# Baxter 1994への返答 :::info :pencil2: 編注 以下の論文の和訳である。 - Pulleyblank, Edwin G. (1994). Reply to Baxter's reply. *Journal of Chinese Linguistics* 22(1): 161–169. 原文には見出しがないが追加した。誤植と思しきものは、特にコメントを付加せずに修正した。 ::: --- Baxterと私との間で見解が異なる問題について意見が一致することはないだろうし、私が書評で長々と述べようとしたことを繰り返すだけでは意味がない。しかし、議論を明快にするために、彼の返答のいくつかの点について簡単に答えておこう。 ## 1. 類型論 再構された言語は「可能な自然言語」であるべきだという原則を、私たち二人が受け入れていることは明らかである。しかし、この原則をどのように適用するかについては意見が分かれている。私の主張は、私が上古漢語について仮定しているすべての事柄や、上古漢語から中古漢語の間、中古漢語から現代方言の間に仮定しなければならないある種の音韻変化は、現存する言語、特に中国語自体あるいは東アジア地域の言語に適切な並行例を示すことができるということである。2母音仮説に最も適しているのはカバール語ではなく現代標準中国語であり、この種の分析には1940年代のHartmanとHockettに遡る確かな伝統がある(Pulleyblank 1993: 360)。Baxterはこれを否定するのだろうか。もしそうなら、その理由を述べるべきである。「通常再構されるよりも……はるかに多い子音」を私が仮定していると彼が考えていることには驚いた。私の現在の仮説によれば、干支が考案された時点では頭子音の数は22であったが、かなり早い段階で6つの無声有気音を追加されたことで、可能な頭子音の数が増えたに違いない(Pulleyblank 1991)。私の数え方が正しければ、彼は37個(前置子音の \*N を子音として数えると38個)を再構したことになる。私は通常の音節、口蓋化音節、唇化音節、口蓋化唇化音節の4種類の対立を仮定しているが、福州方言は音節末子音にこのような対立の並行例を示している。またTrubetskoyによるドンガン語の分析(1939; Jakobson, Fant and Halle 1965: 35も参照)も、頭子音位置に同様の対立の並行例を示している。Baxterが奇妙に思っている \*xᶣə̀ŋʲ という形は、\[xɥìjŋ] のような音声実現を意味する。つまり、基底では子音の二次調音であるわたり音が、それぞれ頭子音の後と末子音の前に現れ、基底のシュワー母音は末子音のわたり音と同化する。このような音節が音韻的に存在する可能性については、中国語 兄 *xiōng* →漢越語 *huynh* 「兄」を参照してほしい。このベトナム語の韻は、Henderson(1966: 172)では音声的に *-ɥïiⱼŋ* と転写されている(ベトナム語における頭子音後のわたり音は独立した分節ではなく二次的調音として分析されるべきだということを言いたいのではない。そのような疑問は、広東語の唇化軟口蓋音の頭子音の問題のように、表出する音声ではなく音韻分析によってのみ解決できる)。Pulleyblank(1994)で示したように、私が初期中古漢語に再構したタイプA/B音節の対立は、ベトナム語にもほぼ平行するものがあり、それはおそらく地域的な影響の結果であろう。また、私が上古漢語の背景にあると仮定している韻律的対立は、シザン・チン語に並行例が存在する。その一方で、書評でも述べたように、Baxterの上古漢語の韻体系は、例えば末子音 \*-wk の分布が非常に限定的であることなど、自然言語としてはアンバランスに感じられるところがある。 Baxterは、再構は単に可能な自然言語ではなく、「普通」の言語であるべきだと考えているが、これは非常に疑わしい原則である。「普通」というのは非常に文化に縛られた概念である。例えば、平均的ヨーロッパ人にとって声調を持つ言語はきわめて異常であるが、東アジアではそれが普通である。ラテン語をモデルにした5母音の言語は、ヨーロッパ人にとっては「普通」に見えるし、実際、世界的にかなり一般的であるが、普遍的な言語とはほど遠く、その頻度は特定の言語がそのような体系になると先験的に仮定する理由を与えるものではない(Baxterが上古漢語に再構したような6母音の言語はさらに一般的でない)。