。
#### A8. 以母
Bodman(1954)は後漢代におけるこの音素に *ź-* の音価を与え、Bailey(1946)も中央アジアのプラークリット *ź-* (*ś-* または *y-* に由来)を転写する際にこの音価を持つことを示した。漢越語では *z-* で表されているが、これは10世紀末の方言に摩擦音性が残っていたことを示しているのだろう。Nagel(1942)は漢越語に基づいて、この頭子音をある種の歯摩擦音と推定して *ζ-* と表記した。しかし切韻体系では、この音は非摩擦音性の硬口蓋継続音とみなされる。韻図におけるこの頭子音の配置については 前述の [A2](#A2-曉母、匣母) を参照。
#### A9. 知母、徹母、澄母、孃母
羅常培(Luo 1931)は、Karlgrenが硬口蓋閉鎖音および硬口蓋鼻音 *ń-* として再構したこれらの頭子音が、インド諸語のそり舌音の転写に常用されていたことを示した。Karlgren(1954: 226)は、羅常培が二等にそり舌閉鎖音を、三等に硬口蓋閉鎖音を再構することを提案したと述べているが、これは羅常培の見解を正しく表していない。羅常培はそれどころか、これらの頭子音が二等韻でも三等韻でもインド諸語のそり舌音に使用されていたことを明確に示し、両方のケースでそり舌閉鎖音を再構した。彼は、後に三等のヨード介音がいくつかの方言でこれらの頭子音を口蓋化したと述べただけである(羅常培によれば、現在のそり舌破擦音が *ṭi̯-* > *ṭ-* > *tṣ-* という直接的な展開で説明できる北京では異なる)。
学者たちが羅常培の発見をなかなか受け入れない主な理由は、韻図において、これらの頭子音が純粋な歯音に対応するヨード化音であるように見えるためであろう。この点については後述する。
#### A10. 俟母
『切韻』はごく少数の単語で有声そり舌摩擦音・破擦音 ==(崇母⇔俟母)== を区別しているようである(cf. Li 1952: 87)。この影響を受ける唯一の常用字は 俟 **ẓi̯ə²**である(Karlgrenの *dẓʰi* という音価はこの対立を欠く『広韻』に従ったもの)。この単語は、広東語 *tsï* を除くすべての現代方言で語頭に摩擦音を示し、この点において崇母 **dẓ-** を持つ同じ韻の単語と違いはない。例えば、士 **dẓi̯ə²** や 事 **dẓi̯ə³** は広東語を含むすべての方言で破擦音性を失っている(Karlgren 1915: 406–408)。音価 **ẓ** が文字「俟」の転写音価と一致するという事実がなければ、対立的な音素 **ẓ** を設定するのに十分な証拠はほとんどないように思われる。この文字は唐代にテュルクの称号「俟斤」に見られるが、これはオルホン碑文の *irk(ä)n* と同じものと思われる(同じ称号は、より早い蠕蠕にも見られる)。Pelliotは、この転写によって生じた問題に短い論文を書き下ろしている(Peiliot 1929)。彼は「俟」の又音 **gi̯ə¹** (= K. *gʰi¹*) に注目し、==「俟斤」が *irk(ä)n* の *r* が無視されて転写されたものとした上で== これはテュルク語等の外国語の語頭母音が匣母 **ɦ-** (K. *ɣ-*) で転写されるケースと比較できるかもしれないと、やや暫定的に提案した。しかし、語頭母音を表すのに有声声門摩擦音はよく使われるかもしれないが、軟口蓋閉鎖音はそうではないため、この提案は明らかに満足できるものではない。代わりにこの文字を **ẓi̯ə¹** と読めば、*Istämi* (Stembis) が 室點蜜 **śi̯it-tem³-myit** や 瑟帝米 **ṣi̯it-tei³-mei²** と転写されたり、*äa qaɣan* が 遺可汗 **ywi³-kha²-ɦan¹** と転写されたりする(cf. Liu 1958: 499)のと同様に、\*irkin < \*iẓkin が ==語頭母音を無視して== 俟斤 **ẓie¹-ki̯en¹** と転写された例として考えることができる。通常、中古漢語 **-t** は語中または語末の *-r* を表すために使われると予想され、この現象は同じ単語の別の転写 乙斤 **ꞏi̯it-ki̯en¹** にも見られる。しかし、唐代における語末 **-t** はおそらく真の *-r* ではなく、歯間摩擦音 *-δ* であった。そり舌摩擦音 **ẓ** は、おそらく外国語の *r* に対応すると思われるが、これは非常に珍しい音素であった(*irk(ä)n* については Hamilton 1955: 98 も参照)。
同じ文字「俟」は、テュルク語 *eltäbir* と同定されることの多い 俟利發 **ẓi̯ə²-li̯i³-pi̯at**(または 俟列發 **ẓi̯ə²-li̯et-pi̯at**)という称号にも使われているが、音の対応は正確ではなく、同定にはいささか疑問が残る。
これらは「俟」の頭子音が特別な音価であることを裏付けるものと考えられるため、私は『切韻』の区別に従ってこれを **ẓ-** と表記することにする([p. 129](/@YMLi/rkb4b8_FT#1-頭子音の歯擦音系列) 参照)。
### B 語中の半母音(介音)
:spiral_note_pad: **表5: 切韻体系の介音一覧**
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| 硬口蓋音 [¹](#B1-四等介音) | *i̯* (= *ï̯*) / *y* [²](#B2-重紐介音) |
| 唇音 | *w* [³](#B3-合口介音) |
#### B1. 四等介音
韻図の四等を特徴づけるとされる、Karlgrenの「母音的 *-i-*」を私は削除した。純四等韻でKarlgrenの *-i-* を伴うのは、齊韻 *-iei*、真韻 *-ien*、添韻 *-iem*、青韻 *-ieŋ*、蕭韻 *-ieu*、屑韻 *-iet*、怗韻 *-iep*、錫韻 *-iek* であるが、これらは全て一等韻には現れない主母音である *e* を持つ。したがって切韻体系では、これらの韻は、唐代以前と唐代初期の転写音価である **-ei**, **-en**, **-em** 等に修正されなければならない。これら純四等韻がヨード化され、慧琳(8世紀)の反切において祭A韻 **-yei** (K. *-i̯äi*)、仙A韻 **-yen** (K. *-i̯än*) など ==の重紐四等韻== と合流して韻図の四等に置かれるようになったのは、『切韻』以降の発展である。藤堂はこれらの韻を「仮4等」と呼んでいる(Lu 1939; Li 1952: 107; Tōdō 1957: 200; Wenck 1954: III 66)。
#### B2. 重紐介音
Arisaka(1937)とKōno(1939; Lu 1947 も参照)は、喉音・軟口蓋音・唇音の頭子音を持つ特定の韻の ==一見同じ読みに見える== 単語が、その反切によって分割され、韻図では一方は三等、他方は四等に分類されるという、Karlgrenの体系では無視されていた対立を説明するために、2つのタイプの介音 *-i̯-*、すなわち後舌的な *-ï̯-* と狭い前舌的な *-i̯-* を再構するという理論を提唱した。この対立は重要なもので、呉音・朝鮮漢字音・漢越語読み・現代中国語方言においてさまざまな形で、この2つの区分の単語は異なる扱いを受けることになった。Nagel(1942)とDong(1948a; b)はこの対立を韻によるものとして扱っている。しかし、これは韻書の本質的な原則に反するため、満足のいくものではない。『切韻』の作者たちは韻の対立が繊細すぎる ==(必要以上に韻を区別している)== とさえ非難されており、韻によって区別される2つの単語群を同じ韻目の下に並べるとは考えにくい。なお、介音対立説を提唱した人々は、それを上古漢語の時代までさかのぼる音韻体系のオリジナルな要素とみなしている。それに代わる、この対立の起源を説明する私案については後述する。
同じ韻における三等と四等の区別は、喉音・軟口蓋音・唇音の頭子音の後、かつ前舌狭母音(**e**, **i**)を伴う韻でのみ見られる。それ以外のケースでは、私はこの対立が中和されたとみなし、単に **-i̯-** と表記する。対立が見られるケースでは、**-i̯-** ではなく **-y-** と表記して、より狭い種類 ==(いわゆる「重紐四等」「三等A類」)== の介音を示す。**-y-** 音節と対立する音節 ==(いわゆる「重紐三等」「三等B類」)== の **-i̯-** は **-ï̯-** と解釈されるので、必要に応じてそのように表記する。
#### B3. 合口介音
唇音性半母音の2つのタイプ、*-u-* と *-w-* を区別する必要はない。Chao(1941 ==: 215 ff.==)参照。
