--- tags: 子どもと地域と学校 --- # 12/20 イベントほぼ書き起こし  日時:2020年12月20日(日) 開場:Zoom 進行:水野(実行委員会) 参加人数:最大同時接続64人(申し込み:7x人)  **――まずは木村先生になぜ公立学校で誰も排除しない特別支援学級もないそのようなみんなの学校を作ろうと思ったのか、そしてそこで教員として働いていた塚根先生の当時の気持ちをお聞きしたいと思っております。その後、皆様からいただいたアンケートをもとに先生方に私どもから質問をさせていただきます。その後残りの時間は皆様からのフリーの質問をの時間としていきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。** **泰子さん(大空小学校元校長木村泰子先生)** 木村先生と呼ばれてますがもうせ先生ではないので泰子さんと呼んでください。 実行委員会から言われたように大空小学校を何故作りたいと思ったかを話しをすればいいんですが、きっと無理です(笑)。 ### 幸輝の周りの環境をいかに豊かに作るか、これだけだった。 「塚根さん気づいてる?」この中に大空のことをよく分かってる人がいます。 「こーきー」「川上幸輝」「こーき居てるやろ」「これがみなさん川上幸輝です」 川上幸輝の話をすれば大空小学校はどんな学校で、なんで大空みたいな学校をみんなが作ったか、大人の言葉よりもみんな理解してもらえる。  右側に居てるのが4年生のときの川上幸輝です。私たちは言葉を通して人と話しますが、幸輝は文字を通して……(聞き取れず)。 この写真は塚根さんもそうなんですが、大空の大人の学びのリーダーだったんです。幸輝をとおして大空で教えられることがたくさんあったんです。(映画みんなの学校の)予告編でがんばれ!がんばれ!って走って校門に入っていくのが幸輝です。学校って不安の塊の場所やったと思う。すごい不安の塊の場所で、彼は6年間周りの友達と文字で書いたり表情で相手と話したりしていた。こんな中で自分の不安を解消するのは周りの人とつながることだった。私たちにとって幸輝の周りの環境をいかに豊かに作るか、これだけだった。  **洋子さん(大空小学校元教員塚根洋子先生)** 幸輝からはいっぱい学んだ。 「この話をずっといったらいいのかな?」 **泰子さん** 幸輝の話をしよう。幸輝が「やめてー」と言っても無視してしよう。 **洋子さん** 幸輝から学んだのは一言で言うと「大人はいらんことしたらアカン」ということ。幸輝が私の前にいる幸輝の顔と友達の中にいる幸輝の顔が違うことがはっきり分かった。幸輝のためになると思ってやろうとすることは幸輝にとってはかえって重いというか不安にさせてるんじゃないかと感じたことがある。周りの友達と幸輝の関係性を見ているとすごく落ち着いたというか笑顔がまさに違うんですよ。私の前で笑ってる幸輝と。私とつながるんではなくて、周りの友達とつながる幸輝であることが幸輝にとっては学ぶことが多いのと違うかな。なんやかんやいって教師って何かしたくなりますやん。それは邪魔やなっていうことを教えてもらった。 **泰子さん** 今日武蔵野のセミナーに幸輝が参加してくれてるのがすごくありがたいです。 *〈幸輝さんがチャットに書き込む〉* > 僕は、泰子さんが入学式の時、学校のお母さんだよっていってくれたからいけたよ > ――幸輝さんのチャット書き込み このコロナ禍に幸輝が手紙を送ってくれたんですよ。 *〈幸輝さんに読んでいいか確認〉* 私は幸輝の手紙を読むと「あーやっぱり大空小学校って自分が作ってた自分の学校やな」ってつくづく、あたしたちの力じゃないんですね、ここを世間の人たち、なんかね、いい先生たちのリーダーシップのとれる校長がいるからみたいな勘違いをされてる。勘違いをされてる間はみんなの学校はできないと思う。 > 僕の夢は大空の職員室を作ることです。大空の職員室はいけばなんとかなると思える場所だからです。大空の職員室は誰もひとりにしない場所だからです。困ったことがあれば助けてくれる場所だからです。大空はoneチームです。大空のいいところを広めることが僕の今からの仕事です。 > ――光輝さんからの手紙 今、幸輝は大空の職員室を全国に広めるために仲間を集めていて、東大の教授とか、ここにもいる学さんとか、みんなの学校からみんなの社会へのプロジェクトのメンバー達とネットで大空の職員室=困った人が困らなくなる場所(を作ろうとしている)。これがパブリックのみんなの学校です。 すべての子どもが、どんな貧困な家庭に生まれようと、どれだけ重度の障害を持って生まれようと、すぐに友達を叩いてしまう子どもあっても、1秒椅子に座れ言われたら飛び出していく友達であっても、すべての子どもは未来の社会の宝ですよね。このすべての宝が誰一人取り残されたり、なんか安心して学べない、それって税金で運営されている公教育、パブリックではないんですよね。そんな学校を作ることだけが校長の責任ですから。これ全国の校長の責任一緒です。一人の子が学校に来れていない。 きっかけはいっぱいあっても責任は校長にしかないんですね。これが校長のたった一つの責任ですね。簡単なことです。大空にはいっぱい困り感を持った子が次から次に来ましたが、自分の吸える空気が学校にある、自分が自分で作る学校、困ったら職員室さえ行ったらなんとかなる、その理由は職員室にはいつも大空の大人たちが居るから。この大人たちは校長や教員、職員のことを指しているんじゃないんです。今日ここにみなさんいっしょにこの大切な時間を学ばせていただいているみなさんです。地域の人であったり、保護者であったり、すべての大人です。この職員室にさえ来たらなんとかなる。これが、学校という場所が地域のすべての子どもの安全基地でなければならない。このことを優先順位の上に置かんと、ナントカ教育や!と言っても土俵ができてなかったら、子どもはどれだけ技を身に着けても勝負できないですよね。その大空の職員室を僕がこれから広めていって、社会でそんな大空の職員室………(聞き取れず)。この作っていくことが僕の夢なんだって手紙をくれました。 塚根さんどう? **洋子さん** *〈泰子さんに呼びかけられるもミュートを外すのを忘れる〉* 幸輝の手紙を聞かせてもらって、そう思ってくれてたということを知って、教師冥利に尽きる。構えること無しに必死やけども楽しんでやってきたあの職員室の場を幸輝にはそう映っていたことが嬉しい。それを目指すと言ってくれれば、これ以上の喜びはないと思う。教師だけでなく大人が繋がってるから職員室は居やすいんだな。 6年生の吉川くんという思春期になって横向き出した子がいたんだけど、根はしっかり持ってる子なんだけど、幸輝が今楽しく学校行けてるのはそのお兄ちゃんとの関わりがあるからと聞いた。そうすると、6年生の男の子の見方がころっと変わる。自分の目だけで見てたら、ちょっと横向き始めたなって思ったけど、幸輝ママの話を聞いて、私の見方が甘かった、この子のええところを見過ごしてたなというのをすごく教えてもらえた。職員室経由でいろんなところから情報が入るのは学校で働く私たちにもプラスになり、結果的に子どもに返っていけるということは、職員室が拠点となってることはすごくありがたかったかなと思います。 *〈幸輝さんがチャットに書き込む〉* > きっかわさんがいたからコンサートで、木琴したよ > ――光輝さんのチャット書き込み **――今の関係のある事前アンケートがあるので、質問入れちゃいます。「多様性を認め、どの子も通える学校をしたときに教職員を誰でも来れる部屋にしたということがあるんですが、始めは教職員の方も地域の方もそういう意識がなかったとこからスタートしたと思うんですね。それをみんなで同じ方向に向いていくようにするのにどのようなことを工夫されたのか知りたい。」という質問がありました。** **泰子さん** これは教員の塚根洋子が答えます。(笑) **洋子さん** ほらー飛んでくるやろ……(笑)。 どこから伝えたら順番が分からない。ポツポツとした例しか挙がらないと思う。大空は新しい学校だから今まである学校の形じゃなくていらないものは断捨離しようって発想から始まった。みんなで今までの学校文化で変やなってと思うこと挙げていった。まず、しらじらしい授業参観。授業参観のときに先生が服を着替えて朝から段取りしてとか前日にナントカしてとか、あれしらじらしいよな、あれで本当の子どもの姿みれるのかな。年間の指導計画。まだやりもせんのに計画して出すだけ出す。そういうことをどんどん挙げていった。地域の人がいつでも来れる。授業参観のときだけじゃなくて来れるときに見てらうのが一番自然ではないか、これだけの理由ではないと思うんやけど、教室の窓を全部透明にした。オープンにした。校長の判断と事務のお金もすごい。そうなると、最初、一見落ち着かないんです。落ち着かないのは数日の話で、見られることに平気だし、かえって隣の子がトイレに行ったとか、動いてるなとか、誰々のお母ちゃん来てるなとかみたいなことがあって。いつでも見に来て下さいって学校から発信してるんです。授業参観じゃなくてもいつでも来れるときに見に来てって。親御さんや地域の方が見にくる。いつ来てもいいよっていうオープン感を出した。