# 紀元前1千年紀の中国語音韻論(韻体系) :::info :pencil2: **編注** 以下の論文の和訳である。 - Jaxontov (Я́хонтов), Sergej E. (1959). Фонетика китайского языка I тысячелетия до н. э. (система финалей). *Проблемы востоковедения* 2: 137–147. 原文には要旨・セクション立て・表見出しがないが、追加した。誤植と思しきものは、特にコメントを付加せずに修正した。 中古漢語の形は、原文ではKarlgren(1940)の再構形を一部修正した表記が用いられているが、本訳文ではKarlgren(1957)の再構形を一部修正した表記に置換した。Karlgren(1957)の表記との違いは以下の通りである。 1. 有気音の記号「*‘*」は「*h*」に置き換える(原文同様)。 2. 本訳文では平声を「*¹*」、上声を「*²*」、去声を「*³*」で表記する。原文では平声は無表記、上声と去声は「Ⅱ」「Ⅲ」の上付き文字が用いられている。 3. 原文では、影母の記号「*ꞏ*」は「*ʔ*」に置き換えられ、曉母の記号「*χ*」は「*x*」に置き換えられ、一部の介音「*w*」が上付き文字「*ʷ*」に置き換えられている。本訳文ではこれらについてKarlgren(1957)の通り表記する。 また、Karlgrenによる中古漢語再構形の隣に、スラッシュを挟んで、[切韻拼音](https://phesoca.com/tupa/)(“TUPA”)の表記を加えた。 チベット語の翻字はIASTと互換性のある表記に変更した。 ::: :::success :pushpin: **要旨** 上古漢語の韻体系は、等韻学を応用した20世紀以前の研究者たちによって基本的な枠組みについてはよく知られている。近年、その具体的な音価を再構する取り組みが行われているが、現在提案されている仮説には研究者によって重要な点で相違がある。本稿では、彼らによる韻(主母音+末子音)の再構を比較し、評価を行う。 ::: --- ## 1. はじめに 中国語の文字の特殊性のひとつは、時代や方言によってどんなに発音が変わっても、語源を共有する単語(または形態素)は原則として常に同じ文字で表記されるということである。我々が扱う古文書が、極めて理解しやすいものであったとしても、それが書き記された当時にどのように読まれていたのかについては見当もつかないことが多い。そのため、中国語の発展初期における音韻論の再構は、中国語文献学の重要な課題であると常に考えられてきた。 紀元6~7世紀以降の中国語の発音は、現存する多くの韻書に記録されているため、かなりよく知られている。紀元前1千年紀の発音も再構されていると考えられるが、この時代に関する再構の正確性には疑問が残るケースもある[^1]。 そこで、上古漢語の音韻論に関する疑問に新たな解釈を与えることなく、その再構に用いられている方法を分析し、この分野における我々の知識がどれほど信頼できるものなのかを検証する必要がある。本稿では、この関連で生じる問題の一部、すなわち韻(音節の後半部分=主母音と末子音)の再構のみを扱う。 ## 2. 上古漢語の韻とこれまでの再構の概要 ### 2.1 再構の資料 上古漢語の音韻論の特徴を判断する資料の中で、最も重要なのは形声文字と古代の詩の押韻である。 形声文字とは、その文字の構成要素の一つ(声符)が単独で使用された場合の読み方に近い読みを持つものである。多くの文字は、しばしば同じ声符を共有しているため、上古漢語において似たような読み方をしていた文字のグループを同定することができる。 古い詩の押韻の研究も、同様に重要な情報を提供してくれる。上古の詩歌において規則的に韻を踏んでいる単語間では、明らかに同じ、あるいはほぼ同じ韻を共有している。正確な押韻からだけでなく、例外的な珍しい押韻からも、一定の結論を導き出すことができる。 また、上古漢語では聯綿字、すなわち音節同士が韻を踏んでいたり(例えば 螳螂 *dhâng¹ lâng¹*/*dang lang*)、頭子音が同じであったり(例えば 顚倒 *tien¹ tâu²*/*ten tawq*)する2音節語がよく見られることも興味深い。最後に、同じ語根から音や声調を交替させて作られた関連語間の比較もしなければならない。 上古漢語の詩に見られる単語は、韻によって簡単に分類することができる[^2]。例えば、まず 馬 *ma²*/*maeq*「馬」という単語を取り上げ、詩を調べると、それが 下 *ɣa²*/*ghaeq*「底」、野 *i̯a²*/*jiaeq*「野原」、虎 *χuo²*/*hoq*「虎」、羽 *ji̯u²*/*uoq*「羽」、怒 *nuo²*/*noq*「怒り」などの単語と韻を踏んでいることがわかる。これらの単語のリストを作った後、下 *ɣa²*/*ghaeq* や 野 *i̯a²*/*jiaeq* などと韻を踏んでいる単語を探し、出尽くすまで繰り返す。次に、この韻に含まれていない別の単語を取り上げ、同じことを行うのである。同じ韻に含まれる単語でも、中古漢語(あるいは現代語)では全く韻を踏まない場合があり、逆に中古漢語(あるいは現代語)で同音であっても上古漢語では韻を踏まない場合があることには、注意しなければならない。 ### 2.2 韻の概要 上古漢語には、50~60の韻が見られる。1つの韻に含まれる単語はすべて、主母音・末子音・声調が同じ(またはほぼ同じ)でなければならない。なぜなら、中国語で詩の韻を決定するのはこれらの要素だからである。一方、異なる韻を持つ音節同士は、これらの要素の少なくとも1つによって区別される。 声調だけが異なる ==(主母音と末子音が同じだが互いに韻を踏まない)== 韻(互いに韻を踏んでいる単語群)を見つけるのは難しくない。重要なのは、音韻構造が同じだが声調が異なる単語(例えば 園 *ji̯wɐn¹*/*uon*「庭」と 遠 *ji̯wɐn²*/*uonq*「遠い」など)は、同じ声符の文字で表記することができるが、通常は互いに韻を踏まなかったということである。ここから、声調の異なる2つの韻が同じ声符と結びついている場合、その韻の他の2つの特徴(主母音と末子音)はほぼ同じであることがわかる。声調だけが異なる韻は、==まとめて1つの==「韻部」と呼ばれるグループに分類することができる。 