唇音の頭子音の後では *-w-* を伴う音節と伴わない音節 ==(合口⇔閉口)== との間に対立はないため、私は李栄に倣って、Karlgrenの *puân*, *mwɛng* の代わりに **pân**, **maəŋ** といった具合に、**-w-** を削除して表記する(Chao 1941; Li 1952: 123ff.)。前舌狭母音の前を除いて、唇音の頭子音は音節全体を円唇化させる傾向があり、その結果、その音節は合口として分類され、またそのように発展するが、その合口要素は頭子音に暗黙的に含まれているとみなすことができ、音韻の表記において特別に指し示す必要はない。李栄は、灰韻 **-uəi** (**-wəi**)、魂韻 **-uən** (**-wən**)、文韻 **-i̯uən** (**-i̯wən**)、すなわち『切韻』が別個の合口韻を設けた場合には、唇音の頭子音の後でも介音表記を保持した。私はこれらの韻を、「主母音 **u** + **ə**」と「介音 **-w-** + 主母音 **ə**」との間で音韻論的解釈が交替可能なものだったと考えている。このため、**kuən**/**kwən** や **mi̯uən**/**mi̯ən** などの交替可能な表記がある([C17](#C17-文物韻), [C18](#C18-諄術韻) 参照)。咍韻 **-əi** ⇔灰韻 **-uəi** (**-wəi**) の場合、前者にも後者にも唇音の頭子音を持つ単語があるが、李栄はそれらが灰韻の下に現れる単語の変化形であることを証明した。辞書においてその配置が不明確なのは、純粋な音韻論的対立ではなく、**p(w)əi** と **puəi** の間の解釈の揺らぎを示しているのである。
### C 韻
:spiral_note_pad: **表6: 切韻体系の韻一覧(韻図の分類による配列)** [^7]
| 摂 | 一等 | 二等 | 三等 | 三四等 | 純四等 |
| :----- | :---------------------------------- | :----------------------------------- | :----------------------------------------- | :------------------------------------------- | :------------------------ |
| **通** | 東 *uŋ* | | 東 *i̯uŋ* | | |
| | 冬 *oŋ* [¹](#C1-冬沃韻、鍾燭韻) | | 鍾 *i̯oŋ* [¹](#C1-冬沃韻、鍾燭韻) | | |
| **江** | | 江 *auŋ* [²](#C2-江覺韻) | | | |
| **宕** | 唐 *âŋ* [³](#C3-唐鐸韻、陽藥韻) | | 陽 *i̯âŋ* [³](#C3-唐鐸韻、陽藥韻) | | |
| **梗** | | 庚 *aŋ* [⁴](#C4-庚陌韻) | 庚 *i̯aŋ* [⁴](#C4-庚陌韻) | 清 (*i̯eŋ*)/*yeŋ* [⁵](#C5-清昔韻) | 青 *eŋ* [⁶](#C6-青錫韻) |
| | | 耕 *aəŋ* [⁷](#C7-耕麥韻) | | | |
| **曾** | 登 *əŋ* | | 蒸 *i̯əŋ* [⁸](#C8-蒸職韻) | | |
| **深** | | | | 侵 *i̯im*/*yim* [⁹](#C9-侵緝韻) | |
| **咸** | 覃 *əm* [¹⁰](#C10-覃合韻) | 咸 *aəm* [¹¹](#C11-咸洽韻) | 凡 *i̯am* (*i̯âm*) [¹²](#C12-凡乏韻、嚴業韻) | | |
| | 談 *âm* | 銜 *am* | 嚴 *i̯âm* [¹²](#C12-凡乏韻、嚴業韻) | 鹽 *i̯em*/*yem* [¹³](#C13-鹽葉韻) | 添 *em* [¹⁴](#C14-添怗韻) |
| **臻** | 痕 *ən* | 臻 *ïn* [¹⁵](#C15-臻櫛韻) | 殷 *i̯ən* | 眞 *i̯in*/*yin* [¹⁶](#C16-真質韻) | |
| | 魂 *uən* (*wən*) | | 文 *i̯uən* (*i̯wən*) [¹⁷](#C17-文物韻) | [諄 *i̯win* [¹⁸](#C18-諄術韻)] | |
| **山** | 寒 *ân* | 刪 *an* | 元 *i̯ân* [¹⁹](#C19-元月韻) | 仙 *i̯en*/*yen* [²⁰](#C20-仙薛韻) | 先 *en* [²¹](#C21-先屑韻) |
| | [桓 *wân* [²²](#C22-桓末韻)] | 山 *aən* [¹¹](#C11-咸洽韻) | | | |
| **止** | | | | 支 *i̯e*/*ye* [²³](#C23-支韻) | |
| | | | | 脂 *i̯i*/*yi* [²⁴](#C24-脂韻) | |
| | | | 微 *i̯əi* [²⁵](#C25-微韻) | 之 *i̯ə* [²⁶](#C26-之韻) | |
| **蟹** | 咍 *əi* | 佳 *ae* [²⁷](#C27-佳韻、皆韻、夬韻) | | | |
| | 灰 *uəi* (*wəi*) | 皆 *aəi* [²⁷](#C27-佳韻、皆韻、夬韻) | | | |
| | 泰 *âi³* | 夬 *ai³* [²⁷](#C27-佳韻、皆韻、夬韻) | 廢 *i̯âi³* [²⁸](#C28-廢韻) | 祭 *i̯ei³*/*yei³* [²⁹](#C29-祭韻) | 齊 *ei* [³⁰](#C30-齊韻) |
| **果** | 歌 *â* | | [戈 *i̯â* [²²](#C22-桓末韻)] | | |
| | [戈 *wâ* [²²](#C22-桓末韻)] | | | | |
| **假** | | 麻 *a* | 麻 *i̯a* | | |
| **遇** | | | 魚 *i̯o* [³¹](#C31-魚韻、模韻、虞韻) | | |
| | 模 *ou* [³¹](#C31-魚韻、模韻、虞韻) | | 虞 *i̯ou* [³¹](#C31-魚韻、模韻、虞韻) | | |
| **流** | 侯 *u* [³²](#C32-侯韻、尤韻、幽韻) | | 尤 *i̯u* [³²](#C32-侯韻、尤韻、幽韻) | 幽 (*i̯iu*)/*yiu* [³²](#C32-侯韻、尤韻、幽韻) | |
| **效** | 豪 *âu* | 肴 *au* | | 宵 (*i̯eu*)/*yeu* [³³](#C33-宵韻) | 蕭 *eu* [³⁴](#C34-蕭韻) |
:spiral_note_pad: **表7: 切韻体系の韻一覧(主母音による配列)**
| 母音 | + ∅ | + *i* | + *n* | + *ŋ* | + *m* | + *u* |
| :----- | :----------- | :--------------- | :----------------- | :--------------- | :--------------- | :------------- |
| **u** | 侯 *u* | 灰 *uəi* (*wəi*) | 魂 *uən* (*wən*) | 東 *uŋ* | | (侯 *u*) |
| | 尤 *i̯u* | (微 *i̯wəi*) | 文 *i̯uən* (*i̯wən*) | 東 *i̯uŋ* | | (尤 *i̯u*) |
| **o** | | | | 冬 *oŋ* | | 模 *ou* |
| | 魚 *i̯o* | | | 鍾 *i̯oŋ* | | 虞 *i̯ou* |
| **ə** | | 咍 *əi* | 痕 *ən* | 登 *əŋ* | 覃 *əm* | |
| | 之 *i̯ə* | 微 *i̯əi* | 殷 *i̯ən* | 蒸 *i̯əŋ* | | |
| **â** | 歌 *â* | 泰 *âi³* | 寒 *ân* | 唐 *âŋ* | 談 *âm* | 豪 *âu* |
| | \[戈 *i̯â*] | 廢 *i̯âi³* | 元 *i̯ân* | 陽 *i̯âŋ* | 嚴 *i̯âm* | |
| **a** | 麻 *a* | 夬 *ai³* | 刪 *an* | 庚 *aŋ* | 銜 *am* | 肴 *au* |
| | 麻 *i̯a* | | | 庚 *i̯aŋ* | 凡 *i̯am* (*i̯âm*) | |
| **aə** | | 皆 *aəi* | 山 *aən* | 耕 *aəŋ* | 咸 *aəm* | |
| **ae** | 佳 *ae* | | | | | |
| **au** | (肴 *au*) | | | 江 *auŋ* | | |
| **e** | | 齊 *ei* | 先 *en* | 青 *eŋ* | | 蕭 *eu* |
| | 支 *i̯e*/*ye* | 祭 *i̯ei³*/*yei³* | 仙 *i̯en*/*yen* | 清 (*i̯eŋ*)/*yeŋ* | 鹽 *i̯em*/*yem* | 宵 *i̯eu*/*yeu* |
| **i** | 脂 *i̯i*/*yi* | (脂 *i̯i*/*yi*) | 眞 *i̯in*/*yin* | | 侵 *i̯im*/*yim* | 幽 *yiu* |
| | | | 臻 *ïn* | | | |
