# Baxter 1992『*A Handbook of Old Chinese Phonology*』の書評 :::info :pencil2: 編注 以下の論文の和訳である。 - Pulleyblank, Edwin G. (1993). Review of Baxter 1992 “A Handbook of Old Chinese Phonology”. *Journal of Chinese Linguistics* 21(2): 337–380. 誤植と思しきものは、特にコメントを付加せずに修正した。 ::: ## 1. はじめに William Baxterは、この15年間、上古漢語の音韻体系を再構するという現在進行中の事業において重要な貢献者としての地位を確立してきた。それゆえ、この目標に向けた彼の研究の最初の成果を単行本という形で迎えることができるのは喜ばしいことである。彼が達成したと主張する肯定的な結果についてはかなりの批判をするつもりだが、彼が上古漢語の母音体系と『詩経』韻部の性質に関する特定の仮説を論理的結論に至るまで追求したことは有益であると思う。その仮説は、私自身が過去30年にわたって追求してきた仮説とは相反するものであり、両方が正しいということはありえない。また、その他のKarlgrenをはじめ王力や李方桂といった研究者がこの問題を解決しようとした試みの背後にある、より伝統的な仮定にも異議を唱えている。したがって、彼の著書の出版は、この問題全体を検証し、中国言語学と中国史のこの分野の現状を把握する重要な機会を提供するものである。なぜなら歴史言語学は、人類の言語がどのように発展し、時代とともに変化していくのかについての洞察を得る上で重要であると同様に、中国人の初期の歴史や先史時代についての理解についても貢献し得るからである。 本書には10の章と3つの付録があり、本文中に通し番号が振られた54ページの巻末注、参考文献のリスト、索引があり、全部で922ページある。第1章では、中国語の基本的な特徴、方言や言語、言語史の文献資料、時代区分、そして彼の再構作業の指針となった方法論的原則など、一般的な問題を扱っている。第2章は中古漢語、すなわち紀元601年の『切韻』の音韻体系を扱っている。この音韻体系は、彼の主な研究対象である上古漢語の再構の出発点となるものである。上古漢語は、(他の人々もそうであるように)「周王朝初期から中期にかけての中国語」、「およそ紀元前11世紀から7世紀にかけての中国語」と定義されている。第3章は押韻についての理論的考察であり、音韻再構の証拠としてそれがどのように用いられるかを論じている。『詩経』の押韻パターンは、上古漢語に適用可能な音韻対立の閉じた体系を示す唯一の資料であるため、上古漢語再構の重要な問題となっている。第4章では、『詩経』韻部に関する中国の伝統的な学問の歴史的説明を行う。第5章から第8章までは、Baxterによる上古漢語の再構を紹介している。第9章では、『詩経』の文字と本文の変遷に関する言語学的な問題を論じている。第10章は200ページ近くある最も長い章であり、Baxterが新たに分析した『詩経』の押韻の詳細が述べられている。彼はこの分析を基に、上古漢語の再構として6母音体系を支持する根拠を示している。付録Aは、Baxterの上古漢語から彼の中古漢語に至るまでに想定される音韻変化をまとめたものである。付録BとCは、Baxterが再構した『詩経』で韻を踏む単語を、まず『詩経』の順に節ごとに、次に現代的な発音にしたがってアルファベット順に拼音の索引をつけたものである。 私は最近の論文(Pulleyblank 1992a)で、上古漢語を満足のいく形で再構するために必要な条件を4つにまとめた。 1. 利用可能な最良の言語理論の使用 2. 上古漢語の再構に不可欠な基礎としての、中古漢語の正しい再構 3. 再構の指針としての類型論の役割 4. 特定の証拠に特権的な地位を与えない、利用可能なすべての証拠の使用 これらすべての基準の観点からBaxterの著作についてコメントすることにする。 音韻論に関する限り、第1章でBaxterが示した立場は保守的ではあるが、彼が言うように厳密にそうというわけではない(pp. 17–18)。 > ある言語の音韻体系には、(1)その言語の各基礎表現について音韻論的に弁別的なものを具体化した音韻表現の集合、および(2)一般的に適用される音韻規則の集合が含まれる。……表現の単位は音素と呼ばれる。……私は音素を、おそらくはある普遍的な集合に由来する、弁別的特徴(素性)の塊だと考えている。特徴に言及する必要がある場合は、Chomsky and Halle(1968)の特徴体系を便宜的に使用し、必要に応じて追加のカテゴリーや用語で補足する。しかしほとんどの場合は、音素は斜線に挟まれた国際音声記号で表記する。 > > 最近の音韻論の研究の多くは、音節の中でどのように特徴が組織化されているかを研究している。私はこのような研究に共感するが、本書では上古漢語を一般的な音節構造理論に当てはめるつもりはない。 彼の音節理論の軽視は、彼が自覚している以上に深刻な結果をもたらすと私は考えるが、ここで理論的な議論を始めるつもりはない。私の最大の不満は、彼が掲げた原則を実際には守っていないと思われることである。 このことは彼の中古漢語音韻論の扱いに顕著に現れている。彼はそれを、IPA表記による音素の集合としてではなく、「表記は……再構を意図したものではなく、……中古漢語の全ての音韻対立を適切に表しながら、議論の余地ある部分については保留する便利な転写」(p. 27)という形で提示している。彼は、中古漢語の再構の細部について意見を異にするかもしれない他の研究者が、これを標準的な表記法として採用することを望んでいる。残念ながらこの「表記法」は、標準的なキーボードで(ほぼ)「入力可能」であるにもかかわらず、論争の領域に入ることなく『切韻』の「全ての音韻対立」を表すという本質的な基準を満たしているとは思えない。また、昔ながらの意味で厳密な音素主義を装っているわけでもなく、彼がアルファベット綴り表記の音声的解釈を避けたことで、彼が使用する文字が「弁別的特徴の塊」を表していると言う根拠はさらに乏しくなっている。私が思うに、これはBaxterが『切韻』の音韻論の基本的側面にこだわることを避けるためであり、それは彼の上古漢語に関する理論に困難をもたらしている。彼は厳密に関連するもの、すなわち中古漢語時代そのものの共時的証拠に基づくよりも、むしろこれらの理論に照らして解釈することを好んでいる。 タイプライターやパーソナルコンピューターでは簡単に再現できないようなIPA記号を用いた音素表記に代わって、正書法的に単純な代替手段を専門家でない人々に提供することは悪いことではない。この種の提案は、私も『*Lexicon of Reconstructed Pronunciation*』(Pulleyblank 1991a)の序文で行っている。しかし、言語学的な目的からすれば、これは第二段階であるべきで、何を意味し、何を言っているのかがわかる音韻論の記述の代用にはならない。また、何が論議を呼び何が論議を呼ばないかについてのBaxterの見解は、この分野で働くすべての人、あるいは私以外のすべての研究者が確かに共有しているわけではない。例えば、Baxterは「純」四等韻の母音をKarlgrenの *ie* に代えて *e* と書いている。私を含む多くの人はKarlgrenの母音的介音 *-i-* を削除することに賛成するだろうが、今でも影響力を持つ李方桂はそうしなかった。 ## 2. ヨード介音と重紐問題 議論があるだろうが、私見では、Baxterが中古漢語の転写で避けたい最大の論点は重紐、すなわち『切韻』のいわゆる中古三等韻において同じ頭子音を持つ単語が異なる小韻に含まれ、『韻鏡』以降の韻図ではそのうちの1つが三等に置かれ、もう1つは四等に置かれる現象である。Karlgrenによる『切韻』体系の再構や、Baxterを含めその基本的な前提を受け入れる全ての研究者にとってこれが問題となる理由は容易に理解できる。私が最近(Pulleyblank 1992b)紹介したように、Karlgrenは、中古漢語の音韻論を研究し始めて最初に、特定の頭子音(軟口蓋音・唇音・來母 *l-*)の反切上字が、結合する韻によって2つの異なる集合に分かれることを発見した。彼は、一般的に、全体的または部分的に韻図三等に置かれる韻は、これらの頭子音の一方の集合をとるのに対して、もっぱら一等・二等・四等に置かれる韻は、もう一方の集合をとることを観察した。彼はこの反切に関する観察と、先達のKühnert(1890)とSchaank(1897–1902)から受け継いだ韻図の構造に関する理論、すなわち三等韻と四等韻は両方とも前舌高母音を持つが、三等の頭子音は口蓋化され、四等の頭子音は口蓋化されないという理論とを関連付けた。三等では頭子音が口蓋化されるという仮定から、彼は韻図三等に置かれる韻は子音性の介音 *-i̯-* (IPA表記 *j*)で特徴づけられ、一方(もっぱら)韻図四等に置かれる韻は母音性介音 *-i-* で特徴づけられると結論づけた。反切の区別の原因が口蓋化であると仮定した場合、わたり音 \[j] は成節母音 \[i] よりも先行子音の口蓋化作用が顕著になると予想されるため、これは現象の音声学的説明として非常に有望なものである。歯擦音が中古三等韻の中にあっても韻図四等に分類されるのは、これらの頭子音は *-j-* が後続しても口蓋化されなかったと仮定すれば説明できる。しかし、明らかにこの仮説に反して、韻図四等には、反切によれば「口蓋化」した軟口蓋音・唇音の頭子音を持つ単語も存在していた。これが重紐のケースである。 Karlgrenはこの種の反例があることを根本的に知らなかったわけではない。しかし残念なことに、彼は単にその事実を否定することで対応した。当初彼は、この明白な事例を、韻図が伝わるうちに入り込んだ誤りに帰着させようとした。しかし後に、反切が暗示するヨード化は韻図が作られる以前に失われていたに違いないと主張するようになった。もちろん、韻図は反切の区別と等位を結びつける唯一の証拠であり、また重紐の対立は『切韻』自体に別々の小韻が設けられていることによって既に暗示されているという事実も無視しているため、これは全体の議論を循環させている。 重紐対立はKarlgrenの中古漢語再構には全く関与しておらず、また現代中国語方言にもその痕跡はほとんど見られないため、この対立に注目した学者たちでさえ周縁的なものと見なす傾向があり、彼らは一般に、方法を本質的に変えることなく、Karlgrenの体系に何かを付け加えることで対処しようとしてきた。Baxterは中古漢語の研究において様々な日本や中国の学者によって提案されたこの種の解決策を検討したが、この問題は不確定なまま保留しておかなければならないと結論付けており、かつて李方桂が行ったように、対立を示すためにいくつかの恣意的な表記規則を採用しているにすぎない。彼は三等の介音について、主母音が *i* の場合を除いて *-j-* と書き、重紐四等については、母音が *i* の場合だけでなく他の母音が後続する場合でも *ji* と書いている。最後に、硬口蓋わたり音そのものが頭子音となる場合 ==(以母)== については、彼はIPAを放棄して *y-* と表記している。また三等において、以母以外の硬口蓋音の後では介音 *-j-* を省略し、章母 *tsy-*, 昌母 *tsyh-*, 常母 *dzy-*, 書母 *sy-*, 船母 *zy-*, 日母 *ny-* と表記している。このように、*j* と *y* という2つの記号がともに硬口蓋わたり音と呼ばれながらも(おそらく)何らかの違いを意味し、*i* が成節母音を表すこともあれば、(おそらく)単に硬口蓋わたり音の変種を意味することもあるという矛盾は、彼が言語の音韻解析を提供するのであれば、当然ながら極めて不適当である。これは「便利で議論の余地のない」表記法として正当化できるのだろうか。私自身は、それが議論の余地のないものだとは思っていない。私が思うに、唯一の利便性は、初期・後期中古漢語の音韻体系を理解するための核心であり、かつ上古漢語にも大きな影響を与える問題への直面を避けることができるという点である。李方桂が重紐の問題を扱うために採用した同様の表記規則に関して私が述べたように、*j* と *i* という記号は上古漢語の再構において通常の意味で使われているため、これは油断ならない罠である。 またBaxterが、中古漢語における対立が何を意味するのかについて明確な考えを持たずに、証拠がはるかに少ない上古漢語の問題をよりよく解決できると考えていることも矛盾に思える。漢越語、朝鮮漢字音、日本語の万葉仮名、唐代のチベット文字転写、元代のパスパ文字転写、そして標準官話の痕跡から得られる証拠は、韻図における三等と四等の関係がKarlgrenによって再構されたものとは正反対であること、すなわち頭子音が口蓋化したのは三等ではなく四等であることの圧倒的な証拠を示している。