中古漢語には、平声/上声/去声/入声の4種の声調があった。入声は、非鼻音の末子音(*-p*, *-t*, *-k*)を持つ音節がとる声調である。通常、非鼻音の末子音を持つ各音節は、鼻音の末子音を持つ特定の音節に対応する[^3]。このような関係にある音節は、==実際には末子音の調音方法の違いがあるが、当時の研究者には==声調だけが異なると考えられていたのである(例えば、工 *kung¹*/*koung*「働く」と 谷 *kuk*/*kouk*「谷」は同じ音で構成されているが、前者は平声、後者は入声で発音される)。この観点から、中古漢語の音節はすべて、「陰声」と「陽声」の2つのグループに分けることができた。陽声は、末子音を持つ音節のことで、4種類の声調が区別される。平上去声は *-m*, *-n*, *-ng* で終わり、入声は *-p*, *-t*, *-k* で終わる。陰声には末子音がないため、3つの声調 ==平声/上声/去声 だけ== が区別される。 上古漢語の韻は、通常、中古漢語の平声/上声/入声に対応する3つの声調のみが区別された[^4]。去声に関しては、中古漢語で去声を持つ単語が、上古漢語の時代に独立した韻群を形成することはほとんどなかった。通常、去声の単語はそれぞれ別の声調の単語と韻を踏み、それらと一つの韻群を形成した。例えば、志 *tśi³*/*tjyh*「意志」と 化 *χwa³*/*hwaeh*「変わる」は平声韻 ==(通常は平声音節のみから構成される韻群、以下同)== に属し、右 *ji̯ə̯u³*/*uh*「右」と 顧 *kuo³*/*koh*「顧みる」は上声韻に属し、背 *puậi³*/*pojh*「背中」と 帝 *tiei³*/*tejh*「神」は(語末 *-k* の)入声韻に属した。 他の声調とは異なり、去声は単語の形成と密接な関係がある[^5]。表1の例のように、去声(加えてそれ以外の音韻的違いもあるかもしれない)によって区別される関連語のペア(しばしば同じ文字で書かれる)がしばしば見られる。 :spiral_note_pad: **表1: 去声と関連する単語ペアの例** | 平上入声 | *K-MC* | *TUPA* | 意味 | 去声 | *K-MC* | *TUPA* | 意味 | | :------- | :------- | :-------- | :----- | :--- | :-------- | :-------- | :----------- | | 好 | *χâu²* | *hawq* | 良い | 好 | *χâu³* | *hawh* | 愛する | | 食 | *dźhi̯ək* | *zjyk* | 食べる | 食 | *i³* | *jyh* | 食べ物、養う | | 分 | *pi̯uən¹* | *pun* | 分ける | 分 | *bhi̯uən³* | *bunh* | 部分 | | 上 | *źi̯ang²* | *djyangq* | 上げる | 上 | *źi̯ang³* | *djyangh* | 上 | | 買 | *mai²* | *meeq* | 買う | 賣 | *mai³* | *meeh* | 売る | | 答 | *tập* | *top* | 答える | 對 | *tuậi³* | *tojh* | 答える | どうやら、去声は他の声調よりも後に生まれたようで、去声を持つ単語はもともと他の声調を基底として分布していたようである。 入声韻に属する去声語(背 *puậi³*/*pojh*「背中」等)、または入声語に関連する去声語(對 *tuậi³*/*tojh*「答える」等)は、中古漢語では末子音を持たないことに注意されたい。鼻音の末子音を持つ去声語は、鼻音以外の音で終わる単語と韻を踏むことはなかった。このように、音節の陰声と陽声の区分は上古漢語と中古漢語とで異なっており、上古漢語では入声音節は陰声音節と密接な関係にあった。 この関係は、陰声音節と入声音節が別々の韻群を形成するところからも辿ることができる。末子音 *-k* や *-t* を持つ単語と、それらと韻を踏まない陰声音節が、同じ声符で表記されることは非常に多い。例えば、由 *i̯ə̯u¹*/*ju*「~より」は 軸 *d̑hi̯uk*/*druk*「軸」の声符、卒 *tsuət*/*tsot*「兵士」は 醉 *tswi³*/*tswih*「酔う」の声符である。また、陰声音節と末子音 *-k* や *-t* を持つ音節は、同じ韻を持たないが、偶発的に韻を踏むことがある。 ### 2.3 「韻部」と「韻類」の再構 #### 2.3.1 韻部・韻類の再構方法 入声のそれぞれの韻は、陰声音節と直接関連付けられるのではなく、それが含まれる特定の韻部と関連付けられる[^6]。入声音節は、末子音によって同じ韻部の他の音節と区別されるが、主母音は明らかに全く同じである(そうでなければ、音韻的に共通するものが全くなく、偶発的であろうと互いに韻を踏むことはあり得ない)。一方で、通常、上古漢語で同じ韻部に属する入声音節とそれ以外の声調の音節は、中古漢語では異なる母音を持つ。しかしこれは、同じ母音が後に異なる音韻条件下(子音の前⇔音節末)で発展した結果である。入声韻のうち、語末 *-p* を持つ音節を含むものだけが、陰声音節と組み合わせることができず、独立した韻部を形成する[^7]。一方、陰声音節のすべての韻部のうち、中古漢語で *-â* 韻を持つ ==すなわち歌韻 *-â*/*-a* の== 単語が含まれる韻部(伝統的な用語では、この韻部を「歌部」と呼ぶ)だけは、入声韻を持たない。 さらに、陰声音節と陽声音節の韻部は、末子音だけが異なり主母音が同一のペアを ==一つの「韻類」(後述)に== まとめることでグループ化することができる。そのためには、我々がすでに知っているのと同じ情報源、つまり不正確な押韻や声符を用いる。この方法は、例えば楊樹達が採用したものである(Yang 1955)。しかし、信頼性は低いかもしれないが、もっと簡単な方法もある。 中国語では、主母音は鼻音の前でも非鼻音の前でも同じように発展し、すなわち末子音の調音方法ではなく、調音位置によってのみ変化が定められた。つまり、上古漢語で2つの音節が、母音が同じで末子音が鼻音か非鼻音かの違いだけであった場合、中古漢語においても、どんなに変化したとしても、同じ母音を共有する。