#### C1. 冬沃韻、鍾燭韻
冬沃韻 **-oŋ**, **-ok** = K. *-uong*, *-uok*。鍾燭韻 **-i̯oŋ**, **-i̯ok** = K. *-i̯wong*, *-i̯wok*。私は李栄(Li 1952: 134)に従って、*-u-*, *-w-* を挿入しない。Karlgrenは、==表記に *-u-*, *-w-* を含める== 主な理由として宋代の韻図でこれらの韻が合口と指定されていることを挙げ、現代の温州方言にもその証拠を見出した。しかし、開口⇔合口の対立を、機械的に円唇半母音の有無に還元することはできない。主母音が円唇化すること自体が合口という呼称につながるという証拠があり、『韻鏡』は歌韻 **-â** を合口と呼んでいる。これは、この方言で後舌母音 **â** が現代北京語のようにすでに円唇化していたことを示しているとしか考えられない(*ko* < **ka**)。さらに言うと、『韻鏡』において冬韻・鍾韻は「合口」ではなく「開合」と呼ばれている。==対応する陰声韻の== 魚韻 **-i̯o** K. *-i̯wo* と模韻 **-ou** K. *-uo* については[C31](#C31-魚韻、模韻、虞韻)を参照。
#### C2. 江覺韻
江覺韻 **-auŋ**, **-auk** = K. *-ång*, *-åk*。これはForrest(1948: 154)と同意見である。この再構は、この韻が麻2韻 **-a** と同様に軟口蓋音の口蓋化を引き起こしたことを説明する(加 **ka¹** > 北京 *jiā*、江 **kauŋ** > 北京 *jiāng* を参照)。また、河野(Kōno 1955)が発見した慧琳の反切体系から得られた興味深い証拠とも一致する。この体系では、反切下字と母音が一致する単語を反切上字として使用する傾向が強い。河野は、江韻の単語は、主母音 **a** を持つ反切上字で綴られることが多いことを示している。Chao(1941 ==: 229–230==)はすでに、江韻を *-aŋ* とみなす可能性を示唆していた。しかしこれでは、この韻が後舌母音に由来し、『切韻』や韻図、さらには唐代の詩歌で時折、東1韻 **-uŋ** や冬韻 **-oŋ** との親和性を示しているという事実を考慮しないことになる(Forrest 1948: 154; Waley 1918)。さらに、我々は庚韻(K. *-ɐng*)を **-aŋ** と解釈したい。二重母音の韻 **-auŋ** が後に *-aŋ* に簡略化され、それが口蓋化されて *-iaŋ* になったという仮説は、『切韻』の共時的解釈としても、また後述する特殊な二等韻の発展理論においても、納得のいくものである。
#### C3. 唐鐸韻、陽藥韻
唐鐸韻 **-âŋ**, **-âk** = K. *-âng*, *-âk*。陽藥韻 **-i̯âŋ**, **-i̯âk** = K. *-i̯ang*, *-i̯ak*。『切韻』と韻図における密接な関連と、多くの方言における類似した扱いは、この2つの韻の主母音を同等のものとすることを正当化する(Martin 1953; Tōdō 1957)。Karlgrenが主母音を区別した理由は、これらが異なる韻として分割されていることにあったようであるが、彼はそのことを、他のいくつかのケースにおける一等韻と三等韻の主母音を区別する理由には使っていない ==(例えば[冬韻と鍾燭](#C1-冬沃韻鍾燭韻)には同じ主母音を設定している)==。いずれにせよ、我々は **-âŋ** ⇔ **-i̯âŋ** の対立を必要としている([C4](#C4-庚陌韻) 参照)。**-i̯aŋ** ではなく **-i̯âŋ** を支持するもう一つの論拠は、この韻が唇音の頭子音に軽唇音化を引き起こしたことである。Chao(1941)の説によると、軽唇音化は後舌母音の前で起こったという。Karlgrenの *-i̯u-* や *-i̯w-* による説明では、彼の 兵 *pi̯wɐng¹* (**pi̯aŋ¹**) > *p-* と 方 *pi̯wang¹* (**pi̯âŋ¹**) > *f-* の挙動の違いを説明できない。
#### C4. 庚陌韻
庚陌2韻 **-aŋ**, **-ak** = K. *-ɐng*, *-ɐk*。庚陌3韻 **-i̯aŋ**, **-i̯ak** = K. *-i̯ɐng*, *-i̯ɐk*。庚韻と元韻 **-i̯ân** K. *-i̯ɐn* の主母音の同定は、Karlgrenの体系の残念な誤りである。彼がこの2つの主母音を同じにした主な理由は、どちらの三等韻も頭子音が喉音・軟口蓋音・唇音に限定されているという明らかな並列性があることである。しかし庚韻は元韻とは異なり二等にも現れ、そこではそり舌音の頭子音とも共起するという事実は大きな違いである。さらに、そり舌音の頭子音を持つある種の単語の反切は、介音 **-i̯-** の存在を示している(例えば、生 は **ṣaŋ¹** ではなく **ṣi̯aŋ¹**)。これは漢音の *sei* という読みにも反映されている(笙 *sō* とは対照的)。他の方言ではこの区別の痕跡は見られないが、「生」の漢音は古代の資料で確認されており、単なる反切からの理論的構成ではない(Wenck 1954: III 370)。
庚2韻 **-aŋ**、庚3韻 **-i̯aŋ** の母音を麻2韻 **-a**、麻3韻 **-i̯a**、刪韻 **-an**、銜韻 **-am**、肴韻 **-au**、江韻 **-auŋ** と同様に前舌広母音と同定するのに有利な論拠は以下の通りである。
1. 慧琳の反切は、反切下字と一致する主母音を持つ反切上字を使用する傾向があるが、これらの韻は反切上字として交替する(Kōno 1955; [C2](#C2-江覺韻) 参照)。
2. 麻2韻 **-a** が歌1韻 **-â** や豪韻 **-ou** (< **\*-âɦ**) に、刪韻 **-an** が寒韻 **-ân** に対応するように、もともと庚韻は唐韻 **-âŋ** に対応する二等韻であった。啞 **ꞏa²**/**ꞏak** (K. *ꞏa²*/*ꞏɐk*)、怕 **pha³**/**phak** (K. *pʰa³*/*pʰɐk*)、齰 **dẓa³**/**dẓak** (K. *dẓʰa³*/*dẓʰɐk*) などの異音同綴を参照。
3. 他の前舌母音と同様、軽唇音化は起こらなかった。
多くの現代方言では、刪鎋韻 **-an**, **-at**、山黠韻 **-aən**, **-aət** や銜狎韻 **-am**, **-ap**、咸洽韻 **-aəm**, **-aəp** と比較して、庚陌2韻 **-aŋ**, **-ak**、耕麥韻 **-aəŋ**, **-aək** の扱いには大きな違いがある。前者が麻2韻 **-a** や前舌中母音 **-e-** を伴う韻と同様に硬口蓋わたり音を発達させ、軟口蓋音の頭子音の口蓋化を引き起こしたのに対し、後者のほとんどは母音が後退し、登德韻 **-əŋ**, **-ək** と一緒になった。しかし例外的に、庚2韻 **-aŋ** が登韻 **-əŋ** に比べて前方の母音を持つ場合がある。
1. 温州方言は体系的に区別している[^8]。
:spiral_note_pad: **表8: 温州方言における庚2韻と登韻**
| 庚2韻 | MC | 温州 | 登韻 | MC | 温州 |
| :---- | :------- | :---- | :--- | :------- | :------ |
| 坑 | **khaŋ** | *kʻä* | 肯 | **khəŋ** | *kʻang* |
| 烹 | **phaŋ** | *pʻä* | 崩 | **pəŋ** | *pang* |
2. 北部方言や呉語では、喉音の頭子音の後で庚2韻 **-aŋ** が刪韻 **-an** や麻2韻 **-a** と同じように口蓋化される。
:spiral_note_pad: **表9: 北京・上海方言における庚2韻と登韻**
| 庚2韻 | MC | 北京 | 上海 | 登韻 | MC | 北京 | 上海 |
| :---- | :------ | :----- | :------ | :--- | :------ | :----- | :----- |
| 行 | **ɦaŋ** | *xíng* | *ɦiəng* | 恆 | **ɦəŋ** | *héng* | *ɦəng* |
Chao(1941 ==: 229==)は、現代方言において江韻 **-auŋ** があたかも庚2韻 **-aŋ** に由来するかのように発展し、軟口蓋音の口蓋化を引き起こすことを指摘した。庚2韻 **-aŋ** と耕韻 **-aəŋ** が同じ母音 **-a-** を持っていたとするらば、その後の歴史における2つの違いをどう説明すれば良いだろうか。その答えはおそらく、二重母音を持つ江韻 **-auŋ** が単母音化する際に受ける圧力にある。庚2韻 **-aŋ** は、江韻 **-auŋ** との対立を維持するために、*-əŋ* の方へ上昇する傾向があったのだろう。そのため、庚2韻 **-aŋ** と耕韻 **-aəŋ** は後者に向かって合流し、多くの場合、庚2韻 **-aŋ**、耕韻 **-aəŋ**、登韻 **-əŋ** がすべて合流するまで、この傾向は続いた。刪韻 **-an** と山韻 **-aən**、銜韻 **-am** と咸韻 **-aəm** も合流したが、二重母音 **au** からの圧力がなかったため、**-an**, **-am** の方向に合流した。