私の解釈では、両方とも成節母音 *i* (開口)または *y* (合口)、あるいは二重母音 *ia* または *ya* を持つ韻を持っていた。そのうち舌頂音以外の頭子音の後の四等韻には硬口蓋わたり音が先行していた。こうすれば、重紐現象だけでなく、Karlgrenの体系では説明のつかない、韻図三等の特徴であるはずの硬口蓋わたり音 *-i̯-* そのものが頭子音 ==(以母)== としては韻図四等のみに現れるという事実も、単純な方法で説明できる。また、韻図が示す後期中古漢語における、以母に対応する三等韻の頭子音 ==(云母)== に対しても簡単な解決策を提供する。これは英語の *year* \[jiɹ] に対する *ear* \[iɹ] のように、硬口蓋わたり音を伴わない滑らかな母音 *i* 始まりを意味する(対応する合口の対立は、非円唇 *y* の前に硬口蓋わたり音が伴うか伴わないかと解釈できる)。Karlgrenは自身の体系の論理に制約され、両方に何らかの硬口蓋音を仮定せざるを得なかった。彼は三等の頭子音を *ji̯-* と書き、*j-* は彼にとって「ゼロ頭子音の口蓋化」を示すものであった。 等位の意味の問題を適切に扱うには、韻図体系の発明者が話していた生きた言語である後期中古漢語の観点から検討すべきというのが単純な論理であり、このことはソシュールの共時体系と通時体系の二分法からも導かれる。Baxterは、標準中国語の発展において『切韻』と韻図に代表される2つの全く異なる段階を区別する必要性を認めているが、彼は主に前者に関心があるので、後者を論じる必要はないと主張している。しかしながら、韻図の用語をそのまま『切韻』体系に当てはめるというKarlgrenが確立した伝統を引き継いでおり、『切韻』の200~300年後に考案した人々にとってそれらのカテゴリーがどのような意味を持つものであったかを明らかにしようとはしなかった。このことは、彼が中古漢語の音韻論を説明する上で多くの混乱の原因となっている。 『切韻』が成立した当時の重紐対立の共時的証拠は全て、最終的に韻図三等に置かれた喉音・軟口蓋音・唇音の単語が、韻図四等に置かれた同じ頭子音の単語よりも何らかの点で口蓋化の程度が弱かったという仮定と完全に一致する。また、呉音に対応する万葉仮名の初期の層では、Hattori(1959)が /ji/ と /je/ と解釈している、軟口蓋音・唇音の後にのみ見られる日本語の母音 *i¹* と *e¹* は、規則的に重紐四等音節で表現されている(Pulleyblank 1984: 156–157)[^1]。対照的に母音 *i²* と *e²* は、Hattoriによれば通常の /i/ と /e/ を表し、韻図三等に置かれた単語で表記される。 また軟口蓋音・唇音の後に *o²* (おそらく中舌的な \[ə])や *u* のような他の母音を持つ場合も、しばしば重紐対立のない三等韻の音節で表記されることに注意すべきである。これは呉音における同様の韻の表現に口蓋化特徴が全く見られないことと一致している(Pulleyblank 1984: 213–215)。初期のベトナム語への借用語にもこの特徴が見られ、韻図三等で口蓋化が見られない代わりに、私がタイプB音節(Karlgrenの再構ではヨード介音を持つ音節)とタイプA音節(ヨード介音を持たない音節)の区別と呼んでいるものの代替解釈と驚くほど類似する、*i*, *ɨ*, *u* という高母音を単独で、あるいは *ia*, *ɨa*, *ua* という二重母音の最初のモーラとして持つ音節と、中母音または低母音を持つ音節との対立に基づいている(Pulleyblank 1984: 208–212)。EMCとLMCの間の主な変化は、*ɨ* > *i*, *u* > *y* という非常に一般性の高い単純な前進規則であり、特に両唇音を軽唇音に変化させる原因となった[^2]。 Baxterは、私の著作(Pulleyblank 1984)の書評(Baxter 1987)で述べた反論を繰り返し、裏付けとなる証拠を提示することなく、1音節内に2つの \[+syllabic] 母音が連続することを許す言語の存在可能性に疑念を投げかけている。これは非常に奇妙なことである。私は、彼が言及しているのは長母音の分析についてではなく、私がEMCに再構した /ia/, /ɨa/, /ua/ と、LMCに再構した /ia/, /ua/, /ya/ のタイプの二重母音に限ると推測している。ベトナム語の、しばしば音声的に \[iə], \[ɯə], \[uə] と転写され、語末では *-ia*, *-ưa*, *-ua* と綴られるが末子音やわたり音の前では *-iê-*, *-ươ-*, *-uô-* と綴られる3つの二重母音についてはどうだろうか。この種の二重母音はタイ諸語にも見られる(Li 1977)。これは声調の発達と同様、ここ1千年の間に中国語の影響下にあった遺伝的に無関係な言語間における地域的現象であるようだ。ベトナム語には *nác* \[naːk] ~ *nước* \[nɯək] 「水」のような二重語がある。これはおそらく中国語から借用したもので、上古漢語から中古漢語にかけてタイプA音節とタイプB音節の形成の際に行われたと推測される二重母音化の過程を示唆するものである(Pulleyblank 1992c)。 既に論じた点に加えて、私が最初に上古漢語の再構からヨードを排除しようと考えたのは、唐代以前の外国語の転写ではヨードがまったく無視されているという事実があったからである(Pulleyblank 1962)。Baxter(pp. 842–843, n. 204)は、介音 *-j-* を取り除いた私の再構が「より自然に見える転写」であることは認めるが、これは「他の領域にかなりの犠牲を払って得られたものである」と反論し、VV音節を仮定することに対する類型論的な反論を繰り返すとともに、初期中古漢語の押韻を説明するのに失敗したと主張している(後述)。彼は、転写における余分な *-j-* は、それを持つ音節が他の特徴から見て転写対象の外来語に最も近かかったという理由で正当化できる場合があると論じている。もし本当にヨード介音の強力な証拠があるのなら、この種のアドホックな議論を呼び起こさなければならないが、実際にはそのような証拠はなく、転写がヨードを考慮に入れていないことは、他の共時的証拠が示していることを裏付けているに過ぎない。 『切韻』の中古三等韻に何らかの口蓋化特徴があることを示唆する最も重要な共時的証拠は、サンスクリット語を転写する際の用法から、『切韻』における章母 *tɕ-*, 昌母 *tɕʰ-*, 常母 *dʑ-*, 書母 *ɕ-*, 船母 *j-* が中古漢語で硬口蓋音の音価を持つと保証されていることである。しかし、これは『切韻』にしろ韻図にしろ、硬口蓋わたり音の確実な証拠とはならない。実際には、固有の特徴としてすでに口蓋化されている硬口蓋音に、それとは別の分節として硬口蓋わたり音が後続するというのは、一般的な理由からはむしろ考えにくい。硬口蓋音の後で介音 *-j-* を省略するBaxterの転写体系でもこのことが暗黙のうちに認識されている。このことは、中古三等(タイプB)韻のみに見られる母音 *i* の場合には矛盾をもたらさない。しかし前舌中母音 *e* の場合、Baxterの表記法では介音 *-j-* のある中古三等韻と介音 *-j-* のない中古四等韻とが明確に区別されているが、硬口蓋音と共起するのは前者であって後者ではないという明らかな矛盾がある。なぜ 旃 *zhān* のような単語は、彼の中古漢語転写では頭子音 *tsy-* \[tɕ] と韻 *-en* からなる *tsyen* と書かれるにもかかわらず、先韻 *-en* ではなく仙B韻 *-jen* に置かなければならないのだろうか。 これらの頭子音が韻図三等に割り当てられることを口蓋化わたり音の証拠として正当化する根拠はさらに乏しい。Baxterも認めているように、『切韻』の反切では硬口蓋音とそり舌子音はまったく別のものであるが、韻図による頭子音の分類では「正歯音」という一つの集合として扱われており、この時期までに両者が音韻的に合流していたことを示唆している。その後の官話の歴史から判断すると、硬口蓋音がそり舌音になったのであり、その逆ではない。もし成節性 *-i-* はEMCから継承したもの、あるいは前述の前進規則に由来するもので、中古三等(タイプB)韻ではEMCのそり舌歯擦音の後で一律に削除されたと仮定すると、韻図において、EMCそり舌歯擦音を持つ単語が二等に配置され、EMC硬口蓋音を持ち依然として成節性 *-i-* が後続する単語が三等に配置され、両者が相補分布を形成していることを説明する、非常に一般性の高い簡単な規則を設定することができる(Pulleyblank 1984: 83–84)。この変化の結果は、LMCで *-i* として統合された韻の場合に最もはっきりと見ることができる。これらの韻では、母音 *-i* は元のそり舌歯擦音の後で失われ、現代官話のように成節性 *-ṛ* に置き換えられる。すなわち、そり舌化特徴が頭子音から空の音節核に広がり、例えば 師 *shī* は EMC *ʂi* > LMC *ʂṛ* となった。LMCで既にこの現象が起きていたことは、この単語に対する朝鮮語漢字音 *să* や漢越語 *su* が示している。対照的に、硬口蓋頭子音を持つ単語は 矢 *shǐ*, EMC *ɕiˀ* > LMC *ʂiˀ*, 朝鮮語漢字音 *si*, 漢越語 *thi* のようになる。14世紀の初期官話の時代には、矢 *shǐ* のような単語も母音 *-i* を失い、現在の発音になっていた。これは、私がLMCに再構したように、頭子音が既にそり舌音になっていたことを明確に示している。 Baxterは、硬口蓋音とそり舌音の音韻的合流を、*TSrj-* > *TSr-* と呼んで「EMCの *-i-* と *-j-* がそり舌歯擦音 *TSr-* の後で失われるか後退した」(p. 53)というかなり曖昧な規則で処理しようと試みているが、詳細な議論はしておらず、巻末の注で「この変化の正確な定式化は不明だが、本研究には直接関係がない」(p. 819, n. 43)と述べてこの問題を切り捨てている。しかし私は彼の研究に関係があると思う。なぜなら、彼が正確な定式化に苦労しているのは、Karlgrenにならって全ての中古三等韻に介音 *-j-* を再構し、それを上古漢語にも投影しなければならないという彼の仮定に起因するものだからである。Baxterの規則では、師 *shī* のような単語の *-i* の削除は説明できるが、霜 *shuāng* (彼の中古漢語表記では *srjang*)のような単語は説明できない。*-j-* を削除すると *srang* になるが、これはそり舌音の頭子音を持つため、彼の中古漢語表記で *syang* となる 傷 *shāng* とはまだ最小限の区別が維持されている[^3]。 Baxterを始め複数の研究者にとって依然として魅力的であるKarlgrenのヨード介音は、中古漢語の厳密な共時的証拠によって正当化されるものではなく、上古漢語の舌頂音の口蓋化を通時的に説明する方法によってのみ説明されるものであることは明らかだと思う。もし、チベット・ビルマ語における規則的な対応関係など、上古漢語におけるヨード介音の再構を支持する独立した証拠があり、中古漢語以前にヨードが失われたことを説明する方法があれば、上古漢語にヨードを再構することができるが、そのような証拠はない。そのような証拠がなければ、議論は完全に循環してしまう。私が示したように、前舌であろうと後舌であろうと、高母音の前の舌頂音の口蓋化には類型論的な並行例があるため、そのような方便に頼る必要はない(Pulleyblank 1984: 179)。 ## 3. 初期中古漢語の押韻 Baxterが提起した、私のEMCにおけるタイプB音節に関する解釈に対するもう一つの反論は、特定の場合における押韻を説明するのが難しくなるというものである。彼は特に東韻のタイプAとタイプBについて言及している。私はこれをそれぞれ *-əwŋ* [^4], *-uwŋ* と表記するのに対し、Baxterは *-uwng*, *-juwng* と表記している。これらは詩の中で韻を踏むだけでなく、韻書でも同じ韻目に置かれている。主母音の一致を韻を踏む際の唯一の基準とするならば、明らかにBaxterの勝ちである。しかし、考慮すべき証拠は他にもある。この2つの韻が依然として韻を踏んでいるLMCでは、外国への借用語の証拠が、タイプA韻には \[o] 型の母音を、タイプB韻にはより高い \[u] 型の母音を示すことで一致している。