したがって、上古漢語に存在した入声音節と語末鼻音音節 ==(陽声音節)== との対応関係は、中古漢語でも維持された。一方で、前述したように、入声音節は他の声調の陰声音節と関係がある。したがって、入声音節は、(中古漢語の)開音節 ==(陰声音節)== と語末鼻音音節 ==(陽声音節)== をつなぐ役割を果たす。 具体的な例を考えてみよう。伝統的な用語で「魚部」と呼ばれる韻部の対応関係を探しているとする。この韻部には、中古漢語で模韻 *-uo*/*-o* となる音節が含まれる[^8]。この韻部は、冬韻 *-uong*/*-ong* の音節を含む「中部」と対応するように思えるが、そうではない。形声文字を分析すると、魚部には、鐸韻 *-âk*/*-ak* を持つ入声音節が含まれることがわかる。たとえば、==模韻の== 蒲 *bhuo¹*/*bo*「ガマ」、浦 *phuo²*/*phoq*「川岸」、==鐸韻の== 薄 *bhâk*/*bak*「薄い」の文字は同じ声符を共有し、==模韻の== 固 *kuo³*/*koh*「固い」の文字は==鐸韻の== 涸 *ɣâk*/*ghak*「干上がる」の声符となっている。中古漢語の体系では、鐸韻 *-âk*/*-ak* は唐韻 *-âng*/*-ang* に対応する入声と見なされており、この==中古漢語で唐韻となる==音節は==上古漢語の韻部では==、魚部に対応する==陽声(鼻音で終わる音節)の==「陽部」にのみ含まれる。==このようにして、魚部の陰声音節と陽部が対応することがわかり、魚部と陽部は一つの韻類としてまとめることができる。== #### 2.3.2 再構された韻部・韻類 こうした韻による単語の分布、韻部へのグループ化、韻部間の対応関係についての調査はすべて、18~19世紀には既に中国の学者によって行われていた[^9]。韻部自体も、韻部間の関係も、今ではかなりよく知られている。これらの関係を、韻部がペアでグループ化された表の形で表してみよう(入声韻は陽声韻部に含まれる)。各韻部の伝統的な名称[^10]、Karlgren(1940: 17–41)における番号[^11]、その韻部に属する中古一等音節の韻を合わせて示す[^12]。 :spiral_note_pad: **表2: 上古漢語の韻部・韻類** | | 陰声 | | | | 陽声 | | | | ---: | :--- | :-------- | :-------------------------------- | :------------------------------ | :--- | :---- | :---------------- | | 1 | 魚 | II, XVII | 模 *-uo*/*-o* | 鐸 *-âk*/*-ak* | 陽 | XVI | 唐 *-âng*/*-ang* | | 2 | 之 | XXI | 咍 *-ậi*/*-(e)oj*、侯 *-ə̯u*/*-ou* | 德 *-ək*/*-eok* | 蒸 | XX | 登 *-əng*/*-eong* | | 3 | 支 | XIX | 齊 *-(i)ei*/*-ej* | 錫 *-(i)ek*/*-ek* | 耕 | XVIII | 青 *-ieng*/*-eng* | | 4 | 侯 | III, XXVI | 侯 *-ə̯u*/*-ou* | 屋 *-uk*/*-ouk* | 東 | XXV | 東 *-ung*/*-oung* | | 5 | 幽 | XXIII | 豪 *-âu*/*-aw* | 沃 *-uok*/*-ok* | 中 | XXII | 冬 *-uong*/*-ong* | | 6 | 宵 | XXIV | 豪 *-âu*/*-aw* | 沃 *-uok*/*-ok*、鐸 *-âk*/*-ak* | | | | | 7 | 歌 | I | 歌 *-â*/*-a* | | | | | | 8 | 祭 | V | 泰 *-âi³*/*-ajh* | 曷 *-ât*/*-at* | 元 | IV | 寒 *-ân*/*-an* | | 9 | 脂 | VI, X, XI | 咍 *-ậi*/*-(e)oj*、歌 *-â*/*-a* | 沒 *-(u)ət*/*-(e)ot* | 文 | IX | 痕 *-ən*/*-(e)on* | | 10 | 至 | VIII | 霽 *-(i)ei³*/*-ejh* | 屑 *-(i)et*/*-et* | 真 | VII | 先 *-(i)en*/*-en* | | 11 | 葉 | XIII | | 盍 *-âp*/*-ap* | 談 | XII | 談 *-âm*/*-am* | | 12 | 緝 | XV | | 合 *-ập*/*-op* | 侵 | XIV | 覃 *-ậm*/*-om* | この表からわかるように、上古漢語の韻部は10の「韻類」と呼ばれる組み合わせを形成している[^13]。宵部と歌部の2つのみ、対応する陽声音節を持たない。ただし、多くの研究者(Yang 1955: 108–125; Wang 1957: 63 等)によって、歌部は祭部と同じ韻類に分類されている。これは、歌部には平声と上声の韻だけが含まれ、祭部には去声と入声の韻だけが含まれているためである。この2つの韻部は相補分布を形成しているように見える。その一方で、歌部は元部とも関係があり、『詩経』では歌部と元部に属する単語が時折韻を踏んでいる[^14]。 表に示した韻部の中で、脂部だけは論争の的になっているようだ。Karlgrenはこの韻部から、中古漢語で歌部(彼のI部)と同じ韻を持つ単語を、特別な韻部(VI部)に分離した。また、王力と董同龢も脂部を2つに分け、その1つを至部と統合した[^15]。しかし、どちらの見解も普遍的に認められているものではないため、表には反映していない。また、王力は中部を侵部に含めており(Wang 1958: 147–148; 1957: 63, 98)[^16]、Karlgrenは3つのケース(II部とXVII部、III部とXXVI部、X部とXI部)で陰声韻部を声調によって2つに分割している[^17]。 それ以外の点では、この従来の中国言語学者の研究結果は誰にも疑問視されず、極めて正当なものと見なされている。 注意しなければならないのは、等韻学的方法を用いることで、上古漢語の韻体系だけが再構されたのであって、韻そのものが再構されたわけではないということである。