# 上古漢語の子音体系Ⅱ(1):去声と上声の起源 :::info :pencil2: 編注 以下の論文の和訳(部分)である。 - Pulleyblank, Edwin G. (1962). The Consonantal System of Old Chinese. *Asia Major* 9(1): 58–144, 9(2): 206–265. 去声と上声の起源に係る部分(pp. 209–228)のみを抜粋した。それ以外のページは、パートⅠ[(1)切韻体系の再構](/@YMLi/rJIytCsGT)、[(2)軟口蓋音と喉音の再構](/@YMLi/r1YL4JDV6)、[(3)歯音・側面音の再構](/@YMLi/SydgEgbKa)、[(4)歯擦音と唇音の再構・上古漢語音韻体系のまとめ](/@YMLi/rkb4b8_FT)、パートⅡ[(1)去声と上声の起源](/@YMLi/HyoFRGJc6)、[(2)鼻音と唇音の末子音の再構・補足](/@YMLi/S1x7mGPca)。 誤植と思しきものは、特にコメントを付加せずに修正した。 Pulleyblankによる中古漢語・上古漢語の音形の表記には以下の修正を加えた。 - 切韻体系の再構音および中古漢語の音素は太字で表記する。 \ 上古漢語の再構音はアスタリスク形で表記する。 \ それ以外の音はイタリック体で表記する。 - 中古漢語の母音 **ɑ** は、表示環境によっては **a** と混同する可能性があるため、Karlgrenにならって **â** と表記する。 - 平声を「*¹*」、上声を「*²*」、去声を「*³*」で表記する。原文では平声は無表記、上声と去声は「ˊ」「ˋ」で表記されている。 引用されているKarlgren(1957)による中古漢語表記には以下の修正を加えた。 - 有気音の記号「*‘*」は「*ʰ*」に置き換える。 - 平声を「*¹*」、上声を「*²*」、去声を「*³*」で表記する。原文では平声は無表記、上声と去声は「ˊ」「ˋ」で表記されている。 ::: ## 1. 語末子音 中古漢語の音節は、**-ŋ**, **-k**, **-n**, **-t**, **-m**, **-p** または母音(**-i** と **-u** の二重母音を含む)で終わる。古詩の押韻や文字構造の諧声系列に基づいて、少なくともいくつかの開音節はもともと子音音素によって閉じられていたことは長い間認識されてきた。しかし、これがどの程度正しいのかについてや、その失われた子音の性質については、意見が分かれている。 Karlgrenは『*Grammata Serica*』において、有声の軟口蓋閉鎖音 \*-g、歯閉鎖音 \*-d (少数の例では疑わしげに \*-b も)と、第二の有声歯音 \*-r を再構した。彼は3つの韻部に \*-â, \*-o, \*-u の3つの開音節を残している。Wang(1957)による、より保守的な再構では、\*-k, \*-t, \*-p のみを再構し(長母音の後では去声を残して脱落したと考えられている)、後者の去声の単語が『詩経』で閉鎖音終わりの単語と韻を踏んでいたとを説明している。一方、董同龢(Dong 1948)は、Karlgrenと同じ末子音を再構しているが(ただし \*-r と \*-d の分布は多少異なる)、さらに進んで、Karlgrenの \*o と \*u の全ての韻部に \*-g を再構しており、開音節として残っているのは \*-â 韻部の1つだけである。最後に、Simon(1938)とLu(1947)は、\*-â の韻部にも歯音の末子音を再構している。上古漢語に開音節を全く設けないというこの解決策は、最も極端であると同時に、最も論理的である。諧声系列と押韻における入声または鼻音との接触を失われた末子音の証拠として使うのであれば、全ての陰声の単語はある種の子音で終わっていたと考えなければ、それは恣意的な判断である。 董同龢が十分に実証しているように、Karlgrenによる広い \*-o と \*-u のグループを設定しようとする試みは、確立された詩経韻部のうち2つを分割することになり、恣意的で非論理的な方便なしには達成できない。Karlgrenは、\*-o グループの単語が \*-âg として再構された単語と規則的に韻を踏んでいる事実を説明するために、『詩経』が書かれた当時すでに、ある方言では \*-âg グループの単語は末子音を失い \*-o などになっていたが、『詩経』に示される別の方言では末子音を保っていたと推測している。彼は、\*-âng, \*-âk, \*-ung, \*-uk などの単語と開音節として再構した単語とが諧声関係にあるのを見つけると、その事実を無視するか、例えば、ある文字が「似たような意味を持つ別の単語に適用された」と言って、それを説明しようとした。しかし、このようなケースは非常に多いのである。 - 者 **ci̯a²** (K. \*t̑i̯å > *tśi̯a²*) : 著 **ṭi̯o³**, **ṭi̯âk**, **ḍi̯âk**, 躇 **ḍi̯o¹**, **ṭhi̯âk**, 𣃈 **ṭi̯âk** (Karlgren 1957: 30–31 #45) - 且 **tshi̯a²**, etc. (K. \*tsʰi̯å > *tsʰi̯a²*) : 駔 **dzou²**, **tsâŋ²** (K. \*dzʰo, \*tsâng) (1957: 31–32 #46) - 固 **kou³** (K. \*ko) : 涸 **ɦak** (Karlgrenはこの諧声関係を認めていない;1957: 33 #49, 321 #1258a) - 尃 **phi̯ou¹** : 博 **pâk** (Karlgrenはこの2つを分割している;1957: 46–47 #102, 204 #771) - 帑 **nou¹**, **thâŋ¹** < \*nhâŋ (Karlgrenは前者の読みのみを掲載している;1957: 44 #94y) - 冓 **ku³** (K. \*ku > *kə̯u³*) : 講 **kauŋ²** (Karlgrenは別の諧声系列として扱っている;1957: #109, 309 #1198) - 禺 **ŋi̯ou³**, 喁 **ŋi̯oŋ¹**, **ŋi̯ou¹**, **ŋu²**, 顒 **ŋi̯oŋ¹** (Karlgren 1957: 52 #124;例外は無視されている) - 數 **ṣi̯ou²**, **ṣauk** (Karlgren 1957では、同じ文字が #123 婁 **li̯u¹** の下と、あたかも別の文字であるかのように #1207 として2度掲載されている) 董同龢(Dong 1948)は、これら2つの韻部全体に \*-g を再構したが、\*-â グループは開音節のまま残した(Simon 1938: 276–8も参照)。\*-n としばしば韻を踏んだり諧声関係にあるという証拠については、特別な説明を設ける必要のない例外として割り引いている。しかし、\*-a が \-âm, \-âŋ, \-âg などではなく \*-ân とのみ特別な親和性を持つ理由はわからない。この証拠は、カールグレンの \*-o と \*-u のグループに対して董同龢が用いたものとまったく同じ種類のものである。すなわち、諧声系列には次のようなものがある。 - 番 **phi̯ân¹**, **pâ¹** (播 **pâ³** 「籾殻を吹き分ける」は 簸 **pâ²**, **pâ³** と同じ単語で、後者の声符は 皮 **bi̯e²** である) - 儺 **nâ¹** : 難 **nân¹** - 个 **kâ³**, **kân²** - 果 **kwâ²** : 祼 **kwân³** - 揣 **tṣi̯we²**, **twâ²**, **chi̯wen²** : 耑 **twân¹** - 癉 **tâ³**, **tân²** : 單 **tân¹** Karlgrenがこのような場合に \*-âr (ただし \*-n との接触の直接的証拠がない場合は \*-â)を再構するのは、\*-o ⇔ \*-âg、\*-u ⇔ \*-ug を分離するのと同じように、韻部を恣意的に分割することになる。詩の押韻では、漢代にもこのグループは \*-n との接点が見られる。例えば、『淮南子』では 和 **ɦwâ¹** が 酸 **swân¹** と、議 **ŋi̯e³** が 觀 **kwân³** や 患 **ɦwan³** と韻を踏んでおり、『易林』では 禍 **ɦwâ²** が 全 **dzi̯wen¹** や 泉 **dzi̯wen¹** と、陂 **pi̯e¹** が 連 **li̯en¹** と、池 **ḍi̯e¹** が 患 **ɦwan³** と韻を踏んでいる(Luo and Zhou 1958: 252, 296)。羅常培と周祖謨はこれを、母音の後の末子音 \*-n による鼻音化による方言的現象として説明しようとしている。これは音声的にはもっともらしく見えるかもしれないが、諧声関係と押韻の両方については、\*-n と韻を踏むことが可能だったかもしれない歯音の末子音(後に広母音を残して失われた)によって説明することも、同様にもっともらしい。さらに、後述するように、転写における用法から、このような単語は漢代でもまだ末子音を持っていたと考える十分な理由がある。 王力は、Karlgrenの体系についても「これほど開音節を持たない言語は世界中どこにもない」(1957: 64)と制している。彼は、後の去声の単語が入声と韻を踏むことを閉鎖音の末子音の脱落として解釈した以外に、諧声関係の証拠を完全に母音の一致に基づいて説明しようとした。すなわち、同じ声符が末子音を持つ単語にも持たない単語にも使われることがあるのは、主母音が同じであることによって説明できると考えた。しかし、これには多くの恣意的な仮定が含まれていた。