# 公孫竜子試訳 底本 国訳漢文大成 経子史部 71冊(国立国会図書館デジタルコレクション) ## 第一 跡府 ## 第二 白馬論 ### 2.1 > 白馬非馬可乎 質問者「白馬は馬ではないというのは本当でしょうか」 > 曰可 回答者「本当です」 > 曰何哉 質問者「なぜ白馬は馬ではないといえるのですか」 > 曰馬者所以命形也白者所以命色也命色者非命形也故曰白馬非馬 回答者「"馬" は形に名前をつけたものです。"白" は色に名前をつけたものです。色についての言葉と形についての言葉は違います。なので、白馬は馬ではないといえるのです」 > 曰有白馬不可謂無馬也不可謂無馬者非馬也有白馬為有白馬之非馬何也 質問者「白馬がいるのであれば、馬がいないというわけにはいかないでしょう。馬がいないというわけにいかないのに、馬ではないのですか。現に白馬がいるのに、その白馬が馬ではないといえるのであれば、それは、どういうことでしょうか」 > 曰求馬黄黒馬皆可致求白馬黄黒馬不可致使白馬乃馬也是所求一也所求一者白馬不異馬也所求不異如黄黒馬有可有不可何也可与不可其相非明故黄黒馬一也而可以応有馬而不可以応有白馬是白馬之非馬審矣 回答者「馬が欲しい人に黒馬を渡しても大丈夫でしょう。でも、白馬が欲しい人に黒馬を渡しても満足してもらえないでしょうね。仮に白馬が馬であるとすると、白馬が欲しいということは馬が欲しいということなので、欲しいものは一緒です。欲しいものが一緒なら、白馬が欲しい人に黒馬を与えてもいいことになってしまいます。でも、白馬が欲しい人は、黒馬では満足しません。黒馬だけがあった場合には、馬が欲しい人を満足させることができますが、白馬が欲しい人を満足させることはできません。このように、白馬が馬ではないことは明らかなのです」 ###### 注 黄黒馬は、議論をわかりやすくするために単に黒馬とした。 概念としての「白馬」と、実在としての「白馬」が混在している。 つまり、白馬全体の集合も、その集合の各要素も、同じく「白馬」と表現されている。 これらを区別すると、解釈しやすくなる。 白馬の集合を H とし、馬の集合を U とした場合、H⊂U であって H=U ではない。 一方、∀x∈H → x∈U であり、普通はこの意味で「白馬は馬である」と表現する。 もっとも、ここで議論されているのは、概念としての白馬についてではなく、実在としての白馬についてであり、目の前の1頭の白馬が馬かどうかである。 また、日本語も中国語も冠詞がないので混乱しやすくなっている。horses なのか a horse なのかを区別して読むといいかもしれない。 ### 2.2 > 曰以馬之有色為非馬天下非有無色之馬也天下無馬可乎 質問者「色のある馬は馬ではないなら、世界に色のない馬など存在しないので、そもそも馬は存在しないということになりませんか」 > 曰馬固有色故有白馬使馬無色有馬而已耳安取白馬故白者非馬也白馬者馬与白也馬与白馬也故曰白馬非馬也 回答者「馬に色があるのは当然です。だからこそ白馬もあるのです。もし色がなく馬のみがあるなら、そもそも白馬も存在しないでしょう。また、だからこそ "白" は馬ではないのです。白馬は、馬と白とで構成されています。つまり、馬と白馬が別にあるのです。結局、白馬は馬ではないのです」 ### 2.3 > 曰馬未与白為馬白未与馬為白合馬与白復名白馬是相与以不相与為名未可故曰白馬非馬未可 質問者「馬は白という要素がなくても馬なのであり、白は馬という要素がなくても白なのです。この場合、馬と白とを合わせて白馬と名付け、かつ白馬が馬でないのであれば、独立した要素を結合した結果、結合された元の要素がなくなってしまったということではないですか。本当に白馬は馬ではないのでしょうか」 > 曰以有白馬為有馬謂有白馬為有黄馬可乎 回答者「白馬がいるときに馬がいるというのであれば、白馬がいるときに黄馬がいるともいうのですか」 > 曰未可 質問者「それは違います」 > 曰以有馬為異有黄馬是異黄馬於馬也異黄馬於馬是以黄馬為非馬以黄馬為非馬而以白馬為有馬此飛者入池而棺槨異処此天下之悖言乱辞 回答者「馬がいることと黄馬がいることが異なるのであれば、黄馬は馬とは違うのでしょう。