何種類の韻があり、それらがどのように分類され、それぞれの韻が上古漢語のどの単語に含まれているのかは明らかになった。しかし、不明な点がひとつだけ残された。それは、これらの韻は果たしてどのように発音されていたのか、ということである。等韻学は、原則としてこの問題を提起しなかった。加えて、使用した資料も、この問いに対する信頼できる答えを与えることはまったくできなかった。 音の体系だけでなく、上古漢語の音そのものを完全に再構しようとする試みが、20世紀のヨーロッパと中国の学者たちによって行われた。彼らは、等韻学の成果に依拠しつつ、現代的な比較歴史言語学の方法を用いて研究を行った。そのうち、Karlgren、王力、董同龢による著作が最も包括的である。これらの著者の間には、いくつかの重要な点でかなりの意見の相違がある。 ## 3. 末子音について ### 3.1 陰声音節の「失われた末子音」の問題 まず、末子音の問題から始めよう。中古漢語において子音で終わる単語は、ごく少数の例外を除いて、上古漢語でも同じ末子音を持っていたであろうことを疑う理由はない。しかし、上古漢語に特徴的な、語末に *-k* や *-t* を持つ音節と通常の陰声音節との密接なつながりを見ると、上古漢語では後者にも末子音があり、後にそれが失われたのではないかと疑わざるを得ない。 過去に末子音があったと想定される可能性が高い単語には2つのグループがある。中古漢語では、この2つのグループの単語はすべて去声の開音節である。 第一のグループは、上古漢語では入声韻に属し、*-k* で終わる単語と韻を踏む単語である。これらは通常、語末に *-k* を持つ単語と同じ声符で表記され、*-k* を持つ単語と関連づけることができる。例えば、背 *puậi³*/*pojh*「背中」という単語は、すでに知られているように、入声の単語と韻を踏んでいる。また、北 *pək*/*peok*「北」という単語と関係があり(Karlgren 1940: 366–367 ==; 1957: 240 #909==)、背 の文字には声符として 北 の文字が含まれている。 第二グループの単語は、上古漢語では別々の韻を形成する。時折入声音節と韻を踏むことがあるが、その末子音は *-k* ではなく *t-* である。これらの単語は一貫して *-t* の単語と同じ声符で表記され、語末に *-t* または *-p* を持つ単語と関連している。 例えば、萃 *dzhwi³*/*dzwih*「一つの場所に集まる」という単語がある。この単語は 集 *dzhi̯əp*/*dzip*(同じ意味)と関連しており、声符 卒 *tsuət*/*tsot*「兵士」で表記されるが、これら3つの単語はすべて異なる韻を踏んでいる。 漢語歴史音韻学者たちは、第一グループの単語に \*-k または \*-g 、第二グループの単語に \*-t または \*-d という末子音を再構している。 ### 3.2 末子音問題の論拠とこれまでの解決策 全ての陰声音節がかつては閉音節であったと考える理由がある。このような音節を含む韻部(歌部を除く)には入声音節、すなわち語末 *-k* を持つ音節を含む韻部もあれば、語末 *-t* を持つ音節を含む韻部もあることが知られている。もし平声と上声の陰声音節が上古漢語でも開音節だったとすれば、これらの音節の韻部が異なる末子音と同じになることはほとんどないはずである。 Karlgrenは、語末 *-k* に関連する全ての韻部を同じように扱ったわけではない。そのうちの2つ(魚部と侯部)では、平声と上声の韻を持つ単語には末子音を再構しておらず[^18]、去声の単語が入声の単語と韻を踏んでいる場合にのみ、\*-g を見出している。Karlgrenは、他の韻部のすべての陰声音節において、その声調に関係なく、中古漢語では失われる語末 \*-g を再構した(Karlgren 1940: 30–41)。この異なる解釈は、前者の2つの韻部では、平声・上声音節が入声音節と偶発的に韻を踏んでしまうケースがほとんどないのに対し、他の韻部ではそれが不可能ではないという事実によって説明される。しかし、個々の韻部ではなく体系全体を考えると、この議論は十分な説得力を持つとは到底思えない。 語末 *-t* に関連する韻部のうち、平声・上声音節を含むのは1つ(脂部)だけである。他の2つの音節は、*-t* を伴う音節に加えて、Karlgrenが語末 \*-d を再構した去声音節が含まれる。脂部の平声・上昇音節は決して入声音節と韻を踏まないので、Karlgrenはそれらの音節に \*-d ではなく、別の舌頂音 \*-r を再構している(Karlgren 1940: 25–26)[^19]。 このように、Karlgrenの体系では、\*-d という音は中古漢語で去声を持つ音節のみに現れ、\*-g という音も2つの韻部では去声音節のみに現れる(入声韻に含まれる)が、他の韻部ではどの声調の音節もこの子音で終わる。 董同龢はKarlgrenよりも一貫している。彼の見解では、ある韻部が他の韻部よりも不正確な韻を踏む頻度が高いことは、それらの韻部を区別して扱う理由にはならない。*-k* と一緒になる韻部では、声調に関係なく音節末に \*-g を再構し、同じく脂部では、声調に関係なく語末 \*-d を再構している[^20]。董同龢の歌部は、開音節を含む(かつ開音節のみからなる)唯一の韻部である[^21]。しかし、董同龢のこの方法では、すでに知られているいくつかの事実を説明することができない。例えば、董同龢が \*-g を再構した 背 *puậi³*/*pojh*「背中」やその他の類似の単語が、(同様に上古 \*-g を持つとされる)平声・上声音調の陰声音節ではなく、*-k* で終わる音節と韻を踏んでいるのはなぜだろうか。これは依然として不可解である。 王力は、末子音に関する問題を別の方法で解決している。彼は上古漢語における語末の非鼻音の有声子音の存在を否定している。彼は、Karlgrenが \*-r を見出した箇所に \*-i を再構し[^22]、残りの平声と上声の陰声音節は常に開音節であると考える。王力はさらに、上古漢語には長音と短音の2つの声調があったことを示唆している。\*-p, \*-t, \*-k を末尾に持つ長声調の単語は、後にこれらの子音を失い、去声で発音されるようになった。短声調の単語は子音を残した。