例えば、朝鮮漢字音 *-oŋ*, *-uŋ*、漢音 *-ō* (*-ou* と表記), *-yū* (*-yuu* と表記), 漢越語 *-ông* \[əwŋ͡m], *-ung* \[uŋ] など。もちろんEMCに直接関係するのは呉音で、そこでは両方に *-u* があり、Baxterのケースを支持するように見えるかもしれないが、互いに韻を踏むが東韻とは韻を踏まない冬韻や鍾韻(EMC *-awŋ*, *-uawŋ*、Baxter *-owng*, *-jowng*)にも *-u* を持つため、あまり役に立たない。東韻に対する入声韻である屋韻の場合、呉音は ==漢音などの例と== 並んで、タイプAに *-oku*、タイプBに *-uku* を持つ。冬韻と鍾韻に対応する ==入声韻の== 沃韻と燭韻の場合、呉音は両方に *-oku* を持っており、完全には判別できないが、少なくとも低母音を示している。 2つの両立しがたい証拠があり、そのどちらを選ぶかは個人の好みに任されている。しかし、一言付け加えておきたい。*-əwŋ* と *-uwŋ* が互いに韻を踏むことは、英語の基準では受け入れられないかもしれない。しかし北京の現代口語詩では、*-ʌŋ*, *-iŋ*, *-ɷŋ*, *-jɷŋ* は自由に韻を踏む。このことは英語の基準が中国語の場合には当てはまらないことを示唆している。北京官話の基準では、*-əwŋ* と *-uwŋ* は完全に韻を踏むことができ、これはLMCで *-uwŋ* を置き換えた *-iwŋ* にさえ当てはまる。 音韻論の証拠として押韻をどのように解釈するかという理論的な問題については、後ほど詳しく述べることにしよう。しかし、『切韻』における東韻に関する直接的な問題についてまだ言うべきことがある。私の再構では、母音 *-ə-* と *-u-* は舌頂音 *-n*, *-t*, *-j* の前にも出現するが、その場合別々の韻に置かれ、詩では互いに韻を踏まない。この明らかな矛盾をどのように説明すれば良いだろうか。私の答えは、末尾 *-wŋ*, *-wk* の二次調音としての円唇性わたり音が、母音が異なっていても、韻を踏むのに十分近い音節に見せる効果があったというものである。侯韻 EMC *-əw*、尤韻 EMC *-you*、幽韻 EMC *-you* (B. *-jiw*)は南北朝時代を通じて一貫して互いに韻を踏んでおり(Wáng 1936)、唐代の詩の規定では「同用」として一つのカテゴリーを形成していることに注意されたい。さらに重要なのは、王力の分析によれば、南北朝時代の第一期、4世紀末から5世紀後半にかけて、東韻の単語は互いに韻を踏むことができただけでなく、後に5世紀後半以降東韻から分離して独自の同用カテゴリーを形成した冬韻や鍾韻や、後に個別の同用カテゴリーを形成した二等韻である江韻とも韻を踏むことができたという事実である。彼は対応する入声韻にも同じパターンを発見している。ここで重要なのは、これらの韻は全てに唇化軟口蓋音 *-wŋ*, *-wk* を末尾に再構しなければならないということである。5世紀前半の詩人にとって、これが音節の母音の差異を軽視するのに十分であったことは明らかである。 5世紀後半の習慣の変化は、使用する言語の変化を意味しているのだろうか。私はそうは思わない。王力の論文の題名は南北朝時代を指しているが、この時代の詩のほとんどは南部に由来し、おそらくそれらの方言は共通であったと思われる。方言が変化したことは間違いないが、最終的には3世紀の洛陽をベースとした文学的標準語であり、最終的に『切韻』で体系化された言語である。東韻と冬韻のタイプA韻は『詩経』の時代から区別があり、一つの方言の中で融合した後に再び分裂したとは考えにくい。この2つの『詩経』韻部のタイプB韻は、中古漢語ではクロスオーバーしている。すなわち、冬部のタイプBは東韻のタイプBとなり、東部のタイプBは冬韻と同用の鍾韻となった(なぜこのようなことが起きたのかは、ここでは問題ではない)。二等韻の江韻は、上古漢語の東部と冬部に由来する。このように韻部が混乱した結果、全ての唇化軟口蓋鼻音で終わる単語や全ての軟口蓋閉鎖音で終わる単語はそれぞれ互いに韻を踏むことが許容されるようになったのだろう。しかし5世紀後半には、四声の認識と命名に関連した、より洗練された作詩基準への自意識的な動きがあり、最終的には、厳格な押韻規則と唐代の韻律の規定につながった。これは、それまで一つの韻部として扱われていたものが3つに分かれたことについて、実際の言語的変化を仮定するよりも良い説明であろう。 これらは、私が末尾に硬口蓋音を再構した、最終的に後期中古漢語の梗摂を構成する韻の挙動と並行的である。その例では、対応する『詩経』耕部からLMCに至るまで、韻にはより大きな連続性がある。最も重要な変化は、前漢と後漢の間に陽部の一部分が耕部に推移したことである。南北朝時代、耕部は最後まで一つの韻であったが、数人の詩人が『切韻』の青韻を分離し、やがて規定では同用となった。Baxterは問題の韻を、庚2韻 *-æng*, 庚3韻 *-jæng*, 耕韻 *-ɛng*, 清韻 *-jeng*, 青韻 *-eng* と書いている(合口介音 *-w-* と重紐の慣用表記は無視)。彼の表記法と押韻の証拠を一致させるにあたって最も深刻な問題は、庚3韻 *-jæng* と清韻 *-jeng* は南北朝時代を通じて自由に韻を踏んでおり、唐代にはそれらが同用のままなだけでなく庚3韻 *-jæng* が青韻 *-eng* とも韻を踏んでいること、そして区別が生じる場合は庚3韻 *-jæng* と清韻 *-jeng* の間ではなく、清韻 *-jeng* と青韻 *-eng* の間であることである。これは同じ母音が唇音や歯音の前に書かれるときの挙動とはまったく異なる。その場合、*-jæ-* は出現せず、*-je-* は *-æ-* や *-ɛ-* と韻を踏むことなく常に *-e-* と韻を踏む。これらは彼の表記体系にとって問題であるが、彼はそれに対処していない。さらに彼は、庚3韻 *-jæng* と清韻 *-jeng* が自由に韻を踏めることだけでなく、 *-jen* や *-jem* と表記される単一の韻 ==(仙韻と鹽韻)== の重紐に対応するペアとして適合することを認識しているが、その異常性を説明しようとはしていない。私は別の論文で、梗摂に関するこのような異変について、これらの韻すべてにおいて末尾の軟口蓋音が口蓋化されていることが原因であると論じている(Pulleyblank 1984)。 Baxterが、私のEMC再構は押韻を説明できていないと批判し、彼自身の表記体系の優位性を主張するもう一つのケースは、すでに説明した二重母音 *-ia-*, *-ɨa-*, *-ua-* である。韻 *-ɨan* と *-uan* は、『切韻』では同じ元韻に含まれ、もっぱら上古漢語の \*-an の韻部に由来する(ここではBaxterと私の意見は一致している)が、南北朝時代にはもはや *-an* とは韻を踏まず、代わりに『切韻』の痕韻 EMC *-ən* や魂韻 EMC *-wən* と韻を踏み、唐代になると元韻は単一の同用カテゴリーを形成する。私の主張は、二重母音 *-ɨa-* と *-ua-* の第2モーラを形成する基底 \[+low] 母音は、先行する高母音によって音声的に高くなり、音響的に *-ən* と *-wən* の中段シュワー母音に近くなったのだろうというものである。同様に、仙韻の *-ian* では、その基底母音 /a/ が高くなり、先行する /i/ によって異音的に前進した結果、表出形では先韻の *-ɛn* と韻を踏んだのだろう。EMCとLMCの間で2つのことが起こった。(1)*-ɛn* の母音 *-ɛ-* は先行する硬口蓋わたり音を発展させた後 *-ia-* に割れ、既存の仙韻 *-ian* と合流した。(2)後舌母音 *-ɨ-* と *-u-* が *-i-* と *-y-* に前進し、元韻も仙韻と合流した。この段階では、もはや独立した母音 *-ɛ-* は存在せず、*-ia-* の非音韻的な前進は、LMC *-ian* が漢音では *-en* として現れ、朝鮮漢字音では *-ŏn* \[ʌn] (それ以前の \[en] に由来)として現れるという事実に反映されているものの、*-ian* は、韻図では同じ摂としてまとめられている *-an* と韻を踏むことが許されていた。 Baxterはこの説明に同意していない。代わりに彼は、鈍音の頭子音の後で上古漢語の \*-jan (\*-an ではない)が \[ʌ] (彼の『切韻』体系の表記では *-o-*)に上昇したと考えた。これは不自然な音変化であり、並行例を見出すのは難しいように思う。わたり音 *-j-* の後、特に舌頂音が後続する場合に、*-a-* が前進&上昇をするのは十分自然なことである。並行する例として、官話では、/jan/ が \[jɑ], \[jɑŋ] とは対照的に \[jɛn] として表出する(ただしこの場合でも、/jan/ は基底形ではなく実現される表出形の問題であり、押韻には影響しないと考えられている)。*-j-* と舌頂音の間で母音が上昇&後退をするのは、たとえわたり音 *-j-* の前に(口蓋化されていると思われる)非前舌性の頭子音があったとしても、非常に不可解なことのように思われる。 ## 4. 中古漢語の母音体系 理論的な観点から押韻と音韻論との関係の問題に進む前に、Baxterの中古漢語表記法について、さらに議論すべき点がいくつかある。 彼は母音体系を次のように設定している。 $$ \begin{array}{l} \text{i} & \text{ɨ} & \text{u} \\ \text{e} & & \text{o} \\ \text{ɛ} & & \\ \text{æ} & \text{a} & \end{array} $$ これではとてもタイプライターで「入力可能」なものとは言えないし(ただし彼は *ɨ* の代わりにプラス記号 *+* を、*æ* と *ɛ* の代わりに *ae* と *ea* を使うことができると提案している)、また例えば *o* について「おそらく、後舌非円唇中段母音 \[ʌ] を表すと考えるのが最善であろう」という規定を加えなければならないため、音価に関する彼自身の考えさえも正確に反映していない。実際、*o* が非円唇母音を表していることに疑いの余地はない。これは、*-j-* が先行しない場合は、私の体系の *ə* に対応し、Karlgrenの体系の *ə* または短い *ậ* に対応する。ただし彼が *-owng* と書く冬韻については、Karlgrenの *-uong* と私の *-awŋ* に対応する。この円唇化は後続する *-w-* によってすでに暗示されており、転写で表現する必要はない。タイプBの韻、つまり彼の体系で *-j-* が先行する場合の対応を簡潔にまとめるのはより難しいが、それでもすべてのケースに非円唇母音を想定する多くの理由がある。もし *o* が単に代用文字として意図されているのであれば、少なくとも表の中央の列に配置されるべきである。このままでは、前舌母音と後舌母音が少なくとも部分的に対称であるという誤った印象を与える。前舌母音に4種類の高さの対立がある体系自体が比較的珍しい。英語は音声的には \[e] と \[ɛ] の対立を持つが、両者は相補的な関係にある。デンマーク語も良い例である。しかし、英語でもデンマーク語でも、前舌の非高母音は対応する後舌の非高母音と一致する。前舌母音に4種類の音韻対立があるのに対して後舌非円唇高母音が1つしかない母音体系というのは、疑わしいほどアンバランスである。特にBaxterが上古漢語の仮説体系を設定する際に「自然性」にこだわったことを考えれば(これについては後述する)、彼はこのことに注意を払うべきである。 BaxterがKarlgrenの円唇母音(これは偏った分布を持ち、主に軟口蓋音の前に現れる)の一部を省くことができる理由は、通摂と江摂の末尾の軟口蓋音を *-wng*, *-wk* と表記しているからである(p. 62)。これは私自身の中古漢語再構から暗黙的に借用したものであるため、認めざるを得ない。しかしBaxterは、私が主張するようにこれらが実際に福州方言の対応する韻に見られるような唇化軟口蓋音を表しているのか、それとも彼が言うように単に「少ない母音記号でやり過ごすための表記上の工夫」なのかについて、未解決のままにしておきたいと考えている。彼は、私の再構を支持するために私が提示した種類の証拠については論じていないし、言及すらしていないが、これらの韻の末子音が *-ng* や *-k* を持つ他の韻の末子音とは異なると考えられていたことを『切韻』の配列が示唆していることは認めている。