例えば、\*-ə と \*-e は、それぞれ \*-ək, \*-əŋ と \*-ek, \*-eŋ とだけ結びつき、\*-ət, \*-ən, \*-əp, \*-əm や \*-et, \*-en, \*-ep, \*-em とは結びつかない。その一方で、\*-əi, \*-ei はそれぞれ \*-ət, \*-ən と \*-et, \*-en とだけ結びつく。母音 \*â は \*-k, \*-ŋの前には現れるが \*-t, \*-n, \*-p, \*-m, \*-uの前には現れず、逆に \*a は \*-k, \*-ŋ の前には決して現れない、などである。さらに、様々な韻部からの多様な発展を説明するために、彼は二重母音、三重母音、四重母音、長短の半母音や主母音からなる体系を設定せざるを得なかった。これは、音声学的にもっともらしいものとしては、開音節を持たない体系よりもはるかに受け入れ難い。 地理的に中国語からそれほど離れていないが、開音節を持たなかったと思われる言語、すなわち古モン語については、実に良い比較証拠がある。Shorto(1956: 349–50)は、母音で終わる外国語の借用語に非語源的な末子音 \*-h を付ける傾向に関連して、「末子音を必要とする古モン語の主要な音韻体系」に言及している。彼は親切にも私に補足を加えてくれた。 > 古モン語(12世紀初頭)は、*a*, *i*, *u* の3つの短母音と、*ā*, *e*, *ī*, *o*, *ū* の5つの長母音のインド系文字を使用している。文字上の末尾の短母音は音韻的には /aʔ/ などである。このことは、*pa* = *paʔ*, *pi* = *piʔ* といった様々な綴りや、歴史的な証拠によって確証されている(例外として考えられるのは、前置助詞 /kə/, /nə/, /tə/ である)。文字上の末尾の長母音、すなわち音韻上の音節末母音は、借用語(起源不明の2つの推定的単語を含む)と、*ʔā* (感嘆詞)や *tā* など(疑問詞)の2つの文末助詞のみに現れる。疑問詞 *tā* の頭子音は可変で、例えば *cmat tā* のように、直前の末子音を繰り返す。音節末 *-ā*, *-ī*, *-ū* は、末子音 *-r*, *-l* が失われて中期モン語(15世紀後半)の時代に生じたもので、この過程を継続することで、現代の話し言葉のモン語は末尾母音の完全なセットを獲得したが、書き言葉では末尾母音の *-e* と *-o* はまだ借用語を示す役割を果たしている。 上古漢語には母音始まりの音節がなく、喉音の \*ꞏ-, \*h-, \*ɦ- は、これまで見てきたように、子音体系に統合されていた。これは古典チベット語にも当てはまるようで、⟨འ⟩ は漢語の匣母 **ɦ-** のような有声喉音を表すと仮定されている。この頭子音体系から類推して、末子音のない音節は、古モン語のように喉音で閉じなければならなかったと考えられる。これは声調の起源という問題に関連している。漢語の声調体系は、歴史的時代に特定の末子音が失われることによって発展したというHaudricourtの仮説を支持する証拠を以下で示す。これを認めると、初期の漢語の音節には弁別的な音韻的特徴としての声調がなかったことになり、知られている限り音節連結のある体系で何らかの声調を持たない例はないというHockett(1955: 61)の見解の例外を構成することになる。彼の「音節連結のある体系」とは、ビルマ語、タイ語、ベトナム語や、広東語などの中国語方言のような、語中の音節末尾-音節初頭の音列と休止の間に対立がなかった言語、大まかに言えば「単音節的言語」を意味する。重要なのは、このような言語では、声調は音節全体の特徴であり、音節の境界を定め、隣接する音節と区別する役割を果たすということである。声調を持たない場合には、頭子音と末子音の喉音は同じ機能を果たしていたと考えられる。 頭子音体系との類似は、軟口蓋音の末止音と接触する平声韻における末子音脱落の性質を知る手がかりになると私は考えている。軟口蓋音との接触を示す陰声音節の平声に、Karlgrenの有声軟口蓋閉鎖音 \*-g の代わりに有声喉音 \*ɦ- を再構すると、喉音と軟口蓋音が頻繁に諧声接触を示すという、頭子音体系とまったく並行的な状況が生まれる。 チベット文字 ⟨འ⟩ の初頭位置(少なくとも接頭辞でない場合)における音価については、中国語の呉方言に見られ、また我々が上古・中古漢語の頭子音体系に再構したような、有声喉音 \[ɦ] であるというのが、現在最も有力な意見のようである(cf. Miller 1955 ==: 481==, quoting Dragunov 1939)。この文字は末子音としても見られ、その用法は標準チベット語では単なる表記上の工夫と見ることができるが、唐代の写本ではそうではない。これは、標準チベット語 ཕ་ *pha* 「父」を表す *paḫ*, *phaḫ* や、標準チベット語 བས་ *bas* 「十分な」を表す *baḫs* の *-s* の前にも使われる(Thomas 1955参照)。Sedláček(1959)は、声調の発展に関連して、これを子音性の「副咽頭音」の末子音として扱っている。==:bulb: チベット文字 ⟨འ⟩ の音価についてはHill(2005; 2009)参照。== 軟口蓋閉鎖音 \*-g (あるいはSimonのように軟口蓋摩擦音 \*-ɣ)ではなく \*-ɦ を再構すれば、漢代において外国語の開音節にこのカテゴリーの単語が最も多く使われるという事実の説明がつく。仏教以前の漢代の転写では、切韻体系の歌1韻 **-â** の単語が非常に珍しいことが印象的である。これは、阿 **ꞏâ¹**, 羅 **lâ¹**, 摩 **mâ¹**, 陀 **dâ¹** といった音節が、転写において文字どおり何百回も使われる最も一般的な文字であるという後の状況とは著しく対照的である。これらが後に頻繁に使われるようになった理由は容易に理解できる。開音節は閉音節よりもはるかに多様な状況に適応可能であり、また *a* のような母音はほとんどの言語で一般的である。このような音節が初期の転写にほとんど見られないのは、歯音の末子音をまだ持っていたからに違いない。漢代の転写では、外国語の *a* の母音音価に対して、代わりに模韻 **-ou**, 魚韻 **-i̯o** (および唇音または上古漢語の円唇化軟口蓋音・喉音の後の虞韻 **-i̯ou**)の平声音節が高い頻度で見られる。対応する外国語が特定できる例を除くと、次のようなものが有る。 - 烏遲散 **ꞏou¹-ḍi̯i³-sân²** = Alexandria (『魏略』、Hirth 1885 参照) - 于闐 **ɦi̯ou¹-den¹** < \*ɦwɑ̄ɦ-den = Hvatäna, Khotan (前述 [p. 91](/@YMLi/r1YL4JDV6#3-西漢における-ɦ-の転写音価) 参照) - 都密 **tou¹-mi̯it** = Tarmita (前述 [p. 124](/@YMLi/SydgEgbKa#9--l--クラスター) 参照) - 都賴 **tou¹-lâi³** = Talas (後述 [p. 218](#3-去声) 参照) 烏 **ꞏou¹**, 於 **ꞏi̯o¹** < \*ꞏɑ̄ɦ 都 **tou¹**, 奴 **nou¹**, 盧 **lou¹**, 無 **mi̯ou¹** < \*mɑ̄ɦ のような音節は、後世における歌1韻 **-â** 音節に匹敵する頻度で、外国語の原語に遡ることがまだできない単語に見られる。 このことから、『後漢書』や『魏略』(Chavannes 1905)に見られるブッダの初期の転写 浮屠 **bi̯u¹-dou¹** < \*būɦ-dâɦ は、サンスクリット語 *Buddha* やガンダーラ語 *budha* (Brough 1962)のように *-da* を元とする漢代の通常のパターンに合致しており、季羨林(Chi 1948)が想定したようにパーリ語 *Buddho* を参照する必要はないことがわかる。[^1] 実際の仏典転写を見ると、インドの *ā* は最初から中古漢語の歌1韻 **-â**(場合によっては歌3韻 **-i̯â**, 麻2韻 **-a**, 麻3韻 **-i̯a**)の音節が優勢であり、短母音 *a* に対しても多くの場合そうであるが、特に初期には **-ə** と之韻 **-i̯ə** が一般的である。このことは、Zürcher(1959: 39–40)が提唱した、洛陽の初期の仏典翻訳者たちは、官界で考案された外国語の転写体系を引き継いだというテーゼが成り立たないことを明確に示している。かつての転写体系の名残はあるが、それは主に南京を首都とする呉(紀元222–280年)で生まれたものである。したがって、呉の匿名者による『雜阿含經』の翻訳(T.101 ==:bulb: 一説に安世高の翻訳とされる。Harrison 2002; Zacchetti 2010 参照==)には 蒲盧 **bou¹-lou¹** < \*bâɦ-lâɦ という名前があるが、求那跋陀羅の翻訳(T.99; 5世紀)では 婆羅 **bâ¹-lâ¹** となっており、明らかに原語のBālaを表したものである。盧 **lou¹** = *la* の転写はT.129『佛説三摩竭經』における 賓頭盧 **pyin¹-du¹-lou¹** = *Piṇḍola* にも見られ、これは同じ呉でインド人の律炎が翻訳した短いスートラである。これを屈折形 *-lo* として説明しようとする人もいるかもしれないが、屈折形が転写に現れることはほとんどなく、ここで提案された説明が望ましいと思われる。 また、呉から発信された東南アジアに関する地理的文書にも、この特徴が見られることがある。例えば、『南州異物志』に歌営(スマトラ島南部)の西方8000里に位置すると記されている 姑奴 **kou¹-nou¹** < \*kɑɦ-naɦ(『太平御覽・南蠻六』790.8a)は、『呉時外國傳』の 加那調 **ka¹-nâ¹-deu¹** = \*Kanadvīpa(『太平御覽・舟部四』771.5b)と同じに違いない。 