# 今日の一大発見について。 ## 禅について ### きっかけ 慶應の横田ゼミの発表資料作成中のできごと。 マイ履歴書(自分の人生史のようなもの。自分の過去、未来について1時間プレゼンする)を作っていて、その資料を簡潔化しようと思い、過去の経験を分類していた。 まとめながら、その資料をさらに簡潔化できるなと思い、過去の経験を要素化し、分類していた。 過去の体験はすべて、**「内と外」** に分けることで、簡潔に事象を整理できると考える。 ##### その瞬間、すべてがつながる。 というのも、この **「内と外」** というのはつまり意識がどこに存在するか。という話。 そもそも **この思考法自体が、その人になる。** と閃く。 #### 以降、思考の変遷と飛躍して結びついた知識をまとめる。 >Ex) ・キリスト教の隣人愛 ・仏教の宇宙と自分の境目、悟り ### 境界線はどこにある? 内と外を分かつものは何か。 >Ex) ・コップに入った水は自分? ・超弦理論 ### それから、内と外の事象を英単語で10種類ずつ書き出し、分類してみた。 _内→外_ アクティブ群 _外→内_ パッシブ群 ### そして、こう解釈する。 そして、この境目にいることを知覚することこそ、禅で言うところの悟り。なのではないか。 マインドフルネスも近いか。 ### 禅の悟りとは? ここからが一大発見。 まとめると、 #### **『知性では悟れない。』** →知性には限界がある。 ##### これが大事。 この羅針盤こそが、 **悟りにたどり着くための手がかりになっている。と言う気づきを得た。** これが発見。 ### ここからさらに思考をまとめる #### 「前提」 **_悟りとは_** 真実の自分やこの世の真実が分かること。 #### 「解説」 **_「知性では悟れない」とは_** ・知性=言葉/概念/思考/観念:後天的に獲得し、且つ個々人の記憶細胞の中での絶対的積み上げ : **「一定不変の固定化したもの」** >Ex)言語獲得過程/アポステリオリ ・この世界=森羅万象、常に変化する。過去も未来も存在しない。あるのは現在のみ :**「形をとどめないもの」** >Ex)二重スリット実験 つまり、『**知性**をもってして、**この世界**を観測する』ということは不可能。 無力になる。限界がある。 #### 整理 悟りとは「真実の自分やこの世の真実が分かること。」と仮定した(という前提のもと考察した)。 その場合、この仮定の文言から想起される方法論自体に、限界がくることが、ここまでの流れから整理される。 ##### 以上をもってして、背理法を用いて「前提が”真”ではない」ことを証明した。 いや、証明したかったんじゃない。 悟りに近づくためには、知識を積み上げても、現象を理解しようとしても、書物を読み漁っても、偉い人の話を聞いても、大変な修行をしても意味がない!!ということを理解した。 それを、自分ごととして、腹落ちするまで把握できたことが嬉しい。 成長を実感した。 今日という日が、自分にとって、偉大な1日であったと言える。 ただ、こうした認識を前提として、どこまで整理して言語化していけるのか、それが私の挑戦であり、これからの成長でもある。