#### C5. 清昔韻
清昔A韻 **-yeŋ**, **-yek** = K. *-i̯äng*, *-i̯äk*。Karlgrenの主母音 *ä* は介音 *-i̯-* の後にのみ出現し、音韻的には **e** (K. *ie*) と同一視される(「母音的 *i*」の削除については [B1](#B1-四等介音) 参照)。これら ==(清韻 **-yeŋ** と青韻 **-eŋ** 等)== は、『切韻』や韻図では唐韻 **-âŋ** と陽韻 **-i̯âŋ**、登韻 **-əŋ**と蒸韻 **-i̯əŋ** などと同様、密接に関連しており、現代方言では、8世紀の唐の方言で **-e-** が *-ye-* に変化したことによって始まった変化の過程でほとんど一緒になってしまった。
喉音・軟口蓋音・唇音の頭子音を持つ清韻のほとんどすべての単語は、韻図四等に該当するため、**-i̯eŋ**, **-i̯ek** ではなく、狭い介音を伴って **-yeŋ**, **-yek** と書かなければならない。この位置づけが恣意的なものではないことは、唇音の頭子音の漢越語における扱い(唇音の後に狭い前舌介音が続くと歯音になる)が示している(例えば、闢 **byek** → VN *tịch*、名 **myeŋ** → VN *danh*)。また、軟口蓋音と硬口蓋音の頭子音については、朝鮮漢字音で常に 영 *-iəng* となり、愆 **khi̯en** → MK 건 *kən* ⇔ 遣 **khyen** → MK 견 *kiən* のような対立 ==(Kōnō 1939)== が見られないことからもわかる。『韻鏡』では、三等にも唇音の頭子音を持つ単語が数語あるが、そのうちの主要なものが 碧 **pi̯ek** → VN *bích* である。この単語の位置づけは様々な辞書で一定していない。李栄によれば『唐韻』では **pi̯ak** となっている(Li 1952: 61, n. 7)。庚陌3韻 **-i̯aŋ**, **-i̯ak** は実際には清昔B韻 **-i̯eŋ**, **-i̯ek** の位置を占めていると考えてよいだろう。逆に、**-i̯an**, **-i̯at** という韻は『切韻』にはなく、仙薛韻 **-i̯en**/**-yen**, **-i̯et**/**-yet** の一部である仙薛B韻 **-i̯en**, **-i̯et** がその位置を占めている。慧琳において仙B韻 **-i̯en** と仙A韻 **-yen** が分離され、それぞれ元韻 **-i̯ân** と先韻 **-en** と一緒になっている状況をもっともらしく解釈すると、これは『切韻』からの発展ではなく、**-i̯en** の代わりに、**-i̯aŋ** と並行的な **-i̯an** 韻があった別の方言を表している。
#### C6. 青錫韻
青錫韻 **-eŋ**, **-ek** = K. *-ieng*, *-iek*。
#### C7. 耕麥韻
耕麥韻 **-aəŋ**, **-aək** = K. *-ɛng*, *-ɛk*。この韻は、==四等の== 青韻 **-eŋ** と ==一等の== 登韻 **-əŋ** の両方に対応する二等韻である。この韻の主母音は既に、董同龢、李栄、藤堂によって、対応する **-i**, **-m**, **-n** の韻の母音として同定されている。彼らは *ä* または *ɛ* と書いたが、私はこれを二重母音 **aə** と書くことで、**a**(二等を特徴づける母音)+ **e** から構成されるものとして記号化したい。これが二重母音であったことは、以下の考察から示唆される。
1. 朝鮮漢字音は耕麥韻を ᄋᆡᆼ *-ăing*, ᄋᆡᆨ *-ăik* と表記する。現代韓国語の発音ではこれは単母音 ㅐ *ä* であるが、中古漢語において *-i* の二重母音だったと考えられる十分な理由を持つ皆韻にも、同じ表記が使われている。庚陌2韻 **-aŋ**, **-ak** も朝鮮語では通常 ᄋᆡᆼ *-ăing*, ᄋᆡᆨ *-ăik* と表記される。これはおそらく、その当時までに庚2韻 **-aŋ** と耕韻 **-aəŋ** が後者の方向に合流していったためであろう([C4](#C4-庚陌韻) 参照)。難しいのは、ᄋᆡᆨ *-ăik* という表記は德韻 **-ək** にもある程度見られることである(登韻 **-əŋ** には ᄋᆡᆼ *-ăing* はない)。これは、麥韻 **-aək** と德韻 **-ək** がすでに合流し始めていたからかもしれない。
2. 東屋1韻 **-uŋ**, **-uk** と冬沃韻 **-oŋ**, **-ok** に対応する二等韻である江覺韻 **-aung**, **-auk** の二重母音と並行する。この点については、上古漢語から中古漢語への二等韻の発展論と関連して後述する。
庚陌2韻 **-aŋ**, **-ak** や耕麥韻 **-aəŋ**, **-aək** の呉音の表記は、いわゆる拗音を伴う。すなわち頭子音の後に音節 *-ya-* が挿入され、例えば、*kyō*(キヤウ *ki*-*ya*-*u* と表記される), *hyaku* となる。これは二重母音を示唆しているように思われるかもしれない。しかしこれは、現代日本語が英語からの借用語で前舌低母音 *a* ==\[æ]== を表現する場合にしばしば見られる方法を思い起こさせる(例えば En. *cabbage* → Jp. *kyabetsu*, En. *gang* → Jp. *gyangu*)。この問題は、青錫韻 **-eŋ**, **-ek** と清昔韻 **-yeŋ**, **-yek** にも同じ綴りが現れるという事実によって複雑になっている。後者のペアの介音 **-y-** は、日本語の *-ya-* を説明するには不十分である。なぜなら、(a)呉音では通常、介音 *-i̯-*/*-y-* がそのように表現される、(b)母音 **-e-** がヨード化して *-ye-* と合流するのは後世の現象である、(c)日本語の主母音 *-a-* は依然として説明できないままである、からである。どうやら ==呉音のもとになった== 呉語方言では、青韻 **-eŋ** や清韻 **-yeŋ** の母音は *a* に近い、非常に広い \[ɛ] であったというのが本当の説明のようだ。同じ拗音は麻2韻 **-a** にも散発的に現れるが、刪韻 **-an** や 銜韻 **-am** には見られないことについて、何らかの方法で説明しなければならない。この問題は、これらの韻や麻2韻 **-a** にも現れる万葉仮名の *e¹* の価値と結びついている(興味深い古代の読み 劍 *kyamu* の例については、後述の[C12](#C12-凡乏韻、嚴業韻)参照)。やや異なる結論に達した議論については、Wenck(1954: III §749)を参照。
#### C8. 蒸職韻
真韻 **-i̯in**/**-yin** に対応する、軟口蓋音の末子音の前に主母音 **i** を伴う韻 ==**-i̯iŋ**/**-yiŋ**== は再構されていない。韻図を見る限り、蒸職韻は音素的にやや後方の中舌主母音を伴う登德韻 **-əŋ**, **-ək** と関連付けられることは明らかである。職韻 **-i̯ək** については、初期の仏典転写、例えば 耆域 **ji̯i¹-ɦi̯wək** = Skt. जीवक *Jīvaka* (1文字目の読み方については後述 [p. 124](/@YMLi/SydgEgbKa#10--l--クラスターが単純化された時期) 参照)にその証拠が見られ、ここでは中古漢語 **ə** がサンスクリットのシュワーに対応している。同じことが、より早い時期(紀元前2世紀)の転写である 安息 **ꞏân¹-si̯ək** = \*Arśak(パルティア)にも当てはまる。同様の非ヨード化 **ə** は 塞 **sək** = शक *Śaka*, 恆 **ɦəŋ¹** = गङ्गा *Gaṅgā*(ガンジス川)に見られる。一方、同じく初期の仏典転写(紀元後2世紀)には、拘翼 **ki̯ou¹-yək** = Skt. कौशिक *Kauśika* という例も見られる(中古漢語 **y** は *ź* の音価を持ち、プラークリットの有声歯擦音を表す)。ここでは、硬口蓋音の頭子音に後続する母音が、顕著に前舌狭母音の方へ接近しているようである。職韻 **-i̯ək** の呉音も同じように頭子音によって区別される(息 **si̯ək** → *soku*、翼 **yək** → *iki*)。軟口蓋音や喉音の後(臆 **ꞏi̯ək** → *oki*、ただし 抑 **ꞏi̯ək** → *iki*)や **ts-**, **s-** の後には、*o* の読み(すなわち *o²* = *ö*)が見られる(ただし *shiki* と読むものもある)。それ以外の頭子音の後には *-iki* があり、また 緎 **ꞏi̯wək** → *wiki*、洫 **hi̯wək** → *keki* という例もある。この分布は真韻 **-i̯in**/**-yin** に見られる *o²* と *i* の読み方の分布に似ている。ここで *o²* は、主母音 **ə** ではなく、後退した介音 **-ï̯-** に起因する。しかし職韻 **-i̯ək** には、喉音・軟口蓋音・唇音の頭子音を持つ音節を三等と四等に分けた痕跡はなく、一方、真韻 **-i̯in**/**-yin** には、歯擦音や破擦音の後に *o* を伴う呉音読みの痕跡も見られない。