前者は呉出身の万震によって書かれたのに対して、後者の著者の康泰は呉出身ではあるがソグド人であり、転写の下敷きには北方中国語が用いられていることは明らかである(Pelliot 1925: 251–52 参照)。支謙が南京で翻訳した著作も同様に、我々が言及したような南部の古風な特徴を欠いた、北部からもたらされた同時代あるいはやや早い時代の著作に典型的な転写を示している。支謙は紀元168–88年に洛陽に定住した、月氏(クシャーナ)からの移民の孫であるため、これは驚くべきことではない。支謙自身は洛陽で支婁迦讖の弟子の弟子に学んだが、南に移ったのはその後である。(Zürcher 1959: 48)。 5世紀半ば、同じ地方を中心とする劉宋の時代にも、上古漢語の \*-ɑɦ が外国語の *a* に使われた痕跡が残っている。『宋書・夷覽傳』97.1654.2には、449年に 媻皇 **bâ¹-ɦwâŋ¹** という国からの使節が記録されている。『太平御覽・南蠻三』787.7bは、『宋元嘉起居注』を引用して、同じ年に 蒲黄 **bou¹-ɦwâŋ¹** という国からの使節を記録しているが、これは明らかに同じ場所に違いない。宮廷日記はより古風な転写法を用い、『宋書』が使用した他の資料はより新しい転写法を用いたと考えるべきだろう。[^2] Karlgrenの \*-g の代わりに喉音の末子音を仮定すれば、外国語の開音節を表すためにこのような音節が使われること(真の開音節は存在しないため)だけでなく、漢代でも依然として時折見られる軟口蓋音終わりの音節との押韻も説明できる。例えば、奴 **nou¹** は 漠 **mâk** と、徒 **thou¹** < \*thɑɦ は 貌 **mauk¹** < \*mlauk, 速 **suk** < \*sok, 木 **muk** < \*mok と韻を踏んでいる(Luo and Zhou 1958: 150, 227)。母音 \*ə < \*i の後の \*-ɦ と **-k** の間の同様の押韻は、得 **tək** と韻を踏む 絲 **si̯ə¹** < \*sə̄ɦ に見られる(ibid. 272)。また、\*-ɦ (= K. \*-g のうちの平声)が外国語の *-a* 以外の母音の開音節を表す例もよく見られる。多くの図式は既に引用した例にある。 ## 2. 平声の単語における失われた歯音の末子音 我々は、Karlgrenが時には開音節 \*-â (あるいは \*-a, \*-i̯a, \*-ia 等)を再構し時には \*-âr (あるいは \*-i̯ăr)を再構する詩経韻部 ==(いわゆる歌部)== には、その全体に歯音の末子音があったと考える根拠を示した。単純に、Karlgrenの \*-r を韻部全体に拡張することもできるだろう。しかしこれに対して、我々は頭子音の音素として \*r を再構していないという事実がある。すべての末子音の音素が頭子音の音素として発見されなければならないという先験的な必然性はないが、経済性原則はそれを支持する。さらに、Karlgrenの説に対して、もし \*-r が存在していたとしたら、漢代に中国語の \*-n が外国語の *-r* の転写に常用されているという事実を理解するのは難しいと反論できるかもしれない。陸志韋は(Karlgrenの \*-d に対応する強い破裂音の \*-d とは対照的な)弱い入破音の \*-~d~ を提案した ==(Lu 1947: 104–109)==。末子音に破裂音と入破音の閉鎖音音素の対立が存在した可能性は極めて低いと思われる。中国語の音節末閉鎖音は、現代の方言で維持されているように、またチベット語にも見られるように、常に入破音であった可能性が高いと思われる。 頭子音音素として \*δ を再構したので、私はSimonの仮説に従ってそれを末子音にも再構する。これは \*-ɑ̄̆- の後だけでなく、\*-ē̆- や \*-ə̄̆- < \*-ī̆-(\*-wə̄̆ < \*-ū̆ を含む)の後にも現れる[^3]。頭子音 \*δ- から類推すれば、末子音 \*-δ はチベット・ビルマ語の *-l* に対応すると予想される。例えば、次のようなケースに注目されたい。 - Tib. ཁལ་ *khal* 「荷物」(cf. སྒལ་ *sgal* 「積荷」, འགེལ་བ་ *ḫgel-ba*, perf. བཀལ་ *bkal*, fut. དགལ་ *dgal* ==, imp. ཁལ་ *khal*== 「積載する」) : 荷 **ɦâ²** < \*gɑδꞏ - Tib. འཇོལ་བ་ *ḫǰol-ba* 「垂れ下がる」 : 垂 **ji̯we¹** < \*dōδ 「垂れ下がる」(接中辞 \*-l- を加えた能動的動詞の 硾 **ḍi̯we³** < \*dlōδs 「押さえる、つぶす」も参照) - Tib. བརྒྱལ་ *brgyal* 「沈む、倒れる、気絶する」, འོ་བརྒྱལ་ *ḫo-brgyal* 「疲労、倦怠感」, レプチャ語 *pyal* [^4] : 罷 **bi̯e¹** < \*ble̯ɑ̄δ 「疲れ果てた、消耗した」[^5] Benedict(1948)は、チベット・ビルマ祖語 \*m-syil ~ \*g-syil 「洗う」(Tib. བསིལ་བ་ *bsil-ba* 等)を 洒洗 **sei²**, **sen²** と比較している。Tib. བསྙུལ་བ་ *bsnyul-ba* 「洗う」にも注意されたい。これは、諧声関係から示唆される、漢語の頭子音がもともと \*snh- であったという仮説を裏付ける([p. 132](/@YMLi/rkb4b8_FT#5-s---歯音のクラスター) 参照)。 詩韻の変遷からわかるように、末子音 \*-δ の消失は漢代に進行した。離 **li̯e¹** < \*(v)lɑ̄δ と 知 **ṭi̯e¹** < \*tlēɦ のような押韻が『老子』『楚辞』『韓非子』『呂氏春秋』など周代晩期の書物にすでに見られることから(Luo and Zhou 1958: 25; Karlgren 1932)、これはまず長母音 \*ɑ̄ の後で起こったようである。注目すべきは、**li̯e¹** がこの種の韻を踏む際に特によく見られることで、このプロセスの初期段階は、頭子音 \*l- と末子音 \*-δ の異化であった可能性が高いと思われる。しかし、頭子音に流音を持たない例もあり、例えば『老子』では 爲 **ɦi̯we¹** が 兒 **ńi̯e¹** < \*ŋēɦ や 知 **ṭi̯e¹** などと韻を踏んでいる。 前漢代になると、このような押韻はますます一般的になり、歌1韻 **-â** < \*-ɑδ が ==支部に由来する== 齊韻 **-ei** < \*-eɦ または支A韻 **-ye** < \*-ēɦ と韻を踏むケースも時折見られ、ここでも末子音 \*-δ が消え始めていることが示されている[^6]。後漢代の韻部について、羅常培と周祖謨は ==歌部に由来する== 支A韻 **-i̯e** < \*-ɑ̄δ を支部 \*-eɦ として扱っている。この頃になると、特に平声では、==魚部に由来する== 麻韻 **-a**, **-i̯a** < \*-lɑɦ, \*-e̯ɑ̄ɦ 等と ==歌部に由来する== 歌1韻 **-â** < \*-ɑδ や麻2韻 **-a** < \*-lɑδ (これはまだ1つの韻部を形成している)とが韻を踏むようになる(Chou and Lo 1958: 13, 23)。これは一方では、\*-e̯- や \*-l- が先行しない場合に主母音が模韻 **-ou**, 魚韻 **-i̯o** に向かって円唇化することで、元の魚部 \*-ɑ̄̆ɦ が分割されたことを示すが、同時に元の歌部 \*-ɑ̄̆δ の末子音 \*-δ が失われたことも意味する。\*-ɦ は、開音節と韻を踏むことの障害にはならなかっただろうから、その消失はそれほど明確には示されていない。実際には、もし喉音の末子音の体系がまだ無傷であったなら、他の末子音が失わた際、それは自動的に喉音の末子音に置き換えられたのではないかと考えられるかもしれない。 ## 3. 去声 押韻や諧声系列によって軟口蓋音や歯音を通した接触が明らかになり、\*-ɦ や \*-δ を再構することで、中古漢語で開音節を持つ平声の単語のほとんどを適切に説明することができた(いくつかのケースにおける唇音の末子音 \*-v の弱化の可能性については後述)。しかし、去声にはきわめて特徴的なパターンがあることが以前から指摘されていた。まず第一に、上古漢語の押韻と諧声関係における中古漢語の開音節の単語と入声の単語との間の接触は、==開音節の単語が== 去声の場合にかなり一般的である。特に中古漢語の去声にのみ存在する韻(泰韻 **-âi³**, 夬韻 **-ai³**, 祭韻 **-i̯ei³**/**-yei³**, 廢韻 **-i̯âi³**)で最も顕著で、これらは **-t** との接点が多く見られる。この現象が認識されたことで、Karlgrenは一時期、末尾の閉鎖音(\*-k, \*-t, \*-p)は声調の影響を受けて失われたと考えた。彼は後にこの考えを放棄して有声の \*-g, \*-d, \*-b の再構を支持したが、(1)\*-d が \*-i に母音化すると必ず去声になるのに対して、並行する \*-r から \*-i または \*-∅ への母音化はどの声調にもなり得るのはなぜか、(2)末子音 \*-g は3つの声調すべてをもたらすが、\*-k との接触は去声をもたらすケースがはるかに多いのはなぜか、については未解明のままであった。 \*-k, \*-t, \*-p がかつての長母音の後で失われて去声になったとする王力の再構(Wang 1958: 83–90)は、去声と入声との特別な関係を説明できるが、他の点では不満足である。