その他の子音で終わる音節や開音節では、長声調は平声に、短声調は上声に発展した(Wang 1957: 64–65)。したがって、王力によれば、背 と 萃 は上古漢語ではそれぞれ \*puə̄k と \*dzhi̯ʷə̄t (すなわち語末に無声音を持つ長声調)と発音されたに違いない。 しかし、王力の説では、末尾に鼻音を持つ音節など、\*-p, \*-t, \*-k を持つことのない音節に去声が現れた理由や[^23]、どの音節でもこの声調が単語形成装置として機能する理由を説明することはできない。 Haudricourtは、去声の問題に対して独特の解決策を提案した(Haudricourt 1954: 362–364)。彼は、去声音節にはもともと単語形成接尾辞である末子音 \*-s があったと仮定している。これは、末尾に \*-p, \*-t, \*-k を持つ音節も含め、どの音節にも付加することができた。その後、\*-s の直前の子音は変化または消失し、\*-s のある音節の声調は(陰声も陽声も)去声に変化し、ついには \*-s そのものが消失した。このようにして、Haudricourtは、去声の単語が入声韻に属したり別の韻を形成したりする(すなわち 背 *puậi³*/*pojh*「背中」や 萃 *dzhwi³*/*dzwih*「集まる」のような単語)場合、末子音クラスター(\*-ks, \*-ts, \*-ps)を再構した。 平声・上声の陰声音節については、Haudricourtは王力と同様に、開音節または半母音終わりであったと考えている。 このように、末子音再構の分野では、細かい点を除けば、本質的に異なる2つの理論を扱っていると言える。ひとつはKarlgren、Simon、董同龢の提唱した説、もうひとつはHaudricourtと王力の説である。前者の3人の著者は、後者の2人とは異なり、上古漢語の語末に有声子音を見出す。 ### 3.3 末子音問題に対する新しい証拠と解決策 上記の説のどちらが正しいかを知るためには、純粋な中国語の資料だけでなく、遺伝的親和性や語彙の借用を通じて中国語と関係のある他の言語との比較に頼る必要がある。残念ながら、そうした比較の機会はほとんどない。この時代の中国語の借用語を含む言語の初期の歴史は、我々にはあまり知られていない。中国人が他の民族から受け取った言葉の起源は、さらによく知られていない。最後に、中国語と他のチベット・ビルマ諸語との遺伝的関係は、そこから重大な結論を導き出すにはあまりにも遠い。 それでも、上古漢語音韻論の再構のために外国語資料を使用することで、何かを掴むことができるだろう。漢代の魚部(平声)の文字は、外国語の母音 *-a* を含む音節を記録するのに使われたことが知られている。例えば、烏 *ꞏuo¹*/*qo* の文字は都市名 *Alexandria*(アレクサンドリア)の第1音節を[^24]、屠 および 圖 *dhuo¹*/*do* は *Buddha*(ブッダ)の第2音節を記録した(Wang 1957: 23)。また、魚部(平声・上声)の単語は通常、チベット・ビルマ語族の言語(チベット語や彝語など)において *-a* の韻を持つ単語に対応する。例えば、魚 *ngi̯wo¹*/*ngyo*:チベット語 ཉ་ *ña*「魚」や、五 *nguo²*/*ngoq*:チベット語 ལྔ་ *lṅa*「5」(彝語族のサニ語ではどちらも *ngâ* と発音される、cf. Ma 1951: 328)等である。これらの対応関係から、魚部に属する平声・上声音節は、古くは母音 \*a(または \*â)を伴って発音され、末子音を持たなかったことが十分に明らかであり、したがって、平声・上声音節の陰声音節は末子音を持たなかったというHaudricourtと王力の見解を支持するものである。 :::warning :bulb: **補足** 本論文の後、外国語転写資料を用いた再構は特にPulleyblank(1962)が精力的に行っている。現在では、Schuessler(2014)が整理したデータを利用するのが便利である。 ::: 一般的に、上古漢語に語末 \*-d と \*-g が存在したことを示す直接的な証拠はない[^25]。去声音節の末尾 \*-s については、Haudricourtは中国語からベトナム語への最古の借用語にその痕跡を発見している(Haudricourt 1954: 363–364)。また、我々が知る限り、中国語に近い構造を持つ言語で語末の非鼻音に無声音と有声音の対立を持つものはない。一方で、中国語と同じ語族に属する古典チベット語には接尾辞 *-s* が存在する。 しかし、語末 \*-s に関するHaudricourtの説にも訂正が必要である。背 *puậi³*/*pojh*「背中」が子音クラスター \*-ks で終わると仮定すると、これが中古漢語で去声(上古漢語では語末 \*-s)を持つ単語と *-k* を持つ単語の両方と韻を踏んだ理由は理解できる。しかし、別々の韻を形成している去声の陰声音節では、どのような末子音が再構されるべきなのだろうか。萃 *dzhwi³*/*dzwih*「集まる」などの単語は祭部や脂部に属するが、ある単語は *-t* の単語に関係し、またある単語は *-p* の単語に関係し、どちらも互いに自由に韻を踏む。どうやら『詩経』の時代には、\*-s に先行する \*-p や \*-t の音は、すでに別の音(*p* よりも *t* や *r* に近い音)に変化していたようだ。 つまり、中国語にはもともと、中古漢語の6つの末子音 ==*-p*, *-t*, *-k*, *-m*, *-n*, *-ng*== 以外に、脂部の音節には \*-r の音があり[^26]、あらゆる種類の音節には \*-s という音があったのである。そして、後者は他の末子音と結合することができた。 :::warning :bulb: **補足** 現在では、語末の有声閉鎖音の再構はもはや支持されておらず、Haudricourt、そして本論文のJaxontovのように、去声音節に \*-s を再構するのが一般的である(cf. Pulleyblank 1962: 216–225; Starostin 1989: 329–336; Baxter 1992: 308–319, 325-339; Baxter & Sagart 2014: 196–197; Hill 2016)。 ::: ## 4. 