蒸韻 **-i̯əŋ** の呉音の表現はそれほど複雑ではない。喉音・歯擦音・破擦音の後では *-ō* (= *o²* + *u*) となり、それ以外は *-yō* である(漢音では、両方の韻で一貫して *-yō*, *-yoku* となる)。一般的に介音 **-i̯-** は呉音に反映されないので、ここで呉音に拗音 *-y-* が含まれるのは注目に値する。*-əŋ*, *-ək* の前に特に強い *-i̯-* があり、それが強化されて *-iəŋ*, *-iək* になる傾向があると仮定することで(魂韻 **-wən**/**-uan**、文韻 **-i̯wən**/**-i̯uan** などを参照、後述の[C17](#C17-文物韻)参照)、これらの韻の呉音について非常にうまく説明することができる。
現代中国語の発展において、蒸韻 **-i̯əŋ** と職韻 **-i̯ək** はともに前舌母音を持つ韻として扱われ、官話方言では軟口蓋音の口蓋化を引き起こし、清昔韻 **-yeŋ**, **-yek**、青錫韻 **-eŋ**, **-ek** と合流した。これらは(微韻 **-i̯əi** とは対照的に)軽唇音化は起こらなかった。しかし、Wenckの解釈のように介音 **-i̯-** が **-y-** に変化したとは考えられない。なぜなら、漢越語では介音 **-y-** の前の唇音は規則的に歯音に変化するが、蒸職韻ではそれは起こらなかったからである。そうではなく、介音 **-i̯-** が強化されて主母音となり、その後に続く **ə** が失われたと考えるべきである。軟口蓋音の末子音の前に主母音 **i** を伴う韻 ==**-i̯iŋ**/**-yiŋ**== がなかったために音韻的ギャップが生じ、このプロセスが促進されたのであろう。
歴史的には、中古漢語の **ə** はおそらく上古漢語の前舌狭母音 \*i に由来し、ヨード化した **i̯ə** は対応する長母音 \*ī に由来する(後述 [p. 99](/@YMLi/r1YL4JDV6#9-軟口蓋音と喉音の口蓋化:介音--i̯--y--の起源) 参照)。この母音 \*ī は、漢代にはすでに多くの文脈で中舌 *ə̄* に後退していた。長母音がヨード化すると、*-əŋ* と *-i̯əŋ* の主母音が音韻的に分離する可能性が生まれた。前者は中舌母音のままであったが、後者は前舌狭母音として元の位置に戻った。
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:bulb: **補足**
ここでPulleyblankは気づいていないが、蒸職韻には「三等B類」と「三等C類」の特殊な重紐対立があった。
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#### C9. 侵緝韻
侵緝韻 **-i̯im**/**-yim**, **-i̯ip**/**-yip** = K. *-i̯əm*, *-i̯əp*。ここでも主母音の選択肢として **i** と **ə** が考えられる。しかし軟口蓋音の末子音を持つ韻の場合とは異なり、韻図は歴史的に対応する一等韻との密接な関連性を示していない。さらに、少なくとも声門閉鎖音の後には、三等と四等の対立があることから、この韻は殷韻 **-i̯ən** ではなく真韻 **-i̯in**/**-yin** に並行するものと考えられる。Karlgrenが *-i̯əm* を好んだ主な理由は、軟口蓋音と唇音の頭子音の後に見られる呉音の *-on* という読みである。軟口蓋音に関しては、真韻 **-i̯in**/**-yin** における三等の単語が *-on*、四等の単語が *-in* と読まれるのと正確に似た状況であり、唯一の違いは、侵緝韻の四等の単語は声門閉鎖音の後でしか見られないということである(蔭 **ꞏi̯im¹** → 呉音 *on* ⇔ 愔 **ꞏyim¹** → 呉音 *in*)。唇音の頭子音の後では状況は実に異なり、貧 **bi̯in¹** → 呉音 *bin* となるが、稟 **pi̯im²** → 呉音 *hon* となる。
しかし、これは主母音の音素の違いというよりも、歯音の末子音による前進効果に起因する性質の違いであり、介音 **-i̯-**(すなわち **-ï̯-**)の呉音 *o²* (= *ö*) による表現は、歯音の末子音の前よりも唇音の末子音の前の方がより規則的に貫かれていると考えられる。また、呉音の *-on* という読みの散発的な例は、そり舌歯擦音に続く侵B韻 **-i̯im** でも起こる。これは同様に、失われた介音 \*-l-(後述 [p. 112](/@YMLi/SydgEgbKa#3-捲舌音化と介音--l--の脱落) 参照)に由来する介音 **-ï̯-** に起因すると考えられる。蒸韻 **-i̯əŋ** とは対照的に、侵韻 **-i̯im**/**-yim** では純粋な歯擦音の後に *o²* を持つ読みは見られない。
#### C10. 覃合韻
覃合韻 **-əm**, **-əp** = K. *-ậm*, *-ập*。私は、Karlgrenが長さの違いとした対立を、母音の質という観点から再解釈する(Martin 1953: 30ff.; Wenck 1954: III 193ff.)。覃韻 **-əm** と咍韻 **-əi** は、慧琳(9世紀)の反切では談韻 **-âm** や泰韻 **-âi** と同じ主母音を持つようだが、『切韻』の時代には既に、主母音が登韻 **-əŋ** や痕韻 **-ən** などのそれよりも **â** に近かったことは間違いない。特に、**ə** を持つ韻は典型的に日本語で *o²* となるが、覃韻 **-əm** の母音は *a* で表されることが多いため、位置が著しく低かったに違いない(一方、咍韻 **-əi** はしばしば *o²* となる)。したがって、より厳格な転写では別の記号を用いたほうが良いかもしれない。しかし、覃韻 **-əm** の母音を他の韻の **ə** と同一視することには歴史的に十分な理由があるため、同様に転写しても混乱は生じない。
#### C11. 咸洽韻
咸洽韻 **-aəm**, **-aəp** = K. *-ăm*, *-ăp*。[C7](#C7-耕麥韻) 参照。
#### C12. 凡乏韻、嚴業韻
この2つの韻の違いは難しい問題である。『切韻』では、ほぼ相補的な分布であるが、完全ではない。嚴韻には喉音と軟口蓋音の頭子音のみがあり、凡韻には主に唇音と少々疑わしい軟口蓋音がある。歯音と硬口蓋音の頭子音を除くと、両者は元韻(歯音の末子音)と庚3韻(軟口蓋音の末子音)に対応するようである。そのためKarlgrenは、両方の主母音を *ɐ* とした。凡韻は合口に分類されるため、彼は2つの韻を区別する特徴として介音 *-w-* を用いて、嚴韻 *-i̯ɐm* ⇔ 凡韻 *-i̯wɐm* と表記した。他の多くの研究者たちも同様である。しかし、凡韻の転写に介音 *-w-* を用いると、(a)この半母音は唇音の末子音の前では決して明瞭には生じない、(b)これは唇音の頭子音の後では決して生じない、という2つの原則に反することになる。いずれにせよ、我々はKarlgrenとは異なり元韻と庚韻の母音を異なるものと考えているため(元韻 **-i̯ân** K. *-i̯ɐn* ⇔ 庚韻 **-i̯aŋ** K. *-i̯ɐng*)、凡韻と嚴韻の主母音を同一視することに同意したとしても、それを **-i̯âm** と書くか **-i̯am** と書くかという問題に直面することになる。この韻には元韻 **-i̯ân** と庚3韻 **-i̯aŋ** の両方と類似点がある。
(A)凡韻・嚴韻と元韻 **-i̯ân** の類似点。
1. 軽唇音化は凡韻と元韻 **-i̯ân** には見られるが、庚3韻 **-i̯aŋ** には見られない。
2. 呉音は通常、凡韻と元韻 **-i̯ân** の両方で *-on* を持つ(ただし嚴韻は *-on* と *-en* の間で揺れ動く)。これは庚3韻 **-i̯aŋ** の *-yō* (*-ya-u*) とは対照的である。入声 ==(月韻)== では、開口の **-i̯ât** には *-echi* が、合口には *-wachi* または *-ochi* が見られる。業韻と乏韻はどちらも *-ō* (*o-fu*) である。一方、陌3韻 **-i̯ak** は *-yaku* となる。しかし、「劍」の古風な読み *ki-ya-mu* を見落としてはならない。これは、凡韻で軟口蓋音の頭子音を持つ数少ない単語の一つである(Wenck 1954: III 320)。
3. 慧琳の反切では、嚴韻は鹽韻 **-i̯em**/**-yem** と合流している。元韻 **-i̯ân** は、仙A韻 **-yen** とは区別されているものの、仙B韻 **-i̯en**(= **-i̯an**、[C6](#C6-青錫韻) 参照)と合流している。
(B)凡韻・嚴韻と庚3韻 **-i̯aŋ** の類似点。