教職員はそういうことに慣れていないし、私も大空に行ったのは50代だったので長年の古きものに慣れているから数日は合わなかったけど見られることに慣れた。 大空行ってから私の今までの経験値では到底対応しきれない理解できない子どもたちもたくさんいた。それは私が堅いからですよ。今までの[スーツケース](#suitcase)という教育でやってきた人間にとっては子どもの個性豊かなのがポコポコ出てきたら、最初はある程度できてるやろと思ってたけど、ポコポコ出てきたらもう降参ですよ。自分だけではできないということを痛感する。教職員の前では無理や〜ってこと訴えてるけど、教職員の数にも限りもあるし、その中でサポーター(地域の人たちや保護者)に「ここちょっと見て、入って」って言うことによって、教室の雰囲気や子どもたちが循環する自由に動ける。自分だけでやろうとすると必死になって引っ張らないとあかんけど、自然に大人たちが周りにいたら安全確保だけでも教師としては安心感いっぱい。お得感が多いんですよ。子どもにとってもいいし、教職員サイドにとっても自分の発想を少し変えただけで、狭める自分が無くなったら、いいことがいっぱいあるといことがすごく感じた。大人が来てくれたら得るものがある。子どもの表情が変わる。私の顔だけ見るよりもゲストが来てくれてそこから話しして広がることの方がもっと広いことがいっぱいある。結果的にはプラスのことを自分が感じたら自然と繋がっていけちゃう。自分が被害者意識となって損やとか何か見られて嫌やとかマイナス志向になってしまうと繋がりは無理やけど、自分が開くことにでこんなに得る入ってくる子どもに返ってくると思ったらすごくいいなと体感した。 システム的には窓口として校長が地域に「おいでや!」とやるのと一担当がやるのでは声が全然違う。やっぱり校長という立場の人が地域の人に呼びかけるということは、地域の人は「行ってええんやな」ってなる。そう思ってくれたら教職員はサポートしてもらえることは体感で知っているから続けていける。だからトップが地域と繋がろうという姿勢を示してくれたことは一番大きかった。ちなみに私だけは校長先生と言い続けます(笑)。ニックネームです。 ### ベテラン教員の振る舞い **泰子さん** 校長たちも「よし行動せなあかん」という動き出してる学校が増えてきたことが未来に向かってる。校長がやろうと言ったときに経験年数豊かなベテランの高齢者軍団が、子どもの個人情報がーとかなんとか、校長がやろうというときにベテランが反対したら若者は「えー」と思いながら声を挙げられない。お局さんのような人たちが、「そんなしたら困ります」とか言ってる学校で悩んでる校長先生がいる。この点については大空はどうでしたか、塚根さん。 **洋子さん** みんなが落ち込んでるんですよ。ベテランは。ベテランと言われてる何十年のキャリアが子どもに響かないということ体感するんですよ。だから、自分一人では無理やっていうのをまずとことん落ち込んだ。若者にもたくさんいるんですけど、新任には落ち込むもない。落ち込んでいるベテランとこれからやろうと思う若者とはある意味同じ土俵に乗れる。お互いが求め合う。それが良かった。ベテランが仕切れない。経験はあれども、これでは乗り越えられるものではない。きっと自分流のやり方でいけてるというのはまだ頭を打ってない。だからいけると思うんです。でも、頭を打ってないというのは子どもにとっては迷惑ですよね。本人が気が付かないからね。ここはなかなか難しい。若者がふんずまってるとか、ベテランがしんどい、頭叩かれる足引っ張られるみたいな空気感が若者が辛い思いをしてるんやろうな。そこは変わって行かないと今の子どもに通じない。10年前の大空でさえも自分の何十年のキャリアは通用しないと感じたのに、それから10年以上経ってるのにまだあのやり方では子どもは被害者じゃないかな。大人が変わらないとあかんやろなって思います。 ### 大空小学校はこうやって生まれた **泰子さん** 私もみなさんの質問を印刷して持ってるんですけど、「大空小学校はインクルーシブな教育を推進する学校として教育委員会から作ってよって言われて作ったんですか」みたいな質問があるんですけど、真逆なんですね、そんなことを言われたこともなければアウェーからのスタートだったんですね。20年間、地域の人が署名運動をして、「新しくできるあの地域に建つ学校には行かない」って保護者の署名を集めるんですよ。「あっちにはうちの校区は行きません」って。教室が足らなくなって仕方なく分校制度にして、新しく大空の校舎を建てて、そこには5・6年だけが行く、元々の大きな学校は1年から4年が学ぶ、こんな分校制度に行政が仕方なく分けた、校区割ができなかったから、みんな新しいとこ行くの反対したからですね。私は3年目にこの大きな学校の校長になったわけですよ。その1年間は、大人が分断して、大人が文句言うて、大人が職員室が分断してて地域も分断してたら、ぜんーぶ子どもに、それもやっぱり困ってる子どもが全部そのシャワーを受けて、学校からは遠のいてるし、学校に来てない子何人もいるし、学校に行ったときに、「学校に来れてない子何人ぐらいいるの?」って教頭に最初に聞いたんですね。もう2桁以上、すごい数だったですね。「一番来れてない子は誰?」って聞いたら、1年生の2週間で学校に来れなくなって一度も学校に来ないで今5年生の子どもになっている子がいる。これが大きな学校に行ったときに知り得た事実です。 大人がケンカしてるんですよ。「お前のところ(大空に)行け、うち嫌や、うち嫌や」て。何でそんな嫌がるんって言ったら、その地域に被差別部落があるから、それだけですよ。江戸時代の士農工商ここまでが人間で、エタ非人これは人間ではないという謂れなき身分差別、この江戸時代に作られた身分差別が21世紀も水面下で引き継がれている。これが大空ができる地域名やったんですね。だから口では人権教育受けてるから言うたらあかん。けど自分たちはあっちの学校には行かんとこ、って反対するわけですよ。これが教育の結果ですね。そんな教育を誰がしてきてん大阪市って。実は自分自身ですよね。私は全部自分に返りました。自分がうん十年間、何か教育をしてきたつもりになっている人たちが大人になって未だにそういうことを水面下でやる。社会を変える原動力は教育にしかないな、とそのときもすごく自分の中に突き刺さりました。「誰や!」って他人のせいにしたい自分がいてるにもかかわらず全部自分に返ってきた。 こんなことしてたら大人が自分と違ったものを排除していく、こんなの地域社会で子ども真似するの当たり前やって、本当に子ども真似してました。障害があるよねみたいな子が道歩いてたら、反対側を歩いてる親子がね、「あっち見たらあかんで」とか、「大きな声出したら聞こえるで」とか、「怖いでー」とか、そういうことを平気で言っている残念ながら地域だったんですよ。その地域がみんなの学校の地域に変わるわけですよ。人は変わる生き物やっていうことですよ。1秒先を変えることができる。これが可能性ですよね。1年間、その1年間、本当に大きな学びを得た自分やったんです。「そんなん言わずに地域のええ学校作ろうや」って突然、次の年にみんなが反対してた学校を大空小学校ということで生まれたんですね。20年ぶりに新しい学校ができて、私はそこの校長に赴任した。塚根さんはそこに教員に赴任した。たまたまなんですよ。そっからのスタートだったんですね。 ところがね、私は体育の人間ですからね。障害とかインクルーシブとか特殊教育とかなんか大昔総合教育とか、そんなことぜんぜん知らない人間やったんです。体育のことはいっぱい知ってましたよ。でも体育のこと以外は全く知らない自分やったんですね。今、「体育のことは知ってましたよ」って言うたんですけど、実は体育のことも知ってるつもりでつまらん体育の教師やったなと思わされたのは、この幸輝なんですね。幸輝が1年生のときに、まだ幸輝がみんなの中で息も一人でようせんのんちゃうかみたいに思ってる1年生のときに、体育館で体育の授業をしたん覚えてる?体育の授業した授業者は泰子さんでしたよ。泰子さんが音楽ガンガンかけてフラフープの輪を使ってみんなキャーと楽しく、毎年1年生とやるけど、どんな子もみんな楽しく輪を使ったリズムに乗った動きってみんな大好きで、どんな重度な障害がありますみたいな子もみんなそん中で楽しむんですよ。私は体育の授業をできるいい教員やって思ってたんですけど、1年生のとっぱしの体育の時間、「はい、こーき」って座ってる幸輝に輪をかぶしたんですね、幸輝はそのスタイルのまま45分間1ミリも動かなかったんです。「こーき、何してんの、動きいや」とか言って、幸輝の体をパット触ったら、生まれて初めて経験しましたね、幸輝の体がね石より硬かったんです。石より硬い子どもの体って想像つきますか、みんな、そこまで幸輝は一人で緊張してたんでしょう。みんな音楽ガンガンかかってるし、キャーとか言って体育館で遊んでるんですよ。でも幸輝は1ミリも動かんとしゃがんだまま固まってたんですね。本当に石より硬い人間の体って、幸輝を触ったときに、私は何と言う、本当に学びのリーダーですよね、私はこの1時間、幸輝に恐怖だけを与えたんやって。そこで落ち込んだ。