# 『詩経』における周・漢代の音韻論
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:pencil2: 編注
以下の論文の和訳である。
- Baxter, William H. (1991). Zhōu and Hàn phonology in the Shījīng. In: Boltz, William G.; Shapiro, Michael C. (ed.). *Studies in the Historical Phonology of Asian Languages*. Amsterdam: John Benjamins Publishing. 1–34. [doi: 10.1075/cilt.77.02bax](https://doi.org/10.1075/cilt.77.02bax)
誤植と思しきものは、特にコメントを付加せずに修正した。
原文では中古音の表記にKarlgren(1957)の再構音を一部修正した表記が括弧付きで添えられている(注6参照)。平声は無表記、上声と去声はそれぞれ音節末に「:」「-」を付すことで表記しているが、本訳文では平声を「¹」、上声を「²」、去声を「³」で表記する。
なお、原文では上声の単語の上古漢語再構形に「\*-:」と「\*-ʔ」が混在している。「\*-:」については「\*-x」に表記を修正したが、念のため「\*-ʔ」との区別は維持した。
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## 1. 序論
上古漢語音韻論に関する情報源には、主に次の3つがある。[^1]
1. 『詩経』を中心とする周代の詩韻
2. 中国の文字体系における諧声系列と仮借
3. 中古漢語の音韻体系[^2]
過去の上古漢語研究の多くは、奇妙な時代錯誤に悩まされてきた。詩韻の証拠は周の中期か初期に書かれたと思われる文献から引用されるが、その際に分析される文字は通常、現在に伝わる古典テキストのものである。そうした文字や文章が基本的に固定化されたのは、テキストが最初に成立してから数世紀後の漢代になってからであるにもかかわらずである[^3]。
この一見時代錯誤的なアプローチが用いられているのには、いくつかの理由が考えられる。上古漢語の再構に先駆的に取り組んだ清代の学者たちは、現在入手可能な古文字資料を入手することができず、必然的に、中国文字の初期の発展の性質や、秦・漢代の文字改革について限られた理解しか持っていなかった。『説文解字』は、後漢代に書かれたものでありながら、初期の文字の構造を知るための信頼できる手引として、一般に高く評価されていた。また、清代の音韻学者は、中国語の発音が古代から変化していることは認識していたが、音変化は比較的最近の現象であり前漢代にはあまり影響がないと考えていたのかもしれない。20世紀に入り、中国文字学は大きな進歩を遂げたが、古文字学と音韻論は隔絶されたままであり、依然として音韻論的研究(Karlgrenや董同龢の研究など)は古典テキストの文字、つまり『説文解字』に大いに依存している。Karlgrenは、『*Grammata Serica*』(1940)と『*Grammata Serica Recensa*』(1957)にいくつかの甲骨文や金文の字形を掲載しいるが、それらは彼の再構に大きな影響を与えるものではない[^4]。
本稿では、『詩経』の文字と文章の両方が、『詩経』以後の音韻体系の影響を受けていることを論じる。過去の上古漢語の再構は、この文字と文章に基づいて行われてきたため、周代と漢代の音韻論を混同する傾向があった。一般に、我々が知っている古典テキストの文字は、上古漢語の音韻論を知るための信頼できる指針ではない。再構は、できるだけ本物の周の文献(金文など)に基づくべきである。
以下では、後期の音韻変化が『詩経』の本文に与えた影響について、いくつかの具体例を紹介する。このような影響には主に、文字の変化と『詩経』本文の変化という2つの状況がある。前者のケースでは、周代に一般的に使われていた文字が新しい文字に置き換えられた。もちろん、このような置き換えのすべてが音韻論的に意味を持つわけではない。場合によっては、新字は旧字の形を単純化しただけのもので、文字の各要素は依然として同一性を保っている。あるいは、新字は旧字と同じ声符を維持しつつ、要素が追加されたり、元の要素が変更されたり削除されたりすることもよくある。しかし、形声文字が新しく作られた場合、それは『詩経』以後のある音韻体系には適合していても、上古漢語の音韻体系には適合しない場合がある。このような文字を上古漢語を再構する際の証拠として使用すると、再構が歪められ、周代音韻論よりも漢代音韻論に近くなる可能性がある。
文字だけに影響する変更に加えて、第二の問題は、現在の古典テキストには、『詩経』以降の音韻論の影響を受けた原文の改変が含まれていることである。テキストは少なくとも部分的には口頭で伝達されたものであり、時には伝達者が不完全に理解することもあったため(そうでなければ、なぜ漢代に注釈が必要だったのだろうか)、原文の一部が、『詩経』以降の音韻論に従った同音あるいは近音の他の単語に置き換えられた可能性がある。周代の文字に基づく上古漢語音韻論の優れた再構は、このようなテキスト上の問題を解決するのに役立つはずである。
本論文の構想は、『詩経』の押韻に関するいくつかの仮説を検証していたときに、伝世文献の文字の諧声関係が『詩経』の押韻の一般的なパターンと矛盾するようなケースを発見したときに生まれた。このようなケースの多くは、『詩経』以降の文字の変化に起因する矛盾であり、周代の金文の文字を調べれば霧散するものである。それ以外のケースは、矛盾は後世の音韻論を反映したテキストの改変に起因すると考えるのが妥当であろう。
本論文の[§2](#2-『詩経』以降の音変化とその結果)では、『詩経』以降のいくつかの音変化について論じ、それらが『詩経』の文字や本文にどのような影響を与えた可能性があるかを示す。これらの音変化の中には、古くから認識されているものもあれば、Bodman/Baxterによる上古漢語再構体系で想定されているものもある(ただし、そのうちのいくつかは元々他の研究者によって提案されたものである)[^5]。例そのものを紹介する前に、この体系の主要な5つの仮説を要約する。私はこれらの仮説を、(1)円唇母音仮説、(2)前舌母音仮説、(3)末尾 \*-s 仮説、(4)\*r-仮説、(5)\*rj-仮説、と呼ぶことにする。
### 1.1. 円唇母音仮説
円唇母音仮説はJaxontov(1960a)によるもので、上古漢語には、頭子音として唇化軟口蓋音・喉音 \*Kʷ- が存在したが、音節の頭子音と主母音の間で自由に生じる介音 \*-w- は無かったとする仮説である。この仮説は、中古漢語における *-w-* の分布が限定的であることから示唆される。中古漢語の *-w-* は *twan* (*tuân*) [^6]のような音節に現れるが、その分布には大きなギャップがあり、例えば \**twen* (\**tiwen*) という音節は存在しない。円唇母音仮説では、中古漢語の *-w-* は、\*Kʷ- のような唇音性の頭子音に由来するものでなければ、それ以前の円唇母音の二重母音化から生じたと仮定され、これは我々の体系では \*o > \*wa および \*u > \*wɨ となる。例えば、端 *duān* < *twan* (*tuân¹*) 「先端、終わり」のような単語は、\*ton と再構されなければならない。Karlgrenによる介音 \*-w- を伴う \*twân や、李方桂による複合母音 \*ua を伴う \*tuan のような再構をする必要はなくなる。もしこの仮説が正しければ、上古漢語の伝統的な韻部のいくつかは分割されなければならない。例えば、
- 單 *dān* < *tan* (*tân¹*) < \*tan 「一つの」
と
- 端 *duān* < *twan* (*tuân¹*) < \*ton 「先端、終わり」
は従来、共に一つの「元部」に分類されていたが、現在では異なる主母音を伴って再構されるため、それぞれ異なる韻部に分類する必要がある。私はそれぞれの韻部を単に \*-AN と \*-ON と呼ぶことにする[^7]。この仮説を検証するためには、それによって予測される韻の区別が、実際に『詩経』の中で定常的に行われていることを示す必要がある。
### 1.2. 前舌母音仮説
前舌母音仮説は、私が知る限り、Bodman/Baxter体系のオリジナルである[^8]。これは、上古漢語と中古漢語の両方について、Karlgrenがいわゆる純四等韻に再構した「強い母音性の介音 *-i-*」を否定するものである。Karlgrenは、いわゆる三等韻に再構した「弱い子音性の介音 *-i̯-*」とは区別される「強い母音性の介音 *-i-*」を用いて、中古漢語における純四等韻を母音 *-ie-* で再構した。Karlgrenの *-i-* は中古漢語では対立的ではなく(彼の体系では、母音 *-e-* がこの音なしで現れることはない)、また中古漢語における頭子音の分布から、実際には純四等韻には前舌高母音の介音はまったくなく、単一の前舌母音のみ(私の転写体系では *-e-* と書かれる、注6参照)があったことが示唆される[^9]。前舌母音仮説は、これらの四等韻は、かつての介音に先行されない前舌母音の反射であると仮定する。私はまた、他のある種の韻(いわゆる重紐四等韻[^10]を含む)についても同様に、かつての前舌母音を反射していると仮定する。円唇母音仮説と同様、前舌母音仮説でも、従来同じ上古漢語韻部に割り当てられていた単語に対して異なる主母音を再構する必要がある。例えば、
- 干 *gān* < *kan* (*kân¹*) 「盾」
と
- 肩 *jiān* < *ken* (*kien¹*) 「肩」
は、どちらも伝統的には元部に属するが、それぞれ \*kan と \*ken と再構される。私はそれぞれ韻部 \*-AN と \*-EN に割り当てる[^11]。
### 1.3. 末尾 \*-s 仮説
この仮説は長い歴史を持つもので、中古漢語の去声は、かつての音節末 \*-s の反射であり、それが後に失われ、特有の輪郭声調として残ったというものである[^12]。多くの場合、末尾 \*-s は派生接尾辞である。その結果、1つの文字が去声と(異なる意味を持つ)それ以外の声調の2つの読み方をする例が多く見られる。入声の単語(末尾が \*-p, \*-t, \*-k で終わる単語)に末尾 \*-s が付くと、閉鎖音が失われる。例えば、
- 結 *jié* < *ket* (*kiet*) < \*kit 「結ぶ」
- 髻 *jì* < *kejh* (*kiei³*) < \*kits 「髪の結び目、まげ」
この仮説を採用していない再構(Karlgren、董同龢、李方桂など)では一般に、我々が \*-ps, \*-ts, \*-ks を再構するところに、末子音として有声閉鎖音 \*-b, \*-d, \*-g がある[^13]。
後述するように([§2.1](##21--ps-gt--ts))、\*-ps はとても早い時期に \*-ts に変化したようで、それは『詩経』の押韻にも影響を与えた(末尾 \*-s 仮説に基づけば、この変化は \*p が後続する \*-s と同化したものとみなすことができる。それ以外の再構では、末尾 \*-b と \*-d の無条件の統合である)。続いて、おそらく子音クラスターの簡略化が行われ、\*-ts は \*-js に、\*-ks は \*-s に変化した。最後に(方言によってはかなり遅れて行われたかもしれない、Pulleyblank 1973b参照)、末尾 \*-s が失われた。
### 1.4. \*r-仮説
\*r-仮説は、中古漢語の一等韻と二等韻の対立を、二等の単語に介音 \*-l- を再構することで説明しようというJaxontov(1960b)の提案に由来する。以下はこのような対立の例である。