Baxterは、自分の母音体系の「普通さ」を考えれば、『詩経』の陽部と耕部の対立は \*-aŋ/\*-aŋʲ よりも \*-ang/\*-eng の方が好ましいと考えており、私が逆の解決策を好む根拠を示すことができるとは思いもよらないようである。この疑問については、詳しくは説明しないが2つの理由がある。(a)Hashimoto(1970)は、中古漢語の梗摂(主に上古漢語の耕部に由来する)は前舌母音だけでなく硬口蓋音の末子音も持つことについて、説得力ある議論を多く展開している。私はこれに加え、通摂と江摂における唇化軟口蓋音の末子音も並行して提案した(1984)。このようなパターンを中古漢語や現代福州方言の革新的な例であると仮定するよりも、このパターンを上古漢語にまで遡らせるほうが、はるかに単純に言語の発展を説明することができる。(b)この2母音仮説は、上古漢語の形態論に関する重要な発見につながった。すなわち、上古漢語の単語家族における、内向的意味⇔外向的意味に対応する \*a と \*ə の間の母音交替である。例えば、談 *tán* EMC *dam* < \*dám 「話す、会話」⇔ 譚 *tán* EMC *dəm* < \*də́m 「~について話す」(Pulleyblank 1965, 1973, 1989, etc.)。これは具体的には、単語家族だけでなく、上古漢語の耕部と私が \*-əŋʲ と再構した真部とが時折韻を踏んだり諧声関係を持つことを説明するものである。例えば、真 *zhēn* EMC *tɕin* < \*tə̀ŋʲ 「真の」, 正 *zhēng* EMC *tɕiajŋʰ* < \*tàŋʲs 「正確な、正しい」; 顛 *diān* EMC *tɛn* < \*tə́ŋʲ 「頭頂」, 頂 *dīng* EMC *tɛjŋˀ* < \*táŋʲʔ 「頭頂」を比較されたい。耕部と真部の間には、この2つの諧声関係以外にも語源的な接触が多く見られ(Pulleyblank 1982も参照)、完全な議論にはより広範な説明が必要である。上古漢語の \*ə/\*a アプラウトについては、まだ解明されていないことが多い。この現象はおそらくかなり早い段階で単語形成の生産的過程ではなくなったため、それが本来含意していた意味的な対立はしばしば不明瞭になってしまっが、私がこれまでに提示した証拠からこの現象の現実性は反論の余地のないものであり、Baxterや他の人々がこの現象に目を向けなかったのは、2母音による『詩経』の押韻の分析に対する先験的な偏見によるものとしか考えられない。しかし残念なことに、私たち二人が同意しているように、『詩経』当時の音価を示す直接的な証拠はない。この場合のBaxterの批判に対する私の返答は、上古漢語の再構を成功させるために私が提案した他の原則のうちの2つ、つまり、言語の通時的発展を最も自然で経済的な方法で説明するために、可能な限り最善の必要性に基づかなくてはならないことを示している。 ## 2. 押韻 バクスターは、詩における押韻と音韻論との関係について、理論的原則を宣言していないと私を批判している。私の立場は、この点は言語によって大きく異なることは明らかであり、特定の時代の特定の言語で何が適用されるかは経験的な問題である、というものである。私がDownerのベトナム語の押韻に関する論文を引用したのはそのためである。ついでに言えば、ベトナム語の *ɯa* と *ɤ* の押韻は、Baxterが不愉快に思っている中古漢語の *-ɨan* と *-ən* の押韻とほぼ並行するものである。もちろん、押韻をどう解釈するかという問題は、それを補う他の種類の証拠が乏しいため、上古漢語にとっては特に深刻な問題であるが、それがもたらす不確実性は、我々ができる限り受け入れ、対処しなければならないものである。 ## 3. 韻部の分析 私は、清代の研究者の結論(今世紀の王力らの研究によって補完された)が上古漢語の韻部に関する最終的な見解であると先験的に主張するつもりはない。しかし私は、母音体系に関する仮説に動機づけられたJaxontov、Starostin、Baxterの提案がその目的を達成したとすることには納得できていない。 ## 4. 