そこからやり直しができるのが人間の本能だから、いっぱいそこからやり直しをした。それが幸輝でした。 ### 大空小学校は学級担任制度を廃止した 皆さんあのさっき幸輝の写真を出しましたが、これ見てくれますか  1年生の2週間で義務教育を奪われた、私が大きな学校に行ったときに5年生になってる子どもで、初日に「家行ってくる」って言うと、教頭が「行かないほうがいいです。今裁判継続中で学校は一切関わりを持っていないです」と言った。とんでもないでしょう。どんな裁判をしてようと、それは大人が醸し出してること。子どもには何の関係もないのに、この子はずっと学校にも来れず、母親も学校を訴えてると地域からひとりぼっちになって、このカナタが6年生になったときに大空開校1年目に始業式に大空小学校に、越境になるんですが、裁判継続中やったので教育委員会が認めて5年生1年間大きな学校で私とカナタとの関わりがあったのでカナタが大空に来たんです。このときに学校中で一番困ってるのはカナタやなってことは明白なわけですよ。1年生の2週間で学校に来られへんのですよ。そっから地域から袋叩きにされ、母がカナタを膝に乗せて首を絞めようとまでした、「あそこの親は先生が熱心に指導してくれてるのにかかわらず学校を訴えてるモンスターや」って、学校がそう思うから地域のみんなもそう思うんですよ、カナタが外へ勇気を出して行ったら、子どもたちが見つけたら「養護、養護、養護」って追いかけられて川にはめられてビチョビチョになって家に帰ってくる、こんなカナタだったんです。このカナタが6年生の4月に大空1年目に来たんですね。みんなで困ってる子が困らないようになる学校をどうやったら作れるやろうか、この2週間しか経験していないカナタ、広汎性発達障害という診断を受けてる彼ですが、食べるものは白いご飯以外は食べられない、それを給食指導しないでくれと母が学校にお願いしたにもかかわらず、受け持った担任が40代の女性で、偏食なくしたろって、母ちゃん甘やかしたらあかんとか言って、給食を食べさせようとした。熱心に。お皿の上にキュウリ2個載せて、「キュウリだったら食べれるよカナタ、偏食なくさないと大人になったら困るから」、って熱心な指導をした。その結果、昼夜逆転してPTSDを発症してものすごくカナタは苦しんで学校に来ることができず、母はカナタの「僕はいじめられるために生まれてきたの?母ちゃん」という声でカナタの首をしめようとした。「どうしたの母ちゃん、どこが痛いの?」とバンドエイド取ってきて「痛いの痛いの飛んでいけ」って服の上から胸に貼る、そんなカナタを見て母は強く生きる決意をしたけど、誰一人味方のいない中で自分が生きる何かの術を見つけなあかん。裁判だったんですね。子の広汎性発達障害という障害をお願いをしていたにもかかわらず給食……(聞き取れず)重度のPTSDを発症して苦しんだ。大阪市を相手に裁判をする。そのことで生きる勇気を持ったんです。このカナタが実はスタートだったんです。 「このカナタを学級担任一人でカナタが安心して学校に来れて学級経営できる人手挙げ?誰かおるか?」おるわけないんですよね。これが大空小学校が学級担任制度を廃止した、自分の子どもは260人やってすべての教員が言い切れる実はスタートだった。 塚根さんフォローどうぞ。 **洋子さん** *〈泰子さんに呼びかけられるもミュートを外すのを忘れる〉* 私の印象ではカナタは事務室でいっぱい物を作ってるイメージ。そのときのカナタは生き生きしてた。教室でなければ子どもは学べないことではないということをすごく感じた。大空にいてたら、いろんなところで子どもが動いてても普通になってしまっている。それまでの経験値だと「子どもが授業中に教室以外のところに居るなんて!」っていうのが、先にそこがある。早く教室に帰らせないと、連れて行ってあげないと、「一緒に行こうか」という呼びかけが自分に一番にあったけど、大空で教室以外での子どもの伸びやかさみたいなのを見せられると教室に帰ろうということよりも、ここで満足したら帰っていくやろうな、教室が嫌な場所でなければ必ず帰っていくだろうな、自分の学年の子でも担当してる子でもないけれど当たり前の大空の子として一人ひとり子どもを見るようになったから、自分の頭を変えるのにいいチャンス。しかも事務室で事務室の人が、「こんなんあんで、あれしようか」と対応する。先生だけでは子どもは育たない。学校の中で自由に動いて、管理作業員さん、給食調理人さん含め、そういうのが全部大空の大人。子どもはどこ行っても安心して動けるし、「先生あの子あんなことしてたで」みたいな告げ口っぽい連絡は来ない。子どもが落ち着いて居れるんちゃうかな。幸輝が職員室へ行ったらどうにかしてくれるというニュアンスはそれかな。教職員が無理やり何かをして正論ぽいことで先生として教室戻さないといけない、ここ居たら駄目ですよとか言わない、ここに居たいんであればまず居てどうする?っていう場であるということを子どもは安心して居れるんじゃないかなって思いました。自分が事務室へ授業中でも何か取りに来たときに、カナタが居たら、不思議とほっとする。「楽しんでる!」みたいな。カナタの顔がすごくいいんです。私もほっとして教室に戻る。というイメージかな。 ## 周りの子を育てる **――もう一つアンケートから関連質問です。「発達障害と言われるお子さん、お友達を叩いてしまったり、蹴ってしまったり、そういうことをするお子さんに対して声かけとかそういったどうしたらいいのかアドバイスをください」** **泰子さん** 川上幸輝の母ちゃん、一年生、大空に来るときに、幸輝は療育の先生から大空に行ったらいいよって聞いて大空に引っ越しをしてきたんですね。私は母に、「学校に幸輝が一歩入ったら、一切幸輝には見るな関わるな喋るな」って言ったんですね。それよりも、「その代わり幸輝の周りでいっぱい困ってる子がおるから、その周りで困ってる子らを、何か困ってる子の横で困らへんように周りの子に関わりや」、そこから母は毎日に学校に来て幸輝の居ない学級で、自分が学校を作るスタッフの一人として重度の知的自閉ですって診断されてる子の横で悪戦苦闘しながら「私はどうしたらいいんやろ」って母自身がすごく学んだんですね。 そのあたり、母ちゃん、経験を語ってあげてよ。どうぞ。 **幸輝母** 周りの人を見ることで自分の子どもが周りの人に支えられて行くんだなーっていうのがあって、自分の子どもの成長っていうのはなかなか感じられないって言うか、毎日自分の子どもも日々成長しているんだろうけど、周りの子どもを見ることによって自分の子どもも日々成長していることに気づかされるっていうか、近すぎてわからなさすぎる。自分の子どもは自分で守れないんだなっていうのは、だから学校とか外では人に守ってもらう、家だけ自分の子どもっていう考えを持てばって感じです。生きていられるっていうか、子どもとの関わり方も変わっていくって感じで、家も学校も全てを支えなければと思うと私自身がしんどくなる。自分の子どもであって子どもは自分の子どもではない、皆の子どもであって他人の子どもは他人の子どもではなく私の子どもであるんだなってことで、これからも関わっていきたいなと思ってます。 ### 発達障害と医療 **泰子さん** 大人がやっぱりみんな自分をちょっと変えなあかんねんよな。発達障害っていう話が出ましたけど発達障害があって薬を飲まされて、学校に行ったら迷惑をかけるから特別の部屋でやったらおらしてあげます。その特別の部屋で先生がついて手厚く指導してくれるけど学校には行けなくなった。こんな子どもが発達障害という手帳を持たされて、9年間で50人を優に超えて大空に変わってきました。 私はもちろん医学モデルとしてね特別支援教育を語る大学の偉い先生達が嫌なほどいてる中で、こういう言い方したら誤解を招いたらごめんね、これは私の言葉やから正解なんかどこにもないと思って聞いてね、「子どもの事実がわからんくせに世間を振り回すなよ」って、そんな思いをすごく持ってました。特にドクター、お医者さんでもいろんなお医者さんがいるから、でも私たちはお医者さんの診断を受けると100%信用してしまうんですよね。 学校から周りの子とちょっとちゃう、もっとはっきり言えば授業中邪魔すんねん、友達叩くねん、すごく困んねん、困るから親が呼ばれて、「みんなに迷惑かけてるから、あんたとこの子出て行ってよ」って言われへんから、「あんたとこの子もいろんな障害があるかわからへん、今発達障害っていう子いっぱい増えてるからお医者さん見てもらって」って言われるわけですね。お医者さんに行かされるわけですよ。幼稚園から小学校に上がってくるまでの間に幼稚園から診断を受けろと言われて就学時健康診断というその場で違う場を選択しって言われる、その方が子どもが配慮してもらえますよ、支援してもらえますよ、みたいに学びを分断していく現実がとてもたくさんあるんですけど、 ドクターがどうしてこういうこと言うかというと、3年前になりますが小児科学会の会長がリーダーを務めて全国の小児科医が発達障害という診断を与える立場の人が東京に500人集まったんです。この人たちが一日研修会をしたんです。この研修会の最後にみんなの学校の木村さん来てみんなの学校の話をしてほしい。この学会の会長に言われて私は行きました。