- 一等: 甘 *gān* < *kam* (*kâm¹*) 「甘い」
- 二等: 監 *jiān* < *kaem* (*kam¹*) 「視察する」[^14]
中古漢語では一等と二等の単語は異なる主母音を持つが、上古漢語では一般的に両者が韻を踏んでいた。Jaxontovは、一等の「甘」を \*kâm、二等の「監」を \*klâm と再構し、二等の単語では介音 \*-l- が後続する母音に変化をもたらし、それが \*-l- が失われたときに弁別的になったと提唱した。同時に \*l-クラスターの再構は、中古漢語の來母 *l-* の単語と二等の単語が諧声関係を持つ多くのケースを説明するのに役立つ。例えば、
- 監 *jiān* < *kaem* (*kam¹*) < \*klâm (Jaxontov) 「視察する」
- 藍 *lán* < *lam* (*lâm¹*) 「藍」
Jaxontovの提案は、Karlgrenの再構を大きく前進させるものだった。Karlgrenも來母 *l-* との諧声関係を説明するために \*l-クラスターを再構してはいるが、彼は \*l-クラスターと二等母音との関連には気づかず、一等と二等に異なる母音を再構した。Jaxontovの提案により、上古漢語により単純な母音体系を再構することが可能になり、Karlgrenの提案よりも納得のいく方法で上古漢語の押韻を説明することができる。
Jaxontovの提案はPulleyblankによって採用され(ただし彼はそれ以前に独自に同じ結論に達したと述べている、1962: 110)、Li(1971)によっても修正された形で採用された。後にPulleyblank(1973a)は、Jaxontovの \*l を \*r に置き換えたが、これはJaxontovの \*l がしばしばチベット・ビルマ語の \*r に対応していると思われることに影響されたものである。その仮説では、\*r- はある時点で *l-* に変化したと考えられる。我々の体系でもこの形を採用している[^15]。後続母音に対する介音 \*r の影響を説明するために、私は後続母音が前進・弛緩する「\*R-COLOR」と呼ぶ音変化を仮定した。この変化については、後の[§2.4](#24-r-color)で詳しく説明する。
### 1.5. \*rj-仮説
\*rj-仮説とは、いわゆる重紐三等韻を説明するために、特定の三等の単語に介音 \*r を再構しようという提案のことである。この仮説は、最初にPulleyblank(1962: 111–114)によって \*r-仮説の拡張として、やや異なる形で述べられた[^16]。二等の単語と同様に、多くの重紐三等の単語は中古漢語の來母 *l-* の単語と諧声関係を持っており、\*r の再構は重紐対立と諧声証拠を同時に説明する。これは、例えば次のような対立で示すことができる。
- 弗 *fú* < *pjut* (*pi̯uət*) < \*pjut 「~ない」
に対して、
- 筆 *bǐ* < *pit* (*pi̯ĕt₃*) < \*prjut 「筆」
後者と同じ諧声系列に属する次の単語と比較されたい。
- 律 *lǜ* < *lwit* (*li̯uĕt*) < \*b-rjut 「法律、規則」
筆 *bǐ* < *pit* (*pi̯ĕt₃*) (< \*pr(w)jɨt) < \*prjut のような単語における後続母音の前進は、二等韻に特徴的な母音を生み出したのと同じ \*R-COLOR という変化に起因すると考えることができる[^17]。
## 2. 『詩経』以降の音変化とその結果
本節では、『詩経』がほぼ現在の形になった漢代までに起こった、上古漢語の音韻体系を変化させたいくつかの音変化について簡単に説明し、『詩経』の文字と本文がこれらの変化によってどのような影響を受けたかを例示する。いくつかの例では、複数の音変化を示していることに留意されたい。
### 2.1. \*-ps > \*-ts
前述したように、末尾 \*-s 仮説のもとで仮定される末子音クラスター \*-ps は、かなり早い時期に \*-ts に変化した。実際、これは『詩経』の押韻に影響を与えるほど早かったようである[^18]。この変化によって、例(1)の音は次のように変化した。
- (1) 廢 *fèi* < *pjojh* (*pi̯wɐi³*) < \*pjats < \*pjaps 「放棄する」
この文字は現在の字体では、次の文字を声符としている。
- 發 *fā* < *pjot* (*pi̯wɐt*) < \*pjat 「発する、送出する」[^19]
そのため、廢 *fèi* は一般的に末尾 \*-d (我々の \*-ts に対応)を伴って再構されてきた。例えば、
- Karlgren \*pi̯wăd (GSR 275f)
- 董同龢 \*pi̯wăd (1948: 192)
- 李方桂 \*pjadh (1982: 53)
これらの再構は我々の体系の \*pjats に対応する。
しかし周代の金文では、*fèi* 「放棄する」という単語は ⟨法⟩ の初期の形である ⟨灋⟩ という文字で書かれている。
- 法 *fǎ* < *pjop* (*pi̯wɐp*) < \*pjap 「法律」[^20]
*fèi* 「放棄する」は、例えば『大雅・韓奕』261.1の 無廢朕命 *wú fèi zhèn mìng* 「我が命令を無視してはならない」というフレーズでは、現代の用字法に従っている[^21]。しかし、⟨廢⟩ ではなく ⟨灋⟩ を用いたほぼ同じフレーズ「勿灋朕令」が少なくとも6つの異なる金文に見られる[^22]。このように ⟨灋⟩ が *fèi* の仮借字して使用されていることから、上古漢語では *fèi* に対して \*pjats ではなく \*pjaps を再構すべきであると考えられる。もしKarlgren、董同龢、李方桂の3人が、古典テキストの文字ではなく、金文に見られる漢字に基づいて研究していたら、末子音に \*-d ではなく \*-b を再構しただろう。發 *fā* < \*pjat という文字は、\*-ps > \*-ts (または \*-b > \*-d)という変化の後に初めて 廢 *fèi* に適合する声符となったのである。
このケースでは、\*-ps > \*-ts という変化がすでに押韻に反映されているようなので、廢 という文字が押韻そのものを誤認させることはないだろうが[^23]、この例は、後期の文字がいかに初期の音韻論の理解を妨げるかを示している[^24]。
【まとめ】廢 *fèi* < \*pjaps 「放棄する」の声符として 發 *fā* < \*pjat が使われているのは、音変化 \*-ps > \*-ts を反映したものである。より以前に 廢 *fèi* < \*pjaps の仮借字として 灋 *fǎ* < \*pjap が使われていることのほうが、上古漢語の音韻論をよく表現している。
### 2.2. 鋭音(\*-n, \*-t, \*-ts, \*-j)の前の円唇母音の二重母音化
前述したように、円唇母音仮説では、中古漢語の *-w-* は、唇音性の頭子音に起因するものでない限り、円唇母音の二重母音化に由来すると考えられている。この二重母音化の過程は、末子音に鋭音(Chomsky and Halle 1968の体系では \[+coronal])を持つ音節に影響を与えた。以下では、子音クラスのカバーシンボルとして次のような大文字を用いる。
- T: 鋭音 \[+coronal]
- P: 唇音
- K: 軟口蓋音・喉音
- Kʷ: 唇化軟口蓋音・喉音
二重母音化は、次のように要約することができる。
- \*TuT > \*TwɨT
- \*KuT > \*KwɨT (元々の \*KʷɨT と合流)
- \*PuT > \*PwɨT (元々の \*PɨT と合流)
- \*ToT > \*TwaT
- \*KoT > \*KwaT (元々の \*KʷaT と合流)
- \*PoT > \*PwaT (元々の \*PaT と合流)
中古漢語の *-w-* は唇音の後では対立がないので、\*PwɨT と \*PɨT のような音節は、\*PɨT または \*PwɨT として合流するものと考えなければならない。\*PwaT と \*PaT も同様である。こうした合流や、\*Kut と \*KʷɨT のような同様の音節の合流は、多くの場合、書記体系やテキストに反映されているが、一般に押韻はそれ以前の段階を反映している。例(2)はそれを示している。
- (2) 願 *yuàn* < *ngjwonh* (*ngi̯wɐn³*) < \*ngjons 「願う」
この単語は、円唇母音仮説によれば、押韻を説明するために \*-on で再構される必要がある。この単語は『鄭風・野有蔓草』94.1で 漙 *tuán* < *dwan* (*dhuân¹*) 「豊かな(露)」と韻を踏んでおり、これは我々の体系で \*don としか再構できないものである。朱駿聲(『説文解字詁林』[Ding 1959: 3926]より引用、以下SWGL)は、『易経』において 亂 *luàn* < *lwanh* (*luân³*) 「乱れた」と韻を踏んでいる例を2つ挙げているが、これもまた円唇母音を持つに違いない単語である(私は \*C-rons と再構する)。
しかし ⟨願⟩ の声符である 原 *yuán* は、一貫して \*-an と韻を踏んでおり、次のように再構される。
- 原 *yuán* < *ngjwon* (*ngi̯wɐn¹*) < \*ngʷjan 「泉、源」
原 *yuán* は『小雅・常棣』164.3、『小雅・六月』177.5、『大雅・公劉』250.2, 5、そしておそらく『陳風・東門之枌』137.2で \*-an の単語と韻を踏んでいるため、\*-an と再構される必要がある。このほか、『大雅・皇矣』241.6と『大雅・公劉』250.3では次の単語と韻を踏んでいる。
- 泉 *quán* < *dzjwen* (*dzhi̯wän¹*) < *sgʷjan? 「泉、源」
我々は通常、中古漢語の *dzjwen* (*dzhiwän¹*) はOC \*dzjon の反射と解釈するが、Jaxontovが指摘したように、泉 *quán* は一貫して \*-an として韻を踏んでいる(1960a: 106)[^25]。おそらくこの場合の *-w-* は、\*gʷ- のような唇音性の頭子音を含むクラスターに由来するのだろう(もしそうなら、原 *yuán* と 泉 *quán* はおそらく語源的に関連している)。
このように、押韻の証拠から、願 *yuàn* は \*ngjons と再構されるべきであり、原 *yuán* は \*ngʷjan と再構されるべきである。だが、\*ngjons を表記するのに \*ngʷjan を声符として用いることは、上古漢語の音韻論にはそぐわない。しかしながら、⟨願⟩ という文字が後世のものであるという証拠がある。この文字もその異体字である ⟨愿⟩ も、甲骨文や金文には見られないのである。一方、紀元前310年の中山王方壺の長い銘文では、願 *yuàn* は ⟨𫹵⟩ と表記されている(Luo 1979参照)。この文字は「心」を意符とし、「元」を声符に持つ。
- 元 *yuán* < *ngjwon* (*ngi̯wɐn¹*) < \*ngjon 「頭、偉大な」
この単語自体は『詩経』で韻を踏んでいないが、明らかに \*-on が再構される。これは、\*-an ではなく \*-on として韻を踏むいくつかの単語と諧声関係を持つ。
- 冠 *guān* < *kwan* (*kuân¹*) < \*kon 「冠」
(『檜風・素冠』147.1で、いずれも \*-onで再構しなければならない 欒 *luán* < *lwan* (*luân¹*) 「やせた」, 慱 *tuán* < *dwan* (*dhuân¹*) 「悲しむ」と韻を踏んでいる)
- 完 *wán* < *hwan* (*ɣuân¹*) < \*gon 「完成する」