私が考えるに、彼がこのように転写の音声的意味についてはぐらかす理由は、中古漢語の唇化軟口蓋音の末子音は、そのほとんどが上古漢語の対応する末子音から比較的そのまま発展したものであるが、上記の意味合いを認めてしまうと、上古漢語の段階では円唇母音 \*u と \*o がすべての種類の末子音の前に均等に分布していたという彼の仮定が覆ってしまうからかもしれない。 ## 5. 音韻論の証拠としての押韻 詩の工夫としての押韻と音韻論との関係の問題は、一つの主要な詩集における押韻の分析に大きく依存する上古漢語の再構にとって明らかに非常に重要であり、Baxterが理論的な観点からこの問題に取り組もうとしたことは、彼の功績である。彼は、韻の使用は文化的に決定されるものであり、言語によって韻を詩の工夫として使用する程度や、まったく使用しないかどうかさえも大きく異なるという明白な指摘をしている。しかしながら、何をもって韻とするかという定義に関して彼は、2つの行が韻を踏むのは、最後の強勢母音から末尾までが一致している場合である、という英語の慣習に基づく声明がほとんどの言語に適用できると考えている。彼は、ロシア語の *i* と *y* と転写される母音は、音声的には異なるが、先行する子音によって条件付けられる音韻的には同一の音素であるため、韻を踏んでいると考えられることを指摘した後、この記述を音韻同一性仮説とでも呼べるものに改良した。すなわち、言語の並びAとBが韻を踏むのは、最も右の強勢母音から末尾までが音韻的に同一であるとき、かつそのときに限るという仮説である。この定義こそ、彼が『詩経』の押韻に適用するものであり、また『詩経』に用いられている言語の母音体系を確立するための基礎とするものである。しかし、彼は仮説の妥当性を損なう可能性のあるいくつかの要因を認めている。特に、唐代に確立された同用カテゴリーに従うことを要求する中国における詩の規定のような、文化的伝統の力がそうである。彼は、押韻が下位音素の対立に基づくことがあり得るということに対しては、可能な限り否定しようとしている。このことを認めると、彼が展開しようとしている上古漢語の押韻パターンについての論証が著しく損なわれることになる。これは彼の理論において非常に重要な点であるため、反例となりうるものを探すのにかなりの努力を払うと予想されるだろう。しかし、この観点から実際に論じられた唯一のケースは、官話の高母音 \[i], \[y], \[ɨ], \[u] に関するものである。Hartman(1944)の分析によれば、\[i], \[y], \[u] は、先行するわたり音によって条件づけられた一つの高母音である。伝統的に \[i], \[y], \[ɨ] は開音節において互いに韻を踏むが、\[u] が \[i] と韻を踏むことはないため、Hartmanの分析が正しければ、下位音素の対立が韻の踏み方を区別している例となる。Baxterはこれに対して、「これが正しい分析であることは明らかではない」というコメントを付け加えただけで、それに続く短い段落では、音素が心理学的に実在する音の単位であるならば、下位音素の対立を用いる詩人は母語話者が通常気づかない区別をしているはずだ、と先験的な根拠に基づいて主張し、押韻における下位音素の対立の認識は少なくとも極めて稀であると結論づけている。他の言語の話者にとっては意外に思えるかもしれないが、中国語の話者は、確かに \[i] と \[u] の違いを聞き取ることができるが、韻を踏むという目的のために、それが軟口蓋鼻音が続く場合は区別を無視し、また母音 \[i], \[y], \[ɨ] の後に子音が続かない場合も無視することにしたのである。 Baxterが官話の一般的な詩における押韻の問題をより詳細に扱わなかったことは残念である。この問題については多くのことが知られており、どのような音韻分析を採用しようとも、Baxterが言及した問題とは別の困難が提示される。例えば、\[i] と \[u] は開音節では韻を踏まないが、*-eng* \[əŋ], *-ing* \[iŋ], *-ong* \[ɷŋ], *-iong* \[jɷŋ] は、*-en* \[ən], *-in* \[in], *-un* \[wən] (または \[yn]、頭子音によって異なる)と同様に、一つの韻部を形成することが通常合意されている。Baxterはこれを(いくつかの分析が示唆しているように)音韻同一性仮説の証拠とみなしているのだろうか、それとも伝統の力によるものだと考えているのだろうか。私は、純粋に理論的な議論に頼るのではなく、中国の押韻の実際の歴史一般にもっと注意を払うべきだったと思う。私の解釈では、*-ing* と *-ong* が韻を踏むのとは対照的に *-i* と *-u* が韻を踏まないのは、どちらの場合も高母音は基底のわたり音に由来するが、韻の同一性を補強する末子音がない場合、成節母音の表出形の対立が強すぎて韻を踏むことができなかったからである。これらの母音間の音声的対立は、例えば英語の /k/ の発音が *key* と *cool* で異なるように、環境に依存する勾配的特徴ではあるが、言語における対立として認識されることはない。 Baxterによる音素と下位音素という単純な二分法は、分節を弁別的特徴から分析し、語彙の基底の設計から表出形を引き出す中の一連の段階を許容する現在の音韻理論に照らすと、かなり古いと思う。Downer(1987)が説明したベトナム語の伝統的な押韻パターンを考えてみよう。これは母音間の音韻同一性ではなく、弁別的特徴を共有する母音の集合に基づいている。同じ末子音を持つ(または末子音を持たない)音節は、(1) *i*, *ia*, *e*, *ɛ*、(2) *ɯi*, *ɯa*, *ɤ*、(3) *ə*, *a*、(4) *aa*、(5) *u*, *ua*, *o*, *ɔ* の5つのセットのいずれかに該当する母音または二重母音を持つ場合、韻を踏むことができる。(3)の母音に共通するのは、短母音であり、末子音やわたり音なしでは生じないということである。(1)と(5)は、それぞれ \[+front] と \[+round] という特徴を共有する。(2)と(4)の違いは、(4)の \[+low] という特徴にあると思われる。*ɯa* の第2モーラが \[+low] とみなされないのは、このモーラが先行する高母音に従属するものとして扱われ、音声的には中段シュワー \[ə] として実現されるためと推定される。Downerは、*aa* と、*ɤ* と *ɯa* のペア(*ɯ* は除かれるようだ)との間で韻を踏むことがあると指摘している。また *aa* と後舌音の間でも、いくつかの押韻が見られる。Downerが言及した、これらのパターンを乱すもう一つの原因は、異なる末子音の影響である。例えば、1つの長編詩の中で、3つの韻を踏んだ単語が12回連続するセットがあるが、そこでは *-aay* (4)が、*-ay*, *-əy* (3)と1回、*-ɤy*, *-ɯay* (2)と2回、韻を踏んでいる。Downerが言うように、これらのベトナム語の押韻パターンは中国語のそれとは異なるが、言語が押韻の慣習と音韻体系をどのように関連づけるかについて、重要な教訓を与えてくれるように思われる。音韻同一性仮説のような原則を厳格に適用するのは、場違いなようである。さらに、ベトナム語の押韻とEMCの押韻の間には、直接的な類似性さえあるかもしれない。*ia* と前舌母音 *e*, *ɛ*, *ɯa* や中舌母音 *ɤ* が韻を踏むことは、EMCにおいて仙韻 *-ian* と先韻 *-ɛn*、元韻 *-ɨan* と痕韻 *-ən* が韻を踏むことと比較することができる。ただし中国語の場合、対応する高母音の韻である *-in* と *-ɨn* は区別が保たれている。 第3章の残りの部分は、押韻データを分析するための統計的手法の開発に費やされる。これによって、古詩の韻部を帰納的に決定するために中国の学者が用いてきた伝統的な手法に含まれる主観的要素を取り除くことが期待されている。数学的な観点からの評価は、他の方に委ねなければならない。第4章では、清代の中国の研究者によって開発され、最近の研究者、特に王力によって若干の修正が加えられた、『詩経』韻部の伝統的分析について概説している。この章では、これまで英語でこれほど詳細に語られることのなかった物語が語られており、彼自身のさらなる試みにとって必要な出発点となる。 ## 6. 上古漢語の音節——前置子音と頭子音 第5章以降では、中古漢語を離れて、それより千年以上前に遡ることになる。Baxterの手法は、上古漢語の音節を、6つの構造的位置(前置子音、頭子音、介音、主母音、末子音、後置子音)の観点から、仮説的に完全に再構することである。彼の頭子音と前置子音の再構の根拠は、時折閩祖語への言及や、チベット・ビルマ諸語やタイ祖語との比較などを交えつつ、諧声関係と形態素的関係(単語家族)に照らして中古漢語から推測したものであるが、しばしば断片的で体系的でなたいめ、私は比較的多くを語ることができない。Baxterが最初に認めたように、現段階の我々の知識では、多くの点についてその判断は暫定的なものでしかない。とはいえ、Baxterの扱いには検討に値する点も多く、また疑問と思われる点もある。 Baxterは、見 *jiàn* EMC *kɛnʰ* 「見る」 ~ 見(現) *xiàn* EMC *ɣɛnʰ* 「現れる」のような形態論的に関連するペアがある場合、中古漢語の有声阻害音は接頭辞の働きによって対応する無声阻害音から発展したという私の提案を受け入れている。彼は接頭辞を(Pulleyblank 1973と同様に) \*ɦ と書いたが、それがチベット語の *ḫ-* やビルマ語の *ʔă-* と同源であるという私の提案には触れていない。彼は、上古漢語にはそれとは別に元々の有声阻害音が存在していたと仮定している。これはより「保守的」な立場であるが、経済的ではなく、Benedict(1972)が主張し、李方桂によるチベット語の接頭辞の分析(Li 1933)でも示唆されているように、古典チベット語にも見られる初頭の阻害音の3種類の対立(通常の無声音・無声有気音・有声音)は、それ以前の2種類の対立にさかのぼる可能性が高いということを考慮に入れていない。Benedictは、もともとの対立は有声音と無声音の間にあったと仮定したが、それと同じように、チベット・ビルマに基づいて、もともとの対立は帯気性に基づくものであり、通常の無声阻害音はチベット語において二次的に有声化したと主張することもできる。Baxterは、有声化接頭辞とチベット語の接頭辞 *ḫ-* との比較を受け入れるのではなく、Chang and Chang(1977)に従って、接頭辞としての *ḫ-* は前置子音 \*N- であるとする仮定を受け入れている。しかしこれは、チベット文字では འ *ḫ* が独立した頭子音としても扱われるという事実との整合性が取りにくい。他の子音の前に \*ɦ- が付くことで前鼻音化が生じたと考えるのは簡単だが、文字が発明された当時、阻害音の前鼻音化が、独立した頭子音としての \[ɦ] または滑らかな母音始まりと同一視されたとは考えがたい。Baxterは、前置子音要素として \*N- を仮定することで、時折見られる鼻音と閉鎖音の間の諧声関係(例えば、𥁑 *mì* EMC *mjit* ~ 必 *bì* EMC *pjit*)を説明したいと考えている。『説文』によれば、𥁑 *mì* は「拭器」(「拭くための道具」、Karlgrenの翻訳では「器を拭く」)を意味し、Chang and Changはこれをチベット語 འཕྱིད་པ་ *ḫphyid-pa* (འཕྱི་པ་ *ḫphyi-pa* とも)「拭く、拭い去る」と比較している(複合語に見られる ཕྱིས་ *phyis* 「布巾、雑巾、布」にも注意、これは *ḫ-* が接頭辞であることを示している)。残念なことに、Baxterがコメントしている通り秦代以前には 𥁑 *mì* の用例が無いだけでなく、私が利用可能な辞書で調べた限りこの単語の用例は全く無い。したがってこの例は、*ḫ-* と同源の上古漢語の形成要素として \*N- を再構する根拠としては非常に不安定である。チベット語には、*ḫ-* 以外に *m-* という接頭辞があり、これもまた前鼻音化を生じさせる。Baxter自身は、元 *yuán* EMC *ŋuan* 「頭;主要な、最高の;偉大な」の同源語としてチベット語の མགོ་ *mgo* 「頭」と མགོན་ *mgon* 「守護者、後援者;長、主、主人;主神」を挙げているが、これは 𥁑 *mì* 「拭器」よりもはるかに確実な比較のように思える[^5]。 Baxterは前置子音としての \*s- についてかなり広範な議論をしているが、ここでは触れない。\*s- がシナ・チベット語の重要な形成要素であったことは間違いないが、中国語におけるその反射を特定するにはまだ多くの問題がある。 