主母音について 母音再構の分野では、個々の学者の間で意見が分かれることはあまりない。 同じ韻部や韻類の音節では、母音は完全に同じか、非常に近い音でなければならないことは、疑いの余地がないように思われる。しかし、各韻類の母音を決定する唯一の方法はない。とはいえ一般的には、閉音節は開音節よりも、一等音節は介音や口蓋化頭子音を持つ音節よりも、母音がよく保存されると考えられている。したがって、上古漢語の各韻部のすべての音節において、中古漢語の対応する韻部の一等閉音節のみに出現する母音を再構するのが普通である。 例えば、之部の音節は、中古漢語において 德韻 *-ək*/*-eok* 、屋3韻 *-i̯uk*/*-uk*、咍韻 *-ậi*/*-(e)oj* 、侯韻 *-ə̯u*/*-ou* 、之韻 *-i*/*-y* などで終わることがあるが、上古漢語では、王力はこの韻部の音節をすべて、上記の条件を満たす ==(一等閉音節である德韻の)母音== \*ə で再構する[^27]。 第2, 9, 12類では通常 \*ə 型の母音[^28]、第3, 10類では \*e 型の母音、そして第1, 7, 8, 11類では \*a(または \*â)型の母音が見られる。Karlgrenだけは、彼の(魚部から分離した)II部に円唇母音の \*o または \*å を再構している(Karlgren 1940: 18)。しかし、外国からの借用語や同族言語からのデータは、これらの音節が母音 \*a または \*â を持っていたことを明確に示している。董同龢は、魚部は歌部と同じ母音を持っていたと考え、一等音節には \*â を、それ以外の音節には \*a か \*ă を再構した(Dong 1948: 87–90)。そして、魚部の音節は末子音 \*-k または \*-g を持つという点で、歌部の音節と区別されている。王力は、これらの韻部が互いにどのように異なるかを説明するために、第1類の音節は後舌母音(\*â)を持ち、第7, 8, 11類の音節は前舌母音(\*a)を持つと仮定している(Wang 1957: 62, 77, 80–81)。これがこの問題に対する正しい解決策だと思われる[^29]。 他の3つの韻類(4, 5, 6)の音節では、通常、中古漢語において円唇母音(*u*)か、それで終わる二重母音が見られる。これらの韻類は上古漢語でも円唇母音を持っていたと思われる。しかし、中国語研究者の間で、どの母音(または二重母音)が各韻部の特徴であるかについてのコンセンサスは得られていない。Karlgrenは、中古漢語の閉音節の読み方に従って、第4類に母音 \*i を、第5類に閉じた \*ô ==\[o]== を、第6類に *o* と *a* の中間の音、つまり開いた \*o ==\[ɔ]== または \*å ==\[ɒ]== を再構した(Karlgren 1940: 18, 36–41)。董同龢もほぼ同じ再構を行っている(Dong 1948: 81–87)。一方、王力は、この2人の学者と激しく対立し、第4類に母音 \*o を、幽部と宵部にそれぞれ二重母音 \*əu と \*au を再構している(Wang 1957: 61–62, 78–80, 84–86, 92)[^30]。 円唇母音の問題はかなり複雑であり、これについての詳細な議論はあまりに多くのページを要するため、この問題については別の記事を書くことにする。 :::warning :bulb: **補足** 現在では、魚部と歌部は同じ主母音 \*a を持つが、歌部は(本論文で脂部に認められているのと並行的な)舌頂音に類する末子音を持っていたと考えられている。また、第4類は \*o 、第5類は \*u が主母音として再構されるが、それに加えて複数の韻類に分割される。 上古漢語の母音体系は、Jaxontov自身による後の円唇母音に関する研究(Jaxontov 1960a)と1980年代の六母音理論の完成により大幅に修正されているため、本論文の段階の仮説と現在の定説の手短な比較はできない。Starostin(1989)、Baxter(1992)、Baxter & Sagart(2014)等を参照されたい。 ::: ## 5. 結論 上古漢語の韻に関する我々の知識の一般的な状況は、次のように特徴づけられる。 我々は、17世紀から20世紀にかけての中国の学者たちによって見事に再構された、上古漢語の韻の体系をよく知っている。それらは等韻学の手法を用いている。この分野で論争になっているのは、いくつかの特殊な点だけである。20世紀には、ヨーロッパと中国の学者たちによって、韻の実際の音の研究が行われたが、多くの重要な問題に関して、研究者の間にはかなりの意見の相違がある。例えば、陰声音節の末子音の問題については、既存のどの説も留保や再検討なしに受け入れることはできない。 ## 参考文献 - Chavannes, Edouard. (1905). Les pays d’occident d’après le Wei lio. *T’oung Pao* 6(5): 519–571. [doi: 10.1163/156853205x00348](https://doi.org/10.1163/156853205x00348) - Dong Tonghe 董同龢. (1948). Shànggǔ yīnyùn biǎogǎo 上古音韻表稿. *Bulletin of the Institute of History and Philology Academia Sinica* 中央研究院歷史語言研究所集刊 18: 1–249. - Dragunov, Alexander A. (1929). Contribution to the Reconstruction of Ancient Chinese. *T’oung Pao* 26(1): 1–16. [doi: 10.1163/156853229x00018](https://doi.org/10.1163/156853229x00018) - Duan Yucai 段玉裁. (1908). *Liùshū yīnyùnbiǎo / Shuōwén jiězì zhù* 六書音均表・説文解字注. Shanghai: Jiangzuo shulin 江左書林. - Haudricourt, André-George. (1954). Comment Reconstruire