(『大雅・韓奕』261.6で 蠻 *mán* < *maen* (*mwan¹*) < \*mron 「南蛮人」と韻を踏んているが、これは 䜌 *luán* < *lwan* (*luân¹*) < \*b-ron を声符としていることから \*-on が再構される)
Jaxontov(1960a: 110)が提案したように、『説文』にはそう書かれていないが、完 *wán* は次の文字の声符となっている可能性がある[^26]。
- 寇 *kòu* < *khuwh* (*khə̯u³*) < \*khos 「強奪する、強盗」
この文字に 完 *wán* が含まれることは、金文でよく証明されている。
【まとめ】願 *yuàn* < \*ngjons 「願う」の声符として 原 *yuán* < \*ngʷjan 「泉、源」が使われているのは、『詩経』以降の二重母音化 \*-on > \*-wan を反映したものである。より以前の 元 *yuán* < \*ngjon 「頭、偉大な」を声符とする文字 ⟨𫹵⟩ のほうが、上古漢語の音韻論をよく表現している[^27]。
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:bulb: **補足**
Xie(2016)によれば ⟨願⟩ は ⟨𩕾⟩ (注27参照)の訛変であり、したがってこの文字の声符は「原」ではなく「𡙷」である。
⟨寇⟩ が「完」を声符としているという提案は疑わしい。
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### 2.3. \*hm- > *x-*
曉母 *x-* (*χ-*) の単語が明母 *m-* の単語と諧声関係を持つ例がいくつかある。Karlgrenはこれらの単語のいくつかをクラスター \*χm- で再構した。現在では、\*hm-, \*hn-, \*hng- といった無声鼻音系列(Li 1971)、または(おそらくさらに以前の段階を表す) \*s- +鼻音のクラスター(Jaxontov 1960b)を再構するのが一般的である。ここでは無声鼻音の再構を採用する。\*hm- は中古漢語以前のある時点で元々の \*x- と合流し、中古漢語の曉母 *x-* となった。Coblinによれば、この変化はおそらく許慎の言語で既に起こっていたが、高誘は \*hm- の単語の声訓として \*m- の単語を使うことがあるという(Coblin 1978: 43; 1983: 66参照)。この変化は例(3)に反映されている(前項で述べた二重母音化を伴う)。
- (3) 聞 *wén* < *mjun* (*mi̯uən¹*) < \*mjun 「聞く」 \
問 *wèn* < *mjunh* (*mi̯uən³*) < \*mjuns 「尋ねる」
最初の文字には去声の読みもあり、ここで接尾辞 \*-s は名詞化の機能を持つようである。
- 聞 *wèn* < *mjunh* (*mi̯uən³*) < \*mjuns 「名声」
『説文』によれば、これらの文字はいずれも次の文字を声符とする。
- 門 *mén* < *mwon* (*muən¹*) < \*mɨn 「扉」
しかし円唇母音仮説によれば、聞 *wén* も 問 *wèn* も \*-un で再構されなければならないが、門 *mén* は \*-ɨn で再構されなければならず、両字の声符として適合しないはずである。実際には、聞 *wén* と 問 *wèn* の現代の文字は、おそらくかなり後期のもので、DIPHTHONGIZATION (二重母音化)や \*HM- > *X-* などの『詩経』以降の音変化を反映している。
聞 *wén* と 問 *wèn* は、『詩経』における押韻を説明するためにも、\*-un で再構されなければならない。円唇母音仮説によれば、中古漢語で頭子音に鋭音を持ち *-w-* を伴う単語は、通常、円唇母音で再構されなければならない[^28]。聞 *wén* 「聞く」は『王風・葛藟』71.3と『大雅・雲漢』258.5でそのような単語と韻を踏んでおり、問 *wèn* 「尋ねる」は『鄭風・女曰雞鳴』82.3でそのような単語と韻を踏んでいる[^29]。『大雅・緜』237.8の押韻(「名声」の仮借として ⟨問⟩ が用いられる)も \*-un で再構できるかもしれない。一方、中古漢語で頭子音に軟口蓋音・喉音を持ち *-w-* を伴わない単語は、非円唇母音で再構されなければならない。門 *mén* は『邶風・北門』40.1、『鄭風・出其東門』93.1、『小雅・何人斯』199.1でそのような単語と韻を踏んでいる[^30]。
甲骨文や金文では、聞 *wén* は 門 *mén* を声符として書かれることはない。甲骨文の形は、片手を頭の横に上げ、大きな「耳」を持つひざまずいた人物を描いているように見える。
-  ~ 
金文の形の多くは、この形を元にして単純化あるいは訛変させたもののようである。同じ文字(「女」が付くこともある)が 婚 *hūn* < *xwon* < \*hmun 「結婚する」にも使われる。「聞く」は後に、「耳」を意符とし、昏 *hūn* < *xwon* < \*hmun 「夕暮れ」を声符とする ⟨䎽⟩ で書かれる例も見られる。この形は『説文』では ⟨聞⟩ の古文とされている[^31]。これらの字体は、聞 *wén* < \*mjun を 昏 *hūn* < \*hmun の諧声系列に結びつけるが、門 *mén* < \*mɨn とは結びつかない。
問 *wèn* の金文の形は 聞 *wén* の金文の形と似ており、前者は、後者はである ==:bulb: 前者は 問 *wèn* を表記しているが、文字としては後者の略体に過ぎない==。「門」と「口」からなる文字も甲骨文と金文の両方で記録されているが、私の知る限り、それらが「尋ねる」の単語を表していると信じる根拠はない。この文字が甲骨文に見られる例を私は2つ知っている。ひとつは2文字しかない断片 ==:bulb: 『甲骨文合集』(Guo 1978–82) #16419== に見られるもので、李孝定(Li 1965: 363)はこの文字の意味は不明であると述べている[^32]。明義士(Menzies 1917 #813)が挙げたもう一つの甲骨文の例 ==:bulb: 『甲骨文合集』 #21490== も非常に断片的で、意味も不明である[^33]。徐中舒は銅鐸からこの文字を引用しているが(1980: 42)、そこでは人名である[^34]。最後に、高明(Gao 1980: 409)は戦国時代の印章から2つの形を引用している ==:bulb: いずれも人名== 。これらのケースで「尋ねる」という意味が正当化されるかどうかははまだわからない。
元の \*-un が \*-wɨn に二重母音化したことによって、門 *mén* は 聞 *wén* と 問 *wèn* に適合する声符となった。その結果、唇音の後で \*w はおそらく非対立的なものとなり、\*-un と \*-ɨn はこの環境で単純に統合された。それとほぼ同時に、\*hm- が *x-* に変化したことで、昏 *hūn* < *xwon* < \*hmun は *m-* で始まる単語の声符として適切でなくなったと考えられる。
【まとめ】聞 *wén* < \*mjun 「聞く」, 問 *wèn* < \*mjuns 「尋ねる」の声符として 門 *mén* < \*min 「扉」が使われているのは、『詩経』以降の二重母音化 \*-un > \*-wɨn によって生じた、唇音の後の \*-ɨn と \*-un の合流を反映したものである。聞 *wén*, 問 *wèn* を 婚 *hun* < \*hmun 「結婚」や 昏 *hun* < \*hmun 「夕暮れ」と結びつける、より以前の字体のほうが、上古漢語の音韻論をよく表現しているが、\*HM- > *X-* という変化の後では、あまり適切ではないと感じられたのかもしれない。
### 2.4. \*r-color
私が \*R-COLOR と呼ぶ変化については、\*r-仮説と \*rj-仮説に関連して前述した。この変化は、主母音を前進・弛緩(Chomsky and Halle 1968の特徴でいえば、\[-back] と \[-tense])させる変化として定式化することができる。
$$
V \to [-\mathrm{back}], [-\mathrm{tense}]\ /\ r(j)\_\_
$$
前舌性という特徴は、二等韻が一等韻よりも前方の母音を持つという事実を説明する。また、重紐三等の単語では、唇音が軽唇音化しないことも説明できる(前述[§1.5](#15-rj-仮説)で引用した例を参照)。弛緩性、あるいはその他の付加的な特徴は、(とりわけ)元々の \*-re- が、介音 \*r が失われた後に \*-e- と合併しなかったという事実を説明するために必要である。次の単語はこの対立を示している。
- 耕 *gēng* < *keang* (*kɛng¹*) < \*kreng 「耕す」
- 經 *jīng* < *keng* (*kieng¹*) < \*keng 「縦糸、道義」
弛緩性もまた、中古漢語の重紐音節の対立を特徴づける候補の一つである可能性がある。弛緩性は、おそらく介音 \*r が失われるまでは弁別的でなかった[^35]。
\*R-COLOR の効果は、早くも漢代に見られる。Luo and Zhou (1958: 13–14)によると、魚部のうち二等、すなわち中古漢語で麻2韻 *-ae* (*-a*) となる単語は、後漢代までには歌部に移行していた。これは私の体系では、もともとの \*-ra がもはや \*-a とは韻を踏まず、代わりに \*-aj や \*-raj と韻を踏むようになったことを意味する。これを説明する一つの方法は、この時期までに \*-aj は単母音化して \[æ] となり、\*R-COLOR によって \*-ra は \[ræ] に変化し、元の \*-raj と合流したと仮定することである。漢代の \[æ] < \*-aj は中古漢語の歌1韻 *-a* (*-â*) に発展し、\[ræ] は麻2韻 *-ae* (*-a*) に発展した。\*-ra と \*-raj の混同は、おそらく漢代かその少し前からのもので、『大雅・假樂』249.1に含まれる例(4)に見られる。
- (4) 假樂君子 *jiǎ lè jūn zǐ* 「大いに楽しむ君子」
『中庸』は、⟨假⟩ の代わりに ⟨嘉⟩ を用いる形でこの一節を引用している。假 *jiǎ* は上古漢語の魚部に由来する。
- 假 *jiǎ* < *kaex* (*ka²*) < \*kraʔ 「偉大な」
一方、嘉 *jiā* は上古漢語の歌部に由来する。
- 嘉 *jiā* < *kae* (*ka¹*) < \*kraj 「良い、素晴らしい」
ここで 假 *jiǎ* と 嘉 *jiā* のどちらで読むべきかは難しいが、いずれにせよ、『毛詩』の版と『中庸』の版のどちらかは、部分的に \*R-COLOR に由来する、漢代の \*-ra と \*-raj の合併の影響を受けている。
以下の例では、\*R-COLOR と DIPTHONGIZATION の両方が機能していることがわかる。
- (5) 緡 *mín* < *min* (*mi̯ĕn₃¹*) < \*mrjun 「紐、よじった糸」
まず、私の再構 \*mrjun について説明しよう。この単語は『詩経』で2箇所に出てくる。
1つ目は、『召南・何彼襛矣』24.3である。
- 維絲伊緡 *wéi sī yī mín* 「絹の糸」
ここでは次の単語と韻を踏んでいる。
- 孫 *sūn* < *swon* (*suən¹*) < \*sun 「孫」
この単語は円唇母音仮説に従って \*-u- で再構されなければならない。
2つ目は、『大雅・抑』256.9である。
- 言緡之絲 *yán mín zhī sī* 「絹の糸」