1. 慧琳の反切では、凡韻(嚴韻と区別される)は、主母音 **a** が示唆される二等の銜韻 **-am**、咸韻 **-aəm** と合流している(ただし、錽, 笵 の2語は **-âm** と分類される)。
2. 前述の例外的な読み方 *ki-ya-mu* も **a** を指し示す。
3. 元韻 **-i̯ân** が上古漢語 \*ɑ のみに由来するのに対し、諧声関係の証拠は、嚴韻・凡韻が庚3韻 **-i̯aŋ** のように \*e と \*ɑ の両方に由来することを示している。
この問題についての詳細な議論は、韻の上古漢語からの展開を考えるまで待たなければならない。この2つの韻は、おそらくもともとは **-i̯âm** ~ **-i̯am** の対立を表していたが、唇音の頭子音と末子音の複合的な抑圧効果(つまり軽唇音化)によって、唇音の頭子音を持つ単語がすべて **-i̯âm** に推移し、他の頭子音の後では **-i̯am** と **-i̯âm** の両方が **-i̯em** に向かってウムラウトすることによって、その対立が不明瞭になったのだろう。切韻体系は、第一の過程が完了し、第二の過程が進行している段階である。慧琳の体系は、唇音の後の **-i̯am** と **-i̯âm** の対立がまだある程度残っていたが、他の頭子音の後ではどちらも **-i̯em** に推移したという、少し異なる発展を表しているようである(後述 [pp. 113–114](/@YMLi/SydgEgbKa#3-捲舌音化と介音--l--の脱落) 参照)。
#### C13. 鹽葉韻
鹽葉韻 **-i̯em**/**-yem**, **-i̯ep**/**-yep** = K. *-i̯äm*, *-i̯äp*。[C5](#C5-清昔韻) 参照
#### C14. 添怗韻
添怗韻 **-em**, **-ep** = K. *-iem*, *-iep*。
#### C15. 臻櫛韻
臻櫛韻 **-ïn**, **-ït** = K. *-i̯ɛn*, *-i̯ɛt*。Chao(1941 ==: 228–229==)は、この韻はそり舌音の頭子音の後の二等にのみ出現し、真韻 **-i̯in**/**-yin** と相補分布にあると指摘した。Karlgren以外のほとんどの研究者は、これらを転写において区別していない。別々の韻を設定するに至った音韻上の違いは、そり舌音の頭子音の影響で主母音が **i** から **ï** に後退したことに違いない。慧琳の体系では、臻韻は真B韻 **-i̯in** (= **-ï̯in**) とともに、殷韻 **-i̯ən** とほとんど合流していた。そり舌破擦音や生母 **ṣ-** を持ち、黄淬伯 ==(Huang 1931)== が **-yin** に分類した単語も多少存在する。そのうちの1つの単語は ==『切韻』では== 真韻に見られるが、他の2つは臻韻に見られる。したがって、音韻的対立があったかどうかは疑わしいが、臻韻の場合は **-i̯in** ではなく **-ïn** と書くのが有用であろう。
この韻は真B韻 **-i̯in** の異音であるため、正しくは三等に属するが、三等韻の前に現れても韻図では二等に置かれる頭子音 **tṣ-**, **tṣh-**, **dẓ-**, **ṣ-** (莊組)としか共起しないため、誤って排他的な二等韻であるかのように見える。したがってこの韻は、二等韻はすべて母音 **a** またはその二重母音を持つという規則の見かけ上の例外を構成しているに過ぎない。
#### C16. 真質韻
真質韻 **-i̯in**/**-yin**, **-i̯it**/**-yit** = K. *-i̯ĕn*, *-i̯ĕt*。Karlgrenの転写が設定した、この韻の母音と先韻 **-en** K. *-ien* の母音との間の音韻的相関関係を正当化することは困難である。韻図三等の軟口蓋音の頭子音によるものを除けば、この韻の反射と転写音価のほとんどは、明らかに母音 **i** を示している。Karlgrenがこれを否定したのは、主に 巾 **ki̯in** のような単語の呉音 *kon* (*o²* = *ö*) や朝鮮漢字音 *kŭn* の証拠に基づくものであったが、これまで見てきたように、これらは介音 **-i̯-** の観点から説明されるべきものである。一方、先韻 **-en** は、韻図や『切韻』における韻の順では寒韻 **-ân** や刪韻 **-an** などとグループ化され、真韻 **-i̯in**/**-yin** とはまったく別のものとして扱われている。
#### C17. 文物韻
灰韻・魂韻・文韻は、原本『切韻』の中で唯一独立した合口韻である。『広韻』では、諄韻 **-i̯win**/**-ywin**, 戈韻 **-wâ**, 桓韻 **-wân** は対応する開口韻から独立したものとして現れるが、これは後に追加されたものである(cf. Wang 1957: 134)。この対立は音韻的には(庚3韻 **-i̯aŋ** などの介音 **-i̯-** と同様に)介音 **-w-** に帰着するものだが、このケースでは、主母音に通常より大きな影響を与えるために痕韻 **-ən** と魂韻 **-wən** 等の間ではうまく韻を踏めないと考えることもできるし、Karlgrenにならって **-uəi**, **-uən**, **-i̯uən** と書くこともできる。**u** の使用は、侯韻 **-u**, 尤韻 **-i̯u**, 東韻 **-uŋ**, **-i̯uŋ** に独立した主母音として存在するので新しい音素を導入することにはならないが、二重母音 **-uə-** はこれらの韻に特有のものとなる。この選択に賛成なのは、外国語の *-un* を表すのに魂韻 **-wən**/**-uən** や文韻 **-i̯wən**/**-i̯uən** が使われるためである。これらの韻に対して、**-ət** と **-wət**/**-uət** は1つの韻とされ、**-i̯əi** と **-i̯wəi** の韻も1つとされている ==(それぞれ沒韻と微韻)==。これは趙元任が「音韻体系の非一意性」と呼ぶような、代替案が可能なケースであることは明らかである。その理由は、軟口蓋音の末子音の場合、冬沃韻 **-uŋ**, **-uk** が独立して存在し、登德韻 **-wəŋ**/**-wək** と対立する圧力をかけていたのに対し、末子音 **-i**, **-n**, **-t** にはそのような対立がなかったため、灰魂沒韻 **-wəi**, **-wən**, **-wət** が、欠落した **-ui**, **-un**, **-ut** に代わって音韻体系の隙間を埋めるように推移する傾向があったからに違いない。
#### C18. 諄術韻
『切韻』と『広韻』の間に追加された合口韻である諄韻・戈韻・桓韻の場合は、原本『切韻』から存在する合口韻とは異なる。このような対立は切韻体系の転写では考慮する必要がないので、ここでは単に諄韻 **-i̯win**/**-ywin**, 戈韻 **-wâ**, 桓韻 **-wân** と表記することにする。新しい韻目が導入された理由は、主母音を同一視できなくなるような音変化が起こったためであることは間違いない。戈韻 **-wâ**, 桓韻 **-wân** については後述する。諄韻 **-i̯win**/**-ywin** に関する限り、新しい韻目の設定につながった音変化の兆候は、おそらく慧琳の反切に見られる。慧琳では、術韻 **-i̯wit**/**-ywit** は物韻 **-i̯uət** (**-i̯wət**) と合流している。これは間違いなく、円唇化介音が強化され、主母音が後退したことを示している。文韻 **-i̯wən** と諄韻 **-i̯win**/**-ywin** はまだ分離されているが、後者はもはや真A韻 **-yin** とも真B韻 **-i̯in** とも同じではない(真B韻 **-i̯in** は真A韻 **-yin** から分離し、殷韻 **-i̯ən**, 臻韻 **-ïn** と合流した、[C15](#C15-臻櫛韻) 参照)。真韻と諄韻の分離は体系的に達成されたわけではなく、『広韻』ではまだ真韻のまま残されている合口の単語が見られる。