Le Chinois Archaïque. *Word & World* 10(2-3): 351–364. [doi: 10.1080/00437956.1954.11659532](https://doi.org/10.1080/00437956.1954.11659532) ⇒[日本語訳](/@YMLi/ry5lQanlT) - Karlgren, Bernhard. (1933). Word families in Chinese. *Bulletin of the Museum of Far Eastern Antiquities* 5: 9–120. - ⸺. (1940). Grammata Serica: Script and Phonetics in Chinese and Sino-Japanese. *Bulletin of the Museum of Far Eastern Antiquities* 12: 1–471. - Ma, Xueliang 馬學良. (1951). *Sani yíyǔ yánjiū* 撒尼彝語研究. Beijing: Commercial Press 商務印書館. - Simon, Walter. (1928). *Zur Rekonstruktion der altchinesischen Endkonsonanten*. Berlin: Walter de Gruyter. - Wang, Li 王力. (1956). *Hànyǔ yīnyùnxué* 漢語音韻學. Beijing: Zhonghua Shuju 中華書局. - ⸺. (1957). *Hànyǔ shǐ gǎo* 漢語史稿. Beijing: Kexue chubanshe 科學出版社. - ⸺. (1958). *Hànyǔ shǐ lùnwénjí* 漢語史論文集. Beijing: Kexue chubanshe 科學出版社. - Yang, Shuda 楊樹達. (1955). *gǔyīn duìzhuǎn shūzhèng* 古音對轉疏證. In: *Jīwēi jū xiǎoxué jīnshí lùncóng*. Rev. ed. 積微居小學金石論叢 (增訂本). Beijing: Kexue chubanshe 科學出版社. 96–148. - Zhou, Zumo 周祖謨. (1957). Sìshēng biéyì shìlì 四聲別義釋例. In: *Hànyǔ yīnyùn lùnwénjí* 漢語音韻論文集. Beijing: Commercial Press 商務印書館. 51–74. ### 参考文献(追加) - Baxter, William H. (1992). *A Handbook of Old Chinese Phonology*. Berlin, New York: De Gruyter Mouton. [doi: 10.1515/9783110857085](https://doi.org/10.1515/9783110857085) - Baxter, William H.; Sagart, Laurent. (2014). *Old Chinese: A New Reconstruction*. Oxford: Oxford University Press. [doi: 10.1093/acprof:oso/9780199945375.001.0001](https://doi.org/10.1093/acprof:oso/9780199945375.001.0001) - Hill, Nathan W. (2016). A refutation of Song’s (2014) explanation of the ‘stop coda problem’ in Old Chinese. *International Journal of Chinese Linguistics* 3(2): 270–281. [doi: 10.1075/ijchl.3.2.04hil](https://doi.org/10.1075/ijchl.3.2.04hil) - Jaxontov, Sergej E. (1960a). Fonetika kitajskogo jazyka 1 tysjačeletija do n. e. (labializovannye glasnye) Фонетика китайского языка I тысячелетия до н. э. (лабиализованные гласные). *Problemy Vostokovedenija* Проблемы востоковедения 6: 102–115. ⇒[日本語訳](/@YMLi/SJjf4buza) - ⸺. (1960b). Consonant combinations in Archaic Chinese. In: *Papers presented by the USSR delegation at the 25th International Congress of Orientalists, Moscow*. 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[^1]: 本稿では原則として、漢字の読みは中古漢語、すなわち紀元後6~7世紀の韻書から再構された読み方のみを示す。上古漢語の再構音にはアスタリスク \* を付した。 [^2]: 以下、「韻」という用語は、通常の意味だけでなく、中国語学で慣例となっているように、「互いに韻を踏んでいる単語の集合」という意味でも用いる。 :::info :pencil2: **編注** 混乱を避けるため、後者の「互いに韻を踏んでいる単語の集合」については(区別の必要がある場合)「韻群」と翻訳する。ただし、この用語は一般的なものではないことに注意されたい。 ::: [^3]: より正確には、3つの音節(3つの異なる声調)に対応する。 [^4]: 上古漢語の3つの声調は、段玉裁が発見したものである(Duan 1908: 7)。上古漢語には声調の対立はなかったと考える学者もいれば、後の4つの声調すべてを見出す学者もおり、その中でも去声は特別な位置を占めていると定義する学者もいる。