頼まれたら断るという選択肢がないから行っただけなんですが、20人ぐらいのところでしゃべれるかと思うとね500人やったんですね。それだけでも最初はひっくり返ったんですが、時間がたった1時間しかなかったんです。1時間で、それも研修会の最後、この一時間で私は言いたいことを言うて帰れへんかったら、東京まで来た意味がないと思って、まとめて何を言ったかと言うと、「お医者さんたち、次から次に子どもに発達障害ですね手帳もらいなさいという診断を下している。先生たち毎晩夜寝れてますか?発達障害という診断をもらった子どもがそこからどんな学校教育を余儀なくされて、どんな風に10年後大人になっていくかなんてこと考えたら夜寝られへんのちゃいますか。大丈夫ですか。」そのことだけ言って私は逃げて帰ったんですね。でも案の定20人ぐらいのドクターに捕まりました。この人たちには最初に生意気なこと言ってごめんなさいって謝ったんですが、いやいやよく言った、自分たちドクターよりも学校の校長は子どものことを知ってるはずや、その校長がドクターに「あんたら、いい加減にしいやって、はよ目あきやって」そんな提言をする、みごとやってやったんですね。 実はドクターたちは私におっしゃったのは、これは明確には答えが出てるんですが、子どもの頃に発達障害という診断は与えるのはとても危険ということです。とても危険や。大人になって発達障害というその診断を大人本人が困ってるときに、「君発達障害かもしれないからあんな風な生き方をすればいいよ」って、こういうことはとてもプラスになるかもしれん。でも幼少期にね発達障害という診断はあまりにも無謀や。発達障害というと脳の中枢神経のどこかの異常ですよ。それで発達障害エビデンスもそうなんですよ。発達障害を調べるには脳機能がどうであるかみたいな脳の中を調べて検査せな分かれへんわけですよ。今の検査は例えば WISC って言ったらね、一人の専門家がね子どもと面談してね色々問いかけをしてねチェックして行くんですよ。で、ばらつきがありますね、質問に目を見てませんよね、ってこういうことで点数で診断していく。「まー発達障害の域に入りますね」って、やっていくわけですよ。 こういう言い方したら誤解招くかもしれんけど、先導してるのはドクター曰く校長やって言われました。学校から子どもを診断してほしいってドクターのとこへ繋ぐわけですね、教育センターみたいなところからも繋ぐわけですよ。心あるドクターは様子を見ましょう、薬よりも環境が大事ですっていうわけですよ。ところが、そんな風に返すと学校からね「発達障害ていう診断をとにかく下してほしい」、校長が頼むわけです。その理由は発達障害という診断が下りれば、その子は特別支援学級在籍というプラス1の数値になる。子の数が増えたら特別支援学級というを学級を設置して、行政から一人教員が配置される。学校の教員が増えていくじゃないですか。学校の教員が増えることは良いことですよ。でもそのために発達障害という診断が欲しい。担任だけでクラスで暴れる子がいたら、その子のことを担任が関わったら周りほったらかす。じゃ、周りほったらかしたら周りの子の親が次から次にうちのクラス授業遅れてるって文句言ってくる。担任が潰れていく。担任が潰れてやめていく。やめたのは暴れる子が居るからやって学校の中がぐちゃぐちゃになっていくわけです。 大空には50数人の発達障害という診断を持った子どもが来ました。でもね、50数人の中でほとんど薬飲まされてました。薬飲めへんのやったらうちの病院は見ませんというドクターがたくさんいるんです。これの理由はね、こないだこういうことを山ほど調べたジャーナリストが東京大学のシンポジウムで見事に全てのデータを元に話をしてくれたんですけど、そういう「薬を飲みなさい」っていうのは薬会社儲かるじゃないですか、そういう名医みたいに有名な人の、びっくりするけどこの払い込まれたお金、製薬会社からすごいお金が振り込まれてる。それまでリアルに見えてたんですけど、ともて残念なことですが、薬売れますよね。学校ぐるみになって引っかかってることに気が付かない。子どもは薬漬けになっていく。 大空に来た子どもで一人だけでした薬が必要な子は。今でも覚えてますけど、ハルキっていう子だったんですけど、あとは周りの環境が変われば薬なんて全く飲む必要がないんですよ。ただし環境は変えなあかんわけですよ。薬か環境かですよ。環境調整に決まってるじゃないですか。この環境を変えるのは校長や教員だけでは無理なんですよ。幸輝ママなんかが学校に来て、困ってる子に「何か困ることない?私おるよ」みたいな、こんな多様な空気が蔓延する学校つくる以外に環境は調整できません。この一人薬飲んでたっていう子はねカーっとなって、3年生の子がこんな力が出てるかっていうぐらいに、何かが取り憑いたように物を壊して暴れるんですね。この子ね、信頼関係できてたら、校長室走ってきて、私が薬預かってたから、「校長先生薬欲しい」って言うんですよ。薬を飲んだらフーって夢遊病者みたいになって校長室のソファーで寝るんです。で、目開いたら、やっと落ち着いたと本人言うんですよ。この子は2歳のときに父親の暴力で頭蓋骨骨折して脳神経に異常をきたしている子どもでした。こんな子が落ち着くための薬は私はもう目の当たりにしました。必要やなって。脳の中、父親に壊されたわけですからね。でも、それ以外の子どもに発達障害で、リタリンとか色んな薬いっぱいありますよ、副作用は何一つ分析されてない、解明されてないんです。でも親はね、お宅の子どもが暴れるから薬飲ましてから学校に来させてくれ、って学校から言われるわけですよ。とんでもないでしょ。 だから、校長に任せといたらいいとかね、学校にうちの子たちを任せといたらいいという時代ちゃうんですよ。全ての大人が困ってる子どもが困れへんような地域の学校を自分が作る。大空はカナタという子どもとの出会いから「学校はあるもんちゃう、作るもんやで」って、「誰が作るの?自分や、自分って誰や?」って、子どもが、幸輝が幸輝の安心して学べる居場所、幸輝の学びは幸輝が作るんですね。私は何も教えられへんのですよ。親は自分の子どもが学んでる学校を自分が作るんです。幸輝ママに「周りの子育てやって」言うたのは、幸輝の周りの子どもたちが育ったら幸輝は安心して幸輝らしく学べるんですよ。これが幸輝の周りの環境が豊かに変わるということですよ。気づいたら全員が育ってるじゃないですか。障害ある子、それ以外の子、なんかこうやって分けて障害がある子が困れへんように、普通の子はこの子のこと見いやとか、とんでもない話ですよね。 大空は普通の学級に障害のある子が一緒に学んでることで驚かれてると思いますが、それは事実に反しています。大空にはそもそも普通や特別はありません。一人の子が学んでいる個の学校です。この一人の子が障害という特性を持っている。ただそれだけです。ダウン症の子なんて一人もいませんよ。ダウン症のAちゃん、ダウン症のBちゃん、ダウン症のCちゃん、全部違います。共通点はダウン症という特性を持っている、それだけです。ダウン症の子みたいな呼び方で一人の子どもをはめ込むのは最たる人権侵害ですね。 不登校も一緒です。不登校っていうネーミングを付けてそのスーツケースにほおり込まれてる、不登校なんて呼ぶ大人は、不登校って呼ばれる子がどんだけ苦しんでるか、その苦しみ作ってんのは大人やから、そう思うんですね。 発達障害という言葉は正式な障害名としては成立していません。でも、ほとんどの子がね、大空でね、その後10人来た、50人変わってきたら、50人の子どもの過去にケース会議があったり、ドクターがいてたり、苦しんだ過去を持ってるわけですよ。ここからいっぱい学ばしてもらいました。そんな子どもたちに学ばせてもらったから、偉い学者が言うこともそれはおかしいって私は言語化するようになりました。子どもの事実しか私は信じません。だから色々ところから「木村黙らせ!」とか言ってる人もいるかもしれんけど、何を言われようとやっぱり学校現場に入ってる私たちは何よりも目の前の子どもの事実がすべて私たちの学びなんです。これ以外のものが注入されても、子どもの事実とフィットしたらめちゃくちゃ私ら学びます。でも子どもの事実とフィットしなければ、それはおかしい、机上の空論やでって、そのことを言いふらすからどんだけより子どもが困るか分からんやろうみたいなことを最近は言葉するようになってしまっている。 **――大人が決めたことに対して子どもが苦しんでることがすごく伝わってきました。参加者の方のお声を聞かせていただければと思いまして、参加者の方で先生に直接質問とか行ってみたいという方ぜひお願いします。** **福本さん** 私は保護者なんですが、幸輝君のお母さんみたいに毎日学校に行ってるんですね。学校にいつでも行って手伝えるよっていう方たくさんいるんですけど、学校の方からの発信がなかなかしてもらえなかったりで、うまく繋がったらいいと思うんですけど、さっき洋子さんからリーダーからの発信がということがあったんですけど、それ以外に保護者とか地域から働きかけたらいいのか教えて下さい。 ### 地域の学校は誰のもの? **泰子さん** 方法や何をするかはいっぱいあると思う。今日はせっかく集まっているので、理屈というか理論というか、難しそうに聞こえるけど、そこをしっかり今日は一旦持ちませんか。 