中古漢語の正しい理解 当然ながら、この点について私が言いたいのは、『切韻』や韻図の根底にある音韻体系の細部について100%確信が持てるまで上古漢語の調査を待つべきだということではなく、単にできる限り正しく理解すべきだということである。私にとってそれは、必然的に逆投影されることで言語の初期段階に対する見解を歪めてしまう、Karlgrenの体系における基本的な誤りを排除することを意味する。Baxterは、中古漢語の基礎を再検討せずとも上古漢語の問題に取り組むことができると考えている。確かに、私が1962年の最初の論文で示したように、Karlgrenの中古漢語の根本を顧みずとも、彼の上古漢語の再構を改良することは可能である。それでも私は、その研究に先立って、より内部的に首尾一貫し、他の研究者によって提案された改善点を取り入れた中古漢語の体系を構築しようとした。その論文を書き終えた後、私はさらなる進歩のためには中古漢語の根本的な再検討が必要だと確信し、その実現に何年も費やしてきた。前述のEMCとLMCにおける口蓋化・唇化軟口蓋音の末子音の再構は、上古漢語の問題に対する最も可能性の高い解決策を決定する上で非常に重要な、いくつかの新しい提案の一つに過ぎない。 ## 5. 中古漢語の「表記法」 中古漢語の音韻表現が必要とされているのだろうか。あるいは、なんらかの音声実現を表すつもりのない「表記法」がその目的を果たすのだろうか。Baxterは、コンセンサスがまだ得られていないという理由で、中古漢語の再構に関する重要な問題に関して意見を表明しないという決断を守り続けている。しかし彼は、自分の都合のいいときには、自分の「表記法」に真剣に取り組んでいるように見える。例えば、付録Aでは上古漢語から中古漢語への変化について「音韻規則」を提示しているが、その終着点が彼の中古漢語表記となっているのはどのように考えればよいのだろうか。彼は「音韻変化は非形式的に述べられているが、通常は、どのような特徴体系にも再定式化できるほどの正確さをもっている」と述べている。しかし、彼の中古漢語「表記法」は音素を表すものではまったくない。そのような「表記法」をどのようにして特徴体系に書き換えられるのだろうか。彼がこれまでに提示した以上の説明をしない限り、私は彼が表記法を音韻解析として使っているが、それを根拠にそれを擁護する気はないと結論付けるしかない。 どのような再構においても、多かれ少なかれ不確かな点は必ず存在する。再構とは、入手可能な証拠を可能な限り説明するために考案された仮説にすぎず、新たな証拠や論拠に照らして否定したり修正したりするものである。しかし、ある共時的段階からその次の段階への音韻変化を説明することは、歴史言語学において仮説を検証する重要な方法の一つであり、この検証を上古漢語から中古漢語への発展に適用するのであれば、始点だけでなく終点についても明確に仮説を形式化することが不可欠である。確かに、例えばインド・ヨーロッパ語の「喉音」を\*H₁, \*H₂ などと表現するように、特定の点については非妥協的であってもよい場合がある。しかしそのような場合であっても、私は、弁別的特徴(素性)という観点から、実際の価値についての仮説をリスクを冒して検証する方が、知識の進歩に役立つと思う(Pulleyblank 1993参照)。 ## 6. \*-j- の再構 Karlgrenが韻図と『切韻』の反切に基づいて中古漢語に \*-j- を再構したのが誤りであり、ベトナム語の借用語・呉音などや漢代以降の転写に \*-j- の他の証拠がなく(実際、それに反する証拠は多い)、また他のシナ・チベット諸語にも \*-j- に対応するものが見られないという事実をBaxterは認めても良いと考えているようだが、それにもかかわらず、上古漢語から中古漢語の間に起きたタイプB音節の歯音の口蓋化を説明するために \*-j- を再構することができるのだろうか。以前にKarlgrenがモデルを示していなければ、このような提案を真剣に受け止める人はいなかっただろう。この口蓋化には、他の説明がないわけではない。私が何度も指摘したように(Pulleyblank 1984: 178–179; 1994)、様々な言語において、後舌母音を含むあらゆる高母音の前で歯音が口蓋化する例がある。これが上古漢語から初期中古漢語への移行期に起こったに違いない(より限定的な環境で起こった軟口蓋音の口蓋化は別問題である)。Baxterはこのことに触れていない。おそらく彼は、硬口蓋わたり音や前舌母音によって誘発される口蓋化と比べてこの現象は相対的に稀であるため、考慮に値しないと考えているのだろう。