#### C19. 元月韻
この韻の母音を庚3韻 **-i̯aŋ** の母音と同一視する誤りについては、[C4](#C4-庚陌韻) 参照。元韻の母音を桓韻 **-ân** の **â** と同一視するのは、歴史的には確かに正しい。この韻の単語が外国語の母音 *â* を転写するのに使われているのは、玄奘(7世紀)の後期にも見られる(例えば 悉泯健 **si̯it-myin¹-gi̯ân¹** = سمنگان *Simingān*、cf. Mizutani 1958: 62, also 60, 64, etc.)。陽韻 **-i̯âŋ** とは対照的にこの韻に歯音・硬口蓋音・そり舌音の頭子音を持つ単語がないのは、中舌位置の頭子音による口蓋化作用の影響で、早くに元韻 **-i̯ân** から仙B韻 **-i̯en** に推移した結果である。同じウムラウトはのちに喉音や軟口蓋音の後の元韻 **-i̯ân** にも影響を及ぼしたため、慧琳では仙B韻 **-i̯en** (= **-i̯an** (?)、[C5](#C5-清昔韻) 参照)と合流し、漢音では *-en* となる。黄淬伯は、慧琳では唇音の頭子音を持つ単語もともに **-i̯en** になったと考えているが(Huang 1931: 6.152)、それらは漢音では *-an* と読まれ、**pi̯en** などとは対照的に軽唇音化したため、これは疑わしい。現代方言の多くは、『切韻』以降に喉音や軟口蓋音の後のこの韻を前進させたが、福州は後舌母音を残している(建 **ki̯ân¹** > 福州 *kiong*, 呉音 *kon*、元 **ŋi̯wân¹** > 福州 *nguong*, 呉音 *gan* (= *guwan*))。初期の日本語には2種類の音素 *o* があった(*o¹* はおそらく円唇性の後舌広母音、*o²* (= *ö*) は円唇性の中舌母音)ため、呉音 *-on* は明確ではない。Wenck(1954: III 266)は、この韻の主母音がKarlgrenの *ɐ* のようなものであることを示す *o²* を支持する根拠は、かなり乏しいと主張している。しかし、万葉仮名の *wo*, *woni*, *wochi*, *wotsu* に 袁遠 **ɦi̯wân¹**, 怨 **ꞏi̯wân¹**, 越 **ɦi̯wât** が使われていることから(Wenck 1954: II 311)、*o* (= *o²*) と *wo* (= *o¹*) は相補的関係にあるため(Wenck 1954: II 314)、これは明らかに *o¹* を指し示している。**-i̯ân**(おそらく元は長母音 \*ɑ̄、後述)の後舌母音がある程度円唇化していたために、日本語の *o¹* で表されるようになった可能性は十分にある。同様に、方 **pi̯âŋ¹** が万葉仮名 *ho* に使われている(Wenck 1954: II 264)。
中舌母音 *ɐ* というKarlgrenの再構に有利な証拠は、元韻が『切韻』において寒韻 **-ân** ではなく、魂韻 **-uən** (**-wən**) および痕韻 **-ən** と関連づけられていることである。『広韻』によればこれらは「同用」であった。また『刊謬補缺切韻』の目次には、以前のある韻書では魂韻とまとめられていたと記されている。これは、9世紀の慧琳の反切や漢音に代表されるように、**-i̯ân** と **-i̯en** (~ **-i̯an**) の間の移行段階を表しているように思われる。したがって **-i̯ân** という表記は、『切韻』から見れば厳密には時代錯誤的であるかもしれないが、それによって混乱が生じることはなく、歴史的にも納得のいくものである。
#### C20. 仙薛韻
仙薛韻 **-i̯en**/**-yen**, **-i̯et**/**-yet** = K. *-i̯än*, *-i̯ät*。[C13](#C13-鹽葉韻) 参照。
#### C21. 先屑韻
先屑韻 **-en**, **-et** = K. *-ien*, *-iet*。
#### C22. 桓末韻
『切韻』とは対照的に、『広韻』に歌韻 **-â** から分離された特別な合口韻の戈韻 **-wâ** が見られるのは、おそらく **â** が **ɔ** に円唇化された結果「合口」と呼ばれるようになったためであろう([C1](#C1-冬沃韻、鍾燭韻) 参照)。桓韻 **-wân** が寒韻 **-ân** から分離したのも同じ理由であろう。興味深いのは、『広韻』では歌韻 **-â** ではなく戈韻 **-wâ** の下に三等開口 **-i̯â** の単語が置かれていることである。このことは、主母音に認識可能な違いがあり、韻の分離が単に介音 **-w-** の問題ではなかったことを証明しているように思われる。
#### C23. 支韻
支韻 **-i̯e**/**-ye** = K. *-ie̯*。私の転写は李栄のものと一致する。Karlgrenの転写は、==四等韻の特徴であるはずの==「母音的 *i*」を三等韻に含めているので、Karlgren自身の原則に反している。『切韻』の後、この韻が脂韻 **-i̯i**/**-yi**, 之韻 **-i̯ə**, 微韻 **-i̯əi** と一体化されて一つの **-i** 韻になったが、『切韻』に主母音 **i** を仮定する必要はない。
#### C24. 脂韻
脂韻 **-i̯i**/**-yi** = K. *-i* 。この韻の三等と四等の対立を考慮し、転写では介音 **-i̯-**/**-y-** を明示する必要がある。
#### C25. 微韻
微韻 **-i̯əi** = K. *-je̯i* 。この変更は、趙元任(Chao 1941)によって提案された。
#### C26. 之韻
之韻 **-i̯ə** = K. *-i*。Karlgrenはこの韻と脂韻 **-i̯i**/**-yi** を区別していない。私は李栄(Li 1952)に従う。中舌母音 **ə** は、万葉仮名において日本語 *o²* (= *ö*) または *i²* (= *ï* ?) を表すためにこの韻を使うことから裏付けられる。この習慣は、己 **ki̯ə** を *ko* と読む日本語漢字音に残されている(Wenck 1954: III 154–6, 159)。李栄の *-iə* は、支A韻 **-ye** (彼は *-ie* と表記)との理論的な並列性に基づいている。後者では、上古漢語の軟口蓋音(または喉音)の末子音は、ヨード化した(長)母音の後で跡形もなく失われている。魚韻 **-i̯o** とも比較されたい。
#### C27. 佳韻、皆韻、夬韻
佳韻 **-ae**, 夬韻 **-ai³** = K. *-ai*(彼はこの2つの韻を区別していない)。皆韻 **-aəi** = K. *-ăi*。李栄の表記は佳韻 *-ä*, 皆韻 *-äi*, 夬韻 *-ai* である。皆韻 **-aəi** ⇔夬韻 **-ai³** の対立は、山韻 **-aən** ⇔刪韻 **-an** や、耕韻 **-aəŋ** ⇔庚2韻 **-aŋ** の対立に相当する。つまり、**aə** を持つ韻は上古漢語の母音 \*ə < \*i と \*e に由来し、**a** を持つ韻は上古漢語の \*ɑ に由来する([C4](#C4-庚陌韻), [C7](#C7-耕麥韻) 参照)。しかし、ここには第三の韻として佳韻もある。これは、かつての喉音の末子音が失われた上古漢語 \*e に由来する二等韻である。一方、皆韻 **-aəi** は、かつての歯音の末子音が失われた上古漢語 \*ə < \*i と \*e の両方に由来し、また、かつての喉音の末子音が失われた上古漢語 \*ə < \*i にも由来する(閉音節では、上古漢語の \*i と \*e は共に二等に入り、耕韻 **-aəŋ**, 山韻 **-aən**, 咸韻 **-aəm** となる)。
皆韻を **-aəi** と再構することは、前述した耕韻 **-aəŋ** や山韻 **-aən** の再構と全く並行的であり、別段正当化する必要はない。咍韻 **-əi** と皆韻 **-aəi** の類似性は、朝鮮漢字音において、泰韻 **-âi³** と夬韻 **-ai³** が通常 애 *-ai* で表されるのとは対照的に、咍韻と皆韻がともに ᄋᆡ *-ăi* で表されるという事実によって裏付けられる(ただし、この違いはKarlgrenが考えていたような量的なものではなく質的なものである、Martin 1953 参照)。一方、9世紀の慧琳の反切において、咍韻 **-əi** は泰韻 **-âi³** と合流したが、それとは別に夬韻 **-ai³** と皆韻 **-aəi** の2つの二等韻も合流した。これは、一方では覃韻 **-əm** と談韻 **-âm** が、他方では咸韻 **-aəm** と銜韻 **-am** (また山韻 **-aən** と刪韻 **-an**)が合流するのと正確に並行する。
佳韻については、最終的にはほとんどの場合夬韻 **-ai³** や皆韻 **-aəi** と合流するが、もともとは支B韻 **-i̯e** や歌1韻 **-â** に近く、**-i** の二重母音ではなかっただろうと考える根拠がいくつかある。詩の押韻では、佳韻と支韻 **-i̯e**/**-ye** は南北朝時代のほとんどを通じて一つのグループを形成している(Wang 1936)。騧, 蝸, 媧(全て **kwa¹**, **kwae¹**)や 鼃(**ꞏwa¹**, **ꞏwae¹**, **ɦwa¹**, **ɦwae¹**)のような異音同綴は、佳韻と麻韻がかなり近いものであったことを示している。佳韻 **-ae** は、現代中国語ではしばしば規則的には **-a** に由来するであろう反射を持つ、例えば、佳 **kae¹** > 北京 *jiā*(加 **ka** と同音)は 街 **kae¹** > 北京 *jiē* とは対照的である。呉音では、佳韻は規則的に *-e* となり、万葉仮名における 賈 **mae¹** の *me¹* への用法に見られるように、*e¹* の音価を持つ。これは麻韻 **-a** に対応する呉音として最もよく見られるものでもある。麻韻の呉音には *-a* と *-ya* という読みもあり、万葉仮名の *a* に使われるが、佳韻にもその痕跡が見られる(Wenck 1954: III 138–42, 205–7)。一方で皆韻は、咍韻 **-əi** や夬韻 **-ai³** と同様に、通常、呉音では *-ai* と読まれる。比較的まれな夬韻 **-ai³** は、標準的な呉音では *-ai* または *-e* を持つが、初期の読みではほとんどが *-ai* を示す。