学校がどうぞ来てって言われへんかったら学校に行ったらあかんと思ってるやろ。入りにくいと思ってるやろ。学校に来てって言われたら行くけど、校長先生が「地域の人もお願いします言われたから行ってたけど、校長変わって、個人情報が色々あるから、今難しいから来ないで下さいって言われて行かれへんねん」という相談をいっぱい聞く。そんな時に、「あんたら校長の下請け人か?」って、ひどいこと言うんですよ。「地域の学校って校長の学校か?」って。 まずそこから自分の頭をクリアにして欲しいんですけど。地域の学校って校長の学校ちゃうんですよ。これがねやっぱりウン十年の日本の学校文化の悪しき、戦後の学校って校長先生様々みたいな、校長先生の言うこと聞きましょうみたいな、そのときはそんな社会のニーズだったんでしょう。今、校長の学校なんて言ってたら世界から笑いものになりますよ、校長先生。校長の学校やって言うねんやったら、当然「すべての子ども学校におるか?」ってならなあかん話なんですよ。地域にある地域の学校はみなさん地域住民のものです。学校で働いてる校長や教頭教職員私らだけが地域住民じゃない=学校は誰のものと言ったら地域のもの、働いてる私たちのものではない。ここがまずスタートです。 ### 地域住民は土、教職員は風 大空では、このことが皆さんやっぱりそうは思ってもらわれへんからね、なんか校長が頼んだから自分で行ったるでって、これってギブアンドテイク、学校がお願いしますって言ったら地域動くわけですよ。ギブギブ、テイクテイク、地域動いてくれたら学校がありがとうって言わなあかんやろ。地域の人が見守り隊をしてくれてたら学校の子どもらが式みたいなのを開いてね、皆さんありがとうって感謝状渡したりする。大空そんなことしたことないで。当たり前やから。地域の人が地域の宝を守るのは当たり前やろって、学校が頼むからちゃうやろって、ここがまず地域住民は、皆さん方やで、皆さん方は地域のパブリックの学校の「土」、働いてる私らは消えてなくなる「風」、だから塚根さんなんか、風は風の分をわきまえなあかんなって、いつも言ってました。これは大空やからではないんです。全国に何万とある、この武蔵野のパブリックの小中学校はすべて地域住民のもの。だから、「校長先生、入っていいですか?」とか、不審者だけやねん学校に入ったあかんの、子どもの敵やから、例えば福本ちゃんが「学校に私何か手伝うことがあると思うから学校に入れてください」って言うたときに、学校が「いやーやっぱ入ってもらった困ります」って言われたら訴えてやり、私は不審者ですかって。学校を窮地に追いやったり敵にするんじゃなくて、学校よりも困ってる子どもを救わなあかんから。ギブアンドテイクの考え方は理屈上、理念状、間違ってる。これは私の言葉ではないんです。これはある文科省の事務次官、事務次官って文科省のリーダーじゃないですか、この事務次官と一緒にシンポジウムしたときに、私はその質問を、「校長によって入ったらあかんって言うねんとか、なんか校長変わったら学校変わるって、それって校長の学校ですか?事務次官、パブリックの小中学校は誰のもんですか?」って質問したんですね。即答しましたよ、その次官は、「もちろん地域住民のものです。校長のものではありません。主体性は地域住民にあります」って言いました。だから私はそのときに、嫌な人間やから「今、事務次官が言ったこと全国に言いふらします」って言ったら、「あんた嫌な子やな」って言われたんですけどね(笑)。やっぱりこういうことは言いふらさなあかんと思ってるんですよ。でも、やっぱりね、分かれへん校長や分かれへん先生たちは怖がってんねん、何を怖がってるか言うたら、文句言われると思って怖がってんねん。 今なんか、すごいで、モンスター対応で先生らヘトヘトになってるわけやから、それどんなモンスターの中身って言ったら、授業が遅れる、暴れる子がいる、先生の言うことを聞けへん子がいる、この子放り出してよ、っていうこの負の連鎖やん。大空に暴れる子や言うこと聞けへん子なんて居てることが当たり前やねん。この当たり前を、(先生へ文句言ってないで)今みんなで、変えていかなあかん。 まさにコロナで露呈したのは障害・貧困・部落。こういう差別が見事に露呈したやろ。コロナに感染した人って困ってる人やろ。この困ってる人を排除してるやんか。看護師さんの子どもが入学式に来たらあかんて言われるって、一体どんな遅れた社会に今私ら住んでんの?って思えへん?全国をトラックで仕事をしてる、荷物を配達してくれるトラックの運転手の子どもが1年生に入る。「この子は親が感染のリスクが高いから、この子は入学式休ませてほしい」って保護者が言うねんで。保護者が言うたら学校が困って教育委員会に相談すんねん。教育委員会が、「感染したらややこしいからその子は休んでもらいましょう」って本当に1人の子どもの入学式を奪ったんやで。こんなことが行われてるのが今のコロナ禍で、全部蓋空いて今まで蓋して見えてへんのが大変な状況(モンスター?)が見えた。でも大変っていうのは大きく変わるチャンスやから、まさにこの今コロナでみんなが何を信じたらいいのって思ってるこの大変なときに過去は全て捨てて、過去は1ミリも変えられへんからすべて捨てて、1秒先の未来に向かって、新しい発想で自分が変わろうやって。 ### 2年間で649人の子どもが自ら命を絶っている みんなね2018年、2019年、去年おととし、たった2年やで、2年間で子どもが、小学生から高校生まで、この児童生徒が自ら自分の命を絶つ、自死する、この生徒の自殺した数、何人ぐらいの子どもが学校という居場所がありながら自ら命を絶った。たった2年間、何人の子ども死んだと思う?想像できんと思うけど自殺と認定された子どもの数だけで649人やで、福本ちゃんこの数を聞いてどう思う? 1日1人、大人がこんだけいてんのに。家庭に場所がなかったら、学校(がある)。学校は公、パブリック。幸輝の言うとおりやねん。幸輝が言う、どこにも居場所がなかったら家から逃げてきて、学校の職員室がすべての子どもの安全基地にならなあかん。夜、学校が閉まってたら、子ども「助けて」って行くとこない。でも普段幸輝ママと困ってる子どもが繋がってたら、幸輝ママの家行って、幸輝ママ助けてよって言えるわけやんか。この関係性が一人でもあったら子ども死なんで済むねん。一人ぼっちになるから死んでしまう。 これやっぱり自分事や、自分事に返さなあかんと思うねんな。学校に子どもが居るわけやから、「今日はどの子困ってる?」って、「私は地域の一人として困ってる子どもの横に透明人間でおろうや」って、これが大空の大人たちの合言葉やってんやんか。「この先生授業下手」とかな、「この先生授業中サボってる」とかな、「ここにゴミを落ちてんで掃除ちゃんとしいや」とかな、そんなん言いに来る人は出入り禁止って公言してました。でも、子どもと一緒に大人の自分が一緒に学ぼうって思う人はオールオッケー、ピンポン鳴らして学校に(おいで)。学校はパブリックってみんなやで、みんなのものやからみんなのものやねん。イコール税金やで、私らの給料税金でもうてんで。 先生の指導で子どもが4階の窓から飛び降りて死んでしまった。実際、こういう学校に私いくつか呼ばれて行ってるから、リアルに仏壇に居てる子どもと出会うわけやんか。それってさ、「その先生の指導は強かったね」って、「ちょっと強すぎましたね」って言うだけで学校転勤して給料もらってるはんねやんか。子どもの命が無くなっても。これが子どもの自殺やで。こういう社会を作ってたらあかんやん。けどな学校にいつもみんな(大人)居てたら、大空でもやで、先生ときどきブチッ!カー!ってなんねん、「お前ー」とか言ってるときに地域の人が「いけるか?大丈夫か?」って、その現場に第三者が入ってくれんねやんか。先生も、大体転勤したての先生は力使うから、「やばい」、「体罰は首やでって言われたらやばい」とか思って控えていくやん。控えていく中で先生はやり直しをしていく。子どもはその瞬間、斜めの関係の地域の人に救われるわけやんか。これってみんなが幸せになるから。だから、学校がどうぞって言うから行く、学校が閉ざしてるから行けへん、こんな時代は649を0にせなあかんのが私ら大人、大人やろ、大人やねんか、そこ考えたら自分の足が2歩進むと思うねんな。 **福本さん** 勇気がすごく要ると思うんですけど足を運んでもらえたらと思う。 **泰子さん** 大空でみんなが阿吽の呼吸で共有してたのは、「自分の子どもを見に、自分の子どもを守りに、自分の子どもを育てるために学校へ来るのは大間違い、子どもが傍迷惑やから」(ということ)。自分の育てたかったら、自分の子どもの周りの子どもを育てに、できるときに、自分の意志で来る。これが一人の大人の主体性せやねん。自分の意志で学校に来てたら、学校で子どもと大喧嘩しても、自分が困っても、他人のせいにしないから。自分やり直さなアカンな思ってまた次の日チャレンジしにくるから。みんなの学校の原点ってここやと思うねん。幸輝が言う大空の職員室というのは、大空の子どもたちの回りにいるすべての保護者や地域住民や教職員、これはみんな大空の味方やで、困ったときに何があっても助けるでって(というところ)。 