この単語が重紐三等韻である 真B韻 *-in* (*-i̯ĕn₃*) を持つことを説明するために、\*rj-仮説にしたがって介音 \*-rj- が再構される(通常の \*mjun はMC *mjun* > *wén* を与える)。なお、『爾雅』と『詩経』毛伝は、この単語を次の単語で説明している。
- 綸 *lún* < lwin (*li̯uĕn¹*) < \*C-rjun 「紐をよじる」、
これもおそらく同じ語根に由来すると思われる。実際、この単語は『小雅・采緑』226.3に出てくる。
- 言綸之繩 *yán lún zhī shéng* 「彼のために糸をよじった」
これは、先ほど引用した『大雅・抑』256.9の一節と驚くほどよく似ている。違いは、緡 *mín* < \*mrjun の代わりに 綸 *lún* < \*C-rjun が使われていることである(綸 *lún* も円唇母音仮説によれば \*-u- で再構されなければならない)[^36]。
この文字は、現代的な形では、次の文字を含んでいる。
- 民 *mín* < *mjin* (*mi̯ĕn₄¹*) < \*mjin 「人々」
カールグレンはこれを声符とみなしている(GSR 457a)。しかし、民 *mín* 「人々」は真部に属するが[^37]、緡 *mín* 「紐」は、『詩経』の唯一の押韻箇所で、伝統的には文部に属する 孫 *sūn* < \*sun と韻を踏んでいる[^38]。したがって、この単語の押韻における振る舞いは、現代の字体と矛盾する。実際には、『説文』によれば、声符は次の文字である。
- 昏 *hūn* < *xwon* (*χuən¹*) < \*hmun 「夕暮れ」
このケースでは『説文』が正しいと思われる。民 *mín* の系列と 昏 *hūn* の系列の混同は、民 *mín* が 昏 *hūn* の上部の要素に似ていることによる字形上の混同という問題もある。しかしこれは、『詩経』以後のいくつかの音変化を反映しているのかもしれない。
- \*HM- > X- によって、緡 *mín* の声符として 昏 *hūn* はあまり適当でないと考えられるようになった。
- DIPHTHONGIZATION は、\*mrjun > \*mrj(w)ɨn > \*mrjɨn という変化をもたらした。
- \*R-COLOR によって後続母音が前進し、最終的に \*mrjun は中古漢語 *min* になった。
漢代末期には、このような変化の結果、\*mrjun はすでに \*mrin になっていたと思われる。そのため、昏 *hūn* よりも 民 *mín* < \*mjin の方が声符として適切であると考えられた。
【まとめ】緡 *mín* < \*mrjun 「紐」の声符として 民 *mín* < \*mjin 「人々」が使われているのは、『詩経』以降のいくつかの音変化(上記参照)を反映したものである。『説文』の 昏 *hun* < \*hmun 「夕暮れ」を声符とする形のほうが、上古漢語の音韻論をよく表現している。
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\*R-COLOR と DIPHTHONGIZATION は、次の例(6)でも見ることができる。
- (6) 卷/婘/鬈 *quán* < *gjwen* (*ghi̯wän₃¹*) < \*gʷrjen 「ハンサム」
通常、この文字は次の単語を書くのに使われる。
- *juǎn* < *kjwenx* (*ki̯wän₃²*) < \*krjonʔ 「巻く」
中古漢語の読み *kjwenx* (*ki̯wän₃²*) は \*krjonʔ, \*kʷrjanʔ, \*kʷrjenʔ のいずれかの反射の可能性があるが、この単語は「巻く」という意味で『邶風・柏舟』26.3で \*-on と韻を踏んでいるので、\*krjonʔ という再構が望ましい[^39]。しかしこの文字に「女」や「髟」をつけた文字もあり、そこで毛氏は「好貌」と注釈をつけている。その場合、\*-en と韻を踏んでいる。
例えば、『陳風・澤陂』145.2には次のような一節がある。
- 碩大且卷 *shuò dà qiě quán* 「とても大きく美しい」
ここで 卷 *quán* は次の単語と韻を踏んでいる。
- 悁 *yuān* < *ʼjiwen* (*ꞏi̯wän₄¹*) < \*ʔʷjen 「悲しむ」
これは前舌母音仮説に従って \*-en で再構されなければならない[^40]。『経典釈文』では、この行で異体字として ⟨婘⟩ を挙げている。『齊風・盧令』103.2では、この字に「髟」が加えられている。
- 其人美且鬈 *qí rén měi qiě quán* 「彼は美しくハンサムだ」
ここで 鬈 *quán* は次の単語と韻を踏んでいる。
- 環 *huán* < *hwaen* (*ɣwan¹*) < \*gʷren 「輪」
これも、その他の声符「睘」を持つ単語と共に \*-en で再構される[^41]。
最後に、『齊風・還』97.1には次の一節がある。
- 揖我謂我儇兮 *yī wǒ wèi wǒ xuān xī*
これをKarlgrenは「あなたは私に頭を下げ、私は賢いと言った」と翻訳している。毛氏はこの 儇 *xuān* に ==利 *lì*== 「鋭い、敏い、賢い」と注釈をつけている。しかし『経典釈文』によれば、『韓詩』では 婘 *quán* < *gjwen* (*ghi̯wän₃¹*) であったらしく、また「好貌」と注釈をつけている。毛氏の 儇 *xuān* については、『経典釈文』は次のように発音している。
- *xuān* < *xjwien* (*χi̯wän₄¹*)
これは重紐四等韻であるため、\*-en で再構されなければならない。またこのケースでは、この節の他の韻を踏む単語も \*-en で再構されなければならない[^42]。
⟨卷, 婘, 鬈⟩ で表記される「ハンサム」は元々 \*gʷrjen であり、卷 *juǎn* < \*krjonʔ 「巻く」を仮借または表音文字として表記するようになったのは、『詩経』以降の DIPHTHONGIZATION (\*-on を \*-wan に変化させる)と \*R-COLOR (\*-r- の後の母音を前進させる)を含むある種の音変化の後であると推測される。これらの変化によって、\*Krjon と \*Kʷrjen という形の音節が統合され、卷 \*krjonʔ 「巻く」が \*gʷrjen 「ハンサム」の声符として適合するようになった。\*gʷrjen 「ハンサム」がかつてどのような文字で書かれていたかはわからないが、『齊風・還』97.1の『毛詩』版に見られる ⟨儇⟩ か、それに似たものであったかもしれない。言い換えれば、『毛詩』版は『齊風・盧令』103.2および『陳風・澤陂』145.2において、『韓詩』版の『齊風・還』97.1に見られるような置換を行った可能性がある。
【まとめ】\*gʷrjen 「ハンサム」の仮借字または声符として 卷 \*krjonʔ 「巻く」が使われているのは、『詩経』以降の音変化である DIPHTHONGIZATION と \*R-COLOR の影響によって \*Krjon と \*Kʷrjen のような音節が統合された結果である。『毛詩』版の『齊風・還』97.1に見られる 儇 *xuān* < \*hwjen 「賢い」のような「睘」を声符に持つ文字のほうが、上古漢語の音韻論をよく表現している。
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次の例でも、\*R-COLOR によって、本来は異なる2つの単語が『詩経』において同じように表記されている。
(7)蕑 *jiān* という文字は『鄭風・溱洧』95.1と『陳風・澤陂』145.2に見られる。どちらの詩でも韻を踏んでいるが、片方は \*-an として、もう片方は \*-en として韻を踏んでいる。前者の『鄭風・溱洧』95.1を考えてみよう(韻を踏む単語を大文字で示す)。
- 溱與洧 *Zhēn yǔ Wěi* 「溱水と洧水(の流れ)は」 \
方渙渙兮 *fāng huàn HUÀN xī* 「今まさに豊かに流れている」 \
士與女 *shì yǔ nǚ* 「男達と女達は」 \
方秉蕑兮 *fāng bǐng JIĀN xī* 「まさに蕑の草を手に持っている」
『経典釈文』では、この箇所の 蕑 *jiān* の反切として「古顔反」すなわち *kux* + *ngaen* (*kuo²* + *ngan¹*) = *kaen* (*kan¹*) を割り当てており、これは上古漢語の \*kran の反射であろう[^43]。*jiān* の意味について、毛伝は次のように説明している。
- 蘭 *lán* < *lan* (*lân¹*) < \*g-ran 「蘭」
これは確実に 蕑 *jiān* < \*kran に対する声訓である。おそらく、蕑 *jiān* と 蘭 *lán* は同じ単語の異綴であり、発音だけでなく文字の見た目も似ていることからすると、蕑 *jiān* は 蘭 *lán* の字形上の誤りの可能性さえある[^44]。
では、『陳風・澤陂』145.2に目を向けてみよう。
- 彼澤之陂 *bǐ zé zhī bēi* 「その湿地の岸辺には」 \
有蒲與蕑 *yǒu pú yǔ JIĀN* 「ガマやハスの根がある」 \
有美一人 *yǒu měi yī rén* 「ある美しい人がいる」 \
碩大且卷 *shuò dà qiě QUÁN* 「大柄でハンサムだ」 \
寤寐無爲 *wù mèi wú wéi* 「寝ても覚めてもどうすることもできず」 \
中心悁悁 *zhōng xīn yuān YUĀN* 「心の底から悲しんでいる」
毛伝では、この 蕑 *jiān* は前述の『鄭風・溱洧』95.1と同様に 蘭 *lán* 「蘭」と解釈されているが、鄭玄は「蕑當作蓮」(蕑 は 蓮 *lián* 「ハスの根」であるべき)と述べている。これは『魯詩』の読み方だと言われている。ほとんどの注釈者は、他の節との並列性から鄭玄に同意している。『詩経』の他の2つの節の対応する行は、いずれも蓮の植物の一部について述べている(第1節の 荷 *hé* 「ハスの葉」、第3節の 菡落 *hàndàn* 「ハスの花」)[^45]。
前舌母音仮説によって、この 蓮 *lián* 「ハスの根」の読みに対する音韻学的裏付けを得ることができる。前舌母音仮説によれば、四等の単語である 蓮 *lián* < *len* (*lien¹*) は \*-en で再構されなければならない(後述[§2.6](#26-ACUTE-FRONTING(鋭音による前進))の例(10)を参照)。これは、同様に \*-en で再構される他の2つの節の押韻とよく一致する[^46]。また、蕑 という文字は次の文字を声符に持つようである。
- 閒 *jiān* < *kean* (*kăn¹*) < \*kren 「間、うち」
この文字は、\*r-仮説のもとでは、\*g-ren 「ハスの根」とうまく適合する。
なぜ *lán* < \*g-ran 「蘭」と *lián* < \*g-ren 「ハスの根」が同じ ⟨蕑⟩ という文字で表記されるようになったのだろうか。もしかしたら、元々は ⟨蕑⟩ を ⟨蘭⟩ に置き換えたのは字形上の混乱だったのかもしれない。しかし、\*R-COLOR の影響もあったかもしれない。漢代の一部の方言では、\*R-COLOR によって \*-ran と \*-ren が完全に統合された可能性がある。これらは最終的に中古漢語で統合された(*-aen* < \*-ran と *-ean* < \*-ren は、中古漢語の資料においてしばしば混同され、後期中古漢語では統合される)。また環境によっては \*-jan が \*-jen に統合されたために(後述§2.6参照)、『詩経』の押韻が乱れてしまい、上古漢語では『鄭風・溱洧』95.1と『陳風・澤陂』145.2とで同じ単語が韻を踏むことができないということに漢代の読者が気づかなかった可能性もある。