彼が後に同じ著作で展開した、去声は派生語をもたらす装置であり、どの声調の単語にも影響を与えうるという説(ibid. 253)との調和は難しい。 Haudricourt(1954a; 1961も参照)は、ベトナム語との類似性を通して別の提案を行っている。ベトナム語は、タイ語やミャオ・ヤオ語と同様、中国語とよく似た声調体系を持っており、かつての頭子音の清濁に対応する2種類の音域があり、また各音域に3種類の輪郭がある。末尾に閉鎖音を持つ単語はこれらはとは別のカテゴリーを形成する。Haudricourtによれば、それらの下降調(去声)は、かつての \*-s に由来する末子音 \*-h から発展したものである。彼は、中国語でも同じことが起こった、すなわち、他の単語に付加して派生語を形成する接尾辞 \*-s が存在し、それが去声をもたらしたと提案している。これによって、好 **hâu²** 「良い」, **hâu³** 「好む」や 惡 **ꞏâk** 「悪い」, **ꞏou³** 「憎む」のような多数のペアが説明できる。以降、Downer(1959)は去声の単語が他の声調の単語の派生語と考えられることが多いことを示す証拠を集め、Forrest(1960)はチベット語において末子音 *-s* が同じような派生形成の役割を果たすことを示した。例えば འཁྲུད་པ་ *ḫkhrud-pa* 「洗う」, ཁྲུས་ *khrus* < \*khruds 「洗浄」(cf. 畫 **ɦwaək** 「描く」, **ɦwaə³** 「絵」)。==:bulb: 近年の接尾辞 \*-s の機能に関する研究はJacques(2016)、Zhang(2022)を参照。== ベトナム語とチベット語という大きく離れた比較対象が収束していることから、Haudricourtの説が正しいことが強く推測される。以下、初期の転写から、かつての \*-ts に由来する歯擦音の末子音が、少なくとも紀元3世紀まではまだ発音されていたことを示す証拠を示す。 Baileyの論文『*Gāndhārī*』(1946)は、中古漢語の **-i** の二重母音が外国語の歯擦音または歯摩擦音を表すと思われる例をいくつか挙げている。 :spiral_note_pad: **表1: Baileyの指摘した -i が外国語の歯擦音を転写すると思われる例** | 漢字表記 | 中古漢語 | ガンダーラ語 | サンスクリット | その他 | | :--------- | :------------------------------ | :----------- | :------------- | :-------------------------------------------------------------------------------- | | 波羅奈 | **pâ¹-lâ¹-nâi³** | \*varanazī | *Vārāṇasī* | | | 三昧 | **sâm¹-mâi³** | \*samāδi | *samādhi* | | | 提謂 | **dei¹-ɦi̯wəi³** | \*t\(r)iviz | *Trapuṣa* | ホータン語 *tträväysa* | | 忉利 | **tâu¹-li̯i³** | \*tauδiź | *trāyastriṃśa* | ホータン語 *ttāvatrīśa* | | 阿魏, 央匱 | **ꞏâ¹-ŋi̯wəi³**, **ꞏi̯âŋ¹-gi̯wi³** | | | ホータン語 *aṃguṣḍä*, トカラ語B *aṅkwaṣ*, ウイグル語 *ʾnkʾpwš* 「アサフェティダ」 | | 舍衞 | **śi̯a¹-ɦi̯wei³** | | *Śrāvasī* | | | 迦維羅衛 | **ki̯â¹-ywi¹-lâ¹-ɦi̯wei³** | \*Kavilavas | *Kapilavastu* | | :::warning :bulb: **補足** 今日知られているガンダーラ語形は、それぞれ *Baranasi*, *samasi* \[səmaːzi], ―, *trayatriśa*, ―, *Śavasti*, ― である。 ::: これらの単語はすべて、問題の音節が去声であることに注目されたい。 初期の仏典転写、特に支婁迦讖訳のT.224『道行般若經』から、他にも多くの例を挙げることができる。 :spiral_note_pad: **表2: T.224『道行般若經』における去声が外国語の歯擦音を転写する例** | 漢字表記 | 中古漢語 | サンスクリット | | :------- | :-------------------- | :------------- | | 阿會亘 | **ꞏâ¹-ɦwâi³-si̯wen³** | *Abhāsvara* | | 阿迦貳吒 | **ꞏâ¹-ki̯â¹-ńi̯i³-ṭa¹** | *Akaniṣṭha* | | 首陀衛 | **śi̯u²-dâ¹-ɦi̯wei³** | *śuddhāvāsa* | | 須䠠 | **si̯ou¹-dei³/ḍi̯ei³** | *sudṛśa* | Baileyは、以母 **y-** (= K. *i̯-*) がプラークリットの *ź* を表す(前述 [pp. 67–69](/@YMLi/rJIytCsGT#A7-常母、船母) 参照)のと同じように、漢語の二重母音の *-i̯* が外国語の歯擦音を表すと考えた。しかしこれは、関係するのが去声の単語だけであることを考慮に入れていない。漢語音節には歯擦音の末子音があったと考える方が明らかに単純かつ納得のいくものである。 漢語 \*-s による転写の例は、仏典以外の資料にも見られる。『魏略』に登場する対馬(*tu-si-ma*)の最も古い表記は 對馬 **tuəi³-ma²** である。浜田は、これを音声的転写として説明するのが難しいことから、実際には島を意味する別の名前の \*Toma(ri) ==(=泊)== という形に基づくものではないかと推測した(Hamada 1952: 701 ==n. 20==; cf. Wenck 1954: II 199)。この根拠のない仮説は不要である。中古漢語 **tuəi³** は当時 \*tuəs の音であり、これが *tus(ī)-* を転写した可能性が高い。 漢代の転写にも、同じような例がある。 - 貴霜 **ki̯wəi³-ṣi̯âŋ¹** = Kushan (\*-i もKarlgrenによる \*-d も、末子音として適当ではない) - 貳師 **ńi̯i¹-ṣi̯i¹** = Nesef (前述 [p. 120](/@YMLi/SydgEgbKa#7-歯鼻音) 参照) - 都賴 **tou¹-lâ³** = Talas, *Ṭarāz*: これは『漢書 ==・傅常鄭甘陳段傳==』において、紀元前42年頃、匈奴の反逆的単于である郅支が身を置いた、康居の北方領土の川の名前として登場する。de Grootはこれを正確にタラス川と同定している(de Groot 1921: 229; cf. Dubs 1957: 29 n. 20)。 - 罽賓 **ki̯ei³-pyin¹** < \*kɑ̄(t)s-pīn (< \*-ēn) = \*Kaspir (Kashmir): 『漢書・西域傳上』96Aに初めて登場するこの名称をカシミールと同定したのは、Lévi and Chavannes(1895)である(Chavannis 1905: 538も参照)。この説は、例えばPelliot(1934)を始めかなり広く受け入れられてきたが、近年では、Petech(1950)のように言語学的な理由だけでなく地理的・歴史的な理由から否定する人もいる。今わかっている通り、漢代には一文字目に歯擦音の末子音を仮定しなければならないとすれば、言語学的観点では大幅に強化されることは明らかである。私は地理的・歴史的な反論も同様に無効だと思うが、詳細な議論は先送りせざるを得ない。しかし、撲挑や濮達を Skt. पुष्कलावती *Puṣkalāvatī* ==:bulb: Gd. *Pokhaladi* \[pokʰːəlaːði]== とする同定(前述 [p. 101](/@YMLi/r1YL4JDV6#9-軟口蓋音と喉音の口蓋化:介音--i̯--y--の起源) 参照)は、罽賓がガンダーラにあると考える根拠を大きく弱めている。[^7] - 罽 **ki̯ei³** の文字はまた、『漢書・西域傳上』96Aで康居の配下とされた5つの小王国のうち最も西に位置する国の名前として、単独で登場する。これはおそらく、ホラズムの古都Kāthを表しているのだろう。これについても地理的な議論は後回しにする。 - 蒲類 **bou¹-li̯wi³** < \*bɑɦ-lwə̄(t)s: これはバルクル湖(*Barköl*)の古名であり、漢代の遊牧王国の名でもある(『漢書・西域傳上』96A)。Pelliotは湖の名前を 婆悉厥 **bâ¹-si̯it-ki̯wât** とする唐代の資料を引用している(『元和郡縣志・隴右道』40.10a; Pelliot 1929: 251)。これは、\*ba\(r)s-köl のように、現在では失われた歯擦音を持つが *-r-* を持たない形を表しているに違いない。漢代の形は、\*barus のようなものを意味するだろう。もしこの名前が、これまで考えられてきたように、本当にテュルク語 *bars* 「トラ」に関連しているとすれば、紀元前1世紀にテュルク語を話す民族がその地域にいたことの証明になるが、他言語の固有名詞における一般的な語源にすぎないかもしれない。 これまで議論してきたすべての例で、推定される音価は純粋な歯擦音 \[s] (あるいは後期の仏教転写では、多少口蓋化され有声化された \[ś] または \[ź])であり、\*-ts に仮定された閉鎖音の痕跡はない。