自分の子が困ったときにあんまりよう助けやんねんで、親って。子どもが負ってしまった傷口に塩塗りつけの親上手やねやんか、「がんばれ!」とか、「誰や親がやっつけたる!」とか、こういうことって子どもの傷口に塩塗りたくって、大人になって自分らしく生きれる大人になれへんやんか。自分の子どもは見ない触らない喋らない、周りの子たちが育ったら、自分の子ども育つで。結果として育ってる。周りの環境が豊かになんねんもん。 セイシロウって映画で、発達障害って言われて、セイシロウの母ちゃんが大空に変わってきたとき、セイシロウの母ちゃんに私はとてもひどいことを言うた。「母ちゃん、あんたな、セイシロウのこと気になって学校に入んねやったら一歩も学校に入るな。送ってくの勝手やけど、ここの線から一歩も入るな」とか言って、それがセイちゃんの母ちゃんに最初に言った言葉で、それを聞いてた周りの管理作業員とか職員が「ひどい校長やろ気にせんときや」とかフォローしてたけど。でもやっぱり自分の子どもを親だけが守ってけーへんかったら、学校に痛めつけられすぎたんや。守らなしょーなかってん。それは絶対周りの子にとっても良くないし、例えばセイちゃんやユズキなんかでもいっぱいそんな子が、帰りに母ちゃんと子どもが二人帰るときに、周りの子とトラブル起こすやん。トラブルを起こしたときに、たまたま私がおったわけや。例えばセイちゃんやったら、「友達に君死にたまへ」とか言うわけや。そしたらセイの母ちゃんが「ごめんな、セイちゃん分かれへんから許してやってな」とか言うわけや。そのときはめちゃブチ切れて「お母ちゃん、何言うてんのあんた、あんたさあ、今、『ごめんなセイシロウが間違ってんねん許してやってな』って言うたけど、あんたの目の前に自分の子どもと自分の子どもが嫌なことを言うた相手の子どもと二人の子どもがおる、あんたは一人の大人としてこの二人を育てなアカンねんそれがあんたやで」って。 それに自分の子どもが、まるでな「うちの子どもは障害があんねん、だからこんなん言うねん、ごめんなって許してやってな」みたいなこと言えば、「障害のある子は『死ね』って言うんや、『死ね』って言う障害のある子に言われても気にせんといたらええねん。俺は普通、障害のある子は格下やからしょーないねん。なんか自分の方は賢くて、セイちゃんの方があんまり賢くないから、許したるのかな」って、ここでその普通って言われる子とセイシロウとの間に、普通っていう子には、もちろん障害があるとは言われていない子、セイちゃんは発達障害があると診断されている子、こうなったときに、普通と発達障害という診断を受けてる子の違いは当然歴然とあるで、でもこれは単なる違いやねん、違いは違いとして、その子とセイちゃんと一人の人と人としては対等な関係でつながなあかんねん。これが大人の仕事やねん。セイちゃんの母ちゃんがセイシロウを守るために「ごめんね」と言ってる。そういうことが周りの子どもたちを全部不幸にしていって将来使い物にならない大人にしてしまう。 セイシロウの母に、「セイシロウ守んのとちゃう、セイがこの障害を存分に自分の個性としてありのままに障害を長所に変える、そんなセイシロウに育ってほしいんやろ、ほんならセイシロウの周りを育てなあかんやん、それにやな、うちの子変なこと言ってごめんね許してねってどいういうことやそれ」って間違うてるやろ。ワンワン母泣きました。でも、「ごめんねって言えへんかったら学校に行かれへんかった」とも言いました。そんな学校経験してきてるわけですよね。だから幸輝ママも周りの子どもに関わりだすと見事に、幸輝ママも言うたやん、「周りの子どもが自分の子どもに変わるんや」って、「自分の子どもは周りの子どもが人が育ててくれるんや」って、これがみんなの社会じゃないですか。そういう社会を作るために、木村のような取り返しのつかない失敗いっぱいしてやり直しをしてきてる人間が校長やったら、ことは早い。塚根が言うように。失敗をしてへん人ってやり直しをあんまり経験してへんから、これでええと思ってる人が案外多い。これでいいと思ってる時代と今の多様な時代とぜんぜん違ってることにも気づけへんから、過去を守ろうとするやろ、そんな校長さんやったらそこに期待したらあかんねん。校長の学校じゃないから。 *〈幸輝からチャットが入る〉* > 僕が、中学校にいけなくなった時、地域の人が私が先生になったあげれるし、小学校で学ぶ方法もあるよとおしえてくれたよ。 > ――光輝さんのチャット書き込み だから光輝は自分がやってもらったことを自分のように困るだろうなと思う子どもたちの味方になりたい。これか光輝の夢ですよ。こういうプラスサイクルの社会を作るために私ら大人が、それぞれの違いはあっても、一人の大人っていう共通点はみんな一緒やろ、学校や、校長や、先生や、いうところに変わってもらえへんかったら(聞き取れず)になれないみたいな、自分から新たな新しい発想で行動せーへんかったらあかんかなと思います。 **――他の質問どうぞ。** **玉井さん** まだ子どもは小学校に通ってはいないんですけど、近くで学校に行けていないお子さんがいたりしていて、前の年長さんだった子が今小学校に行っているんですけども、学校に慣れるまでに時間がかかったり、本当は嫌いなんだけど親に行きなさいって言われて頑張って今行ってる子がいて、いろいろ考えることがありまして、今日参加させていただいた。 子どもが今ここで躓いてしまって行かなかったりすると、親としては、大人になったときのことを考えてすごく不安になってる方がいらっしゃって、学校で勉強ぜんぜんしてこなかったらどうするの?とか、大人になってもし嫌なことがあったときにそこで嫌なことへの対処ができなかったらっていうので行かせてるという方がいらっしゃる。それを今から幼稚園が終わってすぐの小さい1年生が無理をして行くっていうのはどうなのかなとすごく疑問に感じていて、泰子さんのお話を伺えたらと思います。 ### 不登校の子ども自身には原因はない **泰子さん** 大空卒業してから5年間、全国で学校に行けない子ども、自ら行かない子ども、そんな子どもたちともう数え切れないぐらい出会って、講演会の度に出会って。学校ある時間に一番前で2時間聞いてる子がおって「あんたどうしたん?学校は?」って言ったら、「行ってない」、「え?私の話聞きに来たん?」って言ったら、「別にほっといて」って。「無理せんでいいから、出て行きたかったら出てきや」って言ったら「ほっといて」って言われたり。女の子がお母さんの横ですごく苦しんでるような、私が喋ってる間中ずっと睨んでる子がいたんですよね。 学校に行ってないっていっても、100人の子が学校に行ってない、じゃあどうすればいいか大人が感じる考えようとすること自体がとても子どもには失礼なことなんですよね。100人いたら100通りの自分が学校に行かない理由を持っています。 例えばね、学校の先生がね家に来てね「あんた何で行けんの、なんか嫌なことあんの、いじめられてんの」ってね、いっぱい聞いてくれるんですよ。熱心に聞いてくれるんですよ。でもねどんだけ聞いてくれても、みなさん考えて、学校に行っていない子ども、学校の先生が家に来て「あんた何が嫌なん、いじめられてんの、何で行けへんの、何で学校に夜行こうと思うのに朝行かれへんようになんの」って、こういう質問をね学校の先生がさも熱心に子どものためにと思って行動してるんですよ。もちろんね。ちょっと考えたら子ども学校に行かない、その原因はあんたの中にあるやろっていうことを突きつけられてるって気づきます?「何が嫌なの、何がいじめられてんの、なんで来られへんの、何で朝起きひんの」って。あなたが学校に来れない、じゃあ、あなたが頑張れば学校に来れるんじゃないの、朝を早く起きたら来れるんじゃないの、いじめられてることがなかったら来なさいよ、いじめられてることがあったら私に言い、って。信用できる大人にやったら言うけど、「誰々が木村がいじめんねん」、なんて言うたら、学校に行って、「木村さんおいで、あんたあの子いじめてんの?だからあの子学校けーへんねんで、あんた謝り」って。こんなことようやられるんですよ。そしたらその子よけい行かれへんじゃないですか。こういうことに大人って発想が及ばないんですね。及ばないのは大人が主語になって、親が子ども行かしたい、教師がこんだけ熱心に指導してるよみたいな、行かない行けていない子どもに親が何を学べばいいか、行けない子どもに学校の先生が何を学んだらいいか、そこの視点に周りの大人が、自分を変えへん限り子どもは安心して学校には来ないと思いますよ。子どもが学校に行けない原因は、たくさんの子ども、大空に来た50人の子どもに教えてもらったことだけでも、存分に自分の考えを持ってますが、大空を卒業してから、全国の子どもたち、学校に行ってへん子どもたちと学ばしてもらってる中でも、**明解に、子どもが学校に行けないその原因は、行っていない子どもには無い**ということなんですよ。でも親は、周りの子が行ってんのにうちの子が行かれへんねん、親の関わりをどうしたらいいとか、うちの子どもに原因があるんかとか、みんな行ってんのにあんた頑張りや頑張りや、って言ってしまうねんけど。 子どもってすごいですよ、みんな違うから。学校に行きたくない学校に行きたくないねんっていう子ってね、すごい感性豊かですよ。