このことから、佳韻を説明するのには、**a** と **e** の中間か、あるいは **a** と **e** の組み合わせが適していると結論づけることができる。しかし、李栄に倣って中間的な母音 *ä* を仮定すると、その後の展開、つまり **-i** の二重母音である夬韻 **-ai³** や皆韻 **-aəi** との合流を説明するのが難しくなる。二重母音 **ae** を仮定すれば、その後の展開は容易に理解できる。このような二重母音は、音韻構造において例外的な要素であったため、不安定であったようだ。そのため、通常の **-i** の上昇二重母音に発展するか、あるいは、散発的に起こるように、語末要素を失って **a** になる傾向があったのだろう。
**(a)e** の後で喉音の末子音が **-i** に母音化することなく消失するという仮定は、支A韻 **-ye** で起こったことと比較することができる。李栄が皆韻の *-äi* に対して佳韻に *-ä* を仮定したのは、この類似性によるものである。
#### C28. 廢韻
廢韻 **-i̯âi³** = K. *-i̯ɐi*。[C19](#C19-元月韻) 参照。
#### C29. 祭韻
祭韻 **-i̯ei³**/**-yei³** = K. *-i̯äi*。[C13](#C13-鹽葉韻) 参照。
#### C30. 齊韻
齊韻 **-ei** = K. *-iei*。
#### C31. 魚韻、模韻、虞韻
魚韻 **-i̯o** = K. *-i̯wo*。模韻 **-ou** = K. *-uo*。虞韻 **-i̯ou** = K. *-i̯u*。**o** の前の介音 *-w-*/*-u-* の削除については [C1](#C1-冬沃韻、鍾燭韻) を参照。Karlgrenの転写は、一等韻の模韻と三等韻の虞韻が互いに対応し、魚韻は単独で存在するという明確な証拠と矛盾している。李栄は、サンスクリット語の転写の証拠から、唐代初期まで模韻と虞韻の主母音は *o* であったと推論し、それに従ってそれぞれ *-o* と *-io* と表記した。しかし、これらの韻を二重母音 **-ou**, **-i̯ou** の代わりとすると、豪韻 **-âu**, 肴韻 **-au** などのように、後舌母音の後で失われた喉音の末子音が **-u** に母音化されたと仮定することで、冬韻 **-oŋ**, 鍾韻 **-i̯oŋ** と完全に並行的になる。したがって魚韻は純粋な開母音 **o** を持つ **-i̯o** とみなすことができ、李栄のようにこの韻にのみ見られる新しい音素 *å* を設定する必要はない。魚韻 **-i̯o** と虞韻 **-i̯ou** の歴史的な違いは、一方が上古漢語 \*-āɦ (= K. \*-i̯ag, \*-i̯o) に由来するのに対し、もう一方は主に上古漢語 \*-ōɦ (= K. \*-i̯u, \*-i̯ug) に由来するという点である。かつての長母音の後における喉音の末子音の母音化を伴わない消失は、支A韻 **-ye** < \*-ēɦ (= K. \*-i̯ěg) の展開と比較することができる。
これらの韻の日本漢字音の音価についてはWenck(1954: III 170ff.)を参照。二重母音 **ou** という仮説は、この韻における呉音と万葉仮名の *-o* と *-u* の間の揺れを、Wenckが論じた議論よりもうまく説明できるように思われる。Karlgrenが上古漢語の \*-aɦ (= K. \*-ag) クラスから \*-o クラスを分離したことに根拠がない以上、それに基づくWenckの議論にも根拠がない。私は、漢音の *wo* が 烏 **ꞏou** (K. *ꞏuo*) を表すことに対する大野の説明を否定するWenckの主張には納得できない。大野の説明によれば、仮名で ヲ *wo* と オ *o* と表記される音の本当の対立は、もともと *o¹* ⇔ *o²* の対立であり、それゆえ日本人は漢語 烏 **ꞏou** を *o* (= *o²* = *ö*) ではなく *wo* (*o¹*) と表記することを好んだのかもしれない、と述べている。呉音における虞韻 **-i̯ou** の表現は、鍾韻 **-i̯oŋ** のそれと並行的である。
我々の **-i̯o** に関して言えば、日本語の音価 *o²* は非常に満足のいくものである。唐代になるとこの韻はより前方に出るようになり、チベット語やブラーフミー文字の転写ではしばしば *-i* で表記されるようになった。これは之韻 **-i̯ə** を **-i** に変化させるウムラウトと似ているが、広範囲にわたるものではなかった。
#### C32. 侯韻、尤韻、幽韻
侯韻 **-u** = K. *-ə̯u*。尤韻 **-i̯u** = K. *-i̯ə̯u*。幽韻 **-yiu** = K. *-i̯ĕu*(Karlgren 1957)。私の転写は李栄に倣ったものだが、彼の *-ju* の代わりに **-yiu** と表記したのは、尤韻 **-i̯u** と幽韻 **-yiu** の間には主母音に違いがあり、単に介音だけの違いではないことを示すためである。
李栄が K. *-i̯ə̯u* を *-iu* (= **-i̯u**) に改めたのは、唐代以前と唐代初期のサンスクリット語の転写に基づくもので、そこから彼は、*-u*, *-iu* が *-ə̯u*, *-i̯ə̯u* に二重母音化したのは唐代になってからだと結論づけた。この修正にはさらに、対応する *-ŋ*, *-k* の韻と正確に並行するという理論的な利点がある。
:spiral_note_pad: **表10: 中古漢語で主母音 u を持つ韻の発展**
| | MC | OC | Karlgren |
| :---- | :------- | :------ | :---------- |
| 東1韻 | **-uŋ** | < \*-oŋ | \*-ung |
| 侯韻 | **-u** | < \*-uɦ | \*-ug, \*-u |
| 東3韻 | **-i̯uŋ** | < \*-ūŋ | \*-i̯ông |
| 尤韻 | **-i̯u** | < \*-ūɦ | \*-i̯ôg |
幽韻 **-yiu** の説明は後述する。
#### C33. 宵韻
宵韻 **-i̯eu**/**-yeu** K. *-i̯äu*。[C13](#C13-鹽葉韻) 参照。
#### C34. 蕭韻
蕭韻 **-eu** = K. *-ieu*。
## 参考文献
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### 参考文献(追加)
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[^1]: Pulleyblank(1961)。この続きは、私の音韻研究の成果が発表されるまで延期する。
[^2]: Zhou(1948: 4)は、長安の話し言葉に基づくというKarlgrenの見解を支持し、ここで挙げたいくつかの指摘に反論しているが、私は納得できない。
[^3]: 那由他 K. *nâ¹-i̯ə̯u¹-tʰâ¹*、那庾多 K. *nâ¹-i̯u¹-tâ¹* とも転写される。
[^4]: \*tuẓit (?) かもしれない。この漢訳における硬口蓋音 **ź** の使用は、転写された時代 ==の漢語の音韻体系== にはそり舌音 *ẓ* や純粋な歯音 *z* がなかったことで説明できる。
[^5]: Pelliot(1959: 57)参照。
[^6]: 通常は 舍利 K. *śi̯a²-lji³* と転写される。
[^7]: 入声韻(すなわち **-k**, **-t**, **-p** を伴う韻)は同様に、対応する鼻音で終わる韻によって暗示される(寒韻 **-ân** から曷韻 **-ât** など)。合口韻は、『切韻』で個別の韻が形成されている場合のみ記載し、そうでない場合は、対応する開口韻の下に含める(**kwân** は寒韻 **-ân** の下、**i̯wək** は蒸韻 **-i̯əŋ**の下など)。『広韻』で追加された合口韻は角括弧で囲む。丸括弧は、同じ韻の別の表記、または表中の同じ韻の別の位置、そして清B韻 **-i̯eŋ** と幽B韻 **-i̯iu** の場合は疑わしいケースしかない理論的な三等韻を示す。
[^8]: この方言では、唇音の頭子音を持つ耕韻 **-aəŋ** の単語は、対応する庚2韻 **-aŋ** の単語と区別される。例えば、猛 **maŋ** は温州 *mä* となるが、萌 **maəŋ** は(**myeŋ**, **meŋ** とともに)温州 *ming* となる。ほとんどの方言では、庚2韻 **-aŋ** と耕韻 **-aəŋ** は完全に一緒になっている。