私はすでに、「普通さ」に基づく議論は、特定のケースを判断する上ではほとんど意味をなさないという意見を述べた。 私は、Baxterが考案したタイプBの音節の発展に関する「わたり音」解決策の代替シナリオについて、詳しく議論する必要はないと思う。これは、他の考察は別としても、彼自身の類型論的観点からするとかなり「異常」だと私には思える。少なくとも私が提案した、EMCにおける3種類の高母音を説明する、口蓋化・唇化環境における *ɨ* の *i* と *u* への前進・円唇化や、EMCとLMCの母音変化の大部分を説明する、非前舌の高母音に対する非常に単純な無条件前進規則(*ɨ* > *i*, *u* > *y*)よりも複雑であることは確かである。私が見る限り、彼のシナリオが実際に起こったことと一致するかもしれないと思わせるような裏付けとなる証拠はない。実際には、この介音 \*-j- が、歯音の口蓋化が起こった時代として彼と私が同意している漢代に存在したという考えは、転写の証拠と直接的な衝突がある。漢代の転写には、後世の転写に見られるような証拠はない。Baxterの「わたり音」解決策は、私が初期中古漢語と後期中古漢語の両方について様々な連動した議論によって仮定している *-V(V)-* 音節構造や、Pulleyblank(1994)で議論されているように、私が地域的な影響下で起こったと仮定しているベトナム語のA/B対立の並行発展とは一致しない。 ## 7. 上古漢語の韻体系 Baxterに対してはまだ不満があるが、伝統的な『詩経』韻部を分割する根拠たる「円唇母音仮説」と「前舌母音仮説」を、私が何年も前にこの考えを初めて考察した際に否定した理由、そして今でも彼の議論に説得力がないと考える理由については、これ以上触れないことにする。例えば、従来通りで一般に受け入れられている彼の \*-eng (耕部)と \*-ang (陽部)の区別は明確で問題ないが、\*-en と \*-an の(元部の)区別は、その場しのぎの議論と特別な弁明を必要とし、説得力がないように私には思える。もちろん、彼が6母音のパターンにこだわる先験的な理由があるように、私にも2母音の解決策を好む理由がある。私の理由には、2母音理論が言語の通時的進化をより単純に説明できそうだということだけでなく、ə/a アプラウト理論が上古漢語の単語形成の形態論に与えるという洞察も含まれる。さらに、私が書評で示したように、\*-an の先韻 *-ɛn* への変化(タイプA)と仙韻 *-(j)ian-* への変化(タイプB)に代表される、上古漢語と初期中古漢語の間の『詩経』韻部内の前進は、シナ・チベット語の真の「一次ヨード」をどこに求めることができるかを示唆している。 ## 8. 諧声系列 Baxterが指摘する通り、諧声系列において母音 \*ə と \*a が重なるケースはかなりある。これをどのように説明するかはケースバイケースで考えなければならず、ここでそれを始めることはできない。しかし、その最も重要な要因は、私の書評で取り上げた 而 *ér* や 需 *xū* などの場合のように、間違いなく \*ə/\*a のアブラウトである。これは、インド・ヨーロッパ語の語根における母音 \*e と \*o の交替と比較することができる。私は、例えば 閒 *jiān* の諧声系列における、彼が異なる詩の用字から \*-en と \*-an の間に見出すような混乱がそれとまったく同じものだとは思わない。 ## 9. まとめ 結論として、Baxterの上古漢語の再構をできる限り注意深く公正に研究した結果、それが失敗に終わったのは、以前の他の人たちと同様、彼が中古漢語の音韻論に関する我々の理解の進歩を考慮に入れておらず、『詩経』の押韻に注意を集中させすぎるあまり、漢代の転写や上古漢語そのものの形態論的パターンといった他の証拠を軽視したからだと言わざるを得ない。私にはこれが、我々全員が達成したいと思っている目標であろう、中国文明の形成期における言語の内部構造についてのさらなる洞察や、中国語と他の言語との間の先史時代の関係を理解するための、改善された基礎を提供するとは思えない。 ## 参考文献 - Baxter, William H. 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