\[s] ではなく \[ts] を意味する可能性のある、最初期の2つの例について論じる必要がある。残念ながら、どちらもかなり問題がある。 蘇薤 **sou¹-ɦaəi³** < \*sɑɦ-gle̯ɑts: これは『史記・大宛列傳』123.0268.2に、紀元前110年頃、安息(パルティア)とともに中国に使節を送った国の名として初めて登場する。これは『漢書・西域傳上』96A.0607.3では康居の配下の5つの小王国の一つとして、さらに後の『晋書・四夷傳』97.1337.2では康居の都として登場する。『新唐書・西域傳下』221Bではケシュと同定されている。このような同定は一般的に非常に信頼性に欠けるが、この場合は正しいとして受け入れる十分な根拠がある。これについて論じたMarkwart(1898: 57; 1901: 302ff.)は、ある伝承によれば、ケシュはかつてソグド、あるいはソグドの首都として知られていたと指摘している。彼は、蘇薤 **sou¹-ɦaəi³** とソグド(Soγd)の間に音声的つながりがあるのかどうかについては疑問のまま残した。その可能性は十分ありそうに見える。確かに当時の漢語 \*l- は外国語の *r* を表すのが普通だが、\*gδ-, \*kδ- のクラスターはすでに簡略化されていた可能性が高く、\*gl- が *gl* と *gr* の両方、さらには *gδ* や *ɣδ* の役割を担っていた可能性がある。第一音節の母音 \*ɑ はすでにある程度円唇化していたために、外国語の *o* を表すのに不適切ではなかったのかもしれない。末子音の \*-(t)s はまだ説明が難しい。この名前の漢語転写のほとんどは *-k* 型形容詞形 ==Soγδik== に基づいている(前述 [pp. 116](/@YMLi/SydgEgbKa#4-歯摩擦音), [124–5](/@YMLi/SydgEgbKa#10--l--クラスターが単純化された時期) 参照)。 漢語転写に \*-s や \*-ts をもたらすような接尾辞を説明するのは容易ではない。Harold Bailey教授は2つの可能性を示唆している。(1)サルマタイ語に見られ、オセット語の *-tä* に残っている、イラン語の集合複数接尾辞 *-tai* の歯擦音化形(Bailey 1945参照)。(2)トカラ語の話者を仲介してこの名前が報告されたと仮定すれば、トカラ語Aに見られるような *-s* 型斜格複数形はこの時代には十分にあり得る。しかし、裏付けとなるような形が記録されていない以上、これらは推測の域を出ない。 いずれにせよ、同じ接尾辞が 奄蔡 **ꞏi̯em²-tshâi³** < \*ꞏɑmꞏ-tshɑts にも認められる可能性がある。これは長い間、ギリシャ語 Ἄορσοι *Áorsoi* に見られる名前の転写であると考えられてきた(Hirth 1885: 139 n. 1; 前述 [p. 99](/@YMLi/r1YL4JDV6#9-軟口蓋音と喉音の口蓋化:介音--i̯--y--の起源) 参照)。別の転写表記 闔蘇 **ɦâp-sou¹** < \*ɦɑp-sɑɦ は、間違いなく複数接尾辞を欠いた形を表している。漢語の形には *-r-* が見られないが、原語として \*ā̆vrsa- のような形を仮定すれば、古典的な形と調和させることができる(漢語では *-vrs-* のようなクラスターを正確に表現することはできない)。漢語に見られる唇音は、ギリシャ語の *-o-* に暗示されているようであり、またプリニウス(VI, 38)に見られるLat. *Abzoae* に明示されている。後者を必ずしも Arzoae と改める必要はない。 この民族は後に阿蘭と名前を変え(Chavannes 1905: 558 n. 5)、また後のĀs族(現代のオセット人)の祖先と考えられる。Āsも漢語の 奄蔡 やギリシャ語の Ἄορσοι *Áorsoi* と同様 \*ā̆vrs- に由来させることも可能かもしれない。Āsは現在では \*ā̆sya または \*arsya- に由来させるのが普通だが(Bailey 1945: 3)、これは唇音を含む初期の形と一致するかもしれない。I. Gershevitch博士が私に指摘したところによると、彼らの近縁種であるサルマタイ族(Sarmatae)は、以前はLat. *Sauromatae* と呼ばれており、これは同様の子音前 *-r-* の前にの唇音要素の喪失を示唆している。グルジア語 *Ovs* や中世のドイツ人旅行者ヨハネス・シルトベルガーの写本に見られる *Affs*, *Afs* のような後世のオセット人の名前の形に唇音の痕跡が残っている可能性もあるが、複雑な問題を含んでいるので、これ以上の議論は避けた方がよさそうである。 --- 末子音 \*-(t) が失われた正確な年代を知るには、さらなる調査が必要だろう(間違いなく、ある地方では他の地方よりも長く続いた)。法顕による転写表記が彼の時代において有効であり、すでに伝統化されていたのでないと仮定すれば、仏典やその他の転写は、3世紀から4世紀にかけての ==\*-t の維持を示す== 豊富な証拠を与えている。詩における **-t** と **-i³** の押韻は南北朝時代にも見られる(Wang 1958 \[1936]: 53)。未 **mi̯wəi³** 「十二支の8番目」のタイ語形に見られる *-t* も、これがかなり遅くまで維持されていたことを示すが、正確な年代はわからない(Egerod 1957; Haudricourt 1954b参照)。 上古漢語 \*-ts から導かれる中古漢語の韻は、**-t** の韻と密接に並行している。 :spiral_note_pad: **表3: 中古漢語の -t の韻と -i³ (< \*-ts) の韻の並行性** | | 開口入声 | 開口去声 | 合口入声 | 合口去声 | | :--- | :------------------- | :----------------------- | :------------------ | :-------------------- | | â | 曷 **-ât** | 泰 **-âi³** | **-wât** | **-wâi³** | | | 月 **-i̯ât** | 廢 **-i̯âi³** | **-i̯wât** | **-i̯wâi³** | | a | 鎋 **-at** | 夬 **-ai³** | **-wat** | **-wai³** | | e | 屑 **-et** | 齊(霽) **-ei³** | **-wet** | **-wei³** | | | 薛 **-i̯et**/**-yet** | 祭 **-i̯ei³**/**-yei³** | **-i̯wet**/**-ywet** | **-i̯wei³**/**-ywei³** | | ə | 沒 **-ət** | 咍(代) **-əi³** | 沒 **-uət** | 灰(隊) **-uəi³** | | | 迄 **-i̯ət** | 微(未) **-i̯əi³** | 物 **-i̯uət** | 微(未) **-i̯uəi³** | | aə | 黠 **-aət** | 皆(怪) **-aəi³** | **-waət** | **-waəi³** | | i | 質 **-i̯it**/**-yit** | 脂(至) **-i̯i³**/**-yi³** | **-i̯wit**/**-ywit** | **-i̯wi³**/**-ywi³** | 櫛韻 **-ït** に対応する独立した **-i³** の韻はないが、櫛韻はおそらく質B韻 **-i̯it** とは音韻的に区別されない(前述 [p. 80](/@YMLi/rJIytCsGT#C15-臻櫛韻) 参照)。他にも **-t** の韻と **-i³** の韻にはちょっとした違いがあり、例えば、**ki̯ât** < \*kɑ̄t は **ki̯ân¹** < \*kɑ̄n と並行するが、\***ki̯âi³** は出現せず、代わりに **ki̯ei³** となる(前述)。しかし、慧琳の時代には、元月廢韻 **-i̯ân**, **-i̯ât**, **-i̯âi³** はすべて仙薛祭韻 **-i̯en**, **-i̯et**, **-i̯ei³** と合流しており、もし『切韻』における分布が真の姿であるとすれば、ウムラウトが他の韻に先んじて廢韻 \***-i̯âi³** に作用したと考えることができる。そのような細かい点についての議論は、ここでは置いておく。 ## 4. \*-x < \*-ks に由来する去声 去声の起源と推測される末子音 \*-s は、前述のように \*-t の後では後期まで残ったが、他の環境では漢代以前に既に失われていたようである。 かつての \*-ks の漢代における音価として最も可能性が高いのは、軟口蓋摩擦音 \*-x であると思われる。これは、古典チベット語 *-gs* を *-x* とするバルティ語と比較することができる(Forrest 1960: 237)。以下の例を挙げることができる。 - 謝 **zi̯a³** < \*sδi̯ax (< \*sδɑ̄ks, cf. 射 **źi̯a³**, **źi̯ek**, **yek**): これは、紀元90年に班超に派遣された月氏の将軍の「名前」として記録されている。Lévi(1913: 330)はペルシャ語 *šāhi* 「王」との同定を提案した。これは非常にもっともらしく見える。クシャンの支配者はイランの称号 *šaonano šao* 「王の王」を使用していたことが分かっており、中国でも「副王」という称号が月氏と隣接する康居との関連で言及されている[^8]。『魏略』の仏教に関する記述にある 屑頭邪 **set-du¹-ya¹** < \*sθe̯ɑt-doɦ-(ŋ)δe̯ɑ̄ɦ = Skt. शुद्धोदन *Śuddhodana* の第一音節にも注目されたい。 - 護于 **ɦou³-ɦi̯ou¹** < \*ɦwɑx-ɦwɑ̄ɦ = \*ɣʷaɣʷā(?) > テュルク語 *qaɣan* 「匈奴」など(前述 [p. 91](/@YMLi/r1YL4JDV6#3-西漢における-ɦ-の転写音価) および付録を参照)。 - 護澡 **ɦou³-tsâu³** < \*ɦwɑx-tsɑuꞏ (cf. 穫 **ɦwâk**): ここは、『漢書・西域傳上』96Aや『後漢書・西域傳』118によれば、月氏の5人のヤブグのうち3番目がいた場所である。この5人のヤブグは、東はワハーン谷から西は都密(Tarmita, Termes; 前述 [p. 124](/@YMLi/SydgEgbKa#10--l--クラスターが単純化された時期) 参照)やバルフまで、トハリスタンの北側に沿って弧を描くように位置していたようである。\*ɦwɑx-tsɑuꞏ はおそらく *Waxšab*、つまりテルメズのやや東、北からオクサス川に入る支流Waxš川のことであろう。この時代の漢語には真の硬口蓋音は存在しないため(前述 [pp. 108–9](/@YMLi/SydgEgbKa#2-歯閉鎖音の口蓋化) 参照)、音列 *-xš-* は漢語の \*-x ts- で表されることになる。他の証拠から考えても、第一音節自体がまだ \*-ks で終わっていたとは考えにくい。 もう一つの例は、議論になっている 徑路 **keŋ¹-lou³** < \*keŋ-ɦlɑx (< -ks; cf. 各 **kâk**) である[^9]。これは匈奴の剣の名前で、ヘロドトスの記述にあるように、スキタイ人が戦いの神として剣を生贄に捧げたのと同じように崇拝されていた。江上(Egami 1948: 133ff.)がこれをアキナケスと同定したのは正確である。アキナケスはペルシャ人やスキタイ人が用いていた短い両刃の刀で、草原のあちこちで発見されている。Hirth(1900: 223)はテレウト語と比較した。テュルク語 *qïŋïraq* 「両刃の刀」と意味的にも音韻的にも一致するのは、実に印象的である。しかしこの問題は、テュルク語がワハーン語 *xiŋgār* 「剣」, イドガ語 *xugor*, ソグド語 *xnɣr*, 古ペルシャ語 *xanǰar* などのイラン語形と関連している可能性があるため、複雑になっている[^10]。英語の *hanger* もこれに由来する(OEDは疑っているが)。テュルク語形とイラン語形の関係は未解明のままである。また、匈奴語における形もまだわかっていない。このような状況から、漢語の \*-x がどのような末子音を表していたかを正確に言うことはできないが、イラン語よりもテュルク語に近い形であった可能性が高い。同じ単語の別の転写と思われるものが、『逸周書・克殷解』から引用されている(Hirth 1923: 65ff.)。それは周王朝の創始者である武王(伝統的には紀元前1100年頃)の時代に言及した一節に登場する。これは明らかに時代錯誤だが、江上が言うように、この一節は最終的に、遊牧民的なものが知られるようになった戦国時代以降のものかもしれない。『逸周書』における形は 輕呂 **khyeŋ¹-li̯o²** < \*kh(δ)ēŋ-(ɦ)lɑ̄ꞏ である。今回の目的にとって重要なのは、後に上声をもたらす、語末の声門閉鎖音である。シャンシャンの首都 扜泥 \*ꞏwɑ̄ɦ-ne(δ) における声門閉鎖音と曉母 **h-** の交替(前述 [p. 89](/@YMLi/r1YL4JDV6#2-語頭声門閉鎖音の転写音価))を比較することができるかもしれない。それが外国語の口蓋垂音 *q-* を表現する異なる方法である可能性を提案した。この末子音も同様に、テュルク語の *-q* のようなものを含意している可能性がある。 ## 5. \*-h < \*-ɦs に由来する去声 \*-ks の他に、\*-ɦs も仮定しなければならない(チベット語 *-ḫs* と比較されたい、前述 [p. 213](#1-語末子音) 参照)。これは次のようなペアに示されている。 - 思 **si̯ə¹** 「思い」, **si̯ə³** 「思う」 - 譽 **yo¹** < \*δɑ̄ɦ 「褒める」, **yo³** < \*δɑ̄ɦs 「賞賛、名声」 一般的に、\*-ɦs は \*-ks と同じ反射を持つ。例えば、異 **yə³** < \*δə̄ks (cf. 翼 **yək**)と同様に 思 **si̯ə³** < \*sə̄ɦsとなり、告 **kâu³** < \*kuks (又音 **kok** < \*kuk)と同様に 蹈 **dâu³** < \*δuɦs (cf. 搯 **thâu¹** < \*θuɦ)となる。ただし、模(暮)韻 **-ou³** は \*-ks と \*-ɦs (あるいは \*-ꞏs、後述)のどちらの由来もあり、麻(禡)3韻 **-i̯a³** も \*-ks と \*-ɦs (前者がより普通)のどちらの由来もあるのに対して、魚(御)韻 **-i̯o³** はほとんど \*-ɦs のみに由来するようである。以下が例外である。 - 著 **ṭi̯âk** 「置く」, **ṭi̯o³** 「位置、順序」(ただし麻3韻 **-i̯a** はそり舌閉鎖音の後には見られない)。 - 庶 **śi̯o³**, **ci̯o³**, cf. 摭 **ci̯ek** (声符は 石 **ji̯ek**)。ただし、諧声系列上に平声の単語 遮 **ci̯a¹** があることから、一つの系列内に \*-ɦ と \*-k の両方を持つケースの可能性があることにも注意しなければならない。豦 **gi̯o¹**, **gi̯o³**, 臄 **gi̯âk**, 籧 **gi̯o¹**, **ki̯o¹** 等にも同じことが言えるかもしれない。 魚(御)韻 **-i̯o³** < \*-ks の希少性が単なる偶然である可能性は低いと思われる。また、\*-ɑ̄x < \*-ɑ̄ks における摩擦音の末子音は、母音の円唇化を妨げるほど長く維持されていた可能性がある(したがって、藥3韻 **-i̯âk**, 陌昔韻 **-i̯ek** < \*-ɑ̄k における末子音と同じ効果がある)。そのため、最終的には魚(御)韻 **-i̯o³** < \*-ɑ̄ɦs ではなく、麻(禡)3韻 **-i̯a³** < \*-e̯ɑ̄ɦs と合流した。 これは、\*-ɦs と \*-ks が完全に消滅する前に、その中間段階の反射に大きな違いがあったことを意味する。したがって、私は前者を \*-h、後者を \*-x と表記する。 漢代の転写における \*-h < \*-ɦs の例は稀であるが、高附 **kâu¹-bi̯ou³** < \*kɑuɦ-bōh = Kabul, Κάβουρα *Káboura* (カーブル、『漢書・西域傳上』96A.0607.2、『後漢書・西域傳』118.0905.1)の例を挙げることができる。丘就劫 **khi̯u¹-dzi̯u³-ki̯ap** = Kujula kadphises (クジュラ・カドフィセス、前述 [p. 123](/@YMLi/SydgEgbKa#10--l--クラスターが単純化された時期) 参照)をこれと比較しなければならない。ここで 就 **dzi̯u³** は \*dzūks (cf. 蹴 **tsi̯uk**)に由来すると思われ、すなわち漢代には \*-h ではなく \*-x だった。しかしどちらの場合も、外国語の音は *-l* か *-r* だったようである。これは不可解である。もし問題の *-l* が暗い軟口蓋音性のもの ==\[ɫ]== であったり、口蓋垂ふるえ音 ==\[ʀ]== であった場合、有声軟口蓋摩擦音 *-ɣ* ならば代用できたかもしれないが、去声は歯擦音に由来する音節末有気音から発展したという理論では、無声音が要求されるようである(Haudricourt 1954a参照)。この問題は、解決する決定的な手段が現れるまでしばらく保留にしておかなければならない。[^11] ## 6. \*-δs の漢代と中古漢語の反射 \*-δ と \*-ts の反射は、\*ɑ̄̆ 以外の母音の後では、声調を除いて違いはない。例えば、微 **mi̯əi¹** < \*-δ : 未 **mi̯əi³** < \*-ts となる。また、\*-t ではなく \*-δ と関係を持つ去声の単語も見られる。例えば、衣 **ꞏi̯əi¹** 「服」: **ꞏi̯əi³** 「着る」。このような場合には \*-δs を再構しなければならない。これは、ある段階で \*-ts と合流した。しかし、母音 \*ɑ̄̆ の後では異なる。\*-ɑ̄δ の通常の反射は、歌1韻 **-â** < \*-ɑδ, 麻2韻 **-a** < \*-lɑδ, 支B韻 **-i̯e** < \*-ɑ̄δ である。これらの韻は3つの声調全てで見られ、去声の典型的な派生機能は次のようなペアで示される。 - 騎 **gi̯e¹** 「乗る」, **gi̯e³** 「騎手」 - 過 **kwâ¹** 「通り過ぎる」, **kwâ³** 「過ち」 - 磨摩 **mâ¹** 「こする」, 塺 **mâ³** 「塵」 - 被 **pi̯e¹** 「覆う」, **pi̯e³** 「寝衣」 \*ɑ̄̆δs の発展については、\*ɑ̄̆ts とは異なるものを仮定しなければならない。 舌背音の末子音の場合と同じように \*-s が有気音に置き換わる傾向があると仮定すると、\*-δs > \*-δh = \*-θ となるかもしれない。これが音韻的に頭子音の \*θ と同一であれば、漢代の主流方言では単純な有気音になったと予想される(前述 [p. 117](/@YMLi/SydgEgbKa#5-θ--gt-h-) 参照)。この場合、\*-ɑ̄̆h < \*-ɑ̄̆θ < \*-ɑ̄̆δs と \*-ɑ̄̆h < \*-ɑ̄̆ɦs が合流するはずだと反論されるかもしれないが、喉音の末子音の前の \*ɑ̄̆ の円唇化は、変化 \*-θ > \*-h が起こる前にすでに始まっていたのかもしれない。