黄馬と馬が違うのであれば、黄馬は馬ではないはずです。なのに、白馬がいる場合に馬がいるといってしまうのでは、空を飛ぼうとして池に飛び込んでしまうようなもので、意味がわかりません」 ###### 注 相与以不相与為名の部分の意味がうまく取れない。底本の解釈も、この部分は逐語的ではない。 飛者入池而棺槨異処の棺槨のイメージがつきにくいのでその部分は訳さなかった。 ### 2.4 > 曰有白馬不可謂無馬者離白之謂也是離者有白馬不可謂無馬也故所以為有馬者独以馬為有馬耳非以白馬為有馬故其為有馬也不可以謂馬馬也 質問者「白馬がいる場合に馬がいるといえるのは、"白" を分離しているからです。分離すれば、白馬がいる場合に馬がいるといえます。なので、馬がいるというのは、ただ馬の存在を表しているのであり、白馬を馬と同じものとして扱っているわけではありません。白馬ではない馬がいる場合に ”馬馬がいる” とはいったりしないでしょう」 > 曰白者不定所白忘之而可也白馬者言白定所白也定所白者非白也馬者無去取於色故黃黒皆所以応白馬者有去取於色黃黒馬皆所以色去故唯白馬独可以応耳無去者非有去也故曰白馬非馬 回答者「"白" はその指し示す対象の範囲を限定していません。対象が限定されない白については別の問題です。白馬といった場合の白は特定の白です。特定の白は、対象の範囲が限定されない白とは異なるものです。馬は色を限定しません。なので馬であれば黄色も黒も馬ではあります。しかし、白馬は色が限定されています。黄色い馬も黒い馬も白馬の条件を満たしません。なので、白馬が欲しい人には白馬を渡さなければ満足させられません。条件を満たすものと条件を満たさないものは違います。結局、白馬は馬ではありません」 ###### 注 是離者有白馬不可謂無馬也の部分は他の表現になっているものもある。 白という集合の要素である馬を馬ではなく白馬と表現しなければならないとするなら、馬という集合の要素である馬は馬馬と表現しなければならない。この解釈は原文に忠実ではないが、わかりやすいのでここに書いておく。 「白とは何か」について説明できなくても、どれが白馬であるかは指摘できるだろう。「白馬は馬ではない」が納得できない人も、「白馬は白ではない」なら納得できそうである。そう考えると「白」と「馬」の違いについても検討する必要が出てくる。 白馬全体の集合と馬全体の集合の議論であるとすることもできるが、議論の内容は、実際にはひとつの実在する白馬が馬であるかどうかというものである。 同じ白い馬を見ても、その形を認識して "馬" ということと、その色を認識して "白馬" ということは違う。白い馬を "白馬" と認識し、"白馬" という記号で指し示す場合には、色についての認識が強調されている。 白者不定所白忘之而可也に注目したい。抽象的な "白" という概念は、存在の可能性を積極的に否定されていないが、議論の対象ともなっていない。つまり、「全ての白いものの集合」は議論の前提ではない。白は、具体的な白馬の色として認識されているものである。つまり、白馬とは独立に白が存在するとは考えていない。 ###### 参考 加地伸行 名実論争における公孫竜--<公孫竜子>「白馬論」解釈-2- 名古屋大学文学部研究論集 通号 54 1971 久保田知敏 白馬をめぐる対話的思考―『公孫龍子』白馬論篇の分析 東京大学中国哲学研究会 [編]『中国哲学研究』(1),東京大学中国哲学研究会,1990-03. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/4426100 (参照 2023-08-27) https://ctext.org/gongsunlongzi/bai-ma-lun ## 第三 指物論 ## 第四 通変論 ## 第五 堅白論 ## 第六 名実論