これもあの一概にくくりで言ってる話ではないんですけど、私が一番すげーなーこの子って、学校の先生を辞めてから教えてもらったことで、もっと早う教えてもうてたら、もうちょっとましな先生なれたやろなと思う。テンっていう子なんですが。この子ね5年生のときにある講演会で出会ったんですけど、ずーっと私を睨むような顔してて、気になったから終わったあと、「なーなー話し聞いてくれた感想でもなんでもいいから教えて」って言ったら、一言も喋らないんです。でもその横に居たお母さんがね、なんとね、この子ね、お母さんが読もうと思って、「普通の子なんてどこにもいない」っていう本がちょうど出たときやったんですね、この本をお母さんが読むと思って買ってた、この本を、このテンが、「一晩で全部読んで何回も読んで何ページ何が書いてるか分かるまで、ずーっと読んでるんです」ってお母さんが言わはったんですね。「じゃあさ、ちょっとなんか色々教えてよ私に」って言ったら、そのときには何にも言うてくれへんかったから、「じゃあまた何か伝えてくれることがあったらね」って言って、紙切れにアドレスを書いて、「内緒な」ってテンにだけ渡したんですね。何回か自分が困ったときにメールにダーッと自分の考えを書いてきました。あるときは「お母さんに学校行けって言われて『行く』って返事したけど、どう考えても私は学校に行けないこのままやったらなんかとても危険なことを自分がしそうやからダメ元で先生にメールを送ってます。」これが初めてのメールやったんですけど。今ね6年生になって児童会の会長までやってるんですよ。運動会は応援団の団長にもなったんですよ。ずーっと学校に行けなかったこの子が、行けない一番の原因はね、学校の先生の言動が、どうして先生がこんだけ子どもを、子どもが困るような言葉を平気で使うんやって、どうして先生が子どもに子どもをいじめるんやって、そういうことが許されへんかったんですよね、自分の中で。おとなしい子やから、子ども自身は何も先生に怒られたりせーへん、だから先生は学校に来ない理由が分からないんですよ。いじめられてるわけでもない。テンは、そういうこと平気で言って、大人がね、で、そういうことを聞いてるふりをしてる子どもたちの中にいることがいたたまれない。だから学校の空気は吸えない。こういう子やったんですね。私の本を読んだときに、学校は見る力をつけに行くとこちゃうで、十年先の社会に必要なのは見えない力や、見えない力をつけに自分の力は自分がつけんねんて本に書いてあるわけですよね。見えない力って、人を大切にする力、自分の考えを持つ力、自分を表現する力、チャレンジする力、これって自分しかつけられんねんでって。先生なんか付けてくれへんし、他人が評価できへんし、あんたの見えないところに蓄える力やで、この力が将来役に立つねんから、見えない力をつけるために、これは家では付かれへんねんなって、自分と同世代のいろんな子がおるところじゃないと付けられへんでって。先生が信用できん、先生がひどい、先生が力をなんかこっちに加えてくる、みたいな、そんなもんにどうじてたらあかんのちゃうかって。こういう繰り返しからテンは4つの力をつけるために学校行き始めたんですよ。自分の担任に本を一冊買って、先生この本読んで勉強し直せって。先生に本を渡したみたいで、それには先生もちょっとビビってたみたいなんですけど、要は学校っていうところは、母ちゃんたちも、先生の言うこと聞きやとか、悪いことせんときやとか、みんなと違うことしたらあかんでとか、そういうことをスーツケースに入っときなおとなしく、目立たんように、みたいなことをやっぱり親が思ってしまうその空気も子どもは吸ってるわけですよ。だから一概にくくりという話ではありませんが、学校に行けていない子どもの最近の多くの共通点は自分を持ってる子どもです。これまでの30年前40年前、学校に行けていない子どもの多くは、家から学校に行くという環境を与えてもらえなかった子どもです。家の中で閉じ込められるとか、仕事を手伝わされるとか、そういう子どもがこれまで、例えば貧困であるとか、そういう原因が40年前50年前は学校に来れない子どもで多かったんですが、最近はそうじゃなくて、画一的な教師が出す空気しか、はいとしか言われへんような空気を、おかしいやろと思う子は吸われへん。吸われへんけど、それを言われへんのですよ。「こういうことが嫌や」とか、先生のこと悪いこと言うたら、何かそれ自体が自分が悪いみたいなことを思わされてるから、言われへんわけですよね。そういう子どもがとても最近は増えてる。学校に合わされへんから行けへんのですよ。でも学校に合わす必要ないねん。自分の居場所は自分で作んねん。そうやって言いながら、でもね大人もやっぱり「二人子どもいたら二人とも違うねんで、分かりましたか」「はい」みたいなこと言わしてたら、10年先の社会通用せーへんでって。大人がまず変わっていけば、全ての子が自分の吸える空気を学校に作ることができれば不登校なんかゼロですよ。学校にある空気を与えてもらってる間は吸われへん子は学校に行きません。 大空に来たほとんどの子が、「大空には普通に来んのにあんた前の学校何で行けへんかった?何が違うって」言うたら、「空気が違う」って多くの子が答えました。「前の学校の空気何」って言ったら、「刑務所」、セイシロウは「牢屋」って言ってましたね。「大空の空気は」って言ったら「え、普通や」って。こういうときに使う言葉が普通なんですよ。この普通は自分が学ぶ自分の学校やから、先生の指示通り動く学校を、まだまだ今残ってるけど、こんな学校作ってたらあかんでって文科省もようやく言語化してきたので、これまでよりは学校は変わらざるをえない状況にあると思うんですが、でも気付いた人から、学校の嫌な言い方やけど、もしこの中に先生が居てたら、「私は職員室の空気おかしいと思うけど、みんなに合わせたなあかんから、この校長の言うこと聞かなあかんからな」て思ってる先生がもしいたら、学校に来られへん子いっぱい居てると思いますよ。そんな先生やから、相手(先生)を敵にするんではなくて、自分の考えを自分の言葉で伝えていく、これって文句ちゃうから、自分の考えやから。そういう努力を一人が始めたら、次の一人がそれを繋いでくれて、二人いてたら職員室の中で点と点で線になるでしょ、もう一人いてて3人同じことを共有して繋いでくれたら、3人いてたら面になるんですよ。この面で[風呂敷]("suitcase")できるでしょ。この三人がどんどんどんどん広がっていったらお風呂敷おっきくなる。そこに、やっぱりこっちの方がええなぁと思ったら4人目5人目って繋がっていったらめっちゃ風呂敷広がるじゃないですか。学校はスーツケース作って、多様な社会で通用しない子どもの学力をつけてしまいます。風呂敷に変えるには全ての人が、子どもの周りにいる人(が変わらないといけない)。光輝が中学校行かれへんようになったときに地域の人が何か教えてくれたでって、風呂敷が繋がってるって言うことですよね。そのことを光輝が一番安心して今を迎えてるわけですよね。みんな自分を変えましょう。 洋子さん3分のまとめをどうぞ **洋子さん** *〈泰子さんに呼びかけられるもミュートを外すのを忘れる〉* みんなまとめは要求してないと思うんです。一人ひとりが自分でまとめを感じたと思うんです。 私も現場離れて校長先生の話をずーっと聞いてるんだけど、その度々に自分はやり直しせなあかんなということが見つかるんで、自分のアンテナを外に向けておくのが大事かなと思います。みなさんもアンテナのホコリがとれて感度良好になったん違うかなと思います。いい感度で前進んだらいいと思います。 **泰子さん** 洋子さんが喋ってるの聞いて喋りたなったので1分喋らして! この中に「発達障害や」言われたとか、「すぐ周りの子どつくねん」言われたとか、そうやって自分の子をスーツケースに親が押し込もうと思ってる人案外いてる思う。違うよ。発達障害やから友達を殴る、こんな人は誰もいませんよ。知的、自閉やねんって、重度の知的と自閉症ですと言われる。自閉症の子なんて世の中にいませんよ。これは今日本社会が作ってる作られてるシナリオですよ。砂漠の中で一人で生きてたら自閉症みたいな症状は出ない。小児科学会の会長が見事に公言しました。自閉症という症状が出るのは、その子の周りに障壁ができたときです。だから周りが豊に育てば、どんな障害があっても、障害を蓋したり、健常に合わせたり、子どもが大人の都合で二次障害を受けるんですよ。二次障害を受けた子どもは愛着障害みたいに感じるんですよ。それを発達障害という言葉に置き換えてるケースがものすごく多い。セイシロウが高校3年生になって、見事に文書にしてある管理職が読む雑誌に寄稿しました。「みなさん僕は発達障害という障害を持っています。でもね、これは病気ではありません。治すものではないんです。だから障害は僕の個性なんです。障害は長所に変えるのが僕のやることでしょ。」って。「そう思うと、大空で僕が僕らしくおれたのは僕の周りの友達が僕のありのままを認めてくれたからなんです。今までの学校に行けなかったのは、みんなに合わしなさい、暴力振るってはいけません、暴言やめなさい、おとなしくじっとしなさい、って要求され続けて自分ができなかったから暴れてたんです。