いずれにせよ、この変化が起こった方言は漢代には重要であったものの、切韻体系に至る主要な発展ラインにはなく、ほとんど痕跡を残していないことは明らかである。 これはすべて理論上の話である。漢語転写において \*-ɑ̄̆δs の反射が推定されるケースは非常に稀であるため、これを実証する具体的な証拠を見つけるのは難しい。可能性のある例としては、多くの転写に見られる ⟨大⟩ の用法が挙げられる。この文字の通常の読みは **dâi³** < \*dɑts と **thâi³** < \*thɑts であり、後者はしばしば ⟨太⟩ または ⟨泰⟩ と表記される。末子音 \*-ts は『詩経』と漢代の詩韻によって確証されるが、『広韻』には **dâ³** という読みも示されており、これは \*dɑδs を意味する。\*dɑts や \*thɑts の歯擦音の末子音は漢代にもまだ維持されていたはずだが、一見したところ、大益 **dâ(i)³-ꞏyek** = \*Dahik、Dihistan (前述 [p. 90](/@YMLi/r1YL4JDV6#2-語頭声門閉鎖音の転写音価))や 大宛 **dâ(i)³-ꞏi̯wân¹** = \*Taxwār の原語と推定される単語とは一致しないように思われる。一方、有気音のようなものがあれば一致するだろう。 ⟨大⟩ は、無叉羅による転写において、アラパチャナ文字の音節 *dha* を転写している(T. 221『放光般若經』、紀元291年)。続く音節は *śa* であるため、末子音 \*-s (最終的には **-i** となるため、多少 \*-ś に口蓋化されていた可能性がある)は、この音節の終わりを後続音節の始まりに同化させることを表すと主張できるかもしれない。しかし、その100年あまり後の鳩摩羅什は、対応する箇所で 駄 **dâ³** を使用しており(T.223『摩訶般若波羅蜜經』、紀元403–4年、およびT.1509『摩訶般若波羅蜜經釋論序』、紀元402–5年)、無叉羅の ⟨大⟩ はこれと同じ読みを意図していたと考えるのが自然である。無叉羅とほぼ同時代の竺法護は、平声の 陀呵 **dâ¹-hâ¹** を使用した(アラパチャナ文字の転写の比較については、Li 1952を参照)。 注:ある現代方言における 大 の読みは、**dâ³** に遡る(Karlgren 1915–1926: 740)。北京語 *dà* (⇔ 太 *tài*)も、**dâi³** ではなく **dâ³** に遡る可能性がある。厳密な音法則に従えば、**dâ³** は *tuò* を与えるべきであるが、これは口語の 他 *tā* が古典的な「他」の意味で *tuó* と読まれるのと同様、非常に一般的な単語が古風な語形に近しい形を維持する傾向があるという不規則的発展のケースかもしれない(cf. Demiéville 1950)。Karlgrenは、北京語 *dà* は「長い二重母音」 *-âi* の最終要素が失われたためであるとしているが、前述([p. 79](/@YMLi/rJIytCsGT#C10-覃合韻))したように、泰韻 **-âi³** と咍韻 **-əi** (= K. *-âi* ⇔ *-ậi*)の違いは量的なものではなく質的なものである。また彼が引用した類似例は、佳韻 **-ae** が夬韻 **-ai** や皆韻 **-aəi** ではなく麻2韻 **-a** と合併したケースであり、妥当ではない(前述 [pp. 83–4](/@YMLi/rJIytCsGT#C27-佳韻、皆韻、夬韻) 参照)。 ## 7. 上声 Haudricourt ==1954a== のベトナム語の声調の発達に関する理論によれば、その上声はかつての音節末声門閉鎖音の反射である。ベトナム語と漢語の声調体系には高い並行性があり、また末子音 \*-s が去声の起源であるという仮説が成功したことから、漢語でも声門閉鎖音の末子音が上声の起源であるという可能性を考えるのは自然なことである。声門化鼻音・流音は十分に実現可能であり、実際に東南アジアの言語に広く見られるため、鼻音の末子音を持つ単語で上声が発生するという事実は何の障害にもならない。初期には、上声は転写においてまったく一般的ではなかったものの、この理論に信憑性を与えるいくつかの事例を挙げることができる。 上声が \*-ɦ 型平声に対応する場合は、当然ながら、複合的喉音 \*-ɦꞏ があったと仮定するのではなく、単純に声門閉鎖音の末子音は諧声系列内で \*-ɦ と交替し、そして先行する母音に同様の発展をもたらしたと仮定できる。一方、好 **hâu²** 「良い」: **hâu³** 「好む」、古 **kou²** 「古い」: 故 **kou³** 「以前の、元々の」等のようなペアがあるという事実は、\*-ɦs や \*-ks だけでなく \*-ꞏs も再構しなければならないことを示しているように思われる。 声門閉鎖音の頭子音が、通常の単なる母音はじまりではなく、外国語の後部軟口蓋音または口蓋垂閉鎖音を表しているように見えるケースがあったように、末子音でもそのような子音を表すために使われることがあったようである。師子 **ṣi̯i¹-tsi̯ə²** 「ライオン」がトカラ語A *śiśäk*, B *ṣecake* に由来する可能性については前述した。ここで語末の声門閉鎖音は、トカラ語の *k* に対応している。ここで 子 を現代官話に見られるような名詞形成接尾辞とみなす理由はない。最も古い文章では、これは常に単語の不可分な要素として扱われ、一文字目だけで「ライオン」を表すようになるのはずっと後のことである。 同じ文字が『魏略』の 昆子 **kuən¹-tsi̯ə²** に見られる。これは丁零の領地で見られる毛皮を持つ動物の名前である(Chavannes 1905: 559; Hirth 1901: 82)。Sinor(1948: 9)は反論しているものの、これは \*qīrsaq、すなわちテュルク語 *qarsaq* 「北極ギツネ」に違いない。Hirthは、テュルク語の末尾 *-q* を表現するものを見つけることができず、モンゴル語やツングース語の形と関連付けたが、これは不要である。漢語の単語には声門閉鎖音の末子音があり、これが *-q* を表しているのである。Sinorによる、漢語 \*kuen は他の場所で *kun* という音に使われているためここで **-n** は *-r* を表すことができないという主張は、もちろん何の意味もなさない(後述 [p. 228](/@YMLi/S1x7mGPca#1-鼻音の末子音) 参照)。 子合 **tsi̯ə²-ɦəp** < \*tsə̄ꞏ-gə̄p = 朱駒波 **ci̯ou¹-ki̯ou¹-pâ¹** ([p. 109](/@YMLi/SydgEgbKa#2-歯閉鎖音の口蓋化) 参照)という地名では、推定される声門閉鎖音それ自体に別の転写音価を仮定することはできないが、転写における閉鎖音の末子音(*-k*, *-t*, *-p*)が単に次の音節の頭子音と同化するケースと比較することができる。 ケシュ=ソグドの原住民につけられた中国式の名字 史 **ṣi̯ə²** < \*slə̄ꞏ が Sulik 「ソグド人」との音声的類似に基づいている可能性については前述した([p. 124](/@YMLi/SydgEgbKa#10--l--クラスターが単純化された時期))。ここでも声門閉鎖音の末子音は、外国語の閉鎖音を表している。 匈奴帝国の始祖である冒頓は、隔昆(キルギス、[p. 123](/@YMLi/SydgEgbKa#10--l--クラスターが単純化された時期) 参照)や丁零(後の鐵勒、ウイグル族の祖先)を含む北方の5つの民族を征服したと言われている。その最初に挙げられるのが 渾庾(寙) **ɦuən¹-you²** < \*gun-δōꞏ である。Halounがこれを紀元前172–69年頃の賈誼の記録に月氏とともに記載されている 灌窳 **kwân³-you²** < \*kwɑnh-δōꞏ と同じと考えたのは正確である(Haloun 1937: 248)。この名前は、2千年紀後半の周の初期の伝承に渭河の渓谷に侵入した者として登場する 葷粥 **hi̯wən¹-yuk** < \*hūn-δūk (薰育、獯鬻とも)に非常によく似ている(『史記・周本紀』4; Chavannes 1895: 30, 214; 『孟子・梁惠王下』IB.3.1等)。もちろん、このような長い期間にわたる同定は非常に危険であるが、もしそれが確立されれば、一方の声門閉鎖音が他方の軟口蓋閉鎖音に対応するケースを持つことになる。 いずれにせよ、葷粥が北方から問題を起こした先住民だからといって、中国の歴史家のように彼らを匈奴の祖先とみなす理由はなく(『史記・匈奴列傳』110)、この2つの「名前」を同じとする司馬遷の考えは非常に疑わしい。また、フンという民族名は匈奴ではなく葷粥・渾庾・灌窳に由来すると考えた最近の学者(Pritsak 1959)に従うこともできない。 ## 8. 末子音 \*-δꞏ \*-δ に由来する平声韻と対応する上声が中古漢語に存在するという事実は、声門化 \*-δꞏ を再構しなければならないことを示している。漢代の転写においてこの音を持つ可能性がある例は、烏孫の支配者の呼称の最後の文字として定期的に見られる 靡 **mi̯e²** < \*māδꞏ という要素である。烏孫はトカラ語のような言語を話していたと考える十分な根拠がある。したがって、これはトカラ語A *wäl*, B *walo* 「王」に関連する単語の可能性がある。もちろん、靡 に \*m- ではなく \*v- を再構することができればこの比較には最適だが、この単語は否定助詞であり、したがってその他の \*m- の形の否定助詞と関連している可能性が高い。