【まとめ】⟨蕑⟩ という文字はおそらく、『鄭風・溱洧』95では \*g-ren 「蘭」を、『陳風・澤陂』145では \*g-ren 「蓮の実」を表しているのだろう。これは押韻(および『陳風・澤陂』145.2では文脈)から暗示される。2つの単語が混同されるのは、部分的には文字上の問題だが、\*R-COLOR などの『詩経』以降の音変化も影響したかもしれない。
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例(8)もまた、『毛詩』のテキストに影響を与えたと思われる、『詩経』以後の音変化が見られるケースである。
『毛詩』における『齊風・猗嗟』106.3には次のようにある。
- (8) 猗嗟孌兮 *yī jiē LUÁN xī* 「ああ、なんと美しい」 \
清揚婉兮 *qīng yáng WǍN xī* 「澄み切った顔立ち」 \
舞則選兮 *wǔ zé XUǍN xī* 「彼は舞えば数え上げ、」 \
射則貫兮 *shè zé GUÀN xī* 「撃てば(的を)貫く」 \
四矢反兮 *sì shǐ FǍN xī* 「彼の4本の矢は規則正しく連続している」 \
以禦亂兮 *yǐ yù LUÀN xī* 「規則違反を防ぐため」
Karlgrenは、『韓詩』では最後から2番目の行の 變 *biàn* 「変わる」を 反 *fǎn* 「戻る」としていることを注記している。毛氏や鄭玄に従えば、「四本の矢は(戻る=)同じ場所に(次々と)来る」という解釈になり、『韓詩』に従えば、「四本の矢は(変わる=)互いに連続する」という解釈になる。Karlgrenの結論は、「どちらの版が『詩経』の原文を最もよく表しているかは議論の余地がある」(Gloss 268参照)。
しかし円唇母音仮説によって、音韻学的根拠から、『毛詩』の 反 *fǎn* より『韓詩』の 變 *biàn* を選ぶことができる。前者だけがうまく韻を踏んでいる。この節の他の韻を踏んでいる単語はすべて \*-on で再構される[^47]。變 *biàn* も \*-on で再構される。
- 變 *biàn* < *pjenh* (*pi̯än₃³*) < \*prjons 「変わる」
\*-on による再構は、円唇母音仮説によれば \*-on で再構されなければならない声符を有することに基づく。
- 䜌 *luán* < *lwan* (*luân¹*) < \*b-ron 「馬具の鈴」[^48]
形声文字の ⟨變⟩ は金文には見られないが、私の知る限り、戦国時代、紀元前4世紀末の碑文である詛楚文に見られる(Xu 1980: 123; Gao 1980: 82参照)。私は、變 *biàn* < \*prjons 「変わる」は、次の単語と同源ではないかと推測している。
- 亂 *luàn* < *lwanh* (*luân³*) < \*C-rons 「乱れる」
一方、反 *fǎn* という単語は、他の場所では \*-an として韻を踏んでおり[^49]、したがって次のように再構される。
- 反 *fǎn* < *pjonx* (*pi̯wɐn²*) < \*pjanʔ 「返す、戻る」
【まとめ】円唇母音仮説は、『韓詩』の解釈の方が上古漢語の音韻論を代表していることを示す。『毛詩』のテキストにおける 變 *biàn* < \*prjons 「変わる」と 反 *fǎn* < \*pjanʔ 「戻る」の混同はおそらく、反 \*pjanʔ を元々の \*-on と韻を踏ませるようにする変化 DIPHTHONGIZATION と、變 \*prjons > \*pr(w)jans > \*prjens の母音を前進させ、韻を踏まないようにさせる変化 \*R-COLOR を反映している。
:::warning
:bulb: **補足**
この提案については、その後、上海博物館所蔵の戦国時代の竹簡『孔子詩論』によって、さらなる確証が得られている(Baxter & Sagart 2014: 209)。この文書では第22簡で『齊風・猗嗟』106.3の5行目が引用されているが、そこでは「変わる」に相当する単語が次のように書かれている(Ma 2001: 151–152)。
- 
これは 弁 *biàn* < *bjenh* (*bhi̯än₃³*) 「帽子」という単語を表す文字で、第8簡では『小雅・小弁』197の題名を書くのに使われている(Ma 2001: 135–137)。この文字は戦国時代の文献では 變 *biàn* 「変わる」 の仮借字としてよく使われる。Zeng & Chen(2018: 4321–4332)参照。弁 *biàn* 「帽子」という単語自身は『齊風・甫田』102.3で \*-on として韻を踏んでいる。
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### 2.5. \*Pja > \*Pjo
中古漢語の *Pju* という形の音節(すなわち唇音+虞韻の単語)には、上古漢語の起源として2つの可能性がある。1つは \*Pja と再構できる魚部で、もう1つは \*Pjo と再構できる侯部である。次の例はこの対立を示している(Karlgrenはそれぞれ \*pi̯o, \*pi̯u と再構した。李方桂の体系では \*pjagx, \*pjugx となる)。
- 釜 *fǔ* < *pjux* (*pi̯u²*) < \*pjaʔ 「斧」
- 俯 *fǔ* < *pjux* (*pi̯u²*) < \*pjoʔ 「俯く」
このような音節の統合は、正確な年代を特定するのは難しいが、おそらく漢代には始まっていたのだろう。Luo and Zhouは、魚部と侯部は前漢代までには単純に統合されたと主張している(1958: 49)。邵榮芬(Shao 1983)はこの見解を疑問視しているが、彼の資料からも、漢代には \*-ja と \*-jo の間で多くの押韻が行われていたことは明らかである。『切韻』の体系では、\*-ja と \*-jo はそれぞれ魚韻 *-jo* (*-i̯wo*) と虞韻 *-ju* (*-i̯u*) として一般的に分離されているが、2つの韻は唇音または円唇化した頭子音の後では虞韻 *-ju* (*-i̯u*) として統合される。実際、ほとんどの方言で \*-ja と \*-jo は完全に合流しており、羅常培によれば、魚韻 *-jo* (*-i̯wo*) と虞韻 *-ju* (*-i̯u*) の区別が維持されていたのはごく一部の地域だけであった(Luo 1931)。例(9)は、\*Pja と \*Pjo の合流が『詩経』の本文にどのような影響を与えたかを示している。
古典テキストでは、例(9)の2つの文字が同じ意味で使われることがある。
- (9) 毋 *wú* < *mju* (*mi̯u¹*) < \*mjo 「~してはならない」
無 *wú* < *mju* (*mi̯u¹*) < \*mja 「~ない」
例えば、『召南・野有死麕』23.3を考えてみよう。
- 無感我帨兮 *wú gǎn wǒ shuì xī* 「私の前掛けを動かしてはならない」 \
無使尨也吠 *wú shǐ máng yě fèi* 「犬を吠えさせてはならない」
この用法は、漢代に音節 \*mja と \*mjo が合流したことを反映している。まず、これらの再構を正当化しよう。
前述したように、中古漢語の音節 *mju* は \*mja または \*mjo の反射の可能性がある。すなわち、魚部(\*mja)か侯部(\*mjo)のどちらかに由来する。私は以下の理由から、毋 *wú* を \*mjo と再構した。
1. 同じ諧声系列上の 侮 *wǔ* < *mjux* (*mi̯u²*) < \*mjoʔ 「侮辱する」は、その『詩経』における押韻を説明するために \*-jo で再構されなければならない[^50]。
2. 金文では、毋 *wú* は 母 *mǔ* < *muwx* (*mə̯u²*) < \*moʔ 「母」と同じように書かれる。
以前の論文(Baxter 1980: 24–25)で私は、母 *mǔ* 「母」を \*moʔ と再構した。\*-o は規則的に模韻 *-uw* (*-ə̯u*) となるため、この再構は中古漢語の *muwx* (*mə̯u²*) という読みを容易に説明する。また、毋 *wú* < \*mjo 「~してはならない」と 母 *mǔ* < \*moʔ 「母」が金文で同じ文字として書かれた理由も説明できる。
複雑なのは、母 *mǔ* は紛れもなく \*-ɨ (之部)として韻を踏んでおり、\*-o として韻を踏むことはないということである[^51]。之部には次のような単語もあり、再構の難しさを生み出している。
- 每 *měi* < *mwojx* (*muậi²*) < \*mɨʔ 「全て」
これは 母 *mǔ* < *muwx* (*mə̯u²*) と対照的である。この対立はどのように説明したら良いのだろうか。Karlgrenは 母 *mŭ* < \*məg と 每 *měi* < \*mwəg を再構したが(GSR 947a, i)、これはこのケース以外では不要な、唇音の後の \*-w- の対立を仮定している[^52]。董同龢は長さの対立に着目し、母 *mǔ* < \*mwə̣̂g ⇔ 每 *měi* < \*mwə̂g を再構している(Dong 1948: 126)。李方桂(Li 1982: 37–38)はこの問題を未解決のままにしている。
この問題は、母 *mǔ* < \*moʔ を再構した上で、『詩経』の押韻は、\*Po という形の唇音始まりの音節が \*Pɨ に異化した方言を反映していると仮定することで解決できる。この再構は、侯部の体系的な空白を埋めるものであり、このように仮定しなければ \*Po という形の唇音始まりの音節は存在しなくなる[^53]。この方言は諧声関係にも反映されているようで、同じ諧声系列に \*P(j)ɨ と \*P(j)o が混在することがある。しかし、\*Po は *Puw* (*Pə̯u*) への発展が予想されるため、中古漢語はこの方言から直接派生したわけではない。
もし 毋 *wú* 「~してはならない」が \*mjo と再構されるべきなら、無 *wú* が \*mja と再構されるべきことも同様に明らかである。後者は『詩経』では韻を踏んでいないが、甲骨文や金文では次の単語と同じ文字で書かれている。
- 舞 *wǔ* < *mjux* (*mi̯u²*) 「踊る」
これは『詩経』において一貫して \*-a として韻を踏んでいる[^54]。無 *wú* < \*mja 「~ない」も「~してはならない」の意味で使われるため、毋 *wú* 「~してはならない」は一般に魚部に由来するものとして再構されてきた。Karlgrenはこれを \*miwo と再構し、董同龢は \*mi̯wag と再構した[^55]。これは私の体系では \*mja に相当する。しかし、毋 *wú* < \*mjo 「~してはならない」と 無 *wú* < \*mja 「~ない」の混同は、おそらく音変化 \*PJA > \*PJO を反映したものとと思われる。これによってOC \*-ja は唇音または円唇化した頭子音の影響を受けて \*-jo と合流し、中古漢語の虞韻 *-ju* (*-iu*) となった。
【まとめ】無 *wú* < \*mja 「~ない」が 毋 *wú* < \*mjo 「~してはならない」に使われているのは、唇音や円唇化した頭子音の後で \*-ja が \*-jo と合流したことを反映したものである。より以前の 母 mǔ < *moʔ 「母」(方言形として \*mɨʔ ?)を用いて 毋 *wú* < \*mjo 「~してはならない」を書く習慣のほうが、上古漢語の音韻論をよく表現している。