大空に行くと椅子に座ることが当たり前なんてどこにもありませんでした。床に寝っ転んで、算数なんか僕分からないから工作を作っています、でもね工作を作っててもみんなが言うこと聞いてるから、『僕もいいと思います』とかって言うと、周りは『セイちゃんうるさいなーとか』じゃなくて、『セイ、算数の勉強してへんのに何で分かんねん、お前天才か』とか言われたことがあります。」とかセイシロウが言うわけなんですよね。ここなんですよ。「障害は長所に変えるものです。障害は自分が持っている自分の個性です。病気ちゃうから治せ言われても治れへんって、治すもんではありません。これは僕は中学で苦労して高校でも苦労した。苦労したけど今大空の3年間で学んだことは自分の中で生きてる」って。「僕を、変わった人間やなお前は障害あるんかみたいに、僕を否定したり差別する他人を感じるときは正直ありますよ。でもそれは僕が大空で認めてもらったというのは、何を学んだかというと、そんな風な目で僕を見る人がいても、僕はその人を尊重しないければならないな、僕との違いを尊重せなあかんねん、否定したらあかんねん、ということを僕が学んだ。セイシロウは障害というこれを差別に置き換えられて苦しんでる子どもたちが今の日本社会でたくさんいます。こんな子どもたちに僕は勇気を与えて、あきらめんでいいでって、そんなことを発信できる自分になりたい。」 私ら他人のせいにしたり、文句言うてたらあかんねん。おかしいことがあれば、「おかしいよ、こんなふうに考え直しをしようよ」って(言おう)。「おかしいよ出ていけ」は文句、「おかしいよ、だからこんなふうにしませんか」、これは意見。大人がおかしいということを自分の言葉で、相手を敵にせず、尊重しながらお互い伝え合えるような関係性を築いた(気づいた?)人間からつけていこう。 障害はその子の持ってるその子らしさ。それは健常と言われる人に合わすために特別の部屋で勉強して、普通って言われてる人に合わすために、迷惑かけへん、自立するために、なるんとちゃう。どんな重度な障害があっても、自分の足で動けなくても、自分の言葉で伝えれなくても、自分の名前が書けなくても、6年間小学校の現場で周りの友達との関係性を作っていけば、自分のことが自分でできる障害者になれって言われることから、自分ができなかったら自分の周りの人に「助けて」って言えたら、地域社会でみんなと生きていけるわけです。これがその一人の子どもの自律、自分の考え持って、自分が判断して、自分が行動して、失敗したらやり直しをしていく、これはすべての子どもが持っている与えられた権利なんです。これ憲法26条ですから。この権利を塚根さんが言ったように、大人が邪魔しないで。1年目のカナタの母に教えてもらった言葉が、先生たち熱心に指導してくれて感謝します、でもね熱心な無理解者にならないでほしいと言われました。「子どものために」って言う言葉は大空では断捨離してます。子どもが安心してるか事実を見てるだけです。 **――16時になりましたのでこの会は一旦ここで締めます。1件質問がありますので延長します。** **木下さん** すぐに切れてしまう小学生、ドッジボールとかで当たっただけですぐ「死ね」とか中指を立てて怒る1年生に対して、「死ね」という言葉がどいうふうな意味を持っているのかを上手く伝える方法をいつも苦労してまして、「死ね」って言ったら駄目よっていう言葉だけでは伝わらないところがあって、口癖のようになってる子どもに何て言ったら伝わるのか、何かいい方法ありますか。 ### 大人は通訳 **泰子さん** 私はセイシロウに「死ね」と言われてこのかた何回、何回言われたか分からへんけど(笑)。 # ここから 「死ね」っていう言葉は、その子が周りを困らせようと思っている言葉か、その子が困っているときに出る言葉か、どっちと思う? たぶん本人がお母さんからの愛情をもって欲しいとか、自分自身が寂しくてヤケになって、死ねって言葉が出てると思うんですけど。 ていうことは、周りを困らせてやる困る子ではなくて、本人が困ってる子。これってね100%ですよ子ども。人殴る子、死ね・出ていけ・殺すぞっていう子、この子たちは、大人はそうはいかんけど、子どもはそれぞれの環境で生まれて6年間それぞれ違った環境で生きてきて6歳6年間生きて1年生で集団生活を行うわけやから、椅子に座られへん子おるの当たり前やし、死ねという言葉を他者に言われなければ死ねという言葉は子どもの口からはでないですよ。暴力を振るわれた経験のない子どもは人を叩くことを知らないんです。人を叩く子どもが自分が殴られてる経験値を持っている子どもです。イコール死ねって言う子やすぐ友達を叩く子は困ってる子なんです。困ってる子なんだっていうことを大人が先生が百ゼロで分かってへんかったらその子を矯正しようと思ってしまう。 大空でこういう子いっぱいいました。死ねってまず大空の職員は、セイシロウが映画でも校長室で「死ね」とか言った後、私がむきになって「じゃあねさよなら」とか言って喧嘩してるときに、養護教諭のモトちゃんっていうのが入ってきて、セイちゃんと私と両方に対して「どっちもどっちやな」と捨て台詞吐いて入ってくる。これが大空の大人でした。でも世間は校長先生に死ねなんて言うたあかんでみたいな間違った正解を大人が言うでしょ。それを聞けば聞くほど理解できひんじゃないですか。子どもは自分困ってんのに。セイシロウは前の学校で友達が遊んでたら遊びたいって入って行くけど、セイちゃん来たらルールも分からへんし、セイシロウは特別の部屋の子やから、おれらのクラスの子ちゃうから、お前仲間に入れたれへん向こう行けて言われるわけですよ。セイちゃん遊びたいから、僕も一緒に入れてよって言うと、周りの子がセイシロウに、「向こう行け、死ね死ね、殺すぞ」浴びせるんですよ。ということはセイは「死ね」って言われることは向こう行けということなんですよ。あのときに校長先生邪魔やから、「校長先生お願いやから僕は一人になりたいから向こう言ってください」この言葉が集約されて「死ね」になっているわけですよ。本人は困ってる。こういうことを例えば先生がドッジボールのジャッジで暴言を吐いて「死ね」って言った子がいる、じゃ、周りの子は死ねって言われたってなる?、先生はジャッジするからあかんねん。ジャッジなんかせんでええねん。私もわかれへんから周りの子どもと、この子さあ今みんなに死ねって言ったけど、この子が死ねって言わんでええようにするにはみんなどう変わったらいい。こんな問いかけを周りの子どもと教職員はしてましたね。これは通訳と言ってたんですよ。「死ね」ってこの子に死んでほしいの?って聞いたら「誰も死ねって言ってへん」いいますから。「今、死ねって言ったやん」って。「ちゃう、だってな、僕を入れてくれへんからや」って。そうなんや、入れてくれへんから「死ね」って言った。じゃ、あんたらが入れてあげたら「死ね」って言わないのかな。でも入れたらセイちゃん分からんから困難やねん。じゃどうしたらいいんやろ。これが対話なんですよ。これを2020年から文科省は主体的・対話的・深い学びって言ってんねんけど。こうやって通訳してる間に私らがそこで正解を言うと、子ども同士は絶対つながりません。セイが死ね言えへんようにするにはどうしたらいいんやろ、セイ入ったらあんた面倒くさならへんようにするにはどうしたらいいんやろうなあ。言ってたら、子どもら同士で、セイちゃんの場合あったたら怒るからセイちゃんに投げるときは床を転がすようにしようとか勝手にルール作り始めます。投げられるボールはセイシロウ怖いけど、床転がってくるボールは、きゃーとか言って楽しんで一緒にドッジボールできるんですよ。それが違いを対等にです。それは子ども同士で見つけな、大人に言われたものは子どもが、やっぱりねセイちゃんの味方して俺らに先生はセイを贔屓してるは、特別やから、みたいな、子ども同士はそもそも障害があんねんこの子なんていう発想は持ってませんから、先生だけが持っるから、だからそんなジャッジをしてしまうけど。一緒に考えたらいいんですよ。どうしたら「死ね」って言わへんようになるやろうなって。いつもいつもでした。頼りなーい先生が子どもに頼って、先生の仕事はかっこええスペシャルになることでなくて、子どもと子どもをつなぐ、つなぐコーディネートが先生だから、頼りないほうがいいんです。 **――せっかくなので他に誰かいらっしゃいますか?** **泰子さん** 皆さん今日からですよ。今日で私らも分かったつもりになったら危険なので、今日から自分を益々変える営みを、学びは楽しいていう言葉を塚根洋子が最後に言ってまとめます。 **洋子さん** 学びは自分を変えられるという楽しさがあるよ。という意味で。学びは楽しです。変えましょう。 (終了) --- <dl> <dt>スーツケースと風呂敷</dt> <dd>書籍から引用する<!--スーツケースでも包み込むことはできるけれど、子どもをその形にはめ込むことになる。でも、風呂敷なら形を変えてどんどん広げていける。全ての教員は、スーツケースを、風呂敷の発想に変えていく必要があります。--></dd> </dl>
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