『デュルケームの教育論』を読んで === ###### tags: `教育社会学概論` > 工学部 電子情報工学科 > 4年 03-190445 秀島宇音 (ひでしま たかと) ## このメモのフォーマットについて `Markdown` という形式に従って書いています。この形式は、Webページのような構造化された文書を簡単に記述するために提案されたものです。 [このページ](https://hackmd.io/@RPGP1/reading_Durkheim_s_Theory_of_Education)先で、読みやすく描画しています。 ## わからない言葉 * 新カント派 * 偶発性の問題 * 教育学・教育科学 * *次の授業で追記* 規範学/事実学 * 規範学「〜〜のためには、どうすべきだろうか」 * 教育学はこの側面が強い * 教育史学は事実学 * 一次資料を重視する * でも社会学は事実学なの…? * デュルケームも規範学的な言明をたくさんしてる ## わからない表現 * 「道徳は人間の意識に書き込まれている者を発見するようなものではなく、」 * "書き込まれている ~~者~~ もの"ならわかる * 「教育は、社会がその必要に従って個人を鍛錬することではなるが、個人にとってそれは耐え難い圧制に服従することではなく、むしろ教育の力によって新しい、『より良き、固有に人間的なもの』を作り出すこと」とある。 * 急に良い・悪いの観点が登場したが、そこにいたる経緯が分からない * 「およそこの世に存在するものすべてがそうであるように、人間もまた限定された存在であり、全体なるものの一部に過ぎない」 * 全体を定義しないで一部であることを論じないで欲しい ## 読んでいて想起した事柄 * 「道徳が歴史において、そして歴史的諸原因の支配下に発展している」 * ``` 今回、咳エチケットのキャンペーンをはりながら、 ぼくはしみじみ思うんですが、 あのスペインかぜのときに、 39万人の日本人が亡くなったんです。 その死に、ほんとうに多くの涙が流されたと思うんです。 あのとき、もう二度と こんな悲劇を繰り返さないという思いで、 人びとは、手洗い、うがいの生活習慣を 日本人のなかに定着させてきたわけなんですよ。 ``` * 『ほぼ日刊イトイ新聞 - Dear DoctorS ほぼ日の健康手帳』 2009-04-14 (https://www.1101.com/deardoctors/2009-04-14.html) ## コメント ### 全体的に 普段は科学の議論にしか接していないので、定義されていない単語が当たり前のように登場し、言明と言明を結ぶのがルール化された論理ではない文章を読むのが、とても難しかった。 このレベルの課題を毎週求められると、正直なところ応えられそうにない。 ### 道徳 絶対的な正しさという軸を設定して、より正しい方を道徳的とするような考え方に、以前から違和感を覚えていた。それは、自分が正しい思考・言動の備わった人間ではなく、そうなる見込みも無く、誰であっても同じだろうと考えているからである。どこにも実在しない正しさを追究することを否定はしないが、教育の現場においては、教える側が知らないことを知ったように語るべきではないだろう。 デュルケームは道徳の成立する背景を人々が経験してきた歴史に見出し、今の生活・社会のための機能という面から最適化され続けていると考えた、と私は理解した。この考えは、絶対的な正しさをどこかから持ち出すより圧倒的に合理的だと思う。 ### 個人的存在・社会的存在 個人的存在は「われわれ自身、われわれの個人的生活の事件にのみ関係しているすべての心的状態」とのことだが、社会的存在との境界線を人の中に引いた時、ずいぶんと小さい割合が個人的存在になるように感じた。 個人的存在は教育を受ける以前から備わっている部分とされている。家庭における教育の成果すらも除くとすれば、個人的存在のみの人というのは現代においては赤ん坊しかあてはまらず、我々の中の極々一部でしかないのも正しいのかもしれない。 夏刈康雄の表現を読むに、この感覚で合っているように思える。 ### 権威 「道徳律に対する尊敬だけが、これ(道徳的規則; 引用者注)に服従する唯一の理由でなければならない」とする考え方は、確かに社会の多くの人の行動理由を観察した結果とよく合致するように思う。しかし、規則ができた理由を歴史的背景から見出してなお、「服せねばならぬがゆえに服する」状態は続くのだろうか。 ### 規律の圧縮・破壊 「規律は、人間性を正しく具現させるための手段であって、これを圧縮したり破壊したりするものではない」とする立場は、「道徳が歴史や時代において異なる、ということを認める」ことと矛盾しないのだろうか。 時は(少なくとも人間が認識するスケールでは)連続的に進行し、それに伴って時代は連続的に遷移し、歴史は連続的に紡がれていくと考えると、どうにも矛盾するように感じる。この考え方がデュルケームと異なっているのだろうか。それとも、例えば「集合力の転態したもの」による変化なども、道徳が自発的に変化したものだと捉え、外部から圧縮や破壊を与えたのではないとするのだろうか。 ### 社会集団への愛着 「人間が自ら好んで社会に愛着を持つゆえに帰服するのでなければ、社会は個人に無関係なものになってしまい、第一で述べたような規律に対する感覚を持つことは不可能になってしまう」らしい。こうした愛着を持っていないから、規律に対する感覚を共有できず、上で挙げた疑問を抱いたのだろうか。 ## 追記: Zoomで画面共有中にチャットを見る方法 Zoomの公式ドキュメントに記述がありましたので共有します。もうご存知でしたらスルーしてください。 https://support.zoom.us/hc/ja/articles/203650445-In-Meeting-Chat#screenshare