### 2.6. ACUTE FRONTING(鋭音による前進)
私が ACUTE FRONTING と呼んでいる変化は、\*-jaT を \*-jeT に変化させた。すなわち、頭子音と末子音がともに鋭音(\[+coronal])であった場合、介音 \*-j- を持つ音節では、\*a が前舌中母音 \[e] に変化した[^56]。例えば、
- 然 *rán* < *nyen* (*ńźi̯än¹*) < \*njan 「燃える」
この単語は上古漢語において \*-an と韻を踏んでおり、初期には 難 *nán* を声符とする文字で書かれていた(GSR 152i–j参照)。
- 難 *nán* < *nan* (*nân¹*) < \*nan 「難しい」
しかし魏・晋代には、然 *rán* および同様の単語は \*-an から分かれて、別の韻になっていた(Ding 1975: 154, 163参照)。例(10)は、この変化が文字に影響を与え、その結果『詩経』の根底にある上古漢語の音韻論を不明瞭にする傾向があることを示している。
現代の字体では、例(10)の文字(a)は文字(b)の声符となっている。
- (10a) 連 *lián* < *ljen* (*li̯än¹*) < \*C-rjan 「連なる」
- (10b) 蓮 *lián* < *len* (*lien¹*) < \*g-ren 「ハスの根」[^57]
前舌母音仮説によれば、蓮 *lián* 「蓮の根」は四等韻の先韻 *-en* (*-ien*) であるため、上古漢語において前舌母音で再構されなければならない。しかし、連 *lián* 「連なる」は『詩経』において \*-an として韻を踏んでいる[^58]。上古漢語の音韻論からすれば、連 *lián* < \*C-rjan 「連なる」は、蓮 *lián* < \*g-ren 「蓮の根」の声符として適合しないはずである。だが、連 *lián* < \*C-rjan という文字は、少なくとも「連なる」という意味においては後世のものであるようだ。段玉裁によれば、「連」という文字は次の文字の古文である。
- 輦 *niǎn* [^59] < *ljenx* (*li̯än²*) < \*C-rjenʔ or \*C-rjanʔ 「手車」
「連なる」の初期の文字は次のものである。
- 聯 *lián* < *ljen* (*li̯än¹*) < \*C-rjan [^60]
残念なことに、輦 *niǎn* 「手車」は『詩経』では韻を踏んでおらず、\*C-rjenʔ とするか \*C-rjanʔ とするか決めるには証拠が不十分である。もし \*C-rjenʔ であれば、蓮 *lián* < \*g-ren 「蓮の根」の声符となる理由は説明できる。初期の ⟨聯⟩ の代わりに ⟨連⟩ という文字を使って \*C-rjan 「連なる」を表記するのは、前述の \*-jan と \*-jen の部分的な合流を反映したものであろう。しかし、むしろ「蓮の根」に 蓮 の字を用いることのほうが後世の用法かもしれない。「手車」は \*C-rjanʔ で、この \*C-rjanʔ が \*C-rjenʔ になって初めて \*g-ren 「蓮の根」に使われるようになったという可能性もある(おそらく「蓮の根」を表す初期の文字は、例(7)に見られる ⟨蕑⟩ だったのだろう)。いずれにせよ、現代の字体の 連 「連なる」と 蓮 「蓮の根」は、おそらく鋭音の頭子音の後で \*-jan が \*-jen に変化したことを反映したものだろう。
【まとめ】連 *lián* < \*C-rjan と 蓮 *lián* < \*g-ren が同じ諧声系列にあるのは、おそらく鋭音の後で \*-jan が \*-jen に変化したことが影響していると思われる。
### 2.7. \*sk- > *s-*
中古漢語の心母 *s-* の単語が軟口蓋音の単語と諧声関係を持つケースは多く存在する。このような場合、*s-* < \*sk- を再構することができる(Li 1971)。例えば、
- 楔 *xiē* < *set* (*siet¹*) < \*sket 「くさび」
この文字は、おそらく同源語である 契 *qì* を声符としている。
- 契 *qì* < *khejh* (*khiei³*) < \*khets 「刻み込み、契約する」
この文字には *qiè* < *khet* (*khiet*) < \*khet 「分離した」(GSR 279b)という読みもある。いつ \*sk- が *s-* に変化したかは定かではないが、後漢代の許慎の声訓にはそのようなクラスターの証拠がある(Coblin 1983: 52)。いずれにせよ、例(11)は、\*SK- > *S-* という変化と、ACUTE FRONTING の変化の両方を反映しているようである。
現在の字体では、例(11)の文字(a)は文字(b)を声符としているように見える。
- (11a) 霰 *xiàn* < *senh* (*sien³*) < \*skens 「みぞれ」
- (11b) 散 *sàn* < *sanh* (*sân³*) < \*sans 「緩む、散らす」[^61]
しかし、前舌母音仮説によれば、霰 *xiàn* < *senh* と 散 *sàn* < *sanh* を同じ主母音で再構することはできない。
散 *sàn* < *sanh* は \*-an で再構されるが、一方 *senh* (*sien³*) のような中古漢語で前舌母音を持つ音節は、上古漢語でも前舌母音を伴って再構されなければならない。霰 *xiàn* は『詩経』の中で一度だけ韻を踏んでおり(『小雅・頍弁』217.3)、その押韻はこの再構を確証している。すなわち、ここで韻を踏んでいる他の単語も、同じ理由で \*-en で再構されなければならない。
- 霰 *xiàn* < *senh* (*sien³*) < \*skens 「みぞれ」
- 見 *jiàn* < *kenh* (*kien³*) < \*kens 「見る」
- 宴 *yàn* < *ʼenh* (*ꞏien³*) < \*ʔens 「饗宴」
同じ諧声系列の単語は通常同じ主母音を持つので、上古漢語の音韻論から言えば、散 *sàn* < \*sans は 霰 *xiàn* < \*skens の声符として不適切なようである。しかし、『説文』によれば 霰 *xiàn* には 䨘 という異体字があり、そこでは 見 *jiàn* < \*kens が声符として使われているようである(SWGL 5184参照)。私が 霰 *xiàn* にクラスター \*sk- を再構したのもこのためである。
もし上古漢語において 霰 *xiàn* < \*skens の声符として 散 *sàn* < \*sans は不適切だったとしたら、どうして後に適切となったのだろうか。\*sk- から \*s- への変化はその一因かもしれない。もうひとつの要因は、ACUTE FRONTING の変化だろう。この変化により、\*-an と \*-jen (< \*-jan) の両方が同じ諧声系列に含まれるケースが生まれた。では、\*-an と \*-jen が同じ諧声系列に現れることができるのなら、\*-an と \*-en はできないと言えるのだろうか。このようにして ACUTE FRONTING は、どれだけ類似した単語ならば同じ声符で表記することができるのか、に関する条件を緩める効果があったのだろう[^62]。
霰 *xiàn* における前舌母音のさらなる証拠として、『釈名』が 霰 *xiàn* < \*skens 「みぞれ」の声訓として次の単語を使用していることに注目してほしい(おそらく \*-en と \*-eng は漢代のいくつかの方言で合流したのだろう、Coblin 1983: 88–89参照)[^63]。
- 星 *xīng* < *seng* (*sieng¹*) < \*seng 「星」
『釈名』の 霰 *xiàn* の項目は「氷と雪は星(\*seng)のように互いに丸く、散り散り(\*sans)になる」と続く[^64]。この語釈における 散 *sàn* の使用は、散 *sàn* と 霰 *xiàn* の文字上の類似性を反映したものであり、必ずしも音声的な類似性を反映したものではない(ただし注58参照)。
【まとめ】霰 *xiàn* < *senh* (*sien³*) < \*skens 「みぞれ」の声符として 散 *sàn* < *sanh* (*sân³*) < \*sans 「散る」が使われているのは、おそらく後世の用法で、\*-an と \*-en が単一の諧声系列に混在しているのは、鋭音の後で \*-jan と \*-jen が合併した『詩経』以降の影響を受けている。見 *jiàn* < \*kens を声符とする 䨘 の方が、上古漢語の音韻論を代表しており、おそらくより古い字体だが、\*SK- > *S-* の変化の後はあまり適切でなくなった。
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:bulb: **補足**
Wu(2022)によれば ⟨霰⟩ の声符はもともと「散」とは別の文字であり、これは字形上の問題である。
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## 3. 結論
本論文の冒頭で、私たちは上古漢語の音韻論について主に3種類の証拠、すなわち(1)上古漢語の詩の押韻、(2)漢字における形声・仮借文字、(3)中古漢語の音韻体系を持っていると述べた。漢字が秦代と漢代とで大きく変化したことはよく知られているが、本論文で引用した例は、こうした変化がしばしば音韻の変化を反映していることを示している。これまでの上古漢語の再構では、こうした変化はほとんど無視されてきた。漢代の文字が周代の音韻論の証拠とされ、結果として周代の音韻論と漢代の音韻論の最小公倍数のような再構が行われてきたのである。このような状況を打開するためには、他の2種類の証拠(上古漢語の押韻と中古漢語の音韻論)を、利用可能な場合は本物の周代の銘文とともに、もっと活用することが必要である。こうすることで、初期の中国語の音韻史をより正確に描くことができる。
現存する『詩経』は、漢代の服を着た周代のテキストである。その文字も本文も、ある程度『詩経』以後の音韻論の影響を受けており、上古漢語の音韻論を知る上で必ずしも信頼できる手引ではない。もちろん、『詩経』のテキストとその文字は依然として上古漢語の再構に欠かせないものであるが、批判的かつ慎重に使用し、可能な限り他の証拠と照合しなければならない。また、他の種類の証拠が示唆する仮説(円唇母音仮説や前舌母音仮説など)は、『詩経』のテキストとその歴史をよりよく理解するのに役立つかもしれない。
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[^1]: 本論文の研究は、米国学協会協議会からの助成金と、ミシガン大学中国研究センターおよび文学部・科学部・芸術学部からのさらなる援助によって行われた。
[^2]: この第三の証拠の重要性は見落とされがちだが、我々は一般的に中古漢語は上古漢語に由来するものと仮定しているため、おそらく中古漢語の音韻構造は、上古漢語をどのように再構できるかに対する唯一にして最強の制約条件である。
[^3]: このような時代錯誤的な証拠の使い方の危険性は、既にNoel Barnardが指摘している。
> もし……秦代以前の考古学的な「文書」に含まれる相当数の文字が、同じ単語に対して秦漢代以降に採用された声符とは無関係な声符を含んでいる(あるいはそうした声符が付加的な要素を持たない単独の文字として存在している)ことが発見されるならば、文字言語一般について行われている言語学的研究は、このような視覚的に無関係な現象が持つ明白な意味をもっと十分に考慮すべきである。(1978: 185)
[^4]: 実際Karlgrenは、特に現代のものとは大きく異なる先秦文字をこれらの著作から除外している(1940: 2)。