Baxterによる単純頭子音に関する結論の多くは、私が以前で行った提案(Pulleyblank 1962、一部は1973年に修正)と一致している[^6]。例えば、ある種の諧声系列における、口蓋化されない場合には中古漢語の定母 *d-* と透母 *th-* となり、口蓋化される場合には以母 *y-* と書母 *sy-* となる \*l- と \*hl- の再構や、中古漢語の來母 *l-* をかつての \*r- に由来させることなどである。しかし彼は、\*r- が中古漢語の來母 *l-* に発展するのは先行子音が失われた場合であり、絶対的初頭位置の \*r- は中古漢語で以母 *y-* に発展したと考えており、そのために3つの例を挙げている。 - 聿 *yù* EMC *jwit* は、律 *lǜ* EMC *lwit* と 筆 *bǐ* EMC *pit* < \*pr- の声符である。 - 鹽 *yán* EMC *jiam* 「塩」は、藍 *lán* EMC *lam* と声符を共有しており、チベット語 རྒྱམ་ཚྭ་ *rgyam-tshwa* 「岩塩の一種」と比較できる。 - 藥 *yào* EMC *jɨak* 「薬」は、樂 *yuè* EMC *ŋaɨwk* 「音楽」 および 樂 *lè* EMC *lak* 「楽しみ」を声符に持つ。 これは興味深い提案だが、私には納得できない。Baxterも同意しているように、介音としての \*r は上古漢語の歯音の口蓋化を妨げるため、同じ環境で \*r 自体が口蓋化を受けたとは考えにくい。確かに、來母 *l-* が同じ諧声系列上で他の頭子音と交替する場合、それは通常失われた先行子音とのクラスターを表すという証拠がかなりある。しかし、このような系列に以母 *j-* が出現するのはかなり稀であり、これが単純頭子音を示している可能性は低いと思われる。私は様々な理由から、シナ祖語には頭子音としての \*r は全く存在しなかったのではないかと考えている。例えば、アルタイ語、日本語、そしておそらくインド・ヨーロッパ祖語を含む様々な言語にもこれは存在しない。 ## 7. 上古漢語の韻 今こそ、Baxterの努力の主目的である、上古漢語の6母音体系の確立と、『詩経』の押韻の新たな分析によるその正当性の証明に目を向ける時である。 『切韻』の韻目との比較に基づく伝統的な『詩経』韻部の分析では、中古漢語で通常想定される末子音の分布は非常に不均衡である。中古漢語の平声・上声・去声の声調対立を無視すると、\*-m, \*-p で終わる韻部がそれぞれ2つずつ、\*-n, \*-t で終わる韻部がそれぞれ3つずつ、\*-ŋ で終わる韻部が5つ、\*-k で終わる韻部が6つある。\*-t と \*-k で終わる各韻部は、中古漢語の母音またはわたり音で終わる音節を生じさせる、いわゆる陰声の韻部と関連付けられる。Karlgrenは、基本的に伝統的な分析を受け入れ、唇音・歯音・軟口蓋音の前に母音 \*ə と \*a を再構し、加えて歯音と軟口蓋音の前には前舌母音、というより二重母音の \*ie を再構し、さらに軟口蓋音の前にだけ3種類の後舌母音 \*u, \*ô \[o], \*o \[ɔ] を再構した(また、中古漢語の反射の違いを説明するために、ほとんどの母音に亜種を仮定した)。このように母音と末子音の分布が非常に偏っており、納得のいくものではなかったため、彼の後継者のほとんどは、何らかの形でそれを改良しようとしてきた。 中古漢語では介音 *-w-* の分布が非常に限られており、軟口蓋音・喉音の後を除けば、*-n*, *-t* で終わる韻か、上古漢語の陰声に対応する母音・わたり音で終わる韻のみに見られる。Jaxontov(1960)は、中古漢語の介音 *-w-* は、母音 \*u と \*o が歯音の前で \*wə と \*wa に割れたものか、上古漢語の唇化軟口蓋音・喉音の頭子音に由来すると提唱した。彼は諧声系列から裏付けとなる証拠を提示し、また、母音 \*ə と \*a を持つ韻部とは別に、歯音の前に母音 \*u と \*o を持つ韻部を設定できることを示そうとした。これが、Baxterが唇音の末子音の場合にも拡張して修正した形で採用した円唇母音仮説である。 前舌母音仮説もJaxontov(1965)が見越していたもので、Karlgrenが母音的介音 *-i-* を伴う二重母音を再構したところに、\*i と \*e という2つの前舌母音を仮定することで、前舌母音の分布の限定性を解消するものである。すなわち、軟口蓋音の前では \*e がKarlgrenの \*ie を置き換え、歯音の前では \*i がそれを置き換える。Karlgrenが、中古漢語の先韻 *-ien* が従来の元部 \*-an に由来する例を説明するために \*-ian を再構したところに、Baxterは \*-en を再構する。歯音を持つ他の韻部についても同様である。Karlgrenが先韻 *-ien* の起源として \*-iən を再構した数少ない事例について、Baxterは \*-ɨn における「鋭音」(すなわち舌頂音)の頭子音の影響と説明している。Baxterはまた、宵韻 *-ew* (= EMC *-ɛw*, Karlgren *-ieu*) の起源としてKarlgrenの \*-iôg と \*-iog の代わりに \*-iw と \*-ew を再構し、錫韻 *-ek* (= EMC *-ɛjk*, Karlgren *-iek*) の起源として \*-iwk と \*-ewk を再構している。 私は一時期、上古漢語に古典チベット語のような5母音体系を設定するために、Jaxontovの仮説には気づかずによく似た路線で研究していたが、最終的にそれはうまくいかないと判断し、\*ə と \*a という2種類の対立的な主母音だけを用いた別の分析を支持して、上記の考えを放棄した(Pulleyblank 1962: 142, 1963: 207–208)。新しい分析は、この分野で研究している他のほとんどの学者にとっては直感に反し、不自然なことのように思われたが、北西コーカサス諸語やその他の言語に類型論的な先例があるだけでなく(Pulleyblank 1991b: 45–46)、Hartman(1944)やHockett(1947, 1950)以来親しまれてきた官話の音韻分析や、私の後期中古漢語の分析にも対応している。上古漢語に関して言えば、この仮説は、唇化軟口蓋音や硬口蓋音など、末子音の種類を増やすことを意味する。それ後、私はそれらが中古漢語にも必要だと思うようになった[^7]。円唇母音とそれに続く軟口蓋音を持つ第三のカテゴリーを説明するために、私は一時期、口蓋垂音の末子音を提唱していたが(Pulleyblank 1977)、現在では、福州 *-øyŋ* などのような、口蓋化唇化軟口蓋音を提唱している(Pulleyblank 1991b)[^8]。 Baxterは、(官話の例があるにもかかわらず)2母音の分析は不自然であるとして否定し、代わりに、円唇母音仮説と前舌母音仮説の観点からの上古漢語の全面的な再構を提示している。彼は上古漢語に、前舌・中舌・後舌の3つの高母音(\*i, \*ɨ, \*u)と、前舌と後舌の2つの中段母音(\*e, \*o)、そして中舌の1つの低母音(\*a)からなる対称的な6母音体系を仮定している。これらは、ゼロを含む10の末子音と、\*-s と \*-ʔ の2つの後置子音と組み合わさって、押韻の単位としての韻を構成し、彼が修正・拡張した『詩経』韻部の解釈を構成している。 ## 8. 末子音と後置子音 末子音体系は、母音体系ほど整然かつ対称的ではない。3つの閉鎖音 \*-k, \*-t, \*-p と、それに対応する鼻音 \*-ng (\*-ŋ を指す), \*-n, \*-m に驚きはない。鼻音と閉鎖音に加えて、2つのわたり音 \*-j, \*-w があるという仮定も、経済的で自然という点では文句のつけようがないし、末子音を持たない開音節がいくつか存在したという仮定も、押韻や諧声関係を説明するためには開音節ではなく何らかの軟口蓋音の再構が必要だと考えている研究者もいるものの、十分に自然である。しかしそれらに加えて、対応する鼻音を持たず、分布が限定された唇化軟口蓋音 \*-wk があるのは、特に頭子音としては唇化軟口蓋閉鎖音 \*kʷ と唇化軟口蓋鼻音 \*ngʷ の両方が再構されているため、異常である。既に述べたように、Baxterは中古漢語の「表記法」において、私の唇化軟口蓋音 *-wk*, *-wng* の仮説を暗黙の内に認めているが、その実在性については自説を避け、ほとんどを上古漢語の円唇母音に後続する軟口蓋音に由来させている。彼が上古漢語に \*-wk を再構しなければならないことをあまり快く思っていないことは明らかだ。ほとんどの場合、彼の上古漢語の \*-wk は中古漢語の *-k* となり、彼の中古漢語で *-wk* や *-wng* と書かれる韻は、上古漢語の円唇母音から二次的に発展したと推測される。彼は以前、上古漢語 \*-wk の代わりに上古漢語 \*-wʔ を再構していたが、現在では中古漢語の上声は末尾の声門閉鎖音に由来するという仮説を受け入れているため、その解決策を諦めざるを得なくなった。 彼の体系における分布上のギャップは、開音節または軟口蓋音が後続する \*i の韻部がないことである。彼は、『詩経』では真部 \*-in として韻を踏んでいるが中古漢語では耕部 \*-eng に由来するかのような反射を持つ単語や、質部 \*-it として韻を踏んでいるが中古漢語では *-ik* の反射を持つ少数の単語に基づいて、いくつかのケースで暫定的に \*-ing, \*-ik を再構している[^9]。逆に、彼は上古漢語に \*-ej という韻がないことを認めている。これは明らかに、彼が自身の理論に制約されて、より単純で自然な解決策を見過ごしたケースである。彼の体系において齊韻 *-ej* は上古漢語の \*-ij と開音節 \*-e の合流に由来しており、そのために特別な *j*-挿入の規則を設定しなければならない。もし彼が上古漢語の支部に \*-e ではなく \*-ej を再構していれば、このような特別な規則は必要なく、彼の体系で \*-in と \*-en が先韻 *-en* として統合されるのとまったく並行的になっただろう。私の知る限り、上古漢語に \*-ej ではなく \*-e の再構を支持する独立した証拠はない。それどころか、タイ語、ベトナム語、ミャオ・ヤオ語には、この韻部のタイプA韻とタイプB韻の両方について、私が支持する \*-aj の再構を支持する初期の借用語がある。雞 *jī* EMC *kɛj* 「鶏」, タイ祖語 \*kai B1 (Li 1977), スイ語 *qai* B1 (Li 1965), ミャオ語ペッチャブーン方言 *qai¹*, ヤオ語 *tcai¹* (Purnell 1970)や、紙 *zhǐ* EMC *tɕiăˀ* 「紙」, ベトナム語 *giấy*, ヤオ語ミエン方言 *tsə̆i* (Downer 1973: 27)を比較されたい。 Baxterは理論的な理由から支部に \*-j を再構したがらないが、他の人々が \*-r や \*-l を再構しようとした歌部や微部には \*-j の再構を主張している[^10]。この場合、微部の中古漢語反射が一様に *-j* の韻を持っているという事実だけでなく、閩語の白話などの南部方言に散見される形、またベトナム語や韓国語への初期の借用語からも、彼の主張が支持されており、歌部における \*-j の再構も同様である。問題は、歌部と微部、元部と文部のそれぞれの間で韻部をまたぐ諧声関係と押韻どのように説明するかである。もし \*-ar と \*-ər、あるいは私の好む \*-al と \*-əl を再構すれば、漢代までに \*-l が口蓋化して \*-j になったと容易に推測でき、そうして初期の借用語や南部方言における \*-aj の痕跡を説明することができる。実際私は、\*-əl は『詩経』の時代にはすでに \*-əj に推移しており、それが『詩経』の押韻において微部と脂部を明確に区別することの難しさを説明していると考えている。Baxterは \*-n との接触について、いくつかの方言では \*-n が早い時期に脱鼻音化したと説明している。しかし、\*-an から \*-aj への変化は、単純な脱鼻音化では説明できない。予想されるのは \*-an > \*-ã > \*-a であろう。Baxterは、\*-an と \*-aj が *-e* として合流した現代の蘇州方言を挙げているが、この合流の最初の段階が \*-an から \*-aj への変化で、その後 \*-aj が \*-e に単母音化したと考える理由はない。それよりも、脱鼻音化が起こる前に、\*-an が \*-en に前進していた可能性の方がはるかに高い。 