これらの音が上古漢語でどのように聞こえていたのか、言い換えれば、「平声」が本当に平坦な声調だったのかなどはわからない。 [^5]: 声調交替による語形成の問題は、周祖謨によって研究されている(Zhou 1957: 51–69)。彼は、平声と去声の交替の例を63例、上声と去声の交替の例を39例、入声と去声の交替の例を9例挙げ、平声と上声の交替の例は2つだけ挙げている。 [^6]: 入声韻を別の韻部に分ける研究者もいる(例えば、Wang 1957: 61–63)。Karlgrenは3つのケースでこれらを別々の韻部に分け、残りは陰声音節と統合している(後述)。 [^7]: 段玉裁は、中古漢語で語末 *-p* を持つ音節と語末 *-m* を持つ音節を組み合わせている。すなわち、語末 *-p* を持つ音節を陽声音節の入声と扱った。 [^8]: これは、介音 *i̯* (*i*) と口蓋化頭子音を持たない音節、すなわち中国の伝統的言語学(等韻学)において「一等」に分類される音節の韻である。介音 *i̯* または口蓋化頭子音を持つ音節の場合、同じ韻部であっても中古漢語では別の韻を持つ。 [^9]: 中国における上古韻の研究の歴史については、Wang(1956: 269–427)を参照。 [^10]: 韻部の名称は夏炘に従った(cf. Wang 1956: 373, 391–396)。 [^11]: Karlgrenは伝統的な韻部を2つか3つに細分化している(後述)。 [^12]: いくつかの韻部は一等音節を持たないため、四等音節(中古漢語では非口蓋化頭子音と介音 *i̯* を持つ)の韻が示されている。末尾に去声記号が付加されている場合、その韻部には平声と上声の韻が含まれないことを示している。 [^13]: 一般的に受け入れられている韻類の順番や番号付けはない。この表では、以降の便宜のためにのみ番号が付けられている。 [^14]:『陳風・東門之枌』137.2、『小雅・桑扈』215.3、『小雅・隰桑』228.1、『大雅・崧高』259.7。 :::info :pencil2: **編注** 『詩経』を引用する際は、詩歌名の後に通し番号と章番号を付す。この番号は、Baxter(1992)、[中國哲學書電子化計劃](https://ctext.org/book-of-poetry/)、[Shījīng Rhyme Browser](http://digling.org/shijing/wangli/) 等で参照するのに役立つ。 ::: [^15]: この脂部の分割は、1937年に王力によって提案され(cf. Wang 1958: 138–144)、董同龢によってさらに詳しく説明された(cf. Dong 1948: 67–72、209–216、222–228)。 [^16]: 王力が指摘するように、この2つの韻部の合併は章炳麟氏が最初に提案したものである。 [^17]: Karlgrenの韻部番号を表に含めたのは、彼の提案する体系がより正しいからではなく、彼の著書が同じ分野の他の著作よりも中国国外で広く知られているという、より現実的な理由からである。 [^18]: Karlgrenは、これら2つの声調の韻を別々の韻部(II部とIII部、上表参照)とみなしている。 [^19]: Karlgrenはここでも、平声・上声音節を特別な韻部(XI部)に分離している。彼は、前述したVI部にも子音 \*-r を再構し、やはり脂部から分離している。 [^20]: 董同龢は、KarlgrenのVI部に相当する小さな単語群のみに末子音 \*-r を見出した。これらの単語は、歌部の単語と同じ末子音を持つが、脂部の単語と韻を踏む。 [^21]: Simonはこの韻部にも語末に舌頂音を見出している(cf. Simon 1928: 26–27)。 [^22]: この \*-i は、二重母音の第二要素ではなく、子音として振る舞う。例えば、\*-əi の音節は \*-ən の音節と偶発的に韻を踏むことがあるが、\*-ə や \*-əu の音節とは韻を踏まない。 [^23]: このような音節は特に元部に多い。どうやら、これらの音節は独立した韻を形成しており、したがって、上古漢語ではすでに他の同類の音節とは何らかの違いがあったようだ。 [^24]: 班固『漢書・西域傳上』96A: 3882(cf. Chavannes 1905: 555)。==:bulb: 「烏弋山離」と転写されている(cf. Schuessler 2014: 267 #2-11)。== [^25]: 第3の語末の非鼻音である \*-r の存在を支持する論拠については、Karlgren(1933: 27)を参照。 [^26]: あるいは、王力によれば \*-i 。 [^27]: Karlgrenと董同龢は、王力とは異なり、同じ韻部内に2つ以上の類似する ==が完全には同じではない== 母音が共存することを認めている(Karlgren 1933: 61, 78, 84)。すなわち、Karlgrenは之部の異なる音節に対して母音 \*ə と \*ɛ を再構し(Karlgren 1940: 34)、董同龢は \*ə̂, \*ə̣̂, \*ə, \*ə̆ を再構している(Dong 1948: 80–81)。 [^28]: 前述の通り、Karlgren、董同龢、王力はみな、脂部の単語の一部を別の韻部に分離している。これらの韻部は他の母音(\*â や \*e)を持っている可能性がある。カールグレンが *ậ* と表記した母音(第2, 12類)は、実際には *â* と *ə* の中間の音か、いずれにせよ *ə* から派生した音であろう(cf. Dragunov 1929)。したがって、上古漢語の母音には中古漢語で一等閉音節に保存されている母音を再構すべきであるという規則は、第12類に関しては基本的に崩されていない。 [^29]: しかし、この解決策が受け入れられるのは、王力に従って、二等音節が一等音節と異なるのは、介音 \*e(または \*o)の存在によると仮定した場合だけである。対して董同龢は、主母音の性質に違いがあったと考えている(例えば、一等は \*â 、二等は \*a)。二等音節の起源については、また別の機会に触れることにして、当面は王力による介音 \*e 説に従って話を進めることにする。==:bulb: 二等音節の起源については、のちにJaxontov(1960b)で議論されている。== [^30]: 前述のように、王力は中部を独立させていない。