[^5]: このBodman/Baxter体系は、Nicholas Bodman教授と私がここ数年かけて開発したもので、私は現在、『*A Handbook of Old Chinese Phonology*』(仮題)と題して、その完全なプレゼンテーションに取り組んでいる。
[^6]: ここでは、Baxter 1985および1986に記載した活字転写による中古漢語表記を用いるが、比較のためにKarlgrenによる中古漢語再構を括弧内に示す。この体系では、いくつかの単一音素が文字のグループで表される。例えば、二等韻の母音は *-ae-* (Karlgrenの *-a-* と *-ɐ-*)または *-ea-* (Karlgrenの *-ă-* と *-ɛ-*)で表記されるが、どちらも単母音を仮定している。また *-o-* は非円唇後舌中母音 \[ʌ] と解釈される。音節の最後に *-x* と *-h* を加えることで、それぞれ上声と去声を表す。
[^7]: 上古漢語の韻部には伝統的な呼び名がいくつか存在するが、私は周祖謨(Zhou 1966)のものを使用する。\*-an と \*-on が異なる韻部に属していなければならないという主張は、当然ながら、上古漢語の音節が定常的に韻を踏む場合それらは同じ主母音を持っていたに違いないという前提に立っている。この前提をKarlgrenは採用しなかったが、最近の研究のほとんどは何らかの形で受け入れている。Baxter(1986)は、Bodman/Baxter体系と一致する新しい韻部を概説しており、各韻部は、音節の韻の部分の再構形を大文字で記すことによって表現される。
[^8]: ただし、黄侃(1886–1934)はこれをある程度先取りしている。
[^9]: 純四等韻は、一等韻と全く同じ頭子音のセットと共起する。一方、介音 *-r-* や *-j-* を伴って再構される韻は、それとは異なる頭子音のセットと共起する。
[^10]: 「重紐」という用語は、『切韻』において同じ韻目に含まれるが異なる小韻として互いに区別される、特定の音節ペアを指す。音節ペアのうち、一方は韻図の三等に、もう一方は四等に置かれる。この区別は現代の方言ではほとんど失われており、Karlgrenも見落としていた。本論文で用いる中古漢語の表記では、*-j-* と *-i-* の両方を含む音節は重紐四等音節であり、*-j-* または *-i-* のどちらか片方のみを含む音節は重紐三等(および通常の三等)音節である。KarlgrenのAncient Chinese(私が中古漢語と呼ぶものに相当)の再構形を引用する際は、下付き文字の「3」または「4」を添えることで、重紐三等・四等韻であることを示す。例えば、密 *mì* < *mit* (*mi̯ĕt₃*), \*mrjit 「密な」に対して、蜜 *mi* < *mjit* (*mi̯ĕt₄*), \*mjit 「蜂蜜」となる。
[^11]: これらは、Karlgrenの再構では \*kân と \*kian であり、李方桂の再構では \*kan と \*kian である。
[^12]: Haudricourt(1954a; 1954b)、Downer(1959)、Pulleyblank(1962)、Jaxontov(1965)、Bodman(1969)、Pulleyblank(1973a; 1973b)参照。
[^13]: ただし、これらの再構に含まれる全ての有声閉鎖音が我々の \*-s クラスターに対応するわけではない。例えばKarlgrenの体系では、\*-b と \*-d は去声の単語のみに出現するが(したがって我々の \*-ps と \*-ts に対応する)、彼の \*-g は全ての声調に出現する。
[^14]: 私の中古漢語の表記法では、二等の単語は *-ae-* または *-ea-* を主母音とすることで表記される(注6)。これらは音声的にはそれぞれ \[æ] と \[ɛ] と解釈される。もちろん、これらの母音の音声的性質は定かではない。例えばPulleyblankは、そり舌音のわたり音が後続する母音 \[aʳ] と \[ɛʳ] と再構している(Pulleyblank 1984: 191–4参照)。
[^15]: より正確には、Bodman/Baxter体系では、中古漢語の來母 *l-* は通常、\*b-r-, \*d-r-, \*g-r- と書かれる上古漢語の頭子音クラスターを反射していると仮定される。例えば頭子音 \*b-r- は、唇音との諧声関係を示す來母 *l-* 音節に使われる(Bodman 1980: 83–4)。諧声関係が頭子音の性質に関する情報を与えない場合には、\*C-r- という表記を用いる。有声閉鎖音と \*r の間のハイフンは、これらのクラスターを、初頭の閉鎖音が失われない \*br-, \*dr-, \*gr- と区別するための表記上の工夫である。実際の音声的対立がなんであったかについては、今のところ未解決のままにしておく。なお、李方桂(Li 1971)は二等韻に \*r を再構したが、來母 *l-* については頭子音 \*l- を維持していることに注意されたい。この再構は、仮説の当初の動機のひとつであった二等と來母 *l-* との諧声関係に対する説明力が失われている。
[^16]: Pulleyblankの当初の提案は、二等と同様にこれらの単語を \*l で再構することだったが、後に彼は二等と同じように三等でもそれを \*r に置き換えたなお、彼は中古漢語の三等韻の単語に対して上古漢語の韻律的特徴、すなわちPulleyblank(1962)では長母音、その後の研究では特徴的なタイプのモーラアクセント(「タイプB音節」)を再構しているので、私の \*-j- はPulleyblankの再構には見られないことに注意されたい。
[^17]: \*R-COLOR による前進は、弗 *fú* < *pjut* < \*pjut のような単語の頭子音は軽唇音化した一方で、筆 *bǐ* < *pit* < \*prjut のような単語が軽唇音化しなかった原因でもある。
[^18]: 例えば、對 *duì* < *twojh* (*tuâi³*) < \*tups 「答える」は、『詩経』257.13で 醉 *zuì* < *tswijh* (*tswi³*) < \*tsjuts 「酔う」と韻を踏んでいる。Karlgren(1940: 28–29)は既にこの変化に言及している。
[^19]: その他の 發 *fā* の再構は以下の通り。
- Karlgren \*pi̯wăt (GSR 275c)
- 董同龢 \*pi̯wăt (1948: 195)
- 李方桂 \*pjat (1982: 51)
[^20]: その他の 法 *fǎ* の再構は以下の通り。
- Karlgren \*pi̯wăp (GSR 645k)
- 董同龢 \*pi̯wăp (1948: 235)
- 李方桂 \*pjap (1982: 56)
[^21]: 『詩経』の翻訳は、特に断りのない限りKarlgren(1950)による。
[^22]: 『金文詁林』#1297(Zhou et al. 1974、以下JWGL)参照。
[^23]: 例については上記注18を参照。
[^24]: もちろん、\*-ps の単語の中には、末尾 \*-p の単語との本来の図形的関連性を維持しているものもある。そのような文字は、Karlgrenが \*-b (我々の \*-ps)を再構する証拠となった。このことから、文字が音変化を反映するのは、ある一定の時間遅れてからであることがわかる。
[^25]: 原 *yuán* < \*ngʷjan と韻を踏んでいる『大雅・皇矣』241.6、『大雅・公劉』250.3に加え、『邶風・泉水』39.4、『曹風・下泉』153.1–3、『小雅・小弁』197.8、『小雅・大東』203.3、『大雅・公劉』250.5で \*-an の単語と韻を踏んでいる。
[^26]: また、*guǎn* < *kwanx* (*kuân²*) < \*kon 「管」という単語は現在 ⟨管⟩ と表記されるが、これには 完 *wán* を声符とする ⟨筦⟩ という異体字があり(Morohashi #26057)、後者がより古い起源を持つものと思われる。管 は『邶風・靜女』42.2で \*-on (孌 *luán* < *ljwenx* (*li̯wän²*) < \*b-rjonx)と韻を踏んでいるが、⟨管⟩ の声符は \*-on ではなく \*-an である。一方、『大雅・板』254.1では 管 *guǎn* が \*-an と韻を踏んでいるが、おそらくこの単語は「管」とは無関係であろう。『広韻』はこの文字を ⟨願⟩ と書くテキストを引用している(Karlgren, Gloss 923参照)。
[^27]: また、𫹵 *yuán* 「願う」のもう一つの初期の形として、湖北市雲夢県の秦代の墓から出土した竹簡に見られる ⟨𩕾⟩ がある(Shuihudi Qin Mu Zhujian Zhengli Xiaozu 1978: 281参照)。この形が音韻論的にどのような意味を持つのかはわからない。
[^28]: 鈍音には唇音・軟口蓋音・喉音が含まれ、それ以外の音はすべて鋭音である([§2.2](#22-鋭音(-n--t--ts--j)の前の円唇母音の二重母音化)参照)。中古漢語の以母 *y-* (Karlgrenの *i̯-*、伝統的には「喻四」と呼ばれる)も鋭音だが、伝統的には喉音に含まれている。
[^29]: 例えば、聞 *wén* は『王風・葛藟』71.3で 漘 *chún* < *zywin* (*dźhi̯uĕn¹*) < \*(s)djun 「唇(=川岸)」と韻を踏んでおり、『大雅・雲漢』258.5で 川 *chuān* < *tsyhwen* (*tśhi̯wän¹*), 遯 *dùn* < *dwonh* (*dhuən³*) < \*duns と韻を踏んでいる。川 *chuān* はKarlgrenが指摘するように不規則である(GSR 462a)。上古漢語の韻に基づけば、中古漢語には *tsyhwin* (*tśhi̯ĕn¹*) が予想される。
[^30]: 例えば、門 *mén* は『邶風・北門』40.1と『小雅・何人斯』199.1で 艱 *jiān* < *kean* (*kăn¹*) < \*krin 「困難」と、『鄭風・出其東門』93.1で 巾 *jīn* < *kin* (*ki̯ĕn₃¹*) < \*krjɨn 「スカーフ」と韻を踏んでいる。『鄭風・出其東門』93.1で 門 *mén* と韻を踏んでいる 存 *cún* < *dzwon* (*dzhuən¹*) 「存在する、残る」という単語は、\*dzɨn が再構されるように見えるが、実際には規則的には *dzen* > *qián* となる \*dzin からの不規則な展開である(この単語についてはJaxontov(1960a: 106)で述べられている)。同じ諧声系列の、規則的な読み *dzenh* (*dzhien¹*) と『経典釈文』による不規則な読み *dzwonh* (*dzhuən³*) を持つ 荐 *jiàn* と比較されたい(GSR 632b参照)。存 *cún* < \*dzɨn 「存在する」はおそらく 在 *zài* < *dzojx* (*dzhậi²*) < \*dzɨx 「ある」と同源であり、これも『説文』によれば、その声符である(SWGL 6607)。
[^31]: JWGL #0881, #1534、Gao(1980: 136)、Xu(1980: 454–55, 464)、SWGL 5356参照。
[^32]: 池田末利による結論も同じである(Ikeda 1964: II 37)。断片の拓本はLuo(1916: vol. 2, 9/10)に掲載されている。断片のもう一文字は 若 *ruò* と思われる。
[^33]: 島邦男はこの甲骨文から「貞問」の2文字しか引用していない。Shima(1967: 285)参照。
[^34]: この鐘は史問鍾と呼ばれる。銘文の全文を見つけることはできなかった。