諧声関係と押韻における \*-n と \*-l または \*-r を一貫して明確に区別することができないのは、依然として問題である。もし方言の違いを仮定しなければならないのであれば、頭子音 \*l- と \*n- の混同は現代中国語方言に広く見られる現象であり、末子音における同じ子音をかつて混同していた可能性は大いにある。しかし、上古漢語に2つの末子音が組織的に合流したという明確な証拠はないように思われる。さらに複雑なのは、チベット・ビルマ語との比較から言えば、\*-n, \*-l, \*-r の3種類の対立の痕跡が見つかるはずだということである。ある場合には \*-r が \*-l と、またある場合には \*-r が \*-n と合流し、我々の資料に痕跡を残している上古漢語の方言は、この2つの傾向の異なる混合を示しているのかもしれない。Handel(1992)による別の提案は、彼が(李方桂に倣って) \*-ar と \*-an と呼ぶものの接点は、クラスター \*-arn を仮定し、その鼻音接尾辞が保持されるか否かによって \*-ar か \*-an のどちらかに発展したと考えることで説明できるというものである。これは、中国語の形成接尾辞としての \*-n と \*-t に関する私の最近の議論(Pulleyblank 1991c)と関連しているかもしれない。決定的な解決策を導き出すには、さらなる研究が必要である。 Baxterが李方桂が上古漢語の之部・魚部・侯部を通して再構した軟口蓋音 \*-g を排除しようとする例では、彼はより有利な立場にいるようだ。Karlgrenでさえ、魚部と侯部に含まれる単語が全て末子音を持っているとは考えず、かなり恣意的に、それぞれ \*-o と \*-âg の韻部、および \*-u と \*-ug の韻部に分けることを主張していた。Baxterはさらに踏み込んで、これらの韻部すべてにおいて、有声非鼻音の末子音を排除することが可能だと考えている。彼の主張の重要な点は、中古漢語の去声と上声の起源としてそれぞれ後置子音 \*-s と \*-ʔ を再構することであり、もちろん私もこれには全面的に同意する。一方で私が同意し難いのは、非常に早い段階で \*-ks が \*-s に簡略化されて軟口蓋音の痕跡が完全に失われ、対応する陰声韻部において、軟口蓋音要素が介在することなく \*-as, \*-ɨs, \*-us などを再構できるという彼の仮定である。かつての \*-ts (\*-ts < \*-ps を含む)に由来する \*-s が漢代まで、かつての \*-ats に由来する \*-s は南部において紀元500年頃まで維持されていたことを示す十分な証拠がある一方で、\*-ks や対応する陰声韻に由来する去声の単語に何らかの歯擦音があったという転写の証拠は、私の知る限りまったくない。しかしながら、漢代には、これらの韻部で入声と去声が時折韻を踏むことがあった(Luo and Zhou 1958)。これは、私が提案したように、\*-ks がまず軟口蓋摩擦音 \*-x に発展したのであれば理解できるが、そのような単語は既に『詩経』において魚部の去声の単語と韻を踏んでいるため、魚部の平声と上声の単語には、\*-k とは異なる何らかの軟口蓋音性の分節が存在していたことを意味する。 母音\*o と\*u の後に \*-s が直接ゼロに付加されたと仮定する際のBaxterの観点からのもう一つの難点は、彼が説明なく注釈を入れているように(p. 566)、これらの母音が「鋭音」(舌頂音)の末子音の前で \*wɨ と \*wa に変わるという彼の規則が \*-us と \*-os には適用されないことである。 もう一つの説得力のある議論は、之部のタイプA音節が、EMCの二重母音 *-əj* に発展するというものである。Baxterはこれを、齊韻 *-ej* を \*-e に由来させた時と同様の *j*-挿入規則によって説明しているが、私はこれではとても納得できない。\[e] のような前舌母音が \[ej] に二重母音化するのはごく自然なことだが(ただし上古漢語にそれを仮定する必要はないと思う)、\[ə] や \[ʌ] のような中舌・後舌母音から硬口蓋わたり音が自然発生するのは、まったく理由がないように思われる。 偶然にも、初期のタイ語への借用語が貴重な手がかりを与えてくれる。十二支の1, 6, 12番目は、全て上古漢語の之部に由来するが、Li(1945)はそのタイ語形を次のように示している[^11]。 | | EMC | アホーム語 | ルー語 | チワン語 | | :-------------------------- | :----- | :--------- | :------ | :-------------- | | 子 *zǐ* 「十二支の1番目」 | *tsɨˀ* | *cheu* | *tɕai³* | *chaeu³* \[ʃaə] | | 巳 *sì* 「十二支の6番目」 | *zɨˀ* | *sheu* | *sai³* | *seu³* \[sə] | | 亥 *hài* 「十二支の12番目」 | *ɣəjˀ* | *keu* | *kai⁴* | *kaeu³* \[kaə] | 李方桂は、Karlgrenによる \*-g を持つ上古漢語の再構を受け入れたが、\*-g はまず摩擦音 \*-ɣ になり、後に後舌非円唇母音 \*-ɯ (アホーム語やチワン語では二重文字 *-eu* で表記される)に置き換わったと考えた。より可能性が高いのは、これらの単語の末子音に有声閉鎖音・摩擦音はなく、代わりに記号 \[ɤ] [^12]または近年のIPAの特殊記号 \[ɰ] で書くことができる、共鳴軟口蓋わたり音が存在したというものである。アホーム語とチワン語の形では2つの二重母音、すなわち、(1)十二支の12番目におけるタイプA韻や中段非円唇母音の、おそらく李方桂の再構によるタイ祖語の \*-əï (Li 1977: 288)に対応するものと、(2)十二支の6番目におけるタイプB韻の、タイ祖語の \*-ïï (1977: 264)やEMC *ɨ* に対応するものとを、区別していることに注意されたい。この二重母音 \*-əï は、上古漢語の微部の、4世紀末頃に起こったと思われる \*-əj との合流よりも前の後期上古漢語の形 \*-əɰ に対応する[^13]。ルー語形に見られる二重母音 *-ai* は、シャム語の \*-əï から規則的に発展したものである。 十二支の1番目は、中国語ではタイプB韻を持つが、アホーム語とチワン語ではタイプA韻のように扱われている。このようなタイプA韻とタイプB韻の間の揺らぎは、ベトナム語への借用語や、ベトナム語の固有語、さらにはベトナム語とムオン語の間でも見られる。このことは、おそらく上古漢語における韻律的対立から生じたと思われる2つのタイプの分裂が、中国語の影響圏内にあった東南アジア言語の間で、言語の境界を越えて地域的特徴として広がったという見解を支持するものである(Pulleyblank 1992c)。 之部と魚部に含まれる全ての単語に特有の末子音分節を再構することについては、まだ問題がある。例えば、否定助詞の 不 *bù* EMC *puw* の最も単純な形はおそらく単なる \*p- で、後続する単語の接語として機能し、挿入母音としてシュワーが加えられ \[pə-] と実現されていた。休止の前には自動的に声門閉鎖音が添加されて \[pəʔ] となり、EMC *puwˀ*、官話 否 *fǒu* となった。しかしながら、之部と魚部の両方において、一般的規則として末子音に何らかの軟口蓋音分節を再構することは、必要な前提であるように思われる。 Baxterは従来の幽部と侯部の音節末に後舌母音 \*-u と \*-o を再構しているが、これはかなり混乱と矛盾を含む仮定を導いているようである。\*-j- が先行しない場合(つまりタイプA音節)、中古漢語ではどちらの母音も二重母音化するが、相対的な高さの位置が逆転する(\*-u > 豪韻 *-aw*, \*-o > 侯韻 *-uw*)。\*-j- が先行する場合、Baxterの表記法ではこれらは合流したようにも見えるが、\*o は二重母音化しないという違いがある(\*-ju > 尤韻 *-juw*, \*-jo > 虞韻 *-ju*)。私の現在の見解では、この2つの韻部の違いは、末尾のわたり音にある。すなわち、幽部は \*-əw で、侯部は \*-aɥ だった。\*-əw はタイプA音節ではEMC *-aw* に下がり、タイプB音節ではEMC *-uw* に発展した。\*-aɥ はその前舌性を失ったが、\*-aj とある程度並行して発展した。タイプA音節ではEMC *-əw* (\*-áj > EMC *-ɛj* と比較)、タイプB音節ではEMC *-uă* (\*-àj > EMC *-iă* を比較)となった。 ## 9. 円唇母音仮説 これまで見てきたように、円唇母音仮説は2つの結論を導く。まず第一に、この仮説は中古漢語における介音 *-w-* の偏った分布を説明する。舌頂音の前で上古漢語の円唇母音が二重母音化したと考えれば、対応する中古漢語の韻において、介音 *-w-* が鋭音の後に見られるという事実を説明することができる。第二の結論は、円唇母音が舌頂音に後続する場合、『詩経』の押韻が区別されるという主張である。 この仮説の第一の結論を維持することの難しさは、上古漢語の末子音に関する議論において既に現れている。すなわち、2つ以上の円唇母音が必要であること、あるいはKarlgrenが『詩経』の押韻の区別を説明するために軟口蓋音の前に円唇母音を再構した場合に、少なくともいくつかの唇化軟口蓋音を仮定する必要であること、そして円唇母音の二重母音化を引き起こす上で \*-s が他の舌頂音と同じ効果を持たなかったと仮定する必要があることなどである。中古漢語の分布を同じように説明できる、もっともらしい代替仮説が存在することが示されれば、この仮説はさらに弱まるだろう。Pulleyblank(1977)では、そのような仮説を展開するために、いくつかの可能性のある議論が提示されている。そのひとつは、場合によっては、口蓋化によって本来の唇化軟口蓋音の頭子音が前進した可能性があるということだった。これは、Baxterが唇化軟口蓋音の前に接頭辞 \*s- がつくと説明した例外的なケースとほぼ同じである。例えば、荀 *xún* EMC *swin* はBaxterが \*swjin と再構築したものであり、宣 *xuān* EMC *swian* は彼が \*swjan と再構したものである[^14]。このような説明は、個々のケースでは有効な可能性のように思えるが、当然ながら中古漢語の舌頂音の後に *-w-* が続くケース全体を説明することはできない。さらに、他の種類の末子音が同じ過程をたどった例、例えば、中古漢語の *swaŋ* を生じさせたと仮定される \*s-waŋ が存在しない理由を説明する必要がある。 現在、私が一般的なケースとして支持する仮説は、\*-n, \*-t, \*-l は形成接尾辞であり、それが円唇性のわたり音で終わる形態素に付加された場合、わたり音が音節核の前に移動したというものである(\*Caw-n > \*Cwan など)。こうした形成の予備的考察については、Pulleyblank(1991c)を参照されたい。これが諧声関係に反映されている例として、需 *xū* EMC *suă* < \*snàɥ 「待つ」(Baxterの体系では \*snjo)は 耎/輭 *ruăn* EMC *ɲwianˀ* 「柔らかい、弱い」の仮借字として使われるほか、懦 *rú* EMC *ɲuă* 「弱い、臆病な」(*nuò* EMC *nwaʰ*, *nuàn* EMC *nwanʰ* の読みもある), 儒 *rú* EMC *ɲuă* 「弱い、臆病な;儒学者」, 孺 *rú* EMC *ɲuă* 「赤ん坊」など、語源的に関連する単語の声符としても使われる。Karlgrenは、耎 と 需 との関係は純粋に字形上の混乱であると主張したが、『説文』が示すように、両者の基本的な声符は 而 *ér* EMC *ɲɨ* < \*nə̀ɤ < \*nə̀ɥ 「(動物の)ひげ」に違いなく、これは後に 須 *xū* 「待つ」の意味に置き換えられた 需 と同音の *xū* EMC *suă* 「ひげ」の同源語である。また 㨎 *ruò* EMC *ɲwiat* 「浸ける、浸す」という単語もあり(「需」を声符として書かれる場合もある)、これは 濡 *rú* EMC *nuă* 「湿らせる、浸す」の \*-t 型派生語に違いない。「臆病な、弱い」という意味での 懦 の通常の現代音 *nuò* は、EMC *nuaʰ* と上古漢語の歌部に由来し、接尾辞 \*-l (または上で述べた \*-l と \*-n の混同)を示している。 \*-wan, \*-wat, \*-wal は、(私の現在の見解では) 侯部 \*-aɥ に属する語根に歯音接尾辞が付加されただけでなく、宵部 \*-aw にも由来すると考える十分な理由がある。例えば、奪 *duó* EMC *dwat* 「奪う」は、盗 *dào* EMC *dawʰ* 「泥棒、強盗」に見られる語根からの派生語かもしれない。さらに明確なケースは、瑣 *suǒ* EMC *swaˀ* < \*swálʔ 「小さい、断片」である。この文字の右側の部分は、文献上の記録はないが同じ読みを持ち、小 *xiǎo* EMC *siawˀ* < \*sàwʔ 「小さい」という要素を含んでいる。字形・音韻・意味の対応から、この2つの単語が語源的に関係していることを疑う余地はほとんどない。沙 *shā* EMC *ʂaɨ* 「砂」には介音 *-w-* がないが、これは 莎 *suō* EMC *swa* 「植物の名前」の声符である。これらはおそらく 少 *shǎo* EMC *ɕiawˀ* 「少ない」を声符としている。ただしこの場合、接尾辞 \*-l が付けられた語根が何であるかは不明である。 同様の議論は、上古漢語の文部にも当てはまる。例えば、温 *wēn* EMC *ʔwən* 「暖かい」は 媪 *ǎo* EMC *ʔawˀ* < \*ʔə́wʔ 「老婆」と同じ声符を持ち、おそらく \*ʔə́w-nʔ > *ʔwən* と再構できる。 \*-ɥ と \*-w を持つ形に接尾辞 \*-n, \*-t, \*-l が付加された結果、このような形態論的プロセスが伴う末子音クラスターを排除する音節構造規則を満たすために、わたり音が主母音の左側に直接音位転換したのか、あるいはまずわたり音的特徴が音節核の中に移動して新たな母音対立が生まれ(\*-əwn > \*-on, \*-aɥn > \*-œn > \*-ɔn, \*-awn > \*-ɔn など)、後に後舌円唇母音が再び二重母音化したのか(\*-on > \*-wən, \*-ɔn > \*-wan)を判断するのは難しい。これは、\*-on, \*-ɔn などの韻が弁別的に存在した移行期の可能性を認めるものであり、もしそれが『詩経』の時代と重なるとすれば、\[+round] の特徴は最終的に頭子音か韻に由来し、基本的な母音体系の一部として仮定する必要はない、という仮定と矛盾することなく押韻を説明することができる。 これと関連して、閩語の白話(口語)には、舌頂音の頭子音を持つ、EMCの *-wan* と *-wən* に対応する音節に円唇母音を持つ形があることは興味深い。例えば、酸 *suān* EMC *swan* 「酸っぱい」と 孫 *sūn* EMC *swən* はどちらも福州 *souŋ*, 建甌 *sɔ* (Beijing Daxue 1985), 隆都 *sɔn* (Egerod 1956)となる。一方、福州では、Baxterが押韻に基づいて区別を試みた \*-on と \*-an に関係なく、軟口蓋音の後のEMC *-wan* に対応する音節に *-uɔŋ* または *-uaŋ* があり、唇音の後のEMC *-an* に対応する音節に *-uaŋ* がある。また、福州の *-uɔŋ* 韻、隆都の *-uan* 韻(いずれも *-u-* はわたり音 \[w] ではなく成節母音と思われる[^15])も、軟口蓋音・唇音の後の、私がEMC *-uan* に再構したタイプB韻に対応する音節に見られる。したがって、上古漢語の文部と元部に対応する閩祖語 \*-ɔn は、上古漢語から直接継承されたものであり方言圏内の特殊な発展ではない、と考えることはできない。 もちろん、上古漢語の唇化軟口蓋音に由来する可能性があるにもかかわらず、中古漢語の軟口蓋音で終わる韻に舌頂音の後の介音 *-w-* が見られないことは、Baxterの円唇母音仮説と同様に、ここで提示した仮説にとっても問題であることを指摘しなければならない。私は、中古漢語の口蓋化も唇化もされていない末子音は咽頭化されており、また現在でも北京官話の末子音 *-ŋ* はそうであると考える十分な証拠があり、おそらく広東語の末子音 *-ŋ*, *-k* もその可能性があると主張した(Pulleyblank 1992d)。このような末子音の二次的調音の存在が、中古漢語以降、これらの韻が唇音や舌頂音で終わる韻とは異なる発展を遂げた要因である。完全な理論を提供できる立場にはないが、上古漢語の「通常」の軟口蓋音の末子音も咽頭化されていた可能性が高く、それが、このような音節におけるある種の頭子音クラスターの挙動の違いの原因となっていると思われる。 ## 10. 前舌母音仮説 母音の特徴としての \[+round] が、全て上古漢語における子音環境に由来することを示すことに成功すれば、\[+front] も同様である可能性が強まる。別の論文で示したように、伝統的な『詩経』韻部の枠組みでは、Baxterが \*-eng, \*-ek, \*-e と再構した耕錫支部は低母音と口蓋化した末子音を持ち(\*-aŋʲ, \*-akʲ, \*-aj)、Baxterが \*-in, \*-it, \*-ij と再構した真質脂部は非低母音と口蓋化した末子音を持つと仮定することで、これは部分的に達成される。これは、Baxterの体系におけるいくつかの分布上の空白、すなわち \*-ing, \*-ik, \*-i, \*-ej が存在しないことをうまく処理できる。上古漢語における末子音に舌頂音・唇音・唇化軟口蓋音を持つ他の韻部に由来する、タイプA四等韻のEMC前母音 *ɛ* (=Karlgrenの *ie*、Baxterの *e*)の(関連するタイプA二等韻、タイプB四等韻と並行的な)発展については、説明が必要である。Karlgrenの解決策は、母音的介音 \*-i- が後続する主母音をすべて *-e-* に前進させたと仮定することであった(\*-ian > *-ien*, \*-iok > *-iek* など)。Baxterの仮説は、中古漢語の \*e はすべての場合において上古漢語の \*i と \*e に遡り、従来の韻部からこれらの母音を持つ別個の韻部を分離する必要があるというものである。私の立場は、伝統的な韻部の分析は基本的に正しく、EMCの母音 *-ɛ-* を伴う新しい韻は、頭子音に関連する口蓋化特徴の影響を受けて発展したというものである。 これらの口蓋化特徴がどのようなものであったかを示す例として、チベット語 ཁྱི་ *khyi*, ビルマ語 ခွေး *khweḥ* と同源の 犬 *quǎn* EMC *kʰweɛnˀ* 「犬」、チベット語 མཁྱེན་པ་ *mkhyen-pa* 「知る」と同源である可能性が非常に高い 見 *jiàn* EMC *kɛnʰ* 「見る」、チベット語 བརྒྱད་ *brgyad* 「8」と間違いなく同源である 八 *bā* EMC *pəɨt* 「8」を挙げることができる。これらの単語や類似の単語について詳しく論じるには、ここで紹介するにはあまりにスペースが足りないが、これらはすべてBodman(1980)が「一次的ヨード」と呼ぶものの例であり、中古漢語の再構に関する誤った理論の産物である偽のヨードとは対照的に、シナ・チベット祖語に遡る。「犬」を指す単語には、おそらく口蓋化唇化軟口蓋音[^16] \*kᶣʰ- があり、これはチベット語では唇化特徴を失い、ビルマ語では前舌母音に反映されることを除いて口蓋化特徴を失った。同様に、私は暫定的に 見 *jiàn* を \*mkᶣáns と再構する。これは前置子音 \*m との異化によって唇化特徴を失った。対応するタイプBの単語は 面 *miàn* EMC *mjianʰ* < \*mkᶣàns 「顔」で、これは 見 *jiàn* と同じく字形の要素として「目」を含んでおり、同源語である可能性が高い。李方桂(Li 1933)は、チベット語 བརྒྱད་ *brgyad* の *-g-* は後の挿入音であると考えた(\*-ry- > *-rgy-*)。もし、八 \*prját > EMC *pəɨt* を再構すれば、2つの二等韻のうち、鎋韻 EMC *-aɨt* (Baxter *-æt*)とは対照的な、黠韻 *-əɨt* (Baxter *-ɛt*)という高い方の韻への発展を正しく予測することができる。これらの詳細が正しいかどうかは別として、シナ祖語におけるこれらの単語はすべて、チベット語の *-y-* に対応する何らかの特徴をその頭子音クラスターの中に持っていた可能性が高い。母音前進のもう一つの要因として考えられるのは、接頭辞 \*s- である。例えば、契 *qiè* EMC *kʰɛt* 「切る、刻み込む」, *qì* EMC *kʰɛjʰ* 「刻み込み」, 楔 *xiè* EMC *sɛt* 「くさび」や、夾 *jiā* EMC *kəɨp* 「両側にある、挟む」, 頰 *jiá* EMC *kɛp* 「頬」, 浹 *jiá* EMC *tsɛp* 「浸透する」などの諧声系列がある。中古漢語において、ほとんどの単語が軟口蓋音を維持している一方で、心母 *s-* や精母 *ts-* の形が見られる条件はまだ不明だが、この種の諧声系列内の交替に対する最も合理的な説明は、それが上古漢語の頭子音クラスターを反射しているということだと思われる。Baxterの主張は、これらの単語は『詩経』の時点で既に母音 \*e を持っており、それは押韻から証明できるというものである。しかし、彼の主張とは裏腹に、押韻の証拠はそのような仮定をする必要はないことを示していると私には思える。最終的に中古漢語の形を生み出した口蓋化特徴は、おそらくその時点で既に存在し、後続の /a/ または /ə/ を異音的に前進させた結果、この特徴を含む単語同士で韻を踏む傾向につながったのだと思われる。しかし、例外が多すぎるため、例えば耕部と陽部、すなわちBaxterの \*-eng と \*-ang、私の \*-aŋʲ と \*-aŋ と同じように峻別することはできない。 円唇母音仮説と前舌母音仮説の両方を支持するBaxterの議論の難点の一つは、同じ諧声系列の中に異なる母音、さらには異なるタイプの頭子音を再構しなければならないことが多いことである。例えば、Baxterは押韻に基づいて 原 *yuán* EMC *ŋuan* を \*ngʷjan と再構しようとしている。しかし彼は、同様に押韻の証拠が 願 *yuàn* EMC *ŋuanʰ* を \*ngjons と再構することを支持していることを発見した。彼は、戦国時代の河北省中山出土の青銅器に見られる 元 *yuán* を声符とする異体字を根拠に、標準的な ⟨願⟩ という字体は、既に \*o から \*wa への二重母音化が起こった、後世に作られたものである可能性を論じている。しかし、この議論はどちらにも当てはまる。中山の青銅器に見られる形は、年代が比較的遅く、また地方から出土しているため、『詩経』の時代に周の都で使われていた発音を示す良い証拠にはならないかもしれない。押韻が区別されるかどうかが問題なのに、押韻のみを根拠に古い形式だと結論づけるのは、循環論法である。 同様に、前舌母音仮説に関しても、Baxterは 閒(間) *jiān*, *xián* EMC *kəɨn*/*keːn*, *ɣəɨn*/*ɣɛːn* を声符とする単語と、字形上類似する 閑 *xián* EMC *ɣəɨn*/*ɣɛːn* を声符とする単語について、相反する押韻の証拠を発見している。閒 *jiān* 「間」は中古漢語の読みから予想されるように \*-en の単語であり、閑 *xián* も \*-en の単語として韻を踏むが、後者は「訓練された」の意味や重複二音節語では \*-an と韻を踏んでいる。簡 *Jiǎn* EMC *kəɨnˀ*/*kɛːnˀ* も、ある詩では \*-an の単語として韻を踏んでおり、この諧声系列には他にも \*-an と \*-en が混在している。Baxterは、これはいくつかの方言において、これらの韻が早い時期に統合されたことで説明できると考えている。Baxterが引用したように、初期中古漢語の北部方言において、刪韻 EMC *-aɨn* と山韻 EMC *-əɨn* とが『切韻』の時代以前に合流していたことを示す十分な証拠があることは事実である(Pulleyblank 1984: 132)。これは、*-ɛːn* という後期EMCの形が、私の単語集(Pulleyblank 1991a)で示した詩の規定における同用カテゴリーに対応することからも示されている。しかし、この合流が『詩経』の文字表記の伝統に影響を与えるほど早く起こったとは考えにくい。魏・晋代(3~4世紀)には、この2つの韻は華北と華南の両方で明確に区別されていた。全てが上古漢語の元部に由来する刪韻は、『切韻』の一等韻である寒韻と引き続き韻を踏んでいたが、上古漢語の元部・真部・文部に由来する単語が混在している山韻は、上古漢語の元部・真部・文部に属する単語を含む『切韻』の先韻 EMC *-ɛn* 全体を含む、丁邦新が「元部」と呼ぶ新しい韻部に分離していた。