この鼻音が本来の音であることはチベット語 མ་ *ma* をはじめとする多くの同源語で保証されている。一方、もし漢語の \*m- と \*v- が合流する傾向があるとすれば、\*v- に適当な音節がないときに、代わりに \*m- の音節が使われたかもしれない。紀元101年に中国に使節を送ったパルティアの王の名前、滿屈 **mân¹-khi̯wət** (『後漢書・西域傳』118.0904.4)が *Bakur* = Lat. *Pacorus* (パコルス)であるという説は、音韻上の困難はあるにせよ(この時代に外国語の *r-* に \*-t を用いるのは珍しく、また第一音節の末尾 \*-n は説明できない)、歴史的な根拠から可能性は高いと思われる[^12]。もしこれが正しければ、漢語 \*m- が外国語の両唇摩擦音 \[β] を転写するケースかもしれず、\*mɑ̄δꞏ がトカラ語の「王」を表す単語と同定できる根拠となる(Cf. Chavannes 1907: 178; Pelliot 1914: 406)。当然ながら、唐代に外国語 *b-* に明母 **m-** \[ᵐb-] が使われていたことはこの議論とは無関係である。また、揵陀波勿 **gi̯en¹-dâ¹-pâ¹-mi̯wət** = Skt. गंधरवावती *Gandharvavati* (T.224: 470c22)のように、漢語 \*m- がインド語 *v* に使われることもあるが、これはおそらく根底にあるプラークリットにおける鼻音化唇摩擦音 *-ṽ-* の生成という観点から説明されるものであろう[^13]。 羅常培と周祖謨による漢代の韻の研究によれば、後漢代においてかつての歯音または喉音終わりの韻部に由来する麻韻 **-a**, **-i̯a** が韻を踏む場合、それはほとんどが平声の単語であり、その上声(馬韻) **-a²**, **-i̯a²** < \*-lɑꞏ, \*-e̯ɑꞏ, \*-e̯ɑ̄ꞏ の単語はまだ上古漢語 \*-δꞏ 由来の対応する単語とは自由に韻を踏んでいなかったようである。このことは、声門化 \*-δꞏ は、失われる場合の \*-δ よりも長く維持され、漢語 \*-δ を使って外国語の *l* を表現したいときに上声の単語を使う理由となる可能性を示しているように思われる(Cf. Luo and Zhou 1958: 23; Malmqvist 1961: 200 n. 2)。 ## 参考文献 - Bailey, H. W. (1945). Asica. *Transactions of the Philological Society* 44(1): 1–38. [doi: 10.1111/j.1467-968x.1945.tb00209.x](https://doi.org/10.1111/j.1467-968x.1945.tb00209.x) - ⸺. (1946). Gāndhārī. *Bulletin of the School of Oriental and African Studies* 11(4): 764–797. 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In: 初期仏教からアビダルマへ—櫻部建博士喜寿記念論集 \[Early Buddhism and Abhidharma Thought — In Honour of Doctor Hajime Sakurabe on the Occasion of His Seventy-seventh Birthday]. Kyoto: Heirakuji Shoten 平楽寺書店. 1–32. - Hill, Nathan W. (2005). Once more on the letter འ. *Linguistics of the Tibeto-Burman Area* 28(2): 107–137. - ⸺. (2009). Tibetan ⟨ḥ-⟩ as a Plain Initial and Its Place in Old Tibetan Phonology. *Linguistics of the Tibeto-Burman Area* 32(1): 115–140. - Jacques, Guillaume. (2016). How many \*-s suffixes in Old Chinese?. *Bulletin of Chinese linguistics* 9(2): 205–217. [doi: 10.1163/2405478x-00902014](https://doi.org/10.1163/2405478x-00902014) - Mainwaring, George Byres. (1898). *Dictionary of the Lepcha Language, revised and completed by Albert Grünwedel*. Berlin: Unger Brothers. - Zacchetti, Stefano. (2010). Defining An Shigao’s 安世高 Translation Corpus: The State of the Art in Relevant Research. *Historical and Philological Studies of China’s Western Regions* 西域歷史語言研究集刊 3: 249–270. - Zhang, Shuya. (2022). Rethinking the \*-s suffix in Old Chinese: with new evidence from Situ Rgyalrong. *Folia Linguistica* 56(s43-s1): 129–167. [doi: 10.1515/flin-2022-2014](https://doi.org/10.1515/flin-2022-2014) [^1]: 二文字目に ⟨圖⟩ を用いる異表記については、「家畜を殺す」という不吉な意味を持つ本来の二文字目を避けるために後年導入されたものである。Pelliot(1906)を参照。 [^2]: 7世紀頃のものと思われる文献で言及されている、スマトラ島南部の 多郎婆黄 **tâ¹-lâŋ¹-bâ¹-ɦwâŋ¹** = Talang Bawang (?) も参照されたい(『唐会要』100: 1791; また『太平寰宇記』177; Pelliot 1904: 324ff.)。 [^3]: Karlgrenは \*-ər の韻部しか認めていないが、\*-en と \*-ən それぞれに対応する陰声韻部 ==(脂部と微部)== を認めざるを得ないというのが中国の学者の一般的な見解である。この \*-əδ のグループには、Karlgrenが \*-i̯ăr, \*-i̯wăr と再構した単語も含まれる。 [^4]: ==:bulb: ᰎᰬᰯ *pel* 「疲れる」(Plaisier 2007: 228)という形のほうが一般的のようである。Mainwaring(1898)は *pel*, *pyal*, *pyel* の形を収録している。== [^5]: この単語の \*bl- は、別の読み **bae²** < \*ble̯aδꞏ 「止める」から確証される。敗 **bai³** < \*blɑts 「破滅する、敗北する」, **pai³** < \*plɑts 「打ち負かす」, 弊 **bi̯ei³** < \*blɑ̄ts (or \*ble̯ɑ̄ts) 「消耗する」も間違いなく同源語である。 [^6]: これらの母音はかなり近かったはずだが、必ずしも同一ではなかった。例えば魚部 \*-ɑɦ と侯部 \*-oɦ は、漢代のほとんどの作者は自由に韻を踏んでいるが、転写の用法では区別されたままであり、中古漢語ではこの2つはごく限られた程度しか合流しなかったので、音素的には区別されたままだったに違いない。 [^7]: 漢語の \*-n が外国語の *r* を表すのは他の子音が後続する場合のみであり語末では表さないという考えには根拠がないことに注意されたい [^8]: 当時の \*sδi̯- > **zi̯-** の正確な音価は不明だが、安息 **ꞏân¹-si̯ək** = \*Aršak におけるイラン語 *š* に対応する **si̯-** < \*sθi̯- と比較することができる(前述 [p. 77](/@YMLi/rJIytCsGT#C8-蒸職韻) 参照)。 [^9]: 一文字目は、かつてはクラスター頭子音 \*kδ- を持っていたかもしれないが([p. 119](/@YMLi/SydgEgbKa#6-δ--θ--クラスター) 参照)、漢代にはすでに簡略化されていたと思われる。 [^10]: 江上はまた、ギリシャ語 ἀκινάκης *akinákēs* として見られる古ペルシャ語の剣の名前との比較を試みているが、意味的な等価性に反して、音声的類似性は非常に曖昧である。この語のソグド語形については、Bailey(1955: 69)を参照。 [^11]: 劫 **ki̯ap**は \*klɑ̄p に遡り、この音節の介音 \*-l- は外国語の *l* を表すことができる([p. 123](/@YMLi/SydgEgbKa#10--l--クラスターが単純化された時期) 参照)。したがって、転写における \*-x の説明は、外国語の *l* や *r* の表現とは無関係かもしれない。 [^12]: ==:bulb: この 滿 **mân¹** は 蒲 **bou¹** の訛字のようである。== [^13]: Brough(1962: 88)は、この現象は隣接音節が鼻音を持つ環境に限られるとしているが、これは厳密には正しくないようである。*cīvara* に対する \*cīṽara については [p. 232](/@YMLi/S1x7mGPca#2-仄声における鼻音の末子音) を参照。