[^35]: 介音 \*r が残した対立のもう一つの候補は、もちろん、Bodman(1971)が提案したように、そり舌音化である。Pulleyblank(1984)は、中古漢語の初期段階において、二等韻にそり舌音の出わたり音を再構しており、重紐三等韻にもそり舌音が見られた可能性を提案している。中古漢語にそり舌音を再構することが難しいのは、初期中古漢語までに、一部の重紐音節が、\*r を再構する理由がなく、したがってそり舌音化が見られるはずがない音節とすでに合流していたためである。Pulleyblank(1984: 173)参照。
[^36]: 綸 という字には、*guān* < *kwean* (*kwăn¹*) < \*krun 「スカーフ、たすき」という読みもある。語根は「ねじる」または「包む」という意味だったようだ。
[^37]: 『小雅・何草不黄』234.2、『大雅・桑柔』257.1参照。
[^38]: 私の改訂した韻部では、民 *mín* 「人々」は \*-IN 部に属し、緡 *mín* 「紐、よじった糸」は \*-UN 部に属する。
[^39]: そのほかの『邶風・柏舟』26.3で韻を踏んでいる単語は 轉 *zhuǎn* < *trjwenx* (*t̑i̯wän²*) < \*trjonʔ と 選 *xuǎn* < *sjwenx* (*si̯wän²*) < \*s(k)jonʔ で、どちらも \*-on で再構しなければならない。
[^40]: ここで韻を踏んでいるもう一つの単語である 蕑 *jiān* については後述するが、同様に \*-en で再構されるべきである。
[^41]: \*Kʷren のような音節は、\*Kren > *Kean* (*Kăn*) から類推するとMC *Kwean* (*Kwăn*) を与えると予想されるが、\*Kʷren の通常の反射は *Kwaen* (*Kwan*) のようである。
[^42]: 還 *xuán* < *zjwen* (*zi̯wän¹*) < \*sgʷjen 「素早い」, 閒 *jiān* < *kean* (*kăn¹*) < \*kren 「間、うち」, 肩 *jiān* < *ken* (*kien¹*) < \*ken 「猪(仮借)」である。還 *xuán* は、通常 \*-en を示す声符である「睘」を持ち、『魏風・十畝之閒』111.1で \*-en として韻を踏んでいる。閒 *jiān* と 肩 *jiān* はその中古漢語の韻から判断して、\*-en で再構されなければならない。
[^43]: 韻を踏んでいるもう一つの単語である 渙 *huàn* < *xwanh* (*χuân³*) は、\*hwans か \*xons のどちらかの反射であるが、『周頌・訪落』287では同じ文字(意味は異なる)が \*-an として韻を踏んでいる。いずれにせよ、蕑 *jiān* < *kaen* < \*kran は、中古漢語において介音 *-w-* を持たないため、\*-on で再構することはできない。『経典釈文』よると、『韓詩』では 渙 *huàn* に対して 洹 *huán* < *hwan* (*ɣuân¹*) があるというが、これも \*-an で再構される。Karlgren(Gloss 243)はそれ以外の異体字も挙げている。
[^44]: 『経典釈文』によれば、『韓詩』は 蕑 *jiān* を 蓮 *lián* < \*g-ren 「蓮の根」と解釈している。これはおそらく \*-ran と \*-ren の混同か、あるいは『陳風・澤陂』145.2からの影響であろう(後述)。
[^45]: Karlgren(Gloss 352)、および『毛詩注疏』(631–32)の孔穎達の注釈を参照。
[^46]: 韻を踏んでいる他の2つの単語は、卷 *quán* < *gjwen* (*ghi̯wän₃¹*) < \*gʷrjen 「ハンサム」と 悁 *yuān* < *ʼjiwen* < \*ʔʷjen 「悲しむ」と再構される。一つ目は、例(9)で説明した通りである。そこで述べたように、悁 *yuān* は重紐四等韻であるため \*-en で再構されなければならない。
[^47]: 孌 \[*luán*] < *ljwenx* (*li̯wän²*) < \*b-rjonʔ (読みの角括弧は、現代の発音が不規則的であることを示す)と 亂 *luàn* < *lwanh* (*luân³*) < \*C-rons は、その中古漢語の読み方から \*-on で再構されなければならない。婉 \[*wǎn*] < *ʼjwonx* (*ꞏi̯wɐn²*) < \*ʔjonʔ は『鄭風・野有蔓草』94.1でも \*-on として韻を踏んでおり、『齊風・甫田』102.3と『曹風・候人』151.4では句の中で韻を踏んでいる。選 *xuǎn* < *sjwenx* (*si̯wän²*) < \*s(k)jonʔ は『邶風・柏舟』26.3で \*-on として韻を踏んでいる。貫 *guàn* < *kwanh* (*kuân³*) < \*kons は『小雅・何人斯』199.7で \*-on として韻を踏んでいるようである。『齊風・猗嗟』106.3の押韻は、3語の上声の押韻と、3語の去声の押韻に分割されるべきである可能性がある。
[^48]: この声符を伴って表記される単語は、『詩経』では一貫して \*-on として韻を踏んでいる。孌 *luán* < *ljwenx* (*li̯wän²*) < \*b-rjonʔ 「美しい」は『邶風・靜女』42.2、『齊風・甫田』102.3、『齊風・猗嗟』106.3およびこの詩の冒頭に、欒 *luán* < *lwan* (*luân¹*) < \*b-ron 「やせ細った」は『檜風・素冠』147.1に、蠻 *mán* < *maen* (*mwan¹*) < \*mron 「南蛮人」は『大雅・韓奕』261.6に見られる。
[^49]: 『鄘風・載馳』54.2、『衛風・氓』58.6、『小雅・賓之初筵』220.3、『小雅・角弓』223.1、『大雅・民勞』253.5、『周頌・執競』274.1参照。『衛風・氓』58.6には \*-on が1つ含まれているように見えるが、それ以外は \*-an である。これは、\*-on と \*-an は別々に韻を踏むという原則の正真正銘の例外のようである ==:bulb: この箇所は原文の 悁 *yuān* (あるいはその同源語)を後世に 怨 *yuàn* に置き換えたものの可能性がある==。『周頌・執競』274.1では、反 *fǎn* は 簡 と韻を踏んでいる。後者は通常 *jiǎn* < *keanx* (*kăn²*) < \*krenʔ 「竹簡」を表すが、ここで 簡簡 は「大いなる」という意味で、\*-an と \*-en が例外的に韻を踏んでいるように見えるのは、文字が改められた結果ではないかと思われる。
[^50]: 『小雅・正月』192.2、『大雅・緜』237.9、『大雅・皇矣』241.8、『大雅・行葦』246.3参照。
[^51]: ただし『齊風・南山』101.3では、同音異義語である 畝 *mǔ* (土地の面積の単位)と韻を踏んでいる。これも \*moʔ と再構されるべきだと思われる。この2つの単語は伝統的には之部に割り当てられている。『鄘風・蝃蝀』51.2では、母 *mǔ* は 雨 *yǔ* < *hjux* (*ji̯u²*) < \*wjaʔ 「雨」と韻を踏んでいるように見える。この詩の 父母 *fù mǔ* 「父と母」は、本来の 母父 *mǔ fù* 「母と父」を逆にしたものである可能性がある。父 *fù* < \*bjaʔ 「父」は 雨 *yǔ* < \*wjaʔ とうまく韻を踏むことができる。
[^52]: 円唇母音仮説に従えば、\*-w- はまったく存在しない。
[^53]: Dong(1948: 149)の表を参照。董同龢は 仆 *phuwh* (*phə̯u³*) という単語を挙げているが、これは声符 卜 *bǔ* < *puwk* (*puk*) < \*pok が示す通り、\*phos ではなく \*phoks を再構されるべきである。董同龢の表にある *muwh* (*mə̯u³*) という中古漢語の読みを持つ単語は、おそらくかつての *mjuwh* (*mi̯ə̯u³*) に由来する。『切韻』の頃には、*mjuw-* > *muw-* という音変化が進行していた。これらの単語は、幽部に由来するものとして、\*mjuws または \*mjuks と再構できる。
[^54]: Gao(1980: 94)、Xu(1980: 229)参照。舞 *wǔ* の押韻については、『邶風・簡兮』38.1, 2、『鄭風・大叔于田』78.1、『小雅・車舝』218.3、『魯頌・有駜』298.1参照。
[^55]: GSR 107a、Dong(1948: 161)参照。李方桂はLi(1982)で 毋 *wú* を例に挙げていない。
[^56]: Karlgrenはこの変化を認め、「ウムラウト」と表現した(1940: 19)。この変化は \*R-COLOR に似ているところがあり、この2つの変化を統一することも可能かもしれない。ただし、\*R-COLOR は介音 \*-j- を持たない音節にも影響を及ぼすが、ACUTE FRONTING はそうではないことに注意されたい。
[^57]: 私がここで軟口蓋音のクラスター \*g-r- を再構したのは、この単語を書くのに声符 閒 *jiān* < *kean* < \*kren 「間」を持つ ⟨蕑⟩ という文字が使われたためである。前述の例(7)を参照。
[^58]: 『大雅・皇矣』241.8参照。ここで韻を踏んでいる他の単語はおそらく、閑 *xián* < *hean* (*yan*) 「大きい」を除けば、全て \*-an で再構されることが明らかである。閑 は中古漢語の読みから \*gren が再構されると考えられる。しかし、閑 *xián* は『商頌・殷武』305.6(やはり「大きい」の意味)、『秦風・駟驖』127.3および『小雅・六月』177.5(「よく訓練された」の意味)でも \*-an として韻を踏んでいる。『魏風・十畝之閒』111.1では \*-en として韻を踏んでおり、そこでは「のんびりと」という意味である。私は、例(7)のように、\*R-COLOR によって2つ以上の無関係な単語が混同されたのではないかと考えている。中古漢語の資料では、山韻 *-ean* (*-ăn*) < \*-ren と刪韻 *-aen* (*-an*) < \*-ran はよく混同されている。
[^59]: 現代語の形は不規則的に *l-* を *n-* に置き換えている。
[^60]: 「周人用聯字漢人用連字古今字也」(周の人々は[「連なる」という意味に] ⟨聯⟩ という文字を使い、漢の人々は ⟨連⟩ という字を使った。これは古代の字体と現代の字体のケースである)。SWGL 5351より引用、SWGL 777も参照。
[^61]: この文字には *sǎn* < *sanx* (*sân²*) < \*sanʔ という読みもある。
[^62]: 方言によっては、この変化がより一般的な形をとり、\*-jan と \*-jen だけでなく、\*-an と \*-en もこの環境で合流した可能性がある。そのような方言では、散 *sàn* < \*sans と 霰 *xiàn* < \*skens は同音であり、霰 *xiàn* の声符として 散 *sàn* が使われても不思議ではない。
[^63]: 従来の再構では、霰 *xiàn* < \*sens < \*skens と 星 *xīng* < \*seng の類似性はあまり明らかではない。Karlgrenはそれぞれ \*sian (GSR 156d)と \*sieng (GSR 812xy)と再構している。李方桂の体系ではこれらは \*sianh と \*sing になるだろう(1982: 56, 70)。
[^64]: 「冰雪相慱如星而散也」。Morohashi #42458より引用。