(Ting 1975、詳細は後述)。 Baxterが \*-en の単語と \*-an の単語が同じ諧声系列にあることを正当化するために行ったもう一つの提案は、それらの系列が、彼の言う「acute fronting」(すなわち舌頂音の後の母音前進)によって \*-jan が \*-jen に前進した時代に由来する可能性があるというものである。その例として、彼は \*-an と韻を踏み、殘 *cán* EMC *dzan* 「傷つける」と同じ声符を持つ 踐 *jiàn* EMC *dzianˀ* (彼の中古漢語表記では *dzjen*)を挙げている。おそらく彼は、この声符が、『切韻』では 戔 *cán* EMC *dzan* と読まれ、(淺 *qiǎn* EMC *tsʰianˀ* 「浅い」という通常の読み以外に) 淺 *jiān* EMC *tsɛn* 「急速に流れる」というような単語にも見られるという事実を示唆していたのだろう。戔 という文字自体は文献にはほとんど出てこないが、一度だけ『易経』の重複二音節語 戔戔 として見られ、『経典釈文』に引用されているある権威によれば、これもEMC *tsɛn* と読むべきだという。Baxterは、裏付けとなる証拠を引用することなく、おそらく丁邦新による魏・晋代の元部を参照しながら、「遅くとも漢代後期までには」acute frontingが起こったと主張している(p. 354)。これもまた、彼の想定する字形上の混乱を引き起こすには、あまりにも遅すぎるようである。 円唇母音仮説の場合、Baxterは、\*u > \*wɨ および \*o > \*wa の二重母音化が、『詩経』の時点ですでにいくつかの方言で進行していた可能性があると仮定している。したがって、漢代の押韻がそのような区別を示さないことは、彼にとって矛盾ではない。しかし前舌母音仮説の場合はそうではなく、母音 \*e は『切韻』の時代まで変わることなく存続していたと考えられている。それより前の漢代に、この \*e が \*a と韻を踏む理由はないように思われる。またLuó and Zhōu(1958)の資料から判断すると、この時代の \*e 韻を分離するのは、少なくとも『詩経』と同じくらい難しい。前舌母音仮説に関連する『詩経』体系からの主な変化は、漢代には真質部(Baxterによると \*-in と \*-it)が文物部(\*-ɨn, \*-ut と \*-ɨt, \*-ut)と自由に韻を踏んだことである。これは、押韻の音韻同一性仮説にとって難点である。なぜなら、これはかつて『詩経』の言語にあった区別が、一度失われた後、『切韻』に再び出現したことを暗示しているように思われるからである。私の推測では、この変化は真部と質部の硬口蓋音の末子音が非低母音の後で前進したことを反映していると思われる(\*-ŋʲ > *-n*, \*-kʲ > *-t*)。漢代には、それ以前や後期中古漢語や現代官話と同様に、*-n* と *-t* の韻は押韻において、低母音を伴うものと伴わないものに分けられた。円唇性や前舌性などの付加的な特徴は関係ない。決定的な変化は漢代から魏代に至る間に起こり、両方のセットの前舌母音を伴うタイプA韻の合併によって中間的なEMCの *-ɛn*, *-ɛt* 韻が形成された。Baxterの定式化では、これは「hi > mid」の変化であり、これにより介音 *-j-* を持たない音節では \*i が下がり、\*e と融合した(p. 578)。この合併によって、『切韻』の特徴である三段階の韻のパターンが生まれたのである。LMCでは *-e-* が *-(j)ia-* に割れたことで、以前の二段階のパターンが再び確立された。初期官話では *-VV-* 音節が *-V-* 音節に縮小し、*-ia-* > *-ɛ-*, *-ua-* > *-ɔ-*, *-ya-* > *-œ-* > *-ɥɛ-* という母音の融合が起こり、再び三段階の韻のパターンになったが、現代官話では再び二段階のパターンに縮小した(Pulleyblank 1986)。 ## 11. 結論 Baxterの著書には、豊富なデータと論証の集積があり、議論に値する細部は他にもたくさんある。上古漢語の音韻構造を解明する仕事に携わる者なら、徹底的に研究したくなる作品である。私は、冒頭で述べ、またかなり長い文章を割いて実証を試みたように、6母音体系の概念に基づく彼の中心的仮説が成り立つとは思わないが、だからといって彼の試みを尊重しないわけではない。どのような科学的研究分野においても、進歩は完全かつ自由な議論にかかっており、私のコメントや批評がこの精神に則って受け入れられることを願っている。同様に、我々の共通の関心事について本文や他の場所で私が行った提案に対するコメントや批判が来ることにも期待している。 本書は、著者がコンピューターで準備した写真入り原稿を、ミシガン大学音声学研究室のレーザープリンターで印刷したものである。このような複雑な作品でありながら、誤植が驚くほど少なく、明瞭で魅力的な内容となっており、著者とそれに協力した人々は、完成品の素晴らしい品質について祝福されるべきである。また、良質な紙に印刷・製本されているため、宣伝や販売にかかる費用とともに、出版社も多大な貢献をしていると思う。これほど多くの仕事を著者自身がこなしているのに、理解しがたいのは、出版社がこの本につけた値段である。この値段は、我々が学術出版で慣れてしまった一般的なインフレ値段と比較しても、天文学的に思える。大多数の学者や、この厳しい時代にはおそらく多くの大学図書館でさえ、この本を手にすることはできないだろう。 ## 参考文献 - Baxter, William H. 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[^1]: 場合によっては *e¹* に韻図二等の単語が使われるが、これはEMCの後期に、LMC *jaa* への移行段階として、母音 *ɛː* の前にわたり音 *-j-* が挿入されたことを示している。 [^2]: 母音体系には、さらに次のような変化があった(Pulleyblank 1984)。 1. *w* (独立した末子音、あるいは軟口蓋音 *-ŋ* や *-k* の二次的調音)の前における、*y* から *i* への異化 2. 短い *a* や *ə* の前における、*w* の成節音 *u* への強化 3. そり舌歯擦音の後の *i* の消失: *ia* > *aa* (代償延長を伴う), *i* > ∅ (末子音の前の *a* 挿入、あるいは末子音がない場合に成節音 *ṛ* の頭子音からの広がりを伴う) 4. さまざまな方法による軽唇音の後の *y* の消失: *-ya-* > *-aa-* (代償延長を伴う) [^3]: 私はこの2つの単語をそれぞれEMC *ʂɨaăŋ*, *ɕɨaăŋ* と再構する(この *ă* は、Pulleyblank 1991では冗長であるとして簡略化のため省略されているが、音韻の挙動には関係する;これは咽頭わたり音を表すが、独立した分節ではなく音節末の軟口蓋鼻音の二次調音である)。これらは前進規則によって *ʂiaăŋ*, *ɕiaăŋ* となった。そり舌歯擦音の後で母音 *-i-* が削除され、代償的に後続する *-a-* が長くなり、*ʂaaăŋ* と *ɕiaăŋ* となった。この時点で頭子音は相補分布となり、硬口蓋音 *ɕ-* はそり舌音 *ʂ-* に変化した。これにより、LMCではそれぞれ *ʂaaăŋ*, *ʂiaăŋ* となった。LMCとEMの間では、音節核 *-VV-* はすべて *-V-* に縮小された。*-aăŋ* の場合、最初の *V* は非成節性のわたり音となる(*ʂiaăŋ* > *ʂjaăŋ*, *ʂaaăŋ* > *ʂăaăŋ*)。そり舌音の後で硬口蓋わたり音 *-j-* が削除され、*ʂaăŋ* (= 13世紀のパスパ文字の正書法では *šaŋ*)となった。*ʂăaăŋ* の頭子音の直後の咽頭わたり音 *-ă-* は、まず軟口蓋わたり音に置き換えられた(*ʂăaăŋ* > *ʂɰaăŋ* = パスパ文字 *šhaŋ*)。14世紀初頭には軟口蓋わたり音が *-w-* に円唇化され、雙 *shuāng* = *ʂwaăŋ* (= パスパ文字 *šwaŋ*) < LMC *ʂwaawŋ* と合併し、現代官話の形が生まれた。Pulleyblank(1984, 1986)参照。 [^4]: Pulleyblank(1984)ではこれを *-owŋ* と表記しており、おそらく表層的発音により近い。しかし、*-ə-* を基底の主母音とし、円唇性は標準官話の /əw/ \[ow] のような低レベルの音声効果であると仮定する方が、私がEMCに再構した全体的な体系に合致している。 [^5]: チベット語では *-n* が明らかに形成接尾辞であるため、同源語である中国語のものもそうだと推測されるが、対応する \*-n を含まない形は実証されていない。しかしBaxterが指摘するように、寇 *kòu* EMC *kʰəwʰ* 「強盗」は諧声関係を持つ可能性が高く、彼はこれを \*khos と再構しているが、私は \*kʰáɥ-s と再構築したい。彼は 元 *yuán* を \*Nkjon と再構している。私は、\*mkàɥ-n > \*ŋàwn から音位転換により \*ŋwàn となったと提案したい。これはおそらく \*ŋɔ̀n を介しており、チベット語 *mgon* と対応する。==:bulb: 元(完) ~ 寇 間の諧声関係は疑わしい。== [^6]: この件に関する私の最新の見解についてはPulleyblank(1992)を参照。 [^7]: 中古漢語の梗摂に硬口蓋音の末子音を想定するのは、橋本万太郎の提案による(Hashimoto 1970)。 [^8]: Jaxontov(1960, 1965)は、Karlgrenの \*-og, \*-ok に対応する \*-ü, \*-ük を議論なしに提案し、また、Karlgrenの \*-u/\*-ug, \*-ung, \*-uk に対応する \*-o, \*-ong, \*-ok と、Karlgrenの \*-ôg, \*-ông, \*-ôk に対応する \*-u, \*-ung, \*-uk を加えた。これは私の提案とは異なっており、私の提案ではKarlgrenの \*-u/\*-ug, \*-ung, \*-uk に対応するのは母音 \*a の後の口蓋化唇化軟口蓋音である。 [^9]: これらの現象に関する異なる解釈についてはPulleyblank(1982)を参照。 [^10]: Baxter(p. 297)は、上古漢語 \*-j の再構を支持するために、チベット・ビルマ語との比較を7つ挙げている。そのうちの2つ、死 *sǐ* EMC sǐsiˀ 「死ぬ」 : チベット・ビルマ祖語 \*səy と、妣 *bǐ* EMC *pjiˀ* 「亡くなった母」 : チベット・ビルマ祖語 \*pəy 「祖母」は、全く問題ないと思われる。意味もよく一致しており、これらは上古漢語の脂部に属し、私も \*-əj と再構した。残りは歌部に由来するが、説得力に欠ける。大抵の場合、多かれ少なかれ意味上の推移が含まれる。引用したように、最も意味的に一致するのは、蜾 *guǒ* EMC *kwaˀ* 「蜂、スズメバチ」 : チベット・ビルマ祖語 \*kway (声調は \*B)「蜂」である。しかし、これは中国語で「蜂」を意味する通常の単語ではない。この単語は 蜾蠃 *guǒluǒ* 「一匹のスズメバチ」という二音節語のみに見られる。歌部と微部の単語の \*-l の同源語の可能性については、Pulleyblank(1962: 215–216)を参照。 [^11]: その他のセク語、Yay語、プイ語の形については、Boltz(1991)で述べられている。 [^12]: IPAにおける \[j] の用法について、共鳴わたり音を表す場合と有声摩擦音を表す場合があることと比較されたい。 [^13]: Ting(1975)によれば、EMC *-əj* の2つの起源は魏・晋代を通じて互いに韻を踏まなかったが、王力(Wang 1936)によれば、南北朝時代を通じて、つまり晋代の終わりから隋代までは、単一のカテゴリーであった。 [^14]: 現在、私はこれらの単語について、口蓋化唇化軟口蓋音を伴ってそれぞれ \*xᶣə̀ŋʲ と \*xᶣàn と再構すべきだと考えている。 [^15]: Egerod(1956)参照。どのような形の中国語でも、唇音の後に \[w] が現れるかどうかは疑わしい。 [^16]: 上古漢語におけるこの種の子音の再構についてはPulleyblank(1991b)を参照。